災厄日記 その7 夜のもとで防御もなく

山中伸弥さんがつくったCOVID-19サイトが安んじて信用できるのは、このひとの実績よりも、篤実で知られる人柄よりも、思考の過程が、どんな迂闊な人間にも判りやすいように書いてあるからでしょう。

https://www.covid19-yamanaka.com/cont7/main.html

数学でいえば「たしからしいこと」を出発点に、まず、それが疑いもなくたしかであることを前提として出発すればよいが、この人は医学(基礎医学)の人なので、たしからしさの基準にevidenceがどれだけあるかを持ってくる。

しかも簡明に理解させるためにevidence自体は、流布された話の信憑性のランキングのページからは省かれている。

自分の名前が持っている世間からの信用を善用している。

福島第一事故のときは、なにしろ当初は日本だけの災厄と意識されたので、日本のアカデミア文化の悪いところがもろにでて、
アカデミアの側から出た言葉は「おれたちは、なんでも知っている。真実がわかっている。おまえたちは無知なのだから文句を言う前に勉強しろ」ということで、子供をつれて逃げたかった東北の若い母親たちを土地にしばりつける最もおおきな力になった。

あとで、ニュージーランドに逃げてきた当時福島県に住んでいた若い母親から、あのとき、なぜ政府は「あなたが安全だと判断しても、万が一安全でなかったときに困るからこの土地から立ち去れ」と言ってくれなかったのか、とりわけ学者たちは、なぜ「自分達にもわからないことが、たくさんあるから、いまはとりあえず逃げましょう。わかってから戻って来ても遅くない」と言わずに、「怖がるのは、おまえが無知だからだ、もっと核について勉強してから怖がれ」と述べたのか、
わたしは、どうしても、日本の政府と科学者たちが許せないんです、一生許せないとおもうと、具体的な名前をあげて述べていた。

今度は、様相が異なる。
災厄が世界規模で、世界中の人間が均しく脅威にさらされているからで、「専門家にもCOVID-19を引き起こすSars-CoV-2が「わからないことだらけだ」ということがまず前提にされていた。

こういう場合、最も生存の確率が高いのは「まず逃げる」ことです。

福島第一のときに多くの人が爆発する原子炉のそばで「逃げるべきどうか」「メルトダウンではない」と議論していたが、生存の確率を高めるためには、なにか自分の辞書に書かれていないことが起きた場合には、いったん、なにもかも捨てて、思考を停止して、一心不乱に逃げるのがよい。

ところが今回の場合は、なにしろウイルス禍なので、逃げる場所がなくて、単純にどの程度の段階にまで感染の状態が広がっているかの濃淡の違い以外にはないので、逃げても、感染が「濃い」ところから「淡い」ところへ感染者が多数いる集団が拡散していくだけの結果になるのはわかっていた。

それでもロンバルディアからシチリア、というふうに、地獄があらわれた場所から逃げたい気持は、人間の自然の気持で、逃げて、案の定、感染の拡大スピードを速くしただけでした。

例が悪いが戦争の例をつかえば、では逃げられないときはどうするのが次善の策かというと、準備をする時間が与えられないときは、foxhole、日本語では、やや奇妙な感じをうける「たこつぼ」という言葉を使うようだが、ちょっと自分の語感にしたがってfoxholeと呼ばせてください、foxholeにうずくまって、押し寄せてくる敵を待つことになる。
円匙が歩兵の最高の武器だと言われる所以です。

現実の戦争ではfoxholeで押し寄せてくる敵を挫折させうることはほとんどない。

最後はうずくまって、守備側部隊の何分の一かが失われて、頭上を敵が通過して、次の掃討部隊がくるまえに、穴から這い出して、あさっての方向へ逃走する。

準備期間がある場合には、foxholeの代わりに塹壕を掘る。
塹壕というのは、ただ敵に対して横に掘ってあるわけではなくて、食堂があり、医療所があり、司令部も、補給庫もある、持久性をもった防御線です。

この塹壕線があっというまに崩壊したのが1918年に始まったSpanish fluの医療崩壊だった。
医療従事者がまずウイルスの犠牲になってしまった。
その結果、最小の見積もりで1700万人、多い見積もりでは1億人におよぶ死者を出した。

