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個人のための後退戦マニュアル・その3

ニュージーランドではどこの電力会社から電気を買うか、ふつーに選べる。 3年前、日本にいたときに広尾山の家のクソ高い電気代に頭にきたので、「なんで東京では東京電力からしか電気が買えないんですかあ」と件のトーダイおやじたちに訊いたら、 「そりゃ、ニュージーランドみたいな小国は簡単にそういうことが出来るだろうけど、日本のような国は体系が複雑で難しいんだよ」ということであった。 笑いがこみあげてきて苦しかったのを、なんとか我慢して「そーですか」と答えたのだったが、大国なら大国らしく、ひとつくらい他の国がやってないことを自分の頭で考えてやらんかい、と考えました。 後退戦の殿(しんがり)にいるのは、多分人口の99%を占める「どこにも行かないひとびと」であると思う。 戦争について知識があるひとはよく知っているが、しんがり、って難しいのよ。 このひとたちが敵に背中を見せると全軍が潰乱してオシャカになってしまう。 戦艦大和はフィリピンの沖合でアメリカ軍の軽巡洋艦と駆逐艦の突撃にぶっくらこいて、くるりと反転してとんずらこいちったが、その後、日本の海軍が立ち直ることはなかった。 富士川の西岸で、いっせいに飛び立った水鳥の羽音にとびあがって逃げた平家の軍隊は、結局、潰乱に潰乱を重ねて壇ノ浦で全滅するまで浮き足が止まらなかった。 槍の穂先を敵に向かって揃え、敵に向かっておこたりなく用心しながら、ときどき自分達の実力を見せながら、本国の力が充実するのを待つのは、海外組ではなくて国内組の役割である。 日本が立ち直るためには国内に残る人々の役割が最も大切なんです。 カルタゴという国は敗戦のたびに当事者である軍人を極刑に処して政治の中枢にあるものや富によって社会の支配権を握っていたものたちは決して責任をとらなかった。 ギリシャでは「任命した優れた実務家たちを監視するために民主主義はある」という原則を忘れて、皆で意見を一致させて合意した政策を採用する、という信じられないくらいアンポンタンな政治理念を信じ込んでしまった結果滅びてしまった。 コリントもカルタゴも、自分達の愚かさを反省すらせずに愚かさを賢明さといいなして自分達の空疎な妄想にしかすぎなかった「正義」にしがみついた結果、国土が文字通り更地になってしまった。 カルタゴに至っては更地にした上に、ローマの兵士達が塩をまきくるって、二度と穀物をつくれないようにされた。 丁度、いま東電の神様がセシウムとストロンチウムの同位体をまきくるっているのと似ています。 危機は変化のチャンスでもある。 いままでは自分自身が小役人のようなことを言って、由縁もなくえばっていたりしたのが、「これじゃ全然ダメじゃん」と判るからです。 いまはもうこれまでの「権威や、お上のある社会」のやり方や考え方ではダメダメなのが判ったのだから、「変えなきゃ」という気持ちを忘れなければいいだけのことである。 このブログでもさんざん何回も書いてきたように、日本には変えなければどうしようもないことがうんざりするほどある。 「わしらのニッポン、日本人が世界一」をやって、30年がとこ、ものごとをほうっぽらかしにしたまま来たのだから当たり前なんです。 まず個人ひとりひとりが幸せにならなければならない。 わしは日本の歴史を調べていて、1980年代にあれほどの繁栄をみたのに、それが90年代になるとあっけなく「坂を転げ落ちるように」経済が崩壊してゆくのは、結局、 「お金は儲かったけれどぜんぜん幸せにならなかった」からではないか、と考えました。 社会が空前の繁栄を遂げた、といって、ふつーの、というのは当時の社会の中堅である会社員にとっては、給料の上昇よりも物価の上昇のほうが激しかった。 なかんずく、70年代に田中角栄という極めて人好きのする、誰をも魅きつけずにはおかない人格をもったカネの亡者を首相に据えてしまったせいで、(具体的には農業への補償という仕組みを梃子に使って)土地の値段などは、ロケットのように上昇した。 他の物価でも、たとえば義理叔父の証言によると、子供のときずっとずっとずっと山手線の半周近い「初乗り」が30円であったのに、ある日突然90円になり、それが次の次の週には160円になる、という具合だったそうで、義理叔父のことだから数字はええかげんに違いないが、そういう実感だったのでしょう。 その延長にあって経済が破壊的な速度で容赦なく成長した80年代にあっては、クラブで一万円札を何百枚もばらまいて、それをきゃあきゃあ拾ってあるく若い女優やデルモのねーちんたちを見繕ってはホテルにつれていく不動産会社の社長とか、政治家、あるいは当時はいまよりもさらに社会的地位が高かったらしい暴力団のもんもんなおっちゃんたちとかばかりが大金をつかんで肩で風をきって歩いていたのであって、トーダイといえど他人を踏みつけにする才能に恵まれなかった義理叔父たちは、こんな国は破壊されてあとかたもなくなればいい、と心から呪詛していたという。 ふつーの国では、国が2割もうかると、住んでいる人間にも1割は還元される。 いまわしがその小さな島の空中に腰掛けてこのブログを書いているマンハッタンでは、 日本の国家社会主義経済体制に守られた製造業にボロクソに負けて崩壊寸前までいった経済が、金融とITとパテントによって繁栄を取り戻すにつれて、みるみるうちに街が安全になっていった。 5thAveにすら散在していた危険なブロックを避けて、あっちに渡ったりこっちに渡ったりしながらでなければまっすぐ通りを歩いてゆくことも出来ず、女びとなどはロッカーもしくは鞄にハイヒールをいれて、襲われたとき必死に走って逃げるためにスニーカーにはきかえて通勤するのが常識であって、しかも日が暮れると、引き込まれない用心にビルの側を歩かなかった街が、女同士、午前2時にほろ酔い気分で12センチくらいはあるヒールの靴で歩いていてもあたりまえになった。 太ったおっちゃんが乗ると、そのままパンクしてへたりこむんちゃうか、と思うくらいボロイタクシーは、あっというまに新車になり、いままで家を買うことを考えることも出来なかった中層の下くらいでも家が買えるようになった。 かつては週末の1ドルピザをかじりながらテレビを観るガールフレンドやボーイフレンドと一緒の週末に、ミシュランガイドをひろげて、テーブルにロウソクがともるレストランを予約してでかけるようになった。 病院が建設され、大学の設備が素晴らしいスピードで拡充され、奨学金制度は改善されて、個人の生活が誰がみてもわかりやすい形でよくなっていった。 「社会が繁栄すれば、わしの暮らしもよくなるのだな」とみなが実感したのです。 この事情はオーストラリアでもニュージーランドでも、社会が全然改良されないので有名であって、いまと中世とどこがちゃうねん、とアメリカ人などにゆわれるシブイ社会を主催している連合王国ですら同じです。 個人の生活が楽にならなければ、誰もそんなバカみたいに働くわけないやん。 だから、「いまは我慢して社会のため」とか「ここは辛いが会社のため」というような大時代なバカ理屈は、舌をつきだして、目をひらいて、あかんべのベロベロバーをせねばならぬ。 具体的には高い生産性で仕事をしている若い世代に高給を払わないで「50歳まで勤めたらオカネモチにしてあげるからね」というような田舎に娘を買いに来た女衒みたいというか、妾に毎日自分の褌をかえてもらおうとしているガハハジジイというか、そういう下品な理屈にたった会社に就職してはいけないのです。 … Continue reading

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個人のための後退戦マニュアル・その2

1 ずっとむかし、(とゆって、いま見ると去年の11月だが)「ラナウエイズ」 ≈https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/28/ というブログを書いた。 自分で書いた文章ながら外国語の文章は読みにくいので、適当にとばし読みすると、 いまの日本は集団発狂しているから、いったん外に出て、正気が残存している社会の空気をすって、ついでにIT革命という巨大なパラダイムシフトや人種差別が徐々にだがいまや確実に消滅しつつある事実や、そーゆーことを経験してから、そのうちにはおおごけにこけるに決まっている日本の再建に参加するのも悪くないだろう、という趣旨(多分)のブログで、ついでに「いまの日本社会は旧ソ連と似ている」というような、自分ではすっかり忘れていた偉大な卓見も書いてあったりして、なかなかよい記事である(^^) 後退戦は防衛に適した地形なり町なりを選んで、じっくり腰をすえてしぶとく戦うのが基本だが、清右衛門という友達が「逃散があんだぜ、逃散が」というので、つい遠くにいくことも考えてしまった。 (だから、ここからわしが何かボーロンのようなことを書いたら、それは全部清右衛門  http://prunusmume16.blog28.fc2.com/  ツイッタ @p_mume1980 の責任なので抗議や嫌がらせはそちらのほうへよろしく。 なお、他の記事については、ブブリキという人がすべて責任を負っています。 (ウソです) 具体的な留学の方法などは簡単であって、きみが30歳より若ければ、有名なワーキングホリデービザという誰でも1年から2年は、そこの国へ行って何をやっていてもよい、という素晴らしいビザがあります。 アホでもええねん。 自分のTシャツがたためなくても受け入れてもらえます。 英語が出来なくてもダイジョーブだ。 現地に行ってワーキングホリデーで来た人間用、あるいは、その国のふつーの求人掲示板で職業を見つけて暮らせばよい。 下宿とかも、部屋をシェアすればたとえばニュージーランドなら週50ドル(3500円)くらいからあるだろう。 わしが家に出入りの日本の画廊主人の息子はワーキングホリデービザでやってきたが、女優志望の無茶苦茶はくいねーちんとルームメイトをしておって、英語を全部このねーちんから教わった。 お礼にマッサージをしてあげていたもののよーである。 ただでお礼してたのかと思ったら、ちゃんと1時間10ドルとっていたのだった。 10ドルじゃ、割にあわねっすよ、という。 太股とかすげー凝ってるんすから。 ふ、ふともも。 ふ・と・も・も、ですか? あっ、いや。 それで、一年ごろごろしていて、その国が気に入ったら大学にはいるなり、就職したりすればよいのです。 大学にはいれば3年間の就学ビザに卒業したあと一年間の就職猶予期間ビザがあるはずである。 (わしは留学とかしたことがないので、具体的には自分で調べませう) きみが会社なり政府機関なりで働いている場合は、もうちょっと工夫がいるであろう。 乾坤一擲、職を投げ出して、という手もあるが、乾も坤も一擲すれば二度と返らないという。乾坤象背に帰らず、といいます。 だから会社や政府の制度をうまく梃子にして日本を出て行かねばならぬ。 古い時代、80年代、Mさんは○○省の役人であって、憂国の情に燃えて目の下にクマをつくって毎日3時間睡眠で日本の未来を設計すべく頑張っていたが、 日本のトーダイおじさんたちが口を揃えて「日本史上の最悪党・日本の破壊者」と罵り出すと止まらなくなる中曽根康宏が首相の時代に、キレてしもうた。 酒を飲まないMさんが嘔きくるうまで飲んだ翌日にやったことは「試験に出る英単語」(^^)を買ってくることであって、そこから狂ったように勉強して人事院留学でHBS(ハーバード・ビジネス・スクールという、やたら狭いブロイラー養成所みたいな寮に学生を閉じ込めて「これって一ヶ月分の読書ですかあー」という量の本を一日で毎日読ませて徹底的に自己主張させまくるという経営学の海兵隊訓練所みたいなバカな学校のことです。  チャールズ川よ、静かに流れよ)に行ったそうです。 人事院留学は国費で留学させてくれる代わりほんまは日本に戻って役人を続けねばならないが、「絶対いやだ」とがんばって、就職したアメリカの大学に全部賠償金を払わせて日本には帰らなかった。 向こうに行っっちゃって、その国で必要な人間だと、その国の学校なり会社なりヘアドレッサーなり鮨屋なりが認識してくれればあとはどうにでもなる、という好例であると思う。 歴然たる国法違反だからな。 おおげさに言えば国事犯なのに某旧帝大から教授になってくれと何度もゆわれたそーなので、世の中とかは、やはりそういう隠微な仕組みになっているのです。 (言い忘れたことを唐突に書くとTOEICは全然ダメなテストですねん。由来から言えば役所間抗争から生まれた「役人都合試験」です。 … Continue reading

