ふたりの日本人

わしは、人間の印象として、よほど見た目と日本語を話すという事実が一致しないらしい。

わしの趣味のひとつは、相手が日本人だとわかると、あるいはわかっていると、ここぞというときにわしが自慢の素晴らしいクリアな発音の、英語訛りが少しもない、純度99.999%の、というのはどうせばれないと思って書き放題書いているだけだが、それにしても外国人としてはかなり日本語人に近い発音の日本語でいきなり話して相手をぶっくらこかせることなんだけどね。

これまでに遭遇したおもろい反応は、
思わず手にもった料理を取り落として床にぶちまけてしまった若い仲居さんがいる。

幽霊でも観たように青ざめて固まってしまった割烹の大将がいる。

いま誰が自分に向かって日本語で話しかけたのだろう、と一瞬キョロキョロする女将がいる。

思い出しても楽しい反応は成田のモール(ショッピングセンター)のなかにあるタイ料理店のシェフの人で、その頃はコップンカップもちゃんと判っていなくてコップンカーと言ってしまうマヌケなタイ語だったので、通じなくて、日本語で話しかけたら、料理をしていた手を全面的に止めて、わし顔をまじまじと見て、「あんた、日本人?」と述べてから、
2秒ほども考えて、やっと安心したとでもいうように「そんなわけないよな」と呟くつぶやきかたが、笑いの神様と間(ま)がぴたりとあっていた。

どういう理由があるのか、鮨は未だに日本の人がやっている店がおいしい。
サーモンや鯛の鮨はいいが、ハマチになるとだいぶん怪しくなってきて、卵焼きやマグロになると問題にならない。
穴子や鰻になると、多分、塗りつけてある「ツメ」のせいで、なんだか東京で食べる鮨とは別の食べ物です。

この頃はオレンジカウンティのモール(ショッピングセンター)にも普通に「くら寿司」があったりして、日本みたいなことになっているが、もともとは英語国では回転寿司といっても安い鮨とは限らなくて、シドニーのピットストリートにも一軒そういう鮨バーが(いまでも多分)あるが、ウエスティンホテルのグラウンドフロアで、週末のマンイーティング、じゃないや、おデートに着飾った女のひとびとがカウンター沿いに蟠踞していて、壮観であったりする。

そういう英語国の高級回転寿司というけったいな生態の店のひとつに、ハンサムなわしがひとりで颯爽とあらわれたとおもいたまえ。

初めは相手にあわせて普通に英語で注文して話していたが、そういう性格なので、そろそろ脅かしちゃろ、と考えて、件の完璧な日本語でカウンタのなかの職人さんに話しかけます。

ところが驚かないんだよ、この人。
かわいくないというかなんというか。
眉ひとつ動かさずに「お客さん、日本語がお上手ですね。日本にいらしたんですか?」と言う。

つまらん。

そのとき横から強い中国訛りの日本語で「お客さん、お茶を替えましょうか?」と話しかける若い女の人がいる。

みると、やや機嫌が悪そうな顔をした丸い顔のアジア系の女の人で、店に入ってきたときにもやはり広東語訛りと推測される訛りの英語で挨拶してくれたウエイトレスさんです。

日本語で話しかけられているのに、多分、わし耳にはやや聴き取りにくい日本語だったせいもあって、おろかにも英語で返事をする、わし。

そのあとの女の人の憤懣に堪えない、という表情をわしは一生忘れることはないであろう。

「わたし、日本人です! あなた、どうして、英語で話しますか?」

その当然な抗議にたいする、パニックに陥っているらしいわしの答えは、ますます、いよいよ、クイックサンドに踏み込んでしまったマヌケな駱駝のように絶望的なもので、

「すみません。気が付かなかったものだから」と、これも英語で応えてしまうという救いのなさだった。

お茶をぶっかけられなくて、よかった。
英語国では粉茶は高いからね。
アホな白い人にぶっかけては、もったいなくてお茶農家の人が泣くだろう。

第一、手に入りにくい。

あ、いや、気が利かなくてすみません、と丁寧に、今度は日本語で謝ってから、
なんだか気分が変わって、
ごめんね、と友達言葉で話したら、やっと機嫌を直してもらえた。

日本に住んでいたの?と聞くと、
日本で生まれて育ちました、両親も日本人です、と相変わらず強い中国語訛りで応えてくれます。

わたし、日本人なんです。
正真正銘の、日本人!

