では、どうすればいいのだろう? 3

ひさしぶりに日本語twitter世界をのぞきに行ったら、ぶっくらこいてしまった。

なにしろ悪意と攻撃性がこれでもかこれでもかこれでもかあああーと渦巻いていて、それを上手に隠してまともな人間を装ったり、他人を中傷するアカウントを別に複数つくって、全身全霊をこめた秘術をつくしためちゃくちゃな中傷誹謗を繰り返しておいて、本人の実名アカウントは、素知らぬ顔で、背伸びした肩書きにあわせた正常人を装っている。

言語世界として醜悪を極めていて、あんまりびっくりしたので、これもひさしぶりに日本語でツイートを並べてみたが、糞便に交われば糞塗れになるという (←言いません)
なんだか折角身に付けた日本語の品位が低下して、神様のQCにひっかかって弾かれてしまいそうな気がしてきたので、英語フォーラムで少し遊んでもどって、さっさと消してしまった。

ついでなので述べると、日本語世界の現下の下品さは果てしがないというか、ツイートを消すと「ほら、都合が悪いから消した」という。
呪詛と悪罵が飛び交うタイムラインから立ち去ると「逃げた」という。

なんのことはない、いかに自分達の品性が下劣か告白しているだけのことで、絵を描いていて、ヘンテコな線をひいてしまえば、パンのかけらを手にとってゴシゴシ消します。

それすら見咎める言葉を書き連ねば気がすまなくなるくらい日本語は救いのない幼稚な攻撃性に満ちた醜い言語になりはてている。

日本語はself-depreciationで遊べない言語で、うっかり英語あたまで、そんなことをした日には、それみたことか、おまえはやっぱりバカだ、自分でも判ってるじゃないか、と嵩にかかって嘲笑する人が必ず現れる。

結果は、どうなるかというと、日本語版イソップ物語の、自分をおおきく見せようとして、空気を吸い込んで爆発してしまう蟇蛙そのまま、アルバイトなのに正社員を名乗るのとおなじことで、パートタイムの大学教師が大学教員のあるべき姿を教授たちに説教して、病院勤務の医師が医学研究者を名乗って、威張っていることで端的にわかるように自分をおおきくおおきく見せるコンピティションが存在して、傍でみていると滑稽なことこのうえないが、なに、本人たちは50代、60代という年齢になって、いいとしこいて、おおまじめに「詐欺でつかまらないんだから悪いわけはない」と言わんばかりの愚行を続けている。

日本の人には、良い評判がある。

「おもしろい人達だ」というのが最も多い良い感想で、
自分の人生の余白にマンガを描いてみたり、そのマンガを少しずつ形を変えて、退屈な授業のあいだじゅう描きつづけて、パラパラと動かしてみると、あな不思議、まるで生きているように、アドビのフラッシュは2020年にプレイヤーの配布を終了するそうだが、日本にはフラッシュよりも遙か前に、「大学ノート」という、考えてみれば哀切な感じがしなくもない名前の、アナログ・ソフトウエアが存在して、その大学ノートの余白から、リボンの騎士やトトロが生まれて来た。

食べ物にも、工夫された、一見はヘンテコだが、食べてみるととんでもなくおいしいものがたくさんあって、酢を混ぜた御飯をてのひらのなかで、ふんわり固めて、その上に切った魚片を載せる、というただそれだけに見える食べ物が、実はひどく難しい調理技術の積み重ねで出来ていることが判るようになってくると、なるほど文明の思想が異なるということは、ものごとを眺める視点がまるで異なることなのだと納得される。

鮨、むずかしいんだよ、あれ。
二年しか続かなかった「外国人向け鮨のつくりかた教室」というものがあって、参加して、トロが握れるようになって、すっかり有頂天で、
鮨の世界では有名な先生の職人さんに「ガメちゃんね、お願いだから、鮨を握るのをおれに教わったというのだけはやめてね」と耳元で囁かれた本人が言うのだから間違いはない。

