Category Archives: 捕鯨

捕鯨、くじるら、くじられるりら?

「学校のイジメ」についてのフォーラム(英語だす)を読んでいたら「留学生に対するイジメ」というところに、最近の日本人留学生に対するイジメの理由は「捕鯨」「鯨を食べるけだもの民族」っちゅうのが多い、と書いてある。 ニュージーランドでも日本からの留学生が「鯨食い」とゆわれて苛められているのをみかねて、えー、日本語ではなんちゅうんだ、わからんからカタカナで誤魔化すと、スタンドアップフォーした(意味わからんがな。すんまへん後で日本語調べて直します)日系ニュージーランド人の子供がなぐられて脳外科手術を必要とする重傷を負ったそーである。 イジメ自体は、こーゆーイジメが専門のガキ、とゆうのはどの学校にも存在するのであって、わっしが出た学校は国ではいちばんジョーリューで上品である、ということになっていたが、しかしバカガキどもは豊富に存在した。 なかでもどーしよーもない4人組は全員いまでは恐竜なみと言われている「上流階級」のご出身であらせられたが、こいつらは、ほんとーに救いがたいバカであって、アジア人の学生を見るとアジア人めマネしのチビの猿もどきとゆっていじめ、下のほうの階級の出身者を見ると、学校を間違えてんだろ、ばーか、おれたちの発音のインチキな真似なんかしねーで、てめーの階級のクソ英語をしゃべっておれ、っちゅうような具合であった。 ベトナム人を見ると「犬くい」といい。日本人を見ると「鯨くい」という。 褐色の肌の同級生には「アフリカに帰れ」と絡みつき、スウェーデン人の兄弟には「へんな英語しゃべってんじゃねえ」と悪態をつく。 アホ、というのは万国共通なのがよくわかります。 わっしにはこの4人組を「いじめて」退学寸前になった苦い記憶があるが、わっしのように気が優しい人間はもちろんこういう悪意のガキどもとは違ってポロで間違って膝頭を強打してしてしまったり(しかもわしは「Dくん、すまんな」とお詫びをゆったはずである)、キャンプのときに間違ってあごに拳があたったりしたくらいで騒ぐこのひとたちが間違っておったのが気取りまくった校長のつるっぱげおやじにも理解されたようで世の中にはやはり正義というものがあるのがわかります。 わっしの仲の良いアフリカ人の友達をイジメることにわっしが憤りを感じていたのは事実だが、それをもって故意に4人組をいじめた、などというのは、いいいがかり、というものだったからな。 校長には「きみに対してはまことに友好的だったというではないか。それなのにきみがひとりで勝手に腹を立てていたと証言されておる」とゆっておったが、友好的かどうかは、わっしの側が決めることであって、あんなアホの4人セットのほうから友好的かどうか決めるなどというのは思い上がりもはなはだしい。 「苛める側の屈折した心理」というのは動物に近い人間の心理としてオモロイからそのうち研究するとして、いままでも日本で話題になる前からダラダラダラと書いてきた「捕鯨論争」の続きをちょっとだけ書こうと思います。 鯨論争で日本のひとのバカっぽいところは「鯨はキリスト教では人類に近い生き物であってだから西洋人はキリスト教的立場から鯨を捕ることに反対なのである」というグリーンピースがつくりあげたいわばプロパガンダを、前提として論争に臨むところである、と思います。 わっしは、「おまえは西洋人だろ。西洋人なら無意識のうちにキリスト教の原理で生きているだろ。キリスト教では鯨は神聖だろ。だから捕鯨に反対してるんだよ」という日本の人らしいケーハクな思い込みで全員がかたまっているので、 むかしは連合王国人もふつーに鯨肉を食べていたことをちっとだけこのブログでも書いたことがある。 オックスフォードの学寮では60年代まで鯨の肉をメニューに載せていたはずである。 だって、たとえばわっしのジーチャンは、これがいままで生まれてから食べたもののなかでいっちゃん不味い食い物であったと、いまだにシミジミ述懐しておるからな。 鯨がキリスト教では神聖な生き物だ、っちゅうのは、もともとグリーンピースが発明した戦略であって、それをのっけから鵜呑みにしてどーする、とわっしは思います。 回教徒は豚を食わないし、ヒンズー人は牛を食わん。 文化ごとに、そういう習慣があるのはあたりまえであって、それにいちいち目くじらを立てる西洋人なんておらん。 それがなぜ捕鯨だけ攻撃されるのかを、日本のひとは落ち着いて状況を検討してみたほうがよいと思う。 日本人の捕鯨を「反西欧社会・反キリスト教」に結びつけるのこそがグリーンピースやシーシェパードのゆいいつの戦略なのに、初めっからそれに全面的に乗っかって「オーストラリア人は全員、人種差別主義者だ」などと喚いてまわっていた日本人たちは、わっしにはシーシェパードに雇われて、時給で働いていたとしか思われまへん。 