日本という精霊

ふり返ってみると、日本語が自分ではかなりうまく書けるようになったと考えて、どんどん文章を書いて、ますますいろいろなことについて書けるようになっていって、楽しくて、有頂天で、はてなの集団トロルに襲いかかられて、すっかりうんざりして、幻滅して日本を離れるまでの2年くらいが、いちばん楽しかった。

すべてのよいことには終わりがある。
日本との蜜月の終わりは、たしか2010年、だったのではないかとおもう。

英語世界にあきあきしていたぼくは、子供のときにパラダイスだと思い定めて、毎日毎日が楽しくてしかたがなかった日本にやってきて、まるで故郷に帰ってきたように感じていた。

わかってくると、日本にも日本の人自体にも、さまざまな問題があるのは、当然と言えば当然で、世界にあるいろんな国のひとつ、という印象になっていったが、一方では、夏に鐙摺の山の後ろに聳え立つ巨大な積乱雲や、新潟の鎮守の森、軽井沢の発地のホタル、セミの声でさえ、日本語的な受け止め方が出来るようになっていって、日本語という歴史的な意識が、風土とすれあってできる陰翳といえばいいのか、おなじものであっても日本語を媒介にすると異なってみえる様々なものの「見え方」に惹かれて、楽しめるようになっていった。

最盛期は、ではいくらなんでも言い方としてヘンだが、頭のなかではぴったりくるので臆せず使うと、最盛期は、赤地に「氷」と書かれた、かき氷のサインが風に揺れているのさえ、美しいと感じたりしたものだった。

日本には、どことなく「私的」なところがある。

光も、山も、流れ落ちる水でさえ、私(わたくし)の気持のありかたによって、見え方が異なるところがある。

セミの声を例にあげれば、日本語を媒介しなければ騒音にしかすぎないが、芭蕉の句を挙げるまでもない、むかしの映画に出てくる麦わら帽子の少年や、夏の陽射しのなかで、空を仰ぐ1945年・夏の広島の人たちの映像が、その騒音に情緒を吹きこんで、透明な意味をもつ「声」に変えてゆく。

何度も、しかも一回に数ヶ月という長さで滞在したので、次第に、風景を対象として眺める位置から、風景のなかに入って、溶け込む位置に変わって、日本をとばぐちに世界と和解しているような気持になっていった。

いつまでも、そうして「日本」のなかでたゆたっているわけにいかないのは判っていたが、もうすこし、もうすこし、という気持で、毎年のように日本を訪問したものだった。

「国」というものは不思議な制度で、イタリアから国境を越えてフランスに入ると、まったく異なる世界に変わる。
南仏にはいる国境には、ちょうど国境近くに、イタリア側にもフランス側にも日本でいうサービスエリアがあって、なにかの拍子に両方にはいったことがあったが、言語だけではなくて、人の様子がもう異なっていて、食べ物もパンもサンドイッチに挟まっているものも、つくりかたも異なっていて、その際立った対照をおもしろがったことがある。

スペインとフランスの国境は、ピレネーの側は、ちょうどフランスからイタリアに入るようにポーから出て、バスクのオンダビリアで、がらりと変わるが、地中海側は、案外となだらかな変わりかたで、こじつけて、カタルーニャという土地は、やはり強烈な独自の文化を持っているからだろうか、と考えてみたりする。

フランス側にも、フランコの内戦を逃れて移住した、たしか50万人を越えるカタロニア人が住んでいるからです。

国は、どの国も、びっくりするほどお互いに異なっている。

まして、本来ボスポラス海峡からガンジス川までが定義だったアジアの、そのまた東に広がる漠然と「中国の世界」と意識される東方アジアの、さらにその東に位置する極東アジアにある日本などは、室町くらいまでは、臓器や性器の位置まで異なると主張する人間がいたほどの別世界だったわけで、現代でも、それは本質的にかわらなくて、びっくりするほど異なっているどころか、まったく異質な世界で、だからこそ日本は魅力に富んだ国だった。

