ハウ・アー・ユー?

「あのとき、前の晩に、あの人はボイスメールに伝言を残して、たしかに、『忘れないで、わたしは、いつもあなたを愛している』と述べたのだ」、と何度も繰り返し、自分に話しかける男を知っている。

日本語で書くとやや目立つ言葉かもしれないが、

Remember, I’ll always love you.

は、ごく普通の言葉です。
英語人には、「言われないことは存在しないのだ」という言語文明的な信念があって、考えたことは考えたつもりになっているだけで、ほんとうは自分に対して嘘をついているだけかもしれないので、ちゃんと言葉にして相手に伝えておくべきだと考えているもののようである。

だから、毎日のように、相手を美しいとおもうたびに、
「あなたは、なんて美しい人だろう」という。

あなたのように素晴らしい人間に会えて嬉しい、という。

自分はなんて幸運な人間だろう。

How are you?

とは英語ではいわない。
もう、そんな英語を使う人はいないと述べる気の毒な人は論外としても、日本の人のなかには

How are you?

に意味などない、

さようでござりますれば→さようなら
と同じで、ただの符丁だとおもっている人がいるのを知っているが、
それはほんとうではなくて、あれは、今日はどんなふうですか?
つらいことはなかったか?
調子はいいですか?
と実際に訊いているので、言われればこちらは、ちゃんと自分を眺めてみて、だいじょうぶ、ちゃんと生きているみたい、元気だし、悲しくもない、と点検している。

そんなこと、いちいち一日に何度も考えるなんてめんどくさい、という人もいるに違いないが、英語人とはそういう世界を生きているめんどくさい生き物なのだから仕方がない。

このごろ、強くおもうが、きみとぼくは、どうやら、例えば他人への関心の持ちようということにおいて、なんだか、ものすごく異なる世界を生きているもののようである。

日本語の思惟は、冷たい。
他人へのほんとうの関心をもたない。

多分、日本は武士の発生以来、お家大事の、全体主義で、同輩を個人とみなすと成り立ちえない文明を築き上げて、そのなかで生きてきたので、士農工商、おのおのが全体主義的な世界の見方を確立していて、それを西洋人の鏡に照らすと、
「人間性に乏しい」
「世にも弱者に冷たい」
ということになるのでしょう。

….めんどくさいね。

どうして、そんなに他人と関わり合いにならなければならないのか。
そんなに他人によりかかられては迷惑です。

自分の問題は自分で解決しろよ。

簡単で、日本の人はそう考えるが、わしらは言語で隔てられて異なる、というだけね。

friendsは、なかよくお茶菓子をたのしむ相手のことではない、と学校で習ったひともいるでしょう。

friendsは、この世界には、まともな人間なら敵がいるという世界観を前提している。
戦争ならフレンドリーな軍隊は友軍という意味で、ははは、愛想がよくて受け答えが如才ない兵士が集まった師団のことではない。

肩を並べて歩いて、相手を常に気遣って、自分に出来ることを絶えず考えている。

だから「友達に迷惑はかけられない」は論理的に間違っているステートメントである。

モニに付き添ってやってきた病院で、トランジットルームでアナウンスを待っている人たちを見ている。

70歳を越えている老人と20歳そこそこの若い人がいる、という観点もあれば、70年と20年の生涯にはたいした差はなくて、
50年の時間など須臾の差にしか過ぎない、という観点もある。

焦点距離の図を思い起こせば判りやすいが、どこに立って眺めるかによって、世界などは、まったく異なった様相をみせる。

感情に翻弄されるのが嫌ならば遠くから人々を眺めることですよ。

LSDの常習者だったオルダス・ハクスレーは、いつも、とてつもなく遠くから人間の集団を眺めて、なんだか宇宙を見透してしまえるような距離感を楽しんだという。
宇宙から地球を眺めるのは素晴らしく楽しい体験だぜ、と友人たちに薦めてまわった。

この広い待合室に集まっているひとびとを、ただの時間が映す影とみなす立場もありうる。

DNAの塩基情報が地球上に映す儚い影。

反対に距離を縮めて、噛みとってしまったに違いない、向かいのベンチに座っている爪のない女の人の指を眺めて、その女の人の不安、anxietyに満ちた子供時代を想像力で復元することもできる。

