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rule maker

TPPで最も奇妙なのはアメリカが熱心なことであると思う。 TPP自体については前にも書いた https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/03/17/tpp/ のでここでは繰り返さない。 奇妙だ、というのはアメリカはいちども「インターナショナルルール」に参加したいと考えたことはないからです。 アメリカの外交は「インターナショナルルールをつくるが自分は参加しない」のが特徴で、それはちょうど自分が描いた街路がちゃんと動いているかどうかを見つめる「シムシティ」のプレーヤーに似ている。 ヘンリー・キッシンジャーは20世紀最大の政治的知性であると言ってよいと思うが、このひとの判断で殺された人の数は何百万人という単位ではきかないだろう。 キッシンジャーはしかもその結果を予見して知っていたが躊躇せずに実行した。 リンドン・ジョンソンのチームがベトナム戦争の終結にほぼ成功したとき、リンドン・ジョンソンの側に立っていたはずのヘンリー・キッシンジャーはリチャード・ニクソンのチームにリンドン・ジョンソンがベトナム戦争を終わりにしようとしていることを教える。時期が迫っていた大統領選挙にリンドン・ジョンソンが勝利するためにはどうしても戦争を終結することが必要だったからです。 当時アメリカから南ベトナムへのメッセージを一手にひきうけていたAnna Chennaultは、キッシンジャーがチュー大統領にジョンソン達がベトナム戦争を終わりにしつつあることを告げ、どうやってすでに出来上がっていた和平をぶち壊しにしたか述べている。いまでは公開になっているFBIの文書にも「勝つのは我々だから和平はやめたほうがよい」とニクソンがチュー大統領に述べたことが載っている。 なぜキッシンジャーがこの時点でアメリカが戦争を終結するのを嫌がったかといえば、そこで戦争をやめてしまえば誰の目にも「アメリカが戦争に負けた」のが明かであり、アメリカが戦争に負けたということになれば「アメリカも他の国家と同格の一国家にすぎない」ということになり、国際ルールに参加する一国家としてふるまわねばならなくなるが、それでは世界の平和は保てない、という理屈によっていた。 副大統領候補にハンフリーを抱えたことが功を奏してニクソンに対して終始優勢に戦ってきた大統領戦の最後のダメ押しとしてリンドン・ジョンソンは北ベトナムへの爆撃停止を発表し、支持率は更に急激に上昇する。 誰の目にもリンドン・ジョンソンが大統領に再選されると見えたが、選挙戦の僅か3日前に南ベトナムのチュー大統領がパリの和平会談に出席することを拒否することによってほぼ完成していたベトナム和平工作は一挙に瓦解してリチャード・ニクソンが奇蹟の大逆転をはたして大統領の椅子に座る。 余計な事をふたつ書くとヘンリー・キッシンジャーという人は驚くべき人であって、大統領選の直前、リンドン・ジョンソンの和平工作の中心的人物であったDaniel Davidsonに「次の大統領がどっちになるにしろ、ぼくはその大統領の政策を決めることになるから一緒に働かないか」と補佐役への就任を要請している。 もうひとつは、余計なことと言っても書いておかねばならないことで、ベトナム戦争で死んだ兵士の半分は、このキッシンジャーの和平工作破壊のあとで死んでいる。 死ななくてもよい死を死んだのだった。 ヘンリー・キッシンジャーはリンドン・ジョンソンが大統領選に勝っても別に立場が変わりえたわけではない。 マキャベリよりも遙かに徹底的で数層倍の政治的知性をもっていたので、ヘンリー・キッシンジャーを「マキャベリスト」と呼ぶのはやや滑稽な感じがするが、そう呼びたければマキャベリストであったキッシンジャーは大統領などは誰でもよかったに違いない。 ジミ−・カーターでは困っただろうが、ニクソンかジョンソンかならば、朝食にパンケーキを選ぶかフレンチトーストにするかというほどの違いもなかったはずである。 だがアメリカが他の国家と同じ「国際的ルール」に参加する事態だけは避けねばならないものだった。 ヘンリー・キッシンジャーが思い描いた世界の未来へのロードマップは、まずアメリカがソビエトロシアと対決してこれを崩壊に追い込み、そのあとに必然的にスーパーパワー目指して成長してくる中国共産党とアメリカの全力を挙げて対峙するという図式で、キッシンジャーが考えた世界は50年後の今日、ほぼそのとおりの道筋を歩いてきている。 