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個人のための後退戦マニュアル・その1

フィルムのなかのロシア人たちの証言によると、第二次世界大戦東部戦線のドイツ人たちは「薄気味が悪くなるくらい強かった」という。 それだけ聞くと、そーですかあー、と思うだけだが、もう少しくわしく聞いてみると、内容は興味深いと言わなければならない。 ドイツ人たちがロシア人たちのあいだで未だに伝説になっている「ドイツ人らしさ」を発揮したのが開戦初頭の無敵時代ではなくて1943年と1944年というドイツが敗走にはいって久しい(クルスクの戦いは1943年夏)ときの話だからです。 シャーマンM4への「肉弾攻撃」が国を挙げて戦意高揚の英雄譚になる極東の同盟国とは異なってドイツ人は国民性としては、どんな場合でも辛辣な皮肉屋で冷静な国民なので、相手が戦車でこちらが歩兵の戦いだとゆわれると「じゃ、戦争負けなんじゃん」と、あっさり思う。 ドイツ映画の「スターリングラード」で、大挙攻めてきたT34の大群に棒にくくりつけた地雷だけを武器に必死の戦いを繰り広げて撃退した夜、文字通りボロボロになって疲労困憊した兵士達の足下のラジオからフューラーが「我が国の最新鋭機甲師団がT34の大群を壊滅した」という演説するのを聴いて、「そんな機甲師団がいたかなあ」と訝る新兵に「おまえのことだよ」と古参兵が物憂げに吐き捨てるところがある。 一種の会戦主義であったナチスドイツの陸軍は、本来の物資不足に、会戦に備えるためという理由もあったのでしょう、そういう極端な物資の欠乏は日常のことだったようです。 なにしろろくすぽ兵器がないので、大集団で行動するT34を先頭にロシア軍が大挙して突進してくると、前線のドイツ兵たちは文字通り算を乱して一目散に逃げちってしまう。 ロシア軍は勝ち鬨をあげながら津波のような勢いで潰走するドイツ軍に襲いかかります。 「ところが、潰走したはずのドイツ軍は5キロメートルも先にゆくとちゃんと合理的な布陣をして待ち受けているのさ」とロシア軍の将校が感に堪えたように言っています。 あんな軍隊、ほかにあるはずがない。 潰走しても潰走しても、5キロメートル先に行くとまるで計画されたアンブッシュとでもいうような完璧な布陣で待っている。 ああ、これがドイツ人というものなのか、と私は、言葉が不適切かもしれないが、カンドーしました、という。 そのフィルムを観たイギリス人のじーちゃんが、「後退戦こそが文明だからな」とつぶやいたのをおぼえていた、というのが、この長たらしい前置きのブログ記事を書こうとおもった理由である。 (ツイッタを読んでいた諸君は、そーじゃなくて、あんたが日本語話したいのにつきあってくれるひとがみな寝ちったからでしょうが、とゆーだろーが) (ものごとの契機というものは、単一とは限らないのだよ) (ほんとよ) 人間はしつこくあらねばならない、とあらゆるいまに生き延びた文明は証言している。 ことの初めからノルマン人とローマ人の無茶苦茶を極める侵略と支配でぼろぼろだった連合王国人などは、いまに至るまで存続しているのは、ひたすら、しつこいことによってであるとゆえなくもない、と思う。 なにしろノーフォーク人たちに至っては出だしからローマ人たちに自分達の女王を強姦されたあげく王国を簒奪されて立ち上がった正義の戦いにクソ負けに負けて8万人もぶち殺されたりしていたので、執念く負けながら戦わなければ生きてゆくことも叶わなかった。 わしがゆいたいのは、ですね。 国としては原子炉がぶっとんじったのはゆゆしきことだが、個人としては、それくらいがあんだよ、おれは生き延びてみせるし、という立場もありうるだろう、ということなんです。 大量の核物質を内包した原子炉がゆっくりゆっくりぶっとぶという未曾有の事態になるまでは一ヶ月に一度だった部屋の掃除を毎日にする。 晴れていても傘をもってでかけて濡れたら家に帰って必ずシャワーを浴びる。 魚はしばらく諦める。 牛乳もしばらくやめる。 食料品は輸入品に切り替えて、どうしてもダメなら信頼が出来そうなスーパーマーケットの産地表示を確認してから買う。 そうやって生活における行動を少しづつつめてゆけば被曝量は十分の一にはなるだろう。 そうこうしているうちに日常的に正確な汚染・被曝情報が流されるようになるだろうから、そのときは、もっと細かくいじましく生活を抑制していかねばならない。 被曝地生産者の生活はどうなるのだ、それでは国家の経済はどうなってしまうのだ、という「国」の側の意見も当然あるが、それは公の側の意見であって、ここでは「個」の戦いに専心して考えてみようとしている。 生き延びられる自信がついたところで、「おれはもう50歳のジジイだから放射線なんかどうでもいいわ。福島牛が安いっちゅうから、どんどん食べるし」という判断があっても別に悪くはない。 お国のために浦霞をもっぱらに飲み、笹かまぼこを食べくるって、食後は二人静でなにほどの悪いことがあるだろう。 第一、いまの年金制度に国民がしがみついているとすると早く死ぬこと自体、たいへんな国家への奉公です。 しかし、文明というものは往生際の悪さをもって華とする。 兼好法師が「人間は死ぬときの潔さが大事である」とゆったのを本居宣長が、けっけっけ、と嗤って、「そーゆー人間に限っていざというときはじたばた言いやがんだよ。かっこつけてんじゃねーよ、ばーか」とゆっているが、そのとおりであって、 「わたしは、この世界に絶望しているから早く死んでもいいのだ」というのは、10歳くらいの子供に実際にもっともよく見られる幼稚な思想である。 実際、わしは10歳くらいのときに、もう長く生きすぎたので、これからの世界は若い諸君にまかせてなるべく早く死にたいものだ、とつぶやいて、かーちゃんやとーちゃん、許せないことには妹にまで爆笑されたことがある。 思想家というものは、つらいものだ、と考えたが、ま、過去のことはここではよいであろう。 どうせ、ここまで状況がきびしくなってくると、「いさぎよく諦めよう」というバカが夏の夕立のあとの藪蚊のように湧いてくるときがくるに違いないが、日本のひとびとは、かっこつけてるだけの、そういう幼稚かつケーハクな思想に瞞されてはいけません。 有利不利の条件を並べてみて、料理のレシピじみたそのリストをにらんで、自分達に最適の文明のスタイルを考え、一日一日もゆるがせにしないで、丹念に毎日を暮らしてゆくことの疲労は途方もないが、しかし、それが出来るということが文明の本質なのだと思います。 人間は、これまでも、ありとあらゆる不条理な苦難に直面しながら、殆どなんの理由もなく自己を生き延びさせようとしてきた。 … Continue reading

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フクシマのあと

1 ジョイスシアターに行った。 http://www.joyce.org/ ジョイスシアターは、わしのアパートから歩いて5分もしないところにある小さな劇場です。 小さいが座り心地の良い椅子があって、寛いだ雰囲気である。 PAがちょっと古いが、アポロシアター https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/04/10/1976/ よりは、マシである。 マーサ・グラアム ダンス・カンパニー(Martha Graham Dance Company)出身のRamon GuerraがつくったDanza Contemporanea De Cubaは、Sadler’s Wells and the Coliseum TheatreやバルセロナのMercat de las Floresでも公演するが、ニューヨークでは、このジョイスシアターにやってくる。 この頃は3月には、ハバナまでまずインストラクターと一緒に旅行して、Danza Contemporanea De Cubaの日常を観て、それから公演を観る、という面白いこともやっているよーだ。 公演そのものは、いつものDanza Contemporanea De Cubaの、洗練されているとはいえないが、性的暗喩と雄大な肉体の躍動に満ちた三幕ものであって、特に三幕目の、人間が陥る「情熱の地獄」とでもいうべき世界を描いたダンスが素晴らしかった。 激しい諍いに明け暮れるカップル、絶望のなかで暴力をふるいあうゲイのふたり、そういう、人間にとっては見慣れた光景がフリージャズにのって、ほとんど裸体のダンサーたちによって繰り広げられる。 モニは乳房まで見せるヌーディティは不必要だ、というが、それには舞台と客席の距離をゼロにする効果があったと思う。 ツイッタの友達はみな知っているように、ひどい風邪で「ぐるぢい」と思いながら、わしはカンドーしました。 どうも、キューバの人というのは何をやらせてもかっこいいな、とバカなことを考えた。 革命ですら。 2 先週くらいから「フクシマ」のニュースはなくなった。 英語の日常世界では、フクシマは「過去」になった。 日本は国全体がチェルノブイリみたいに印象されて、事故後の「国民なんてどーでもいいや」な対応も、ピント外れな上に恐ろしくダサイ「ローテク」事故処理も、世界中をびっくりさせてしまった。 … Continue reading

