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ふたたび、汚れた髪について

いつもの駅でおりて、5分も歩けば家に帰り着くのに、駅前のドトールコーヒーに入って、煙草をふかしている。 そのまま、一時間たって、二時間になって、もう店のひとたちが、ちらちらこちらを見だしているのに、たちあがれなくて、泣きだしたい気持になっている。 十二時を過ぎてやっと眠れたのに、午前4時に目が覚めて、そのまま二時間、ベッドから出られないでいる。 どうせ早く目がさめたのなら、Tシャツに裸足のままキッチンに立っていって、コーヒーを淹れて飲もうとおもっているのに、自分でも理解できない理由で、どんなに努力してもベッドから出られないので、苦しくて、訳が判らなくて、涙がでてきて、シーツのあいだで身体を縮めて、泣きじゃくりはじめる。 キッチンのシンクがどうしても片付けられない。 汚れた皿が積み重なって、見るのも嫌で、家事は得意だから、さっさと洗ってしまいたいのに、なんだか見ないでいるふりをしてすませてしまう。 洗濯物もたまって、ゴミ箱もあふれ出していて、鏡をのぞくと、なんだか髪が汚れているような気がする。 自分が人間でなければよかったのに、と、ただ繰り返し考えている。 自分が愛情を持った機械であれば、どんなにか良かっただろう! 知っているかい? ロンドンやニューヨークのような町には、身体と、ほんの少し魂の位置がずれている種族がいて、ぎこちない歩き方で、急に舗道で立ち止まって泣きだしていたりして、見ていると、ああ、あそこにも自分と同じ種族がいる、とおもう。 自己愛は見苦しい、と、あのひとたちはいうが、自分を愛せる人間が、わたしにはうらやましい、と考える。 どんなに理不尽で、過大な評価で、他の人間から見たら噴飯ものの自己愛でも、自分を愛せるということは、なんて素晴らしいことだろう。 自分を愛せたら、どんなにか、楽だろうな。 わたしはわたしに価値がないような気がするんです。 そうボーイフレンドに、おもいきって言ってみたら、「元気だせよ。きみは無価値な人間なんかじゃない」と言ってくれた。 わたしは、お礼を言ったけど、ほんとうは、あの人が、ただわたしがガールフレンドだというだけの理由で、そう述べたのを知っていた。 わたしは、狡いんです。 ほんとうは、死に物狂いで頑張れば、いくらでもやっていけるのに、狡いから、自分がダメな人間だということにしてなまけている。 わたしは、悪い人間なんです。 ほんとうは、良い事をしようとおもえば、いくらでも出来るのに、道で倒れた人を見てさえ、駈けよっていくことができない。 ただ息切れがしてきて、心臓の鼓動が早くなって、あわてて、早足で、見なかったふりをして歩きさっていく。 地下鉄の改札からは、ひとの波。 表情のない顔の、いちようにくすんだ色の服の、ひとの洪水。 足をすくませて、真っ青になって、たちすくんでいる人。 唇をかみしめて、やっと二三歩前に出て、でも踵を返して、いま降りてきた階段をのぼって、引き返していく人。 ひとりだけ赤いコートなので、こんなに遠くからでも、あの女の人がどこを移動しているか、よくわかる。 あんなに、ゆっくり、急いで追い越してゆく人達に肩で肩を小突かれながら、やっと立っているような足取りで、まるで人生そのものを諦めてしまった人のように、遅い足取りで、地上をめざしてあがいているかのように歩いているひと。 この町では、誰も空をみあげないが、みあげれば、ほんとうは、高いビルのてっぺんに近いところに、もののけたちがいて、地上をみおろして、うずくまって、寂しい眼を見交わせて、時に、うなずきあっているのが見えるだろう。 人間の耳には物理的な可聴周波数の音波しか聞こえないが、もののけたちは、きみの魂の声を聴くことができるのね。 まるで青空の伽藍に反響するような、苦しげな、絶えることのない、押しひしがれたつぶやきを、もののけたちは聴いている。 うつ病に苦しむ人の、意外なほどの数の多さは、たじろがされるのに十分だった。 とてもわがままなので、むかし数学を学んだあと、医学に進んだのは、自分の心を客観的に観察するためで、他人のことなど、念頭にはなかった。 まして医者になろうとおもったことはいちどもない。 医学に志す人は、根っからのやくざものと偏屈者が揃っている数学の世界とは異なって、マジメな人が多くて、そんなことを言ったら、解剖台のうえで眠らされてメスで分解されかねないので、言わなかったが、日本語ならばバレやしない、みんながいったいおまえはなにを考えてんだと訝った、医学を学び始めたことの真相は、要するに、そういうことです。 生物の一般科学誌を読むには、せめて生物学部を卒業して学位をとるくらいの知識はいる。 数学も化学も物理学もおなじことで、よく勘違いしている人がいるが、本なんか何十冊読んだって、どんどん偏見とダメ方法に習熟してしまうだけで、なんにも判るわけはない。 入るのに難しい大学に入学を許されても、バカはバカで、教育がさわれないほど地頭(じあたま)が悪い愚かな人間は、東京大学でもいい、MITでも、ハーバードでもかまわない、キャンパスを歩けば、公園の鳩よりもたくさんいるが、逆に大学にいかないで独学しました、という人でまともな人は、いるのはいるに決まっているが、少なくとも、今までの人生で見たことはない。 そのくらいの理屈は、高校生のときでもわかっていたので、自分の身体と魂について理解するために医学部にいくことに決めたが、それでなにかわかったかというと、見事なくらいなにもわからなかった。 例えば解剖によって、 … Continue reading

