Monthly Archives: May 2019

Bonnie and Clyde

Hoodieを着て、フードを目深にかぶって、耳には白いケーブルのイアフォンを突っ込んでいる。 雨のなかで、傘もささずに、おもいつめたように道路の水たまりを見つめている。 別れたボーイフレンドのことを考えているのかも知れないし、この世界を破壊したいと願っているのかもしれない。 若いんだなあ、とおもう。 抱きしめてあげたい気がするが、同時に、そういう気持になるということは、まあ、つまりジジイだよね、と30代のおっさんになってしまっている自分に嫌気がさす。 見知らぬおっさんに抱きしめられたら、災難で、日本の電車のなかなら「この人、痴漢です!」だよね、と取り止めもないバカなことを考えながら眺めていたら、突然、ポケットからスマホを取りだしてイヤホンごと道路にたたきつけて、まだクルマが往来している道路を走ってわたっていってしまった。 まさか内心の声が聞こえたわけではないとおもうが、若い人間と自分との観念の高みの差をおもいしらされて愕然としてしまう。 十代の自分が、三十代の、いまの自分をみたら唾を吐きかけたくなるだろう。 人間であることの「痛み」は自分を守ろうとする自己保全の本能に起因する。 仕方がないんだよ。 眼の前にゲームが呈示されれば、与えられたルールで、どうすれば勝てるかの手順くらいは人間は20年も生きていればすぐに判るようになる。 人間の社会のサバイバルゲームは、あんまり数が多くない定石で出来ている。 「これはやっても仕方がない」「こういうときにこうしてもうまくいった例はない」と本にでも雑誌にでも至るところに書いてあって、それがひととおり頭に入ってしまえば、あとはチェスを指すのと同じことなので、いろいろな経験を要するもののなかでも人間の一生を恙なく生き延びるのには、そんなに年齢を重ねることを必要としない。 だから、人間は自分が生きていくということを自動化してしまうのであって、眼の前の人間を信用すべきか否かというようなことに至るまで、なれてくると、別にいちいち考えているわけではなくなる。 具体的には、第一、だいたいのことは顔つきだけでわかるようになってしまう。 まさか相手に言ったりはしないが、頼み事をされても内心では「あなたの、その酷い顔ではダメですね」と考えている。 美人でもハンサムでも、ひどい顔の人はひどいので、中国の公安警察は独自のグーグルグラスをつくって公安のブラックリストにある人間の顔が明色のフレームと嫌疑に囲まれて表示されるそうだが、特にそんなものはなくても、なれれば、 「この人はダメだな」とすぐ判るようになる。 おとなになるということは、つまりはそういうことなので、くだらないというか、 気が滅入るというか。 日本でも「俺たちに明日はない」という、なんとなくバカバカしい気がする邦題で伝記を脚色した映画が流行したことがあるらしいBonnie and Clydeには、いくつか(多少でも知的関心がある)アメリカ人が普通に知っている背景があって、例えばEminemが、あれほど、このアウトローのカップルにいれこむのは、もちろん理由がある。 20歳になったClyde Barrowが初めて19歳のBonnie Parkerに会うのは1930年のことで、極貧家庭に育ったふたりは、ひとめで恋に落ちて、朝から晩まで夢中でお互いの魂のなかにもぐりこみあうような数週間を過ごす。 大恐慌のさなかで、ときどき雇い主の都合だけで出来たゴミのような労働環境の仕事にありつくが、そんな仕事が長続きするわけもなくて、その頃、アメリカの田舎にはたいへんな数で存在した他の貧しい若者たちと同様に万引きから自動車泥棒までなんでもやった。 自動車泥棒は、特に、若い人間たちには人気がある犯罪で、このことにはこの頃フォードが世界で初めて大量生産のV8エンジンを装備したクルマを売り出したことが深く関係する。 