日本の人には悪い評判もある。

平気で嘘をつく。
あまりにあっさりとためらいもなく嘘をつくので、うっかりすると、話の後先が判っているのに言っていることを信じてしまいそうになるくらい上手に嘘をつきます。
国民的な芸であるとおもう。

他人や他国を貶める目的であることが多いようで、「そういう人間はどの社会にもいる」というレベルではなくて、国民性と看做されていて、捕鯨問題や韓国・中国・東南アジア人を瞞してあるいは力ずくで掠ってきては生きたラブドールとして酷使した性奴隷問題、外交にまで及んでいて、もっとも、最近は「日本人の嘘」はすっかり有名になったので、首相が福島事故は「アンダーコントロール」だと見え透いた嘘を述べていても、誰も腹もたてなくて、未決箱既決箱と並んだ「日本のひとがいうこと箱」にあっさりいれられてしまったりしていて、逆に、日本の人は、自分達が嘘つきだとあんなに簡単に判定されて怒らないのは、やっぱり定評はほんとうだからなんだろう、と若い人に納得されたりしていた。

裃を来て、肩で風を切って歩くようなスタイルが好きで、なんだか世界中で出来損ないのナチSS将校みたいな振る舞いに及んでいる。

日系企業で働いた人は、ほとんど例外なく、退職したあとで、「日本人の豚野郎ぶり」について憤懣をぶちまける。

近所のおっちゃんなどは、20年間、日本人たちに立ち交じって生き延びるために本人がおもってもいない日本人や日本の美点について、心にないお世辞を述べて人格が崩壊したと述べていたが、面白がって、それって、自分が悪いんじゃないの?
というようなことを口にすると、頭からビールをぶちかけられそうなほど怒る。

「きみは日本人の陰険さを知らんのだ」という。

知りませんよ。
知らなくてよかった。

ほんとうは、ちょっとだけ日本と日本人のことを知っている。
日本語を勉強してみたからね、というようなことをいうと、ややこしいことになりそうなので、教えてあげないけど。

日本はどうなるだろう?
と、ときどき思う。

お友達たちが考えるように「心配している」わけではありません。
母国でもなんでもない国を「心配」するのは人間の気持ちとして難しい気がする。
心配、では誇張表現になりそうです。

言語を身に付けるということは、少なくとも上達してくれば、その言語の社会と関わりが出来るということで、英語にはcommitmentという適切な語彙が存在する。

関わりが生まれれば、最低限なにごとか述べなくてはならなくて、良い悪いではない、言語の習得はcommitmentを果たして初めて完結する。

自分で考えても言い訳にすぎないかもしれないが、この十年間で、言わなければならない、と思い定めたことは激しく反発されながらひとつずつ述べて、日本語を習得したことから来る恩恵(例:北村透谷の文章、鮎川信夫の詩)に対するお礼は述べたことになっている。

日本語ってね、おもしろいんだよ。
ボートでいうと、感情の風で帆走するヨットに似ている。
タッキングが最も高い技術を要するところまで、酷似している。
ちゃんと帆を操れば、おもった場所へ、例えば風が逆向きに吹いていてもいけるが、操帆がへたであると、風がつれていきたいほうへいきたいほうへとつれていかれて、最後は、とんでもないところへながされていってしまう。

日本語のすさまじい現在の惨状にも関わらず、やはり日本語を身に付けてよかったと思っています。

日本の社会そのものについては、さて、どうなるのか。
このブログの過去記事を遡るとアベノミクスは失敗に終わるだろうというアベノミクス開始時の記事に始まって、経済財政について、当時、投資家たちが当然の常識として共有していた日本の経済財政政策への認識がたくさん記されている。

競馬の予想屋みたいなおっちゃんやおばちゃんもたくさんいる「経済学者」とは異なってトンチンカンなことを考えればいきなり破産なので、あたりまえといえばあたりまえだが、当時の投資家たちがいかに日本の人とは反対の予測を立て、結果としては正しかったか、お下品にも安倍政権の何がやりたいのか不明な硬直した経済政策につけいって大金を稼いでいったかがいま読むとよくわかります。

