災厄日記 その9 5月10日 ノートを閉じたあとで

まだレベル3で最高警戒レベルのレベル4から、ひとつレベルがおりただけだが、拭いがたいというか、人々の心の奥底から染み出すようにして「やれやれ、ウイルス禍がやっと終わった」という安堵の気持ちが社会全体から滲み出ている。

落ち着いて考えれば、大層危険な気分で、現にウイルス対策ではニュージーランドからみれば先生にあたる韓国は、警戒レベルをゆるめた途端に明洞のレストランやカフェにどっと人が繰り出して、見事に新しいコミュニティ感染の集団が出来てしまった。

救いは検査体制に余裕が出来て、新規感染者が発生しそうなスーパーマーケットなどでは入り口でランダムに検査をおこなえるほどになったので、新規感染者ゼロが続いたあとに新規感染者が出ても、ああこれは大変だった老人ホームで介護をしている人、これはコミュニティ感染が発生した高校の生徒、と感染経路がはっきりわかっていることで、これがひとりでも判らなくなると、またレベル4に逆戻りなので、自然、はしゃぎがちなひとびとのブレーキになっている。

ニュージーランドは、なにしろリソース不足で、減圧室ベッドはたった150床、感染経路をいちどに追える人間の数も30人だかなんだかで、ビンボでもあって、ことのはじめから、いきなり国境を封鎖して、家から出るな、レストランとバーはもちろん閉鎖、
テイクアウェイ? 夢を見るんじゃありません、で、たいそう強烈なロックダウン体制に入った。

最近は20年ほど続いたバブル経済のせいで、オカネがどんどん市場に流入して、やや様相が変わっていたが、もともとはビンボ習慣で、外食なんて特別な機会にしか起こらず、まるで昔の連合王国のようにして、なんでもかんでも家のなかですませる習慣で、友達たちと会うのも、テニスも、泳ぐのも家ですませる。

まさか家の庭で40フィートのヨットを走らせるわけにはいかないので、マリーナくらいには行くが、少し裕福な家でいうと、そもそも「価格を観に行く」ときくらいしかスーパーマーケットに出かけることもなく、散歩も家の庭ですませる人が多くて、ロックダウンと言っても、スーパーマーケットから配達される時間帯のスロットがあっというまに埋まるようになって、当初2週間くらいは、誰かが午前零時をまわって新しいタイムスロットがあくのを手ぐすねひいて待つくらいしか、普段の生活と異なることはなかった。

自分の暮らしを考えると、習慣にしていたポケモンGOのジム巡りにでかけなくなって、あとはスーパーマーケットから定期的に配達されてくる肉類とは別に贔屓にしていたハラル肉店に行けなくなり、お気に入りインド料理屋に行けなくなったくらいで、他には変化がなかった。

言語の習得は、その言語が使われている社会への関心を自動的に呼び起こす。

日本語は日本社会への興味を呼び起こすことにおいて、他の言語より強い誘引力があるように見えるのは、日本社会が日本語という理解できる人間の数が少ない言語の壁にみっちり囲繞されていて、秘密の小部屋じみているからでしょう。

COVID-19についても、主にツイッタを通して、誰か日本語の友達が記事を紹介していれば見に行ったりして、主にNHKのサイトと朝日新聞、日経新聞を通じて、日本の状況について日本語で書かれた記事も読んでいた。

期待通り、と言っては日本の人に失礼かもしれないが、日本は独立独歩で、よく言えば我が道を行く、悪くいえば目を放した隙にふらふらとあさってのほうへヨチヨチ歩きでいなくなってしまう幼児の振る舞いで、検査を抑制する、という不思議な方角へ歩き出していた。

他にも検査なんてマジメにやらなくていいや、という国があったのは、この世の中にはherd immunityという多分に優生学的な思想を背景に持つ「感染したがなおって抗体ができたひとの壁をつくって、最終的には弱者も守る」という強者の思想に基づく衛生思想があって、一個の人間を感染確率、感染から治癒する確率、死亡確率、などのデータがくっついた点とみなして、ちょっとおおざっぱに計算してみると判るが、数字の上からは悪くなくもない考えです。

案の定、差別思想は昔から大好きなイギリス人は、これにとびついて、大失敗することになった。

当初考えたほどイギリス人はCOVID-19に対して強くなかった。

同じ人間ながら、当たり前なんだけどね。

Brexit以来、とっくのむかしに死亡した英帝国の長い影のなかで考える習慣がついてしまっていた連合王国人は、ここでも、意識にのぼってすらこない優越の思想に拠って、オオマヌケな方針をとってしまう。

そういう国がいくつも出てくるのは、特に「おれたちつわもの」が好きな白い人主導の国において予想できたが、日本は意外だった。

極めて優秀な全自動検査機が日本製なのを知っていたからで、これとドイツ製だかなんだかしかなくて、比較すると優秀なのは日本製なんだよね、という話を訊いていたからでした。

ところが始まってみると、意外や、どころではなくて、一向に検査をやらなくて、どうも記事やセンモンカのひとびとの話を読んでいると世界でただ一国、この全自動検査機を信頼がおけないと敵視しているのは日本のひとびとで、例の自分でこさえた標語、
「何もしないためなら何でもする」ひとびとという表現を自分で思い出したが、あとのことはあまりに面妖なので、それきり、ニュースを見ても、へえ、と思う程度で、日本の状況について考えるのをやめてしまって、いまに続いている。