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ベンキョーしよう

ロックバンドでねーちんたちにきゃあきゃあゆわれながら人生を過ごす、という手堅い人生の計画をあきらめたのは妹の陰謀だった。 わしをバンド仲間から引き離してあんないけないことやこんないけないことから遠ざけてしまった妹の悪辣な知恵についてはいつかは述べることがあるであろう。 いざ、あんないけないことやこんないけないことが一挙に生活から消滅してしまうと、わしはひどく退屈せねばならなかった。 大学と名の付くものに入るには、まだ間があるはずだったが、わしが生まれて育った国は日本のような工業規格品みたいな国とは違って途方もなくええかげんな国なので、 大学の片隅でしょぼしょぼベンキョーしてもよいことになった。 そこはえらそーで自分は頭が良いと思い込んでいるバカたれがたくさんいる気取り屋の収容所のようなところであって、そもそも収容所そのものに気が遠くなるくらいオバカな細かい規則が網の目のように張り巡らされていてくだらなかったが、それなりに良い所もあったと認めねばならない。 よくないところは、集まっている基地外の諸君が、それまでバンドの形で集合していた基地外とタイプが異なって「遊ぶ」ということにかけては、不細工というか粗野というか、オモロイことが何も出来ないひとびとだったことで、仕方がないから、わしはベンキョーをしようと考えた。 ベンキョーするに際して考慮したことは「向こう500年間に役に立つようなことはベンキョーしない」ということであって、わしは役に立つということが頭から嫌いなので、たとえば頭に「応用」がつくような学問や工学のようなものはとんでもない、と考えた。 いま考えてみると新しい画材・色彩を発明するとか世にも妙なる響きをもつ楽器を考案するとか音響学の奥義を究めるとか工学でも、役立たずの道を囂々と邁進する王道を歩くことも出来たわけだが十代後半のバカガキの頭では、そんな賢い考えは浮かばなかった。 西欧文学をやるのにラテン語が出来ないのでは、階級が下から3番目くらいの序列も知能も低い悪魔でも腹を抱えて笑うだろう。 それも、えーと、えーと、コーギートー、エルゴー、うーんと、スムなんちゅう調子ではダメであって、トマス・モアの一節くらいはカッチョヨク暗唱できるのでなければならない。近代ラテン語は、わしのボロ高校でも英語の時間にやらされるくらいで、差別がはかれないので、文学的教養とか文学的素養とか現代における死語を口走るには、せめて古典ラテン語が出来なくてはダメである。 実際近代ラテン語とそれから派生する諸方言が判らなければ、気取り屋のボストン人が書いた詩ひとつちゃんと読めやしない。  どうようにして科学では数学が出来なければダメである。 世の中には生物系という数学がまるで出来なくてもやれるとされる科学もなくはないが、あれは実は生物というものが(ぴー)…(この部分は良心による検閲の結果削除されました) わしは、どのくらい、ということはないが数学はだからよくやった。 数学者になろうと思ったわけではない。 どちらかというと言語を学習するようにやったのだと思います。 ひとりで机に向かって、というようなことはあまりやらなくて、気の合う友だちとビールをちびちび飲みながら、議論しながらやることが多かった。 そんなバカな、ひとりでやるのでなければ集中できないではないか、と日本のひとならば言いそうだが、慣れればこっちのやりかたのほうが遙かに数学がうまくなる。 輝く偽善のワタミ学術用語を用いれば、おすすめであります。 あるとき妹が妙に深刻な顔をして、わしの部屋にあらわれたことがあって、「おにーちゃん、わたし、このあいだ行ったKのパーティで…あのときよ、きっと…子供ができちゃったの! わたしの人生なんか、もう終わりだわ!」 ちゅうことかな、けけけ、無学者め、マジメな人間が羽目を外すと地獄の門がひらきやすい、という聖書の文句を知らんのか、この世にマジメな人間が破滅するということほどドラマ性があって楽しいことはなかりけりと喜んだが、そうではないのであった。 ベンキョーは、なんのためにすると思うか、という。 (く、くだらん) (全然、悲劇性というものがないやん) (だから優等生て嫌いなのよ) わしが「単位時間あたりの収入を上げるためであろうの」というと マジメに答えないと兄妹の縁を切るという。 ほんとうに縁を切ってくれたら欣喜雀躍だが、これまでの行動に鑑みて妹がそんな好条件で縁を切ってくれるわけがないので、ちょっと考えてみたことがある。 T先生と、わしは散歩するのが好きであった。 秋の丘陵をT先生と散歩していると、わしのパーな頭ではただの「森」なのが、先生の眼には高解像度の自然が鮮明に映っているのであってCGAとUXGAくらい違う。 夜になって「天上の無数の星」というようなことをわしが口走ると、先生はにやにや笑いながら、空に見えている星は空気が完全に澄んでいても5000もないよ、という。 一枚の葉をとりあげて、それから判ることを延々と述べてきかせる。 人間実践検索図鑑みたいなひとである。 先生とわしは同じ世界を見ているのに、そこから得ている情報は虫と神様ほども違うのであって、わしは教育というものなしでは人間というものはただの性能の悪い粗雑な認識装置にしか過ぎないことをよく思った。 勉強しても人間は向上したりはしない。 わしの行った大学は世界でも指折りのカッチョイイ大学ということになっているが、 そこに滞留している阿片崫の住人たちの頭のわるさを観察すれば、そのくらいのことは考えなくてもわかる。 しかし、その頭の悪い住人たちは話をしてみると判ることは、底抜けに愉快で、なによりも認識している世界が精細で豊穣である。 思い込みが少なくて、依拠している現実の有効数字の桁が多い。 … Continue reading

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遊ぼう

モニが、知的なハンサムでそのうえいまどき珍しい温厚で成熟した人格のその青年(わしのことね)と結婚して最も衝撃をうけたのは、わしが、結婚するまえにさんざん聞かされたナマケモノで何もしない人間だという誇張された悪い噂よりも現実はもっとものすごく何もしない人間で、およそ「労働」とかは、けけけ、と笑って鼻紙にして捨てる程度の興味しかもっていない、という事実を発見したことだったそうである。 ほんとうだとしたら、とんでもないやつだ。 ほんとうだけどね。 ほんにんがいうのだからまちがいはない。 朝、とゆってもたいてい午後一時くらいだが起きてくると、まっすぐラウンジのコーヒーテーブルに行ってMBP(MacBookパワーの事です。略するとカッコイイので略しているのね)を開けて黙って静かにブラウザを眺めている。 途中でたっていって、ものすごい集中力で淹れたコーヒーをモニのいる寝室にもっていってから、自分の机にもおく。 おもむろにコーヒーを飲みながら、 「今日はモニさんとビレッジのシシュアンに行くし」と考えます。 今週はダンダンミー(担々麺)を研究しているからで、めぼしい四川料理屋を発見してはあんまし中華料理が好きではないが四川料理だけはおいしいと思う事があるモニをひきずってゆく。 四川人が集まる店は、辛いだけであまりおいしくないようだ。 マレーヒルの日本人がいっぱいいる店は、胡麻の使い方が上手でうまい。 グランドシシュアンのチェーンも安い割においしいのだとゆわれている。 日本の担々麺は麵がスープに入浴しているが、NYCで中国人たちのつくる担々麺は一見素のままの麵にほうれん草と豚の挽肉がのってその上にトングが載って出てくる。 「丼」の半分くらいの大きさの鉢の下には、それが勝負所であるらしき、胡麻油とチリ油が混ざった油たれのようなものが沈潜していて、トングを使って、ぐあっとへっくりかえすといきなり辣油まみれになってところどころに件の豚挽肉がへばりついた混ざりものが出来上がるので、スパゲティと同じ要領でくるくるぱくりと食べます。 うめーんだよ。 なんど食べても不味いのかうまいのか判らなくて、いったいどっちなんだはっきりしろよな、と思いながら中華料理がそれほど好きとはゆえないわしが何度も食べてしまうのだから、きっとおいしいのだと思う。 高級店で食べても5ドルだし。 オークランドはNYCなど全然問題にならないくらいの割合で四川人が蟠踞しているが、四川料理屋に行くとニューヨークとは違って麵がスープに入浴しているのや、スープがないのや、これでもかこれでもかと豚挽肉が載っているのや担々麺って菜食麵ちゃうの?ちゅう感じのや、いろいろあるので、ああいう担々麺はNYCスタイルであるらしいが、いま思い出したが、わしは担々麺の話をしていたんじゃないやん。 閑話休題 モニは、わしが真剣な顔をして何か考えているときは決まって次の食事に何を食べるかということを考えているときだ、といって笑う。 そんなことはなくて、モニが考えるよりも遙かに計画性に富んだ知性の持ち主であるわしは次の次のご飯を考えているときもよくあるのだが、脳が溶けた鷹は爪がマニキュアで光るという。 マリファナくらいなら良いがトルエンは大脳が器質的に溶けてしまうので気をつけましょう。 次の食事のことを考えていることにしておいても良いと思う。 モニがでかける仕度をしているあいだに、わしは昨日の晩につくったバチャータの旋律にあわせて机の下の足でステップを踏みながら、ソリシタ(UK)やロイヤ(米)が書いた法律上のやりとりのメールを読みます。 表計算のシートも広がっている。 これは日本語のブログであって、まさかわしが日本語でこんなことをしてるなんて思う奴は、わしの手下(てか)にはひとりもおらないだろうからヘーキで書くと、わしが見ているシートにはずいぶんヘンなものもあって、わしはそういう些事シートを眺めて電気代の推移で事業に関する社長たちやマネージャーたちのウソを知っていたりする。 吝嗇な冷菜凍死家というのはこわいのよ。 バチャータはおもろい音楽で、なんでもかんでもバチャータに出来る。 「はるばるきたぜ函館へ」だってバチャータに出来ます。 あのひとも山口組の衆のまえで鼻をふくらませてないで、親分衆を舞台にあげてみなでラインを組んでバチャータを踊ればいいのい。 暴力団もいつまでも「伝統」にばかり頼っていては闇の組織になってしまうのではないか。 …あれは初めから闇の組織がバッジつけてえばっているのか。 若いマジメなお坊さんが、土地の有力者に無理強いされてつきあわされた売春宿の宴会で、ああ惨めなことになった、こんなことにつきあわされてしまって神様になんとゆって申し訳をすればいいだろうと唇をかみしめていると、 目の前で踊っていた白拍子が突然菩薩の姿に変化して、それまでの今様(いまよう)も唱和される経文に変わって、まばゆいばかりの光のなかの菩薩が、「悩まなくてもよいのです。わたしがあなたをゆるしてあげましょう」という。 わしは、あの日本の昔の説話が大好きだが、「遊ぶ」ということには神聖性がある、とわしは思う。 ホイジンガやカイヨワはマジメな秀才にしか過ぎなかったのでどうしても「遊び」に意味をみいださなければならなかったが、それでは「遊び」というものの本来の価値は見失われてしまうのではなかろうか。 意味は病気のようなもので、いちどものごとに意味をみいだしてしまうと、それは壁にも道路の表面にも水や空気にさえべったりとくっついて離れない。 病状がすすむと意味を呼吸するようにさえなります。 動物の進化をみてさえ「適者が生存したのだ」といいだす。 猿はもしかしたら、あるとき突然ただおったってしまったのではないか、と考えるのは適者生存の理屈を思いついたあとでは大変なのです。 … Continue reading