アメリカの外交政策は一貫して「アメリカがインターナショナルルールをつくるがアメリカは参加しない」というもので、よくこれをアメリカの横暴だと非難する人がいるが、横暴は横暴でも、アメリカにとっては力にまかせた横暴というよりもよりも遙かに本質的な問題で、こっちの図式のほうこそがアメリカ外交政策のアイデンティティになっている。 もっと言ってしまえば「アメリカ」という国家の本質なのだと思います。 アメリカは世界のなかの並外れた強国なのではなくてアメリカの庭のなかに世界がある。 アメリカを「世界のなかの相対的最強国」と認識する国は徹底的に潰してゆく。 おもしろいことに金正日のような政治外交とボードゲームの区別がつかないような独裁者はこのことをとてもよく理解していて、金正日がやっていたことは、このアメリカという存在への本質への理解なしにはうまく見てとることができない。 日本では不自然なくらいおおきな話題になっているTPPや、もうひとつの日本人の心にのしかかっている問題である原発問題ですらも、この認識なしには考える糸口すら見つけるのが難しそうに思えます。 (たまには往々にしてダジャレをなしている題名について説明すると英語の「rule maker」には色々な意味があります。調べてみると題名の意味が判ると思われる)

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初心者のためのラスベガスガイド

1 Macy GrayとSealのコンサートへ行った。 前座のMacy GrayがおめあてでSealはつけたしです。 Pearl というコンサート・シアターはThe Palmsというラスベガスの「ザ・ストリップ」からはおおきく外れたところにあるホテルで、初めて行くホテルだった。 運転手おっちゃんに、「ここに泊まると、遊ぶのに大変だのお。どういうひとが泊まるんだろう?宿泊費が安いのかな」と訊くと、大声で笑って 「若いひとが多いんでさ。考えもなしに泊まるところを決めてしまう、若くてアホなひと」という。 宿泊費も同じなのだそーである。 Macy Grayは相変わらずサイコーで、あのやる気のなさそーな態度から歌い出すと、たくさんのひとを泣かせてしまう。 カバーでEurythmicsの Sweet Dreamsを歌ったが、なにしろ前座なのでMacy Grayの名前もしらない人でがやがやしていたのがしぃーんとなってしまうくらいよかった。 Macy Grayの歌のうまさは普通ではない。 モニもわしも特別な席でなくて、Sealになればダンスフロア化するのがわかりきっている前列は避けて(Sealなんかで踊るとうらぶれた気持ちになるであろう)そのすぐうしろの舞台からの中心線に近いボックスの席を買った。 StubHub http://en.wikipedia.org/wiki/StubHub で買った切符で、誰かが買った切符の転売なので切符の名前がモニとわしの名前ではないが、アメリカでは普通のことです。 開演まで30分くらいあったので、モニはシャドネ、わしはウイスキー・ソーダを飲みながら、まわりのひととのんびり話して待った。 両隣は地元のラスベガスのひとで片方のカップルはもう22年ラスベガスに住んでいる。 「ファイナンシャルコンサルタント」だが、いまはトラックの運転手やいろいろな仕事をやって凌いでいる。 いまは誰にとってもたいへんなときですのい、というと、その通り、でもアメリカは希望の国だから、なんとかなると思ってる、という。 (あたりまえだが)堂々としています。 必ずなんとかなる、と信じられるところがアメリカの良いところで、40代らしいそのひとは決してそう思い込もうとしているわけではなくて、実際に、いちどはうまくいかなくなったが頑張れば成功できる、と考えている。 努力して「がんばれば」、そのうちに成功するだろうと信じている。 どんな時代でもアメリカという社会の強みはそこにあったが、いまも変わらないよーである。 よく中年をすぎて「人生おわりだあ」というひとにあうと例としてもちだすが、マクドナルド創業者のレイ・クロックが「マクドナルドシステム」を設立したのは52歳のときだった。 カフェとペトロルステーションのおやじだったサンダースじいさんがフランチャイズビジネスを始めるのは62歳のときである。 