Monthly Archives: October 2019

ハウ・アー・ユー?

「あのとき、前の晩に、あの人はボイスメールに伝言を残して、たしかに、『忘れないで、わたしは、いつもあなたを愛している』と述べたのだ」、と何度も繰り返し、自分に話しかける男を知っている。 日本語で書くとやや目立つ言葉かもしれないが、 Remember, I’ll always love you. は、ごく普通の言葉です。 英語人には、「言われないことは存在しないのだ」という言語文明的な信念があって、考えたことは考えたつもりになっているだけで、ほんとうは自分に対して嘘をついているだけかもしれないので、ちゃんと言葉にして相手に伝えておくべきだと考えているもののようである。 だから、毎日のように、相手を美しいとおもうたびに、 「あなたは、なんて美しい人だろう」という。 あなたのように素晴らしい人間に会えて嬉しい、という。 自分はなんて幸運な人間だろう。 How are you? とは英語ではいわない。 もう、そんな英語を使う人はいないと述べる気の毒な人は論外としても、日本の人のなかには How are you? に意味などない、 さようでござりますれば→さようなら と同じで、ただの符丁だとおもっている人がいるのを知っているが、 それはほんとうではなくて、あれは、今日はどんなふうですか? つらいことはなかったか? 調子はいいですか? と実際に訊いているので、言われればこちらは、ちゃんと自分を眺めてみて、だいじょうぶ、ちゃんと生きているみたい、元気だし、悲しくもない、と点検している。 そんなこと、いちいち一日に何度も考えるなんてめんどくさい、という人もいるに違いないが、英語人とはそういう世界を生きているめんどくさい生き物なのだから仕方がない。 このごろ、強くおもうが、きみとぼくは、どうやら、例えば他人への関心の持ちようということにおいて、なんだか、ものすごく異なる世界を生きているもののようである。 日本語の思惟は、冷たい。 他人へのほんとうの関心をもたない。 多分、日本は武士の発生以来、お家大事の、全体主義で、同輩を個人とみなすと成り立ちえない文明を築き上げて、そのなかで生きてきたので、士農工商、おのおのが全体主義的な世界の見方を確立していて、それを西洋人の鏡に照らすと、 「人間性に乏しい」 「世にも弱者に冷たい」 ということになるのでしょう。 ….めんどくさいね。 どうして、そんなに他人と関わり合いにならなければならないのか。 そんなに他人によりかかられては迷惑です。 自分の問題は自分で解決しろよ。 … Continue reading

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十年後

日本に行かなくなってから、ちょうど10年経つ。 最も鮮明におぼえているのは、最後の一週間で、 もう日本を引き払おうと決めて、「東アジアの家にしたい」というかつての希望をあきらめて、広尾山と鎌倉と軽井沢とに買ってあった家を売り払って、どんな気分になるだろうか、と自分を観察したら、意外に「これでよかったんだ」という気持だったので、安堵したりしていた。 しばらく帝国ホテルに滞在して、たこ焼きを食べ納めにしたり、モニさんは大好きな藁でくるんで盛大に炎をあげて燃やす鰹のたたきを食べて、モニさんとふたりで、子供をつくるには最適だと認定したニュージーランドのオークランドは、おいしいフランス料理屋やイタリア料理屋が少ないので、極東の国だといっても程度が高い店がある東京のレストランで、毎日遊び歩いていた。 そのときのことは、いまでも楽しい記憶としておぼえています。 https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/20/hurdy-gurdy-man/ もっとも、4,5年前に、欧州からNZに戻る途中、ほんの数日の短いストップオーバーでは立ち寄ってヘリコプターで移動する矢鱈忙しい「訪日」をしたことは、この日本語のブログでも何度か書いたことがある。 何年もたってから日本を再訪すると、記憶と現実がどんなふうに違っているかは、小さいときに日本に住んで、それから10年後に日本を再訪したときに経験ずみで、そのあとも、何年か行かないとおなじなので、驚くことはなかった。 