Monthly Archives: July 2019

わたしという欠落

野原に立っていて、ぼんやりしていると、そうか、おれが空間を占有しているぶんだけ野原は欠けているのだな、と考える。 そう考えながら野原に出来ている、けものみちのような、人間が通った小径をたどっていると、「野原の欠損」が移動していって、一瞬前に移動した空間を、また野原の空気がうめもどしているような、空間の自己充填が察せられて、「人間が存在する」という不可思議のほうへ頭がかたむく。 友達と話していて、2014年に死んだ大好きな詩人Mark Strandの KEEPING THINGS WHOLE   という詩をおもいだしていた。 In a field I am the absence of field This is always the case Wherever I am I am what is missing When I walk I part the air and always the air … Continue reading

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自分から見た世界、世界から見た自分

ログバーナーの前で シラズとローストビーフとプロシュートで 際限もなく話している と書いて送ったら、友達から 「しかし、これを日本語だけで暮らしている人がわかるだろうか? ここで立ち上がろうとしている世界と、日本語の読者が思い浮かべる世界は合致しないのではないか」と返答が来て、あまりにもっともなので、吹き出してしまった。 ひとつひとつの名詞は、知っている、あるいは、調べればわかる。 シラズはブドウの皮成分が多い赤ワインで、スパイスを混ぜることも多くあって、自己主張が強いので赤肉、特にステーキと合うということになっていて、オーストラリアが大生産地なので、欧州に較べればワインがバカみたいに高いニュージーランドやオーストラリアでも比較的割安で、普段飲むのによく使われる。 ローストビーフやプロシュートは、たしかカタカナで日本のスーパーマーケットでも売っているはずです。 この編集者の友達が言いたいことは、そういうことではなくて、 例えばローストビーフは日本では高級品で、高い食べ物だが、イギリスやニュージーランドでは、どこにでもあって、安い食べ物で、 最近は中国市場の巨大化で、ずいぶん高くなったとは云っても、やはり日本でいえばロースハムという不思議な名前のハムがあって、あのくらいの値段のものだとおもえばいいような気がする。 プロシュートとローストビーフは、そもそも食べ物の組み合わせとしてはヘンなのがあきらかで、つまり、このふたりは、ベッドのなかで、いけないことに耽ってお腹がすいたので、ありあわせのものをログバーナーと英語では呼ぶ、日本語では何というのだろう? 反射式薪ストーブ?空気の取り入れ口をおおきくとってあって、前面はガラス張りで、でっかい太い煙突が屋根を突き抜けて通っている、最も一般的な暖房器具の前で、オレンジ色にゆらめく炎を見ながら、いけないことの余韻に浸っている。 余韻の深い水のなかから、やや浮き上がってきて、今度は、髪をおろした横顔を炎の輝きに照らされながら、相手のことを知りたがって質問攻めにしている。 普通な普通な、途方もなく平凡な情景を書いてあって、それがなんだか日本語では頭のなかでイメージのつくりようがないではないか、と言われているので、言われてみれば、まことにそうであるとしか言いようがない。 わたしは、わがままである。 むかし、ブログ記事を指して、影でこそこそ悪口を述べるのが好きなひとたちが、よく考えてみると、なんで他人のブログ記事を「批評」なんてしたがるのか、ヘンテコな人達だが、それはともかく、 「こいつは、わがままで、しかも、わがままであることをなんとも思っていない」、ふてえやつだ、と息巻いていて、日本版のKKKの集会のような趣を呈していたが、たしかにわたしはわがままで、 しかも、それをなんとも思っていないので、その上言葉を重ねると、居直っているわけでなくて、つまりは、彼らはわがままであることが許されない世界に育って暮らしてきたが、わたしが住んでいる世界では、わがままなのが当たり前で、世界が自分をどう思っているかを気にしながら生活しているほうが異常なので、 なんでそんな生き方をしなければいけないのか、怪訝な気持になっている。 