ここで、いまさら、くどくど具体的な内容を述べてもしかたがないだろう。

もっとも日本の未来を支配しそうなのは、みなで話しあった「倫理の欠落」という現実で、富国強兵の明治時代以来、「役に立たない」という理由で故意に置き去りにされた社会的倫理概念を示す単語(例:integrity)の段階で、すでに日本が倫理を捨て去ったことの、最初期の段階でのデザインの歪みが、ここに来て、おおきく日本にダメージを与えている。

「お花畑」とは、自白的な言葉を、よく考えついたもので、理想を揶揄の対象にしか考えられないところまで落ちてきた社会としての幼稚さ/愚かさを、どの時点で直視して、焦眉の解決すべき問題として取り組むか、あるいは取り組めないでおわるのか、まず緊喫の問題はそれで、安倍首相と政権をいくら非難しても、なにも変わらないのは、論理のうえから述べて、保証されている。
結果としては、ただの政治ごっこの空騒ぎで終わるでしょう。
通常、政治色の空騒ぎが終わると、そのあとは以前の状態よりも、またいちだん酷い状態が現出する。

香港人や光州人が生命を賭して戦った「自由」という言葉では不十分な人間性の核をなすなにごとかを回復するための戦いとは、表層にとどまっている点で、まったく質的に異なっている。

見ていると、こういうことにもちゃんと商売と売名(は、ちょっと言葉がきついか)に長けた人がいて、2019年版の糸井重里というか、マーケティングの勘が冴えて、若い女のひとのアバターをイメージの焦点につかったりして、どんどん稼いでいる人もいて、特に嫌な気持ちでなくて、こういう人の「マーケット勘」というものは鮮やかなものだ、と感心する。
同時に、ひとつの社会の本質というものがいかに変わりがたいかを考えさせる。

もう日本には、昨晩の体験でSNSもこりごりだし、関わる方法がこの自閉的なブログ記事を自分と友達たちに向かって書く以外になくなってしまったが、高みの見物ではなくて、低みの見物、低いところにおりて、ときどきノートに目撃したことを書き留める人のようにして、ローアングルで記録していくのがよさそうな気がします。

あ。結論、書くの忘れてる。なははは。

社会の健康のためには前回に述べたように日本語を公の場で使うことをやめてしまうのが最もよいが、それが事情によって出来なければ、感情から生まれた恣意に引きずられることを極力避けた日本語を使うことを習慣とするのが良い。

二葉亭四迷に帰れば、というか、写実日本語に作り直してゆくのが良いのではなかろーか。

「敵認定」だの「カルト」だの「信者」だのと他言語人なら小学生でもみっともないと考えて使わないような、自分の便器から取り出した糞便を他人に投げつける猿なみの表現を、いいとしこいたおとなが使っているのでは、どうしようもない。
言語の真実性など保ちようがない。

観念の高みや言語の品位などは言うに及ばず。

憶測や印象は自分が正しいと考えた方法で実証してみせた「事実」とは異なるという、事物を認識するときの初歩の心得がないから自分が見たことがない人間は「母語でない言語でこんなに上手な表現が出来るわけがない」と鄙びた人生から生まれた類推で、無知をまるだしにして恥ずかしいような狭い了見を若い人たちの目の前でおおっぴらにぶらぶらさせて陳列に及ぶ。

言葉は意識して務めなければ、どんどん現実から乖離して話者の集団を狂気に導くのだという人類の単純な歴史も知らないのでは、しかも外界から遮断されたマイナー言語社会であることを考えれば、正気を保ちうると考える方がどうかしている。

言語の扱いをぞんざいにした社会は必ず言語に復讐されるが、日本語社会は、いま、その日本語からの復讐のまっただなかにいるようにみえます。

社会ごとズタズタにされて瘴気に満ちた「言論」のなかで、酸素不足になってのたうちまわっている。

言葉をおぼえた瞬間から人間が償えない罪を背負ったことひとつを見ても判る。
言語は、ほおっておけばたちまちのうちに腐り始める自分の肉体なんです。

きみが見ている世界は日本語そのものでしょう?
日本語で英語人が見ている世界を見ることが出来ないのは翻訳文化について述べたときに説明したとおもう。

日本という、風変わりな別世界を大切にしたいと思っている人間は世界中にいまでもたくさんいて、
ぼくもそのひとりです。

その世界を大切にして欲しい。

言葉を大事にしない社会には、この地上から退場を迫られる結末しかないことを、もっと真剣に考えて欲しいと願ってます。

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4 Responses to では、どうすればいいのだろう? 3