地面を踏みしめた二本の足を踏ん張って、固く握りしめた両手の拳で世界と正面から向き合って戦って勝とうとするのは、いまではピューリタンの伝統であるより「アメリカ」の伝統であるだろう。 斜め前(眼の前の席ふたつは空席)のカップルはロス・アンジェルスから遊びにきている。 最近のコンサートでは写真を撮っても怒られないことになっている(撮ってはいけない場合はアナウンスがあります)ので、おばちゃんはサムソンのS3でとりわけSealの写真を撮り狂っていたが、そのS3のケースが鰐皮のケバイケースだったので、どこで買ったか訊いてみるとS3のケースはどこにでもいろんなの売ってるわよ、と不思議そうに訊き返された。 ニュージーランドでお籠もりさんをしているうちに、すっかり田舎人になってしまっておるよーだ(^^) コンサートが終わってからモニとふたりでバーで少しだけ酒を飲んだが、土曜日のカシノはチョーうるさいので、クルマを呼んで、まだ12時になったばかりだったがアパートに帰ってきた。 乾いた熱風が気持ちのよい深夜のテラスで、ふたりでコクテルをのんで3時頃まで話しました。 2 … Continue reading

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マンハッタン

マンハッタンという街は、わしにとっては親しみのある街でチェルシーの南の端にある自分のアパートからヴィレッジ、イーストヴィレッジ、ソーホー、トライベカというようなところには、よく出かけてもいけば持ち主や働く人たちが顔なじみでもある店や場所もたくさんある。 友達の大半は「アップタウン」という名前がついている、わしのアパートよりはずっと北のセントラルパークの東側に住んでいる。 モニさんがもともと住んでいて、いまももっているアパートもそこにあります。 最近こそは流行で、早い話がジェニファー・アニストン  http://en.wikipedia.org/wiki/Jennifer_Aniston がわしが家のすぐ近所に越してきたりして、なんだかだんだんビミョーな形勢になってきてしまったが、もともとはビンボ人が住むところである、わしのような南のどん詰まりに住んでいる人間は珍しい、とたとえばここにくるひとびとのなかで言えばマルクス博士などはいうであろう。 ダウンタウンとアップタウンでは、生活そのものがまるで違う。 モニのアパートにはドアマンがいて、いつもはぶちひまをこいている運転手のおっさんがいる。中に入ると、上階まで吹き抜けのホールがあって、綺麗なカーブを描いた左右一対の階段があります。 公園の西側に多くある、もっと安いアパートは、値段はわしのチョーボロイアパートと同じくらいか安いくらいだが、敷地に余裕があって、だいたい伝統的には広い中庭を囲んで建っていて、ふたつないしよっつある玄関にはアフリカンアメリカンのおっちゃんが電話機がちょこんと載った小さな机の前で、所在なげに座っている。 住んでいる人の顔と名前を、もちろん憶えていて、朗らかな声で挨拶してくれます。 それはそれでなかなか良いものである。 電話をして店をあけてもらうタイプのモニが好きな店がまわりにたくさんあることを別にすればアップタウンに住んでいてもっとも良いのは、セントラルパークとリンカーンセンターが近いことであると思われる。このふたつに代表される、いろいろな公演があったり大規模な展示があったりする場所(なんと総称するのかわからん)が、だいたい歩いて10分の範囲にあるので、あんまりいろいろなことを考えなくて住むよーだ。モニがわしと結婚する前のモニの生活を考えるというと、まずセントラルパークの東側のアップタウンにはフランス人がごちゃまんと住んでいるので、気楽に遊べる友達に困らなかった。 もともと欧州人が多い地区なんです。 天気がいい日には、たとえば、穏和で成熟したオトナのカッコイイ青年(わしのことね)と待ち合わせて、セントラルパークの、起伏のある、造形が楽しい公園を散歩するだろう。 あるいは女の友達や、いま述べた 穏和で成熟したオトナのカッコイイ青年とリンカーンセンター http://new.lincolncenter.org/live/ にでかけて、リゴレットやなんかで、questa o quella、楽しい夜をすごすだろう。 超一流のバーやレストランも、歩いていく範囲にいくらでもあります。 ときどきは馴染みのブティックに電話をして、店の主人と自分がデザインしたイヤリングをつくってもらう相談をしたりもするに違いない。 