あるいは、やはりこのブログ記事で「ニュージーランドではひところに較べるとホンダやトヨタが減ってフォルクスワーゲンがぐっと増えた」と書いたら、他の要件のときに検索していたらネット上になんと自分の記事に対する揶揄が載っていて、 「調べたらニュージーランドでのフォルクスワーゲンの市場占有率は僅か5%で、トヨタはいまでもトップの占有率で問題にならないから、このひとはウソツキである」と書いてある。 ニュージーランドでは、最近まで、フォルクスワーゲンはディーラーシップすら存在しなかったので、おもしろがって、1990年に父親がイギリスからゴルフをニュージーランドに送ったころは、街角に立っていてフォルクスワーゲンを見かけることは皆無だった。 交叉点に立っていると、ドアが一枚だけ青色の、オンボロでヨタヨタしている黄色のカローラがヘロヘロヘロとやってきて赤信号で止まったりしていた頃です。 ホンダのシビックやトヨタのカローラは、ネルソンだかどこかだかに工場があって、いっぱいつくったので、その頃は、70年代につくられたばーちゃんやじーちゃんのカローラやシビックが道路を埋めていた。 残りはなにしろ「ミニの墓場」と言われたくらいで、世界中から集まってきた廃車寸前のミニの、しかもミニ・クーパーなんて高級なモデルではなくて、クラブマンが多かった。 ところが21世紀になって、ロード・オブ・ザ・リングでニュージーランドがポリネシアの、そのまた向こうにある英語国として「発見」されると、世界中のオカネがどっとニュージーランドに向かって流れてきて、思わず知らず、労働時間は先進国中最短のまま、たいした努力もなしにオカネモチになってしまったので、ビッカビカな新車のフォルクスワーゲンが高級住宅地を、マセラティやポルシェ、レンジローバーと一緒に走りまわるようになって、 「フォルクスワーゲン、増えたなあ」というのがパブでのお決まりの話題になっていた。 フォルクスワーゲンがベラボーに増えた、というのは、だから、新移民でなければ、普通の感想で、それを統計の数字を持ち出して、「嘘だ」というのは、こちらから見ると、たいへん日本人ぽい感じがした。 と、そう考えて「ありっ?」と思うのは、この「日本人ぽい」感じはなんだろう、ということで、考えてみると、なにからなにまで、すべて「世間」の方角から見て、自分は世間から見ると、どう見えるか、自分が早稲田大学の法学部卒業で、ブリジストン営業部の主任で年収400万円だが、これは世間では何位にランキングされる人生なのだろうか。 世間のほうにモノサシがあって、それで自分をいろいろに計測するイメージが「日本人」になっているので、ものを見る見方が、いいやわるいということではなくて、わがまま族とは、まるで正反対になっている。 みこすりはん、というわざと平仮名で書くしかないような、お下品な言葉があるが、そういう世間の尺度が観点の基礎をなす社会であると、多分、ちゃんと統計が存在して、127.8回というような数字を見て、青ざめている若い夫もいるのではなかろーか。 は、冗談だが、 余計なことを書くと、インドの男の人にも日本人とおなじところがあるらしくて、大きさの平均値とX(エックス)こすりはんの記事が実際に存在する。 英語社会などは、もともとは極端で、ランギオラニュースという人口が周辺も含めて2万人もいない地域の新聞があって、朝、起きると、エミューが安くなったが、ダメだぞ、あれは、加工工場が南島にはないから投資にならない、とか、ダチョウの卵が儲かると聞いて、一個1万ドルの卵を10個仕入れて、成鳥にまで育ててから、肉も羽根も、むだになるところがなにもないので有名な家畜であるダチョウも、しかし、エミューとおなじで加工工場がニュージーランドに存在しないので身上すって参ったぜ、というような記事を読んで、それで世界についての学習は終わり、という人がたくさんいた。 つまり、自分を中心として同心円上に広がっているのが世界で、例えば日本などは、どっか遙か彼方に転がっているやたらにカネモウケがうまい道徳心のかけらもないひとびとという杜撰な理解で、あとは夏目雅子の西遊記や日曜日の朝のセーラームーンで、 女の人(←三蔵法師が女のひとで尼さんであったと誤解している人がいまだにたくさんいるのは、多分、あのドラマのせいであるとおもわれる)がインドまで歩いていったり、かっこいいアニメもつくるんだよね、ぐらいで、自分はトヨタで通勤しているのに、なんだか未開な国だとおもいこんでいる認識がくもって矛盾している人なども過去にはざらにいた。 ほおーら、人種差別じゃん! と小躍りして喜んではいけないので、別に人種とは無関係で、インターネットでIT情報革命が起きるまでは 「ニュージーランドって、いったいどこにある国なの?」 … Continue reading

