日本人と民主主義 その3 短い春のあとで

神保町の「餃子の三幸園」を出て、タクシーを止めると、もう午前1時になっている。

習慣になっていて、酔っ払うと六本木の香妃園で鳥そばを食べる。
二人用だそうだが、ぼくには一人分でちょうどよかった。
いまは瀬里奈とかなんとかいう、下品なビルに入っているが、義理叔父が高校生のときは、麻布署の隣の、日産ビルの二階にあったのだと言っていた。

あの人は、この古いほうの香妃園で、六本木通りを眺めながら、まっすぐ義理叔父のほうを見ようともしない東洋英和女学園の、1歳年上の女の人に、こっぴどくふられた。

高校が学園紛争をやってたころのことなの?ときくと、そのすぐあとだ、という。

新聞に「民主主義の敵、あまったれお坊ちゃん学校の叛乱」という調子で書かれて、高校生と中学生の連合軍は、高く積み上げたバリケードの上で、機動隊が、見た事のない食べ物をカップから啜っているのを眺めていた。

おれがカップヌードルを見たはじめだぜ、と義理叔父が笑っている。

機動隊のやつら、新しいものには目がないんだ。

結局、四面楚歌のなかで、生徒たちが雇った会計士が、実は生徒達を激しく弾圧した理事長が3億円の横領をはたらいていたことを発見して、学園運動は生徒が勝利して収束する。

日本の高校学生運動のなかで、都立青山高校とならんで、有名な麻布学園紛争です。

紛争期間中よりも、生徒達が勝利してからのほうが学校が荒れに荒れて、徹底的に荒廃した、というところが、戦いというもののリアリティをもって胸に迫る。

義理叔父が日本の社会に見切りをつけて、もう隠遁して生きるのだと決めたのは、そのころだったようでした。

あるいは、ロンドンからやってきて、成田から長い旅路で、西洋人の目にはスラムにしか見えない東東京の高層「マンション」群を眺めながら、やっとこさ当時の定宿だった「山の上ホテル」に着くと、義理叔父が待っていて、「行くか?」という。

行くか?というのは、どこに行くかというと白山通りの北京亭という餃子屋で、ほんとうは中華料理屋だったのかもしれないが餃子屋で、なにしろ当時はロンドンにもクライストチャーチにも、こんなのおいしい餃子を出す店はなかったので、小さくて、パリパリした餃子を食べに行った。

いまも同じ箸袋を使っているかどうかは知らないが、当時は、「支那は差別語です」という意味の文がでっかく袋の裏に印刷されていて、その悔しさがエネルギーになったような、力任せに踊っている不思議な文字を見ると、「ああ、日本に来たなあ」とおもったものでした。

身体がおおきかったので14歳でも、ビールを飲んでいてもばれやしなくて、ロンドンではお巡りが乱暴なのでやれるわけはない未成年飲酒にひたって、東京はいいなあ、と毎度考えた。

驚いてはいけない。

日本はね、むかしは、ごく短いあいだだけど、自由社会だったんだよ。

いまは話を短くするために若い人に絞って話そう。

パリに憧れてつけた名前なのでしょう、カルティエラタン、という学生たちの自称は、いくらなんでもおおげさだが、いくつもの大学が集中していた神田は、「自由とはなにか?」を議論し、学習する場として機能していた。

ただ、ここではくだくだしく述べないが、「政治」というものが人間性を呑み込んでしまうものだと知らなかったナイーブな学生たちは、やがて左翼として組織化され、国家社会主義の素顔を急速にあきらかにする自民党の側とは、また別の、全体主義者の集団になっていきます。

やがて宏池会に拠っていた保守勢力が自民党の派閥力学に呑み込まれる形で消え、欺瞞に満ちた党派の日本共産党に反発して「反代々木派」を形成した新左翼も観念の海に溺れて革命勢力たりえなくなっていく。

