災厄日記 その4 3月31日 ビンボの跫音

オーストラリアのWoolworthsは、かなり早くからオンラインショッピング宅配サービスを止めていたが、Woolworthsがニュージーランドで展開するスーパーマーケットチェーンCountdownも、到頭、3月31日でオンラインショッピングをやめることになった。

70歳以上のひとびとや障害があって買い物に出られないひとが、あまりの需要のおおきさに買えなくなってしまったからで、たしかに、先週くらいからは見ていると、午前0時を回った途端に、サーバーが極端に重くなって、あるいは停止して、配達時間のスロットが数秒ですべてうまる、ということを繰り返していたので、無理もない。

予定通りの4週間か、あるいは8週間に延長されるか、悪くすれば、更にその先まで続くのか、ロックダウンが終われば、また増強されたサーバーで再開するというが、さて、どうなるか。

スーパーマーケット以外の小売店はすべて営業禁止で、イスラムの友達に訊くと、案の定、スーパーで売られているごくわずかのハラルミート以外は手に入らなくなったので、ひどく難儀しているようでした。

世の中というのは致し方のないもので、人間の世界の理(ことわり)、ダメな人は何をやってもダメで、巧くやっていける人は何をやっても巧くやってしまう、顕著な傾向があるが、こういう非常な事態になると、そういうことが一層顕著に顕れて、右往左往、たいした考えもなく、ストレスに駆られて、おもいついたことを次々にやっては、本来なら罹患しなくてもよかったのにCOVID-19で苦しいおもいをしたり、悪ければ生命をなくしたり、終いには耐えがたくなって、些細なことで、そこはそういう人の常として自分よりも弱そうな人間に向かって怒鳴り散らしたり、精一杯に工夫した嫌味を述べる。

日常では遭遇しないが、やはりそういう人間もどこかには存在しているようで、新聞を開くと、といってもこういう時なので物理的な新聞ではなくてオンラインのNew Zealand Heraldだが、そもそもビーチのすぐそばに住んでいて、ロックダウンルールの範囲で砂浜を散歩していた家族が、イライラおっさんに「ロックダウンなのに、ふらふらしていてはいかんではないか」と、余計なお世話で注意されて、それは、おっさんのほうが誤っているのだと母親が述べると、激昂してしまう。

記憶を比較すると、ニュージーランド人は、声を荒げる人間を激しく軽蔑するので、オーストラリア人アメリカ人や日本人に較べて、あまり声高な口論という場面を公の場では目にしない。

それでも、自己隔離の毎日がだんだん心に来て、それを他人にぶつける人が、これからは、もっと増えていくのではなかろうか。

自分はいつまで仕事についていられるのか。

職を失ったら、ホームローンは猶予されるのか。
教育ローンは、クルマのローンはどうなるのか。

ひとによっては発狂しないのが不思議なほど思い詰めているはずで、ときどきは、まあ、怒鳴るくらいで少しは気が晴れるなら、怒鳴ってみればいいよ、おもわなくもない。

オーストラリアやニュージーランドでは不動産バブルと経済好況の双子の好景気が20年以上も続いているので、例えば39歳のアーダーン首相は、大学を出てから不景気というものを見たことがない。

オーストラリアなどは、クレジットクランチもほとんど影響しなかった30年近い好景気なので、社会の中核をなしているおとなのほとんどが「不景気」というものをイメージできない。

メルボルンで、自分が持っているビルや住宅の管理をお願いしている会社でミーティングを持ったときに、管理会社の、おおきな会社で社長も居並ぶ役員も高等教育を受けた分別があるひとびとであるはずなのに、なんとはなしに、需要が高いからといって、そうそう家賃を上げるつもりはない、という文脈で「これはバブルだから」と述べたら、すかさず担当重役の切れ者で鳴る30代の女の人が、
「われわれにとっては、素晴らしいことではありませんか」と、艶然と、形容したくなる大きな大輪の笑みを浮かべたので、茫然としてしまったことがあった。