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世界の文様2018 その1

金正恩にとっての最大の決心は習近平に恕(ゆる)しを乞うて、中国に臣従を誓ったことだろう。 ちょうど、日本がアメリカの核の傘の下にあるように、北朝鮮も中国の傘の下に入るのは、習近平と人間的に反りが合わない若い独裁者にとってはおおきな決心だったに違いない。 平昌オリンピックという機会をうまく捉えて、驚天動地の外交をやってのけた文在寅が生みだした流れに乗って、まるで木霊が呼び合うように、金正恩が演じてみせた、「わかりました。それなら、こちらも中国と話をつけて、後見の憂いをなくしましょう」という阿吽の呼吸の外交は見事なものだった。 どちらの指導者も、素晴らしい外交感覚と若々しい機敏さで、目前の、秒読みであった核戦争の危機を避けてみせたのは、世界中の外交雀をどよめかせた。 アメリカとの現状での力学を詳細に解説してみせたのは習近平のはずで、金正恩を通じて、中国の国家機密を含む分析と国家意志は、文在寅にも伝えられたはずである。 この立場と利益がそれぞれ異なる三者の気持ちに通底しているのは、トランプという政治家としてはまったくのアマチュアで、しかも情緒が安定しない感情的になりやすいテレビタレントが大統領になって、わざと混乱を引き起こして、東アジアの混乱を便宜にアメリカの利益を伸長しようとするのを見て、うんざりして、 アジアはアジア人のものでなければならない、と強く感じ始めたことであるのは、見ていて気が付かない人はいないだろう。 具体的な内容がなにも決まらないで、米朝間は、「とにかく仲良くしようね」の、およそ無内容な一歩を踏み出すことになったが、そんなことは日本とアメリカの、頭がぼんやりした指導者たちは別にして、習近平や金正恩、あるいは文在寅にとっても、「多分、そうなるだろう」と判っていたことで、それはそれで十分で、この先に見えている、どの選択肢も、アメリカをうまいこと東アジアの政治的パワーとして、排除してゆく方向に向かっている。 無責任な政治予想屋でもなければ、この先を述べる必要はない。 この先の可能な未来の領域には、中国による台湾併合、統一朝鮮へのゆっくりとした歩み、北朝鮮への投資の流入による経済発展などが確からしいこととしてあるが、混乱を引き起こすことが唯一の方法論であるアメリカの大統領が、内政上の理由から突然北朝鮮か南沙を襲いでもしないかぎり、戦争はなくて、ヘンな言い方だが通常の対立・競合の関係に入ってゆくことになる。 もう少しドラマティックな言い方をしたければ、文在寅は、朝鮮民族にとっては1910年以来、中国にとってはアヘン戦争の時代以来の、外国勢力の容喙につよく左右される東アジアの悲劇が、ようやっと終わりになるドアを開いたわけで、 未来の歴史家は、アジアの真の独立を助けた政治家として、この小柄な人を記憶することになりそうです。 アメリカのFRBに続いて欧州のECBも量的緩和を年内に終了することを決定した。 当然、市場の声は、「いくらなんでも遅すぎる」だったが、適任とは到底いえないマリオドラキですら、到頭、という言い方もできるわけで、これで量的緩和→利上げと向かう市場の潮流は、やっと道筋が目に見えるものになってきた。 これから、おっかなびっくり、数年をかけて公定金利を上げて、立ち上がるのもやっとの贅肉がぶよぶよついた市場を健康体にもどすために世界中が努力していくところだが、中国から大量のアメリカドルが流入しつづけて、しかもその流入先が不動産やなんかの一部資産に偏っている英語社会にとってはたいへんな作業で、例えばニュージーランドでいえばGDPをうわまわるホームローン市場は、金利が3年内に2%もあがってしまえば、たちまち瓦解する。 前にも書いたように、最大都市オークランドでは夫婦がふたりともキャリアを驀進しているような共働き家庭でも、収入の65%がホームローンの支払いに消えて、倉庫係とスーパーマーケットの店員というようなカップルになると、片方の収入の90%以上が家賃に消える。 つまりもう爪先立ちで、ふらふらしながら、めまいに耐えて生活しているようなものなので、ひとによっては新聞誌上のような場所で、金利が1%上昇すれば、それで経済全体が崩壊するだろう、と述べる人もいる。 先週、ニュージーランドは、政府が銀行と共同で、「来年は利上げが始まる年になるから国民は準備したほうがよい」と国民に対して警告をおこなった。 一見、別個に、めいめい判断して警告がなされたようにみえるが、ニュージーランドではいつものことで、混乱を避けるために、連絡をとりあって、国民に準備させようとしたのであることは、ニュージーランド人なら、誰でも知っている。 経済上は、そういう言い方をすれば、世界中の先進国が、いわば慢性成人病を脱して健康体になるための金利の正常化へ向けて体力をつけようと準備しだしているわけで、無論リスクはあるが、避けて通れるわけがない必要なことなので、そうですか、ほんじゃ、がんばるべ、以外には各国の市場が述べられることは少ないようにおもわれる。 えええー、日本が出てこないじゃん。 日本も経済大国じゃないの? と、いいとしこいて、ほっぺをふくらませた、そこのきみ! きみは正しいが、日本の政府や中央銀行がなにをやっているのか、みんな、わからないんだよ。 