まず空中を走る電線が記憶のなかでは消滅している。 現実の日本では、屋根の上に腰掛けたもののけたちが綾取りでもしているように複雑な電線と電話線が迷走して区画されている空が、記憶のなかでは、綺麗さっぱりなくなっている。 人間がおぼえているよりも、ずっと小さい。 男の人でも肩までなくて、まさか失礼だから声にだしては言わないが170cmちょっとくらいしかないのではないかとおもうくらい、ちいさな人たちが闊歩していて、悪い気持ちはしなくて、なんだかお伽噺の妖精たちの国に来たようです。 全体が、非現実的である。 あとは、人間の数! 記憶のなかでは、だいぶん間引きされている人間の数が、現実には途方もない数で、世界に有名で、いまでは日本観光の目玉のひとつになっている渋谷のスクランブル交叉点や、横浜駅の東口と西口を結ぶ連絡通路などは、ちょっと足が竦んで、急には文字通りの人の波のなかに分け入っていく勇気がでません。 日本の最大の魅力は、シンガポールと香港がパラダイスの様相を呈してきた、ここ数年に至るまでは、世界でただひとつ「他とまるで異なる都会」だったことで、これも世界に有名な自動ドアがついたタクシーのような誰の目にも明らかな愉快なギミックから始まって、ゾンビーが入ってこれないように家具をつみあげて、そのうえに全体重をかけてドアを押さえていると、あろうことかこちら側でなくて向こう側に開いてしまうドア! どんな世界の常識を動員してもドアに向かってしゃがむはずなのに、 よくよく聞いてみればドアにお尻を向けてしゃがむことになっている和式のトイレ(←なぜ?)から始まって、個人の自由などまったく求めていなくて、秩序と表面のなごやかさを好む人間の心性に至るまで、なにからなにまで、故意のように逆さまで、めんくらうことも多いけども、毎日がびっくり仰天の連続で、一年や二年は、ぶっくらこいているうちに、あっというまに経ってしまう、世界最大で、世界で最も手が込んでひとを食ったアミューズメントパークであることでしょう。 楽しい町なんですよ、東京って。 大阪も京都も楽しい町で、ブッカー賞をとったイギリス人の作家は、金輪際大阪から離れたくなくて、「おれは大阪のいかれた、鉛の匂いがする空気がないと霊感がわかないのだ」と述べていたが、いまのようにすぐに情報が伝播されるわけでなかった1950年代や60年代の昔には、オオガネモチたちは、東京がめっちゃ楽しい町であることを端から知っていて、エバ・ガードナーは夫のフランク・シナトラの目を盗んで、パイロットの愛人とエッチしにやってきたし、シャーリー・マクレーンに至っては、ベル・エアに住んでいるふうを装って、渋谷の松濤に家を買って住んでいた。 ずっとあとになっても、飛行機が大嫌いだったはずのデイビッド・ボウイがお忍びで、東京にボーイフレンドに会いに来ていたようでした。 訪問には最高だが、住むには適さない、と自分自身でも他人に訊かれると答えるが、よく考えてみると、数年住めばうんざりな町など世界中に、わんさかあるので、取り立てて東京がひどいわけではないのかもしれない。 悪い方は、人間性が俗にいう「下衆(げす)」を極めるところで、例をあげれば、普段ネット上の発言などを読んでいて、「このひとは、まともな人なんだな」と思っている人でも、大坂なおみさんが2020年のオリンピックに際して日本国籍を択ぶと、「やっぱりアメリカでは競争がきびしすぎるから」「あれほどのプレーヤーでもアメリカでは生きていく自信がないのでは、自分にはアメリカ暮らしは到底むり」と述べていて、ぶっくらこいてしまう。 「日本人として生まれた誇りと文化への愛情をもってるのだな」という最もシンプルで納得できそうな理由を挙げている人がいなくて、シャープ製の人間打算機は、21世紀に至って、日本人の思想として無意識の層にまで根をのばして定着していた。 あるいは行儀良く親愛の表情を浮かべながら述べる言い草の失礼さは古今に例がないほどのもので、例は挙げないが、疑えば、自分で使っている語彙を理解出来ていないのではないかと考えることもあった。   なにごとも計算計算計算打算打算打算で、自分で言っていても繰り返しすぎて疲れたが、倫理をもたないと決めて立国した国は、なるほど最後は、こんなふうにまでなって、いったいなぜだ、なぜこの国はダメになっていくいっぽうなのだ、と傍からは一目瞭然の理由が見えないまま、ゆっくりと沈没していく。 