世界中の指導者が、というのは、いまの世界の指導者たちのなかでは最も社会主義的な考えをもつニュージーランドのアーダーン首相から、右翼のごろつきじみたトランプ大統領まで、みながCOVID-19禍を戦争と呼ぶのは、実際に、本質的にCOVID-19禍が未知の、人類が免疫をもたないウイルスの侵略による戦争だからで、比喩であるよりも現実を描写しているに過ぎない。

トランプのような気まぐれで途方もなく頭が悪い老人ですら、ときどき正気にもどったようにまともな危惧を述べて、まともな施策を実行したりするのは、つまりは自分を第二次大戦中のフランクリン・ルーズベルトと自分を頭のなかで重ねて、そのドナルド・ルーズベルトをアメリカ国民に印象づけたいからに過ぎないが、戦争のときにどうすればよいかはアメリカ国民は他国民に比してもよく判っているので、その点では、いいことなのかもしれません。

戦争には国境があるが、自然の力であるCOVID-19には国境がない。

もっとも2020年にもなって、いまだに国権国家を営業している人類は、世界の人間が衆知を集めて強制力のある命令を発令できる国際防疫センターをもたないので、やむをえずに国単位の対応で、現在たしか5つ確認されているSars-CoV-2のうち、最も強力なタイプが、人間と人間の親密を基調にした社会習慣に乗ったのか、そうでないのか、いまは分明でなくて、そんなことはあとで考えればいいなんらかの理由で、すさまじい勢いで拡大した北イタリアをもつイタリアは、気の毒に、たったひとりで、圧倒的なちからを持つ自然の破壊者の勢力と戦わねばならなかった。

マスメディアではキューバや中国からやってきた医療救援隊がイタリア人を感動させた美談として報じられていたが、そんなものはマスメディアがつくった「おはなし」であることは、直ぐに直感されることで、EUはひとつだ、といつもブリュッセル合唱隊が歌っていたのに蓋をあけてみると、イタリアが初めに叩いたドアの家の主であるドイツは「医療器具?そんなものの余裕があるわけはない。
おとといおいで」と応えて、他のEU諸国も、いっさい援助の手をのばしてはくれなかった。

文明の違いに原因して、西洋人の目からは、恩着せがましく、尊大にしか見えない、大声で会話する中国人医師たちを眺めながらイタリア人の感じた惨めさは想像するにしのびない。

欧州の「兄弟たち」は、いったいどこに消えたのか?
なぜ誰も助けに来てくれないのか?

戦争なので、当然、指導者の能力が、あぶりだされるように明然となる。

際立っていたのは台湾の蔡英文と選挙で選ばれた議員はたしかひとりもいないトップ・スペシャリストとトップ・テクノクラートで固めた内閣で、世界中ぶっくらこいちまったぜ、というか、鮮やかとしかいいようがない対応で、中国との結び付きが、香港とならんで、他のどんな国よりも深く、強く、社会の心底まで中国とつながっているのに、いわばエリート特殊部隊を繰り出して敵の心臓部を破壊するように、ITの力と、政府自体、他国のほとんどが政府の持つ力を「規制をするパワー」だとおもっているのに政府のちからは「規制をなくすパワー」だと定義しなおすことで、例えば必要なデータがあっというまに必要なプロジェクトに公開されて、民間でも遠く及ばない速度でCOVID-19に立ち向かって勝利した。

韓国は台湾のような敏捷さはもてなくて、初動がやや遅れたが、この国の特徴は次から次にアイデアが出てくることで、特にドライブスルー検査のアイデアは、世界中の国が即座に有用性を看て取って、いっせいに模倣に走った。

ただビデオをみてマネッコできるというものではないのはもちろんで、ニュージーランドのようなちっこい国にも担当がついて、懇切にノウハウを教えてもらったのだと聞いています。

それまでは、ひとりの患者を検査するのにえっちらおっちら防護服を身につけて、組織サンプルを採取しおわると、またぞろ、えっちらおっちら防護服を脱いで、捨てて、やれやれ次の患者をみるのにまた新しいえっちらおっちらなのか、とうんざり疲労困憊させられていた検査が、ドライブスルーに変えることによって手袋を変えるだけで必要十分な安全が保たれることになった。