ところで、一方、 穏和で成熟したオトナのカッコイイ青年、すなわちわしのほうは、チェルシーの南端のアパートからセントラルパークまで歩いて行くと1時間弱(^^)かかります。 地下鉄で行くと20分弱だが、生粋のニューヨーカーのひとびととは違って、わしは歩いてゆくほうが好きである。 それも一気に歩いて行くわけではなくて、モニさんとデートするために、あちこち寄りながらおよそ3時間くらいをかけて移動したものだった。 まことにヒマなひとである。 ヒマすぎる。 ニートだもん。 古式ゆたかな日本語でいうと住所不定無職。 こっちのほうが胡乱げでかっけえのに、と思うのはわしだけだろうか。 夏などは赤鬼みたい顔になりながら、セントラルパーク近辺の、相変わらずよく行くのできみには教えてあげない店に着くと、なんだかそのまわりだけ、ソフトフォーカスで、ぼおっ、と明るくなって後光がさしておるようなモニさんが手をふっておる。 そのひらひらとふられている、薄い、指の長い、綺麗なてのひらめざして、わしはデートだあーデートだあー、ぬふふふ、と大股で歩いて行くことになる。 すげー、遠い。 であるから、わしはひとりでリンカーンセンターのオペラやバレエにでかけるときには、行きはタクシーで帰りは歩いて、さっき聴いたばかりの旋律を口ずさみながら帰ることが多かった。この帰り方にもコツがあって、9番街などは初めはひとも少なくて、なかなか具合がよいが、途中からさびれた真っ暗な、しかもくだらない訛りかたの英語を話すアンポンタンが多い地域を通るので、左側に要所要所で方向転換をすることを要する。 逆に6番街やなんかをくだってゆくと途中でタイムズスクエアの大群衆にブロックされるので、やはり難儀である。 だいたい阿弥陀籤みたいなルートが5,6種類生じて、そのどれかで帰ることになります。 雨が降ると地下鉄だが、そーゆーときは帰らない。 帰らなくて、どーするんだ、うそつき、ときみは思うだろーが、帰らなくてもいいのよ。 そーゆーときはモニさんの家に泊まるんだもん。 … Continue reading

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Bang Bang

むかし、銃砲店で遊んでいるときに、店主のおっちゃんが、 「ニュージーランドは国民ひとりあたりの銃砲所持率が世界一なんだぞ」というので、 へえええー、と思った事がある。 その後、ずうううっと、それを信じていて、数年にわたって、かーちゃんとかにも述べて、意外だ、とゆってうけていたのだが、このあいだ、ふと思いついて調べて見たら オオウソであった(^^;) 全然、嘘。 http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_countries_by_gun_ownership ドイツについで22位です。 英語世界は口コミ世界なので、通常の状態で、ぜんぜん間違った情報が大群で世の中を闊歩しておる。 世の中のたいていのことは、どーでもよい、という強固なええ加減さが社会の基調をなしている、ともゆえるな。 多分、銃砲おやじは、40年代、若い衆がアフリカやなんかに出払った留守を狙って 「日本が攻めてくる」というので、パニクってばーちゃんたちまでライフルをぶっ放していた頃の統計を、自分のじーちゃんか誰かから聞いていたに違いない。 その頃は、合衆国の補給基地があったこともあって、ニュージーランドじゅうに武器があふれていたので、案外、一位だったかもしれません。 アメリカ人のビジネスマンなら、一度はニューヨークに出張するのに銃をもってゆくべきかどーか、というようなことを悩んだことがあるであろう。 アメリカ人友達に訊くと、これは結構、切実な問題で、たとえばフェニックスに住んでいるハードディスク会社の部長は、ふだんは銃をグラブボックスに入れて通勤している可能性が高い。 アリゾナ州では法的に「銃を隠してもって歩いてもよい」からで、わしにもハンドバッグにいつもちっこい22口径をいれて歩いているおばちゃんの友達がいる。 そーゆー生活をしていて、国内線に乗ってマンハッタンに降りると、論理的には、そこでいきなり逮捕される可能性があります。 たいてい、「すまんすまん」ですんじゃうけどね。 警察がやる気になれば逮捕できる。 12月2日版(ユーロが炎に包まれながら墜落している表紙のやつです)のエコノミストに、この不便を解消するための法改正の記事が出ている。 