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マクラーレン

家から散歩で歩いていける範囲、リミュエラの東側に、イギリスやニュージーランド、もっと広くいえばオーストラリアやアメリカの田舎にもよくあるタイプの小さな白塗りのガソリン・スタンドがある。 普段、自分たちが話す英語をカタカナにすれば「ペトロル・ステーション」だが、日本語では見かけたことがないことを考えると、petrol stationは英語だけの言葉で、日本では使わないのかも知れません。 むかし、(ニューヨーク州の)アップステートに住む友達を訪ねていって、その町が、クルマが左側でなくて右側を走っているだけのことで、あとはイギリスやニュージーランドの田舎の町とまったく変わらないので可笑しかったことがあったが、そういう、人口が、千人か二千人くらいの町によくあるガソリンスタンドと自動車修理ガレージが機能の建物が、そのままアップランドビレッジという、リミュエラにふたつある商店街の小さなほうの、そのまた隅っこに残って居る。 いまは空き店になっていて、そのうちには取り壊される運命だろうことが見てとれます。 リミュエラに住むブルース・マクラーレン一家の父親が経営していたガソリン・スタンドのあとで、マクラーレンが初めてクルマの下に潜り込んで顔をオイルで真っ黒にしたガレージ(らしきもの)も、ここにあった。 スポーツくらいしかやることがないニュージーランドに生まれて育ったマクラーレンは、生涯、右足よりも1インチ半ほど短かった左足に悩まされて、ほかのニュージーランド人の子供のように、ラグビーやクリケットに興じる、というわけにはいかなかった。 リミュエラは海に近くて、実際、マクラーレンの伝記フィルムをみると、里帰りするたびに、ミッションベイやオラケイの海で遊ぶ、この天才レーサーが写っているが、ヨットやボート、当時は大流行で、いまでもリミュエラの鹹水湖にはジャンプ台やピアがあってリミュエラの「ご当地スポーツ」の趣がある水上スキーは生涯苦手で、「水は危ない」と笑って述べている。 結局、この小柄な、障害に悩まされていた少年が選んだスポーツはカースポーツで、15歳のときには、ニュージーランドではいまでも盛んな草レースに出場して、いきなり優勝する。 このころ、1950年代初頭のニュージーランドのカーレースは、砂浜を直線コースに見立てて速度を競う、ちょっと呆気にとられるようなもので、それでも、娯楽の少ない国のことで、毎週日曜日には、おおぜいの人がつめかけていた。 ぼくがいま住んでいる家のすぐ近くに住んでいた、エベレストに初登頂したエドモンド・ヒラリーや、世界で初めての婦人参政権を長い激しい戦いのあとに勝ち取ったケイト・シェパード、ラザフォードのようなノーベル賞を受賞した物理学者もいるが、ニュージーランドを代表する名前といえば、ブルース・マクラーレンであり、John Brittenであり、「世界最速のインディアン」、いいとしこいて、オートバイの世界記録樹立に自分の手で改造した旧式な「インディアン」社のオートバイで挑んで183.58マイル/時(295.4km/h)の世界記録を樹立したBurt Munroであると感じる。 gravel road という単語はイギリス人やアメリカ人自身であっても、なかなか気が付かないがイギリス英語とアメリカ英語では意味がまったく異なるので、アメリカ人の伝記作者は読み過ごしてしまっているが、イギリス英語の国であるニュージーランドでは、砂利をいちめんに敷きつめた道路のことで、田舎道をクルマで旅行した人は判るとおもうが、60km/hを越えると、クルマがコントロールを失って、宙に浮いたようになって、飛んで行ってしまう。 オープンロードで、よくクルマが上下逆さま、デングリ返しになって、中国や日本からやってきた観光客の人がよく死ぬが、たいていは、このgravel roadについての知識を欠いているからです。 ニュージーランドでは、それなのに、砂浜レースのあとにつくられたレースコースがgravel roadでマクラーレン少年が勝ちまくっていったのは、この砂利道のコーナーを100km/h以上で駆け抜ける、なんだか尋常でないドライビング能力を発揮しなければならない難しいレースコースでのことだった。 