まして「オーストコリア」なんちゅう言葉を発明して浮かれてるバカは、頼まれもせんのにシーシェパードの営業を熱心に助けているだけである。 そういう発言をときどき英語に訳して、普通の英語人に「日本人って、こんなにヤな奴の集まりだったのか」と眉を顰めさせて拍手喝采して喜んでいるのは、当然、日本人にダメージを与えたい一心のひとたちである。 日本人にとっては不利なことに日本語世界をちょっと見渡せばメディアというメディア、インターネットも含めて、その類の自爆発言は洪水のようにあるので、翻訳して日本人をいじめるべ、と考えているひとたちには材料を捏造する必要などないのです。 日本のひとは、ものを現実に即して考えられない(注)ので、ほとんど何も現実を観察しないでハンコを捺す「ペッタン思考」が好きである。 はい、次のひと、あ、白人ね、「キリスト信奉者で、偽善者、人種差別主義者でーす」 ペッタン。 反捕鯨の見るからにレーシスト風のにーちゃんが、オーストラリア人であると、 「オーストラリア全員が人種主義者」だという。 もし、そういう理屈が成り立つなら、きみの人生で出会ったクソ日本人を思い出してみよ。日本人全員が彼もしくは彼女のような人間であるかどうか落ち着いて考えてみるがよい。レイシズムは、そのにーちゃんの個人的な病気なのであって、それを「オーストラリア人全部」のようにいうのは、それはきみの頭の構造がきみが攻撃してやまないレイシストと全く同じ構造をしているからです。 どんなに反捕鯨でカッチンカッチンに固まった合衆国人でも、シーシェパードが商売であれをやっているくらいは知っています。アホにもわかる明快さだからな。 しかも最近はディスカバリ・チャンネルで人気番組をつくったほど流行るショーバイである。 誰がそこまで、あのくだらなくもあれば(80年代のむかしから故意に捏造したデータをつくりあげたりして)不誠実でもある商売を成長させたかというと日本のひとだとわっしは思ってます。 グリーンピースが路線を敷いてシーシェパードが拡大した、日本人に「反捕鯨は人種差別だ西洋人の傲慢だ」と言わせる作戦にまんまとのって、それどころか「オーストコリア」だの「反日女優」だのと期待以上の働きを見せる人間が続出して、傍観していたひとびとにまで「日本人の異常さ、訳のわからなさ、薄気味悪さ」を印象づけることに成功した。 あーゆーバカバカな日本人たちを見ていると、わっしですら「八紘一宇」を思い出します。 日本人はアジア征服戦争を「アジアの白人からの解放」をうたい文句にして始める、という当のアジア人たちがあまりの厚顔無恥ぶりに唖然とするような破廉恥で鉄面皮な偽善でスタートしました。「日本人は、われわれ中国人を襲い強姦し殺しまくって、それを中国人のためだと言った」とわっしの中国人の友達はいまでも、(アニメの話になると日本人の才能を目を輝かせて話すのに)唇を震わせて言う。 日本のひとが「人種差別」を口にするとき、世界中のひとが自動的に思い出すのは、要するに、そーゆー歴史的な事実である。 日本ではあまり言われないが日本を一歩でも出てみれば日本人こそが最悪の人種差別主義者だと言われているのを知らないはずはないと思うが。 西洋人の鯨肉に対する一般的な感想は、年寄り共は「あんな不味いもん、よく食うなあ」であって、それ以外のひとは、「きもちわるー」であると思います。 しかし、だね。 … Continue reading

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捕鯨戦争(Whale Wars)

合衆国で人気のあるテレビシリーズのひとつに「Whale Wars」というのがあります。 日本でもやっているのでしょうが、合衆国では人気番組である。確か(わっしの記憶が間違ってなければ)特番としてやったのが受けたので、シリーズ化されてシーズン1が終わってシーズン2をやっているところです。 番組のサイト http://animal.discovery.com/tv/whale-wars/about/ を見てみると、金曜の夜9時からの番組です。 合衆国の「ゴールデンアワー」は日本よりも遅い時間帯なので、ほぼゴールデンアワーの中心に位置してます。iTunesでも買える。合衆国のクレジットカードがないとダメですが、一話1.99ドルです。 「残虐で嘘つきな日本人に対決するシーシェパードという海の英雄たちの物語」であって、 調査捕鯨船追跡中に日本人狙撃者と思われる狙撃手に狙撃されたりする。 それでも悲壮な決意で捕鯨を阻止せんと立ち上がる海の英雄たちの物語は、ディスカバリチャンネルの近来にないヒット番組、なんです。 卑劣で傲慢な日本人の手にかかって海を血に染めて死んでゆく鯨たち。 