ところで、ここで、そーだよね、と思い出したのは、アルコール依存症の人でも講習をうけなくても銃がもてる、それどころか、まったくなんの規制もなくて誰でも銃を持って歩ける4州の名前に記事を読んでいきあたったときで、アラスカ、アリゾナ、ヴァーモント、ワイオミングというこれら4州に共通しているのは、あぶねー動物がいっぱいうろうろしている州であることで、アメリカでは、まず何よりも、こういう動物に襲撃されたときにために銃をもっている、という人がたくさんいる。 わしは自分では狩猟や競技用に銃をもっているが、キャビネットにはいって鍵をかけたまま、ほうっぽらかしです。 手入れもあんまりしないので、もしかすると、引き金をひいた途端に「バンッ!」と書いた旗が飛び出してきて野ウサギさんを笑かしてしまうかもしれぬ。 ワシントン州の友達と、シアトルのパイクプレースをぶらぶら散歩しながら話しているときに「アメリカ人って、なああんで、その辺に銃を転がしとくねん。あぶねーやん」と何の気なしにいうと、そのひとは立ち止まって、「ガメ! なんてことを言うの! 銃なしで歩いてグリズリーに会ったら、どうすればいいのよ!」という。 へっ?と思って聞いていると、このひとは子供のときからクマさんが襲ってきたときのためにショットガンをもって散歩していたそーで、「アメリカと銃」と言えば、 「自由は鉄砲からうまれる」とゆったリンカーンのゲチスバーグ演説…嘘です。 日本のひとはマジメなので、ことわりをいれておかないと、また集団で襲ってくるに違いない。 だいたい日本の人が襲ってくるときには先頭が猿人であるか小説家であるかに関わらず、何百というひとがいっせいに連携して攻撃してくるので、言葉のガトリング銃があっても間に合わないであろうとゆわれている(^^) 203高地の機関銃陣地で防戦したロシア人は、一面に累々と重なった日本兵の屍臭に鼻と口を布でおおって耐えたというではないか。 もっともわしは大学生のときにオオマジメに嘘を書いたら、日頃の品行方正、実直、誠実、という人物評価が災いして一部学寮が大パニックになったことがあるので、教養がない人間というのは困ったものである。 念のためにゆっておくと上の「自由は鉄砲から生まれる」というのは、日本人の「ケザワ・アズマ」という人の名言です。 アメリカ人は、銃が自由を保障するという神聖で雄々しいようなアンポンタンなような、そーゆーアメリカ的自由の象徴、Second Amendment http://en.wikipedia.org/wiki/Second_Amendment_to_the_United_States_Constitution な面から銃を考えているのだろうとだけ考えていたわしは、猛獣から身をまもるため、というようなとーぜんな理由を忘れていたのでした。 ワシントン州のクマさんは大きいので、ペッパースプレーやスタンガンでは、そりゃ無理だわな。 斧を出してみせて、「おのおのがた!」とゆってみても、頭に血がのぼってしまっているクマさんたちには冗談が通じないに違いない。 銃というものは、もっていれば判るが、所持すること自体には周囲への危険は何もない。 危険が生じるのは、「持って歩く」こと、就中、「隠してもって歩くこと」であって、アメリカの銃砲規制の焦点も実際には、そこにあります。 ニュージーランドでも、アメリカ並み、というか銃自体は「人を殺したいんですけど」とでも申請しなければ、簡単に所持できます。 … Continue reading

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アメリカ人たち

1 アメリカが繁栄した原因は人間性よりも「手続き」に信頼した社会をつくったことにあったと思う。 もっとも判りやすい例として刑事裁判を挙げると、合衆国の刑事裁判は、訴追から判決に至るまでのどの段階でも所定の手続きに違反した箇所があると、それで被告は無罪になってしまう。 誰がどんなふうに見ても有罪である場合でも無罪になります。 「情状」というようなものは陪審員の心にははいりこめるが、アメリカ人全体に「手続き主義」は浸透しているので、こいつ絶対やってんなああー、と思っても、それで有罪と決めては自分が犯罪者みたいなものである、ということが徹底している。 アメリカ人の大学教員の講義の特徴は、ごく判りやすい「幼稚園児相手にしゃべっとるんか」というところから始まって、このアンポンタンハゲめが、と思って油断していると、あっというまに話の核心にまで駆け上ってしまうことで、これも振り返ってみれば「手続き主義」の影響であると言えないこともない。 