アベノミクスで、「異次元の」量的緩和から出る出口を塞いでしまったのは、2015年くらいにインフレが2%に達して、ゆるやかなインフレ基調になると黒田総裁も安倍首相も「100%」確信していたからで、なにごとも100%はよろしくなくて、ツーストライクから満腔の自信をもって棒球(のはずだった)をフルスイングしたら、盛大に空振りをしてしまった。 ストライクをコールするアンパイアをふり返って、「おまえ、バカじゃねえの? 野球をしらないのかよ。いまのはハーフスイングだろうが」と述べてみたが、アンパイアは「「野球じゃどうかしらんけど、ベースボールじゃ、ああいうのは空振りというのよ。はい、ストラックアウト!」 と言われてしまっている。 あるいは、子供のときから神童であったと同級生が口を揃える黒田総裁が、神の啓示かなんかがあったかなにかして、有り金をルーレットで35-黒に賭けたら、神童の深い洞察を理解しなかった愚かなルーレット台が、7―赤に玉をいれてしまった。 そこから先は、世界中が知っているように、赤に賭けて玉が黒に入れば、傍らにうやうやしく立っている日本国民のポケットに手をつっこんで目の前の株価チップを高く積み上げて、勝った勝った、また勝った、勝たでもいいのに、また勝った、をつづけて、賭博の勝ちを演出しにかかったが、いかんせん、ふと気が付くと、親友の安倍首相と自分とふたりしかテーブルに残っていない。 さびしいね、と話しあっていたら、離れたテーブルから外国人たちがやってきて、 「いつぞやは稼がせてくれて、ありがとう。きみたちの博奕のやりかたは正しいんだよ。でもルーレットでは挽回は難しいから、こっちに来て、一緒にバカラをやらないかい?」と物腰もやわらかく、虎視眈々と、日本に残る有り金を狙っている。 なんだか経済のことばかり長々と書いてしまったので、ほかのこと、ロシアのヨーロッパへの攻勢、中東、社会、軍事、文学、…は、ぜんぜん書き及べないことになってしまったが、まあ、また続きは、よろよろと気が向いたときに書きます。 外交については、一般の人間としては、例えば北朝鮮とアメリカの会談が、アメリカや日本のマスメディアが言うように、まったくの無意味なものなのか実質が伴ったものなのかは、実はイラン政府の反応をみればわかるというように、外交バランスのパワーセンターを注意深く連関させてニュースを見ているだけでも、かなりのことがよく判ります。 インターネットの時代なのでKGB幹部である必要はないのね。 そのうえに、歴史性、例えば、歴史的な対立関係から、ロシアの真の事情をよく知っているのはスウェーデンでありフィンランドで、フィンランドは知っていても黙っている傾向が強いので、スウェーデンが指標としてはわかりやすいが、というような常識が身に備わっていれば、 あの国は、男女を対象とした徴兵制を始めたでしょう? 戦争になったときの具体的な応召方法や避難方法を盛んに啓蒙しはじめている。 スウェーデン人というものを、友達として、ボーイフレンドガールフレンドとしてでも知っていれば、あのひとたちは伊達や酔狂や、成層圏を横切るミサイルの下で頭を抱えてうずくまる剽軽な恐怖心をもつひとびととやなんかとは異なる心性の持ち主が揃っているので、つまり、現実の脅威が迫っていると判断しているから、臨戦態勢に国をもってきている。 もうひとつ、こちらは歴史的に「戦争? 戦争なんて、むかしのもんでしょ? … Continue reading

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雪が降って

「朝、起きたら、一面の雪景色なんだよ」と、そのひとは述べている。 見渡すかぎり、どこまでも真っ白で、見慣れた野原も、道も、家の前の芝生さえ、どこにも見えなくなっている。 そうしているあいだにも雪が降って、少しずつ積もっていって、ぼくはドアを開けて、泣きそうになる。 目を泣きはらして、スコップがどこかにあったはずだと考えて、ガレージを探し、ウオッシュハウスを探して、やっと見つけ出して、もうきっと今日は、なにもできないな。 とにかく、この雪をすべてどけてしまわなければ、と考える。 ぼくにとっては、鬱病は、そういうものなのさ、と言う。 掘ってみるまで、雪が10センチつもっているのか、膝まであるのか、あるいは腰までもあって、踏み出した途端に身動きもできなくなるのか、それすら判らない。 身体中から力が奪われて、もうなにもしたくない、ベッドのなかで、一日中、泣いていたいとおもうが、そういうわけにもいかないでしょう? 仕事にでかけるのは、もう無理だけれども、とにかく、がんばって、起きて、 この雪を全部どけてしまわなければ。 「でも、雪は、そうしているあいだにも、どんどん降ってくるんだよ!」 そのひとは、そう少し力をこめて、テーブルをこぶしでたたきそうにした。 でも、すぐに握りしめたこぶしをひらいて、じっと見つめている。 とても、気持がやさしいひとだからね。 きっと、そうするだろうと、おもっていました。 HURRY UP PLEASE ITS TIME ノックのおおきな音とともに、 どんな人間でも浮き足だつような声で、現代社会の「時」は、きみを急かす。 時間です。お早くお願いします。 人間の生命は、ちっとも美しくない。 よく言って滑稽、わるく言えば醜悪。 入れ歯の費用を工面したり、老眼鏡を買いそろえたり、体面にしたがって、家を塗り替えたり、クルマが運転できるうちに最後のクルマになるはずのクルマにレンジローバーを奮発したり、そんなつもりはないのに、人間は、そういう老後の準備のために働いて一生を終わる。 