Cogito ergo sumの終わり

ときどき歌舞伎町に行きたいとおもうことがある。
日本にいたときは、新宿は広尾から軽井沢に向かう途中に寄るだけの町で、世界堂へ行ってモニさんが絵を描いたり彫刻をつくったりする材料を買って、デパートの地下で、当夜の夕食を買ったりして、そのまま大泉学園から関越自動車に乗る高速をめざした。

ツイッタで会ったセーラーメルセデスというセーラームーンが大好きで、セーラームーンの世界に住んでしまいたいとまでおもいつめるミネソタに住む友達が独身最後の旅行に歌舞伎町にでかけてゴジラが首から上をだして覗いているホテルに泊まって楽しかったというので、たいへん羨ましかった。

歌舞伎町という町には、どこか、町の端っこを持って、メリメリと引き剥がせそうなところがある。

あの、ものが余すところなく剥がれる快感で町ごと剥がしとったあとには、聖なる土地が広がっていて、遠くに小さな教会が一軒だけ建っていて、その後ろには地平線が見えているのではないか。

風俗案内の看板も、好奇心むきだしで案内の男たちをからかおうとしている高校生の女の子たちを、それをニヤニヤしながら見つめているサラリーマンたちも、みな誰かの夢が投影された幻像にすぎなくて、ほんとうは、あんなネオンの洪水の町は現実ではないのではないか。

年齢をへて、注意深くものごとを観察する習慣がついてくると、現実はおもったほど確かに存在しているわけではないことに気が付く。

Abel Tasman Coast Trackという。

https://www.newzealand.com/int/feature/abel-tasman-coast-track/

ニュージーランドで、多分、最も有名なトランピングのコースで、観光客に「トランピング」と述べても意味が通じないので、いまは、トレッキングとかなんとか、そういう言葉を使っているはずです。

だいたい5日間にわたってガイドと一緒に森を抜け、尾根から尾根を伝って歩いていく。

途中、カヤックで移動する日もあって、このコースは何度も歩いているのに、いちどは油断して顔の半分が日焼けで焼けただれてしまったこともある。
カヤックは水面に近いので紫外線の反射が厳しくて、晴れた日は冗談でなくて文字通り生命に関わるのを忘れていた。

最後に歩いたときは、イギリスから移住したきたばかりの若い新婚のカップルと歩いて、夢中になっておしゃべりしながら歩いていたら、ガイドが困惑した顔で、
「すみません。もういちど、数えます」と述べていた。

なんど数えても7人いるのだという。
このパーティは6人の筈なので、黙って参加している人は仰ってください。

名前を読み上げる。
全員が返事をする。
でも、数えてみると、やはり7人いる。

このときは上級コースで、しかも条件が悪いトランピングで、困憊してもいたので、そのまま目的地点まで行ってしまったが、すっかり友達になったイギリスからやってきたカップルと話していても、やはり話題になる。
話題になって、推測する。
推測はいろいろにしてみるが、やはり未だに謎は解けません。

あるいは追分の森を夜更けにフランスからやってきていた友達と酔っ払って歩いていて、右に折れて坂をおりていけば佐藤豆腐店という追分宿の豆腐店に出るはずの径で、下りて行くと、墓地を抜ける径になっている。

そこは御影用水の手前に、径の左側の森のなかに、地元のひとたちが口を揃えて、むかしの売春婦たちの亡霊がでるという墓地があるはずのところで、千メートル道路から真っ直ぐにおりてくる直線の一本道が墓地を突っ切っているはずはない。

酔っ払いというものは幸せなもので、「あれ?来たときと一本道なのに風景が違うな」で終わって、おおきな声では到底言えない酔っ払い運転で軽井沢に帰ってしまったが、次の日の朝、こればかりは滞在する客にどうしても見せないわけにはいかない、朝の、カラマツの森の木立を抜けてくる、壮麗としか表現のしようがない木洩れ陽のなかを歩きながら、あれはなんだったんだろう、と訝しみあった。

幽霊に対してゆいいつの可能な、現実としか考えられない体験と物理法則との妥協は「認識のゆがみ」だが、そのゆがみは、多分、人間の脳内だけで起きるものではないだろう。

こういうことがある。
義理叔父はもともと幽霊など目の前に立って裸で踊っていても気が付かないくらいの人で、僅かに子供のとき葉山で夜中にトイレに小用に立ったら、窓から見えている闇の奥から隣家のおばあさんらしい人とその孫の会話が聞こえていて、ずいぶん遅くまでおきていられて隣家の子供はうらやましいと考えて、翌朝になって、トイレの向こうは断崖で、隣家など存在しないことに気が付いて、ゾッとした。