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「時間を取り戻す」_経済篇

英語ではconfidenceという。 confidence、という言葉を見て「自信」という日本語が頭に明滅してしまったひとは、もうそこで大誤解が始まってしまっている。 一回深呼吸をして、そーか、 confidence、という言葉があるのだな、と思ってくれるのでなければ困ります。 「経済」というものは一面、政治のように信条によって一致することのない、さまざまな思惑をもつ人間の心理の複合体だが、この confidenceはいわば経済という欲望と恐怖心がないまぜになった巨大な乗り物の燃料で、これによって経済は動く。 confidenceが高まってくれば投資家は投資し、ビジネスマンは「いよいよ貿易風がふいてきたぞ」とつぶやいて、帆をあげて出帆して事業拡張の冒険に乗り出す。消費者は猛烈な勢いで物欲のトローリー(カート)にものを積み上げてレジに並ぶ。 一方で市場が冷え切って困憊しているときに、なんらかの理由によって合理的なconfidenceを獲得しているひとは比較的簡単に市場における勝者になってゆく。 ひらたく言えば「金持ち」になります。 日本の経済が凋落したのは、そして、その低落の谷間から抜け出せないでいるのは心理的には無論このconfidenceが失われてしまったからで、あたりまえだと思うが、経済を再建したいと思えばどうすればそれが再び獲得できるか考えないと仕方がない。 日本にいるあいだ、「どうしてこの国のひとびとにはconfidenceがないのだろう」と考える、わしの眼についたのは、日本という国に参加している人間全体の「途方もない忙しさ」と「空間のなさ」でした。 へっ? そんなことが経済と関係あるの? というひともいるのかも知れぬ。 おおありなんです。 急に訳のわからない不公正ないちゃもんをつけにくるのでおおありくいは嫌いだが、おおありはおおありなんだから仕方がない。 お話をつくるのが上手だとゆわれているしな。 時間というものは一時間あったら50分しか使ってはいけないものだ、とわしは子供の時おそわった。 どんなに根を詰めても10分は休まないとな。 朝の8時から起きて一日を過ごせば、午後8時にはほぼ完全な休息に入らなければ人間は人間でなくなってしまう。 10歳以下の子供なら午後8時はもうベッドに入っている時間である。 眠るためでもあるが、日常とは切り離された時間のなかで、いろいろなことを考えるためです。 日本のひとは時間を隙間なく埋めてしまうのが大好きなようにみえる。 「ぎっちりした時間」が出来上がると、ちょっと嬉しそうだ。 逆に午後4時から午後7時まで「なにもない空白」な時間があると、とても不安になったりしそうである。 この3時間を、どうやってすごせばよいだろう。 ほんとうは、3時間も空いてしまったら、大チャンスなのだから、もしきみが海辺の町で仕事をしているのだったら、ベーカリーによってクリーム・バンを買って、コーヒーのボトルをもって、海辺のベンチに歩いておりていって、ぼんやり海を見ているのが良いのです。 ずっと昔のことを考えて、ああ、あんなことあったなあ、と頭の奥のすみっこで曖昧な輪郭をなしている記憶を呼び起こす。 持っているクルマのサードギアがスムースに入らないのはなぜだろうと思う。 自分にはどんな伴侶が向いているのだろう。 SFって読んだことないけどおもしろいのかな。 文明人の特徴というべきか定義というべきかは、まさにこれであって、文明人で精神が健全なら「3時間」などは、そうやってぼんやりものごとを思い浮かべているだけであっというまに経ってしまう。 そうやって3時間を過ごせないで退屈してしまうひと、というのは、それだけ自分の中の文明が破壊されてしまっているのだと思います。 confidenceというものは、いったんなくなってしまったところからは、世界との距離が少しあって、自分を取り巻く世界のさまざまな要因を「世界が動いているのとは異なった時間のなかで」観察し考えてみないと恢復できない性質のものなので、3時間ぼんやりと海が見られないひとには再獲得できない性質のものである。 世界と同じ時間で自分が動いてしまうことを、多分、日本語では「流される」というような言葉で表現するのだと思うが、言い得て妙であって、自己の意識としての時間の流れと世間の時間とが一致してしまえば、「個」というようなものはなくなって、流れのなかで溺れてしまうだけである。 しかし、そんなことを言っても、おれはビンボーヒマナシで時間がないんだよ、というひともいるに違いなくて、実はそれは正しい、というか、経済上は重要なことを示唆している。 「賃金が安い国は賃金が安い国との競争になる」 というのは別に経済の知識がなくても直感的に明らかだと思うが、デジタル製品がその良い例で現代の経済では「ものをつくる」社会は際限のない低価格競争に必ず巻き込まれる。すると必然的にその市場で労働するひとの賃金は安く抑えられ、安い賃金で労働するひとの社会では時間が失われ、confidenceも失われてゆく。 おもいきって高い賃金を支払うことに決めた社会では、通常、知財産業か知識集約型の社会にならざるをえなくなってゆきます。 むかし、工業に職人的要素が残っている頃は、そうでもなかった。 前にも書いたことがあるが、レクサスの熟練工員はボディの表面を手でなぞってみて、ミクロンの単位の凹凸がわかる。 日本と並んで(といっても日本よりはややうまくもちこたえているが)製造業にしがみついて将来を失いつつあるもうひとつの「先進国」であるドイツ人は、さまざまな職人的な工夫によって機械に「文化」をしみこませるのに巧みなので有名である。 … Continue reading