マクラーレンの生涯の最もおおきな特徴は、よい友達や仲間に恵まれたことで、アルゼンチン、カナダ、アメリカ、イギリス、そして有名なル・マンがあるモナコと旅行するマクラーレン一座は、めんどくさがって月並みな表現をするなら家族のよう、もっと現実味のある表現ならば日本語の兄弟ではなく 英語でいうbrothersで、それもイデアのbrothersというか、人間が夢にみる最高の関係としてのbrothersに近いものだった。 レーシングカーの空力が勝敗のおおきな要素だった「ハイ・ウイング」の時代に超音速旅客機コンコルド設計チームにいたRobin Herdがチームに加わったこともあって、連戦連勝のプライベートチームという、カーレースの世界ではほとんど有り得ない事実をマクラーレンたちは積み上げてゆく。 いつか「日本の人は集団作業が下手だ」と書いたら「日本人は集団作業が得意なので知られる国民です。なにも知らないのですね」という人がいっぱい来てびっくりしたが、どう世界に知られていても、残念ながら下手は下手で、おなじことをみんなでやることが「集団作業」であるならともかく、ひとりひとり個性や得意なことが際立っているお互いにおおきく異なる個人がいないことが原因だとおもうが、日本の人が考える「集団」は集団作業の主体になりうる集団とは、少し意味が異なるようです。 日本の人は居職の職人さんが下を向いて丁寧な仕事をするような個人作業に向いているほうで、集団作業は苦手であると、いまでも考える。 カーレーシングのロックバンド一座のようなマクラーレンたちの若さと、どう言えばいいのだろう、源俊頼が定義する物狂いに取り憑かれたハッピーな面々は、ブルース・マクラーレンが32歳でグッドウッドサーキットでクルマのテスト中に事故死するまで、まるで、アップテンポなロックミュージックのように続いていく。 チーム自体は、ブルースの事故死の直後にやはり事故で焼けただれた両手をハンドルに「くくりつけて」レースを続けたテディ・メイヤーを中心にその後も勝ち続けて「マクラーレン」の伝説的な名前をいまに引き継いでいる。 マクラーレン、ブリッテン、ムンローと3人のニュージーランド人を並べて、誰でも気が付くことは、イギリス人がいう「長いワイヤーをニュージーランド人に与えてご覧よ、やつらは、それでなんでもつくっちまう。天地創造まで、やっちまうんだぜ」という言葉どおり、なんでもかんでも手作りで、ガレージにこもって、ビンボな人間たちが手製のマシンで世界の大企業マシンに挑戦して勝ったという事実で、それはそのままニュージーランド人の「なければつくればいい」という国民的な伝統を体現している。 ニュージーランド人は「ないものはつくればいいさ」のこの若い国の伝統に従って「世界最速のインディアン」を生みだし、伝説的なブリッテンV1000を世に送り出し、フェラーリを尻目に走り抜けるキィウィバッジのレースカーを出現させ、誰もが世界への反逆で邪悪なアイデアであると考えたサフラゲット、婦人参政権をこの世界に創造した。 ニュージーランドに住んでいると、この国が「新らしい国」であることを実感します。 歴史が浅い、ということよりも、例えばイギリスのような国とは「国」というものへの考えが異なる。 GDPが少なくても、便利がわるくても、人間の幸福ってのは、ほかのところにあるんでさ、という建国当初に、人間扱いされない故国を捨てて遙々荒れるので有名な大洋を越えてロンドンからやってきたワーキングクラスの若者の顔が見えるような社会です。 イギリスでは金融やITの企業で働いている人間のあいだでは「子供が出来たらニュージーランドへ行こう」と言う。 あの国は、子供を育てるには最高だぜ、収入は5分の1になるけどね、という。 ラザフォードは、どこの国でも育つが、マクラーレンはニュージーランドでしか生まれなかったような気がする。 アメリカと核を巡って対立して国ごと「干された」時代や、フランスと核実験をめぐって険悪な関係になって、ついにはオークランドで反核運動の船レインボーウォーリア号がフランスのスパイ達によって爆破されて沈没、死者が出たときでも、ホームローンの利子が24%を越えて、失業者の若者の「輸出」を奨励したらどうだと政治家達がヤケクソの冗談を述べた、どん底までいって国がなくなるのではないかとささやかれた不況のときでも、ニュージランド人たちは冗談を述べて笑って、もう少しで落っこってしまいそうになりながら世界の端っこで、縁に指先だけでぶらさがって必死に生き延びてきた。 口癖だったという「なんとかなるさ、メイト」というマクラーレンのニュージーランドアクセントの英語が聞こえてくるようです。 ニュージーランドは国であるのに、いつでも素手でこの世界に立っている。 ビンボな小国だが、どうやらこの頃は不思議な人気があるらしくて、このあいだインドコミュニティのFM局を聴いていたら、インドではニュージーランドが移民希望先国の1位だと述べていた。 … Continue reading

