いつもの朝に

怒りんぼベーカリー、という。

主人らしい女の人が、いつも不機嫌な顔で、およそ朝のベーカリー向きでない厳しい態度を保持しているからで、特に店の名前がGrumpy Bakeryというわけではありません。

キューバン・サンドイッチが滅法うまいので、ときどき買って、店でトーストしてもらって、浜辺で食べます。
コーヒーは、このあたりにはおいしいコーヒーを淹れてくれる店がないので、自分たちで淹れていく。

セントヘリオスのようなおおきな有名なビーチにいくこともあるが、まるで神様が宝石を隠しておいたような、内緒の、小さな美しい砂浜に行くことがおおい。

モニさんは小さなひとびとと貝殻を拾いながら波打ち際を歩いている。

モニさんの夫は、なんだか難しげな顔をしてソーラーパネルとコントローラーの数値をにらんでいます。

(PV って、なんだっけ? なんでoffなんだ?)

時々は、にらんでいるうちに寝ちゃったりしていて、庭で転がっているあんまり賢くない仔犬とあんまり変わらないが、今日は、ちゃんと目を開けて数字を見ている。

12ボルトでパネル一枚の一時間発電量が1Ahだから、240ボルトだとして、えーと、と数学をベンキョーしたはずなのに相変わらず数字に弱い頭を軋ませながら回転させている。

ウィーンウィーン、ガリガリガリ、ギギ。

そこに中央アジア人ふうの顔をした数人のひとびとが、影のように、滑るようにあらわれて、小さな浜辺の、そのまた隅っこの、小さな木陰に、ちいさなちいさなピクニックマットを敷いて紅茶とパンを並べている。

一瞬、モニもわしもいないような素振りで、小さな砂浜での朝食というチョーいいグッドアイデアを始めかかるが、気が変わって、こっちを見ています。

目と目があう。

わしは、ほぼ自動的にニカッと笑う。
向こうの数人の首領であるらしい若者もニカッと笑い返している。

改めてみると、家族連れで、男の若者がひとり、作法どおりヒジャブをかぶった若い女の人がふたり、母親然としたひとがいて、合計4人。

天気の話をする。

このパン食べませんか?

いや、わしたちは、さっきベーカリーででっかいサンドイッチを買って食べたからいりません。

パンミュアの町にあるイラン/トルコ・ベーカリーを知っていますか?
このパン、そこで買ったパンで、とてもおいしいんだけど、一家4人には少しおおい。

ああ。
最近、支店をすぐそばに開いた店でしょう?
パンに関してはマヌケな白いひとびとも、あのベーカリーは知っていて
あそこには、よくパンを買いに行きます。

おいしいよね。
特に、トルコ風に舟の形をした、みっちりしたやつ。

ひととおり、所定の手続きの会話が終わると、

アフガニスタンから来ました、という。

難民の人です。

アフガニスタンの食べ物の話をする。
アフガニスタンの気候の話をする。

アフガニスタンの歴史の話を、ちょっとだけする。
アフガニスタンの言葉の話をする。

イギリスの話をする。
案外、長々とウエールズの話をする。

通りに人が歩いていないクライストチャーチの話になる。
オークランドでも人がいなくて寂しい。
どうして、この国には人間というものが少ないのだろう。

さあ、人間にとっては人間が天敵だからではないかしら。

東京がいままで見た町でいちばん人が多い。
人間の洪水!

慣れないと、ちょっと怖い。

ええ、わしは日本にいたことがあるんです。

(日本といえば)
中村哲という人を知っていますか?
アフガニスタンで死んで、大統領が棺を担いでいましたね、
と述べてみたが、4人とも知らなかった。
話の終わりで家族の首領格であるらしい男の若者が、そういえば聴いたことがあるような気もする、と考えながら述べていた。

灌漑をした人だったかな?

そう、その人ですね、多分。

「目立たないこと」に熟練した、その一家の物腰や、ステルスな佇まいのことを、ユーウツな気持で考える。

わしは何を言うべきで、何を言うべきでないか。
わしは、どんな表情をしているべきなのか。

理由ですか?

だって、

わしには、いったい、なにごとかを述べる権利があるのか?