日本にも鶴見俊輔や小田実を思想的な軸に持とうとした「ベトナム平和連合」というリベラルを吸着する、党派とも異なる緩やかな「グループ」があったのだけれど、なにごとによらず勇ましさを好む日本人の国民性に合致しなくて、不活性になってゆく。

ずっと歴史を読んでいった感想は、「日本人は自由という動的な状態が嫌いなのではないか」ということでした。

日本の人は「変わらない」ことが好きなのではないか。

もうひとつ。

日本の人にとっては、社会は「与えられたもの」であって、すでに決定されたものとしてある状況で、それについて不平は述べても、社会というものが常に自分たちが建設する動的で可塑性が高いものだという意識がないように見えます。

ツイッタでも述べたが、まるで運ばれてきた料理がおいしくないと不平を述べる客のようです。

多分、なにかならなにまで覆す革命が、昔から日本のひとびとを捉える変化の概念で、年柄年中、ぐにゃぐにゃした粘土をいじっているような、連合王国やオーストラリア、ニュージーランドの人間の感覚を持たないのは、そのせいであるような気がする。

少しだけ、わかる。

9歳くらいのとき、それまで溺愛していたユークリッド幾何学を捨てて、ベクトルと微分の概念を受け入れざるを得なくなった、わしガキは、毎日、憮然とした気持で暮らしていた。

世界が安定していない、なんてことがあっていいものだろうか?
と、毎日ひどくいらいらしていた。

Q.E.D.で、すべてが語り終えられる世界がなくなっていいはずがない。

物理学はもともとあんまり好きではないが、量子論に初めて接したときもおなじで、なんだこれは、というか、数学頭の人間には、いかにも「美しくない」気がした。

多分、日本の人が、観念としての薔薇色のお題目としてではなくて、現実に欧州やオーストラリアにでかけて実見する「自由社会」に対して持つ気持は、あれに似ているのではないかとおもう。

落ち着かない、気持がするのでしょう。

世界は、調和して、安定した存在であるべきである

いま日本は、どんどん生来の全体主義社会に返ってゆく。

「神田カルティエラタン」の春が結実に失敗したからです。

その失敗には、さまざまな理由がある。

就職の時期がくると、あっさり長い髪を切って、「社会人」として、ヘルメットをかぶっていたことはおくびにも出さずに明日の生活と将来の栄達を優先する、若い人たちに内在的な理由であるよりも、
連合赤軍にまでつきあわされた後藤田正晴の苦い後悔に立った、神田周辺大学の郊外への移転や、東京教育大学の解体、上智大学の渡部昇一あたりを嚆矢とする国家社会主義者への支援、国全体の右旋回、2chのようなアングラサイトまで動員しての若い世代の思想改造、…そういった政府が直截意図した国民の思想改造がうまくいっている結果、という面がおおきいようです。

その結果、日本では民主社会へのソフトランディングは、すでにほぼ望めない状態になっている。

仮に日本がいまの「民主社会を装った全体主義社会」を真に自由な社会にしたければ、いままでの民主制の枠から離れた直截行動、例えば国民の心のなかに生まれて、連帯する「うねり」が結びつける100万人デモ以外には道は残されていないことになる。

一方、既存の戦後民主主義の枠にしがみつけば、1票の格差、後藤田正晴が「日本の民主主義を確実に殺す」と述べたカネがかかりすぎる選挙、そのカネを節約するための員数合わせにすぎないはずだったのに、あまりに大量に政治世界に潜り込んできたので、すっかりポピュリストの潮流のおおもとになってしまったテレビタレントの跋扈、与野党、どんな組み合わせでも絶望的な日本の議会の構成を考えれば、韓国型の、通りをうずめつくすデモが起きていかなければ国民の政治への絶望を背景にやがてはクーデターが起きるはずです。

変化を求めるならばクーデターか大衆革命か、では、およそ先進国らしくないが、日本の現実は、すでに、そこまで追い込まれている。

それがいまとは異なる「視点」というものを失っているからだ、という議論は、またこの次にしたいと思います。

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7 Responses to 日本人と民主主義 その3 短い春のあとで