もっとショボショボとした趣のある連合王国人の講義とは、末広亭の落語と吉本の花月劇場くらいの違いがあります。 ビジネス上の会議でも同じであって、錐でもみこむような話し方をする連合王国人と異なって、これはこうだからこうでなければならんだろう、というような手続きに終始した話をすることが多い。 とゆっても判りにくいに決まっているので、違う言い方をすると第三者が口を挟みやすい話し方をします。 もちろんテーブルを囲んでいる人間達のパーソナリティによるが、傾向としては、連合王国人は何人並んでいても一対一の、ぶっ刺しあい、アメリカ人たちはボスの提議や質問を中心とした集団討議を好む傾向にあるよーだ。 わしの、ただの印象だけどね。 (いま書きながら考えてみると、そういう印象は、連合王国人が話し相手の顔しかみない傾向が強いのに較べて、アメリカ人は周りの人間の顔を見渡す傾向が強いので、そういう印象があるような気がする) 手続き主義の良いところは、なんでもかんでも可視化されやすいことで、あんまり秘密がない。インチキもばれやすい。 こみいったことでも体系化された「手続き」に沿って見てゆくと、案外、簡単にものごとが看てとれるようになっているからです。 2 連合王国人とアメリカ人の関係は、日本の人が通常考えているよりはずっと微妙であって、まず、お互いにお互いのアクセントが気に入らない。 ふつーの連合王国人は、ふつーのアメリカ人と話していると、なんだかキチガイと話しているみたい、と思う。 Rが響きまくって、声がでかいうえに発声が下品である。 ふつーのアメリカ人は、ふつーの連合王国人と話していると、このクソ野郎が気取りやがって、と思うもののよーである。 お互いが男同士であると、そう思うが、相手が綺麗なねーちんであった場合は、マンハッタンの男はコックニー語の女びとの発音に痺れて、ぼおおおーとなってしまい、 セブンオークスからやってきた若い衆は、テキサス出身の女びとの、まるい、おおらかな笑い声に、うっとりして思わず結婚を申し込んでしまう、というような現実の事象を考えると、なんとなくお互いのアクセントへの反発の源がどこにあるか判るような気がするが、 これには他の要素もあるかもしれなくて、連合王国の女のひとのなかには、アメリカ人て、やりたがりのペニスが勃起したまま歩いてるみたいで付き合いたくない、とおそろしい表現をするひともいます。 わしは、この発言についてはコメントしないことにする。 コメントすると、連合王国人の男が、しょんぼりとうらぶれたペニスが歩いているみたいであることを認めることになるからではありません。 マンハッタンには、たとえば, 「One If by Land, Two If by Sea」 http://www.oneifbyland.com/gallery.html というレストランがある。 奥のテーブルでのんびりするにはコースごと頼まなければいけないのが難点だが、あきらめてコースを頼んでしまえば気楽にしていられるなかなか良いレストランなので、わしも、ときどき出かけます。 しかし、このレストランの名前はHenry Wadsworth Longfellowが書いた、対英戦争のときの有名なPaul Revere’s … Continue reading

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チップっぷ

昨日の芸能ニュースで、Jay-zが5万ドルのチップをはずんだことがニュースになっておった。 http://nz.entertainment.yahoo.com/celebrity/news/article/-/10068997/jay-z-leaves-50k-tip/ ウエイターのひとびとは、決してオカネという意味だけではなくて大喜びだっただろうと思います。   合衆国にいるときは、わしは、だいたい支払いの額面の2割から3割くらいをチップとして払うことが多いようだ。 ときどきプロフェッショナルであったり、独創的なサービスに出会ってカンドーすると8割くらい挙げてしまったり、ピアノを弾いているひとの腕前にぶっくらこいて、ピアノの上に100ドルおいてしまったり https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/05/11/ するが、ふつーは、20%から30%しかチップを使わない。 