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死語を愛する

移動式のタイのお寺みたいなものが交叉点の角をまわって現れて、初めてみたとき、これはなんだろう?とおもって訊いてみたら霊柩車だというのでびっくりしたことがあった。 パトカーのデザインも変わっているとおもうが、霊柩車は、秀逸であるとおもう。 パチンコ店の開店とお葬式の花環が色がちがうだけで、ほぼおなじなのもおもしろい。 日本はデザインの感覚が、ほかのどの国とも異なる国で、デザイナーや視覚芸術家がつぎつぎに生まれる下地は、普段の生活にあるのは間違いない。 もうほとんど日本のことはおぼえていない。 人間の記憶は大事なことは忘れて、あんまり意味のない細部を鮮明におぼえているように出来ているものであるらしい。 おぼえているのは奇妙なことばかりで、もともとはイギリスのものだというが、当のイギリスではついぞお目にかかったことがない蒸したたらこのサンドイッチや男や女の人の変わったところがある歩き方をおぼえている。 どこに行っても奇妙なほど低い天井や歩道や店舗のファサードにあるさまざまな意匠の広告の色調をおぼえている。 記憶のなかでは、日本の人の背丈はだんだん高くなってゆくのは、なんどか日本に行くたびに経験したことで、日本の人が聞いたら怒るに決まっているが、なあんとなく欧州人とおなじくらいと記憶のなかで調整されている日本のひとの背は、現実の、例えば鎌倉駅の前に立つと、びっくりするほど低い。 数字で見ると、男の人の平均身長は170cmくらいで、だいたい150cmだった大日本帝国時代に較べれば、多分、主に栄養状態が向上したせいで20cmくらいも伸びたことになっているが、それでも、やはり、ずいぶん背が低い感じがする。 日本と聞いて真っ先におもいだすのは、白い自転車に乗って紺色だったかネズミ色だったかの制服を着たおまわりさんたちで、モニとふたりで、いかにもかわいいので、何枚も写真を撮っている。 日本の治安の良さを象徴するような光景。 おまわりさんが、中国やイタリアの田舎でよく見かけるような自転車に乗って、心なしかアゴをつきだして、低すぎるサドルに乗って、息をつきながら自転車をこいで、どこかへ急行している。 いつだったか自分も自転車に乗っているときに、日本橋で、信号を待っていた歩道で、おまわりさんが横にならんだので、 「どんなときに歩道を走ってもよくて、どんなときはダメか、わからないんだけど、あなた、判りますか?」と聞いたら、 何秒か考え込んで、 「ぼくもわかりません。はっきりしないですよね」 と正直なので日本のおまわりさんが、いっぺんに好きになってしまった。 サンフランシスコのヘルメットをかぶってマウンテンバイクに乗ったおまわりさんは、 「写真、撮ってもいいかい?」 と訊いたら、ちゃんとポーズを決めて、 「かっこいい自転車だよね」と感想を述べたら 「いえーい」と、にっかり笑って、 あれも良いが、日本のひとのはにかみと誠実そうなところも、 やはり出色であるとおもう。 ひところは文字通り日の出の勢いだった中東の航空会社、カタール航空やエミレーツ航空が、乱調で、おまけに戦雲があらわれているので、ニュージーランドから欧州に行くのに、東京がまた選択肢に入るようになった。 この行き方の欠点は、ニュージーランド航空が日本から欧州には飛んでいないことで、ブリティッシュエアかANAになるが、共同運行にしても、例えばシートが、いまはどうかわからないが、フルフラットでなくて、くたびれる。 シンガポール経由が最も座席もサービスもよくて、多分、またシンガポール経由になるのではないか。 遠回りでもよければ最初から最後までニュージーランド航空で行けるメリットがあるロサンゼルス経由があるが、このルートの欠点は、空港が混雑するのと、寄ると、どうしても数日遊んでしまうので、乗り換えに何日もかかるというバカなことになるのが欠点です。 日本は、だから、もう行く機会がストップオーバーでもなさそうな気がする。 ちょうど普段頭のなかに保存されている日本語は、落ち着いた、リズムのよい言語であるのに、インターネットで出会う「生の」日本語は、見るのもうんざりするような醜悪な言語で、嫌でも眼にはいる、十年ずっとつきまとっているトロルたちの日本語などは、「これが人間の言語だろうか?」とおもうくらいひどいが、 それとおなじことで、日本といっても、記憶のなかに保存されている日本のほうが、現実に訪問する日本よりも、だいぶん眉目(みめ)が良いのかも知れません。 日本は衰退した国で、変化がないどころか、あとじさりしている。 21世紀のドアの前でたちすくんでいたかとおもったら、驚いたことに踵を返して、すたすたと20世紀の前半に向かって歩きだしてしまった。 さすがに、いくら「美しい国」に戻すのだと政府が頑張っても、戦前のビンボで喧嘩っぱやい国まで戻るのは無理があったようで、いまはだいたい90年代くらいのところで社会全体が停滞している。 観光で訪問するには停滞した社会は絶好で、だから最後に日本を数日訪問したときも、「この国は楽しいなあ」と心の底からおもった。 銀座のデパ地下や京都の寺町、どこに行けばおもしろいものがあるか判っているので、なおさらだった。 人間ひとつとっても、日本に住んだことがあれば、慣れていて、パッと見て、「あ、このひとは話しかけても大丈夫だな」 「この人はやめたほうがよさそう」と直ぐに判別できるようになる。 外国人に対して表情が開いているひとと、善意悪意というような問題ではなくて、閉じている人がいる。 … Continue reading

