Daily Archives: September 17, 2019

クラインのつぼ

どこへ行こう。 たいした考えもなしに、ぶらぶらと歩いて来たらT字路に出てしまった。 標識もなく土地鑑もない。 また、こんなところに来てしまった。 ここから、どこに行こう。 日本語は十年以上、おおきな存在の友達だった。 その存在の貴重さを、西洋語を母語として、日本語を準母語と言ってもいいくらいに身に付けたのではない人に説明するのは難しい。 えらそーに、と言われるだろうけど、身に付けるのに費やした時間と労力を考えれば、そのくらいは自慢してもいいような気がする。 オープンロードに立って、センターラインが消える地平線の向こうをみている。 おおきな空を見上げて、自分の小ささを確認する。 自分が生きる限られた時間を、これからどう使おうかと考える。 「くだらない人間」の定義とは、自分の時間を大切にしない人間のことだろう。 日本語ではなぜか他人を糾弾するのが大好きな人間がおおくて、起きてから寝るまで、ありとあらゆる手を使って自分が気に入らない人間を攻撃する。 やっていたことがばれて、たくさんの人間に見咎められたら、 「敵とみなした人間を攻撃して、うんざりさせるのは大学教員の義務だ」と述べて、みなを仰天させたひとがいたが、内心では、他人を攻撃してくさらせることをやってみる価値があることだと見なす人は、日本語の世界では多い気がする。 日本語と真剣に付き合う気がしなくなったのは、なんだか生きるということの意味を勘違いしているひとたちが多くて、うんざりしたのと、 本を出版して、日本語世論の一翼を担っているはずのひとたちが、話してみると「カルト」「信者」「敵認定」というような単語を平気で口にする、品性のかけらもない幼稚さに辟易したからだが、 習得にかけた労力や、楽しかった古典との付き合いを考えれば、いきなりゴミ箱に放り込んでしまうのももったいない、吝嗇な気持が起きてくる。 あるいは若いときにオカネに煩わされるのも、そのために実家の財産の世話になるのも嫌だと考えて工夫した、オカネがオカネを生みだす仕組みも、やってみるとゲーム性が強くて、つい夢中になってしまうので、これも日本語とおなじで、そろそろ距離をおきたいと考える。 T字路に立っている。 交叉点に立っているのだけど、正面は高いhedgeで、向こう側が見えない。 自分がノルマンジー上陸作戦の後半で活躍したヘッジカッター付きのM4戦車なら楽なんだけどね、とバカなことを考える。 上ばかり向いて歩いていると疲れるよ、って、玉井夕海さんが歌っていたっけ。 では、なにを信じるべきなのか? どこかには広い海がある、と信じてみるのはどうか? いつかは、やわらかい、人間らしい言葉で話すひとと会える、と信じることをどう思うか? 夜明けに近い小さなアパートの部屋で、焦燥に駆られながら「自分の一生に生きてみる意味なんかあるのか」と思い詰めている若い男の人がいる。 もう今日のバイトのあがりの時間が終わったら、あっさり、家にもどって、軽い夕ご飯をたべるとでもいうような、普段の動作のようにして死ぬんだ、わたしは、と決めていたのに、最後のお客さんの手首にセミコロン(注1)の刺青があるのを見て、仲間の声が聞こえて、こらえきれずに泣きだしてしまったウエイトレスの人がいる。 旅とすらいえない。 ただ食べていくために苦闘する毎日のなかで、疲れ果てて、死ぬことも出来ずに、涙すらでない寝床で、ぼんやりと天井を見ている世界のどこかで暮らす、もうひとりの自分がいる。 三十五歳なのだから、まだ新しいことがやれるだろう。 バク宙の高さが低くなって、5キロ先の岬が、泳いでいくのに、少し遠くなってきた。 これからダンサーとしてデビューするわけにはいかないしね。 一生をただしく横切って歩くと、自分が世界の余剰としてそこにある空間が、移動するにつれてパイプの形をつくって、クラインの壷のように、固有の意味をもつ曲面がつくられる。 あるいは大通りを横切って、向こう側に渡るきみの軌跡そのものが、島宇宙から島宇宙へ大股で歩行する、神の奇跡と一致してしまう。 宇宙は、きっと、そんなふうに出来ている。 万物は照応していて、ノートに無限の宇宙の形状を書き込めるように、きみは自分の一生に宇宙を記録している。 いずれにしても、もう、他人とかかずりあうのは終わりだろう。 もっと若い十代には通りに出て石を投げて、たいして年齢が変わらない警官と争った。 拳をふりあげて抗議した毎日も、それを過去にもどれば意味があるのであって、これからやってみるわけにはいかない。 … Continue reading