ここの店のサービスはひでーなあー、と思ったときは、しかし、あげない、というわけにはいかないので10%くらいにしてしまうこともあります。 それより低い、ということはない。 アメリカ人のサービス業人は、チップで食べているので、いかにコンジョの悪いウエイタであろうとも、ゼロ、というわけにはいかないからです。 テキサス人の友人たちなどは、「ガメはチップが多すぎる」という。 わしの仲の良い年長の友人、テキサスおやじなどは、ダラスのバーで、頼んだものの金額の20%のチップをあげたら、ウエイターに向かって歩いていって、半分、手からもぎとって、わしのところにもってきた。 「あんなにチップを払っては、社会のためによくない」とマジメな顔でいう。 もっと、気をつけてくれなくては困る。 この頃は、アメリカでは、客が計算しやすいように勘定書の下に15%と20%に分けて金額が自動的に印刷されているものがある。 アメリカ人でも、(考えるのがめんどくさいので)チップといえば15%と決めて、うんと弾むか、というときには20%、というふうにチップの習慣が機械的な手続き化しているからでしょう。 わしは、アメリカのこのチップを渡す習慣が嫌いではない。 オカネ、というところが嫌は嫌だが、特に人柄が良いひとにサービスを受けたときやなんかには、手軽に感謝をあらわせるので便利であると思う。 いまちょっと、そう言えば、と思って日本語サイトを見てみると、案の定「連合王国でのチップは10%から15%」と書いてあるが、もともとは、連合王国人はチップなんか、全然渡しません。 外国人観光客が(UKでは厳密に言えば違法な)チップの習慣をもちこもうとするので、サービス業の人間がさもしくなって迷惑している、とゆってもよい。 連合王国では、チップというのは、あくまで(いまでは恐竜並みの絶滅種である)上流階級人の習慣にしかすぎません。 「心付け」というものはあるが、要するに日本と同じことで、相手が愉快なやつであったり、人柄がよくて楽しかったりした場合は、ふつーに、「にーちゃん、釣りはいらねーぜ」という。 あるいは、いきなり近所の店に走っていって感謝の気持ちをあらわすためのプレゼントを買ってきたりするとヘンなひとだと思われるので、咄嗟に現金を渡して感謝を表現することもある。 それをチップと言えばチップだが、あれがチップならば、日本もチップ社会だということになります。 わしは東京では、よく「おつりはいりません」をやっておった。 この頃は、さもしくも「勘定書にはサービス料は含まれていません」というくだらない能書きをいれているバカ店もあるが、わしなどは、そういうのを見ると、金輪際チップもどきはくれてやらん、勘定そのものも払わないで逃げちゃおうかしら、とむかっ腹を立てる。 我が国は、どうなってしまったのだ、と憤慨する気が勃然と起きてくる。 逆に、サービス料が含まれている勘定書も多いので、「こんなサービスでサービス料とるなんて、はっは、ジョーダンは佳子さん」とゆって、そのぶんを支払金額から引かせることはあります。 ついでに他の日本語旅行サイトを眺めてみると、バルセロナみたいなところに出かける人にも同じことが書いてあるが、はっはっは、カタロニア人がチップなんかそんなに出すもんけ。 チップなんか15%も払った日には、「金持ちにみせようと思って、バッカなんちゃう?」と後ろ指をさされるくらいが関の山である。 カタロニア人の「チップ」は、せいぜいがとこ、ポケットのなかで重たくなったバラ銭を1セント硬貨から何から勘定書のトレイに山盛りにして置いていくくらいのものです。 誰でも知っていることではあると思うが、ついでのついでに述べておくと、合衆国では硬貨をチップに渡すのは大変失礼です。 そーゆーことをすると、次に行ったときには珈琲に塩がはいっているかもしれむ。 彼の地では1ドル札がいまだに威張っているのは、チップの習慣が大きな理由であると思います。 ニュージーランドでは、相手がとてもよくしてくれている、と思えば、心をこめて「ありがとう」という。 チップを渡す、というのは、よほど異常なことです。 オカネで感謝をあらわす、というのは成金のやることなので、下品、なのね。 ニュージーランドでは、他の英語国に較べてもなおさら、客とウエイターや店員は対等の関係なので、自分が親切にしてやったからといって、オカネをもらうのはヘンだ、という常識なのです。 アメリカ人の観光客にチップを渡されて怒り出したウエイトレスのおばちゃんを、わしは見たことがある。 … Continue reading