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Holy Grail

自分が何者であるか、きみに説明する必要を感じない。 これから何をしようとしているか、予告する必要を感じない。 こういうことですよ。 ぼくは、ある朝、午前10時か11時頃、目を覚まして、ドゥーベカバーの上に乗っている猫さんと一緒にのびをして、よれよれのジーンズとTシャツをさっさと身につけて、家の人にもことわらずにガレージのオートマティックドアを、ぐわあああーんと開けて、黒いレンジローバーに乗ってドライブウェイを、ぶうううっーと出てゆく。 ぼくはどこに行くか屋根のうえにサインを出したりしません。 バスじゃないんだよ。 きみとぼくの生活には関係がない。 きみの生活になんかなんの興味もないし、きみがどんな悩みをもっていたって、きみがぼくの友達でないかぎり、どうでもいい。 このブログ記事のゲームブログでなくなった初めの記事には No longer I care という言葉がでてきます。 日本語に訳しますか? もう、どうだっていいのさ。 20歳のころ、ぼくは、この世界をよくしなければ、と考えていた。 世界を自分たちの努力でよりよいものにしなければという考えに取り憑かれていた、と言い直してもいいかもしれない。 若い人間に特有の過剰で愚かな親切心で、この社会へのコミットメントを示すために通りに出て石を投げた、警官たちに取り巻かれた、身体が小さな友達を救い出すために、怒りと筋力にオーバーブーストをかけて、おまわりさんたちを殴る蹴るの暴行に及んで、はははは、ばっちりカメラに収められたりしていた。 祖母はおもしろい人で、孫、つまりぼくや妹に、おまえたちも、いちどくらい政府に抗議して警察につかまっておいで、と述べて、あの例の、といってもきみは知らないわけだけど、あの階級の人特有の、高らかで涼やかな、透明な笑い声をたてたものだった。 ガメや、一人前の男は、一度くらいは留置所でひと晩すごすものですよ。 心配しなくたって、次の日の朝には、おまえの父親やおじいさまが助けに来て、ちゃんと檻から出してくださいます。 ぼくは生まれついて力が強くて、敏捷で、足が疾かったから、いちどもつかまらなかったが、不謹慎なことをいえば、実際、あれはクリケットと同じくらいには面白いスポーツであったとおもいます。 ぼくは説明しない。 ぼくはぼく自身を解説しない。 ぼくはぼく自身の人生を釈明しない。 ぼくの人生はきみのものじゃないからね。 きみの人生? そんなもの、ぼくの知ったこっちゃないさ。 30歳になると、この世界は、ぼくが手を触れられるものになっていた。 むかしは、テレビのスクリーンの向こう側や新聞の粒子が粗い写真のなかにいるクソジジイやクソババアだったものが、会おうとおもえば会えるクソジジババになって、低いテーブルの向こうで、微笑んで、お行儀良く座っている。 エンジンが付いたスケボーをつくってみたんだよ、乗ってみるかい? え?道交法? 文句があればおまわりさんか、お節介なじーさんがなにか言ってくるだろうけど、ぼくが住んでいる国には、残念ながら、そういう告げ口おじさんは珍しい。 だいいち、きみは、心配する順番が逆だよ、やりたいことはどんどんやって、それに文句がついてから考えればいいんだよ。 自分がやりたいことをおもいつかなくなることのほうを心配したほうがいいんじゃないの? 鏡を見てごらんよ。 きみは、ほんとうに、そこに立っているの? 誰か見知らぬ人が立っている。 きみはきみなのか。 … Continue reading

