普通の生活2 

子供が小さいあいだはニュージーランドに住もう、というのはもともとモニさんのアイデアです。
わしの感想は、ちょっと田舎すぎて飽きるんじゃない?だった。

わしはもともとロンドン、モニさんはニューヨークで育ったので、ニュージーランドのように、「そんなにたくさんのいろいろなことが起こらない」国では退屈するのではないか、と考えた。

それでもモニさんが決めたことにしたがったほうが万事うまくいくのは経験によって明らかなので、新婚にふさわしい家を探して歩いた。

モニさんが育った家はアパートだと言っても、表口には制服を着たドアマンがいつも立っていて、なかに入るとホールにはいかめしいレセプションがある。

その検問を突破して、と、いつも胡散臭いかっこのわしは言いたくなるのだが、二番目のホールに着いてリフトであがってゆく。

ドアがさっと開くと、そこには左右対称の螺旋形の階段があるエントランスがあって… という「アパート」なので、おなじニューヨークの「アパート」でも、玄関を入るとネパールから移住してきたTが野球帽をかぶってスタジアムジャンパーを着込んで座っていて、「なんか来てた?」と聞くと、積み上げてあるアマゾンの箱の山を指さして、あそこに積んである、と、これはこれで悪くない、ざっかけないビンボアパートとはえらい違いです。

お嫁さんに喜んでもらいたいのは、ぶち惚れて結婚した若い男のつねで、それまでオークランドの家だったパーネルの、あんまり悪くはないが敷地が狭い5寝室の家ではパッとしたところがないのが気に入らなかった。

ひとりでいるには十分なんだけどね。

ニュージーランドでも、わしは南島のクライストチャーチが好きで、いまでも好きだが、モニがなんといおうとも、ニューヨークで育ったモニにいきなりクライストチャーチは無理であるような気がした。

だからオークランドだが、オークランドにはロンドンやニューヨークのような贅をつくした欧州風のアパートはありません。
値段ばかりは10億円、20億円だが、つくりはチャチだし、装飾も、みっともないというか、悪趣味をもって鳴るアメリカ人以下で、下手をすると日本のラブホテルみたいなのまである。

オークランドで欧州スタンダードの家というとハーンベイかレミュエラしかない。

ほんじゃレミュエラだな、と決めたのは、レミュエラはおなじ住環境がいい地域でもハーンベイと較べて敷地が平均2倍であるという田舎っぽい特徴があって、もうひとつは人もクルマも窮屈なハーンベイに較べて、案外と道路もクレセントも行き止まりの道も、クルマもひとも少なくてスカである。

ニュージーランドの住宅地はもともと1000平方㍍が一単位というか、目安で、平均的な家は、だいたいにおいてながっぽそい形をしたこの1000平方㍍の狭いほうの辺を道路いっぱいに寄せたところに家をつくる。
道をいくクルマやひとや自転車からは目隠しをしておいて、裏庭におもいっきり凝ります。
早い話が、これは初期のイギリス移民が持ち込んだ考えで、わし家もかーちゃんが選んだクライストチャーチの「町の家」は、典型的にながぽそい、パラダイスをそのまま造園したような裏庭がある家で、でっかい樫の木とRobiniaの木が聳えている庭のおわりには小川があって、小さな船着き場があって、そこから小さなボートで近所の友達たちの家と行き来できるようになっていた。

結局、モニさんと一緒に住む家と定めて買ったのは2400平方㍍の敷地の家で、「数字が半端じゃん」と言われそうだが、これは1200平方㍍x2で、これはこれでスタンダードサイズで、現に家のまわりには同形同大の家の敷地がいくつもあります。

なにしろ日本のトロルは害意が盛んで怖いので南極に越すまでは安心して住所を書くわけにはいかないが、近所では平均的と述べてもよい家で、長いドライブウェイがあって、そこをずっと行くと、小さなロータリーがある。
以前には噴水があったが、新しい主人の片割れ(←わしのことですね)が「けけけ。噴水なんて悪趣味な」と有無を言わさず破壊してしまったのでいまはただの地面になっている。