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自分の家に帰る

子供のときに受けた印象が良すぎたので、その後、日本語を通して日本の社会を見るようになって、「あれ?これは変だな、初め考えていたのと違うな」と気付き始めてから、かれこれ十数年経つのだから、ほんとうは気長というか、ずいぶんのんびりな疑惑の定着でもあるのだけど、いったん、どうもあんまり好きなタイプの国ではないようだ、と考えるようになると、今度はそうとしか考えられなくなって閉口する。 言語の習得は趣味のひとつだが、むかし心理学だかなんだかで習ったとおり、例えば物理学のようなものと違って、ちょことちょこと細切れの時間を積み上げて習得するのが最もよいので、これを書いている人間のように集中力の持続時間が40分以上続かないタイプの人間には向いている。 たとえば語彙を増やしてゆくのに、1秒しか見なくても、2分みつめても、記憶に根ざす度合いはおなじで、そんなヒマがあれば旁や偏の意味をおぼえたほうがいい。 したがって、ひとが考えるほど言語の習得に時間がかかっているわけではなくて、むしろ、習得した言語を自然なものに変えていくほうが労力はおおきい。 このブログでよく例に挙げる、過去の、ジョゼフ・コンラッドを初めとする20歳を過ぎてから外国語としての英語の習得を始めて英語作家や脚本家に育っていったひとたちの例を見ても、骨格をつくるよりも、表面を滑らかにして、なめしていくほうに遙かに時間がかかっている。 英語作家の世界では、2017年から2018年にかけてベストセラーになって、バラク・オバマを始め、各界の有名人に「読まれるべき本」に挙げられたミン・ジン・リーの「パチンコ」は、極東アジアに射した、日本という巨大な邪悪な国家の影の下で、必死に生きていった朝鮮のひとびとの3世代に渉るクロニクルだが、その英語の読みやすさは、地方語としての部分を持たない英語に対する姿勢から来ている。 あるいはKamila ShamisieやArundhati Royの小説の英語もそうで、 どちらかといえば、伝統的な英語とは異なるリズムや調子のものが主流になりつつある、といっていいとおもう。 日本の人に固有の発想として、「これはほんものの英語ではない。ほんものの英語国民ではないのではないか」 「それは正しい英語ではない。英語の構文に照らして、間違っている」というのがあるが、むかし、このブログでカルボナーラの話をしたときに述べたのとおなじことで、英語がもし「正しい英語」に固執する偏屈な言語であったら、いまのように、ほとんど誰でも母語のように話し、ヒンズー語のように、逆に英語側に言語的特徴が流入するような事態は生まれなかっただろ 英語人が「英語ではそういう言い方をしない」と考えることはある。 しかし、それは、「ああ、このひとは家庭内で英語を話して育ったわけはないんだな」というような軽い印象のことを述べているので、英語を母語とする人間のほうが正統であるかのようなことを言うのは、途轍もない時代遅れな偏見というか、つまりは差別が大好きな体質のおっちゃんやおばちゃんたちが、言語に舞台を移して、大好きな人種偏見を披露しているのに過ぎない。 ちょっと前に、アメリカ人で、英語を母語とする女の人の研究者について、何に腹を立てたのか、いつものグループ、と呼びたくなるひとびとが「こいつは英語人のふりをしているだけで、日本人だ。 その証拠に英語が母語の人間のものではなくて英作文にしかすぎない」と述べて、しかも珍しくもネット上で英語で当人に述べた人もいて、激怒させている光景があったが、それが実は関東大震災のあとに、街角の、辻つじに立って、「はひふへほ、と言ってみろ」と尋問して、うまく発音できないと、日本の本によれば袋だたき、日本の外で出た本には「在日朝鮮人たちは市井の日本人たちに虐殺されていった」と書いてある事件を引き起こした心性と、まったく同じものであることは、別に深く考えなくても、まともな知性があれば、すぐに了解できることだろう。 