出かける前のメモについて

ただ立っているだけで息をのむほど美しい人と同じ家のなかで暮らしているのは奇妙な体験だと言わないわけにはいかない。

フロントエントランスのドアの脇で、射している夕方の陽光のなかで立って、手紙を読んでいる姿に永遠を感じる。

そのまま絵画にして残したくなる。

ひとに言えば大笑いされるに決まっているが、一緒に生活していて、これまで幾度、こんなに美しい人がほんとうに現実に世の中に存在しているのだろうか、と訝ったことだろう。

結婚などはエンゲルスに言われるまでもなく社会制度にしかすぎない。
それも最近は大層不人気な社会制度で、結婚していると言っても、訊いてみると、de factoであることのほうが多くなった。

一事が万事、鈍くさくて、変化が苦手な連合王国人の国ですら、十代向けの雑誌やサイトを見ると、若い女のひとびと向けに、ひとりで多人数のボーイフレンドを持つことの得失や、多人数の男たちと同時進行で性交渉を続けていくときに注意すべき点が書いてある。

ぼくなどは、遠い昔の化石で、結婚して、子供ができて、なんのことはない平凡なとーちゃんで、ここ数年は子供たちのジャングルジムとして使い手があって、人気もあったが、最近は小さい人たちの興味はプログラムで動くロボットやドローンに移行して、どうやら公園の片隅で、いつまでも待っていても子供たちがやってこないまま夕暮れを迎える、文字通り黄昏の遊具になっている。

結婚して、まず初めに気が付いたよいことは、人間は自分の幸福を願って暮らすよりは、愛する人間の幸福を願って暮らした方が、集中力もあり、気も楽で、自分では出来るはずがないと考えていたことも軽々と出来てしまうことで、なるほど人間の気持というのはそういう仕組みになっているのか、と考えることがよくあった。

あなたには、よく笑われるが、しばらく仕事で机に向かってから、一日に何度も、家のなかにしてはやや長いホールウェイを歩いていって、ラウンジを横切って、スタジオをめざす。

スタジオにたどりついて数段の階段をあがっていくと、そこにはあなたがいて、たいてい絵を描いている。

茫然とするような美しさで、そっと息をつめて眺めて立っていると、夢中になっていた絵筆をとめて、あなたがこちらに向かって顔をあげる。

息をのむ。

そういうことを何度も繰り返して、ぼくとあなたの生活は出来ている。

結婚すれば子供のほうが大事になる、というが、ぼくにはそういう気持の変化は起こらなかった。

子供は子供でかわいいに決まっているが、自己愛に近いもので、考えてみて、途中で捨てたり寄付してしまうわけにはいかないので、くだらない子供でなかったことは感謝するが、そのくらいのことで、あなたへの気持ちとは比べものにならない。

夕陽のなかを歩いてホブソンベイに行く。
あの「Spirited Away」に出てくる水上電車そっくりなので有名なヘッドライトが水に反射する、水面すれすれをいく電車をボードウォークから眺めている。

すべてが取り止めもなくボロボロになってゆくこの世界や、ベテルギウスの白色矮星の話をした。

ずいぶんたくさん買い込んだのに下がりきったはずのUS$30ドルから、またさらに暴落したクラフトハインツの株の話をして笑い転げたり、小さい人たちの教育の話をする。

なにもかもなにもかも話したくて、それでねそれでね、ばかりを繰り返していて、われながらチビコと変わらない。

ときどき、あなたが「ガメはおしゃべりでいいなあ。楽しいぞ」と褒めてくれるが、それもなんだか小さい子供を励ます口調に似ていなくもない。

少なくとも自分の妻については狂った頭の男というのは、どういうことなのか。

ヒマさえあれば、モニのことを考えている。
モニをもっと幸福にするのは、どうすればいいか。
モニがいちばん欲しいものはなんだろう。

モニはどんなふうに歳をとりたいだろう。

モニは、モニは、….

結局、一日中、考えていることはそれだけで、目が覚めるとまず傍らにあなたがいることを確かめて、寝るときはたいてい先にベッドに入っているあなたに顔をくっつけて寝る。

どういうことなのか、夏には冷たくて、冬は暖かいあなたの身体が自動的にぼくの体にまきつけられて、その瞬間、微かな、でも明然とした、表現が不可能な良い匂いがする。

キッチンの出来た料理を出す小窓から、こっそりカメラを構えてあなたを撮影しようとして、見つかってバツが悪そうに手を振るシェフや、ちょっとちょっとと述べて、手招きして、「奥さんと一緒に写真を撮ってもらってもいいですか?」と訊く厚かましい警官にも、最近はすっかり慣れてしまった。

むかしは、それで、あなたがある日とつぜん死んでしまったら、自分はいったいどうなるだろう、どうやって暮らしていけばいいのだろう、と唐突に不安に捉えられて、まるで井戸の暗闇を覗き込むひとのような気持になったことがあったが、最近はそのanxietyすら、あなたの姿が解消してしまった。

ぼくはいままではただの恋に狂った男で、妻を愛する夫にしかすぎなかったが、30歳も半ばになって、やっと、ふたりで歩いていけそうな気がしているところです。

どこまで行けるか判らないが、遠くまでふたりで歩いて行きたい。

永遠がべったりと呪いのように貼り付いた神様ではいけない遠くへ、須臾の間を生きるだけの人間だけが辿り着ける遠くへ。

ただ、あなたの影を追うようにして。

神が嫉妬する、小さな死を死ぬ一瞬のなかで燦めいている永遠へ向かって。

(画像は、ひさしぶりにわしのお絵描き帖からでごんす)

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5 Responses to 出かける前のメモについて

  1. mikagehime says:

    モニさんの絵かと思ったら、ガメさんの絵なんだね。
    いいなぁ。モニモニモニモニ、もにの事ばっか考えて、公園で黄昏てるガメさんいいなぁ。

    これ、好きだから消さないでね。ジャングルジムさん✨

    Liked by 1 person

  2. Makoto Takahashi says:

    少し気持ちの余裕がなかったここ最近の私でしたが、このブログを読んで多少余裕ができたかも。このブログ消さないで欲しいです。

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  3. niitarsan says:

    「黄昏の遊具」という表現が気に入りました。

    先日ハワイのリゾートホテルに滞在しに行って分かったことは、とーちゃん(及びじーちゃん)が子どもたち(あるいは孫たち)に供する芸は万国だいたい共通であって、大声とわざとらしい大きなジェスチャーで子どもたちを追いかけていって捕まえて弄り回したり振り回したりして子どもたちをギャハギャハ笑いころげさせるくらいのことであるということです。しかしその芸が通用するのは小さいひとたちが十分に小さいうちのほんの僅かな間だけのことですね。

    そこから先は人生の先輩としての知恵を要求されることを期待して人格(人徳)を高めて待つのが寛容であるとダンナを見ていて思います。

    モニさんは大事にされて幸せですね♡ 私も大事にされているけれども♡

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  4. mikanaho says:

    ずっと一緒にいたいけど、ずっと一緒ではいられなくって考えちゃって、不安になるけど、今は一緒にいられるんだから、一緒にいたいんですよね。
    思い出に泣いてしまいそうです。懐かしい。

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  5. evh1619 says:

    私も妻と「遠くまで歩いて行きたい。人間だけが辿り着ける遠くへ。」と思っているのですが、このブログを読んで、少しぼんやりしていたその想いを思い出し涙がこぼれました。
    ありがとう。

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