人間を顕微鏡の下におくなんて、30年も人間を生きていれば、誰にでも簡単にやれる能力であるとおもう。

あんまり、良い趣味であるとはいえないが。

「あのとき、前の晩に、あの人はボイスメールに伝言を残して、たしかに、『忘れないで、わたしは、いつもあなたを愛している』と述べたのだ」、と何度も繰り返し、自分に話しかける男を知っていた。

一日になんども自分に話しかけるような一年を送って、彼は死んだ。

古典的な死に方で、拳銃を口にくわえて、引き金をひいて。
彼の最後の数ヶ月には、たったひとつの疑問があるだけだった。

なぜ、あれほど愛したガールフレンドは橋から飛び降りて死んでしまったのか。
なぜ、助けを求めてくれなかったのか。
行き場のない疑問が彼を苦しめていた。

自分たちは、ほんとうに愛し合っていたのか。
あのひとにとっては自分は何であったのか。

結局、なにもかも自分が悪かったのではないか。

いったい、人間の一生に生きる価値なんてあるのか?

How are you?

This entry was posted in Uncategorized. Bookmark the permalink.

10 Responses to ハウ・アー・ユー?

  1. niitarsan says:

    I’m OK.

    Liked by 1 person

  2. 李ヨシュマド says:

    How are you?
    元気かい?

    その言葉は、主にアフリカの友人や、
    顔見知りの中東料理店の人から聞きますね。

    彼らの暖かさは、言葉からも滲み出ていたのだなと、これを読んで思いましたわ。

    Like

  3. Koichi Oda says:

    I am doing ok, thank you for asking. How are you doing?

    Liked by 1 person

  4. N.yuyu says:

    To be honest, I’m too tired…still not to fall down.
    I’m thirsting for long vacation to enjoy starry sky, snowfield, autumn leaves, deep forest, blooms of cherry blossom and emerald ocean as far as the eye could see !! (& of course with full of vegetables, fruits and fishes in each season !)

    Liked by 1 person

  5. koshiro eguchi says:

     言葉には真実が宿り、確かな重みがあることを思い出させてくれる文章でした。ありがとうございます。
     「言われないことは存在しない」のが英語世界であるならば、「そもそもこの世はかりそめで存在しない」とするのが日本語世界かも知れません。浮世、洒脱、うつし身と、重いものを軽く、真実を希釈して流すことを風流としてきた。
     3年前、子供を幼稚園に入れて驚いたのは、他の園児のこと全員を「おともだち」と呼ぶ文化が浸透していたことでした。「あの子は?」「あれは、よく知らないおともだち」。友達という言葉は希釈され、いつか、この言葉に現実が侵食される時、日本人は友達という概念を失い、友達のいない人生を生きるのかも知れません。
     日本人が冷たいのは、いろいろなことを忘れてしまったからかも知れません。友達を、仲間を。その概念を。
     ”Remember, I always love you. ”
     私は、思い出しました。また、何度でも思い出します。ガメさん、ありがとう。

    Liked by 2 people

  6. 写真かっこいいね!

    挨拶代わりに「調子どう?」と言われると、毎回調子を考えて「今日は平常」「30%オフ」「眠い」と答えていて、相手に変な奴だなあという目で見られています 🙂

    Like

  7. mikanaho says:

    こんばんわ。
    いつも、今日を生きるのに大切なことを書いていてくれて、嬉しいです。
    ときどき思うのは、Jamesさん自身が、お友だち(違っていたらスイマセン)のことを書いていて、とても淋しかったり悲しかったりしないのかな、ということです。
    日本人はアホで、自分自身がとてもショックを受けたりとても深い悲しみに襲われたときに、分かち合うことをしません(私は見たことないです)。特に歳上の男性はそうです。
    そして、孤独になり、やけくそで死んで持っていってしまうか、別の形で病気になってしまうか、です。
    自分のそういった深い苦い気持ちを自分自身で汲み上げて組み立てて打ち明けてという、James さんたちが毎日スーパーのレジでやってるような挨拶から、こうしてブログを書くような、交換日記は全くできなくて、親しくなる文化(とでもいうのでしょうか…)の違いなのかな、と途方にくれます。
    それこそ、初対面なら、本当はとても親しくなりたいのに、「嫌われたくない」とか「同等に立ってやろう」とか余計なこと考えて緊張して「ハウ・アー・ユー」をおうむ返しで返してしまうような不器用さです。10年以上そばにいてもそんなです(経験上)。恥ずかしがりの上に、表情にも出しません。
    なので嫌われることも多く、小さい頃からなら尚更なのかもしれません。嫌になって、やらなくなってくる気がします。すると、細やかな感情は鈍るんだと思います。相手に期待して、自分が辛いから。
    Jamesさんがずっと懸命に話しかけてくれて、優しい気持ちや辛いことを思いだしたりしてると、文章は分かりにくかったり、短くなるのかもしれません。
    だから、Jamesさんたちのようにやり取りをする人達なら、とてもとても疲れると思います。
    むしろ、10年もありがとう。
    ちなみに、どんな仲のいい夫婦でも「愛してる」って毎日言わないです(昔は離婚もないから、大変だったそうです)。下手すると、「愛してる」なんて、子供にも一生言わない人もいるんじゃないかな?
    上野の服屋さんで、外国の若い人がダンスを踊った時に、そこにいた他の人は、シーンとしてしまいました。何も声も動作も返ってこないので、外国の若い人は、照れくさそうに出て行ってしまったあとで、囁くように、クスクス笑いが起きました。
    私は、シーンとしてる時に、一番最初に声を出すと周りの人達に驚かれます。親しさを表に素直に出せる、海外の人たちが羨ましいです。

    Like

  8. says:

    friendの意味、はじめて知りました。日本語と違って、連帯感があって尊いですね。
    今日、長年どうしてこの人はいつも落ち込んでいるのだろうと思ってる人の愚痴をしっかり聞くのではなく、好意を示したり幸せになろうねと声をかけるだけですぐに元気になることを知りました。ずっと、愚痴の中の問題を解決しようとしていたらどんどん暗くなっていったのに。ずっとそれを続けることがよくなるための一歩だと思っていたのに。
    ただ友達にあなたが好きだよ、幸せになろうと言うだけで、声音が変わる。
    日本語の弱点は誰かの落ち込む気持ちに引き摺られる点なのかもしれないと思いました。引き摺られると、外が見えなくなる。他の言語ならそんな弱点が生まれないのでしょうか。
    私は、友達というのがずっとわからなくて、ずっといないものだと思っていたのですが、つい最近、ずっと精神的な問題で助けてくれようとしていた人がいたことを知りました。私はその人がずっとよくわからなかったのですが、特殊な方法で愛情を長年示してもらっていて、それを認識してはじめて人と繋がれました。
    ここに書いても仕方ないのですが、friendの意味を長年知らなかったなという告白と、最近やっと人と話ができるようになったことを、書かせてください。
    もうコメントしないと書いたのに、執着してごめんなさい。
    私はきっとあなたが好きです。

    Liked by 1 person

  9. mikanaho says:

    >反対に距離を縮めて、噛みとってしまったに違いない、向かいのベンチに座っている爪のない女の人の指を眺めて、その女の人の不安、anxietyに満ちた子供時代を想像力で復元することもできる。

    >人間を顕微鏡の下におくなんて、30年も人間を生きていれば、誰にでも簡単にやれる能力であるとおもう。

    日本人は、これは苦手なんじゃないかなあ…と思います。30年以上生きていても。
    分解してみることをして、細分化して、真似るのはできるけれど、その人そのままの姿を想像するのって、感情を感じ取った上で安心する距離をおかないとできないので、自分が安全にできる(でいられる?)相手しかしなくなるんじゃないかしら…動物とか物とか安全な相手とかかなあ…。だから、世界は狭いままだし…。
     空手の動画で、子供自身の好奇心を応援する印象を持ったんです。日本だと、親がやらせてること多いから、親に誉められるから、とかで続けてしまうんじゃないかな? 自分が、好奇心があって、楽しいから、もっとうまくなりたいから続けてるんだ、じゃない気がします。
     変な話ですが、危険性があると、日本人は自分が大好きな傷ついてほしくないような親しい相手だと、正直に話をして一緒に乗り越えよう、じゃなくて、ウソっぱちで騙して近寄らないようにさせたり、怒鳴ってしまうような印象があります。
    本当に、なんだか疲れる、めんどくさい人たちだな…。

    Like

  10. mikanaho says:

    相手を虐めたり傷つけることって、自分も痛かったりするんですけど、日本人はいつか気がつく日が来るのかしら。

    Like

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out /  Change )

Google photo

You are commenting using your Google account. Log Out /  Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out /  Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out /  Change )

Connecting to %s