例の、英語国の貧困家庭にはよくある、黒いタールで煮染めたような壁の小さなアパートに住めればいいほうで、テントを買うためのオカネをつくるために数ヶ月も激しい労働をしなければならなかった当時のアメリカでは、若い人びとの夢は、ある日、突然自分の心に「勇気」が宿って、当時のすべてのパトロールカーより速度が出たVフォードを盗みとって、とばして、州境を越えることだった。 ひらたく言えば、まるで神様が純粋な魂をまちがって箱から取りだしてしまったようなふたりは、1930年のアメリカの田舎にはどこにでもいる、「ワルガキ」たちの一組だったわけで、あとにコミックで描かれてベストセラーになるように、葉巻をくわえて機関銃をぶっ放す大胆な若い冒険者だったわけではなかった。 1930年、会ったばかりでBonnie との恋に夢中になっていたClydeが自動車泥棒の罪状でつかまって、警察と裁判官のはっきりした「ダメな若者」への悪意によって悪名高いEastham Prisonに送られることで、ふたりの運命は、それまでとは、まったく違う性質のものに変わってしまう。 この刑務所でClydeは、(男同士であるのに)誰かを強姦することで子供をつくりたいという奇妙な妄想に駆られたひとりの囚人に毎晩のように繰り返しレイプされることによって、最後のひとかけらのように手に握りしめていた世界への希望を完全に失ってしまう。 ある日、自分に襲いかかる男の頭を鉛管でぶち割って叩き殺したClydeは「新しい人」になります。 暴力は、小柄で、どちらかといえば内気だった少年を解放する。 恋人を助けるために刑務所に武器を隠し持ってやってきたBonnie Parkerと刑務所を脱走したりもするが、発見され連れ戻されて、結局、彼を刑務所から解き放ったのは、嘘と他のインメイトに頼んで切り落としてもらった足指のおかげだった。 刑務所から出たあとに起きた一連の出来事は、いろんな映画や本になっていて、そのまま殆ど脚色のないことなので、興味があれば、見てみるといいかもしれない。 死んだときBonnie … Continue reading

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ふたりの日本人

わしは、人間の印象として、よほど見た目と日本語を話すという事実が一致しないらしい。 わしの趣味のひとつは、相手が日本人だとわかると、あるいはわかっていると、ここぞというときにわしが自慢の素晴らしいクリアな発音の、英語訛りが少しもない、純度99.999%の、というのはどうせばれないと思って書き放題書いているだけだが、それにしても外国人としてはかなり日本語人に近い発音の日本語でいきなり話して相手をぶっくらこかせることなんだけどね。 これまでに遭遇したおもろい反応は、 思わず手にもった料理を取り落として床にぶちまけてしまった若い仲居さんがいる。 幽霊でも観たように青ざめて固まってしまった割烹の大将がいる。 いま誰が自分に向かって日本語で話しかけたのだろう、と一瞬キョロキョロする女将がいる。 思い出しても楽しい反応は成田のモール(ショッピングセンター)のなかにあるタイ料理店のシェフの人で、その頃はコップンカップもちゃんと判っていなくてコップンカーと言ってしまうマヌケなタイ語だったので、通じなくて、日本語で話しかけたら、料理をしていた手を全面的に止めて、わし顔をまじまじと見て、「あんた、日本人?」と述べてから、 2秒ほども考えて、やっと安心したとでもいうように「そんなわけないよな」と呟くつぶやきかたが、笑いの神様と間(ま)がぴたりとあっていた。 どういう理由があるのか、鮨は未だに日本の人がやっている店がおいしい。 サーモンや鯛の鮨はいいが、ハマチになるとだいぶん怪しくなってきて、卵焼きやマグロになると問題にならない。 穴子や鰻になると、多分、塗りつけてある「ツメ」のせいで、なんだか東京で食べる鮨とは別の食べ物です。 この頃はオレンジカウンティのモール(ショッピングセンター)にも普通に「くら寿司」があったりして、日本みたいなことになっているが、もともとは英語国では回転寿司といっても安い鮨とは限らなくて、シドニーのピットストリートにも一軒そういう鮨バーが(いまでも多分)あるが、ウエスティンホテルのグラウンドフロアで、週末のマンイーティング、じゃないや、おデートに着飾った女のひとびとがカウンター沿いに蟠踞していて、壮観であったりする。 