友達たちへの手紙

英語ではwalk in wardrobeという。
ドアを開けて、なかに歩いて入っていける、服や靴、装飾品が置いてある小部屋のことで、日本ではどうなのか、英語圏の国では別に贅沢というわけではなくて、普通に家にあるものです。

むかし軽い気持ちで付き合いはじめたばかりの女の人で「walk in wardrobeがある家に住むのが夢だ」と述べた人がいて、気持が昂ぶっていたのか、それともほんとうは、そのひとに恋をしていたのか、おもわずに涙ぐんでしまったのを隠すのがたいへんだったことがあった。

そのひととは、だいたいにおいて素性を隠して付き合っていた頃のことで、言いはしないまでも、なあんとなくビンボ人のせがれのような顔をして会っていたが、「それじゃ、頑張って働かなくてわ!」と危険な隠顕を帯びた冗談を口にするところまでも付き合ってはいけなかった。

ただ「walk in wardrobeがある家に住むのが夢だ」と聞いた瞬間の、おもいがけない、切ない気持だけをおぼえている。

胸を衝かれる、という言葉が日本語にはあるけれども、きっと、ああいう気持のことを言うのだろう。

少し豊かな家になるとwalk in wardrobeとman caveは対で、後者は言うまでもない、その家の夫であったり父親であったり、両方であったり、両方ともに失格であったりするひとが、中世のものだと言われて騙されて買ったスペインの甲冑や、江戸時代の名匠のものだと信じて大枚をはたいた、太平洋戦争中に軍刀として粗製濫造された日本刀、タミヤのラジコン・キングタイガー、壁一面の根付けに、秘密めかしたキャビネットに大量に隠匿された浮世絵の春画、
はては実銃の鍵がかかったキャビネットまで、「男」という社会文化上の病にかかった結果の、ガラクタが文字通りの洞窟部屋に所狭しと並んでいる。

自分の部屋のwalk in wardrobeを片付けていたら、緑色の、なつかしいステットスンの帽子が出てきた。

結婚する前にモニが「ガメみたいに帽子が似合う人間は珍しいな」と述べたので、すっかり有頂天になって、なかでもモニのお気に入りの、ツバが昔ふうに広い、骨董帽子店で買ったステットスンの帽子をよくかぶっていたので、自然、そのころのこのブログの記事にもよく出てきます。

https://gamayauber1001.wordpress.com/1970/01/01/haruno/

この帽子をかぶって、モニとふたりで、バルセロナの買ったばかりの、だだっぴろいテラスがある、遠くにサグラダ・ファミリアが見える安アパートを出発して、Gironaやフィゲレスに寄って、Avignon、ニースを通って、フィレンツェに出かけた旅行をおぼえている。

上に引いた「春の雪」という記事は、たしか階下にイギリス人と日本人のカップルがいたフィレンツェのアパートで書いたものでした。

若い、ということは、どんな人間にとっても表現するのが難しい時期で、薔薇色であったような気もすれば、深い霧に包まれて、疑心暗鬼、不安に苛まされていたようでもあって、人間の一生のなかでも最も正体不明の時期であるとおもう。

自分で言うと、なんだかヘンな人だが、連合王国という全く反省のない階級社会の、途方もなく恵まれた家に生まれついて、知能は大学でギニアピッグやサルの代わりに観察対象にされるくらい高く、容姿にも恵まれて、というのは、いいですか、心して聞くように、ハンサムで、他人の嫉妬に悩まされるくらいが嫌なことのすべてで、何不自由なく、したがって騙されやすく、やや下卑た日本語におちるが、脇が大甘で、見るに見かねるのか、いつもこれ以上は望めないほど善人ですぐれた才能をもつ友人達に囲まれて、ひょっとするとガメは世界で最もラッキーな人間なのではないか、と言われながら、本人は、得体のしれない、姿がみえない不安で、夜明けまで眠れずに、まんじりともしないでサンルームの窓際に腰掛けていることがあった。

社会と軋轢を起こさずに、社会に辟易せず、他人に嫌われずに、他人を嫌いにもならずに生きていくコツは、「距離をおくことだ」とアリストテレスの昔からたくさんの社会と個人の関係についての省察が好きな人間が述べている。

地上におりて、道路に出て、手が届きそうな距離で、他人に話しかけてはいけない。

3階の窓から通りを行き交う人々を眺め渡すように人間の社会を見ることこそ望ましけれ。

愚かな人間と関わって、自分まで愚かなことを述べるようになるのは、なんと愚劣であることか。

賢人というものは厄介なもので、いちいち言うことに頷かせられるので、なんとなく、どこかがヘンだと感じながら、頷いてしまう。

距離をおく。

なるほど。

距離をおいて他人を見るひとは、言われてみれば地面の6フィート下で眠るようになっても、なお、他の人の評判がいい。

あのひとは穏やかな、良い人だった。
ものがわかって、世界をいつもやさしい視線で眺めていた。

社会と距離をおいて付き合う方法を身に付けたひとびとは、死後に至っても、なお評判がよいのが普通です。

しかし、それが詐術であることを理解することでしかリアルな人間の一生は始まらない。
「だまし」なんだよ、あれ。
人間にとって、最も大事なことを欠いている。

距離をおいて社会を眺められるのは、人間に強い関心をもたず、冷淡でいられるからで、冷淡でいられるのは、人間としてのcommitmentにかけるからに他ならない。

誰にも嫌われない、みんなに好かれるいい人は、ほんとうは人間失格なのですよ。
人間が神のようにやさしい視線を獲得するためには、自分を神の同類とみなす思い上がりを必要とする。