ただ「何もしないためなら何でもする」日本の人の国民性が、以前に考えたような失敗を恐れる気持や縄張り主義、減点主義の評価方法の混淆体というような判りやすいものではなくて、ちょうど幕末の老中会議に似た、文化のもっと奥深い場所に根ざしたなにごとかに淵源をもつことがわかって、また日本文化について考える楽しみが増えてしまった。

日本のCOVID-19対策の印象は、ここからあとは希望的観測ということになるのかも知れないが、神経症的と述べたくなるほどの、細心な普段の生活での気の配り方から見て、イタリアやアメリカのような、アウシュビッツさながらまとめて屍体を処理したり、通りに駐めた冷凍トラックに屍体を放りこまねばならなくなるような感染爆発が起きるようにはおもわれない。

D-dayを上陸舟艇に身を屈ませて海浜に波をかきわけて走りこんでいった個人の視点から視ると、おおきく運に左右された。

最悪だったのはオマハビーチに上陸したGIたちで、屈むどころか障碍物の後ろに伏せていてさえMG42の弾丸に撃ち抜かれる人間が続出した。

戦争に譬えるのは、本質的によろしくないが、COVID-19の場合は、戦争の比喩が大嫌いだと自ら述べるアーダーン首相ですら「これは戦争だ」と言い切るくらいなので、許してもらうことにしよう。

北イタリアのロンバルディアなどは、オマハビーチそのもので、イタリアのひとたちの、いつもひとの温もりと接しないではいられない個人と個人の物理的距離が近い社交的な社会習慣もあるが、最も濃密でタイプとして強烈なウイルスがたまたまロンバルディアを襲ったのだと考えるのが良いような気がする。

ロンバルディアのコモという町の近くの、スイス国境に面したチェルノビオという、途方もなくおいしいジェラートの店が有る、ちいさなちいさな町には両親の別荘があって、縁があるので少し判るが、ロンバルディアなどはイタリアと言っても「イタリア語を話す欧州」という色彩が強い地方で、公平に述べて、衛生観念も日本の人より発達している。

そういうことは、たとえば「手の洗い方のていねいさ」というようなものを観察しているだけでも、よく判るものです。

だからイタリア人の衛生観念は、という随分盛んだった議論が的を外れているのは、特に考えなくても判る。

手前味噌だが、日本では別名を立てて「スカイプ飲み会」というらしいが、なに、ずっと前の、スカイプがサービスを開始したころからやっていることで、スカイプで話しながら、酒を飲んで、ゲヒヒヒヒと笑い転げたりするのは昔からのことだが、疫学研究者の友達と話したときに、ふと友達が口にした「SARS-CoV-2って、数が多くて密度が高いように見えるんだよね」がイメージになっている。

なにしろこっちはトーシロなので「一定面積あたりのウイルスの数」というイメージが新鮮だったからなのかも知れないが、そのイメージで、ずいぶんいろいろなウイルスの不思議な振る舞いの説明がつくような気がしました。

日本のCOVID-19を巡る状況を検討したり、批判したりする気持は、あんまり起こらなくて、特にいままでやりとりがあった、日本の友達たちの顔をひとりひとり思い浮かべて、ただ「生きていてください」と祈っています。

祈っています、って、もうほんとうにニュージーランドはCOVID禍が終わっているようなことを言っているが、こっちだって、まだまだ判らないわけだけど、社会のムードというものから自由にはなれなくて、勘弁してもらうほかはない。

ありのままに気持を述べて、祈っていて、こういうときは人間は桁外れにわがままで、自分が多少でも知っている日本の人が無事であることを祈っている。

レベル4でも、おもわず庭師のひとに握手の手をさしだしたりしてモニに叱責されたりしている自分より、日本の人のほうが、ずっと気を付けていて、ずっとダイジョブなのは判っているが、それでも、「祈っています」と書かないではいられない気持です。

This entry was posted in Uncategorized. Bookmark the permalink.

5 Responses to 災厄日記 その9 5月10日 ノートを閉じたあとで

  1. olivaceus says:

    >ちょうど幕末の老中会議に似た、文化のもっと奥深い場所に根ざしたなにごとか

    昨日でしたか自民党が議員を集めて会議をしている様子の写真が、幕末に旗本が老中に詰め寄るような様相に見えました。大政奉還できればなと思ってるところ。

    Liked by 2 people

  2. olivaceus says:

    ニュージーランドは上手に対処しているようで羨ましいです。台湾、韓国らとともに世界の新しい時代を気づいてくださいませ。

    Like

  3. wildsum says:

    終息したように見えて、制限を解除しても、第二波が怖いですね。段階的に解除するのがいいようですね。感染しないことを、感染させないことを祈ります。

    Like

  4. kaz184 says:

    安倍政権って、天皇制を模したトーテムって感じ。殺すと祟られる、みたいな。

    人間の役に立たない無能であることそれ自体が重要で、人間の暮らしになど一切興味を持たず、にも関わらず偶像として権威主義的に作用して相互監視の媒介になることを目的とする。

    誰かが人間のためになにかするということは、この文脈の中では、無能を殺す事になってしまうのだろうね。

    天皇制もトーテムだけど、安倍政権はそれをひとつ下の場所で模倣してるんだろうね。

    Liked by 1 person

  5. Makoto Takahashi says:

    ガメさんのブログを久しぶりに読んで元気でました。今はできる事をこなして静かに過ごしてます。NZの空と海が本当に懐かしい、、、。

    Like

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out /  Change )

Google photo

You are commenting using your Google account. Log Out /  Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out /  Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out /  Change )

Connecting to %s