わしはひところには日本好きがかなり嵩じていたのに3カ月以上は住もうと思わなかったのは、つまりは、スペースが必要な人間だったからで、手足を伸ばして、ぶんぶん出来るスペースが、何柄年中デコをぶつけていた天井の低さよりも重要だったのが、これで判りますね。

まだ小さい人びとが地上にあらわれるまえに、モニとふたりで、ちょっとこの家は狭いなとなんどか話しあったことがあっただけでパカップルぶりが知れるというものであるとおもわれる。

わしにはわしにまつわる不吉な噂というものが存在して、わしに見捨てられた土地は、そこから急激に失墜するという。

2010年に、いまおもえば取るに足りないかもしれないトロルと夏の暑さに腹を立てて、「こんな国に家を持っていても仕方がない」と広尾のアパート、軽井沢の夏の家、鎌倉の硝子戸の家と売り飛ばして、処分してしまって、根拠地のひとつとしての資格を剥奪してニュージーランドに根拠地機能を移してしまうと、そのあとではろくでもないことしか起こらなかった、と日本の友達がこぼしていたが、ここで神に誓っていうと、偶然であって、わしの責任じゃないからね。

興奮のあまりヘンな日本語になってしまった。

ちょっと、ひとりで買い物してくる。

ふたりで内緒でいろんなことをしてしまった結果、わしの風邪がうつって咳き込んでいるモニさんに告げます。
のどが腫れて声がでないモニさんがなにごとか伝えたそうにチョー形のいい唇を動かしているので、耳を近づけると、かすれかすれに、絶え入りそうな声で
「あ、アイスが欲しい…」と呟いている。

カピティがいい、というところまでききとると、カピティのアイスクリームのラインアップのなかでは洋梨のヨーグルトアイスクリームが好きなのは、ふたりのあいだでは周知の事実なので、了解して、階段をとんとんとんっと下りて、自動シャッターを、ぐわあああと開けて、屋根が開いたまま止まっているスポーツカーに、ジャーンプで飛び乗る。
やりそこなうとおもわぬところに打撃を受けて悶絶するが、むかしハリウッド映画でチョーかっこいい女の人がこれをやっているところを見て以来、すぐやってみてしまう。

なんてケーハクな、というなかれ。

あのね。
Being ケーハクは、幸福に暮らすコツなんです。
きみ悩みたもうことなかれ。
悩んでも悩まなくても現状はたいして変わらないんだから悩まなくていいじゃん。

一般的な理性の予測に反して、未来の危険を予測して防衛的に行動しても、考えなしに行動して困難に陥ってから考えても、実は個人の安全保障上の度合いは変わらない、とバートランド・ラッセルじーちゃんも述べている。

だからあんたは夫のある愛人とエッチするのに避妊しなかったのか、ダメなやつ、とわしは読んだときおもったが。

ほんとは、いまどき、もちろんスーパーに買い物に行く必要はない。
家で手伝ってくれているひとびとに頼んでもよいし50ドル以上の買い物をすれば、いつでも近所の巨大スーパーからデリバリサービスで持ってきてくれます。

でもね。
料理を自分で一日に一回はやってみない人とか、買い物に出向かない人とかは、生活の楽しみの過半を失っているのではないか。

スーパーの駐車場では横断歩道のゼブラを渡りかけた母親が、停車したこちらを見て、ありがとうと述べている。
そのやや斜め後ろを小走りについてゆく金髪のチビコが手をふりながらサンキューと言う。

もうそれだけで、なんだか一日分の幸せが造成される。

スーパーで買い物をするでしょう。
棚を見ながらトローリーを押していた人が、こちらに気が付いて「おや、ごめんなさい」とにっこりしながら言う。

目があっただけのひとも、笑顔をみせて、ちょっとだけとはいえど、人間性への信頼メーターを上げてくれる。

アイスクリームの冷凍棚の前で店員と、どのアイスクリームがおいしいかについて議論する。

途中でインドの人はリコリシュ(liquorice)を「リコライス」と呼ぶ人がおおいという興味深い事実を再認する。

チェックアウトカウンタでは、日本では「How are you?」という英語はありませんと英語人として満腔の自信をこめて述べたウソツキのアメリカ人が書いた本がミリオンセラーになって何億円を稼いだというが、その英語でない「How are you?」から始まるいつもの短い会話で、よい週末を、あなたこそ、とちゃんと笑顔で送り出してくれます。