榴弾が半分を吹き飛ばした黒板と爆弾で壁が崩れた教室で勉強したこともなく、広大な溺死の海を決死でただサイズがおおきいだけのゴムボートで渡ったこともない人間を、現代の世界で、自分を人類とみなすことは果たして可能なのか。

若いアフガニスタン人は、わしのドローンに目を止めて、それ、ドローンですか?と訊く。

ええ、そうですよ。

若い一家の首領は、かねて興味があったらしく、いくらなのか、カメラの解像度はどのくらいか、gimbalはどのくらい有効か、たてつづけに訊く。

憶えてる限りの数字を答えます。
価格を、クリスマスセールならなんとかしてくれそうな、精一杯の低い数字で述べると、ひどくがっかりした顔をしていた。

飛ばしてみますか?
だいじょうぶ、初めてでも、壊しやしないさ。

しばらく、飛ばしたい誘惑と戦っているのが見てとれたが、結局は「いえ、やめておきます」と述べて、もうすぐ、母親の学校が始まるから、と述べてたちあがる。

不思議なくらい目立たない例の立ち居振る舞いで、さっさと片付けて、起ち上がると、すっと立ち去って、… とおもったら、母親が急に歩いて戻ってきて、モニとわしにでっかいハグをしていった。

ぎゅっ。

そのおもいがけないくらい強い力で、力いっぱい抱きしめられた感覚が正午をすぎても残って居ました。

世界は美しい場所で、楽しい場所である、とわしは何度も書いた。
わしは、その意見を変えようとはおもわない。

もしここが美しい場所でないならば、生まれたばかりの赤ん坊を飢饉で失った母親はなにを目指して海を渡ればいいのか。

もし、世界が楽しい場所でないのならば、アメリカ軍の機銃掃射で妹と父親を殺されたアフタニスタンの若い「一家の首領」は、どんな光を頼りに家族を率いて南の海の果てをめざせばいいのだろう。

このデタラメな世界を「美しい」などという人間は愚か者であるという人には言わせておけばいい。

きみの言葉は、この世界が存在することを当然と考えていすぎるとおもう。

この世界が存在することが信じられないひとびとにきみは会ったことがありますか?

爆発と血を流すひとびと以外を絵に描くことを知らない子供たちにきみは向き合ったことがあるか。

きみの知性なんて、どうでもいい。
この世界には希望が必要なんです。

わしはすべての悲観を拒絶する。

もうこの世界には、ほんの少ししか希望が残ってはいないのだから。

(画像はドローンで撮った、わし出没地域。まんなか、ちょっと左がセントヘリオスビーチでおます)

This entry was posted in Uncategorized. Bookmark the permalink.

12 Responses to いつもの朝に

  1. koshiro eguchi says:

     希望。
     この日本でも、希望の手触りはどんどん遠く、冷たくなっている気がします。
     今日はよく晴れた日で、でも北風が刺すようで、ネックウォーマーと手袋をはめて、幼稚園まで一番下の子を迎えに行きました。歩きながら荒れたSNSを見て、見なければよかったとそっと閉じたりして。子どもが自分を見つけて駆け寄ってきて、さまざまの文章にならない、でも嘘のない言葉を話してくるのをじっと聞いて。おやつを食べさせている間に、1年間よごしっぱなしの窓ガラスを拭いて。斜めにさす光。年の瀬。
     この先、幾つもの年が巡ったそのあとに、この子たちに希望は残されているのだろうか。こんな穏やかな冬の日を、大人になっても過ごすことができるだろうか。
     SNSから、悪意が溢れてきている。いや、それはもともとあって、私にも見える様になってきただけなのでしょう。薄氷の上の、穏やかな日々。その氷の下を見ないようにして過ごせば、いつかはそこに沈んでいく。香港も、アフガニスタンも、シリアも。今この瞬間に起きていることなのに。
     この国もこの先、どこかの国の傭兵となったり、どこかの国の占領地となったり、もしかして焼け野原となったりするのかも知れません。誰かを包み込む手になる前に、私の手も血に塗れるのかも知れません。
     この記事の最初の写真、美しい空と街と海岸線。そして、ハグする母親の持つ心の美しさ。吸い込まれるようでした。私も、子どもたちに希望を手渡す人になりたい。日本にも、世界にも、希望の場所を残しておきたい。希望は、言葉にしないと、形にしないと、簡単に消えてしまうものだと思うから。だから、この美しさを見せてくれたガメさんに、今日も感謝します。

    Liked by 3 people

  2. mikagehime says:

    いつも、今日も、いつにも増して
    泣きそうな 美しい話。

    でも今日のは 冬の空みたいな、
    晴れてるけど暖かくはない、
    けれのも 光射す感じでした。
    伝わるかな。
    温度が低い、乾いた晴れ。

    私も戦争を知らないし
    家族を爆撃で亡くした事も
    家を失った事もない。
    身近にそんな話を聞いたこともない
    でも残念ながら、いつでも可能性がある未来になってしまった。

    希望と光と温もりを形にして 半径5mの人たちに手渡していかないと。
    ガメさんの文章はいつも、
    そうやって私を支えてくれる。

    今朝ね、貴方のお陰で私は勇気を
    出せたんだよ。
    https://ameblo.jp/girlylife-mikage/entry-12556218744.html
    だいさんきゅ。ね😊

    Liked by 2 people

    • たろう says:

      >彼と逢う前の私なら、気になりながらも通り過ぎてたと思う。
      この感じ分かります。
      僕はあの人に出会わなかったら、知らぬ間にゆでガエルになってたであろう人なのに、
      出会ったばっかりに、熱くて熱くて。

      Like

  3. クロ says:

    ガメさんこんばんは。記事書いてくれてとても嬉しいです。自然災害があったりして、いつも記事を読むだけなのだけれど心配したりしていました。クリスマスの季節にまた日本語の世界に来てくれてありがとう。あなたの文章が大好きですよ。

    良いクリスマスを過ごして下さい。また日本語に遊びに来てください。待ってます。

    Liked by 5 people

  4. euca says:

    ガメさん🙂
    ニュージーランドの浜辺であざらしさんみたいにころころしたい 寝転がって星を見ていたい と何回目だろう 思いました。

    アフガニスタンで痩せた人たちが懸命に水路を掘る様子 こどもの笑顔 中村さんの眼 チェルノブイリで穴を掘った人たち ラグビー選手の優しい眼 鼻をつける挨拶 慟哭していた私を大丈夫と言って強く抱きしめる母 ごめんねーと言って軽くハグしたら照れて笑いの止まらない友達 花を渡す尊敬する人 次々と連想されて 愛と善を全部覚えている。

    暴力が意志によって減っているのなら希望であるし 花を渡して笑いかけたい

    ねむくてまとまらない おやすみなさい…🐈

    Liked by 4 people

  5. ghiden says:

    EllerslieにあるPastrami & Ryeのキューバン・サンドイッチもなかなかですよ。ガメさんの行ってる店ってどこだろう?

    Like

    • Pastrami and Rye、去年だっけ? 出来た新しい店だよね。店員さんが親切で良い店だけど、いっくらなんでも高いよおー。キューバンサンドで$15は、ひどい。それと、「これ、キューバンサンドちゃうやん」という不満もありまする。Ellerslieは、わし友・近所人にはRachaels Cafeが(そう見えないが)いちばん人気があります。NZの昔の味。ステーキパイ、うまいだよ

      Like

  6. ははののい says:

    初めて書きます。いつも黙って読むだけでした。

    どこか知らない場所から始まって、想像もつかないほどさらにさらに遠くまで連れて行かれてしまうガメさんのエッセイ。

    いつもそうではあるんだけれど、今日のは、ほんとうに身体の芯から沈黙させられる内容でした。希望を持つことは、希望を持たずにいることより、時には遥かに難しいことになりますね。それでも、その困難な希望の光を追うことで、ひとはかろうじて生かされるのでしょうかね。

    希望。わたしは、自分が今なにをどうしたら希望が持てるのか、分かっていないのかも知れません。そんなことに、さきほど気づきました。

    Liked by 1 person

  7. キラキラ大島 says:

    ご無沙汰です。まあいろいろありまして。

    昨日学童から電話があり、息子が39.5度の熱があるとのこと。慌ててお迎えに行きました。着くと職員たちのスペースに隔離されてた息子がトコトコ出てきて、お父さんを見るなり泣き始めました。額に冷えピタを貼った泣き顔が妙にユーモラスでしたよ。不謹慎ですけど。

    泣いた息子は両手を広げて、明らかに抱っこを要求してて。26kgですよ。服とランドセルを入れれば30kgは超えているであろう息子を抱きかかえ、学童から800m程の病院に連れていきました。インフルでした。