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Duh

ネット上を跋扈してアカウントやブログに嫌がらせを繰り返している集団を可視化して、誰が見ても日本のネット世界でどんなことが起きていて、どんなふうに議論が阻害されているのかが判るようにしておこうと考えて、2週間を用意したが、結局、一ヶ月半もかかってしまった。 予期せぬことに主にtwitterで知り合った、このブログの記事が好きなのだというひとたちが起ち上がってくれて、デザイナーもいれば、勤め人も、物理学者も、哲学者もいる、共通項がなにもないひとたちが、てんでばらばらに素手の論理で、随分助けてもらってしまった。 いろいろ学んだことがあって、最もおおきなのは「敵が可視化されれば味方も可視化される」ということだった。 味方、というのが剣呑なら、「真の友」と言い直してもいい。 なんのことはない現実の世界とおなじことでネットの上でも、おもいもかけない人が味方に立ってくれて、自分の低い次元の泥沼に相手を引きずり込むことを得意とするトロルたちから伸びてくる手で服を泥まみれにされながら、毅然と、というのはクリシェで冴えない言葉だが、ほかに適当な言葉も見つからない、毅然とした姿で戦って、突き出される言葉の鉾を、前に出て盾で受け止めてくれる。 全員に了解ができていたことはトロルに反撃すれば、不思議な感受性を持つ日本の社会では自分たちが悪く言われることで、日本の文明においては悪と戦うものも悪なのは、常識なのであることを前もってよく知っていた。 うまく行ったほうではないだろうか。 フォロワー数が半分になることを見込んでいたのに200くらいしか減らなかったのには驚いてしまった。 立ち去る人の理由はわからないし、あんまり興味もないが、7000くらいの減少を予想していたのに200というのは、これはこれで考えなければならないことができたと感じます。 トロルと争っているのだと勘違いする人もいたが、読めばわかる、そういうことではなくて、トロルと同種類の人間であるならともかく、トロルというのはこういうものだと顕在化させて自分の目で見て判断してもらおうとみんな考えているだけであるのは、別にお互いに言葉を交わさなくても一目瞭然で、第一、争っているのなら勝敗があるだろうが、英語でもおなじことだけれども、どちらがどんな人間かというのは使っている言葉や表現をみれば、どんな人間にもあきらかで、それがあきらかでない、未分明な社会だとおもっていれば、初めからトロルの可視化なんてやりはしない。 ともかく、duh、な一ヶ月半が終わってみると、自分で考えるときに使える言語のうち日本語はトロルが嘔きかける汚物を浴びて、ばっちいこと夥しくて使いものにならず、現代詩の言葉や、明治の文語を使って悪魔祓いを必要としている。 おなじ日本語を使って生活もこなさなければならない日本語のお友達たちが心配だが、自分自身は、コンピュータから目を離してしまえば、いきなり悪い夢に似る経験で、生活に使っている母語である英語のほうは、おもしろや、トロルが書いた嘘八百、悪口雑言のアホな恫喝と作り話に満ちた、ようやるよ、日本語を熟読している最中でも、例えば一日の最後のおやすみなさいtweetでも、別に影響を受けることはなくて、いまさらながら、年来の主張である、「母語と後天的に習得した言語とのあいだに本質的な差異はない」を疑わせる材料が自分の手で、またひとつ追加されてしまいました。 日本語社会がトロルの跋扈に対して無力なだけで、トロル自体はどんな言語でもたくさんいる。 理由は、わかりません。 一般に信じられている説は、自分の生活がうまくいかなくてネットのなかで自分の支配欲を実現しようとしているのだろう、とか、現実の生活では何の益もない人間なので、せめてネットの世界で「生産的な」人間を演じているのだとか、いろいろな説があるが、どれも、もっともらしいといえば、もっともらしいけれども、嘘くさいといえば嘘くさくて、なにより前に、ネット時代の、ひとつの社会にとっての有効なsabotage(破壊的な活動)としてのトロルには興味があるが、トロル自体に興味があるわけではないので、こういうことは内藤朝雄のような重戦車知性が専門である「いじめ」とつなげて考究するか、各自、集団トロルの前で、裸尻をみせて、ペンペンと叩いてみせて、けけけ、ばあーかをしてもらって、襲ってもらって実体験して研究の対象とするか、他に任せたほうがいいような気がする。 トロルという存在には万国共通の神の手で額に焼印されたような特徴があって、理解力と創造性に著しく欠けている。 