その裏では「調査捕鯨」というものが、いかにインチキであるか数字を挙げて説明がされてゆきます。 きみは、その番組を毎週観ているのか、って? 観ませんよ、そんなもの。 このブログを前からよんでいるひとは知っていますが、わっしはシー・シェパード嫌いだもん。捕鯨に対する意見ももう何回も書いておる。 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20071226/p1 http://moa2008.wordpress.com/ http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080314 日本語ブログなのに英語で書いてあるのが混ざっていてはだめではないか、って? だって、このころはバカなひとがいっぱいやってきて、「バカのひとつおぼえ」の言葉通り、「白人死ね」「おまえたちにものを言う権利などないと警告しておく」とか、 そんなんばっかりで、うんざりしたので、めんどくさいから英語のまま放っておいた。 合衆国からいつもバカ書き込みをしてくるおっさんがグーグルの翻訳ページを通して読みに来たりしていたが、英語で書くとバカがこなくなる、ということがわかった。 (でも日本のことについて日本人向けに英語で書く、という行為のアホらしさは、捕鯨反対運動について抗議するのに日本語で書くのと同じくらいアホで非生産的なので当然やめちったが) いまでもオーストラリア人はもう捕鯨反対を諦めたし、合衆国人は初めから関心がないのにニュージーランド人だけはなぜ国を挙げて反対するのか。ずれているのではないか、というようなバカを通り越して読んでいる方をもの悲しくさせるくらい現実把握を誤ったメールやコメントが来ます。この頃は、バカコメントの特徴がわかるようになったので、投稿に使う名前や初めの数語で読まないでゴミ箱行きにしてますが、前は鬱陶しかった。 「捕鯨戦争」というポール・ワトソンの番組は、ちょっとだけ観て、相変わらず目立ちたがりのアホおやじやな、と思っていきなりチャンネルを変えてしまいましたが、じゃ、なんでこのブログに書いているのかというと、電話で鎌倉に住んでいる日本人の友達と話していたときのこと、 海の話から、捕鯨の話になって、なにげなくこの番組の名前を口にしたら、びっくらこいていたからです。 番組のことを見たことも聞いたこともない、というので、今度はわっしのほうが、ぶっくらこいてしまった。 そのひとの仕事が北米の世情に通じることを仕事の大きな要素としているからです。 日本のひとは他国民に較べて海外に対する関心がとても強い、というのがわっしの日本という国への印象です。当然、それは悪いことではない。 歴史上、生産性が高かった国、というのは殆ど例外なく他国民が失笑するくらい海外の文化に憧れる国でした。 合衆国も連合王国も、ご多分にもれず、「外国かぶれ」だった。 いまでいうとインドや中国がそうでしょう。 たとえば「白首」や「ABC」の話に触れるまでもなく、中国のひとの合衆国かぶれはすさまじい。 ものすごい勢いでマネをして、どんどん自分たちの文化へ取り込んでゆく。 中国の場合には「文化革命」でいったん、それまでの中国文化を徹底的に根こそぎ否定してしまったので、なおさら吸収が速いのかも知れません。 しかし。 しかあーし。 日本の場合には、ひとつだけ上に挙げた国々と根本的に異なるところがある。 上に挙げた国の国民がまず相手の国の言語を話すことから始めたのに較べて 「翻訳文化」なんです。 … Continue reading

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意識と捕鯨

オランウータンやチンパンジーの部屋に大きな鏡をいれてやるとごく初めのうちこそ鏡に映った自己を認識できずにたとえば威嚇しようとしますが、すぐに鏡に向かって毛繕いをしたりするようになります。 鏡に映っているのが「自分」だと判るからです。 「自分」という意識がある。自我が存在して「わたし」や「わっし」というものが意識を形成している。 ゴリラでは、こういうことは起こらなくて、いつまでも鏡のなかにいるのは「他者」であって「もう一頭のゴリラ」である。 「飛んで火に入る夏の虫」と言いますが、わっしは、日本でよく見る「誘蛾灯」が苦手です。バチバチバチっと、ものすごい音がしてタンパク質が焦げる臭いがする。なんだかすさまじく残酷な感じで、ぞっとしません。 しかし、あそこで地獄の業火に焼かれてあえない最期を遂げる蛾や他の昆虫は痛みにもだえ苦しんで死ぬわけではない。昆虫は、ごく簡単なフィードバック制御で出来ているので、記憶というものもフィードバック制御の範囲、言い換えると意識のない範囲でしか持たないので制御系に「痛み」というものをつくる意味がない。 