まわりを見ても、ほとんどの場合、「わお、わお、わーおー」で始まって、まるでジェットコースターに乗って通勤しているような、興奮が一刻もさめない数年のあとで、日本人の友達に理由を訊かれても、答えないで、そっと故国へ帰っていくのは、この「下衆」の蔓延にくたびれた結果である人がほとんどだった。 ここでは下衆というが、考えてみれば、西洋人は倫理のような余計なものをもっているから日本人の下衆ぶりがたまらないので、なにをそんなに怒っているのか、現実にも、ほとんどの日本の人は理解できなくて、きょとんとしている。 ひどい人になると「西洋人は気難しくて怒りっぽい」という風説をなす。 日本人の側からは倫理なんて、そんなくだらないもの、なんでいるのかピンとこないし、よいことをしなさいって、ガイジンって偽善者だよね、一日一善で、笹川財団じゃないですか、右翼なのか、あっわかった歴史修正主義者だな!と考えている。 いつかツイッタで理由をタイムラインに集まってきたみんなで考えていて、ついに日本語にはそもそもintegrityを始めとして、社会倫理を考えるための語彙が存在しないことに思いが至って、日本語人もそうでない人も、みながボーゼンとすることになった。 言葉がないもん、考えられまへんがな。 では何によって社会のとどまるところをしらない腐敗を止めるか、この次に日本語を立て直すチャンスがあれば倫理語を訳して導入するなりなんなりするとして、いま火急にはどうすればいいか、 みなでデコをあわせて考えて、どうやら日本人の美意識を建て直せばいいのではないか、それがいちばん早いか、と述べていたら、不破大輔という天才ベーシストの向こうから、小西遼や小田朋美のかっちり音楽が聞こえてきて、あ、今度は戦前のむかしと違って音楽の加勢もあるのだな、と少し光が射してきたところでした。 もう日本を再訪することがなさそうなのは、自分の気持ちを観察すればわかる。 痛ましい気持が先にたつというか、日本の社会はいま、正視できないほどひどい状態で、そのうえ人間の人生なんて、正味は14歳から50歳くらいまでの40年足らずしかないので、日本がやがて若い世代を中心に建て直しに向かって、再生されるのは、あたりまえだし、疑いの余地はないが、だいたい50年はかかるのは、これも当然で、付き合っていては自分は、おもわずしらず、なすすべもなく、地面の6フィート下で眠ることになる。 せっかく友達が出来たのだから、日本語の友達と、お互いに巡り会ったのを喜びあって、それだけにするのがよいようです。 言い訳じみているが、なんのためなのか、手の込んだ嘘や他人を陥れるために熱中する人たちにことの初めからつきまとわれてばかりで、「そっちに行ってはダメだ!」を声を限りに叫んだつもりでも、ひとにぎりの人が耳を貸してくれただけで、10年前に述べたとおり、原発事故は起こり、捕鯨が原因で日本は南太平洋に確固としてもっていた影響力と尊敬を完膚ないほど失って、こんどは南太平洋諸国に限らず、国際的な「ならずもの」イメージを強めていった。 ただ一国日本を理解する能力をもつ兄弟国の韓国へのやっかみは外交問題に発展して、心配した尖閣諸島の国有化は起きて、将来、台湾問題が片付いたあとの中国に日本コントロールのおおきな足場を与えてしまった。 … Continue reading

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初めての光

英語ではbraided hairという。 日本語では「三つ編み」というみたい。 三つ編みが似合う人は男でも女でも少ないのに、遼さんはとっても似合っていて、にんまりしてしまった。 この「にんまり」には、多分、遼さんとぼくにしか判らない秘密の匂いがあるはずです。 どこか遠く離れた町で、共通した店を知っていて、よく通ったりしていて、そのことにあるとき気が付いて知り合った人と「おおっ!」になる、どんな時でも楽しい瞬間が誰にもあるけど、遼さんとぼくの場合は、それがZinc Barだった。 Zinc Barがまだビレッジの外れの地下にある小さなバーだったころ、マンハッタンにいれば、必ず毎週通っていた。 