この話は、ここで終わりなんだけどね。

思い出すたびに自分が、恥ずかしくなる。

子供のときに、ヒロというおっちゃんの友達がいた。
ぼんやり40代くらいだとおもっていたが、いま振り返って考えてみると、30代も、前半だったのかもしれません。

巣鴨地蔵通り商店街で買ったような、デザインも色も、名状しがたいくらい地味なジャンパーを着て、学生服みたいな、ヘンテコなズボンを穿いていた。

道路工事を仕事にしている人のような浅黒い顔で、まさか口にだして言ったことはないが、顔をみるたびに、辛辣な観察をするクソガキだったわしは、「飢饉の年のアイルランドのじゃがいもみたいだ」と考えた。

背が低い小さな人で、170cmくらいだろうか、そんなはずはないが記憶のなかでは子供のわしとあんまり変わらない背丈だったことになっている。

「典型的な日本人」と形容してもよいようなヒロさんの、でも他の人と異なったところは、日本語がまるで話せなかったことで、それこそ顔や容姿と合致しない都会的なカリフォルニア英語を話す人だった。

やわらかいRが風のなかでコロコロしているような、あれです。

ヒロさんは父祖がやってきた国である日本を見るために東京にやってきた。
いまとは異なる20年プラスも昔のことなので、どこからどう見ても日本人であるヒロさんが、日本語を話さないことに苛立って
「あんた、いったいどういうつもりなんだい。日本人なんだから日本語で話せよ!」といきなり怒鳴られたり、酔っ払いにバカにされて笑われたりヒロさんの東京滞在は散々で、おこどもさんのわしを相手に、よく愚痴をこぼしていた。

当時はまだ神々しいくらい愛くるしい白い子供だった(そこのきみ、なにを笑っておる)わしと、長野と新潟の県境の畦道を歩いていそうな田舎のお百姓のおっちゃんぽいヒロさんの珍妙なコンビは、六本木にあった某店ではなかなか有名で、ヒロさんは、あの顔でアーバンイングリッシュで話しても誰も変な顔をしないアメリカンスクールやインターナショナルスクールの女の子たちに囲まれて冗談を述べている時間がいちばん楽しかったようでした。

いま考えてみるとオウムが人間の言葉を相手の反応に応じて使い分けて話すのと本質的に変わらないが、当時から日本語で話すのが上手だった、あるいは上手な日本語にみせかけることに巧みだった白人ガキのわしと、まったく日本語が出来ない「日本人」のヒロさんは、でもとても仲がよかった。

Kamila Shamsieはパキスタン人の両親のあいだに生まれた上流階級の女の人で、
Home Fireという、ソフォクレスが書いたギリシャ悲劇を現代に引き写した、信じられないくらい面白い物語を書いた人です。

用事があってオークランドにやってきたが、この人の口からもれたイギリスの国家としての移民への態度の現状は、聞いているこちらが惨めな気持になるほど酷いものだった。

いまのイギリスには、「ダメな移民イギリス人は、みんな追い出しちまおう」というムガベのジンバブエとあんまり変わらない強い潮流がある。

7年くらい前に「いまのイギリスでは人種差別の思潮が再び高まっている」と述べたら、「いったい何時代のイギリスの話だよw」

「わたしはUK人の夫と結婚してこの国に20年住んでいますが、いまのイギリスには人種差別なんかありません。ガメさんがいらした頃のおおむかしのイギリスといまのイギリスは違うんです」とイギリスに住む日本人たちに大笑いされたが、またそのときのように、多分、おなじ人達に大笑いされる嫌な予感がするが、まあ、いい。