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ラナウェイズ

このブログを書き始めてからの5年間11回の日本遠征期間中に日本は大きく変わった。 半年くらい日本をあけてやってくると、その度にびっくりするほど静かになっている、という繰り返しだったのは同じだが、「変わった」のは日本で知り合いになったひとびとの方である。 もっとも大きな変化は、「日本から出て行くひと」が多くなったことで、これは初めの頃の頑迷なほどの「日本にいることへのこだわり」から考えると同じひとたちとは思えないくらい違う。 5年前は、ふつうの、たとえばニュージーランド人なら、ここまで政府や国家が怠慢ならばさっさとオーストラリアやカナダ、合衆国、というような他の英語国に引っ越してしまうのに何故日本人はそうしないのだろうか? と訊くと、「英語の壁が高いのさ」とか「なんだかんだいっても日本は日本人にとってはいちばん居心地がいいんだよ、ガメには判らん」とゆっていたのが、きっと懸命に考えた結果なのでしょう。 みなが示し合わせたように日本をでてゆく。 国の金で外国に留学に行くと、国に戻ってきて国家のために働く、という約束をしなければならないが、そういう約束で出かけても、たとえば合衆国の大学が「違約金」に当たるものを本人に代わって支払うことによって日本に戻ってこない、というのはよくある。 大学院を卒業して日本の会社と合衆国の会社の両方からオファーがあると、一も二もなく合衆国のほうを選ぶ。 こういう友人達は「日本では自分がやろうと思っていることをやらせて貰えないから」というのが理由です。 言葉を変えると、「年寄りが権力を握っていて、その年寄りがバカだから」と翻訳される。 話していて、例として多かったのはT芝ならT芝に呼ばれてゆくと「きみたちのような特別に優秀な人間は会社のほうでも考慮して4、5年で責任ある部署で自分の宰領で事業を取り仕切られるようにしますから」とゆわれる。 一方で、タダファーストクラス航空券が送られてきて「うちの会社を見においでよ」よゆわれて出かけたシリコンバレーの会社では「はいったら直ぐ、○○の事業をXX予算でやってね」とゆわれるので、T芝の担当者は気が付かなくても、聴いているほうは比較の問題として「T芝に行ってもしょーがないよね」と思う。 あとはシリコンバレーに行くと九段下の行きつけのラーメン屋に行けなくなる、とか、合衆国に行ってしまうとガメから直々に教わったチンポコ潜水艦が温泉でやれなくなってしまうではないか、とかいろいろ考えて煩悶するが、結局は仕事上のやりたいことがやれるということを優先してシリコンバレーに行ってしまうもののよーである。 あるいは青山のカフェのねーちゃんが突然テーブルの客の世話をぶちすててモニとわしのほうに走り寄ってくる、何事ならむ、とおもっていると、満面に笑みを浮かべて、「ガメさん、モニさん、来年はねええええー、ニュージーランドであえるよおおお」という。 まず手始めにワーキングホリデービザでニュージーランドに行って2年に延長して英語をおぼえながら就職先を探すのだ。 このあいだまで、ええええーニュージーランドって、歩いている人がみいいいんな英語はなしてるんでしょう? そんな怖ろしいとこ、よういかんわ、とかゆっていたではないか、というと、「だって、ここの会社の社長も店ごとオーストラリアに移す、ってゆーんだもん」と言います。 「先行きが、ないんだよ、日本は。ガメみたいに気楽にしていると日本じゃワカモノは食えないのだ」 ..そーですか。 鮨屋のにーちゃんはシンガポールに移住し、髪結いのUちゃんはロスアンジェルスに引っ越してしまった。 なんだか、みな機会さえあれば外国へ移り住んでしまう。 むかし「日本には競争がない」と書いたら、「日本人が競争社会で必死で戦っているのに、何という事を言うのだ」と書いてきたおっちゃんがいたが、では具体的に日本社会のどこに競争があるかというと何も具体的には書いてこないのでした。 実際の戦争が銃や他の現代兵器によって戦われているのにカラテの型の完璧を競って「競争」と銘打っているのが日本の競争である、と書いたのに、「大学受験は効率の良い人間の選別方法である」と書いてくる。 椅子の上でずるっこけてしまう。 細かい事を省いて日本型の大学入試はセンター試験が導入されて二次試験と組み合わされる前には一応の意味があった。 入学試験が延々と延々と筆記して設問に答える体裁の頃には、受験者と採点者のあいだで一種の「知的能力を試す面接」が行われる、という機能があったからです。 わしは日本の大学の入試問題を解いてみたことがある http://bit.ly/hRb60c が、問題が大時代で笑ってしまうところがないとはゆえないが高校生の知的能力を試すには比較的に良い問題であったのをおぼえている。 問題は、ああいうタイプの問題がセンター試験のように選抜思想がまったく異なる試験と組み合わされていることで、センター試験のような試験は問題の程度を見ると「これが出来ないようでは大学にはいってから教育によって向上する見込みがないから諦めなさい」という試験であって、あれで高校生を選別するなら合衆国の大学のようにシゴキに近い新兵教育がなされるのでないと、どうにもならない。 社会に出てからは、まず性別が女であると、ドアが全部閉まっていて、あちこちうろうろしてみてドアをがちゃがちゃやってみても、開いているのは「結婚」と名前が書いてあるドアだけです。 その他のドアについては、「日本の社会のドアっちゅうのはチン○ンが鍵になっているから、あれがないとどこにも行けない」というドアを開けるところを思い浮かべるとすごく痛そうな比喩を使う日本人友達がいたが、ま、見ているとその通りで、産まれてこの方鍵をもたされていないほうも良く事情を知っているから、医学部を出て勤務医をやっていても寿退職をしたりする。 甘木医科大学では一学年120人の卒業生のうち30人が専業主婦、というジョーダンみたいな学年があるそーです。 離婚になったら眼科か皮膚科だし、というので、わしは日本では眼科と皮膚科にかかるのは熟慮を要するであろう、と考えました。 「競争がない」というのに現実に語弊を感じるのであれば、「競争の基準がヘンである」と言い直しても良い。 会社への忠誠が社内での滞在時間で決まったり、「人柄」で出世されるのでは、「競争」という言葉が泣くであろう。 そうやってなんだかヘンテコな競争を繰り返しているうちに日本の社会からは「生産性」というものが失われてしまった。 わしが知る限りでいまの日本に最も類似する歴史上の社会は崩壊寸前のソビエト連邦です。ニューヨークのクラブで、わしは元KGBでいまは国連広報で働いているおばちゃんから、モスクワ大学を卒業、というソ連ではトーダイ卒の千倍くらい馬力があるステータスをもちながら結局は合衆国に亡命するに至る物語をわくわくしながら聴いたが、その背景をなすソビエト連邦の国民の不満に答えるための社会保障にこだわりすぎて社会の生産性がみるみるうちに損なわれ、最後になると価値が100の材料から80くらいの価値の物品が生産される、という笑えないマンガのような社会を体現するに至った共産主義というものの痛ましさの強い印象をいまでもよくおぼえている。 ソビエト人も最後の瞬間までまったく危機意識をもたなかった。 財政的には当時「世界の金の半分をもっている」とゆわれていた金を市場で投げ売りして常に危ない所を逃れていたからです。 しかし、ある日突然「ガソリン」というものが街から姿を消してしまう。 このころ東欧で突然民主化運動が爆発的に表面化したのにソ連が戦車を派遣して弾圧しなかった事が世界中を訝らせたが、その理由が「戦車を走らせる軽油を買う金がなかった」からなのは、いまでは有名です。 … Continue reading

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Hurdy Gurdy Man

人形町に行った。 わしの趣味であるよりはモニの趣味です。 むかしの江戸風な趣が残る裏路地や店構えが好きなよーだ。 脇路地にはいりこんでは写真を撮っておる。 モニが忙しく写真を撮っているあいだ、わしは、ぼけえええーとしてコーヒーを飲みながら立っておる。 子供の時に、ここにもかーちゃんと一緒に寄ったよなああー、とか、あの「雲井」という店で生まれて初めて「どら焼き」を食べたら不味かった、とか、いつもと同じ、そーゆーくだらないことを考えながら待っている。 「ガメ、終わったぞ」という声がすると、次の路地に移動します。 日本語を勉強するひとたちのなかには、ずいぶん日本に惚れ込んで日本狂いみたいになるひともいるが、わしは、そーゆータイプではないよーだ。 醤油が好きになれない、とか、ラーメンてどこがおいしーいんじゃ、とかそーゆーこともあるが、アニメもマンガもほんとうには好きになれないで終わってしまった。 アニメはジブリが好きであって、「となりのトトロ」や何回調べても日本語の題名が頭にはいらない「Spirited Away」を何回も観た。 「火垂るの墓」の冒頭のナレーションを映画の歴史に残る素晴らしい独白と感じます。 マンガでは、なんとゆっても岡崎京子が偉大であると思いました。 カウチでごろごろして、Tim Tam  http://en.wikipedia.org/wiki/Tim_Tam   を食べながら、「パタリロ」や「伊賀の影丸」を読むのは楽しかった。 でも、そーゆーことも、要するに「よそごと」であって、なんとなくほんとうに身に付いたものにならない。 たとえば、Keshaが「Where’s my coat?」「Where?」と酔っ払ってつぶやくと、その馴染み深い可笑しさのほうにすぐ引き寄せられてしまう。その瞬間、(うまくゆえないが)するっと、自分が生まれて育った世界にもどってしまいます。 夢からさめたひとのように、と言えばいいだろうか。 「ガメちゃん、畳の部屋に住まないとダメだよ」とゆわれながら、一歩ドアを開けて入れば、友達に、「いまどき西洋国でも靴くらいぬぐやん、ひでーな」とゆわれる、まったく自分の国と変わらないアパートに住んで、スペイン式のコーヒーテーブルや、世界でいちばん座り心地の良い連合王国製のカウチ、モニの国の台所用品、日本のかけらもない生活であった。 わしは「頑張る」「無理をする」というようなことが、なによりも嫌いなので、特に日本に馴染もうとおもったこともなかった。 一応、日本遠征でやろうと思ったことをやりながら、まったく自分の国と同じやりかたで暮らしてきたのでした。 (ははは。ゆってしまった) 嫌なこともあった。 なにより嫌だったのは「立ち小便」で、ゴルフクラブを脇に立てかけて軽井沢の小径で用を足すひと、高速道路の脇にクルマを駐めて(!)、コンクリートにおしっこをひっかけて満足げなひと、秋葉原の駅の真ん前で舗道の灌木に向かってやっているひともいた。 犬さんよりもひどい。 わしは、これが日本にいていちばん嫌なことだった。 あとは、食べ物を食べるときにひとびとが発する異様な音であって、くちゃくちゃ、というか、べちゃべちゃ、というか、あの凄まじくも嘔吐感満点の音のせいで。モニとわしは外食をする場所がクラブ他、少数の場所に限られてしまった。 舌鼓、に至っては、嫌がらせのダメ押しでやってんのか、こら、と立ち上がって怒りたくなるほど気味が悪かった。 そーゆーことに較べると、(あたりまえだが)、立派な高速道路の制限時速が60キロであったり、やたら「見えない税金」がいろいろなものにかかっていたり、若いひとたちの給料がびっくりするほど安くて40代以上にばかり手厚い給料の体系や、議論もくそもない粗雑な頭の「言論人」も、ほんとうは、「腹がたつ」というようなことはなかった。 なんだか、気の毒な感じがしただけである。 考えてみると、かーちゃんシスターがギリオージ  http://bit.ly/di17TZ   と結婚しなければ、わしと日本のあいだにここまでの縁は出来なかった。 かーちゃんシスターとギリオージのあいだに出来たガキは、わしのマブダチであって、ふたりガキは、あるいはニュージーランドの野原を意味も無く走り回り、トンブリッジウエルの細い径を「月おやじ」の視線の追究を避けて潜行し、ロンドンのクソ公園を肩を並べて馬に乗ったものであった。 だから日本に興味をもった。 … Continue reading