そのくらいが最大の経験で、幽霊などはこの世界にいるわけがなくて、科学を専攻したのはやはりいいことだと考えていた。

ところが秘書に後年まで付き合いが続く、お相撲さんのような体格の青年を雇ったら、途端に、まず第一週目に鎌倉山の頂上に近いところで、赤い靴をはいた足がヘッドライトのなかを横切るのを見た。

長谷で酒を飲んで海岸通りという長谷の近代文学館の交叉点から以前は消防署があったところにつづく一本道を歩いていたら、ほんとうは一回しか横切るはずがない江ノ電の線路を三回横切った。

「おれは、そこまでは見なかった」と強がっているが、同行の人達、というか酔っ払い仲間によると、このとき二回目に踏切を渡ったときは左側に見えるはずがない和田塚の駅が見えていて、いわゆる駒、ロバのように小さな馬にまたがったより甲冑の武士と、その従者らしい一団が見えたそうです。

なんだか、そんなことばかりで、その上鎌倉に新しく借りた家に越して来た件の秘書の人は、夜毎、目がさめると、天井から女の人の顔が自分の顔に向かって落ちてきて、うわああああっとおもって気を失って、正気に返るとなぜか稲村ヶ崎の海辺のベンチにちゃんと背広を着て座っている。

どうも認識の歪みは伝染するのではないか、と述べていた。

現実とはなにか?
ということを考えると、つまり認識を現実と呼んでいる。
金魚鉢に住んで、金魚鉢の世界で生活が完結している人は、魚眼レンズの写り方にひずんだ世界を世界と知覚している。

生まれつき目が見えない人は、ものの形を知っていても、目が見える人の形と合一性を会話のなかでもたせるためには困難な翻訳が必要なはずです。

知覚によって認識される現実は、比較的わかりやすいが、島宇宙のなかで、島宇宙から島宇宙に渡り歩くこともなく、ひとつの島宇宙の、そのまた片隅で逼塞して生まれてから死ぬまでを余儀なくされる人間は、島宇宙を見渡せる意識にはどう見えるか。

あるいは、どう見えても見えなくても、たいして巨大な意識に対して取っかかりがあるほどの知能があるとは認められないはずで、その場合、考える葦であっても考えなくても、どれほどの違いがあるというのか。

現実をマテリアル化された幻像であるという立場には多くのメリットがあって、ものごとの本質へ、チーズケーキを切るナイフのように、すっと入っていけるもののようでした。

記憶のなかでは歌舞伎町も、ボストンの下町の歓楽街「コンバットゾーン」も、混濁していて、しかも、その上に二重焼きになったフィルムのように、コモ湖の湖畔の丘のうえにある小さな教会が二重写しになっている。

やってみると判る、マンハッタンの凄まじいという形容が最も適切なクルマとクルマが鳴らすクラクションの音の洪水や、あるいは歌舞伎町や渋谷センター街の、裏声の若い女のひとたちの声や、リズムの悪い大音量の流行り歌の向こう側には、賛美歌に似た旋律が流れている。

哀しむように、慈しむように、誰かが、懸命に耳を澄まさなければ聞こえない、遠くから聞こえる声で歌っている。

しかも目を凝らせば、宇田川町も宮益坂も、表参道も、すべては材料を身に纏った幻覚で、自然の曲線を拒否した異様な生硬さで、町全体が生命のあるなにものかを覆う暗渠になっている。

認識は、しかも、否応なく時代とともにかわってゆく。
そんなに難しいことではなくて現代人はビルの高いところから落ちてくる物体に、ちゃんと空気の抵抗を見ている。

Cogito ergo sumの時代は、実験科学の手によって幕がおろされるように見えますが、では、そのあとに何が現実になりうるのか、という、おおきな曲がり角に、われわれは立っているのだと思います。

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1 Response to Cogito ergo sumの終わり

  1. fkzfd says:

    日本の端っこを持って、
    戦後の建前をメリメリ引き剥がしたら
    腐臭と共に蛆虫のような悪意が蠢いていた。
    そんな笑えない現実を目の当たりにしている今日この頃。

    でもそんな穢れた世界にも
    天使の声が微かに聞こえている。

    それは、
    ガメさんが「海のむこうの友だち」で言ってた
    風に揺られて偶然弱々しく鳴った
    微かな鐘の音のように
    躊躇っているような、女のひとの声。

    闇に射し込む希望のひかり。

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