これから、あのバブルの申し子の、あのひとびとが大恐慌時に似た不景気を乗り切っていく主勢力なのかとおもうと、暗澹どころではなくて、やれやれ、これはマッドマックス的な世界になるのではないか、とさえ考える。

日本は、古色蒼然として、20世紀的な構造のまま21世紀に移行してしまった、時代遅れの産業国家だが、それでも、日本の人がどう言っても、実際には、単に「上に立つ」ひとびとがマヌケで無能なだけの、優秀な人材もたくさんいる、地力がある産業大国なので、COVID-19のあとの、不景気の、ハードパンチにも、ダウンしないで立っていられる見通しがある。

そういうことは、なにしろ、それが職業なので、はっきり言ってしまえば、経済数字を並べて「日本はもうダメだ」と断言したがる素人のひとびとや、教授や助教授の肩書きで、もっともらしくオオウソを並べる経済学者芸人のひとびとよりは、こちらのほうが、よく判る。

ダメはダメでも腐ってもゾンビなのだと言われている。
屍になっても、まだ、カクカクカックンと世界を歩きまわる経済力をもっている。

日本は、アベノミクスで根底からボロボロにされてしまってはいるが、本来は不況に強い国なのです。

それには従順に従っているふりをしながら、内心ではオカミを信用できずにfrugalなライフスタイルが身についた国民性がおおきいのでしょう。

ニュージーランドなどは経済的には、文字通り吹けば飛ぶような国で、日本が巨大なタンカーだとすると、こちらは25フィートのヨットで、おなじく世界経済のブルーウォーターの荒波を越えていっても、ちょっと油断すると横転する。

それでも70代より上の層は子供のときのホームローンの金利が年24%だった頃の、すさまじい不景気をおぼえているはずで、主に心の健康をたもつスキルにおいて、どうすればいいか判っているが、40代くらいのひとびとになると、あるいは移民してきて20年も経たないというような新移民のひとびとは、
見たことも、想像したこともない、地獄をめぐることになる。

生命がかかっているときに経済の心配をするのは、愚か者のすることで、いまニュージランド人たちが、ただ生き延びることに集中しだして、オカネのことは、生き延びたあとに心配すればよい、という態度でいるのは正しいが、オオガネモチの老人たちを相手にしてよもやま話をしているとき以外は、唇を結んで、ひとことも言わないことにしているが、ビンボ社会のイメージさえ持たないバブル経済のなかで育ったひとたちが、これからどんなふうに難局をのりきっていくのか、あるいは乗りきれずに溺死するのか、楽しみ、では語弊があるが、興味を持っている。

ちょっと今日も、のんびりと長居をしてしまったようです。

モンテーニュのエセーは、なにかに似ているとおもっていたが、根岸鎮衛の「耳袋」に似ている。

そろそろ読み終わりそうです。

宅配の中止でもワインは死ぬまで飲み続けられるほどあるが、気が付いてみるとギネスは6本しか残っていない。

どおりゃ、一本あけて、ずっと昔に予約注文をしていたのをすっかり忘れていて、ほっぽらかしにしていたら成約してしまって、¢250で買って、もっか株価が¢90のAir New Zealand株の燦然と赤く輝く含み損額を眺めて遊ぶか。

それとも、また、グラフィックが気が遠くなるほど美しいAge of Empires II: Definitive Editionで、他の文明を荒らしまわってこようかしら。

では

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1 Response to 災厄日記 その4 3月31日 ビンボの跫音

  1. mikanaho says:

    貧乏は困ることが増えますね。
    バブルが楽しかった人々にとっては辛い時期になるでしょうから。
    昔の人たちの生活の話を聴くことが好きで、車いすや今のような電動ベットや便利な機械がないときは、どうしていたのか教えてもらいました。
    ドラム缶でお風呂に入ったり、お風呂は持ち回りで入れてもらうんだとか、すぐそばで声がきこえそうなほどです。娯楽は、戦争中だったから内緒で盆踊りを踊ったのよとか、お祭りがデートだったのよとか。
    日本人は差別を娯楽にしてしまったので、もっと貧乏になったらもう行き先がないです。

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