    あの瞬間、迎えにきたお父さんが彼にとっての希望だったんだと思うから、30kgオーバーのインフル息子を抱きかかえ、800mの道のりを歩いたわけです。ええ、帰りも約700mを抱きかかえましたが。

    おかげで処方薬を飲んですやすやと寝ています。熱も1度ほど下がって。お父さんはインフルに罹った時よりも体中の筋肉がバキバキになってしまい、今にも寝込みそうなダメージに苛まれてますけれども。

    Liked by 2 people

  8. kuneta says:

    1990年の韓国映画「追われし者の挽歌」(原題は「彼らも我らのように」。邦題は余り内容に即しているとは思えない)は主人公の独白

    僕たちが今日を何と呼ぼうと
    すでに変化は始まった。
    消え去らねばならぬものたちは、今日の暗闇に絶望するが、
    もっと輝かしい明日に生きる人々は
    今日の暗闇を希望と呼ぶ。

    で終わる。

    自分もこの言葉を糧に生きていければと思うのですが
    消え去らねばならぬものである自分には希望を持つことは難しいようです。

    Liked by 1 person

  9. niitarsan says:

    今日、『アフガニスタン 干ばつの大地に用水路を拓く』というDVDを観ました。中村哲さんが「百の診療所より一本の用水路を!」と2003年から取り組んだ7年間の記録です。圧倒的な意志の力(医師だけに)。絶対に諦めない。人々の意見を聴き、試行錯誤を重ね、日本の伝統工法を取り入れ、現地の人々をやる気にさせる。子どもたちが嬉々として水浴びする姿。広大な砂漠が緑にそして農地に変わり人々の営みを育んでいる。こういうことを偉業というのだろう。

    希望。そう、あの干ばつの地で喘いでいたアフガニスタンの男たちに中村さんは希望を与えました。自分たちの手でこの乾いた大地に水を届けるのだ! 希望を得た人はとてつもなく強くなれるということを目の当たりにしました。

    Liked by 2 people

  10. kaz184 says:

    音楽がうるさくなった.
    雨の音, 蛙や蝉の声のほうが安らぐのはそこに人がいないからだと気づいた.

    鎮痛剤の過剰摂取で凶暴化した人間に家族を殺された人々の治療に同じ鎮痛剤を使う.
    タバコの火を隣家に放ち避難してきた人々を犬小屋に住まわせ危急の用と為す.

    遺書もなくドアノブで首を吊って死に,
    家族に「なんで死んだのかわからない」と言われた人がいた.
    品行方正成績優秀とされたが1つの赤点で我を失い,
    殆ど開かない15階の窓から体を捻り出して死んだ人がいた.
    感性に従い野蛮な行為を正当化する人間に,
    嫌気が差して死んでしまおうかと思った.
    電車の窓に移る自分の顔が一瞬, 自分だと気付かなかった.
    彼らを思い出した. だから生きている.
    生者に生かされたわけじゃない.
    死者への手向けと偽って死者を祀り生者の糧にすることに, どうして共感できるのだ.

    感性に作用するものは大勢を簡単に酩酊させる. 酔い醒ましはどうするのだ.
    酔っていれば野蛮な行為を寛容するとして,
    そのことを積極的に逆用する人々が現れるのは当然のことではないか.
    どうやってこの野蛮人をつまみ出すのだ.

    ある文明や文化が自己矛盾を解決しないまま時の試練によって崩壊するのは,
    雨に打たれた巨岩が崩壊するのと同じではないか.
    それらが物質的に追い込まれたとき,
    感性に依存し力を振るう人間が,
    感性を仰がない人間を野蛮だと決めつけ,
    真善美を物資の給付券の裏付けとして使った.
    彼らが真理性も普遍性も失ったのはそのせいではないか.
    美しさだけが残る道理がどこにある.

    憎悪が野蛮を助長することを知りながら, 野蛮への憎悪によって生かされてきた.
    これ自体が感性のものだと気づく以前から,
    現実の問題は知性によって解決すべきだと思っていた.
    知性にその能力が伴わないのは,
    知性を感性の下位において感性を補助する機能しか認めなかったからではないか.

    知性を自身の特質とみなす人間が, 知性への警戒感を持つ人間を野蛮だと言った.
    これらすべてが, 雨に打たれて崩れていくのを見るためだけに生きている.

    Like

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out /  Change )

Google photo

You are commenting using your Google account. Log Out /  Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out /  Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out /  Change )

Connecting to %s