大雪の日に、ひざまで埋まる歩道の雪に足をとられながら、酔っ払って、良いジャズのライブ演奏が聴きたくてZinc Barまで歩いていったら、 客がひとりだけ来ていて、それがリチャード・ボナだったことがある。 客がいない、小さな店 (←当時のZinc Barは20人も入ればいっぱいだったのではないかしら)のカウンターで、演奏の合間に話していたら、ぼくが東京を知っていることがわかって、「日本人って、まったくいいよね。知ってるかい? アメリカのジャズがいまでもあるのは、日本人たちのおかげなんだ。 アメリカ人は昔はジャズのファンでも、ニューヨークに住んでいてすらなかなかジャズにオカネを払ってはくれなかったが、80年代90年代を通じて日本人たちはジャズとブルースに大金を実際に払ってくれた。 実のところ、好きでいてくれるのとオカネを払ってくれるのとでは、えらい違いだからね!」 と述べて、その声が美しいベーシストは愉快そうに笑っていた。 Zinc Barは、そのころからZinc Bar なんだよ! なんだかジャズ先端技術研究所みたいな店で、その日はブラジルのビッグバンドが出ていて、11人だったかな? 狭い店の演奏スペースから大々的にはみだして、どう見たって客が満員でもペイしないんだけど、店の空間ごと、そんなことは意に介していなくて、あとから入ってきたカップルと、あと数人の客で、 ジャズの密度が高くなって空気がぎゅうぎゅうになったような店のなかで、あっというまに時間が経ってしまった。 東京にいたり、ロンドンにちょっともどったり、スペインやイタリアをふらふらクルマで歩いていたりして、それからモニと結婚して、オークランドにいて、テレビに映る非現実的な東北の黒い水の津波を茫然とながめていて、いったいどうなってるんだ、とおもいながら、オークランドからマンハッタンに戻ったのは、だから福島第一事故の直後で、遼さんは、その頃ちょうどアメリカに引っ越してきたんだ、と述べていた。 よく考えてみると、ぼくのいつもの迂闊さで、というよりも現実に近づけた日本語表現をつかうと、うすぼんやりで、いったい遼さんがなんでアメリカに引っ越したのか知らなかったのでネットで見たら、ボストンのバークリーに留学したんだね そうすると、ふたりで盛り上がって話したTwo BootsやGarageのあるあたりでうろうろしていたり、いまのワシントンスクエアに近い店に、広くなって引っ越した、新しいZinc Barのステージでサックスを吹いてバイトしていたのは、きっとボストンから、オカネがともかく無くて週末の贅沢にときどきステーキハウスでハンバーグを食べたと書いてあったから、ビンボだったはずで、飛行機ではなくて、Amtrakかバスでニューヨークに来て友達のアパートかなにかに泊まっていたのでしょう。 マンハッタンで、夜更けにうろうろしていたところがぴったり重なっていて、Village Vanguadの側の、どぎついピンクの照明のアダルトグッズショップの話をしていたら「ぼく、オカネがなかったので、あそこでよく棚を眺めて時間をつぶしてた」というので、大笑いしてしまった。 内緒でいうと、あの時はね、十年ネット上でつきまとっていた大学講師を中心とした「はてな」というたいへん日本的な、「村」を凝縮したようなサイトに巣くうインテリ気取りの人間のクズみたいなひとびとが日本のネット社会のバックオフィスで延々とやってきた悪事を可視化して日本語をやめようとおもっていたときで、やめるのだから、どうでもいいや、と思ってはいたものの、自分達の積年の悪事をばらされた腹いせの復讐がたいへんなもので、日本が途方もなく嫌いになりかけていたところなので、遼さんと話したことで、とっても救われた気持になっていた。 おおげさだと言われるかも知れないが、まったく救いのない日本語世界のなかで、なんだかそこだけ光が射しているような会話だった。 そのときに「いまアルバムつくっていてスタジオに籠もっているんです」と書いてあって、しまった邪魔をして、えらいことをしてしまった、とおもったのをおぼえてるが、そのアルバム! https://tower.jp/item/4947717/Temporary 聴いて、びっくりしちゃったよ。 こっちが、しょうもない日本語おじさんたちを相手にして、だんだん相手にあわせて頭が悪くなっていた同じ瞬間に、遼さんたちは、こんなものすごいものをつくっていたのか、と自分が恥ずかしくなりました。 