Category Archives: ゲージツ

ブルースを聴いてみるかい?

詩が、たくさんの人に読まれるのが難しいのは、そこで表現されている言語の美、あるいは「高み」に届くためには読み手の側に訓練が必要だからである。 その観念が励起した場所にある「高み」のなかで表現の絶対性を獲得した言葉(詩句)を田村隆一は「定型」という言葉で呼んだ。 詩は、そのひとそれぞれの解釈があるから、というのは単に「私には詩が読めません」と告白していることに他ならない。 詩はまさに「ひとそれぞれの解釈」を許さないことが特徴だからです。 あざやかなるかな武蔵野、朝鮮、オルペウス という吉増剛造の詩句を考えると、古い意味の音韻の定型は存在しないが、 あざやかなるかな、と故意にひらがなで書かれた言葉のなかに含有された「鮮」という漢字の形と朝鮮、表音から形象に言葉が転移したことによって逆に「朝鮮」からは朝の鮮やかさが呼び起こされて、武蔵野とオルペウスの呼応を支えている。 吉増剛造は、たとえばその詩のなかで「高麗川」という単語を同じような言葉の冒険のなかで使う事によって、日本人が半島人に対してもっている(日本人が意識することすらなしに言語を通じて表明している)歴史的な敬意を表現することに成功している。 書かれたもののなかではいちども述べられないが、背景には吉増剛造という人が日本人の美意識そのものが半島人の文化に由来していることを熟知している、ということがある。 そうして、詩句全体の定型を強固にしているのは、武蔵野、朝鮮、オルペウスというみっつの「遠く隔たったもの」を邂逅させた詩句の構造である。 詩人が発想したのではなくて言葉同士がよりあって詩人の手をとって詩句を書かせたのは助走や跳躍の試みがあますことなく描かれている詩の前後を見れば事情は明瞭にわかる。 余計なことを書くと吉増剛造の詩の特徴にひとつは詩人がどうにかして言葉と言葉をお互いに呼び合うようにさせようとする、まるで言霊を召喚しようとする巫女の儀式のような過程が詩のなかに詳細に描き込まれていることであると思う。 読み手の側ですぐれた詩のもつ絶対性に呼応できるだけの「観念の高み」をもつには、それぞれの言語における口承古典文学から始めて、その言語のもつ情緒の形や歴史性を理解することがもっとも近道だが、読書によっても、才能がある人間ならば表現の絶対性がもつさまざまな「定型」、もっと平たい言葉で言えば「あたりの感覚」をもつに至ることはできる。 現代世界では詩自体が死滅してしまっているが、まったく存在しないということではなくて、ちょうど恐竜の絶滅の原因について天井まで届く本棚のあるライブリで議論しているふたりの生物学者たちが、部屋の片隅の鳥かごのなかで自分達を不思議そうな顔でみつめてクビを傾げているインコ自体が恐竜の子孫であることに長い間気づかなかったように、かつての詩は「歌」に姿を変えて生きているのであると考えるのがもっとも適切であると思う。 歌詞のある音楽は、詩と解釈に相対性を許さないチューンとの相互補完でできている。「定型の高み」を言語が内包する歴史的な情緒の組み合わせによらず音楽というより普遍性が高い「定型」に聴き手への正確な伝達は任せて、解釈にゆらぎの余地がおおきな言葉を使っても、送り手が身をおく精神世界の全体が聴き手に届くという仕組みをもっている。 ジャズとブルースのおおきな違いはジャズが言語との補完をめざさずに音楽のみで「定型の高み」を精確な形のまま聴き手に届けようとするのに対してブルースは言葉と音楽が寄り添って、相手に自分の魂が置かれている場所そのものを投げてよこそうとする点にある。 音楽の側からみればジャズのほうが本道であるのはあたりまえだが、重要なことは、ブルースのようなやりかたでは、相手に向かって投げて、寸分の変わりもない形で受け取らせる「自分の魂の形」が「高み」でなくてもいいことで、ブルースや、ブルースに由来するブリティッシュ・ブルース、アフリカン・ブルース、というようなものはみな、ブルースがもつその機能に依存して広汎なひとびとの心に訴えていった。 2003年、ニューヨークの名物男 Jack Beers  http://nymag.com/daily/intelligencer/2009/12/jack_beers_94-year-old_strongm.html が建設に参加したRADIO CITYで行われたブルースの祭典「Lightning in a Bottle」 http://www.imdb.com/title/tt0396705/ は素晴らしいコンサートだった。 登場した歌手たちの顔ぶれだけを見ても、 David Honey Boy Edwards, Keb’Mo, Odetta, Ruth Brown, Buddy Guy, Larry Johnson, … Continue reading

