ブルースを聴いてみるかい? 断章篇 (小田朋美さんに)

ピアノという器械は「神に近い器械でも複雑でありうる」ことを示した点で歴史的であるとおもう。

神に近付きうるものは、単純な勁い線で描かれている、という、それまでの世界の公理に反していた。

あれだけの複雑な機構をもった楽器はクラブサンのような通俗な音をだすのに相応しいが、鍵盤をたたいてみればわかる、あのダサいほど複雑で無理矢理な器械からは天国の音楽を奏でるのに相応しい音が出る。

ジャン・クリストフでなくたって、音というものへの感覚があれば弾いたりせずに、ひとつひとつ鍵盤をたたいていて、一日があっというまに経ってしまう。

現代詩の過半が「歌詞のある音楽」に移行して随分たつ。
シェークスピアやT. S. Eliotを読めば簡単に判る、不動産契約言語とフランス人たちが可笑しがる英語ですら、言語自体としてチューンやリズムを持っていて、言語の旋律に音楽の旋律を重ねることには定型に定型を鋳型する、途方もない無理がある。

だから、歌詞は普通、それだけでは詩をなしえない言語で書かれている。

もっともフランス語は例外で、どういう理由によるのか、あれだけカッチンカッチンの音の定型を持つ言語でありながら、旋律をつけると、ちゃんと音楽になってしまう。

Mon amour qui plonge dans ton regard bleu

あなたの青い瞳に飛び込むと、ぼくの唇も青くなってしまうのだ、なんて岡田隆彦みたい、は冗談だが。

Lana Del Reyは歌手であるよりも詩人であるとおもう。
冷笑しようとおもえば、こんなに簡単に冷笑しうる人もめずらしいのは、ラナさんが友達たちと書いた曲の音譜を見ただけでわかる。

ほんとに、これをライブコンサートの舞台でやるんですか?という類のステージで歌うには難しい曲です。

スペイン人たちのフラメンコの伝統と似ているというか、Lana Del Reyは世間の冷笑的な知性に挑戦している。

そして、わしは、あのひとは、いつも成功していると考えています。

Fine Chinaは、けっきょくリリースされない曲でした。

“Fine China”

I wore diamonds for the birth of your baby
For the birth of your son
On the same day my husband to be
Packed his things to run
Was bittersweet to say the least
One life begins one comes undone
I’ve always been a strong woman of faith
Strong like a tree but the unlucky one

I’m going down, now
With all of my

Fine china and fresh linen
All of my dresses with them tags still on them
Fine china and dull silver
My white horses and my ivory almonds
I guess they really got the best of us didn’t they?
They said that love was enough but it wasn’t
The earth shattered, the sky opened
The rain was fire but we were wooden

I wore diamonds for the day of our wedding
For our day in the sun
On the same day my mother to be said she wouldn’t come
It’s always been that way with me
No time for change no time for fun
It’s always been that way it seems
One love begins one comes undone

I’m going down, now
With all of my

Fine china and fresh linen
All of my dresses with them tags still on them
Fine china and dull silver
My white horses and my ivory almonds
I guess they really got the best of us didn’t they?
They said that love was enough but it wasn’t
The earth shattered, the sky opened
The rain was fire but we were wooden

All of my all of my fine china
All of my all of my fine china
All of my all of my fine china
Blue uh, blue

All of my all of my fine china
All of my all of my fine china
All of my all of my fine china
Blue uh, blue

Fine china and fresh linen
All of my dresses with them tags still on them
Fine china and dull silver
My white horses and my ivory almonds
I guess they really got the best of us didn’t they?
They said that love was enough but it wasn’t
The earth shattered, the sky opened
The rain was fire but we were wooden

Fine china, fine china, fine china
Fresh linen, fresh linen, fresh linen

ここで、
I wore diamonds for the birth of your baby
For the birth of your son
On the same day my husband to be
Packed his things to run