そういう英語国の高級回転寿司というけったいな生態の店のひとつに、ハンサムなわしがひとりで颯爽とあらわれたとおもいたまえ。 初めは相手にあわせて普通に英語で注文して話していたが、そういう性格なので、そろそろ脅かしちゃろ、と考えて、件の完璧な日本語でカウンタのなかの職人さんに話しかけます。 ところが驚かないんだよ、この人。 かわいくないというかなんというか。 眉ひとつ動かさずに「お客さん、日本語がお上手ですね。日本にいらしたんですか?」と言う。 つまらん。 そのとき横から強い中国訛りの日本語で「お客さん、お茶を替えましょうか?」と話しかける若い女の人がいる。 みると、やや機嫌が悪そうな顔をした丸い顔のアジア系の女の人で、店に入ってきたときにもやはり広東語訛りと推測される訛りの英語で挨拶してくれたウエイトレスさんです。 日本語で話しかけられているのに、多分、わし耳にはやや聴き取りにくい日本語だったせいもあって、おろかにも英語で返事をする、わし。 そのあとの女の人の憤懣に堪えない、という表情をわしは一生忘れることはないであろう。 「わたし、日本人です! あなた、どうして、英語で話しますか?」 その当然な抗議にたいする、パニックに陥っているらしいわしの答えは、ますます、いよいよ、クイックサンドに踏み込んでしまったマヌケな駱駝のように絶望的なもので、 「すみません。気が付かなかったものだから」と、これも英語で応えてしまうという救いのなさだった。 お茶をぶっかけられなくて、よかった。 英語国では粉茶は高いからね。 アホな白い人にぶっかけては、もったいなくてお茶農家の人が泣くだろう。 第一、手に入りにくい。 あ、いや、気が利かなくてすみません、と丁寧に、今度は日本語で謝ってから、 なんだか気分が変わって、 ごめんね、と友達言葉で話したら、やっと機嫌を直してもらえた。 日本に住んでいたの?と聞くと、 日本で生まれて育ちました、両親も日本人です、と相変わらず強い中国語訛りで応えてくれます。 わたし、日本人なんです。 正真正銘の、日本人! この話は、ここで終わりなんだけどね。 思い出すたびに自分が、恥ずかしくなる。 子供のときに、ヒロというおっちゃんの友達がいた。 ぼんやり40代くらいだとおもっていたが、いま振り返って考えてみると、30代も、前半だったのかもしれません。 … Continue reading

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世界を愛する方法について

Gloriousという。 いちどだけ全裸で大通りを歩く人間を見たことがある。 フットボールの競技場に塀を越えて飛び込んで、どんな場合でも滑稽にしか見えない例の男ヴァージョンの性器を激しく上下左右に振りながら全力で走り抜けるぶざまで物好きな若い男みたいに走っていたわけではないんだよ。 シドニーにKings Crossっていうところがあるんだけどね。 午前零時をまわった繁華街の舗道を向こうから回りの男達より頭ひとつ背が高い女の人がこちらに向かって歩いてきた。 トレンチコートを羽織っていてね。 踵のたかい銀色のstilettoを履いているひとだった。 ところが近付いてきたその美しい容貌の女の人を見たらトレンチコートの下は何も着ていない。 おまけに十メートルくらい手前になったら、コートを後に残して脱ぎすててしまって、stilettoをはいているだけになった。 もう少し精確にいうと、ダイアモンドあるいはダイアモンド風のネックレスとネックレスとデザインがあっているイヤリング。 宝石とstilettos. 非現実的な光景だった。 