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美人について

子供の頃、牧場に立って空を見ていたら、白雲がユニコーンの形をつくって駈けてゆく姿になったのを見て驚いたことがあった。 そういう出来事を目撃した時の常で、記憶のなかでは随分ながい時間だったことになっているが、実際には2,3秒のことだっただろう。 「美しいひと」というのは、あのときの積雲のいたずらのようなものではないかと考えることがある。神様の一瞬の気まぐれ、あるいは天使がほんのいっときよそ見をしているときに、偶然が意地悪くはたらいて、この世のものとは思われない美しいひとをつくってしまうのであるに違いない。 美しいひとは、肉体の輪郭はおろか、肌の輝き、眼の色、髪の毛の質に至るまで美しい。 目の前にあるのは現実でも、どちらかというと幻に似ている。 幻でないのなら、きっと自分の頭がどうかしてしまっているのだろう、と考える。 いつか知り合いのパーティにでかけたら、よく知っている声がきこえて、 「ガメが引きこもってばかりいるのは、あれは、モニさんを寝取られるのが怖いに違いない」と言っている。 相手は、まさか、と言って笑っていたが、盗み聴きしてしまった当の本人は、 案外そうかもしれないな、と考えて、へえ、と思った。 モニというひとはさまざまな魅力があるひとだが、どんな男にとってもわかりやすい平凡な意味での女としての魅力もあるひとで、たいていのひとはドギマギして、いまにもひれ伏すか腰を抜かしてしまいそうなふうだが、なかには一目で恋い焦がれてしまって、「どうやってでも手中にしたい」と考えるひともいる。 「手中にしたい」というところで、もう旧弊で願い下げな感じがするが、恋に狂う男や女というのは意外と凡庸な情緒のひとが多いので、どうしても、そういう理解の仕方に傾くもののようです(^^;) そういう、男が本人だけが誰も気がついてないと思うたぐいの態様で、なんとかしてモニの関心をひこうと思ってあれこれ懸命にモニに働きかけるのを見ているのは、心配になることはないが、鬱陶しいと思うことはあって、結婚してからも、人間にはそうそう分別はありはしないので、たいして変わらないといえば変わらなくて、めんどくさいからひとにあわなくなっているのではないかとおもうことがある。 モニ自身は、もっとはっきりとそういうことが嫌いなので、それでパーティのようなものが嫌いなもののようである。 何の本を読んでも「自分が美しいとしっている女は興ざめである」と書いてあるが、モニにはあてはまらないようだ、というよりも、モニが美しいひとであることはごく自然に誰でも得心していることで、それほど自明なことを本人が知らない、というほうが考えにくいように思える。 美しいひとと結婚するというのは、いろいろな点で奇妙なことだが、たとえばモニのお気に入りのでっかいサングラスを外してくつろいでいるときには、ちょっと見回すとほぼ必ずカメラや携帯をこちらに向けているひとがいる。 そんなバカな、いくらなんでもそんなことがあるわけがないという人がいるだろうが、現実にそうなものは仕方がない。 レストランで話しながら、ふと厨房のほうをみると、いつのまにかシェフがこちらに向かってカメラを構えていて、眼があうと、バツが悪そうに右手を挙げて挨拶したりする(^^)  日本のフェリーで三脚を立てた一眼レフを正面からじっとモニに向けて写真を撮っている団塊おじさんがいて、いかにもモノ扱いされているようで不愉快だったので、ふたりで頭からコートを被って顔を隠してしまったことがある。 何分かそうして、なんて失礼な奴だろう、やだね、あんな人、とコートの下で言い合ってから頭を出してみたら、そのひとは相変わらずまだこちらに向けたカメラを平然と覗き込んでいて、なんだか暗い感じのするその無遠慮な執拗さにぞっとしたこともあった。 そこまで不躾なひとは少ないが、視界の隅にカメラを構える人が映るのは年中で、落ち着かないと言えば落ち着かない。 モニが12歳くらいになってからいままで、いろいろなひとが撮ったモニの肖像の数は、どのくらいになるだろうと思うと、なんだかおもしろいようなおもしろくないような曖昧な気持ちになります。 むかしは美人というのは、基準が歴史や文化の背景によってつくられるもので、時代や場所によって同じ姿や容貌のひとが美人であることになったり凡庸な容姿のひととみなされるのだろう、と考えていた。 