創造者として劣っているというような生やさしいものではなくて、創造性がまるきしのゼロであることを通例としている。 例えば、集団で中傷誹謗をしてはいかんではないか、と述べると、まるで木霊のように、しばらくすると「集団で中傷誹謗するな。やっているのは、おまえのほうではないか」と必ず言い出す。 「ウソツキめ」というと「ウソツキめ」と返ってくる。 ヤッホーをしたくなるほどで、おもしろいほどです。 論法も表現も全部借り物で、この手の人は他の言語でも研究者ならば研究者で、論文はたいてい剽窃を巧くつなぎあわせたもので、その結果、まとまりのある長い論文は書けずに、だいたい「共著」や「論文集」のような形でしか本にまとめられない。 まして、さっきも例にあげた内藤朝雄のように、あるいは、今回は起ち上がってしまって自分でも驚いたのではないかとおもうが通称哲人どん、実の名を田村均というが、その人が書いた「自己犠牲について」のように、初めは、ふんふん、教科書みたいなもんだな、わかりやすい、と心に呟きながら読み進めていくと、第八章目くらいから急激に論理が稠密になって、胸突き八丁とはよく言ったもので、ぜいぜい言いながら読んで、しまいには「やっぱり日本語は難しいわ」と日本語のせいにして投げ出したくなる独創的な視点などは、金輪際もてない。 まあ、いま書いていておもったが、だから朝から晩までトロルやってるんだろうけど。 日本の社会には殆ど興味がなくなってしまって、これは日本の社会がダメになったというようなことではなくて、日本の社会や文化は相変わらず他の社会とは、うんとこさ異なっていておもしろいのだけれども、いかんせん本人が、妹の表現によれば「1000年にひとり」「カリギュラ以来」「ネロも顔負け」という飽きっぽさなので、断続的にでもいままで興味が続いていたほうが奇跡なので、日本語よりはわしのほうに理由がある。 それでも日本語だけは、なにしろ美しい情緒を表現するには最高の言葉で、しかも「遠くのものを結びつける」には最適のいっぽうのはしっこなので、飽きることはないだろうとおもっていたが、あきっぽい人間というのは怖ろしいもので、こっちも興味の持続が怪しくなっていた。 なにしろ大好きな「こわいおはなし」、世界で最も程度が高く洗練されているのではないかとおもわれる怪談本が一冊読めなくて、途中からいつのまにかTeju Coleの評論を読んでしまっている自分を発見する。 もうこれは我が内なる言語としての寿命ではないかと考えて、言語ごとなげだそうとおもっていたら、あな不思議、トロルの薄汚い日本語に読み耽っていたら、わが内なる言語としての日本語は若返って、いまちょっとくたびれているが、またなんだかいくらでも書いたり読んだり出来そうな案配になって新しいセルを買わなくても再生バッテリーで十分なハイブリッドカーなみで、言語の鼓動がまた聞こえるようになってきた。 自分では、え?とおもうくらい不思議な現象だが、これも理由はわかりません。 もしかしてトロルさまさまだったりして、とおもうと、なんだか複雑な気持ちでなくもない。 もうひとつ良かったのは、日本語が飽きるのに先だって飽きていた母語の英語が、新鮮に見えだしたことで、先週、ある人(←日本の人です)に言われて、英語でも、おおむかしのバカタレな若者風の日本語をひきうつすつもりで書いてみたら、書けてしまった。 これはびっくりどころか、おおびっくりで、1000の階乗くらいの巨大なびっくりで、もともとは、静謐で平明な冷たい水の透明な小川のような英語をこころがけていたのに、そこのきみ、何を笑っておる、静聴するよーに、ちゃんと英語でも、わっしはぶっくらこいてしまっただよ、が書けてしまった。 おそるべきことであると思います。 言葉よ、言葉、とあらためて思う。 いままでの言語に関する理論も発見も、ほとんどどっかに行っていまいそうだが、そんなものはまた考えなおして構築しなおせばよい。 日本語というもの、あるいは日本語のユーラシアプレートにもぐりこんだ西洋語の太平洋プレートというべきなのか、そこに生みだされるエネルギーはすごいもので、なるほど言語を習得するというのは、こういうことなのね、と思っているところです。 され、ここまで読めばわかるとおり、これはお友達たちへのメモ書きです。 言い換えると、こんなに長々と書かなくても、 「ほんとうに、ありがとう、みんな」と書けば足りることを、長くお礼を述べて感謝を示したい一心で、文章にしているにすぎない。 あのね。 … Continue reading