「都会は都会で、どこもおなじだ」と両親が述べていたことがあったが、ある程度は真実で、日本でもやはり田舎がいちばん楽しかった。

子供のときから日本のおおきな町ではもっとも気に入っていた奈良は中国をお手本につくったといっても、奈良は奈良で、日本でしかありえない町で、いまはどうなのか、むかしは柵もなにもなくて、国宝だという興福寺の五重塔の階の下に座って、夜更かしの鹿たちと一緒に、皓皓と輝く、いたずらっ気をだして岡田隆彦の表現を借りれば臨月のようなお月さま、満月を眺めてうっとりとしていられた。

鎮守の森が好きで、よく知られているように、南方熊楠の激しい反対運動にも関わらず、明治の政府は、鎮守の森を全国で破壊してしまったが、京都は政府の命令などどこ吹く風と受け流して、その京都に憧れをもっていた地方では、どこも内緒で鎮守の森をいかしておいた。

そのひとつの松之山に入る途中の鎮守の森は、むかしの日本の静寂をそのまま保存していて、名前もなにもない社に向かって、長い急峻な階段をのぼってゆくと、古代の神々がそのまま、そこに立って会合をもっているかのような杉の巨木が聳えている。

みあげると、まるで杉の木たちのほうでも、こちらを見下ろしているようで、日本には神がいないのではなくて、神がいらなかったのではないかとおもえてくる。

自然のなかに、すでに畏怖がはいりこんでいたからです。

日本は、ひとことでいえば霊の国で、霊的な大気が満ちていて、死者が必ず立ち寄って、そこから恐山に向かうという立山をみあげていると、なるほど日本は、こういう国なのだ、とわかってもいないのに、わかったような気持にさせられたものだった。

日本は信じがたいほど下卑たところと、これも信じがたいほど崇高な部分がないまぜになった国で、士農工商の士と商であるとか、日本の長い孤独な歴史であるとか、これまでにもさまざまな説明がなされてきたが、どの説明も肯綮にあたるものはない。

日本は、ただ、不思議で名付けようがなく、表現する言葉もないありかたで日本で、ただただ美しく、ただただ醜く、いままでも、これからも、日本でありつづけていくのでしょう。

いちどモニと寺泊を日没に通りかかったら、日本海の鈍色の海の、水平線に夕陽が沈むところで、その、日常とは到底おもわれない美しさに、びっくりしてしまったことがあった。

海で、水平線なのだから、世界の、西側に海がある、ほかの土地の、例えばカリフォルニアのカーメルから見える夕陽と同じ様子でありそうなものなのに、まるで、異なる惑星にやってきたようで、血が通って、言葉で世界を意識しているとでもいうような、その夕陽の、人間的な赤光(しゃっこう)に息をのんだ。

ときどき、日本は日本語であるよりも、そのほかのなにごとかによって日本なのではないかと疑うことがある。

きみが聴いたら、ふきだしてしまうような理由で、ここには書くわけにはいかない。

ほんとうは、いまは、すっかり、そう信じているのだけれども。

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9 Responses to 日本という精霊

  1. いまなか だいすけ says:

    初めての外国旅行でストラスブールのホテルに一人で泊まったことを思い出しました。体験した何もかもが日本と違いすぎて、大陸の東のはての、またその向こうにある日本は、この地球上にあるのか信じられなくなる感覚。
    私の場合、ホームシックだったかもしれないけれど、あれから19年経った今でも覚えてます。

    私的な日本かぁ。昨今の問題だらけの日本に生きてると、なんでこんな国に生まれてきたんだろう、と思うときもあるけれど、ガメさんの文章を母語で読むことができる私は幸せです。この記事、本当に良かった。