美術の解説本のようなものにも当然のようにそう述べられているし、信じやすい理屈でもあった。 ところが幕末の日本人が書いたものを読むと、西洋人の女たちを初めてみるのであるのに、その美しさにびっくりしてしまっている。 福沢諭吉というひとなどは渡米して百科事典よりなにより驚いたのは若い女の美しさで、この、なにごとによらず物怖じするということがなかった幕末の啓蒙家は、写真屋を連れてサンフランシスコの町を歩き回って、これは、と思う美貌の女びとを呼び止めては写真を撮ったもののよーである。 一方ではハワイ大学で教員をしていた中国系アメリカ人の女のひとは「源氏物語ですら肌の白さを美の基準にしているところをみると、日本人はむかしから白人崇拝の悪い傾向があったようだ」という論文を書いて物議をかもしたことがあって、遠藤周作という作家が大憤慨しているのを読んだことがあるが、いくらなんでも、憤慨するまでもなく、 珍説にすぎないのは誰にでも明らかであると思う。 注意して眺めていると、人間の美にも「絶対の基準」というものがあったようで、そのときによって、ふくよかで乳房が小さいほうが美人とされたり、瓜実顔の引目が賛美されたり、あるいは現代の世界のように眼がぱっちりと張っていて、瘦せて腰がくびれていたほうがいいというようなその時代の傾向とされるもののほうが返って観念的な誇張であったのだと思われる。 ひとつには、自分が生まれた家にもモニが生まれた家にも、写真のかわりというべきか、遙か昔に描かせた肖像画という悪趣味なものがいくつもあって、それを見ると、家に「周囲が困るほどの美人であった」と伝わっている人の肖像は、意外なほど現代的な面立ちで、世紀を越える眠りからさめて絵画のなかから、よっこらしょといまの世界に降り立っても、数ブロックも行かないうちに求婚者があらわれそうな人がいて、観念的な時代や地域による嗜好とは別に、人間が普通に美しいと感じる面立ちなり姿なりというものがやはりありそうに思える。 いまでもモニにあまり笑い話でもなさそうな顔で嫌みを言われるが、もともとはアフリカ人たちの褐色に太陽が凝縮したような姿が好きで、週末に遊びにでかけるのもアフリカ人の女びとが多かった。 誰でも知っているとおり、アフリカ人には現実とは到底信じられないほど美しいひとがいて、まるで女神のように輝くひとを見つめたり抱き合ったりしていると、頭がぼおっとしてくるほどだった。 こうやって書いてくると、なんだお前は人間の外形ばかりをみて内面を見ないのか、ケーハクなやつだな、と言われそうだが、居直るというわけではなくて、実際、外形以外で女びとを好きになったことはないようでもある。 それは自分では判らないが異常なことであるかもしれなくて、母親がたまたま美しい人であったのと関係があるとすれば、そこには心理学的な理由が潜んでいるのかもしれない、と思うことはある。 小さいひとに自分の指をつかませて、飽きもせずにあやしているモニは相変わらず女神が嫉妬に狂いそうなほど美しいひとで、小さいひとに敵意を抱きそうなほどだが、モニもやがては年をとって、しわがうまれ、髪の輝きが失われてゆくのだろう。 もっとも長いつきあいの配偶者はお互いの眼には若いときの姿で見えているという。 案外としわも体のたるみも眼に映らないのかもしれないが。 神様のいたずらで、一瞬の時空の気まぐれのようにこの世界に生まれてきた「美しいひとたち」は、その美しさによって、周りの人間を驚かし、動揺させ、悲しませ、酷いときには破滅に陥れる。 むかしから(このブログ記事にも何度か出てくる)「絶世の美女」という古色蒼然とした表現を使いたくなる娼婦の友人がいるのを憶えているひともいるだろうが、あのひとなどは、自分の美しい顔と肉体にあわせて演技をすることはあっても、ほんとうは繊細な磁器をおもわせる容貌とは異なって、いわば「男」のような性格で、カシノで会うと、ブラックジャックテーブルに向かう他人の足を止めて、とにかく一緒にいっぱい飲もう、ひさしぶりだろ、と邪魔をしにくるのは、どうやら「ガメが相手だと自分の性格を捏造しなくてすむ」からであるらしい。 あたまに「高級」という形容がつくにしても娼婦という職業の選択は、魂と肉体が乖離していることと関係があるのかもしれない、と自分でも述べている。 … Continue reading

