災厄日記 その2 3月28日

ミラノにヒロシさんといつも呼んでいる日系のデザイナーの人が住んでいて、イタリアのCOVID-19の猖獗は生活習慣に拠るものではない、と述べている。

ヒロシさんという人は、考えるための頭も、観察する眼も、しっかりしている人で、しかも猖獗の中心ミラノに、毎日神経を研ぎ澄まして住んでいるのだから、その意見は尊重されねばならないが、それでも「やっぱり生活習慣がおおきいんじゃないかなあー」と南半球の絶海の孤島に住む唐変木(←わたしのことです)は考える。

イギリス人やニュージーランド人と異なって、アメリカ人はよく握手をする。

やたらと握手する、と言い換えてもいいほどです。

而して、くしゃみをあわせた両手のひらで口を覆ってしたりする。

その同じ手を、後刻、洗いもせで、ぬっと突き出して、にこやかに握手します。

NYC、分けてもマンハッタンはアメリカの他都市に較べても、人間と人間がひっついて暮らしている。

カフェやレストランでも、例えばシカゴのレストランに較べて、おおまかに言って三分の一くらいの距離で、手をのばせば届く距離に隣のテーブルの客が座っている。

東京に住んでいるひとは「テーブルのちっこさも、席と席の距離も銀座の今出来の店とおなじくらい」と言えばわかりやすいかもしれません。

しかもしかも。

21世紀になったくらいから、誰かが東京の居酒屋や蕎麦屋で観て空間のデザインに感動したとかでコミューナルテーブルが、どんどん流行りだした。

communal tableちゅうのは、つまりは長椅子で長机ですね。

かき氷屋さんなんかで、「じゃ、相席でお願いしますねえええ」などと言われて、むさくるしいおっちゃんやおばちゃんの隣で、泣きたい気持になりながらウジミルキンを食べることになったりする、あれです。

神田の「まつや」は万事江戸式の、良い蕎麦屋で、よく天丼を食べにでかけた。

蕎麦屋なんだから蕎麦を食べに行かないとダメではないか、という声が聞こえるが、蕎麦は室町砂場か赤坂の支店なので、まつやは天丼だと決まっていた。

ひとつだけ難点があって、まつやは相席と決まっている。

まあ、いいや、今日は相席でも「まつや」で天丼の上だ、と決めて、たいてい秋葉原で電子部品を買った帰り途にでかけたものだった。

日本の相席は、同席の人に対して知らんぷりをするのが礼儀で、知らぬ同士でちゃんちき天丼は礼を失しているのだと「まつや」で学習した。

ところがですね。

概形だけを日本から輸入したマンハッタンのコミューナルテーブルの店では「相席」そのものの性格ががらりと変わって、見知らぬ他人の隣の人とよもやま話をする習慣になっている。
知らない人と愉快な話をするために通ってくる人までいる。

そういうマンハッタンの生活様式をおもいだして、「アメリカは、うまくやった。スマートにコロナウイルスを抑え込んだ」というドナルド・トランプの演説を聴きながら、

あまい。
うつるぜ、ベイビー

と、ひとり呟いていた。

ニュージーランドでは、年寄りは、アメリカ人なみの頻度で握手をする。

若い世代と、どういうわけか、習慣が異なる。

だいたい、いま70代後半〜80歳くらいの人は、やたらめったら握手したがる。

農場主たちも握手する。

でもおおきな町では、握手をするのはなんだか他人行儀なので、流行らない習慣になっている。
どうしても、なにか親愛のボディランゲージを示したければハグをする。

ガメ・オベールという人のように、いきなりhongiというマオリの挨拶をする人もいる。

鼻と鼻をくっつけて挨拶するんです。

ことのほか、この挨拶が好きである。
普段使いにしている。

等々。

などなど。

とうとう。

うんぬん。

でんでん。

とつおいつ、ではイタリアの次はアメリカとスペインが危ないだろう。

初動政策でオオマヌケをこいてしまった連合王国も生活習慣とは別の理由であぶないが、日本とニュージーランドは展開が他の国よりも遅いのではないか、と、考えても、素人の仮説やすむに似たり、オオマジメな顔をしてテキトーな結論に至っているだけなのに決まっているが、世界の挨拶習慣の動画を観てみたりする。

日本には武士とそれ以外とおおざっぱに分けたくなる、ふたつの文化の潮流があるが、武士は日本刀という、やたら切れ味がいい、ぶっそうなものを腰に差して歩くせいで十分に空間がある場合には、ちょうどsocial dinstancingの2メートルにあたる距離を自然と保つ習慣を持っていた。

その一方では都市計画の失敗、というよりも不在から来た、新宿や渋谷の、犇めくような人波と世界に名高い満員通勤電車がある。

いちど横浜駅の西口のシェラトンで待ち合わせたのに、東口のそごうだと勘違いして、横浜駅の幅の広い地下道を通って西口に急がねばならない羽目に陥ったことがあったが、東口の階段の上に立って、西口まで続く、ぎっしりとパックされた人間の群れを見渡したときの恐怖心が忘れられない。

これを突っ切って行くんでっか?

無理無理無理、絶対、無理、と考えた。
だって、ぎっちんぎっちんに人間が詰まっているのだもの。

おもしろいと思うのは、あの凄い混雑で、窓ガラスにほっぺをおしつけられて、ひょっとこやお多福の、おもろい顔にされてしまいながら数十分も電車に揺られる満員電車で通勤しているのに、「日本はお辞儀の国だから大丈夫」と述べる人がたくさんいることで、多分、わざとではなくて、日本の人に特有な「不快なものは無いことにする」回路がごく自然に作動しているのでしょう。

屋上屋に仮設を重ねて、ゆらゆらぐらぐらしながら、Johns HopkinsのCOVID-19のマップを観ていたら、唐変木理論によれば感染者が少ないはずの、世界で例えばATM待ちやバス停での行列での人と人との間隔が世界一離れているので有名なフィンランドが1041人の感染者を出している。

人口が550万人の国なので、そんなに少ないとは言えないようです。

なんだ生活習慣によって感染の度合いが異なるなんて、嘘じゃん、と自分に悪態をついてみる。

ヒロシさんの意見のほうが正しいではないか。

けっきょく、いろいろに考えても、ジタバタしても、ほんの数秒ちょこちょこと手を洗って「おいらは手を年中洗うから平気だい」と嘯いても、くしゃみをするひとを観て、二三歩あとじさりしても、案外、遅いと早いの違いがあるだけで、ドイツのチャンセラー、アンジェラ・メルケルやニュージーランドの首相ジャシンダ・アーダーンが極く初期の段階で述べたように、人類の8割が感染していく、パンデミックのなかでも1918年のスペイン風邪と並んで思い出される現象になっていくのでしょう。

自分が信頼している医学研究者の友達の「習近平の再開策は致命的な誤りだ」というemailを読みながら、イタリアを戦場に変え、アメリカをのみ込みはじめて、ドイツに押し寄せ、日本もニュージーランドも均しく巻き込んでいきそうにみえるCOVID-19が、どんなふうに社会の構造を変え、人間の思想を変えてゆくか、考えてみる。

でももう、ひねもすのたり、長くなったので、明日。

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1 Response to 災厄日記 その2 3月28日

  1. olivaceus says:

    そうですか、生活習慣に左右されることは無く人類を等しく巻き込んでいきますか… まるで津波が早く届く地方と ちょっと遅く届く地方のような差なんでしょうかね。もう本当疲れます。。疲れても適応していかないとダーウィン爺ちゃんにニヤリとされそう。

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