    Liked by 5 people

  2. Tomotada Yamamoto says:

    とても素敵な文章でした。
    日本という精霊、か。

    > ときどき、日本は日本語であるよりも、そのほかのなにごとかによって日本なのではないかと疑うことがある。

    そう、自分もよくそう思うんです。
    そして日本語って、借り物で魂が感じられないときがあって、僕には表面的な能面に見えるのです。
    スタートレックTNGで、テレパスであるトロイ中佐が宇宙ひもの影響でテレパスとしての能力を失って、人間の感情がわからなくて能面に見える、と叫ぶシーンと、日本語の表面しかわからなくていまもときどき苦しんでいる自分の感覚がダブるのです。

    でも、街中のふとした光景が、日本の枠になってるんじゃないかってときどき感じることがあるんです。
    やおよろずの神々、はそこに宿っているなと。
    魂といいますか、精霊といいますか。

    あと、僕も日本の光景で、気になったものを残しています。
    水曜日に群馬に出張に行ったとき、帰りに写した駅の写真を残していきます。
    > https://www.instagram.com/p/B5FdKxzlqHL/?utm_source=ig_web_copy_link

    アメリカ人のカラオケ仲間の女の人が、素敵な写真だと気に入ってくれました(^^)
    2か月前にカリフォルニアに行っちゃったので、長年住んでいた日本の風景を懐かしく思ってくれたみたいです。

    そうか、ここまでコメントを書いていて気づきました。
    日本って、言葉ありきの国じゃないんだ。
    言葉は借り物だからときどき下品になるんだ。
    日本人はフィーリングから言葉を紡いでいるので、魂がなければ言葉の質が変わるんだ。
    日本人はフィーリングで人とコミュニケーションしてるから、ガメさんは感じる人たちのためにテレパシーを送ってくださるのですね(汗)

    それからかき氷ののれんの話が出てきたのでちょっと付け加えると、最近4年ほどの日本では、かき氷がブームになってる気がします。
    事故の定期チェックで通っている病院の構内に面白い喫茶店があって、ときどき寄ってます。
    > https://www.instagram.com/p/BzW_tgYFlLN/?utm_source=ig_web_copy_link

    10年前に比べてどんどん新しいかき氷ができていて、チェックすると楽しいです。
    僕のイタリア人の友達も、あんなのただ水でしょ?おいしいなんてありえない、と最初疑問に思ってたらしいですが、両国の有名なかき氷屋さんが彼女の勤める会社の下の階にあったのを発見したので、今ではすっかりそこの常連さんになってしまいました。
    横綱ミルク、というのがお気に入りです(笑)
    > https://www.instagram.com/p/B1D2nivlUki/?utm_source=ig_web_copy_link

    何だかTwitterで使ってるハンドルネームと僕の本名がごっちゃになってしまってすみません(汗)
    MBDaKiddというのが僕のTwitter名です。

    Liked by 4 people

    • wooperlife says:

      「日本って、言葉ありきの国じゃないんだ。
      言葉は借り物だからときどき下品になるんだ。
      日本人はフィーリングから言葉を紡いでいるので、魂がなければ言葉の質が変わるんだ。」

      すごい!!
      名言!!

      そしてガメさん、いつもありがとう。
      私も森には神様だか何だかわからないけど、何かが宿っているように感じます。
      あと、古い建物や古い工芸品などにも。

      無名の古いちっこい神社の裏手のちっこい森に入ると、古代の時間に直接つながっているように感じることがあります。

      そういう場所が日本なのかな。
      冥界の入口みたいなところなのかな。

      そんなことも思った。

      Liked by 6 people

      • Tomotada Yamamoto says:

        wooperlifeさんありがとうございます。
        まあ、僕のこの思い付きは、ガメさんという触媒がいてくださったからこそ出てきたもので、日本語を使うひとたちの隠れたアイデアを引き出せるガメさんの感性は凄いなとも思うのです。