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日本の古典_その3 岡田隆彦

岡田隆彦は「詩を書く自分」が嫌いだったに違いない。 William Morrisについて書いているときの自分のほうが、遙かに好きだったようにおもえます。 だが岡田隆彦は頭のてっぺんから爪先まで、魂の表面から奥底まで、まるで全身に「詩」がしみ通るようにして、「詩」で全身がずぶ濡れになるようにして、詩人だった。 それも「抒情詩人」という、彼がいちばん嫌いなタイプの詩人だった。 そういう人間でなければ「ラブ・ソングに名をかりて」というような詩を書けるはずがないからです。 「 降りしきる雨の日に  あるいはまた干からびた冬の日に  私は変ってしまった  と言ってくれ  君の青白い額に唇を重ねると  唇が青くなってしまうのだ  こんなものが愛だとは  どこかの賢人さえも  僕らの所へやってきて叱咤するだろう  せめてもこの代に生れたことを喜び合って  いつものように電車に乗って帰ってくれないか  いつものように僕は手を振って君の顔を見ているだろう  君の額は悲しいし  僕の髪は長すぎる  あんなにきたないものでないので  性の話はしたくない  君と僕との小話は  不潔な根性丸出しに  アイラヴユウで始ったが  結句アイヘイチューで終らない  ぼやけたものだ  いつもの花屋に寄る気はしないが  黙って駅まで歩いていこう  それから僕は旅に出る  そこは平たい太陽が今も覆いかぶさっているだろう  砂ぼこりのたちこめるその里で  ジンとサンチマンへの抵抗力を作って  いっぱし月給取になり  自信に満ちて二等車から丸の内に降りるだろう  もう君は愛してくれないだろうから」 都会のまんなかに生まれた私立大学の学生にとって、1950年代末から60年代初頭の東京はどんなものだったろうか、という質問にこたえて義理叔父が貸してくれた本の一冊が岡田隆彦の詩集だったが、その若い男の心の定型をそのまま切り取って詩にしたような、過不足のないリズム、意識と思考を追って、意識を追い越しもせず、遅れすぎもせず、伴走というには1歩か2歩遅れ気味に、自分の意識の流れについていく詩の数々に、すっかりうっとりしてしまった。 日本語の教科書がわりに、そのまま暗記してしまったのは、言うまでもありません。 二等車、というのはいまでいうグリーン車のことだが、 「いっぱし月給取になり … Continue reading

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日本の古典_その2 岩田宏

1 神田神保町 日本語世界を一見してぶっくらこいてしまうのは、詩の世界の豊穣さで、わしが通常「日本の詩」というときには、堀田善衛の「若き日の詩人達の肖像」という、ちょっと身体のあちこちがむずむずするような題名の本に活き活きと描かれた「荒地」の詩人達、牧野虚太郎、田村隆一、鮎川信夫、北村太郎、三好豊一郎、後年のメンバーでは吉本隆明、というようなひとたちや、西脇順三郎、瀧口修造に始まって、「ドラムカン」の詩人達、吉増剛造や岡田隆彦、あるいはここでこれから少しだけ書いてみようと思う岩田宏、というようなひとたちを指している。 そのうえに言うまでもなく戦争前には中原中也がいて石川啄木がいて萩原朔太郎がいて三好達治がいて、しかもそのうえに戦後になってもなお寺山修司のような天才歌人を生んだ短歌の広大な世界があり、俳句というおそろしいものまであって、日本はつくづくヘンな国であると思う。 岩田宏は小笠原豊樹という名前でロシア語と英語の膨大な翻訳をこなした。 翻訳、というようなことは、本来できるはずがないひとつの言語からもうひとつの言語へ人間の精神活動を投影してみせることで、岩田宏はさぞかし疲れたことだろうが、白紙のほうがまだ中身が濃さそうな小説と、どうかすると1ページに宇宙そのものが書かれている原稿用紙一枚の詩とが同じ原稿料であるという途方もなくマヌケな原稿料システムを採用していた当時の日本の出版社では、(他の国でもやや異なる事情から同じようなものだが)「詩だけで食べる」というわけにはもちろんいかなかった。 岩田宏の翻訳の特徴は、ときどき原作よりも翻訳のほうが良い文章になってしまう、という訳のわからない仕事があったりして面白いが、しかし、岩田宏は第一義的に詩人で、しかも本人は全力で否定するが全身で詩人であった。 他に、この人を、どんな呼び方で呼べるというのだろう。 「神保町の 交差点の北五百メートル 五十二段の階段を 二十五才の失業者が 思い出の重みにひかれて ゆるゆる降りて行く 風はタバコの火の粉をとばし いちどきにオーバーの襟を焼く 風や恋の思い出に目がくらみ 手をひろげて失業者はつぶやく ここ 九段まで見えるこの石段で 魔法を待ちわび 魔法はこわれた あのひとはこなごなにころげおち 街いっぱいに散らばったかけらを調べに おれは降りて行く」 という出だしで「神田神保町」は始まるが、自分で記録したとおり、そのとおりの姿勢で 岩田宏は 「街いっぱいに散らばったかけらを調べに」 出ていった。 60年代の政治の季節のなかに。 巨大な鉄鋼の歯車に挟まれるようにして、たくさんの若い女や男が血を流している街のなかに。 「とんびも知らない雲だらけの空から ボーナスみたいにすくない陽の光が ぼろぼろこぼれてふりかかる」 「神保町の 交差点のたそがれに 頸までおぼれて 二十五才の若い失業者の 目がおもむろに見えなくなる やさしい人はおしなべてうつむき 信じる人は魔法使いのさびしい目つき」 「おれはこの街をこわしたいと思い こわれたのはあのひとの心だった あのひとのからだを抱きしめて … Continue reading