多少でも日本人に関心がある人間ならば、日本人全体から文明を奪って滅ぼしつつある嘲笑と冷笑の文化が極端に加虐性が強い社会に耐えられなかった個々の日本人の非望の防衛機制であることを知っている。

あのいまでは世界に有名な口元をまげたせせら笑いのような、英語にはbastardというぴったりの単語がある、不快極まる日本人に特徴的な態度は、実は日本人である彼自身が日本という個人にとっては限度を超えて苛酷な、個人のinabilityへの絶え間ない糾弾を基調とする社会に深く傷付いて自分というものを見失って、耳をおおって絶叫している姿であることを知っている。

なぜ、もっときちんとやれないのか。
なぜ、努力を惜しむのか。
なぜ、口答えをするのか。
なぜ、もっと頑張らないのか。

なぜ、なぜ、なぜ。

自分自身が属する社会に散々に痛めつけられて、距離をおくことでしか生き延びられなかった人の精一杯のsurvivalなのであるとおもう。

あの冷笑を悲鳴である以外に解釈するのは難しい。

全体主義社会が短い繁栄のあとに必ず破滅するのは、つまりは、その個人にとって苛酷でありすぎる「全体」が個々の人間に深い治癒不能なダメージを与えてしまうからであることが日本という国を見ていると了解される。

社会の自然状態での成立に遡って考えればあたりまえだが、もともと社会は個人に奉仕して、あるいは取り返しがつかない失敗をした場合には救済するためにデザインされている。

デザインされるべきものである。

いまでも日本という文明を愛していると感じる。

日本には倫理という概念が知識として以外は存在しない。
ほんとうは社会が社会たりうるために最も肝腎であった倫理というものを、まるごと置いてけぼりにして近代を成立させてしまった。
あらかじめ最後には失敗が約束されていた社会であることを、ぼくはもう知っている。

倫理の欠落は、この日本という社会から成熟をも奪ってしまった。
おとながいない社会で、たとえば日本語のネット世界を、ちらと瞥見しただけでもわかる、おとなと呼べる観点をもった個人は皆無で、40歳の子供や60歳の子供がいるだけです。

では、いいとしこいて社会をあげて子供であることは、否定されるべきことなのか。

その社会のなかに生まれついて育つことを考えると地獄という誇張語が写実的にあてはまる。

でも、ほら、子供の残酷さとともに、子供の純粋さ、ということがあるでしょう?

日本人自身が知らない日本人のおおきな特徴として「友情の篤さ」ということがあるとおもう。

西洋の人間は日本人よりも打算が少ないとおもうが、比較をすること自体が無理で、単に打算のありかたが違うのでもあります。

西洋の人間なら、暗黙のうちに「そういうことまではやらないよね」と考えることを日本人は友情のためならやってのける。

そして、その友情のありかたは子供同士の交感の不思議な能力に、とても似ている。

倫理にちからを借りずに、友達のために自分の一生を投げ出すようなことをする。

ありかたは異なるが、見ず知らずの学生たちのために生命を投げ出した車夫たち

https://gamayauber1001.wordpress.com/2017/06/15/arickshawman/

のことをおもうと、あるいは日本に固有というわけではなくて東アジアに共通の感覚なのかも知れない。

でも、ここでは日本人だけのものだということにしておこう。

なぜかって?

ぼくが、まだ日本人であるきみを好きだからですよ。
唇に人差し指をあてて、内緒で、日本人だけの美質、ということにしておこう。

また、あおうね。

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8 Responses to 友達たちへの手紙

  1. mrnk6122 says:

    うん。また会おうね。

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  2. chutanchi says:

    ガメさん、今日もわたしはガメさんの言葉から力をもらって涙しています。

    先日から高齢者介護施設で働き始めました。働き始めて、ひとりひとりの方のここまでの歩みを、わたしと出会うまでの年月を、触れる手から 交わす言葉から または無言で目と目をあわせながら(あるいは伏せる視線からも)受け取れたらと思いながら接しています。(そしてそれはたくさん流れ込んできます。日々溢れるほどに)
    おかげでTwitterにいる時間は短くなり、夜のひとときに歌う時間だけは残しつつ過ごすようになりました。

    日本語しか話せないのにうまく言葉にできなくてもどかしいけれど、今までもそうしてきたようにこれからも、わたしなりに誠実に生きていきたいと思っています。

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  3. Tomotada Yamamoto says:

    冷笑系は傷つくのが怖い、リアルな自分と向き合うのが怖い、という心理の裏返しです。
    だからガメさんのこの説明は、まさにそうだ!と膝を打ちました。

    > おとながいない社会で、たとえば日本語のネット世界を、ちらと瞥見しただけでもわかる、おとなと呼べる観点をもった個人は皆無で、50歳の子供や60歳の子供がいるだけです。