おまけに、ここがとっても重要なのだと強調したいが、周りの男達も、あまりのことに、まるで気が付いていないかのようで、びっくりして振り向いている人はいるが、あれほど美しい人が一糸まとわずに歩いているのに、マヌケなからかいを述べる若い男も、口笛も鳴らなくて、いま書いていて気が付いたが、あの女の人は少なくとも元はファッションモデルであったか、その訓練を受けたことがあるのに違いなくて、キャットウォークを職業的に颯爽と歩く人のように歩いてきて、すれちがうときに、はっきりとぼくの顔を見て、目を覗き込むようにして Deus te benedicat. と述べた。 笑うなよ。 その女の人は、たしかにそう告げて歩いて去っていったんだよ。 次の日会った大叔父に、その話をしたら、「あの辺はコールガールが多いから、麻薬をやりすぎてハイになった売春婦だったのかもしれないね」と感想を述べていたが、大叔父は物理学者で、物理学者らしく世界を説明するのがいつも下手で勘も手際も悪い人なので、まったくあてにならない。 きみは、どうおもったのかって? 初めに書いたでしょう? あまりに美しい人だったのでGloriousという単語が感想のすべてで、視覚的な記憶は細部に至るまでいまでも残っているが、リアリティのかけらもない、というよりも地上性のかけらもない出来事の視覚記憶に圧倒されて、言語的な感想はもちようがなかった。 ただ、その出来事に出会ってから、ぼくの頭はえらくまともになって、世界が明然と見えるようになった。 世界がキンッと冷えてるんだ。 硬度が増して、 分解能がいちだんあがったCCD/CMOSみたいに輪郭も色彩もシャープになって、現実がぼんやりとしたものではなくなった。 多分、ぼくの退屈はそこから始まったのだとおもう。 過去の自分の姿がおもいうかぶときに横から見た姿がおもいうかぶのは、どんな場合でも悪い徴候なのだけど。 冬で、氷のような細かい雨が降っていて、ぼくはヴィクトリアパークというクライストチャーチの南の丘陵にある公園の小高い岡に立っている。 ぼくは正しいことを言う人間が好きじゃないんだ。 正しいことを述べる人間に相槌を打つ人間に至っては、耐えがたいほど嫌いであるとおもう。 なぜかって? 簡単なことだよ。 そういう人間はうんざりするくらい退屈だからさ。 2ユーロ硬貨をいれると正しい答えが奥から押し出されて取り出し口からコロンと出てくる「賢者」ほど世の中にくだらないものはない。 ぼくは生まれてからこの世界がずっと嫌いだった。 きみはほんとうに努力すれば立派な人間になれるとおもうかい? 自分を十分に訓練すれば、初心者の頃には足をかけることすら思いも寄らなかった何百メートルにもわたって切り立ったあの垂直な崖を登攀できるようになるだろうか。 … Continue reading

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漂流する日本に

トルドー首相が安倍首相を迎えて二度も日本と中国を取り違えて「チャイナ」を連発したのは象徴的な出来事だと捉える人がおおかった。 日本では、この椿事どころではない外交上の大失礼を安倍首相の責に帰する人がおおかったが、それはいくらなんでも酷で、当然、カナダでは「トルドーのボンボンは、なにを考えとるんや」と自分達の首相が相手国をかつてはその国のライバル国であった国と取り違える外交上の失態を嘆く声がおおかったように見えます。 一方では、安倍首相が軽んじられて、各国の首脳の失礼な冗談のタネになっているのは、まさか表通りのマスメィアでは伝えられはしないが、誰でもが知っていることで、侮辱されても侮辱されても、まるでいじめにあっているのに、いじめそのものに気が付かないふりで「ぼく、クラスのみんなの人気者なんだよ」と母親に報告する健気な子供のように、安倍首相はあきらめずにあちこちの国にでかけて、ネグレクトされ続けている。 初めに英語世界でおおきな話題になったのは、トランプが大統領の座に着いたばかりのときの安部夫妻のアメリカ訪問で、いったいどうものを考えたらそういうことをしようとおもうのか、驚天動地というか、メラニアは安倍昭恵に付き添ってDC市内を案内するという例外があったことのない慣行を無視して、首相の夫人を、ひとりで半日ほったらかしにする、という公然たる侮辱を与えるという行動に出た。 