Daily Archives: April 22, 2019

アゴラで

インターネットはアグレッシブな性善説なのだという。 アメリカから遙々やってきて、挨拶と、おお元気かや、のハグもそこそこにいきなり、どうやら話したくて仕方がなかったらしいことをまくしたてはじめる。 だいたい、プライバシーが必要だとか、考えが間違ってるだろ? 邪悪な人間だけがプライバシーを必要とするので、善意をもって暮らしていれば隠すものがある個人なんて、そうそうないはずだ。 インターネットは基本的なデザインがプライバシーを前提としていない。 あんな20世紀的な理屈をもちこまれては、やれることもやれなくなってしまう。 おれはもうジジイやババアの古くさい頭に付き合うのは、うんざりだ。 この人は贅沢な人なので他のまともな旅行客のようにコンベアの前でスーツケースが出てくるのを待つ必要はない。 一緒にわしのクルマまで歩くが、そのあいだもずっと、育ちがよいので口角に泡をためたりはしないが、すごい勢いで話しています。 あんたはMG42か。 グーグルが中国政府に買収される日、という有名な冗談がある。 純粋にマーケティング用のビッグデータだから大丈夫、グーグルにストアレジや検索や、というふうにどんどん頼っていくのは、なんとなくよくないのは判ってるが、便利だし安いからドロップボックスから移行するか、と言っているうちに、よく見てみると朝起きてから夜寝るまで、どこにいてなにをしていて、もっと悪いことには何を考えているかまで全部グーグルに判ってしまうようになって、オンラインで把握された状態になっているところで、グーグルがポンッと中国政府に事業全体を売ってしまう。 でも、普通の人間は中国政府に把握されて困るプライバシーなんてもってないだろう? と、言う。 あるいは、21世紀の後半は、プライバシーに価値がある0.1%以下の人間と、「その他」に分かれていくだろう。 ラウンドアバウトで左側から進入してくる、おっそろしい運転のインド人風のおばちゃんがいるのでクラクションを鳴らして、あーびっくりした、と述べているあいだも、こちらの動揺には一向にかまわず、インターネットがいかに本来の革命性を発揮できないでいるかを滔滔と述べ立てる。 性善説は長いあいだパッシブな立場に立たされる考えだったが、インターネットによって性悪説を圧倒するちからを持つようになった。 アナーキズムは建設性をもたない政治思想にすぎなかったがインターネットの登場で、国権主義はもちろん、政府そのものを否定しうる道が出来てきた。 高速道路に入ったので、返答する余裕が生まれている。 話は、いつのまにかブロックチェーン理論で変わる社会に寄り道している。 銀行はなくなるのがたしかなわけだけど、他にはどんなものがあるかな、ガメ、きみなら想像力がCGみたいなやつ(←どういう意味だ)だから、クリアなビジョンが頭にあるんでないの? 銀行や不動産会社というものが存在できなくなるのは、まことに祝着の至りだが、ITと組み合わせて個々の人間がブロックチェーン理論による評価の紐付きになるのは、なんとなく滑稽で可笑しい。 日本の人相手にね、そのうち頭の上に偏差値の小旗をつけて歩くようになるのではないかと軽口を利いたことがあるが、あの国とかは、AR的に実現してしまいそうだよね。 ぴんぽーん。 ガメ。 35歳。 年収5円 思想的に素行不良 なんちゃって人の顔をみるたびに、その人の思想傾向や年収や最近起こした主な不祥事および不穏な言動について表示される。 そうするとさ、「前科」みたいな情報というのは、情報量が小さい時代の区分になって、もっと詳細で連続的な評価になるのだろう。 横断歩道でないところを先週は5回渡っているとかね。 ビッグデータを始点とするテクノロジーが発達していくと、かなりあっというまに、そのデータを人間が見るかどうかは問題でなくなってくるわけだよね。 人間の頭脳の処理能力では、いずれにしても処理できない量の大量のデータが個々の人間について瞬間的に、例えば、航空機搭乗券取得の優先順位をつけるために処理されて、あなたはいま乗れます、あなたは来月まで待つべきだ、というふうになってゆくだろう。 AIとデータテクノロジーが結びつくと民主制のようなものは無効になっていくことが予想される。 高速をおりて、オークランド名物のばかばかしさ、都心に直通の高速道路が存在しないのでエプソンの町並を通り抜けるころになると、民主制が情報テクノロジー革命を生き残れるかどうかや、技術革命がパラダイムシフト化したことによって近代哲学が再検討を余儀なくされるだろう予測に話が移行している。 途中では、ある朝、紙の新聞をカフェで広げてみたら自分の父親が労働者の敵として盛大に攻撃されていた、という笑い話をしたりして、ひっきりなしに話をしながら笑いこけたりしているうちにわし家に着いた。 ニュージーランドに主にいて、ときどきメルボルンの家に出向く程度の生活をしばらく送ることにしたのは、子供と朝から晩までべったり一緒にいて、犬さんの父親なみというか、ほっぺたを鼻でくちゅくちゅしたりして、子供がいつも親に抱っこされている日常をおくりたかったからだが、ひとつには揃いも揃って議論が大好きで、ひとの顔をみると議論したがって、見えない尻尾が激しくふられていそうな北半球のお友達に、日常、恐れをなしているからでもある。 自分では、頭の回転がのおんびりなせいもあって、あんまり議論を好んでいるとはおもえないが、どうも向こうから見ると、よっぽど議論をしかけたくなる体質であるらしい。 いまはちょうど世界が音を立てて変化しているときで、しかも加速がついて、ついていけない国や社会、あるいは個人ですら、どんどん後ろに置き去りにしている。 中国に焦点をおいてみると、その遠くに見えている理由が「やがて絶対的に不足する資源」にあることは、はっきりしている。 … Continue reading

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