  1. Makoto Takahashi says:

    日本語世界におけるヤフコメやSNSでの表現は目に余るものが多く、会社の中でも酷い表現が跋扈している有様、、、。もう嘆いていてもしょうがないですが、最後の三行は忘れずにしたい。

    Like

  2. NIKITA says:

    言葉に自信がないというか、何事か述べるのにどうしても力不足なのであまりコメントしないが、こういう自分の態度も「日本語世界にすっかりおかされた脳ミソ」だなあというのが大雑把な実感である。

    自分はTwitterなどに大いに親しむようになったのがほとんど英語でだけSNSで遊んでいた2年間を経て以降で、体調を大きく損ねて外語(「外」かー……)をメインにすることの負担に耐えられなくなって仕方なく「帰国」したが、いまだに日本語世界の様々なしきたりとか風習とか思考とか、ほとんどあらゆる要素に慣れることができない。

    これは好き嫌い以前ではないか。要するに「負担が大きい」ような気がしている。
    自分は障害があって、支援を受けて生活しているが、こういう事情があると凄まじく生きていくのが困難だ。なくてもだろうが、とにかく負担が大きいのだ。心身がすり減る。

    ガメなど、外国の人には違和感がある表現なのは知っているが、日本では「奴隷」になれない人間は人間ではない。
    ガメが言っていた「兵隊さん」で言えば、懲役の健康診断みたいので不合格なわけ。恥だとされるわ、村八分だわ、「こいつには何してもいい」とか本気で思われるわ。

    日本人には、言葉が通じない。
    会話しない、対話しない。
    話を聞かない。大きく訳のわからない曲解をしまくって、ちゃんと考えない。訂正すると怒ったりして「自分の非を認めない」。恥をかかされたとか言う。すぐに相手に説教を始める(なんでよく知らない人にちょっと聞いただけで何事か教えられると思うのか、なかなか病んだ習慣である)。

    お前は自分勝手だと言う。そう言って「公衆の面前で恥を覚えさせる」などしてあらゆる手段で相手を壊して支配にかかるのが、自分には耐えられない。自分勝手でなにが悪いのか、私を論破してみろと思う。どうせ議論にもなるまいが。相手の話を聞かないし悪意だし、議論を喧嘩と間違えているしね。

    先日教皇が来日して下さった。世界一人に冷たい日本人に、大事な説教をして下さった……のに、Twitterではバカバカしいデマツイートがあった程度だった。

    なんだか、まとめる前に、涙が止まらなくなってしまった。でも記事に触発されて思ったことだし、送信しておきます。

    Liked by 5 people

  3. mikagehime says:

    なんかもう、返す言葉がないのだよねぇ。昨日のtweetもだいたい追ってたけど、返信もいいねも出来なかったので、そうすると まるで見ても居ないかの様だな、と思ったんだけど、何というか不甲斐ない事に
    何の意思表示も出来なかった。

    このblogに関しても、述べる感想を持てずにいる。日本語社会そのものを見ているだけの人間として、本当にどうしたらいいのだろうと途方に暮れるばかりで、自分一人が、もしくは自分の半径5m以内の人に 善意の言葉を紡いでいく事を勧めるしか
    やり方がわからない。

    もっと英語が出来る様になりたいけど、努力が足らない。困った😅💦

    Liked by 5 people

  4. Tomotada Yamamoto says:

    ガメさん、ちょっと仕事が忙しくてですね、投稿後に読んだきり感想を書ける時間がありませんでした。
    Twitterに、絶対消しちゃダメですよ、ムリにとは言いませんけど、とお願いしたっきりでした。
    せっかく非常に大事なことを書いてくださってるのにすみません(汗)