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食物図鑑_その9_マンハッタン中華篇

何を飲むか、というのはほとんど「何を食べるか」によっている。 それはマナー、とかいうようなものではなくて、あるいはマナーの問題であっても、そんな決まりはクソくらえであって、濃厚でスパイシーなシラズはグラスフェッドのビーフステーキには欠かせないし、生牡蠣を食べるのに赤ワインを飲むバカはいない。 鮨を食べるのに白ワインを飲むひともいるが、「日本の白ワインは鮨とあうものがあるんだよ」なんちゅうひとは、味蕾が国粋主義に傾きすぎているのだとしかおもわれぬ。 逆に、ワインを飲まないガリシア料理とかバスク料理、あるいは北でも南でもフランス料理を想像すると、考えただけで索漠として、そんな食事をするくらいなら、マクドナルドのドライブスルーに並んでフィレオフィッシュをほおばりながら世を儚んだほうがマシである。 だからたとえばスペイン料理を食べれば、どうしてもワインを飲んでしまうであろう。 こういうことを日本語では「不可避」という。 モニさんは、とてもマジメなひとです。 わしのように日曜日の朝に嬉しいことがあったからとゆってチ○チンを振り回して喜んだりしないし、金曜日の夜中の広場で酔っ払って禿げ(スキンヘッド)をからかって、頭をペタペタしたりもしない。 マジメなひとの如実な弊害は、他人がフマジメによって不利益を被ろうとしていると、おまわずマジメにしなさいとゆってしまうことで、そーゆーわけで、わしはときどき酒を飲まない日なり期間なりをつくらされる。 わしの頭は、別に考えなくても、モニが「….しなさい」というと、自動的に聞いてしまうモニATSがついているので、飲むな、とゆわれると飲みません。 ヘーキである。 モニが、今日は飲むのやめよーね、とゆいながら、自分だけシャブリを楽しんでいても(たびたび、あります)別に我慢できなくなったりはしない。 しかしモニのほうでは、わしをかわいそうに思う気持ちがあるよーで、たいていは純粋にモニの思いつきだけで決まる、今日は飲むのやめようね、という日には、中華料理、インド料理、マレーシア料理、中東料理というようなものを食べたい、というようになった。 食べ物に飲み物が随伴していないからです。 わしは、もともと酔っ払いなので、こういう料理のカテゴリで好きなのは連合王国人の国民食であるインド料理だけだが、どーせロクな食べ物がないマンハッタンでは、たとえば中華料理みたいもんでも食べてみよう、ということになった。 四川で大地震が起きて以来、世界中には四川人が現れて、他の地方の中華料理の味からは想像もつかないくらいおいしい料理を饗しているという噂は、わしも聞いていた。 でも、マジメに食べてみるべ、と思ったのは今度が初めてです。 酸辣湯 に始まって、 担々麺 や涼拌麺 に続き、麻婆豆腐 で終わる四川料理を食べにでかけてみると、おもいのほかおいしいので、 酒を飲まない昼食には、結構よく食べにでかけたような気がする。 日本の人がたくさんいる「麻婆豆腐」というミッドタウンの料理屋や 大四川料理、というとぼけた名前の料理屋です。 四川料理に味をしめて、中華街にもでかけた。 「あーのさー、今度はじめて中華料理もおいしいんばあー、と思ったんですけど」と中国人の友人たちに話してみると、みな大喜びで中華街のおいしい店を教えてくれた。 わしが最も気に入ったのは、ラファイエットの料理屋で、ここは味が上品であると思った。おおげさではなくて味が「典雅」で、中華料理にも、こんな味がつくれるのかと驚きました。あくまで軽い、それでいて強い、繊細な味で、いまのシェフは限りなく天才に近い、と考えた。 このひとはサラダをつくるのも天才です。 ディムサムも、だから当然うめっす。 このディムサムソースを見よ 台北の鼎泰豊(ディンタイフォン)よりうまい小籠包をわしは初めて食べた。 うまいうまいばかりではバカみたいだが、このひとがつくるものは、ほんまにうまいのだからやむをえない。 アスパラガスの炒め インゲンマメと豚の炒め 野菜ときのこのポット 極めつけはチャーハンは、ぶっくらこいちまうくらい上品な味である。 うめっす。 夜、行ったのでいまみたら殆ど何も写ってない北京ダックも極楽どした。 … Continue reading

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