各国の外交雀たちは、大喜びでした。 元外交官や、性格が悪いある種のひとびとが出入りするコミュニティに属する「外交通」たちは、なにしろ、なによりゴシップが好きなので、メラニアの破天荒なデタラメぶりと、屈辱を必死に我慢して、まるで主人のもとに出張してきた夫についてきて、誰もめんどうを見てくれないので、途方にくれながらひとりで見知らぬ町をほっつき歩いて時間をつぶす会社員の妻のような日本の首相の妻の姿を同情を持って眺めていた。 あるいはトランプが経営するリゾートでのパーティで、当時はマーサーファミリーの後ろ盾でホワイトハウス入りして、ぶいぶい言わせていたスティーブン・バノンに、西洋人の目にはどう見ても清朝の宦官の小走りにしか見えない走り方で、慌てたように歩み寄って、やはりこれも西洋人の目には卑屈にしか見えない恭しい態度で自己紹介をしていた。 いま、こうやって書いていて、どう思い出してみても安倍首相がぺこぺことお辞儀をしながら名刺を渡していた映像がたしかな記憶として頭のなかに浮かぶのは、しかし、現実にはなにしろ一国の首相なのだから、そんなはずはなくて、日本の出張会社員の姿と重なるマナーで、逆に動作を記憶が捏造しているのでしょう。 気位が高い国民性を考えれば無理もなくて、日本では報道されないが、そのあとの数多の外国訪問でも卑屈であるか威丈高であるかで、まるで風刺漫画に出てくる誇張された日本人そのままの像をみせて世界中を楽しませることに成功した安倍首相は、だんだん回数が重なるにつれて、見ている人間に、「いったい、この人の内面はどういう仕組みになっているのだろう?」と訝らせるくらい、ほとんど当たり前のように無視(例:G7)されたり、ある場合には、露骨に相手が格下の国であることをデモンストレーションとして演じてみせた習近平のように、いっそ見ているほうがハラハラするくらい失礼な態度に出られても、どこふく風というか、むっとした顔もみせずにニコニコと応じて、帰国すると、架空な「外交成果」を国民に報告していた。 日本の首相なのだから、ほんとうの実績ならともかく、あれほど空想的な「外交成果」を国内に向かって述べてしまえば、それはちゃんと国外からも見えていて、ますます各国の政府から失笑と、この場合は不幸なことに安倍首相個人に限らず、それを称賛する日本国民全体に対してまで見ている人間たちが軽蔑の気持が起きるのは当然わかっているはずで、見ていて、国内向けの配慮はしても、外交の話であるのに外国から軽侮されるほうへばかり行動するのは不思議に感じられた。 そのうちに安倍首相が用もないのにやってきた場合の対策マニュアルのようなものが、無言のうちに納得されていって、とにかく日本のマスメディア用に歓待を見せる席をつくってやる。 対等に扱っているシーンを、これも日本の記者たち用にお膳立てする。 つまりは安倍首相の訪問は国内で「外交をかっこよくすすめている国際派首相」というイメージを確立するためにやってくるので、その需要をみたしてやれば、見返りのない、案外莫大な金額のオカネをおいて、日本にとっては極めて不利な約束(例:オーストラリアの投資会社による日本人個人資産へのアクセス権、ロシアに対する「北方領土」四島主権の事実上の放棄の約束)を、ほとんど交渉の手間さえかけずに置き土産としておいていってくれることが判ってくると、各国とも安倍首相の訪問を歓迎するようになっていった。 下品な言い方をすれば鴨が円を背負ってやってきてくれるのだから、当たり前といえば当たり前です。 労せずして日本人が営々と築いてきた国富が我が手に入る。 こちらから見返りをだす必要は、ゼロ。 「顔をたてて」やればいいだけのことで、不思議なことに、どうやら安倍首相の側は、それでも日本に帰って国民の猛然たる非難にあう、ということはないらしい。 なんだか狐につままれたような、英語では too good to be true と言うが、現実の話なので、俄には信じがたくても、信じた方が自分の利益になるとなれば、とにかく毟り取れるあいだは毟ったほうの勝ちというか、どうせばらまくオカネならば、自分の国にばらまいてもらうに如くはない。 