通りと番地

名前がついていない通りがいくつもあるのに、坂にはみんな名前が付いているなんて、なんてヘンな町だろう、と、よく考えた。

暗闇坂
狸坂
仙台坂
南部坂

家から、あちこちに散歩するのに、よくモニに得意になって説明したものだった。

行人坂
権之助坂

魚藍坂
幽霊坂

日本人の友達に西洋では通りには全部なまえがついている、と述べると、疑わしそうな顔で、

「そんなことがありうるんですか?」という。

怪訝そうな顔です。

たった20メートルしかない通りでも、もちろん名前がある。

Victoria Ave

Peach Parade

Adison Place

Johnson St

片側には奇数の番地で、もう片方には偶数の番地がついている。

「ひゃあ、それは合理的ですね」
というが、合理的もなにも、そうでなければ、どうやって家を特定する事が出来るのか。

坂はシステムではない、ところが面白い。

別に幽霊坂18番、という住所があるわけではないようでした。

ただ名前がついていて、ゆるやかな坂道に情緒が与えられている。

坂から坂へ。
南部坂をのぼって、暗闇坂をおりて、鳥居坂をのぼって、またあのレストランへ行く。

東京に住むためには、西洋的な合理を、いったん捨てる覚悟がいる。

グラシアの、名前がない坂をのぼりながら、東京のことを考えていた。

誰かに軽蔑されても仕方がない言い方をすると、日本語は、ガールフレンドの母語ではないのに、おぼえた、ただひとつの言語だった。

自分にとっては、それは初めから亡霊たちの言葉で、

筒井筒、井筒にかけし わが恋は

われながら、なつかしや、

装束のこすれる音や、異常で、美しい歩き方や、
誰がどう観ても哀しみに歪み、慟哭しているようにしか見えない面が象徴する、死の世界の言語だった。

観阿弥と世阿弥に共通する能楽の言葉の不思議さは、その言語が通俗語で、詩の言葉ではないことであるとおもう。

地に足をつけて、平板な現実を述べる言葉であるだけで、
そこには、
ギリシャ詩劇の昂揚はない。

昂揚はなくて、静まる沈黙があるだけである。

畳が沈み、
部屋の空気が沈み、
光が沈み、
影が沈んでいる。

悲哀は詩のなかにはなくて、日常にこそあるのだ、と能楽は主張する。

地を這うような高み、という矛盾した表現をおもいつく。

能楽は、途方もなく日本で、あの透明で固い悲哀は、実は野卑の美しさなのである。

野卑の美しさ。

反知性の透明さ。

愚かさの光。

近代日本語の難しさは、能楽を考える言葉にまで、西洋の視線が入ってしまうことにある。

近代日本語は日本人の言葉であるのに、西洋人の眼を通して日本を観ている。

原因は日本語がもともと翻訳のために生まれた注釈語だからだろうが、日本語では、日本人自体が、西洋の側からみた「向こう側」に立っているところが難しいのだとおもう。

気の良い主人がいる店でハモン・イベリコを買って、ピソのある坂の手前のベーカリーでパン・コン・トマテのパンを買う。

おおげさに言えば、グラシアに滞在することによって、突然、日本を理解したのだった。

カタルーニャと日本では共通点が何もないからね。

まるで別の世界。

理由は簡単で、手本にしないもなにも、日本人は近代化の過程で、いちどもカタルーニャの存在に気が付かなかった。

そんな「西洋」が存在するともおもわなかった。

カタルーニャのほうでも、おなじ惑星のうえに日本のような国が存在すると考えたことはなかっただろう。

通りと番地のシステムがないのだから、驚くべし、日本の人はみな漂流している。

記憶と地図の情緒のなかで、不確定に存在している。

郵便局の配達の人も、アマゾンの箱をたくさん抱えて右往左往する宅急便の人も、日本式住所という情緒の行き先に荷物を届ける。

日本語では座標すら相対的なのではないか。

別に悪いわけではない。

もちろん、この世界に、あらかじめ「悪い」ものなど存在しない。

住所という現実でさえ曖昧で、陽炎のようで、相対のもたれあいのなかにある日本を面白いとおもう。

イサラーゴの町を抜けて、魚藍の坂をのぼる毎日は、いまになってみると、果たして現実に存在したのか、しなかったのか。

判然としないのだけれど、日本語で日本に滞在した記憶だけは残っている。

記憶は残っているが、それがほんとうの記憶かどうかは、もう判らないくらい不分明な「時」の向こうになってしまった。

自分がほんとうに日本にいたのか、あるいはただ、ちょうど長い長いリアルな夢をみるように、日本語を学んだことが生みだしたimaginaryな体験なのか、正直に述べて、いまでは判別する方法を持っていない。

外国人特派員協会のバーや、鰻の秋本、軽井沢の森、思い出の箱には何葉もの記憶が眠っているが、それは、ほんとうに現実なのかどうか。

たしかに現実なのは、習得した日本語によるいくつもの表現だけで、残りのことは、ただ心に映った影にしかすぎないのかもしれません。

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3 Responses to 通りと番地

  1. niitarsan says:

    パンは西洋のものなのに英語でパンのことをパンと言わないと知った時に非常にショックを受けた覚えがあります。それから何年も経って、英語の次に学んだ外国語ではパンのことをpanというのだ!と知った時の驚きと喜びも記憶に残っています。この国ではパンが欲しい時にはパンと言っていいのだ!!という喜びです。だって米国で口を滑らせると「あんたは鍋が欲しいのかい?」と誤解されるから。

    さて、幼い頃に住んでいた町を思い出すことがあります。ほんの短い期間だけしか住んでいなかったので記憶もおぼろげで、それこそいつか見た夢とも混ざりあっているかもしれなくて、あの町は本当に存在したのかしらと不安になることもありました。そして運良くその町を訪れる機会があれば、住んでいた辺りは今どうなっているかしらと探検してみたり。住んでいたのはもう半世紀近くも前なので、もちろん町の姿は一変しており更に町名すら変更されているものだから、近くのランドマーク的施設が今も変わらずそこになければ自分が住んでいた場所も特定できなかったでしょう。でもありました。そう自信を持って断言できたのは、かつて自分が自転車を走らせた覚えがある短い上り坂とそれに続くカーブの道を発見したからでした。
    あの短い坂にも名前を付けたい。「ペダル坂」と。

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  2. odakin says:

    良かった!復活されて読めて良かった☺️

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  3. mandela94 says:

    もし再び日本に滞在する時は、九州を拠点にされてはいかがですか?坂の町長崎は言うに及ばず。福岡空港から出入りできて、野菜肉魚乳など、ほとんどの食材は九州産で賄えて、ほど良く都会な街と、雄大な自然とどちらも楽しいめます。一方Covid-19のペースはスローです。パッと九州産を買うのが難しいものは、バターとチーズ(共に北海道)ぐらいですが、ニュージーランド産も売っています。どの県にも港があるので、船で一周もできるでしょう。きっと気に入ると思いますよ。(前に同じ事をコメントしたかどうか覚えていないので、かぶっていたらどうぞ消して下さい。)

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