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ある物理学者への手紙 7

きみが「われらのベーシスト」不破さんと一緒にウクレレで共演すると聞いて笑ってしまった。 ひとが懸命に練習して、上達して、やっと人前で腕前を披露してもいいかと決心したところで笑うなんて、失礼もいいところだが、きみとウクレレというのがなんともぴったりで、それで笑ってしまったのだとおもう。 そうか。 「笑ってしまった」という表現がよくないんだね。 「微笑させられました」がいいのかな。 ほんとは、でっかい声で盛大に笑ったんだけど。     どこかに書いていたようだけど、到頭きみも、ぼくが随分前から持っていた日本への認識、「とにかく、いまは、再生が可能な形で日本社会にまるごとつぶれてもらう以外に、日本語世界が救われる道はない」に到達したことを、よいことだっとおもっています。 ふたりの子供だけは海外に逃がさなければ親としての義務がはたせない、公務員の安月給でこれはつらいが、ゆずれない、と述べていたことも、いま上の娘さんが14歳だっけ? タイミングを考えれば、年長世代のデタラメぶりを一身に背負って、少なくとも60代までを過ごさなければいけない計算なので、無理もない、他に方法はないだろうね、とおもう。 ちょうど福島事故のあとに(放射能を)「正しく怖がれ」という、いまから振り返ると噴飯ものであるのを通り越して、どうして日本の人は言葉を、社会の良い方向の目を摘み取る、そんなふうにしか使えないのだろう、としかいいようがないネット上の流行り言葉があったけれども、 おなじ「さかしら」系譜の言葉として「おおきすぎる主語」が流行っている。 「日本人といってもいろいろな人間がいる。それをひとからげに日本人と言うな」という例のあれを、気取って言ってみただけの表現だが、要は日本人のダメなところを指摘するな、ということで、とにかくおれたちは誰にも指さされずに粛々と悪事を積み重ねたいんだから、ほっといてくれ、ということなのでしょう。 どこの国でも世代として、箸にも棒にもかからないほどダメな世代ほど、「世代論は無意味だ」と述べることになっていて、きみの国では1960年前後に生まれた人間を中心にした年齢層がこれにあたるようでした。 戦後日本は復員兵たちがつくった国だと言ってもいいとおもう。 平和憲法の理念も、民主主義も、世の中にあまねく喧伝される高邁な考えを、すべて「空疎な言葉」と聞き流して、「とにかく生き延びることだ」と文字通り、兵隊時代にたたきこまれた粉骨砕身で狂ったように労働して、80年代をピークとする繁栄を築き上げた。 世代には「運」があって、このあとにやってきた戦後生まれから1960年代生まれくらいまでの数世代は、無為徒食どころか、余計なことばかりやって、どんどん日本をダメにしたひとびとに見えます。 それでも、その厳然たる事実を意識することすらなく、日本の繁栄は自分達がつくったとでも言うような顔をして、際限なく安逸を貪って、冷笑を浮かべて、若いひとびとにお説教をたれて、自分達の世代でほぼ最終便の年金をつかんで、がっしりと放さないでいる。 悲惨どころではない近未来がもう目の前に来ているのに、手の施しようもない。 社会全体が未来を企画する機能を停止している。 それがなぜかを考えて日本語学習の後半数年を過ごしてしまったが、いまは皆で考えたとおり、倫理と善意の欠落が理由だとわかっている。 明治時代の日本人は、とにかく西洋「列強」に追いつかねばという強い思い込みで、脱亜入欧、アジア人であることをやめて、文明世界の一員になろうと考えた。 ふりかえってみると、「このままだと日本は西洋の植民地にされてしまう」という国民全員一致の危機感の根拠が、そもそも怪しくて、「朝鮮半島の確保が日本の生命線だ」というのは、絶対の前提だとされていたが、隣国に自分達の国を勝手に「生命線」にされてしまった朝鮮民族の迷惑という根本的な問題をいったん脇に避けても、仮にではロシアが朝鮮半島を取ってしまったとして、だからそのまま日本が破滅に追い込まれたかというと、そんなことはなかっただろう、としか言い様がない。 