「死亡欄にも載らない一生」という表現があるが、つつましく、精一杯生きて、ただ義理だけで集まった職場の仲間が集まる葬儀で、誰でもなかったひとのように葬られて、3カ月もすれば、きみが存在していたことさえ誰もが忘れてしまう。 人間の一生は残酷で、どんなに頑張ってみても無価値で、生きているときこそ、ちやほやされて、尊敬のまなざしでみる若いひとびとが周りにいて、運がよければ、きみの妻も子供も、あたたかい、感謝の気持ちがこもった光をたたえた目で、きみを見ていることがある。 でも、だから、どうだというのか? きみが小説家であるとする。 賞をとって、他の文学コミュニティの人間に称賛されたり、けなされたり、時には救いがないと嘲笑されて、それでも書き続けていれば、読者が出来て、ここはいい、あなたの物語が好きです、この登場人物の、この言葉に救われました。 きみの目を楽しませて、それを励みにして、また次の物語にとりかかる。 案外とおおきな名前になって、自分でも少し驚いて、そんなに悪い人生ではなかった、と思い始める。 例として小説家を挙げたが、自分の足跡を生乾きのコンクリートの上に残すような職業ならば、何でも同じだろう。 でも、死んでみたまえ、というのはヘンテコな言い方だが、 死んでしまって、出来るなら、3年たって、地上に戻ってみたまえ、 誰もきみのことなんか、おぼえていないから。 いつかオークランド大学の近くのシェルターを通ったら、まるで晒し者のようにして、無料レーションに行列しているホームレスのひとびとが舗道に延々と列をなしていた。 垢だらけの服や、べったりと汚れた金髪よりも、誰の目にも映って、おおきく印象されるのは、あのひとたちの、「自分は誰にも必要とされていないのさ」と訴えかけるような目だった。 誰にも必要とされない人間の、どこで果てるともしれない長い行列。 … Continue reading

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死に至る病

遠くに住んでいると、いろいろなことが判らなくなる。 仕事ではロンドンとニューヨークとには、いつも連絡をとっているが、きみが知っているように、それだけのことで、そちらから訪ねてくるのでなければ、友達と会いもしないし、友人たちのゴシップや、夫や、妻や、息子や娘たちに消息を知りもしない。 もっとも、むかしでも、ほら、きみが冗談でhermitというあだなをつけたことがあったでしょう? あのとおりで、子供のときから、ぼくは、知らない人とスモールトークをしたりするのは大好きだが、自分の来歴を知っている人とは、顔をあわせて話をするのが億劫な気がする。 どうしてだろう? と自分でもときどき考えます。 以前は、世界が好きになれないからなのではなかろうか、とおもっていたけど、モニとめぐりあって、一緒に生活するようになってからは、そうではないのだとわかって、きっと、きみは大笑いするだろうけど、つまりははにかみ屋で、知っている人と会うことに気後れする、人見知りがひどい人間なのだと判りました。 だからメルボルンとオークランドを、おもいだしたように行ったり来たりするだけの、いまの生活は、とても性にあっている。 こっちの人が聞いたら、怒るだろうけど、 すごい田舎なんだ! むかしから都会のメルボルンは別として、シドニーもオークランドも、21世紀に変わってからは都会になって、オペラでもコンサートでも、アクセスという要素を考えると、案外に「都市」としての条件を満たしている。 もしかしたら、メルボルンは、あんまり知られていないだけで、どこもかしこも安手のテーマパークじみてきた英語世界では随一の都会かも知れません。 マンハッタンなどは、うるさいことを言うと最後に行ったときはもう、世界中の田舎からやってきて、「都会人」の役割を演じたい人たちと観光客で充満していて、観光客で爆発しそうでも、まだしも観光客と地元人の区別が明瞭なパリやバルセロナとも、また違って、頭のなかの「都会人」を精一杯演じるイナカモンの町で、目もあてられないことになっていた。 そういったことを勘案しても、田舎は田舎で、水曜日の午後に、見晴らしのよいペントハウスで、テレビでよく見る顔や、映画世界の大スター、あるいは高名な小説家やプロデューサー、そこにいる人間の半分のタイトルがミスターやミセスでない、あの軽薄で思慮を欠いた、しかし目もくらむような世界は、ここにはありません。 それでも、もう、この程度の田舎のほうが気持が落ち着いていいかもしれない。 プエルトリコ料理の、例の、La Taza de Oroが観光店化して、その次には、あっというまに68年の歴史を閉じて閉店して、なんだか、ニューヨークに戻る気も失せてしまった。 あれほど好きだった、ぼくの、Rubin Museumに近い思い出がいっぱいつまったアパートも、いまはひとに貸してしまいました。 そういえば、モニさんのパークアヴェニューのアパート、口実をつくって見にいってくれてありがとう。 モニさんの母親は、ああいうひとだが、18世紀美術への強い偏愛があるので、心配していたの。 ご自分が住むことに文句はないけど、あんまり調度や美術品を変えられると嫌だなあ、とモニさんとふたりで笑って話していたので、安心しました。 そういうていたらくなので、Kさんが自殺したニュースも、ツイッタのタイムラインで見たんだよ。 前から、depressionで苦しんでいるのは聞いていたけど、そんなにたいへんだとは知りませんでした。 「そんなにたいへんだとは知りませんでした」とは、きみと違って友達というわけではなかったぼくであっても、なんだか、ずいぶん陳腐で冷淡な言葉だけど。 