このひとにつかまるといつもアイスクリームが溶けてしまうので危ない近所のラジコン飛行機好きのおっちゃんが、見ているとだんだんおおきくなってくるラジコンの、また新しいやつを手に入れてガレージの前の芝生で塗装をなおしている。

前を減速して通りかかるわしに、話をしにあゆみよってくるので、ブートを指さして「アイスクリームがある!」と叫ぶと、笑ってうなずいて、手をふりながらガレージへ戻ってゆく。

たったそれだけの毎日だけど、この毎日の麻薬性と来たら!

あらためて、モニさんは、なにもかもお見通しなんだなあ、と感心してしまう。

ヨットに乗る。
ディスプレースメントで釣りにでかける。
稀には飛行機を飛ばしにいくこともあるが、これは案外退屈な遊びなのでほとんどやらなくなってしまった。

そんな贅沢な、と日本の基準で考える人もいるかもしれないが、ニュージーランドでは、どれも普通の遊びで、それが証拠には普段は観光バスのドライバーだというUberおっちゃんと空港までの道のり、ずっとボート談義で、ハウラキガルフの釣り場について情報を交換するのに熱中していた。

なんだか、普通の、「退屈な」生活はいいなあ、とおもう。

近所のシェークスピア劇場にでかける。
週末はCBD(都心のことです)にスタンダップコメディを観に行く。

なによりも、これは英語社会全般といってもいいのかもしれないが、ニュージーランド以外は他の英語社会と較べて特殊なロンドンの、ある種類の社会しか知らないので、自分ではやはり「ニュージーランドの気楽さ」と感じる、なにをやっていても、誰にもなにも言われない社会の習慣が楽である。

実際、他人のせいで嫌なおもいをさせられたのは、なんと日本語用コンピュータをつけたときの日本語ネットを通じての嫌がらせだけ、という漫画のようなリアリティのなさで、ニュージーランドの暮らしは、いくつにも分かれて存在するコミュニティのどれかに属していなければ、いつまでたっても「異邦人」でしかないマンハッタンや、あんまりここに詳しく書いても仕方がないので書かないが、それよりもはっきり「仲間内」が強調されるロンドンの社会よりも、らくちんであるとおもう。

例えばマンハッタンではモニとわしが属していた(というのもヘンだが)コミュニティはフランス系人コミュニティだが、フランス人を中心として、ワロン人、東欧人くらいまでが出入りするこのコミュニティを通しての人間関係と、あとは仕事を通じた人間関係くらいしかもっていなくて、残りは「なじみの店」があるくらいで、良いことは、ケーハクというのも愚かしい、「あっ、テレビで有名なあのひとだわ」なよく見知った顔に会えるくらいで、案外と世間が狭くなってしまうだけのことです。

ロンドンでは頭がいかれたカナダ人の脳外科医やスキャンダルがオールドスクルージがひきずる鎖につながれた金庫のようにガラガラと音を立ててあとにしたがう、わし親と同系の背景を持つおっちゃん、考えてみるとロクな友達がいなくて、いま考えてみると、あんなところに住んでいたら、いまごろはとっくにモニに愛想をつかされて、作男に降格されているか、三行半をつきつけられて、楽園を追放されていたに違いない。

普通の生活も意志をもってデザインしなければ現実にはならないのだ、とモニは初めから知っていたわけで、なにしろ頭の出来が異なる人には、四の五の言わず黙ってしたがったほうがいいのだ、と、あらためて考えました。

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1 Response to 普通の生活2 

  1. mikagehime says:

    いつも素敵な話。
    消さない方が良いよ。
    何かの時に、また読み返したいもん

    tweetと違ってblogは読み返せる所がいいんです。好きな小説は
    何度も読み返す派。

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