音楽性が高い、歌詞が現代詩の観念の高みにある、頭のなかでダサい日本語の「批評語」がぐるぐるまわるけど、聴けばわかるというか、良い音楽を言葉で褒めるくらい難しくて、虚しいことはない。 ずっと昔、初めて遼さんのアカウントをtwitterで見つけて、ああ、あの天才の人だ、ツイッタやってんだ、とおもってフォローしたら、あろうことか反応してもらって、おいらは田舎の高校生なのか、あの、ぼくCRCK/LCKSの大ファンなんです、小西さん天才だとおもってますと述べたら、「天才」という言葉が、なんだかものすごく嫌そうで、ま、そりゃ素人に天才と呼ばれて喜ぶプロのジャズプレーヤーはいないよね、と、またしても迂闊な自分が呪わしかったが、 … Continue reading

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スーパーマーケットへ行く

天気がよくなると屋根が開くクルマで出かけることが多くなる。 GMに買収される前のSaab 900 Convertibleのように初めから冬用にデザインされているコンバーティブルもあるが、だいたいは春と夏用に出来ていて、のんびり春の海辺を、ひねもすのたりのたり、走るのに適している。 屋根が開くクルマは、屋根を閉めるのがめんどくさいというひどい理由で、両方とも車庫に入っている。 ニュージーランドのガレージは、必ず、というほどそうなっているように、手元のちっこいリモコンで、ぐわらぐわらぐわら、とシャッターを開けます。 このリモコンで開閉するガレージドアは、ニュージーランドでは、びっくりするほど昔から普及していて、というのは子供のころ、連合王国やアメリカのひとびとが遊びにやってきて、じっさい、ぶっくらこいていたからだが、当時は20本入り煙草サイズでサンバイザーにクリップで止めてあるリモコンをピッと押すと、ぐわらぐわらぐわら、とシャッターが開く。 いまは、キーホルダーに付くサイズになっている。 車庫のなかに家に通じるドアがあって、大雨の日に買い物にでかけても、ちょっとも濡れないですむ、という天気がめちゃ悪い冬がある国の人間の知恵です。 え? 連合王国だって冬の天気ひどいのに、そんな便利な仕掛けないじゃない、って? ははは。 ははは、だけで誤魔化すなんてひどい文章だが、見栄にばっかりカネつかってるからビンボーなんだよ、おおきなお世話じゃ、ほっとけ、とか、ほんとうのことを書けるものではない。 ほんとうのことを述べると、神様に見放される、というでしょう? 言わない? きみの国、神様がいないんじゃないの。 わし家のコンバーティブルが入っている車庫は、家とつながっていないので、階段を下りて、「ぶっ」とリモコンを押すと、ぐわらぐわらぐわら。 ドアを開けてシートに乗り込んで、他のクルマやマウンテンバイクや芝刈り機や緊急用の発電機やなんかで混雑している車庫を、慎重にバックして、クルマのフロントがガレージを出るか出ないかのところで、ぎゅいんとおもいきりハンドルを切る。 そうするとちょうどお尻が英語ではmulchと呼ぶ、細かく砕かれた木片の小山に触るか触らないかのあったまにくる熟練痴漢被害状態になるので、そこからドライブウエイに切り返して出てゆくことになる。 おなじわし家でも、なあんにも考えないでロータリーから、ぶうううんとドライブウエイを通ってゲートに向かえばよいSUVのあるカーポートやなんかとは、だいぶん違う。 多分、車庫にクルマを駐める人のほうが、ロータリーにクルマを野放しにしている人よりもボケるのが遅いのではないか。 クルマのなかにできた陽だまりのなかでハンドルをにぎる気持のよさは、いちど屋根が開くクルマを持ってしまうと、一生、持ち続けることになる気持のよさです。 いまはGoogleストリートビューというものがあるので、この記事に出てくる名前をたどっていくと、どういうお買い物ルートなのか追体験できるが、Eastridgeのモールに行くのに、天気がよければ、わざと回り道をして、いったんParnell Bathsに出てTamaki Drを右に曲がる。 すぐにホブソンベイで、OBC(Outboard Boating Club)のボートが海に出るときにくぐらなければならない橋の高さの制約で、背の低い、最近流行りのフライブリッジ(遠くの海面が見えるようにするための櫓。