あっというまに、いろんな憶測がでまわって、どんな友達だか疑わしい、「友達」たちが、根も葉もないことを述べていて、人間という生き物の残酷さ、浮薄、救い難い罪の深さを思いました。 きみとぼくと、共通に知っているひとたちが、怒りをこめて、Kさんは金銭的には成功の絶頂にあって、家族にも友達に愛されていて、ただdepressionという病にまけて、闘病に敗北して死んだだけだ、ほかに理由はないのだ、とSNSを通じて述べているのを読んでいました。 depressionという病には、社会的な特徴もあって、善良で、ただ他の人や社会に対して良かれとおもって暮らしてきたひとたちに取り憑いて、その生命を奪ってしまう、という特徴があるとおもう。 きみとぼくの共通の友人でいえば、CもNも、どんな皮肉な人間でも偽善家とは呼び得ないくらい、無私で、善良なひとびとで、私財をなげうってアフリカのひとびとを助けたり、馴れないマイクロクレジットの金融業を始めて、ぼくのところにまで、なんども教えてくれと訊きに来たりして、ただもう自分達が恵まれた家に生まれついたことを、どうやったら不運に生まれついたひとたちに役立てられるかと考えているような人たちだった。 depressionは、どんなにたくさん真の友達に囲まれているひとたちに対しても、たったひとりの、孤独な戦いを強いる。 いまだに誰にも、ほんとうには判らない理由で取り憑かれてしまうと、その瞬間から神の悪意のターゲットにされたひとびとは、自分が無価値な人間だとしか考えられなくなることや、ひどくなれば、呼吸ひとつするにも巨大な努力を必要とする、あの、人間であることの重力が突然数倍になったような、重たい、抑圧された、なにかがいつものしかかっているような感情と、たったひとりで戦わなければならなくなる。 “the death of K… is a very … Continue reading

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首相の産休

聞く耳をもたない、という。 耳なし芳一という甲冑武者の亡霊に耳をもぎとられてしまう、怖いお話も日本にはあるが、この場合は、ほんとうに耳がないわけではなくて、理解を拒絶する特殊な能力を有する脳髄のほうの話をしているようでした。 ジャシンダ・アーダーンは、ほんとうは首相になるはずではなかった。 選挙前は、経済政策に巧みで、いまのニュージーランドの繁栄の枠組みをつくったジョン・キーの後継者、ビル・イングリッシュが次政権でも首相を継ぐ予定で、ニュージーランド人は、当時の与党国民党支持者も、ジャシンダ・アーダーンを擁立して果敢に勝ち目がまったくない選挙(と、当時はみながおもっていた)に臨んだ労働党側も、「ま、次はビル・イングリッシュだろうな」と考えていた。 今年56歳になるジョン・キーが、成功の頂点で突然首相も政治家もやめることを宣言したのは、ニュージーランドのマスメディアにもいろいろな理由が書いてあるにはあるが、周囲の人はみな真相を知っていて、奥さんに怒られたからだった。 「いいとしこいて、首相業なんかにうつつをぬかしていていいのか。家族をもっと大事にして、家族と一緒に過ごす気がないんですか? もうビジネスマンとしても政治家としても十分成功したのだから、いいじゃないの」と、バーンサイドという名前の、「南半球最大」という訴求力があるんだかないんだかよくわからないキャッチフレーズで有名な大規模校の高校で出会った、英語でいうhigh school sweetheartの奥さんに、「ちょっと、そこに座りなさい」をされた結果、考えて、女房のほうがただしいようだと決心した。 ビル・イングリッシュという人は、アスペルガー人で、コミュニケーションが大の苦手な人です。 アカウンティングに明るくて、そういう観点からの数字の扱いには滅法強いひとだが、なにしろ2017年の総選挙の、ただでさえ楽勝ムードが漂って、危ない選挙になっていたのに、「このままいけば、国民党の楽勝でしょう」と述べてしまうほどの政治性に欠けた人なので、わしなどは、選挙前から、「もしかしたら、これは、あかんな」と考えていた。 アーダーン首相が誕生して、おもしろかったので、もともとは日本の京都人で、いや京都の日本人か、どっちだかよくわからないが、ともかく、京都の「ええとこの嬢ちゃん」で、高校生の頃からかれこれ30年だかニュージーランドにいて、いまは日本人を廃業してニュージーランド人になっている晩秋 @debut_printemps とふたりで、ツイッタで、「ジャシンダあー、邪心だ、ひょええええー、ジャッシンダー」と言ってよろこんでいたら、ニュージーランドに住んでいるらしい、知らない日本名物おっかない人に、「一国の首相をファーストネームで呼ぶなんて、他国の首相に失礼ではないか。ちゃんとアーダーン首相と呼ばないのは女性差別であって許されないとおもう」と叱責されて、ほんとは、ビザ持ちらしい、あんさんが他国人で、晩秋とおいらはニュージーランド人でっせ、と考えたが、めんどくさいので、邪心だー、をやめて、あーだあーん、と日本語では呼ぶことになっている。 ついでにいうと、ニュージーランド人は「われらの首相」という気持があるので、ふつーにジャシンダと言います。 ちょっとだけ、なんでジャシンダ・アーダーン首相が誕生してしまったか説明すると、選挙が終わって、ビル・イングリッシュが勝利宣言をだして、組閣していた頃、ジャシンダ・アーダーンは、極右政党のニュージーランド・ファーストと手を組んで、政権をぶんどってしまう、という奇想天外な政治工作に乗り出していた。 