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「先延ばし」の終わり

予定通りむちゃくちゃ早く起きた。 いまは丁度夜明けの前なので18℃くらいだが、なにしろ暑くてやってられないので東京に戻った方がよさそうです。 移動には新幹線が速いが東京駅のホームがうるさいのと人間が多いのが嫌なのでわしはクルマで移動します。 長野高速−>関越道−>首都高速と通って帰る。 ときどき「サービスエリア」に寄って行きます。 今年は「横川」のサービスエリアがカッチョヨクなったので、ここか、上里にちょっと寄って飲み物を買って行く。 「バス」と呼称している山の家と東京間の移動に使っているクルマのなかでは、だいたいスペイン語系統の音楽かアフリカン・ジャズが流れておる。 「バス」のなかにほうっぽりぱなしのiPodには一曲だけ日本の曲も入っていて水原弘の「黒い花びら」。 たいていは自分で運転します。 モニが「今日は天気が良いからわたしが運転してあげよう」ということもあるが、モニの運転で助手席(助手席っち、オモロイ言葉だな。英語ではスーイサイドシートという(^^;) 違う言い方ではパッセンジャーシートという退屈な呼び方もあるが) に座ると運転するより身体が強張って疲れるとゆわれているので、だいたいにおいてはさり気なく運転席につくことにしている。 だって、モニさんの運転て、のおんびり走るようにつくられている「バス」ですらびゅんびゅん他のクルマぬくからな。 こえっす。 この5年間で日本は大きく変わりました。 合衆国が「グーグル」や「フェースブック」のような新しい産業の顔を育てて、採算がとれるわけがなくなった「ものを作る」産業から必死の脱出を試みているあいだ、日本は「先延ばし」に終始する不思議な経済政策を取り続けた。 いまでは誰でも知っている通り、この「先延ばし」政策は結局は日本の社会に対して「鎖国政策」としてはたらいた。 最もおおきな「鎖国」の現れは金融で、どーゆーことについても「ぬわあにダイジョブだんべ」なわしでも、いまの日本の金融が他の世界のレベル、たとえば連合王国のレベルに追いつくということはちょっと考えられない。 わしの観察では多分、日本で金融に携わる人びとの数学的能力の欠如がこの古色蒼然というのもバカバカしいような骨董金融を生み出したのだと思います。 たとえば日本人が殆ど道徳的な拠り所としているかにすら見える「もの作り」において、新しい技術投資の規模が奇妙なくらい小さいのも、技術投資をしようにもリスクを手続き的に示せる金融技術をもっていないので江戸時代的な資金調達しか出来ない。 2009年をかなり明瞭な境として日本メーカーの家電が合衆国や欧州やオーストラリアの家電店の店頭から姿を消した事には、そういう金融に原因する背景があります。 日本が長いあいだ得意であった液晶テレビで言うと、店頭の正面にあるのは「サムソン」の50インチであってソニーの「ブラビア」ではなくなった。 サムソンのテレビはソニーよりも価格は高いが機能的にすぐれているのと壊れないのとでソニーよりも遙かに人気がある。 細かい事を言うとUSBメモリ内の.flvファイルを再生する機能やLANにフックする機能のようなものでもソニーはサムソンに較べて半年から一年遅れてしまう。 当然、テレビを買おうと思うひとはソニーはサムソンのマネをしている会社である、という印象を受けます。 第一、ソニーの液晶パネルはサムソンが作ってますしね、とわしがテレビを買いに行った店のインド人のやたらテレビに詳しいおっちゃん店員はいう。 「日本は技術的にもうダメと思う。品質も悪いから買わないほうがいい」 「でもさ。日本人って、品質が高いものを作るのは得意だっちゆーじゃん」とわしが言うと、はっはっは、と笑って、それは大昔の話だよ。トヨタのクルマはまだいいけどね。 ぼくもカムリだし、と言うのでした。 日本について「失われた二十年」というが、5年前はまだ「失われた十年」と言っていた。 このブログでも前に「失われた十年」という言葉を使った記憶があります。 この二十年、日本が何をやってきたかというとマクロ経済の理屈にしたがって、ひたすら「ものを作る」会社に金を注ぎ込んできた。 終いにはやることが露骨というかやけくそじみて来て生産された製品を国民に買わせるべくゲンナマをばらまく、という凄まじい方策に出て世界中のひとの息をのませる、という局面までありました。 あれは、わしも、ほんまに驚いた。 20年間、ただもうひたすら建設や家電やその他の「ものを作る」会社に金を注ぎ込んできた、このものすごい政策の裏には「物作り」という言葉が大好きな国民性があった。 「ものを作ることを支援してます」とさえ言えば機嫌よく税金を払ってくれる「ものを作る」=「産業的正義」という国民的な合意があったから、これほどバカげた政策をとってこられたのだとわしは観察しています。 日本の金融システムの俄には信じがたいほどの遅れを外国人は「日本人の能力の欠如」と軽く片付けてきたが、ここにいて観察していると、どちらかというと「金融が嫌い」という(ヘンだが)「好き嫌い」の問題なのではないかと思えてきます。 合衆国人はもともと「物作り」がたいへん上手な国民でした。 しかも産業製品の基幹部分も工芸的部分も両方ともにすぐれていた。 戦争中はたとえば中国戦線でも日本陸軍の高級将校はみなフォードに乗りたがった。 … Continue reading

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ヒーローシンドローム

自分がなにものかでなければならない、自分という存在は密やかであるにしても特別な存在で、その自分であるということの価値を誇りに思わなければならない、というのは、もともとは西洋的価値観であって特にアングロサクソンの家に生まれたものは繰り返し社会や親に言い聞かさせるこの考えに悩まされてあげくのはてに自殺してしまったりする。 きみの一生におけるachievementはなんであったか、と死んでから天国へはいる門の前で、誰かに訊かれそうな気がするからである。 自分が特別な存在であるのが神様相手であるときは、なにしろ別に他人に対して特別でなくても神様のほうは「あんたは特別にういやつであるから」と判っていてくれるので大過なかったが、最近は神様の評価、という事はどうでもよくなって、どのくらい他人にうけるか、という事が基準になったので「自分というものに他人とは異なる独自の価値がある」という人生における要請を実現するのは容易なことではなくなった。 ハリウッドのえーかげんなプロデューサーのおっさんたちが皺がなるべく少ないfuckabilityの高い女優を選んでこさえた映画のなかで、母親が娘を抱きしめて「I’m proud of you.」涙ぐんで言うのを観ながらきみは、「私の母親は自分を誇りに思ってくれているだろうか」と考えてすっかりユーウツになる。 あるいは母親が十分自分を誇りに思ってくれているのを理解した後ですら、ふと「journal」を書く手を休めて「自分は何か自分でしか出来ない価値をこの世にもたらしうるだろうか」と考える。 万有引力を発見して人間の意識に映る世界の現象がどういう仕組みで起こるかをほぼひとりで最初から最後まで説明してしまったアイザック・ニュートンは、しかし「世界がまるごと記述されている」そのとんでもない書物のばらばらな草稿を引き出しのなかに放り込んだままほうっぽらかしにしていた。 信じがたいことにこのヘンテコなおっさんは、人類が初めて手にした神の言葉で書かれたよりも遙かに明晰な世界への説明の体系を自分の頭のなかだけにしまっていて、「まあ、それでいいか」にしていたのです。ハレー彗星が周期彗星であることを発見したエドモンド・ハレーがケプラーというドマジメな占星学研究者が気付いた太陽と惑星のあいだに働く不可思議な力の正体について議論しようとニュートンに会いに来て話しているうちに、どうもニュートンが疑問への答えをすでに知っているようだ、と気が付くまで、ニュートンが世界を説明しおわっていることに気が付いた人間はひとりもいなかった。 前にも書いたが、ニュートンという人はおよそ人間とは考えられないほどの事績を残したひとで、科学科学というがニュートン以前には「科学」というものが自覚的には存在すらしていなかった。 そもそも物の運動を説明する道具すらなかったからで、ニュートン以前の人間は自然現象に相対しても手も足も出なかった。 ニュートンはまず「微分」という道具を自分1人で作り上げ、それから、その道具を使って世界を記述しはじめた。 で、驚いてはいかんが、最後まで世界を書いてしまったのです。 ゾシマの長老もびっくりだな。 そうやって世界をまるごと説明してしまったニュートンは、ついでに光学も創始して、84歳で泥から金を生成する方法の研究に熱中しながら死ぬまで、「特別な人間」 どころではない業績を残しまくった。 おもいつくままに挙げて、このニュートン、アルキメデス、 ガウス、 アウグスティヌス、シェークスピア、 パブロ・ピカソ、セザンヌ、ラフマニノフ、モーツアルト、プッチーニ、…こーゆー人々は「特別」というのもアホらしいくらい特別なひとびとであった。 しかし、こういう「特別」な人々と、そのへんに転がってコロコロしている役にも立たない、世界の方から言えば謂わば「お荷物」にしか過ぎない大多数の人間とどのくらい違いがあるかというと、そこには殆ど差違というほどのものはないであろう。 あんまり変わらないのよ、ニュートンもきみも。 能力的に、ということではない。 能力的にはニュートンときみとでは雷神とネズミほども違う。 だからきみが「ニュートンてアインシュタインに否定された説を唱えたひとでしょう」 というような知ったかぶりの笑止なコメントを洩らすと科学の精霊たちはおろか地虫フナムシに至るまでどよめいて腹を抱えて笑うであろう。 フナムシには腹はないが。 現代世界には「特別な存在にならなければ」と思う余り現実の能力をバイパスして気分だけ特別になってしまうパーな人間がくさるほどいるが、競争にさらされたことがないものほど自分の能力を過大に見積もる。 そーではなくて、価値の地平線の遙かな遠くから見れば、ニュートンもひきこもってPCゲームに命をかけておるタコな青年もあんま変わらん、とゆっているのです。 「自分の人生なんてクソだ」というもの狂おしい思いに悩まされながら、なんとかしなければ、なんとかしなければ、というただそれだけの言葉が頭のなかを堂々めぐりする夜に、きみは唇をかみしめて、なぜ自分には「自分だからやれること」が見つからないのか、と考えて焦慮する。 何事かを達成する、どころか来年くえるかどうかを心配しなければならないのだ。 しかしだね、それはものの見方の方角が間違っているのであって実は「来年もくえればいい」というただそれだけのことなのです。 あとの「自分なんかその他おおぜいにすぎない」という思いは余計である。 だって人間はひとり残らずガウスもニュートンも「その他おおぜい」だからな。 ある日めざめた平凡な青年がチャンスをつかんで「ヒーロー」になる、という物語はものの発想がそもそもアホらしすぎて相手にするのも億劫だが、社会というものは情報が迅速広汎に行き渡るようになると最大公約数の低きにつくという特徴を有する。 真にうけはしないまでも、そーゆーバカ物語に考えが影響をうけてしまって、単純労働なんかは人間のやることではない、というような事まで思い詰める。 もう長くなりすぎたので理由はまた別のときにするが、人間など人間が思い込んでいるほどの差違をお互いに持たないのは、犬に興味がない人間にとっては柴犬は全部同じ顔をしているとしか思えないことに思いを致せば簡単にわかります。 自分の人生に意味を求めて人生をすることくらい世の中にあほらしいことはないとゆわれている。 くえればいーんです。 … Continue reading