    > ついでなので述べると、日本語世界の現下の下品さは果てしがないというか、ツイートを消すと「ほら、都合が悪いから消した」という。
    > 呪詛と悪罵が飛び交うタイムラインから立ち去ると「逃げた」という。
    >
    > なんのことはない、いかに自分達の品性が下劣か告白しているだけのことで、絵を描いていて、ヘンテコな線をひいてしまえば、パンのかけらを手にとってゴシゴシ消します。
    >
    > それすら見咎める言葉を書き連ねば気がすまなくなるくらい日本語は救いのない幼稚な攻撃性に満ちた醜い言語になりはてている。

    本当にね、精神的に子供な仕儀だと思うのです、これらは。
    お前ら馬鹿か、ウザ、相手すんのめんどくせー、と言って立ち去ると、逃げた逃げたと勝ち誇る。
    こういうことを僕らの年代以上のオジサンたちがやるようになったですね。

    日本のネットはそういうオジサンたちの墓標になっちゃったんですよ。
    2008年あたりに。

    ウンコの投げ合い、というのは正にそのとおりで、オジサンたちがみんなウンコ製造職人になっちゃったからウンコパラダイスの独特な世界を造ってしまったのです。
    僕が、

    > 裃を来て、肩で風を切って歩くようなスタイルが好きで、なんだか世界中で出来損ないのナチSS将校みたいな振る舞いに及んでいる。
    >
    > 日系企業で働いた人は、ほとんど例外なく、退職したあとで、「日本人の豚野郎ぶり」について憤懣をぶちまける。

    こういう現実はウンコだと思ってネットで意見交換していた時代(1990年代後半から2002年あたりまで)は本当に楽しかったですが、ウンコ製造職人のオジサンたちが大量にネットに入ってきてからすっかりおかしくなってしまいました。

    ウンコ製造職人のオジサンたちが流入する前のネットって、新しい日本語がどんどん出てきて、面白い世界だったんですよ。
    個人は個人でお互いを尊重するような暗黙のルールがありまして、ウンコな現実を忘れることができた。

    と、ここまで説明させていただいてて、ふと疑問が。
    ウンコって何だろう、と。

    僕が思うに、ウンコって、”老い”なんじゃないかと。
    ウンコ製造職人のオジサンたちが精神的に幼稚なのって、老化すると幼児に還るというやつなんじゃないでしょうか。

    例えば少しでも何かをよくしようとか、新しい何かを創ろうとするときって、エネルギーが要るじゃないですか。
    でも、言葉のウンコ投げつけられたら萎えちゃって、やる気なくしますよね。

    ウンコって老廃物だから、正に老いを加速させる毒が詰まっているのですよ。
    それを生産するだけしか能がない、というのは最早、酷な言い方をすれば、社会のパーツ交換の対象ですよ。
    でも、誰もそれをやることができないわけだから、日本はどんどん沈んでいくのですよね。

    > 香港人や光州人が生命を賭して戦った「自由」という言葉では不十分な人間性の核をなすなにごとかを回復するための戦いとは、表層にとどまっている点で、まったく質的に異なっている。

    本当にそのとおりだと思います。
    でも、ウンコを浄化して、言い方は悪いけど不良品をパーツ交換していくのって、結局名もない人たちが自分のできることをやって、手を取り合って、少しでもいい未来を造ろうよとお互い協力し合うことで成し遂げていくしかないように思います。
    僕は日本人の出来損ないだけど、出来損ないだからこそできることがあるので、周りのひとたちが少しでも頑張れるように何かを働きかけて行ければなあ、と思っています。

    > 日本という、風変わりな別世界を大切にしたいと思っている人間は世界中にいまでもたくさんいて、ぼくもそのひとりです。

    僕の周りにもガメさんのような人が多いですよ。
    彼らはいざとなったらヨーロッパなりアメリカなりに帰っちゃえばいいんだろうけど、でも、この風変わりな世界が好きで日本に来てくれているのだから、彼らをがっかりさせないようにしないといけないし、必要だったら守ってあげなきゃ、と僕はいつも思っています。

    長々と失礼しました(汗)

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