や、

I’ve always been a strong woman of faith
Strong like a tree but the unlucky one

が、(たとえばチューンが定型を与えていなくても)純然たる現代詩であることがわからないひとには、詩がわからないのだから、なにを言っても仕方がない。

ついでにいうと「詩がわからない」ひとというのは、自分の母語が理解できないと告白している人に等しい。

詩を読むために必要な観念の高みは、つまりは言語に堆積した歴史的な情緒/感情/潜在的な意味を理解するために必要な観念の高みで、ちいさいときから訓練すれば、よほど地がバカでなければ身につくはずのものだが、教育がなされないと、一生、母語が理解できない現実を「わたしは詩は苦手でして」と言いくるめようとする哀しい人間になる。

それは「教養」というものではないが、それしか呼び方が考えられなければ、それでもいい、人間が母語や外国語を理解するための足場のようなもので、「詩が読めない人間は言語が理解できないのだ」と古代ギリシャのむかしから言われる所以です。

バルバロイという単語をおもいだす。

歌詞がまったく詩でない、どころか、そのへんのおっさんの愚痴みたいな科白なのに、曲は詩であるという場合もありうる。

ブルースが典型で、わしが大好きなB.B. Kingの「The Thrill Is Gone」は判りやすい

You know you done me wrong baby
And you’ll be sorry someday

ちゅうような歌詞は、それだけ詩として書かれていれば、グレイブな顔をつくるか、あきらめてケーハクに笑ってみせる歌詞だとおもうが、

Soul Trainが大好きな人ならわかるかも、アフリカン・アメリカンの言語が指し示すものは、常に、白い人とは異なるのだ、というしかない。

ブルースの歌詞の魅力は、つまり、アフリカン・アメリカンたちの、日本語ではどういえばいいのか、切ないといえばいいの? 粗い表面に触れたひとの、奥から伝わってくる、やわらかいやさしい魂への驚きというか、わしの英語や日本語では、ぜんぜんうまく言えない、単純な線で描かれた絵のなかにあるのだとおもいます。

「音楽に国境はない」は嘘であるとおもう。

そんなことはない。
朋美さんの
Snow Blooming in Springtimeを聴いて、モニとわしは、文字通りぶっくらこきました。

ふたつの意味で、ぶっくらこいた。

1 その旋律の文句なしの美しさ

2 その美しい旋律が理論で出来ていること

坂本龍一みたい、というと怒るかもだけど、モニもわしも、なるほどなあ、と考えた。

音楽は、言うまでもなく数学の一種で、定石を持っている。

定石を組み合わせることによって、感情をリモコンもできる。

でも、朋美さんみたいにリモコンに勝手に遊ばせることも出来るのね。

理論にも魂が宿って悪いことはない。
わしのバックグラウンドである数学とおなじことです。

また、新しいことに気が付かせてくれてありがとう、というしかない。

エラソーなことを述べるのを許して欲しい。

音楽には国境があるんです。
言語のせいなのか、社会の影響なのか、
わしが尊敬する自分よりも若い先輩(ははは)遼さんならば、うまく説明出来るのかも知れないが、わしには、巧く説明出来る言葉がない。

むかしの記事くらいかな。

https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/04/28/itsuka/

遼さんや、不破さんも同族なのであるとおもう。

いつか、きっと会えます。
同族はDNAが呼び合うんだってさ (←テキトーなおもいつき)

楽しみにしている。
そのときには、ラフマニノフを弾いてみせるから、どことどこを飛ばしたか、述べて、大笑いするように。

わしは、けっこう手がおおきいんだけど、どういう手だったんだろう、あのひと。

This entry was posted in Uncategorized. Bookmark the permalink.

1 Response to ブルースを聴いてみるかい? 断章篇 (小田朋美さんに)

  1. atinysnowflake says:

    Lana Del ReyのFine Chinaがいちばん好きだった。そっとつまんだだけで割れてしまいそうな、真っ白で薄い磁器の人形のように壊れやすく儚くて、触れないのが歯がゆいような柔らかい痛みに満ちていた。

    Like

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out /  Change )

Google photo

You are commenting using your Google account. Log Out /  Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out /  Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out /  Change )

Connecting to %s