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ギリオージ

ものを考える、ということがメンドクサくて嫌いなので、セキュリティ上、とか仕事上、とかその他の理由でほんとうは書いちゃダメなんじゃない?ということもこのブログにはいろいろ書いてある。たとえばまだこのブログの始まりのころに「わしの妹は4カ国語を流暢に話す」と書いたら「ウソをつくな」「そんな人間がいるわけがない」「おまえはウソツキだ」と大量にメールとコメントが来てはてなのキーワードに書き込んだひとまでいたが、これも典型であって、実はこれは完全にはほんとうではない、というか真実の一部にしか過ぎない。妹は「4カ国語」を流暢に話すだけで、兄として妹の優秀さを認めるのは不愉快だから書きたくはないが、もう3カ国語は出来る。でも7カ国語、と書くと日本のひとは絶対信じないので、まあ4、にしとくか、ということで部分のみを書いた。 つまり真実の一部のみを書く、という古典的偽りの方法を採用したりはします。 でもな。日本のひとにはぜってえーに信じられないことのようだからゆっても虚しいが欧州では…とゆっても、このあいだ『英国人はもちろん自分達でも英国が欧州にはいるとは思っていない』というオオバカナル(バカ、とゆって罵っているのではない。わしは温厚で成熟したオトナだから、そーゆー カリフォルニア州の聖書学者が使うような下品な言葉はつかいません。調べればわかるがオオバカナルはAUX BACCHANALESと書く。日本語でゆえば「おおさわぎ」っちゅうような意味です。バッカスという大酒飲みで乱痴気騒ぎが好きなカラオケの神様がアメリカ大使館の近くにひらいたいっぱい飲み屋の名前でもある)日本の作家が書いた文を読んだが…4カ国語くらいはアホ(しつこいようだが、これもNZの冷菜凍死家が頻用するような下品な言葉のほうではない。スペイン語でニンニクという意味である。ajoと書きます)でも話す。 こーゆーと、また、いまでもつきまとうwebストーカーのひとが「ニンニクが4カ国語を話すなんて偽りを広めるなんて許せない。本当だというなら根拠になっている本を言ってみろ」とか言い出すに決まっているが、話すのだから仕方がない。 根拠なんか示さなくても行けばわかるし、欧州の都会に住んでいれば日本人としか付き合わない日本人でもなければそれこそニンニクなアホでもわかる。 ブラッセルの八百屋に行けば、ちゃんとイギリスから来たニンニクとスペインから来たニンニクがフランス語で話していたりするのを目撃できます。 むかしブログを書き出した頃はガメにブログを書かせると何を書くかわからんので、おれとおれのおとーさまやおかーさまの話を書いたら殺すとゆっていた従兄弟も、わしがあまりに温和で成熟したオトナになったので最近はちょっとくらい書いてもいい、というようになった。だがしかし従兄弟のほうは、わしのブログ(英語)で従兄弟がboozingで暴れたのをばらしたせいでガールフレンドにぶち捨てられたという、たったそれだけの些細な理由で逆恨みするような危険な人間なのでまだ保留しています。 義理叔父は、もとが出たがりのひとなので、いつかはネタにしてくれるわ、と考えておった。 ブログで「義理叔父」というが、英語には「義理叔父」という概念がない。義理息子や義理母はいるが義理叔父はないのね。だから本来「叔父」と呼ぶべきだが、本人がわしに輪をかけてケーハクなので、なにしろ危ないひとです。だから多分わしの心のなかで「義理」という言葉を叔父にかぶせて心理的に防御しようという気持ちが働いているのに違いない。 このひとはわしの広尾山のアパートからあんまり遠くないところの学校(この学校の歴史を調べたら元は「東洋英和女子学校男子部」(^^;)というこの後の行く末を暗示するような豪快なくらい軟弱な名前だったので叔父に告げたら、「そーだよ、出来たばかりのときは場所も同じ鳥居坂でさ。同級生同士で子供が出来ちゃったりして風紀上問題がある、っちゅうんで丘ひとつ向こうに移したんだからな」という由緒正しい学校の来歴を教えてくれた)を出て、トーダイへ行った。トーダイ、知ってますか? 日本のマンモス大学であって、英語ではThe University of Tokyoという。 もっとも叔父かーちゃんを含めて叔父親戚は全員、叔父が裏口入学で入学した、ということを暗に認めていて誰も口にだしてゆわないだけのもののよーである。 いっぺんだけ叔父かーちゃんが、あれは裏口だった、とばらしたので、ガキンチョの頃の従兄弟とわしが「鎌倉ばーちゃんが裏口だとゆっておったぞ」とゆったら、「ばあーかもん、トーダイには裏口はないんじゃ」とゆっておったが、これはわしの偉大な探検によってウソだと確認されておる。 だって、わしはわざわざ本郷まで出かけてトーダイにも裏口があるのを確認してきたからな。表のほうにあるボロイ門には脇に小さな門もあったので、もしかしたら「脇口からはいった」のかも知れないが、どっちにしろ、まともな入り方はしていないよーだ。 ところで一応まともな大学だということになっている東京大学を出たわりに叔父は学力という点で著しくダメなひとだが、ひとつだけ犬のお手よりは複雑な芸があって英語を話します。 なにしろかーちゃんシスターと会ったばかりのときは「This room commands a fine view!」などというオソロシイ英語を使ってかーちゃんシスターに大笑いされて受けまくっていたそうだが、最近は、そこまでオソロシイ英語を使うことはなくなったよーだ。 少し真面目に書くと、義理叔父はわしが知っている日本人のなかではもっとも美しい英語を使う人です。 とここまで書いていて思いだしたが、前にブログで書いたように叔父はブログがはてなにあった頃はブログの管理権を握っていた。あのブログにはところどころに暗号があって、その解答が(誰も興味すらもってくれなかったので、もう書いてしまうが)、あのうちの5つの記事が義理叔父がわしの口調をまねて書いている、ということでした。東から半分が猿な野蛮人たちがやってきたときにわしの英語がにせもんである、というとんでもない言いがかりをつけて大騒ぎしたときに、その5つのうちのひとつが英語であったのを思い出してわしはひやりとした。 ところが、とおおおおーころーが。 いま思い出しても腹立たしいが、あとで「少なくともこれだけは母国語としての英語だと誰にでもわかる」と書いてもらった、その「ただひとつ」が叔父の書いたもので、わしは死亡しました。 あのね、日本人の諸君、きみたちの理解力はどーなっておるのかね。 こーゆーことを言うと日本のひとは怒ると思うが、なああああんとなく気がとがめてきたのでばらしておくと、twitterもお友達に直截返信してないものには叔父がいたずらで書いたものがあります。もっとばらしてしまうと、初期の頃のブログにはよく見ると28時間起きてないと書けないはずの時間にアップロードされたものがあった。 twitterのほうは管理権をもっていたわけではないが、わしのパスワードが超シンプルでわしの親戚とかだとアホでもわかるものなので悪戯されてしまった。 でもお友達と応答することだけは大半(ふたつだけあった)は遠慮してあったようで、義理叔父のいいとしこいて信じられないくらいのケーハクさと気持ちのやさしさが両方よく出ています。 叔父は無茶苦茶な悪戯をする、という悪い癖があって、わしは子供のときからよく被害にあった。 シンガポールのアパートで、斜めに突き出した棒(実は物干し竿)がなんのためにあるのか、と訊いたら、 「飛びついてみればわかる」という。 あとで訊いたら、まさか25階のテラスでほんとうに飛びつくとはおもわなかった、のだそーだが、わしが飛びついてみると、それはしなって折れそうであって、しかも足の下はコンクリートの道路で、テラスに戻るという訳にもいかなかったわしは、もう絶対死ぬ、と思った。叔父に言ったら、おれもそう思った、というのできっと本人もパニクっていたのかも知れません。 英語のことでいうと義理叔父の英語の最も良い点は「発音が自然」であることだと思う。 よく訊くと日本語にカタカナがある言葉、たとえば、グラウンド、というようなところで微かに日本人訛りがはいっている。でも電話ごしとかだと、何年もオーストラリアに住んでいるオランダ人、とかそーゆー感じで聞かれるよーである。 … Continue reading