一日にがんばっても10件、ひどければ1〜2人しかできなかった検査が、これによって、十倍の数をこなせるようになった。

ただこのアイデアひとつだけでも、世界中の、いったい何人の人が、伝えられる「喉に内側からナイフを突き立てられるような痛み」や後遺症として残る繊維化した肺の呼吸能力から来る苦しさ、あるいはもっとひどければ死そのものから免れたか数がしれない。

インド友は当初「インドは直截手を使って食事をする習慣のせいで、一日になんども手を洗うのが奏功してCOVID禍を免れた」と述べていたが、インドという地域が存在する場所による物理的ななんらかの条件か、あるいは実際に手をひんぱんに洗う社会習慣のせいか、感染拡大が遅かっただけで、免れたわけではなかった。

最後に話したときは、「おれは、いったいどういうバカだ。いったい、なんのために科学を学んだのだろう」と悄気返っていた。

世界をひとつのまとまりとみた有効な防疫体制が存在しないので、やむをえずに世界中のひとびとが「国」という塹壕にたてこもっている。

大統領、首相、と名前がついている塹壕指揮官が愚かな判断をくだすたびに、現在と未来における「戦死者」が増えて、ばたばたと倒れてゆく。

得意のハイテクで乗り切ると首相が言明したという日本や、独裁者の強権で一時は絶望的に見えた感染爆発を止めた中国、アイデアと、おもいきった戦術で死者数を抑えきった韓国、世界の手本になっている台湾、桁違いのオカネのちからで初動のバカバカしいくらいの遅れを取り返して乗り切ろうとするアメリカ合衆国、それぞれのお国柄で、色彩や、指導者の優劣が明瞭にわかって、戦争というものは、こういうものなんだなあ、とむかしから言われて来た「戦争には文明の性格が最もでる」という言葉の真実性をあらためて確認する。

このあと、世界はおおきく変わってゆくのが、もう誰の目にもあきらかになっているが、そのためにはなにしろ「このあと」まで生き延びなければならないので、すべての話はそれから、ということになっているようです。

RISKのボードを広げて、スコーンを焼いて、クロッテドクリームとたっぷりのいちごジャムで、秋の陽射しに輝く芝生をみていると、
なんだか遠くの世界の話を聞いているようだが、

ほら、目の前にあって、まわりにも、海の向こうにも、ウイルスという死がわれわれの文明そのものをびっしりと囲繞していることを考えると、ウイルスが視覚的に見える存在でなくてよかった、とおもうことすらあるのです。

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1 Response to 災厄日記 その7 夜のもとで防御もなく

  1. kaz184 says:

    最近Contact Tracingに関する議論が盛んになってきて、当然監視社会になる危惧を解決することも要請されているわけだが、ある解決法についての良い説明を作ってくれた人がいる。

    シンガポールのTraceTogetherは政府のデータベースに電話番号が渡ってしまうし、韓国のCoronaマップは場所が名指しされてしまう。韓国式はイギリスでは既に議論されたようだが、合意が難しいとして却下されたようだ。台湾はそもそも、既存の情報基盤と市民の協力で十分効果的で、今の所そういうややこしいものは必要ないという感じで参考にしようもない。イスラエルのHamagenは全て端末側で処理するので一見問題無いようにみえるが、時刻と位置とを集めるので、他のデータと照合して個人を特定することは十分可能である。乱数IDによる上のTweetの方法であればこれらの問題は
    1. 使用を強制しないこと
    2. 乱数IDの再発行を許すこと
    で解決する、はず。

    個人情報を扱うときの最も重要な考え方は、著作権と同じことだが
    “いかなる状況下においても本人の情報に関する本人の裁量が最大化されること”
    という1点に尽きる。その点に関して日本は殆ど最悪の一手、基地局測位データと検索ワードを携帯会社から政府に渡すように要請したこと、を打ってしまった。事前の許諾もなく、かつ一度渡ればそれが本当に破棄されているか確認しようもなく、破棄を要求する窓口すらない。この失敗を認めない限り、これから英語圏で盛んに実装されると思われる”乱数IDによる匿名接触歴追跡”の社会実装に際して大きな障害になることが予見される。

    まずったねぇ~。

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