ニュージーランド・ファーストは、「ニュージーランドがいちばん」「ニュージーランドが最優先」の、マヌケな政党名でわかるとおり、排外政党で、James F.のような嫌味な人間には「義和団か、おまえらは」とからかわれたりしている政党です。 主張だけ聞いていると神風連か義和団のようだが、現実の党員は、ヘロヘロになったじーちゃんやばーちゃんが多い政党で、もともとスカな政党だったのが、1990年代に「このままでは日本人の洪水になってしまう」という、なんだかヘンな弾劾演説で急速に党勢が伸びて、一瞬は第一党になる、という離れ業で表舞台に立った。 党首は、いまとおんなじウィンストン・ピータースで、この人は初期には自分の父親がマオリであることをうまく利用して、「トゥルーキーウィ」、純正ニュージーランド人、つまり、アジア系やポリネシア系のパチモンニュージーランド人とは違って、白人かマオリ人だけがニュージーランド人だと述べて、「それって、人種差別なんじゃないの?」と言われると、「わたしの顔を見ろ、半分は有色人ではないか。有色人の人種差別者なんて、そんなバカバカしい言いがかりをよくおもいつくな」と述べて、KKKもびっくり、な白人至上主義的言動を受け狙いで繰り返していた。 ヘレン・クラークが首相になった選挙で、当然、自党が第一党になるとおもっていたウィンストンは、「首相になったら、あーする、こーする」とマスメディア相手にはしゃいでいたが、「あのおっさんに任せると経済がやばいな」と見抜いていた国民の人間打算機的な投票行動によって、第一党どころか第二党にすらなれなかった。 ニュージーランドはドイツと並んでMMP, Mixed-member propotional representation、いま日本語を調べてみたら小選挙区比例代表併用制、漢字が11個も並んでいて、いつも「ひえええー、ガメのブログは漢字がおおすぎて国語辞書をひいてもわかりひん」と不平を述べている着物の着付けがチョー上手な舞台女優、佐野みかげ @mikagehime が読んだら失神しそうな訳語がついている選挙システムで、個々の議員と政党の両方に投票する、ややこしいシステムをとっている。 https://en.wikipedia.org/wiki/Mixed-member_proportional_representation このややこしい、ナチ末期の決戦兵器、ハイブリッド超重戦車マウスみたいな複雑な選挙システムがどういうもので、どう機能するかは、wikipediaでも読んでもらうことにして、まんなかを端折って、結論だけを述べると、伝統的な選挙制度なら泡沫で終わる政党が議席をとってしまう。 早い話が、地元選挙区でも愛想をつかされて落選したウインストン・ピータース率いるNZ Firstは議席ゼロのはずなのが9議席獲得してしまった。 ニュージーランドの議会定数は120だが、「はっはっは、楽勝じゃん」と述べていたビル・イングリッシュ率いる国民党は、ふたをあけてみると56議席で、過半数に及ばず、前回の32議席からいくつ減らすか、もしかして20議席切っちゃったりするんじゃない?の、低迷していたはずの労働党は党首が一挙に若返ってしかも女の人になるとアフターバーナーが点火された46議席の大健闘で、ニュージーランド名物「戦略的投票」の冴えが見える選挙だった、はずだったのだが、子供のときから労働党の政治スクールで鍛えてきたジャシンダは、びっくりするように素早く動いて、暢気に勝利宣言をする国民党を横目に、あっというまに極右政党と連合を決めてしまった。 ここに至って、ジャシンダの政治工作によって46+9=55議席と、過半数61議席をとれなかったナショナルに近付いた労働党は、14議席から8議席に墜落した、凋落に歯止めをかけたいグリーンパーティから、confidence and supply agreement、一味だとおもわれるのは嫌だが、いいよ、賛成してやるよ、という約束をとりつけて、46+9+8=63>過半数を成して、世界中、ぶっくらこいてしまった政権樹立をなしとげてしまう。 意地が悪い連合王国の新聞などは「NZの民主制の死」と述べて書き立て、他国の政治を常に誤解するくせがあるアメリカの新聞のなかには、「NZ極右政権の成立」などと書いていたのもあった。 ジャシンダ・アーダーンが首相になってのおおかたの感想は、 「これで経済ブームは終わりだべ」で、前方を注意している投資家やビジネスマンは、来年初頭くらいからの不景気を見越している。 理由が理由なので、オーストラリアの今年で公式に世界最長の26年目の好景気はつづいていくはずで、ニュージーランド名物のオーストラリアへの国民の大移動がまたぞろ起きるだろうことは、相当鈍感な人間にも想像がつく。 財政や経済に明るいビル・イングリッシュと異なって、演説を聴いていても、「こら、あかんわ」な経済への観察や発想が多いジャシンダ・アーダーンは、政争に勝つ名人ではあっても経済をとりしきるのは多分無理だろうと皆が考えている。 現に、「政権発足から1年は増税も税制の変更も行わない」と、きっぱりと述べていたのに、もう今月からガソリン税を増やして1リットルあたり11¢が上乗せされている。 ただでさえ世界最高価格の部類に属するニュージーランドはレギュラーで1リットル2ドル20¢というようなオオバカタレなガソリン価格になって、さっそく経済の重荷になっている。 … Continue reading