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サイドバイサイド

このあいだ日本にいたときは結局ほとんど行かなかったが、わしはむかしはよく鎌倉に行った。家もまだ鎌倉にもっています。ほおっぽらかしのままだが、ときどき義理叔父が見にいって、「まだ焼けてないよーだ」とかっち、ゆってきます。 もうずっと前、3年前、だろうか、わしは二階堂のせまこしい道を歩いておった。 すると後ろから、子供の女の声が走ってきます。 「こらあー、ヨシオカ、おまえきったねえだろー。ノートかえせよな」 わしの脇をすりぬけてゆく「ヨシオカ」らしき、すばしこいオトコチビガキ。 その後から素晴らしいスプリントで「ヨシオカ」に追いつくチータのような….. ありっ? コーカシアンの子、だのい。一瞬、くるっと、振り返って「ごめんなさい」とゆったときの顔が、よく日本のひとはガイジンは誰でも彼でも「碧眼」「金髪」にしてしまうが、ほんとうに明るい抜けるような青い眼に眼がさめるような金髪の子供である。 英語の「ごめんなさい」がバッキバキのアメリカ発音なので、アメリカ人の子でしょう。 このアメリカガキチータは、見事に「ヨシオカ」を取り押さえると、ノートを取り返した。 ところがだのい、ノートを取り返すと、すぐ肩を並べてなにごとか話をしながら楽しそうにふたりで並んで歩いて行きました。 ガキチータのほうがだいぶん背が高いがの。 ちびっこのヨシオカと背の高いガキチータは、親友同士であるらしく、後ろから見ているだけでどれほど仲が良いか察しがつきます。 「多面体」さんや「kobeni」さんたちの苦闘を読みながら、わしはその「ヨシオカ」と「チータ」のことを思い出していた。 新聞を読みながら、人間は頭が悪いなあー、とモニがつぶやいている。 夏の太陽が照りつけているテラスで新聞を読んでいるのです。 サンブロック、ちゃんと塗った? 20、とかでは無理です。皮膚癌になります。 モニはニュージーランドの日射しの強さがなかなか実感できないよーだ。 広尾のアパートのタタミ3枚、くらいしかないちっこいテラスとちがって、ニュージーランドの家の広大な木のテラスはおおきいのでモニがなんだか小さくなったように見える。 コーヒーとクロワッサンを運んできたついでに「どれどれ」とわしが新聞をのぞきこむと、オーストラリア人の「カリー・バッシング」が深刻化している、と書いてある。 ついては中国人がついにイギリス人を抜いて移民の1位になったが、ファミリーリユニオンビザをなくさないと、あっというまに「仕事をしないで生活保護を受け取って暮らす中国人」が増えて、われわれの福祉を圧迫し、ひいては人種差別が起こるのではないか。 今回の「カリー・バッシング」は、多分世界中で人種差別が最も少ないメルボルンがあるヴィクトリア州で起きているので、わしらの誰彼に衝撃を与えました。 フランスでも長い棒をもって、「移民狩り」をして歩くバカガキどもがいるが、どうやらヴィクトリアで起きている「カリー・バッシング」も似たスタイルのようだ。 「われわれの職業を奪うな」という。 口実は、いつも同じである。 午後はポンソンビーのカフェに行った。 ポンソンビーというのはむかしはゲージツカが集まっていた街で、いまはモデル志望のねーちゃんとかがうろうろしている街だのい。 オントレーとメイン、それにワインが一杯ついて1800円。 ははは、安いのお。 わしはオントレーはペストを塗ったトーストの上にイカさんが載っておるのを食べた。 メインは、マルサラソースのビフテキ(リブアイ)である。 うめーだ。 隣のテーブルではにーちゃんとねーちゃんが頬を寄せ合って笑っておる。 不動産ニュースを手にしているところを見ると、家を買おうとしているところなのでしょう。 もちろんむかしからある風景だが、「むかし」と違うのはにーちゃんがアフリカ人でねーちゃんがコーカシアンであることです。 やっとここまできた。 わしらはやっとここにたどりついた。 マンハッタン。 あのときヴィレッジの交差点で、わしは知的な感じのアフリカンアメリカンと、やわらかなたたずまいのコーカシアンのカップルを眺めていた。 そ。前に記事に書いたことがある。 … Continue reading

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坂の上の雲_「明治時代」は存在したか?

前にも記事に書いたが司馬遼太郎というひとは外国人から見ると不思議な小説家で、不思議、というか「存在しない」小説家です。 だって、売ってないからな。 英語版は、ということだが。 マンハッタンのロックフェラーセンターにある紀伊國屋書店とかに行くともしかして「空海の風景」くらいが見つかるかも知れないが、他にはないであろう、と思う。 ともかくどこにも売っていない小説家である。 理由はわかりません。 わっしは日本語を身に付けるにあたって「大量に日本語の本を読む」ことを方針にした。 ま、他のこともいろいろやったけどね。 わっしの外国語に対する考えはいつでも同じで「読めれば書けるさ」です。 同様に話せるし聴けるはずである。 「えっ、おれは読めるけど話せねーぞ」ときみは言うであろう。 日本のひとはみな、「わたしは英語は読むのはだいじょうぶなんですが、話すほうはちょっと….」と言うからな。 でも、ウソですよ、そんなの。 読めれば話せるに決まっているではないか。 読めるのに話せない、というのは、ほんとうは「読めていない」のね。 英語をずらずらずらずらと読んで、頭の中で慌てて、片端から和訳しているだけです。 それは「読んだ」とはゆわん。 翻訳代をけちっただけです。 第一、きみの机の上にある辞書、英和辞典なんじゃない? わっしはある日、ソニーの社長夫人になった娘が至るところでウエイターは怒鳴りつけるわ、いったいあなたはわたしを誰だと思っているの店長に来させない、と叫びたてるわ、 お伴を連れて欧州に出かけて剣突をくらわせて欧州人をボーゼンとさせるわ、という偉業を成し遂げた三省堂本店で、「坂の上の雲」というカッチョイイ題名の本を見つけた。 すげえーむかし、4年か5年前のことです。 一日、という当時の自己新記録というべきスピードで読みました。 読んだあとでひどい頭痛がしたがな。 この本が母国語なみのスピードで読んだ記念すべき第1号の本になった。 いろいろ理由があるであろう。 わっしはその頃正岡子規の本を立て続けに読んでおった。 芬蘭の歴史を調べたついでに興味をもって日本海海戦について調べていました。 幕末の歴史が面白かったので薩摩人の故郷に行ってみんべ、と思ってヘコーキで鹿児島にも行った。 そーゆー当時のうらわかき、独身で、いまよりも2キロ痩せていて(最近ステーキのくいすぎだべ)、ありとあらゆる種類のねーちゃんにモテモテであった頃のわっしにアピールしたのだな。 次の日いちにちお休みしてから、わっしはまたまた三省堂に出張って、今度は司馬遼太郎の本で棚にあるのを全部買った。 送ってもらいました。 わっしは吉田戦車先生のたいへんためになる本を読みながら待っていたが、着いた瞬間から、ずううううっと、ずううううううううううっと司馬遼太郎を読んでおった。 しまいには義理叔父に「ぼくは、やね」とゆって笑われました。 面白かった順に並べて 「坂の上の雲」「尻喰啖え孫市」「竜馬がゆく」「関ヶ原」「峠」っちゅうような感じでしょうか。 このひとは公団アパートのてっぺんのようなところから地上を見てはんねんな、とわっしは考えた。高みだが、(嫌な言葉だが)「庶民的」な高みなのね。 ものすごく非人間的な感じがする「観念のひと」であるのに、そういう自分が嫌いだったようだ。肉体、とかがあんまりないひとです。 友達になると嬉しいが家族、とか、ましてこんなんが父親だったらたまらんな、と思った。 兄貴、でも嫌だのい。 … Continue reading

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モニと一緒にいるということ

ラミュエラの坂をのぼりながら、わしはモニのことを考えました。 そんなに深刻なことを考えたのではない。 モニは、どーして、あんなにかっちょいいのだろう、とか、モニはふたりだけでいるときに笑うと5歳くらいの子供みたいだのい、とか、そーゆー他愛のないことです。 なんという美しいひとだろう。 わしは、結婚するまで、ずうっと長いあいだ、どれほど自分がモニを愛しているか知らなかった。 ひとりでいることを偏愛しすぎたわしは、自分のソウルメイトがこの世の中にいるだろう、という予想をすらもてなかった。 まして、それが自分と違う言語を母国語とするひとであるはずはなかった。 いま考えてみると、ただひとりで考えている人間がもつ思考の、なんという軽薄さでしょう。 人間の一生は怖い。 やりなおせない、からです。 いや、わしの社会では社会的な意味ではいくらでもやりなおすことは出来る。 でも、人間の意識をつくっている時間というものは不可逆的なものであって、一方向にしか流れない。 起きたことはすべて死ぬときまで自分で抱えてゆくしかない。 人間の一生はそう云う始原的な残酷さに満ちている。 こーゆーことを他人にいうのは適当ではないのかもしれないが、わしはモニと会えてよかった。 わしはモニの良い匂いがするベッドで背中の後ろから巻き付くモニの腕のなかで眠る。 起きると、モニの朝にはいつも暖かい身体が隣で行儀良く横になっています。 わしはつけっぱなしだった冷房を止めて、コーヒーをつくりに起き上がるであろう。 ソーセージをゆでたりベーコンを焼いたり、ポーチドエッグをつくったりして、モニと一緒にテラスで食べる。 モニとわしは、ありとあらゆることについて話すであろう。 モニの母国語であるいはわしの母国語で、エマ・トンプソンのドレスの話から土星の誰も知らなかった新しい環、R・ドーキンスの新しい本。 わしの投資の決断の仕方は性急すぎるのではないか。 あのLというひとは信用が出来ない。 あんなひととガメがふつーに仕事の話をするのは感心しない。 ガメの人生のゴールはなんであるか。 どうすれば、もっと幸せになると思っているのか。 タカプナの遠くにたおやかな稜線の島が見える、どこまでもまっすぐな砂浜を散歩しながら、ラミュエラの木陰の多い道を歩きながら、パーネルの坂道を歩きながら、モニとわしは、話し続ける。 カフェで、レストランで、誰もいない海の見える丘の上の公園のベンチにふたりで並んで座って、話し続けるでしょう。 はた迷惑なことに、急に立ち止まってキスをすることもあります。 モニの輝く柔らかい唇は完全にわしのものである。 道行く男どもが、ただでさえ巨大な「うらやましい」を3乗にしてくやしそうに歩いておる。 (ぬはは) 結婚という旧弊な社会制度がこれほど人間を幸福しうるものだとは考えたことがなかったので驚きました。 この制度は魂を私有しあうことを公に宣言している点ですぐれて反社会的で同時に私的である。 人間と社会制度の複雑で玄妙な関係はわしのぶわっかな頭の能力を遙かに越えて不思議なやりかたで人間に幸福を運んでくるもののようです。 モニの国のひとは「結婚」というものを信じないが、モニは信じても良いと思ってくれているよーだ。 モニは、聡明なひとだからな。 きっと矛盾もおそれをなしてモニの知性と美しさの前にひれ伏してしまっているのでしょう。 モニ。 あなたはわしに「ガメの夢はなんだ?」と訊くが、退屈な英語人のわしは、夢なんかないのです。 … Continue reading

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「純粋さ」について

純粋な人間、というものがわっしは好きである。 「純粋なひと」が良いなどと当たり前ではないか、というひとは、純粋な人間というものの付き合いがたさや面倒くささ、というものを知らないからそう言う。 純粋な人間と付き合う、というのは普通の人間にとってはだいたいが身の破滅の始まりであって、碌な事はない、とたいていの人間は知っておる。 それでも砂漠のなかにひとつだけきらきらと輝いているような人間の純粋を発見すると、人間というのはどうしようもないものであって、やはり涙が出てくるのです。 公表された30時間のテープのなかでマイケル・ジャクソンが、こんなふうにゆっておる。 ブルック・シールズとの初めてのデートのことです。 “So we get to the after-party, she comes up to me and she goes, ‘Will you dance with me?” and I went, ‘Yes, I will dance with you.’ So we went on the dance … Continue reading

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