イギリスという国の精神状態は「史上空前の繁栄に飽きた」Brexit前後の人種差別・排外主義から一歩すすんで、Paint It Whiteで、有色人種なんて全部追い出しちまえという危険な場所めざして進んでいる。

もちろん、そんなこと出来るわけがないんだけどね。

どうせ一時のうまくはいかない一過性の過程だとしても社会としてそんな努力をされた日には、イギリスへやってきた移民は道程を見失って死屍累々になってしまう。

ISISからこのかた、神聖不可侵と冗談を言いたくなるほど、どんな凶悪犯でも返上させられることはなかった市民権を取り上げることが英語国では流行している。

ふたつ以上の国籍を持っている人間のイギリス国籍を取り上げて、生得の国籍があるアフガニスタンならアフガニスタンに強制送還するのはもちろん、本来、違法であるはずの単国籍イギリス人の生国への強制送還を認める法曹人が増えている。

19歳の Shamima Begumはバングラデシュ生まれの母親を持つ単国籍のイギリス人だが15歳のときにISISに共鳴してシリアに逃亡した。
ISIS戦士と結婚して、3人の子供を産んだ。
生き残ったのは最後のひとりだけだったけど。

いまは行動を悔やんでイギリスに帰りたいと願っているが、娘の帰国の許可を願う母親からの手紙に返答として届いた政府からの手紙は、

“In light of the circumstances of your daughter … the order removing her British citizenship has subsequently been made.”

というものだった。

政府は母親がバングラデシュ生まれなのだからバングラデシュに帰れば国籍が取得できるはずだという「推測」によって、市民権を奪われれば無国籍になるしかない19歳のシングルマザーを無国籍の荒波におっぽりだそうとしている。

一方では「善良でない国民の市民権を取り上げ」やすくするための法律世界の流れがある。

このふたつの潮流をうまく操って、まず気に入らない移民を追い出しちまえ、というのが英語国の新しい「潮流」になっている。

「それが移民にとって、どういうことかわかりますか?」

Kamila Shamsieが言う。

国家の恣意によって、移民が営々と築いてきたものが一瞬にして奪われる可能性が出来てしまった。

落ち着いて自分たちの幸福をめざすグラウンドが、突然、消えてしまった。

労働ビザととり、永住ビザをとって、市民権にたどりつく階梯を国家が取り壊してしまった。

いまのいままで、自分はイギリス人だと信じていたが、いまでは自分がいったい何人なのかわからなくなった。

いまの世界では「移民」と「漂白の民」の本質的な区別はなくなってしまった。

しかも、この恥ずべき事態は、一挙に定着しようとしているらしくみえます。

見送りに出かけた成田空港で、ヒロさんは、なんだかすっきりした顔をしていた。
「おもいきって日本に来てよかったよ」
という。

そうですか、と間の抜けた返事をする、子供わし。

「うん。ぼくはずっと自分は日本人だとおもっていたけど、やっぱり日本人じゃないのがちゃんと判ったから。

日本の人が、ぼくにも判るように教えてくれたんだ。
日本の人に感謝しなくてはね」

わしは見送りにやってきたのが自分ひとりであることを発見したときから、すっかり憂鬱な気分になっていたが、そのヒロさんの心からの日本への感謝のひとことを聞いて、この世界から消滅してしまいたいくらい寥寥とした気持になっていた。

ほら、このパスポート、とアメリカ合衆国の紺色のパスポートをひらひらさせて、これがあるからぼくはアメリカ人だということになっているけど、ガメには内緒で教えてあげるよ、ぼくは、アメリカという国が大嫌いなんだ。

わしは、そこに至って、もうなにも言わなくなっていた。
明るい顔で、周到に準備しておいた冗談を述べて見送ろうとおもっていたのに。

なにか言えば、ワッと泣いてしまいそうな気がしたからね。
なにも、ひとことも言わずに、唇を一文字にして、きっと、怖い眼でゲートの前に立って持ち前のひとなつこい笑顔で笑っているヒロさんをにらみつけていただろうとおもう。