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コマツナさんのコメントを読んで考えたこと

コメント欄で「コマツナ」というひとが、テンプターズを知っているなんて、いったいいくつなんでしょう、と訊いているので、一瞬、人間の年齢の数え方でいうとおよそ2015歳とちょっとになる我が実年齢がばれたのかと思ってパニクったが、よく考えてみるとテンプターズなどはたかだか50年弱むかしのバンドに過ぎないので、特に二千年に及ぶ悪行がばれたのではないことに気がついて安堵しました。 しかし、こういう驚かれかたは、考えてみると、このブログを始めてから多分8回目くらいであってチロさんとかマココトとか、そーゆーひとびとに、浅川マキやなんかの話をするたびに懐かしがられてしまう。 そうして、(予想がつくと思うが)、こういう「驚き」は日本でしか成り立たないもののよーな気がします。 たとえば、わしの歳どころか、18歳くらいのそのヘンのガキをつかまえて訊ねてもジム・モリソン http://en.wikipedia.org/wiki/Jim_Morrison を知らない、ということは考えられない。 仮にLight My Fire http://en.wikipedia.org/wiki/Light_My_Fire が歌えないガキがいるとすると、そのガキはよっぽどのマヌケだが、 ジム・モリソンが死んだのは1971年、「Light My Fire」が初めに流行ったのは、 1967年のことです。 日本人の音楽趣味を代表する、ぴんからトリオの「女のみち」が400万枚売れたのは1972年のことなので、宮史郎がこぶしをうならせていた頃には、もうジム・モリソンはとっくのむかしにくたばっていた。 なぜ、こーゆー古い音楽がいまコーコーセイをしている諸君にも馴染みのある音楽であるかというと、英語世界では、ロックのごときものは、アイヌのユーカラのごとく、口承伝承されるものであるからで、ロックでなくても、たとえば The Three Stooges (1930年代)、Tom and Jerry(1940年代)、そして就中、「Monty Python’s Flying Circus」(1970年代)のようなものは、いやしくも大学生であれば、「スパム」の歌はちゃんと歌えねばならず、「やりすぎだよ、おまえ」と止められる、スペインの宗教裁判におけるテリー・ギリアムの形態模写も「そら」で精確に再現できるのでなければならないことになっている。 わしは「異文化蒐集家」なので、むろんのこと、「てなもんや三度笠」初出演の16歳のジュディオングも知っていれば、悪魔君の口まね、ナショナルキッドが飛ぶシーンのピアノ線まで、ちゃんと知っている。 のみならず、浅川マキ、シモンサイ、丸山明宏、ジャックス、水原弘、弘田三枝子などは歌える歌がたくさんある。 奥村チヨの「恋の奴隷」だって、ちゃんと歌えれば、ぴんからのトリオの「女の操(みさお)」という恐ろしげな題名の歌だって聴いたことがある。 われながら碩学でごんす。 