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デーセテーシタレトルオメン

若かった義理叔父とかーちゃんシスターが、紆余曲折の、さんざんすったもんだ、曲がりくねった迷路のような道を歩いて、ついにエッチをするのだと一大決心をして、ふたりで半分ずつだしあって、いまはもうなくなった赤坂プリンスホテルの部屋について、窓の外をみると、素晴らしい東京の夜景がひろがっていて、義理叔父は、 Situated on a hill, this room commands a fine view! と述べた。 次の瞬間おきたことは、義理叔父にとっては一生わすれられないことで、普段は、荒っぽいようなふりをして、とても礼儀正しいかーちゃんシスターは、大笑いして、息をするのも苦しそうなほど笑い転げた。 「なんで、そんなこと言ったの?」と、わし。 「ギャグですか?」と従兄弟、すなわち義理叔父の息子。 憮然とした顔で、切り出した義理叔父によると、義理叔父の時代には、駿台予備校という主に受験に失敗した高校生の敗者復活戦を支援することを目的とした学校があって、その学校の出版部が「基本英文700選」という丸暗記用のフレーズブックをだしていた。 その257番に、 Situated on a hill, his house commands a fine view. という例文があって、バカバカしいことに、この700の古代英語文を律儀に全部おぼえていた義理叔父は、「英借文」をして、his houseのところだけをthis roomに替えて、ロマンチックな夜を盛り上げようとしてカッコヨク述べたつもりだったのでした。 次の朝、かーちゃんシスターは、いまではもう滅多に見なくなった人間の背丈ほどもあるバックパックを背負って、成田空港へのシャトルバスに乗り込んでいく。 まだこの時点では、義理叔父は、かーちゃんシスターが実は、イギリスでも有名な上流家庭に生まれて育った人で、家系には綺羅星のように高名な軍人や学者や文人が並んでいることを知らないし、かーちゃんシスターが、このヘンテコリンな日本人をどれほど愛していて、当時のひとが聞いたらびっくりしてしまうような決意を心のうちに秘めてヒースローへ飛ぶ飛行機に乗り込んで行ったことも知りません。 いつかオーストラリアのアデレードに住む帽子デザイナーのミナが、ずいぶん気に入ってくれた小泉八雲と奥さんのセツさんの話を書いたことがある。 長いけど、引用する。 『きみは、いま松江にいるそうで、正直に「うらやましいなあ」と思う。 ぼくは京都の日本海側から松江あたりまでの日本海側にあこがれがあって、柳田国男が生まれた町や、志賀直哉の短編で描かれた町、浜坂という小さな美しい浜辺のある村や、そういう場所をうろうろしてみたことがある。 松江にも行きたかったが、そのときは神戸でひとと待ち合わせをしていたので行けなかった。 ラフカディオ・ハーンという、変わり者で片眼、小男のギリシャ系イギリス人は、たいそうラッキーな奴で、その人生の後半に小泉セツという素晴らしい女びととめぐりあう。 小泉セツが英語をおぼえようとして使った手書きの英単語帳がいまでも残っているが、「アエアンナタハングレ」(I am … Continue reading

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日本語人への手紙

小説が登場すると魔女狩りが消滅する。 あるいは現代社会では、ほぼ完全に消滅した、魔女狩りを支えていた隣人への疑心暗鬼のある種の「空気」がなくなって、石に近所人のおかみさんをくくりつけて、 「浮いてくれば魔女」「沈んでしまえば非魔女」というようなことをやらなくなった。 訪問したことのない他人の生活の様子がわかったからです。 なるほど、他人というのは、こんなふうに暮らしているのか。 こういうところは、自分とおなじではないか。 ああ、こういうときに、こういう人は、こんなことを考えるのだな。 登場以来、人間が数百年にわたって熱狂する「小説」という形式は、もともと仮想的な情報の共有への情熱のせいで売れ続けた。 小説が明瞭に虚構だと納得されるようになったのは、比較的には最近のことです。 エドガー・アラン・ポーのいくつかの小説は、実体験として新聞に書かれたもので、読者はみなノンフィクションとして読んだ。 気球に乗って月へでかけたり、オランウータンが起こした殺人も、現実の出来事の報告として読んだ人が多かったでしょう。 面白いのは、それ以前から現実の報告はなされていても、ひとびとがより強く「現実である」と実感したのは、作り話である小説のほうで、この記事では詳しくは述べないが、やがて小説という虚構は逆に現実を生みだしてゆくようになります。 ここまで書くと、気が付く人が当然いるとおもうが、この小説と現実の関係は、いまの時代(←これを書いているのは21世紀が2割近く進んだところです)のインターネットと現実社会の関係と相似で、情報の共有がおおきく現実社会の様相を変えるネットと現実の関係の雛形は、小説と社会の関係に見ることができそうです。 情報が同時的に共有されることによって、世界はおおきく変化した。 少し、バカバカしい例を持ち出すと、インターネット以前には、ニュージーランド人は2年前のコンピュータを最新型と信じて、しかも他の国民の倍近い価格を支払って購入していた。 ビジネス側の仕掛けは、例えば、ハービーノーマンというシンガポール、オーストラリア、ニュージーランドに支店網を持つ家電&PC店であると、まずHPの最新モデルをシンガポールで売りにだす。 