日本もハッピー、当該国もハッピー。 いまだに「ハッピー・シンゾー」と渾名がつかないでいるのが不思議なくらいであるとおもわれる。 (閑話休題) 最もわかりやすそうな例だと考えて外交をもちだしたが、この頃、日本は国を挙げて、どうやら21世紀の世界とは異なる文脈を歩き出したようです。 世界で焦眉の急であると考えられていることが日本では中心の話題になっているのを見たことがない。 パッと見た第一印象は、この変化が激しすぎて参加者全員がうんざりしている世界で、日本だけが20世紀を生きていることで、問題の立て方自体が20世紀的で、この記事も日本語で書いているとおり、自分では日本語が一応使えるので、日本の人とツイッタなどで話してみると、なんだか自分の祖父と話しているような気がしてくる。 どうかすると、世界のものごとを「親日」「反日」という分類をあてはめて考える端緒にしようと企てる人までいる。 記事を見る限りそういうことが大好きであったらしい戦前の1930年代くらいの朝日新聞記者が墓から蘇ってときどきミイラ化した指がとれたりするのに顔をしかめながら書いているのかとおもったら、20代の若い人です。 東アジアの他の国なら「親日」という言葉は、1945年以前の大日本帝国の協力者のことで、親ナチとおなじで、ちょうどいまでも90歳代に達した元ナチ幹部をモサドが追究して告発するように、国家として告発して、罰を受けさせようとするのとおなじことで判りやすいが、日本の側で「親日」「反日」と述べるところが、もう、よく判らないというか、文脈が異なっているわけで、 つまりはおおもとは、日本は戦前からひとつづきの大日本帝国の延長で、「国体」として同一で、その戦前の「焦慮する大アジア主義」とでもいうべき性急で暴力的なアジア征服の夢をもって、アジア中で無辜の市民を殺しまくり強姦しまくり、機嫌が悪ければ誰彼なく通りで言いがかりをつけてなぐりつけていた大日本帝国と同意するかどうか、と言っているのでしょう。 どうも日本人にとっては個人としての自分の存在と日本という自分が市民権をもっている国とは一体で、いわば日本という身体の一部のような存在で、したがって、日本に対して「でも、あなたはそういうが私の祖母は兄弟を日本兵に皆殺された」と述べると、日本の一部と感じている右腕国民がなぐりかかり、口(くち)国民が「嘘をつくな」と罵り出す。 国という観念と自分の肉体のあいだになんの疎隔もなくて、悪くいえば個人といえどもただの社会の部品だが、日本人は日本語で思考して生活しているのが普通で、英語のような態度が悪い言語とは異なって、間柄(あいだがら)言語とでも呼びたくなる、個人の判断そのものが他人との関係でくだされる、いわば相対性のなかでその都度うまれる価値が思考を支配する言語で出来た考えにおいては、自分が他者との関係によって規定されるのは自明と感じられている思考そのものの前提で、特に意識しなくても、日本という国と自分は一体であると感じるものであるらしい。 幸福といえば幸福な状態ではあるまいか。 細部に目を移すと、ドライブウェイを歩いて新聞を取りに行って、ゲートの前で近所のおっちゃんと会う、立ち話の短いあいだでさえ、「なあ、ガメ、アーダーン首相がスカーフを頭にまいて演説するってのは、ムスリムに媚びすぎだとおもわないか?」 「いや、おもわないよー。だってムスリムの特に女のひとたちは、スカーフをまいて町を歩くこと自体に恐怖心があるんだよ。 このあいだ、ほら、ニュージーランドヘラルドに、イスラムに改宗して顔をすっぽり覆うブルカを着てケンブリッジで暮らしている白い女の人のインタビューが出てたじゃない。スーパーの棚の前で野菜を手に取って眺めていると、女の人が横にすっと寄ってきて、同じように野菜を見ているふりをしながら低い声で『ここはおまえたちが来る国じゃない。出て行け』と言われたりするって。 … Continue reading

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