    僕はこういう”わかったふり”をする偽善者どもが昔は大嫌いで、頭にくると相手の年齢関係なく容赦なく痛いところを突いて叩きのめし、お前に冷笑する資格なぞない、カッコつけてんじゃねえよこのチキン野郎が!とよく罵倒していました。

    積年の日本社会に対する不満というか、ウラミみたいなものを発散させていたのかもしれません。

    しかし怪我の治療が進み、10年前ぐらいに完全社会復帰して、ネットの世界から引退したときから、そういうことはしなくなりました。
    実生活でやることがどんどん増えていき、ネットをいつもチェックできなくなっていったからです。

    > ぼくはいまでも日本という国を愛している感じる。

    最近僕はこういう思いを持ってくれている日本人以外の人たちに対して、少しでも自分が何かできないか、と考えて行動しています。
    昔は日本人代表なんてまっぴらだ、俺は日本を出ていくんだ必ず、と思っていましたが、実際それが事故でほぼ不可能になってからは、日本人代表として日本を愛してくれる人をいかにして助けるか、という方向に自分の考えと行動を変えました。

    いまでもそれは続けています。
    特に、若い人たちに、日本のいいものを少しでも知ってもらおうといろいろやってます。

    > いい人は、ほんとうは人間失格なのですよ。

    痛いところを突いてきますね(汗)
    でも、本当にそうだと思います。結局トラブルを起こしたくないときにこういうフリをするだけで、本当は言いたいこと、やりたいことがある。
    しかしそれやっちゃうと喧嘩になったり非難されたりするのでやらずに逃げちゃうんですよね。

    Liked by 1 person

  4. uffnofff says:

    ありがとうぅぅ〜❗️です。

    見えてる?千里眼?
    私の悪態ついてるの見えた?聞こえた?
    って独り言ぶつぶつ言いながらながら読みました。

    トゲトゲをね、巻き散らかしながら走って来たと気づいた後悔で尻込みと閉じこもりの状態が続いてる。ちょっと長めだけど。

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  5. 大道寺玲子 says:

    ガメさん、はじめてコメント残します。
    日本語という妙な言葉と、その妙な言葉で話したり考えたりしている人々にガメささんが興味を持ったのは、ガメさんがとても優しくて孤独な人だったからなのかなぁと思いました。
    トロルのバカタレたちでさえ、ガメさんには泣き叫ぶ子供に見えているのですね。本当に優しいですねガメさんは。その優しさに応えるかわりに寄ってたかってガメさんやクーパーさんたちの神経を削る奴らを哀れんでやる気持には私はとてもなれません。

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  6. Root1830 says:

    すみません、なかなか言う機会がないので、ここで言わせてください。

    私は就活で鬱になってしまってから、今までなんとか順調に進んできたレールから外れてしまってどうしようもないという状態が数年続いていました。

    ガメさんのブログに出会ったのは本当に偶然です。
    精神科に通いつつ、親の無言の圧力や無職の言い訳のために公務員試験を受けたりしていた時でした。
    最初はグリホサートの記事だったかな。
    それから日本経済や社会についての記事など読んで、ほんとに自分はこのままで良いのかな?と考え始めました。
    新卒採用期間はとっくに過ぎちゃったし、資格なんて持ってないし、一日中部屋にいるから体力もないし。第一何もできない。
    何もかももうどうでもいいやと思ってたのに。たまたま見つけたあなたのブログが面白くてずーっとベッドの上で眺めていました。

    「シャーリーズ・セロンの場合」「BK」「セミコロン」
    他の記事にもすごく勇気づけられて、
    「でもね、それは君が悪いんじゃなくて、社会がおかしいんだよ」という言葉は自責してしまう自分を何度も救ってくれました。
    ありがとう。
    時々してくれるニュージーランドの話は、なんだか、読むとよかったーとほっとします。
    私が知らなかっただけで世の中にはこんなにいいところがあるんだなあ、よかったあと。

    それで、さて、自分はどうしようかなと思ったという話なのですが、何をするにも先立つものがないとね、ということで、起き上がって、バイト先を探して、田舎だから超低賃金だったけどリハビリも兼ねて働くことにしました。当時の、就活の後遺症で履歴書書くたびに涙ぐんだり吐きそうになってた自分には物凄い勇気だったと思います。
    でもやってみるとなんとかなって、そして最近、やっと心身の調子が整ってきて、低時給ながら貯めたお金もあるので、急ですがワーキングホリデーに来年から行ってみることにしました。年齢的にも金銭的にもギリですが。
    ほぼ毎日ベッドに張り付いていた時期からすると嘘みたいです。
    このブログに、ガメさんに会えていなかったら今の自分はいないだろうなと思います。
    本当にありがとう。
    是非また、会って下さい。

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  7. Makoto Takahashi says:

    ガメさんまた会いましょう!縁があれば必ず会えるはず。手紙大切にします。

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  8. んんん。胸がいっぱいになる。涙ぐむ。

    Liked by 1 person

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