いちど、日本にいたときに、あるアフリカ系の作家を指して、「子供のときから英語で育ったといっても、やっぱりロアルド・ダールのようなもともと英語で生まれて育った作家とは英語の自然さが違うのですよね」と述べた女子大学の英文学研究者に会ったことがあって、 いつものことで、なるほどそうですね、と述べてやりすごしてしまったが、イギリス人ならば誰でも知っている、というようなよく知られた話ではないが、日本人的に厳密な意味ではロアルド・ダールは実は、英語母語人ではない。 ダールの両親は英語を話さないノルウェー人で、この英語表現の名手は、家庭内ではノルウェー語だけを話して育ったからで、文体にはノルウェー語の、ややつんのめるような文章の調子が、うまく使われている。 英語人にはダールの文体について「浅薄で、エキセントリックで嫌な心地がする」と感想を言う人も多いが、よくお話を聴いてみると、そのノルウェー語独特のカンタタンというリズムが嫌なものであるらしい。 ダールは、秘かに、英語とノルウェー語を頭のなかで調合して魔術師のように自分の表現を生み出していったのが目に浮かぶようです。 長々と、なにを述べているのかというと、習得した外国語は結局は自分の母語に良い影響を与えるのであって、日本語で書けば英語そのほかの影響があり、英語にもどれば、各国語の影響があって、言語と言語は化学反応を起こして、表現よりも考え方そのものが見たことのない燦めきを持つので、別に、日本に対してややげんなりな気持を持ったとしても、知的努力に吝嗇な自分の部分が嘆くほど、むだになっているとはおもえない、ということを言おうとしている。 知らない言語は、おもしろい。 文字種がアルファベットでなかったりすると、思わず知らず、わくわくする。 そのうえにアラビア語のように英語とは逆に右から左に書く言語に出会ったりすると、欣喜雀躍、これが判らないまま死んだら、さぞかし後悔するだろう、と考える。 習得、習得、というが、なにをもって「習得」とするかといえば、もともとは未知の言語が自分の思考に流入して母語の思惟に影響を与え始めた時点が習得なのだろう。 初めのうちは自分が母語で考えたことを他言語で表現しようとして区々とした表現に苦労するが、案外すぐに、大量の読書によって、なめし革をなめすように、自然な表現になっていくものであるとおもう。 自分では判らなくても、どうも、この日本語は古いらしいが、考えてみると「第三の新人」以降の作家は好きになれなくて読まないので、戦後現代詩人たちを別にすれば、なんだか明治時代より古い日本語ばかり読み耽っていたのだから、あたりまえといえばあたりまえなのである。 閑話休題。 数年間、ずいぶん数が増えた日本語人の友達たちに読んでもらって、みんなで議論したり、わいわいがやがやとツイッタで話すのを楽しみに書いてきて、実際にそれは自分が「よりよく世界を見る」ためにおおきく役に立ったが、日本語を通じて日本の社会に感じていたコミットメントの分は、暗部の「可視化」などと述べて、誰にでも判るように、どんなひとたちがどんなふうに日本語を蝕んで、真実性を殺して、その結果、日本語社会がいまの状態に立ち至ったか、相当に嫌な思いをしながら、なんとか視えるようにして、債務を果たした気がする。 日本語をはじめいくつかの言語を習得して最もよかったのは、長い間飽き飽きしていた英語が再び好きになったことで、母語を「好きになる」のはなんだか変だが、最も適切とおもわれる表現が「好きになる」なのだから、仕方がない。 これまでのように「他人に見せるため」でなくて、自分が自分自身の内なる日本語を保存するために文章を書くことに戻りたい。 なんだかエラソーに書いているが、英語で書く量が格段に増えて、内緒でいろいろに書いていた諸外国語にまで手がまわらなくなっている、という単純な理由もあります。 飽きっぽいので、今度は日本語にちょっと飽きてしまった、ということもあるのかもしれない。 我ながら、いつものごとくテキトーで、熱が冷め始める、数日で、日本語の世界がなんだか前世で経験したことのようにおもえてしまうのだから、呆れてしまう。 いったい、いつになったら、「自分は誰なのか?」というこの疑問に答えられる日が来るのだろう?

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