  1. niitarsan says:

    厳しい指摘だ。
    昔は良かったなぁと言いたくなってしまう。

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  2. mikagehime says:

    学園紛争は知らないけど
    麻布学園はとても親しい、
    私の中高時代を彩る学校だったので、とてもよく知ってます。
    とても頭が良いのに 大学に行かずに働いたり、特技は爆弾を
    作る事な高校生が普通に居たりする面白い学校でした。
    私は馬鹿な平均的な学校の子だったから、こんなにもバラバラな、頭が良いのに其れをわかりやすく活かさない人達を間近に見て カッコいいなと思った10代でした。

    与太話お終い。
    ガメさんの話したい 大事な話とズレててごめん😅

    Liked by 2 people

  3. pivo says:

    記憶は何倍も臨場感がある。映画クレヨンしんちゃんオトナ帝国に大人が涙したように。
    鈴木大拙が言った。自由とは指の可動域の事だと。日本にとって民主主義を勝ち取ることは指を反対に曲げることなのかな?私自身民主主義を信仰しているわけだけど。これは過去の自由社会があった過去への哀愁が押し寄せているだけなのかな?
    日本の内に世界があって西洋もある。宇宙すら。自己の中の相対によって日本人はどんどん縮んでいく。私達の未来は核分裂でも変化していなかったのかな?
    こんな感じが日本人かな〜

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  4. みんな社会を変えたいが、変えられなくて悩んでいるんだと思う。

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    • すいません、一行でまとめようとしたのですが、文章の内容が内容だけに自分の気持ちを表せきれませんでした。

      相変わらずガメさんは僕より圧倒的な知識で日本を知っていて、この投稿も読んでいて切ない気持ちになりました。
      社会を変えたいと志ある人達が願ってると思いたいです。
      一応年齢を述べると私は28ですが、不自由に生きたくない、というのは誰しもの共通の思いであると思います。
      周りを恐れて自由に行動しない人が多いために、自由を求めていないように見える、というのももしかしたらあるのかもしれません。

      人にはそれぞええ好きなことがあるし、私も好きなことがありますが、好きなことができてるのでまだいいですが、できなくなったとしたらどうなるかわかりません。
      基本的人権がある限り人々の行動を制限することはないと思いますが。

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  5. ひらづみ says:

    再掲ありがとうございます。とっても読みたかったので嬉しかったです。
    いままでまったく気づいていなかったけど、自由であることって、
    他の人がどんな景色を見ているのか、どんな気持ちでいるのか、共感と想像力を広げる
    ことでしか支えられないものかもと思いました。
    人がどんな世界を見ているか、たくさん思いを馳せられる自在さが、自由。

    自由でありたいと思います。自分の偏見や無意識の差別から。
    私だけじゃなく、みんなが他人への共感と想像力をしっかり握っていることが、
    新しい社会を作るのに必須なんだと思います。

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  6. アズレン says:

    耕しに失敗した「稲カルティエラタン」の春。
    5から6へ渡るこんないい季節に十全を急いだ苦だったのかもですね。
    神田神保町。古書の泥沼の眠りが地底からカレー渦を呼んでいるとも見聞します。
    書を読まない私さえも一度誘われて食べに行きました。
    すれ違えないような細長いショットバーを前置きに、
    一見味気ない造作ない店に老紳士が案内して下さいました。
    通えなかったけれど美味しかった。
    着心地の良い薄手のコットンのように
    身体にまとわりついて見分けがつかなくなってしまった世界のインド文脈を
    もう一度味わうように汗して解体し耕せるかどうか。。
    眠った神様が、美味しさを味わいたいと自身の舌先の言に顕われるかどうか。。
    泥の目覚めは植物や動物、食べ物にも泥が宿っていると知ることでしょうか?
    まだ、まだ、読み足りないようです。伴走させてください。

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