人間の魂は手続きによって定められはしない。
国籍が単純に「持っているパスポートの表紙に書いてある国の名前」であることになっていたのは、人間が魂と相談して決めた、とても良い知恵だった。

でも、また世界は、ほかのすべてのことと同じく、後じさりしようとしているんだよ。
人間は人間であることをやめて手続きで出来たバケモノになろうとしている。
そのバケモノは、かつて人間の匂いがたちこめていた街路を建物を、ひとびとのやさしい姿をした影を、ことごとく踏みつぶしていってしまうだろう。
しかも、その「未来」から逃れる方法は、誰にも残されていない。

この世界は、消え入るように終わりさえしない、乱暴な終わり方をめざしている。

ところで、わしには、いったい、帰るべき家があるのか?

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5 Responses to ふたりの日本人

  1. itrsoga says:

    日本って、友達とか仲間とか理解者をつくるのがホントに下手な国だと思います。それは、日本だけではないかもしれないけど。でも、仲間がいない、理解されないことを、自慢にしているのは度が過ぎる。理解されたくないし、理解したくもないのかも。「わしらはユニーク、唯一無二じゃ、どうだ参ったか」、と自慢してもいいけど、お互いユニークな者たちが集まって、「へ~、あんたら変わってるねぇ面白いねぇ」と笑い合えるようになれば楽しいのに

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  2. 面白かったです。ありがとうございます。
    いつも思うんですが、本を出版しないのがもったいないくらいの文章だと思います。
    他の海外の方が日本語で書いた本もありましが、ガメールさんのはとても面白いです。

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  3. niitarsan says:

    あなたはこの「ふたりの日本人」という文章を日本語と認めたくないようですが、私にしてみればいつものガメ節よりずっと身近に感じられる日本語です。ま、だから気に入らないのかもしれないが。

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  4. AKKO says:

    この世には色んな人がいるからこそ誰かが誰かに照らされていて成り立っているのだなぁ、と最近考えているのだけれど、なんだか現実は厳しいですね。それにしてもガメさん、子供の頃から優しかったんだな、としみじみ。これまでの他のブログでも何度か思ったことですが。

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  5. mikanaho says:

    ツイッターの使い方がわからなかったので、こちらに書きます。
    いつも、このブログを読んで励ましをもらっていました。
    また、読めるようにしてくれてありがとうございます。

    きっかけは、かなり前ですが、書いてる人が同じ年だったので、読み始めました。
    とても楽しかったです。

    最初のほうに書いてあった「戸籍」やラスコー洞窟へ行ったときの記事が好きでした。
    「戸籍」https://gamayauber1001.wordpress.com/1970/01/01/koseki/
    あと、モニさんとの記事や女性についての記事も。
    日本語の戦争についてや人物についても読んでみるのですが、空中に音のように散らばって消えていってしまうので、いつも最後まで読めていません。

    日本では、外国ルーツの人に「国会で議員の資格があるのか、戸籍を見せろ!」と大馬鹿をこいたニュースが数年前に流れ、いつものように忘れ去られました。最近は、議員になろうとしてる人が同じことをしました。
    「日本人」の資格は厳格な条件があり、手足が動いて、日本語がペラペラで、権力者に逆らわなければ良いようで、女性だったり、障害があったり、外国の人だったり、子育てに一人で挑戦しなければならなかったり、そういう「賢くて優秀な日本人の足を引っ張って生産性を落とす輩」は日本人の資格はないようです。
    優性思想をそのまま制度にした人達の裁判を今していますが、ほとんどの日本人は忘れているでしょう。口できれいなことを子どもたちに言いながら、自分たちで常に権力者に寄り添ってたという、穢さを問われますから。

    次に言い出すのは「おまえはどうなんだ」で、自分たちのことを問うことはないでしょう。
    怖いだけなんですけどね、ただ。

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