下の操舵室からだけでなくて、ここからも操船できるようになっている)を持たないボートがずらっと並んでいる。 自然デザインが古いボートが多いので、カウリで出来たボートもたくさんあります。 水族館や、むかし日本軍の上陸に備えてつくったトーチカを右に見ながら、海辺の繁華街、Mission Bayのクロックタワー交叉点を右に曲がって、Patterson Aveの坂をのぼってゆくとEastridgeのNew Worldに着く。 わし家から近いスーパーマーケットは、最も近いのがRemueraのNew World、これは小さくて日本のスーパーマーケットくらいのおおきさしかない上に価格が他のおなじチェーンの店よりも高くて、そのうえ、最近は、二階建て駐車場の鉄骨が弱っているとかで、二階を閉鎖してしまったので、駐車場が混む。 「二階が閉鎖されたということは駐車場の二階部分が崩れて来て一階に駐めてあるクルマもおだぶつなんじゃないの?という黒い噂も、もちろん冗談でだが、流れたりして、BBQをやっていたらビールが切れた、というような緊急火急の場合以外は行かなくなってしまった。 むかしは、ここに行ったんだけどね。 わしにとっては、クルマのキーがなくなって、げげげっ、とおもいながら探していたら、色んな人が手伝って探してくれて、しまいには、おおぜいの、いいとしこいたおとなたちが、あそこでもないここでもない、こんなに探してどこにもないなんてことがあるだろうか、とがやがやと探していたら、カーキーが申し訳なくおもったのでしょう、いつのまにか胸のポケットに戻っていた、という思い出の場所です。 ありえないとはおもうが、もしかしたら、初めからポケットにあったのかも知れないが。 東へ10分くらいクルマでRemuera … Continue reading

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shampain

メトロポリタン・ミュージアムの正面玄関の真上にあるバーで室内楽に耳を傾けている夢を見ていた。 天井の高い屋内に響き渡る心地のよい人声も、場違いなくらい、安っぽくておいしくないバーのシャンパンの味まで再現されているリアルな夢。 現実と異なるのはMoMAにひとりで行くことはあってもメトロポリタン美術館にひとりで行くことはなくて、いつもモニとふたりだったが、夢のなかでは、ひとりで、なんだか冷たい気持でエントランスホールの群衆を眺めている。 人間に生きる価値などないのは、少しでも洞察力があれば判り切ったことで、それでも人間ひとりひとりの命は地球よりも重いなどと安っぽい科白を述べて、人間個人が生き延びることが絶対的に重要であることにしてあるのは、そうしなければ価値の建設そのものが不可能になって、例えば誰がどう見たって人間よりは品性が高い犬たちのほうを上位に置かなければ話の筋としておかしなことになるからであるに違いない。 人間は近視であることを必要とする。 いちど東京という世にもおおきな町で、ゴールデンリトリーバーは、どうしてどいつもこいつも同じ顔をしているのだろう、と訝っている男に会った事がある。 初めは何を言っているのか判らなかったが、どうやら、この50代の男の人には、黒猫も、ブラックラブラドールも、同じ顔をしているように見えるようでした。 あるいは夏のアトランタで、オリンピックの話をしていて、突然、 なあ、ガメ、なぜ東アジア人はみんな似たような同じ顔なのだろう?とマジメにつぶやいていた人をおぼえている。 蒙古症の人間がおなじ顔の造作になるのとおなじような理屈だろうか。 東アジア人は、ひとりひとりまったく異なる顔をしているし、蒙古症のひとも、みんな違う顔をしている。 前提が誤っている、と述べると、心からびっくりしたような顔で、 差別的に聞こえないために、みなそういうが、きみとぼくとのあいだで、そんな体面にかかずらわった、ほんとうでないことを言わなくてもいいのではないか、と述べていた。 関心は距離の一種で、関心をもてば、近くからものごとを観察することになる。 無関心は、おおきな距離を生みだして、差異を見えなくする。 