日本で、たとえば高校生のガキどもが、かまやつひろしと笠井紀美子がデュエットするなかなかカッチョイイ歌を歌えたりしないのは、日本では流行歌が「消費」されてしまうからだろう。 「コマツナ」さんが述べていた「グループサウンズ」のひとびとは、きゃあきゃあという歓声なような嬌声のような訳のわからん阿鼻叫喚のステージに立って演奏しながら、「こんなクソ音楽ははやくやめて、まともなロックをやりたい」とひとしく念願していたそーである。 テンプターズもタイガースもオックスも、みな同じ悩みを悩んでいたわけで、そういう悩みにファンが反応していれば、日本にも伝承に足る音楽の文化が育っただろうけれど、ぬわあーに、彼らの頼みの綱だった「ファン」のほうは、別に彼らの音楽性を支持していたわけではなくて、ただきゃあきゃあゆってみたかっただけだったのです。 鼻をかめば捨てる、ティッシュペーパーと本質的には変わらない存在だったようだ。 戦争を通してヒューマニズムを描きたかったのに「黒い零戦」に乗った坂井三郎やなんかを描かされてくさりきってしまった「紫電改のタカ」のちばてつやや、ネームを編集者が全部書き換えて自分でいれてしまった漫画を描かされて精神に変調をきたした吾妻ひでお、というような例をもちだすまでもなく、漫画でも、ドラマで、映画でも、日本人の大好きな「一流大学」を出て、なんの才能もなく、マーケティングさえ、単なる鈍感人間の「山勘」から出た思いつきなのに、なんだかエラソーに何事か新しいものをつくりだそうとしている人間にあれこれ意見して、ドタイクツなクソ作品に仕上げたあげく、文化的価値なんか隅っこをほじくりかえしてもでてこないヘンな「文化商品」をでっちあげる日本社会の官僚制至上主義の伝統は、いまに脈々と生きている。 そこでもてはやされるのは、糸井重里くらいから始まったつくられた消費主義に幼いときから飼い慣らされた感性をもつ「消費者」に受ける「消費物としての創作」であって、そのあたりから始まった悪循環は、日本の文化を80年代くらいから、すっかり皮相なものにかえて、言語的に最も深刻衝迫した前線であるべき文学などはかけらも残らないくらい粉砕されてしまった。 僅かに普遍的な切迫した表現手段をもっていた漫画も、江戸以来しぶとい伝統の戯作の道を歩くことも出来たのに、もうとっくのむかしにアカデミズムっぽいこけおどしの衣装をまとったバカ「文学」派と相変わらず部数と読者数のことしかゆわないコマーシャリズムに自分のボーナスの額がかかっている出版社の商業主義との挟み撃ちにあって、ぺしゃんこに押しつぶされてしまっているのかもしれない。 せめて義理叔父の世代がまだ保持している、漫画の歴史的理解力、彼らのあいだでは伝説であるらしい「お荷物小荷物」のような世代財産的なドラマの記憶、そういうものが若い世代ではあたりまえのことになって、毎日刻々と大量に生産されては大量消費されて忘却の闇に大量廃棄される日本語文化が、せっかく質は高いものがまだ残っているのだから、 百年後の東京の町で、「はどどぼいるどどだど」と眉をつりあげる、高校生の姿を見たい、と日本文化に興味があった、いちガイジンは念願するのであります。 (画像はイーストビレッジ名物の「壁画」。これを見ると条件反射でカクテルを飲みたくなるのが難である)