この在庫が、その年に捌けないと、オーストラリアに移動させて一年遅れで新モデルとして売る。 そこでも売れないとニュージーランドに持ってくる。 値段も酷いもので、いつか、クライストチャーチにいたときにPCが壊れて、シンガポールに行くヒマがなかったので、やむをえずにブリスベンのゲートウエイショップに行くことにした。 ごく標準的なスペックのノートブックコンピュータが6000ドル(50万円)で、カリフォルニアのFry’sで同スペックのコンピュータを買う2倍近かったのをおぼえている。 インターネットが生活のなかに入ってきたのは、ニュージーランドでは1997年頃で、まだ、ピイイイーガアアアアーだったが、ナイーブなニュージーランド人たちも、やっこらせどっこいしょな感じで表示されるアメリカのPC店の価格をみて、自分達が長いあいだ騙されていた、というか、ぜんぜん判っていなかったことを悟った。 こういうことは、おもしろいもので、例えばぼくが、「コンピュータ、カリフォルニアに行くと、ずっと安いんだよ。往復の航空機券代をだしてもパロアルトに行って買ったほうが安いよ」と述べても、へええええー、そうなのかああーという反応が返ってくるだけで、実感というイグニションがかからないので、ただ知識として頭にとどまるだけであったのが、自分がネットスケープの画面でデルの価格一覧をみると、俄然、不愉快になって、「二度とニュージーランドのPC店でコンピュータを買うものか」とおもうもののようでした。 このあと、急速に英語世界という巨大コミュニティが出来上がって、ニュージーランドも、そのコミュニティのメンバーになって、情報と知識が共有され、スコットランドの知恵や、イングランドの知恵、アメリカの知恵やカナダの知恵….と、どんどん共有されていって、新しい常識の分厚い層が生まれて、その「常識」の土壌のうえに、男女性差別の解消や、セミコロン、鬱病との戦いや、主にムスリム人が対象の宗教差別との戦い、同性愛への偏見との戦い、さまざまな矛盾が可視化されて、共有され、少なくとも英語世界では、オーストラリア人であってもアメリカ人であっても、アイデンティティは、英語人であることのほうがおおきくなって今に至っている。 物理的距離をインターネットが埋めて、どういうことになっているかというと、いまの世界では、公平に見て、英語圏諸国とインド、シンガポール、ドイツ、オランダ、北欧諸国がひとつの巨大な「常識」を形成しつつあって、その価値観と真っ向から対立する形で中国語圏がある。 その周辺にフランス、ロシア、アジア諸国、この文章は日本語で書いているので、切り放してかけば日本、という国が存在している。 インドはもともと英語国とは言えないが、どんどん英語化して、かつての上流家庭に限らず、中流家庭に至るまで、家庭内の会話ですら英語で行われる例が増えて、逆に、インド人の「間違った英語」が英語全体に影響を与えるほど、おおきな影響力を持つようになって、これはこれで、別稿をたてたい、おもしろい勢力をなしている。 よく引き合いにだすpreponeくらいから始まって、インド英語は、例えばイギリス人の英語のなかにも入ってきている。 英語の標準化も顕著で、たとえばニュージーランドの歌手Lordeとカナダの詩人の対談を見ていると、若いふたりとも盛んに「tortally」を連発しているが、もともとのイギリス人の耳には、これはアメリカ英語で、ところが、いつか奇特にも日本に日本語を勉強しに来ている若いケンブリッジ卒の女の人が友人らしい人にツイートしているのを見ていたら、やはり「tortally」で、なんとなく、微笑ましい感じがした。 思考が平準化されるのは、もちろん良いことではない。 オーストラリアやニュージーランドには「Westfield」という巨大ショッピングモール運営会社があって、最近は、マンハッタンにモールを出したり、ロンドンでは、やや高級風な変わり種ショッピングセンターを出したりしている。 こういう大資本には、怪物的な、世界を退屈な場所に変えるパワーがあって、ほら、日本でもイオンがあって、ワタミがあって、という風景があるでしょう? あれとおなじことで、英語圏の国に行くと、どこにでもThe Body ShopがあってNikeがあるというバカバカしいことになっている。 それと似ていて、アメリカ人の思考があり、イギリス人の思考があったものが、急速に「英語人の思考」に統一されつつある。 一方では、日本社会は、一種の狂気におちいりつつある。 テレビもなく、ラジオもなく、インターネットもない部屋に365日暮らす人を想像してみれば、最も近いが、奇妙なことを信じはじめて、どこにもまったく存在しない世界を現実の世界として妄想しはじめている。 その世界では、アジアのなかではただ一国、日本が舞台のうえでスポットライトを浴びていて、世界じゅうが一挙手一投足に注目して、拍手喝采し、あるいはブーイングを浴びせている。 https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/12/18/mirrorx2/ 東京の書店の店先に「世界が憧れる日本」というような本が平積みされているのを見ると傷ましいが、信じがたいことに、それがフォトショップされた画像でもなんでもなくて、現実の光景なんです。 … Continue reading

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