外銀河系からやってきた人間よりも遙かに知能が高い宇宙人、というような存在を考えると、まず間違いなく全人類がおなじに見えるはずで、名前をおぼえるどころか、ひとりひとりを区別するのに、ひどく苦労することだろう。 判りやすくするために政治の例をだすと、彼という高知能生命体にとっては、左翼も右翼もまるでおなじ主張をしているように見えるに違いない。 「力が社会のどこに偏在するかによって構造が決定される」という政治なるものそのものが、社会を運用する論理として政治よりも高次の理屈をもつ彼の頭脳からは、単純にすぎて、しかも死語に似た、「政治」という単語でひとくくりに出来る理屈にすぎないから、当然、そうなるはずである。 老人はたいてい自分の人生への失望のあまり不機嫌で短気になるものだが、なかには、奇妙なくらい世界に対して寛容な老人がいる。 このひとは死へ自分が近付いていることのほうに関心が強まってしまっているので、生者の世の中から意識が遠くに去って、善人も悪人も、ただ「生きたい」という盲目の意志に囚われた存在に見えて、区別がつかなくなってしまっている。 もう少しすると、善をもたない民族などは単にまだ未開で野蛮な状態にあるのだとしても、真善美を信じて追及してきた文明に対しても「おれとは関係がない」と感じてしかるべきである。 なぜなら、自分が無に還るのだということを知っているだけではなくて、実感しはじめているからで、自分が死にゆくものだという実感ほど、繰り返していうと「人間は死ぬものだ」という知識とは異なって、人間を人間から数百光年の遠くへ引き離してしまう認識はない。 「認識と実感では異なるのではないか」と言う人は、つまり、認識に対して過剰に希望的で、期待しすぎるのであるのかも知れない。 認識が、たかだか実感でしかないことのために人間は歴史を通じて苦しんできて、それがたしかに理性の主体として間違いなく存在しているのだと考えることで人類は人類であることに耐えてきた。 だがそれもほんとうは実感にしかすぎないことは、なんのことはない、自然の方角から人間を見れば、ほとんど自明である。 日本語ではブレーズ・パスカルの「人間は考える葦である」という言葉が随分誇大に評価されているが、人間は一義的には葦なので、ほんとうのことを言えば、その葦が考えたって、考えなくたって、どっちみち、有意な差異はない。 考える葦と考えない葦は、犬を理解できなかった男にとってのゴールデンリトリーバーの顔のように、理性の立場からは異同が判然としない違いがあるにすぎない。 人間がこしらえた全文明は「自分は無価値ではない」と主張する、人間というたかだか言語を持つによって差別化できるかどうかという程度にしか他の生物と差異を持たなかった生物の(非望の)表明にしかすぎない。 どういう因果か、人間はやっと世界が判りはじめる端緒につくらいの時点で知能の低下が始まって、そのあと間もなく死んでしまうくらいの知性の寿命しかもっていないが、その、性能も段取りもいかにも悪い言語は意地悪にも、その人間が立っている地平よりも遙かに高い、いわば解像度が高い意識がこの宇宙のどこかには存在することを感知できる程度の高みには、少数の人間はたどりつける程度には発達している。 だから人間は神をつくった。 神という言語が届かない絶対を仮定することによって言語が到達しうる領域を明示化するという魔術的な方法で宇宙を自己の言語が届く範囲よりも広範囲に説明するという曲芸を編み出した。 だが絶対を仮定した理性は、おなじ理性世界の境界と領域を遠くまで旅することによって、神を仮定せずに宇宙を説明できる地点にたどりついてしまった。 自然言語が、天候の変化によっていっせいに萎れるようにうなだれてくるのは、数学言語が、神を否定しうるところに到達したことに呼応している。 人間は、哀れにも、到頭、自分が生きる価値がない存在である事実と直面するに至った。 シャンバンのハーフボトルを2本空にして、チェロの心にしみとおる響きのなかを、人間の古代文明の光芒を調べに、廻廊をふらふらと歩いていくのは、ニューヨークにいるときの日課だった。 でも、もう、あの言葉の廻廊にもどるわけにはいかない。 神は、もう死んでしまっているのだから。 「絶対」にも、向こう側があるだろうか?

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