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値札の付いた絵を見にゆく

1 オークションに出品される作品の下見に行った。 マンハッタンのサザビーズはルーズベルト島へのロープウエイの駅がある、(わしのアパートから見ると)すごおおおく北のほうにあります。 遠いんだよ。 わしはあんまり寝てなくてへろへろなので「タクシーで行くべ」と提案したが、モニさんは「良い季候だから歩いていきましょう」という。 うそおおお、眠いよお。 75thだよ、あそこ。 60ブロックあるねんで。 タクシーで行こうよお。 ダメならせめて地下鉄にしてくれ、とさんざん駄々をこねたが、ずっと駄々をこねながら歩いていたらグラマシーの辺りで調子がよくなってしまって元気になってしまった。 これだから、自分の身体は信用できない、と考えました。 懐かしい感じのするサザビーズの回転ドアをまわしてはいると、そこには大きな美人が艶然と微笑んでおる。 生姜色の髪に血色のよい頬、聡明を形にしたような額に、きみの眼ん玉にはクリスタルがしこんであるのかね、とゆいたくなるようなキラキラと輝く明るい青い眼が眼鏡の奥に輝いておる。 だから「美人」というほうは衆目の一致するところ問題ないとして「大きい」というほうは説明がいります。 ブログに書いちまうべ、と思ってさりげなく身長を確かめたら6フット2であった。 わしはごく最近までフットからセンチメートルへの変換に失敗して自分の身長も186センチだと思っていたくらいであるから、わしのcm感覚はあてにもならない。 今回はこの女びとの身長をグーグルセンセイにマジメに計算してもらったら、189センチであるそーです。 センセイ、計算、すごい。 モニさんは細っこいまま、ぴょおおおんと伸びて背が高いが「大きな美人」Kは、5フット6くらいのひとが微妙に縮尺を間違えて電送チューブから転送されてきました、ちゅう感じです。 全体に均整はとれているが、普通のひとが1割がたおおきくなったと思えばよろしい。 このひとは、美術型Rロボットみたいなひとであって、出展される作品についてすみずみまで知識をもっている。 美術史的な知識のみならず、前の持ち主、そもそもどういう経歴で作品が会場にたどりついたか、作家が美術史に占める位置、なんでも知っている。 帝国美術データバンクですのい。 画家が倒産したりすると、もう次の瞬間には知っているかもしれない。 与論島に住んでいる画家の年収を訊いてみようかしら。 ゴーギャンがでっち上げた胸像が12億円くらい。 マグリットのQuand L’Heure Sonneraが6億円くらい。 ピカソのFemmes Lisantが25億円。 たけえー、と思いながら、「説明するかね」というKに、「絵を観るだけでいいぴょん」とゆって、主にわしひとりとモニ+Kの二手に分かれて会場をうろうろするたわしたち。 こーゆーものも、当然ながら経済と連動していてたとえば合衆国の景気がよくなると現代絵画、とりわけピカソがびよよよよよおおおーんと高くなります。 おおむかし、日本の景気がよかったときはルノアールやゴッホ、シャガールの値段がやけくそみたい、っちゅうか、0が集団で行進しているようなバカ値段になった。 ところが合衆国の経済がおっこちてきても値段は案外こけないで高値で安定するので、だんだん「投資」として美術品を買うバカタレが出てくる。 バカタレというものは衆を為すという傾向があるので、みるみるうちに市場にバカタレが充満して最近はなんだか商業ビルの競売かこれは、という雰囲気になってきた。 なかには「俺が死んだら愛するゴッホの『ひまわり』と一緒に葬ってくれ」とバカタレが10乗されたようなキチガイバカタレの日本の生命保険会社の社長まで現れるようになった。 クリティーズだかサザビーズだかの社長が日本を名指しで「このクソ成金のおおばかたれが」と罵倒したのもこの頃だったが、それを聞かされたほうの反応は「あんたの言うこっちゃおまへんがな」であったと思います。 両方ともはっきりゆって不良会社だからな。 わしは「におくえん」とかゆわれると、もう自動的に美術物欲にシャッターがおりて、ゆってみれば長谷の大仏を眺めるように、ごく清明な清らかな気持ちになってしまうので、目玉の作品群は「たけえええー」と思っただけであった。 … Continue reading