そもそも幕末に薩摩と長州をつき動かした「幕府を倒さなければ中国化されてしまう」というお話しがヘンといえば、大変にヘンで、なにしろヨーロッパの泥棒猫が清帝国に群がったのは、清がヨーロッパの国が束になって逆立ちしてもかなわないほど富裕だったからです。 富裕で、軍事力にほぼ無関心といいたいくらい無防備で、なによりも西洋の意味においての国としての体裁をなしていなくて、冨の偏在どころか、国と国富が皇帝個人の所有というすさまじい形態で、欧州人の目には、いわば、ひっくり返されたまま、蓋を閉じもせずに、路面いっぱいに宝物が広がっている広場のような趣の国だった。 日本のほうは、例えばディズレイリ内閣によって議会への報告書のなかで「貧乏で獲るべき冨がなく刀剣をふりまわす野蛮な民族が蟠踞していて、侵略しても到底採算がとれない」と報告されていて、日本を訪れたフランス人記者の「日本はあきれるほど貧しい国で、資源もまったく存在せず、国民が人糞を畑にまいて獲れた作物を食べて生きている、いわば人糞国家」であると記事を書いていて、欧州側の日本についての見解をみると、どうやって考えても侵略になどくるはずがないのは判っています。 しかし日本人の側には、その貧しい国土である事情を十分に知悉して、朝鮮半島と中国の富みを簒奪したい野心があった。 日本人の歴史を通じての野心は「いつの日にか、海を押し渡って、朝鮮と唐の冨を、全部でなくてもいい、ほんのお裾分け程度でもいいかが我が手におさめたい」だったからです。 日本人は不思議なほど貿易による冨の増大という思想と無縁で、民間の商人がわずかに東南アジアと交易して蓄財をはたしても、国家のほうはこれを禁ずることしか考えなかった。 その結果、「まず朝鮮半島をいただいて、そこを足場に中国を少しずつ切り取る」のは、中世以前からの日本人の基本国家戦略になっていった。 それがどれほど高くつく愚策であったかは、「日本の生命線」満州が日本に強いた膨大な赤字植民地経営と当時はたったひとりの加工貿易立国論者で、世間と議会の失笑をあびた石橋湛山の「植民地なんていらん。我が国は貿易で立国すればよい」がいかに現実的な政策であるかが証明された戦後の日本の歴史をみればあきらかだとおもう。 背景が、つまり、そういうことなので、日本での「洋化」「文明化」は、つまり軍事力を西洋並みにする、という意味であるようでした。 日本社会の問題を議論していたときに、みなで発見して驚いたように、そもそも語彙としてintegrityが日本語には存在しない。 あれ?commitmentもない。 そうやって眺めていってempathyもないんじゃない?ということになっていって、どうやら倫理と善意を理性的に検討するための一群の語彙が西洋語を翻訳するために発明された近代の日本語からは、ぞろっと抜け落ちているらしい。 北村透谷のころまで遡ってみてみると、理由は「日本の近代化に役に立たない。返って邪魔だから」ということであったようでした。 1970年代前半に作られて公開された山本薩夫監督の映画「戦争と人間」には北大路欣也扮する徴集兵が「胆力を養うため」に生きたまま立杭にくくりつけられている中国のひとを銃剣で刺殺しろという命令をうけて良心との葛藤に焦燥するシーンが出てきます。 日本は、産業を基礎から育てるようなまだるっこしいことをせずに、軍需産業を促成栽培して、それを支えるべき基礎工業力は「朝鮮と満州をぶんどってから考えれば良い」という基本国家戦略だったので、GDPの40%〜80%というとんでもない比率の軍事費を集中投下してつくりあげた軍隊国家を人間の倫理のようなルーズ・ベネディクトが日本人に証言させている「外国人のような劣った弱い者だけが必要とする絶対規範」を必要だとは考えなかった。 国家の建設にあたって倫理と理念を捨てる。西洋と対抗しうる巨大な軍事力をつくりあげることだけに国民を挙げて集中する。 その結果出来上がったのは戦前に日本を訪問したバートランド・ラッセルが繰り返しひとつ話にした「世界で最も危険な国民」が住む、全体が軍隊そのもののような国家だった。 … Continue reading

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