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ぼく自身からの手紙

若い人間は、ほんの少し宙に浮いている。 足下をみればわかる、1インチか2インチ、どんなに地面から離れていても3インチとまでは離れないが、少しだけ宙に浮いている。 なかには寺院の屋根の階(きざはし)に腰を掛けて、ぼんやりと世界を見渡しているArthur Rimbaudのようなひともいる。 ほら、金子光晴が、素晴らしい日本語に訳しているでしょう? 束縛されて手も足もでない うつろな青春 こまかい気づかいゆえに、僕は 自分の生涯をふいにした。 ああ、心がただ一すじに打ち込める そんな時代は、ふたたび来ないものか? 遠くを見渡している人間には、ぼくやきみの、ひとりひとりの顔は見えない。 人間はひとりひとりの人間がみえない遠くから、人間の争いを見ることが、遠くから響き渡ってくる、罵り声や、叫び声、叫喚を聞いているのが好きなんだよ。 ちいさなころ、窓を開けて、 「ごらん、川の向こうでは愚か者たちが騒いでいる。でも川のこちら側に騒ぎがつたわってくることはないだろう」と述べる父親の声に安堵して、きみは、きみのベッドに戻ったものだった。 少し不安になって神に祈ってみる。 地べたにべったり足をつけてしまっているおとなは、きみを不安に陥れる。 こんな時間に電話をかけたら迷惑かもしれない、と考えて、きみは逡巡して、逡巡を始めた午後10時よりも、ずっと事態を悪化させた午後11時になって、きみはずっと歳が上のあのひとに電話する。 元気ですか。 ぼくは元気です。 ちょっと遅くなってしまって失礼かもしれないとおもったんだけど、ひさしぶりに声が聴きたいとおもって。 あの、ほんの一秒の半分くらいの、でも決定的で取り返しがつかない、絶望的な沈黙。 それから、あのひとはいつもよりもずっと落ち着いた、やさしい声で、 まだ起きていたから大丈夫、少しも心配しなくていいのよ、 あなたのことは、いつも聞いている。 学校ではずいぶんうまくやっているのね。 よい噂をたくさん聞いています。 まるで弟のことのように誇らしくおもっています。 ところで、 わたしは暫くウイーンに行くことに決めました。 そこで翻訳の仕事があるんです。 あなたのことを忘れられるわけはない。 ありがとう。 一週間にいちどは絵葉書を書きます。 受話器を置いてから、きみは、なんてバカなことをしたんだろう、と唇をかむ。 あのひとは、ぼくを傷つけないように細心の気をつかって、最後にはおどけた声までだしてみせた。 ぼくはなんという愚か者だろう。 きっと、あの人は、二度と口を利いてはくれないだろう。 口を利いてくれても、よくてよそよそしい友達、悪ければ他人、 もしかしたら電話にも出てくれないかもしれない。 … Continue reading

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フェリーの忘れもの

翻訳とはなにか、ということについてTeju Coleが簡潔に述べている。 The English word translation comes from the Middle English, which originates from the Anglo-French translater. That in turn descends from the Latin translatus: trans, across or over, and latus, which is the past participle of ferre, to carry, … Continue reading

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