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ベンキョーしよう

ロックバンドでねーちんたちにきゃあきゃあゆわれながら人生を過ごす、という手堅い人生の計画をあきらめたのは妹の陰謀だった。 わしをバンド仲間から引き離してあんないけないことやこんないけないことから遠ざけてしまった妹の悪辣な知恵についてはいつかは述べることがあるであろう。 いざ、あんないけないことやこんないけないことが一挙に生活から消滅してしまうと、わしはひどく退屈せねばならなかった。 大学と名の付くものに入るには、まだ間があるはずだったが、わしが生まれて育った国は日本のような工業規格品みたいな国とは違って途方もなくええかげんな国なので、 大学の片隅でしょぼしょぼベンキョーしてもよいことになった。 そこはえらそーで自分は頭が良いと思い込んでいるバカたれがたくさんいる気取り屋の収容所のようなところであって、そもそも収容所そのものに気が遠くなるくらいオバカな細かい規則が網の目のように張り巡らされていてくだらなかったが、それなりに良い所もあったと認めねばならない。 よくないところは、集まっている基地外の諸君が、それまでバンドの形で集合していた基地外とタイプが異なって「遊ぶ」ということにかけては、不細工というか粗野というか、オモロイことが何も出来ないひとびとだったことで、仕方がないから、わしはベンキョーをしようと考えた。 ベンキョーするに際して考慮したことは「向こう500年間に役に立つようなことはベンキョーしない」ということであって、わしは役に立つということが頭から嫌いなので、たとえば頭に「応用」がつくような学問や工学のようなものはとんでもない、と考えた。 いま考えてみると新しい画材・色彩を発明するとか世にも妙なる響きをもつ楽器を考案するとか音響学の奥義を究めるとか工学でも、役立たずの道を囂々と邁進する王道を歩くことも出来たわけだが十代後半のバカガキの頭では、そんな賢い考えは浮かばなかった。 西欧文学をやるのにラテン語が出来ないのでは、階級が下から3番目くらいの序列も知能も低い悪魔でも腹を抱えて笑うだろう。 それも、えーと、えーと、コーギートー、エルゴー、うーんと、スムなんちゅう調子ではダメであって、トマス・モアの一節くらいはカッチョヨク暗唱できるのでなければならない。近代ラテン語は、わしのボロ高校でも英語の時間にやらされるくらいで、差別がはかれないので、文学的教養とか文学的素養とか現代における死語を口走るには、せめて古典ラテン語が出来なくてはダメである。 実際近代ラテン語とそれから派生する諸方言が判らなければ、気取り屋のボストン人が書いた詩ひとつちゃんと読めやしない。  どうようにして科学では数学が出来なければダメである。 世の中には生物系という数学がまるで出来なくてもやれるとされる科学もなくはないが、あれは実は生物というものが(ぴー)…(この部分は良心による検閲の結果削除されました) わしは、どのくらい、ということはないが数学はだからよくやった。 数学者になろうと思ったわけではない。 どちらかというと言語を学習するようにやったのだと思います。 ひとりで机に向かって、というようなことはあまりやらなくて、気の合う友だちとビールをちびちび飲みながら、議論しながらやることが多かった。 そんなバカな、ひとりでやるのでなければ集中できないではないか、と日本のひとならば言いそうだが、慣れればこっちのやりかたのほうが遙かに数学がうまくなる。 輝く偽善のワタミ学術用語を用いれば、おすすめであります。 あるとき妹が妙に深刻な顔をして、わしの部屋にあらわれたことがあって、「おにーちゃん、わたし、このあいだ行ったKのパーティで…あのときよ、きっと…子供ができちゃったの! わたしの人生なんか、もう終わりだわ!」 ちゅうことかな、けけけ、無学者め、マジメな人間が羽目を外すと地獄の門がひらきやすい、という聖書の文句を知らんのか、この世にマジメな人間が破滅するということほどドラマ性があって楽しいことはなかりけりと喜んだが、そうではないのであった。 ベンキョーは、なんのためにすると思うか、という。 (く、くだらん) (全然、悲劇性というものがないやん) (だから優等生て嫌いなのよ) わしが「単位時間あたりの収入を上げるためであろうの」というと マジメに答えないと兄妹の縁を切るという。 ほんとうに縁を切ってくれたら欣喜雀躍だが、これまでの行動に鑑みて妹がそんな好条件で縁を切ってくれるわけがないので、ちょっと考えてみたことがある。 T先生と、わしは散歩するのが好きであった。 秋の丘陵をT先生と散歩していると、わしのパーな頭ではただの「森」なのが、先生の眼には高解像度の自然が鮮明に映っているのであってCGAとUXGAくらい違う。 夜になって「天上の無数の星」というようなことをわしが口走ると、先生はにやにや笑いながら、空に見えている星は空気が完全に澄んでいても5000もないよ、という。 一枚の葉をとりあげて、それから判ることを延々と述べてきかせる。 人間実践検索図鑑みたいなひとである。 先生とわしは同じ世界を見ているのに、そこから得ている情報は虫と神様ほども違うのであって、わしは教育というものなしでは人間というものはただの性能の悪い粗雑な認識装置にしか過ぎないことをよく思った。 勉強しても人間は向上したりはしない。 わしの行った大学は世界でも指折りのカッチョイイ大学ということになっているが、 そこに滞留している阿片崫の住人たちの頭のわるさを観察すれば、そのくらいのことは考えなくてもわかる。 しかし、その頭の悪い住人たちは話をしてみると判ることは、底抜けに愉快で、なによりも認識している世界が精細で豊穣である。 思い込みが少なくて、依拠している現実の有効数字の桁が多い。 … Continue reading

Posted in ゲージツ, gamayauber, 十全外人文庫 | 9 Comments