        あと、いまネットにいい影響を与えるといいますか、ネットの汚れを振り払ってくださる方々というのが何人か出てきている気がします。
        ガメさんもそうですけど、他にはたとえば、いまMLBに行ってるダルビッシュ有投手とか。

        twitterでガメさんがツイートしているイランの件で、Silence is not goldenという一言が重くてですね、僕は日本に住んでいて、いつこういうことが刷りこまれてしまったのだろうと哀しくなるんです。
        何かやろうとしても、僕は牙を抜かれてしまって、戦い方がわからない。

        これって僕だけじゃなくて、日本に住んでいるかなりの人たちがそうなんじゃないかって気がしています。

        だから、自分の意思をしっかり示す、というはじめの一歩を踏み出さないといけない、と最近は感じています。
        何もしないよりは、まずは自分のできることから少しでも、ですね。

        Liked by 1 person

  3. mrnk6122 says:

    景色が目に浮かぶようです。
    日本の美しいところを書いてくれてありがとう。

    ガメさんは確かに日本を、日本に住む人以上に
    綺麗なところも醜悪なところもつぶさに見ることになったのね。
    これ以上日本を知ろうとしてくれた人をわたしは他に知らない。
    本当にありがとう。

    故郷に帰ってきてつくづく思うのは、自然の景色はとても好きだけど
    人とそれを作る社会の有り様が本当に嫌だということです。
    故郷の人に知れたらきっと怒られるけどね。
    日常のふとした瞬間の景色の美しさに息をのんだ翌日に
    隣人の酷いゴシップや、テレビから流れてくる騒音
    テレビ漬けの身の回りの人が何気なく放つ心ない一言
    気味が悪いと言っていいほどのネットトロルの人もなげな態度に
    気持ちが荒むということを繰り返している。

    ガメさんをうんざりさせたものとは違うかもしれないけれど
    私はそんな風に日本に住んでいて感じているのよ。

    Liked by 6 people

  4. uffnofff says:

    とても静かな綺麗な風景をありがとう。

    この夏、部屋からふと見えた夕焼け空がとても美しかった。
    怖い程の美しさ、何をか誰にか「ごめんなさい」と
    口から出た。

    奈良、いいよ、好き。
    シャンとしてる、雰囲気も人も。
    人も場所もそれぞれがそのままにいる、そんな所だと思う。

    奈良に限らないのだけれど
    夏の、湿気た涼しい苔の生えてる陰、秋の分厚く積もった赤黄の落ち葉の道
    どこも一人か居ても二人の場面。
    私の場合はその風景の中で深く息を吸い込んでるのは私一人です。

    日本語って受け取る言葉だなぁと思った。
    そこここにいる神様から。
    空から地面から木から水から、もっともっと。
    発する言葉は神様にお願いの言葉か感謝の言葉かな。
    心から出る言葉が言葉のように感じてます。
    魂とおっしゃってら方もいらっしゃいますね。

    日本語は
    風景、心情を写す言葉でもあるのではないかな。
    歌とか句とか一語一語に短くつめこんで。

    取扱説明書の文章は苦手です。
    金属の歯車がカタカタと回る音が聞こえてきそうです。

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  5. mikagehime says:

    私 ガメさんと初めて話したのは
    座敷童の話だった。
    というのを、これ読んで
    思い出したわ。

    私は八百万の神様信じてて
    山の中とか綺麗な水にも
    神様が居る、と信じたいの。
    古い家にも居る。

    うちに居るのは、
    神様じゃなくてご先祖様かなーw
    見えない霊みたいなもの、
    割と感覚的に信じているというか、感じているよ、私は。
    それこそ 説明がつかないけれど。

    西洋の神様とは確実に違うもの。
    神様というより精霊。

    Liked by 5 people

  6. Lyn says:

    寺泊の夕日、わたしも大好きです。
    ガメさんも見たことがあると知って
    とても嬉しいです。

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  7. 阿原潤司 says:

    材木用に植林された杉林に神は宿らない、って言われると、そうだと思う。
    立山杉には宿ってる、と思える。
    🎶「これこれ杉の子 起きなさい」 お日さま にこにこ 声かけた 声かけた

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