だから痛みという感覚が存在しないだろう、と推論出来ます。 実際、昆虫とほぼ同じフィードバック制御で動く「昆虫型ロボット」がむかしにはロボット知能の可能性を切り開くものとしてもてはやされたことがありましたが、昆虫は要するにああいうモデルで行動を決定しているようです。 台北の街にある商店は長い間、オランウータンを鳥かごのような止まり木に短い鎖につないで飼っていました。そのフィルムを見ると、身動きするのも難しい小さな小さな椅子の上に、「絶望」をそのまま表情にしたような悲しげな表情のオランウータンたちが座り込んでいます。そういう打ちひしがれたオランウータンが、通りに並んだ商店のどの店にもいて、延々と続く。1990年代後半まで、これは西洋人のあいだでは有名な台湾人たちの商売繁盛を願った悪習であって、動物愛護団体の激しい抗議に驚いた台湾政府が慌てて禁止して、いまでは、もう「なかった」ことになっている。 オーストラリア人たちは、もともと狩猟に適した動物が少ないオーストラリア大陸で、アボリジニたちを狩猟の対象にしていました。アボリジニは「非常にずるがしこい」ので、狩猟の対象として面白みがあった。普通に考えられるのと違って、この狩猟を楽しんでいたひとたちは悪質な人種差別主義者などではありません。少なくとも主観的には異なる。 当時の人の日記を読むと、普通の善良なオーストラリア人も参加してます。 彼らは単純にアボリジニが「人間」であるはずはない、と思っていたのであって、なぜそういう悲惨な無知に陥っていたかというと、「意識」というものが倫理上の境界として考えられていなかったからです。 いろいろなことが判るようになってくると、科学的な理解力に欠けたひとはせせら笑うでしょうが、オランウータンなどは「人権」が認められるべきであるし、(もし手遅れにならなければ)実際に認められてゆくようになると思います。 チンパンジーにも認められてゆくようになる。 そんなバカな、と吹き出す人は、つい最近まで大半のヨーロッパ人にとっては「アジア人に人権を認める」ことが、いかに非現実的な考えであったかを思い出せばよいのです。 「アジア人にも人権を認めるべきだ」という意見が、いかに突飛な意見であって、それを主張するひとがいまで言えばグリーンピースやシーシェパード並のゴロツキと見なされていたか、思い出してみればよい。 さっき旅行の計画を立てていて気がついたのですが、考えて見ると今回も丁度調査捕鯨の妨害に向かうシーシェパードの船がキャンペーンを繰り広げる頃にシドニーにいることになりそうです。今回は仕事の用事で一週間くらいいるだけですが、またあれら英雄気取りのバカを目にするのかと思うとうんざりする。 「調査捕鯨」を強行することによって、今年も「不正直で理解不能な日本人」像がまた少し多くの人にすり込まれてゆくわけです。 わっしの捕鯨についての意見は、もう何回も繰り返したので繰り返しません、 http://moa2008.wordpress.com/ http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20071226/p1 が、論理的には賛成できても感情的には「気持ちわりい」と思う。その「気持ちわりい」のなかには、フィードバック制御以上の中枢システムをもつ生き物を食べる、ということの問題が含まれています。 これはとても面白い問題なので、また別のときに考えたいと思いますが、人間のデカルト的自我なんていうものは、いままで考えられていたほどたいしたものではなくて、ノイマン式のコンピュータくらいでももしかしたら持てる、というのは実は枚挙主義と本質的には何も変わらないんじゃないか、ということが判ってきました。 人間にとって神秘的な未知のものである、と考えられてきた「自己という意識」が、ほんとうは極端にいうとアイボの延長にある、と考えても不自然でないのがわかってきた。 当分見つからない、と考えられていた「意識」のモデルが実は、初めからわれわれがよく知っているモデルで説明できそうな感じになってきたのです。 そうすると、そこから派生する問題として、たとえば「人権」というようなものは、どこに境界があるのか、ジョーダンみたいですが「猫権」とか「犬権」と「人権」には本質的な違いがあるのか、という問題が起きてきます。 「猫ちゃん、かわいそ~」と言ってきゃぴきゃぴしているパー風な女の子を見て、ばっかじゃないの、と言っていたほうのおっさんが「バッカ」だったのであって、いかにもパーふうの「猫ちゃんかわいそ~」なねーちゃんのほうが本質的に正しい思想をもっていたことになる。 現にわっしの友達の研究者は、知能の研究を進めていく過程で豚肉も牛肉も食えなくなってしまった。食べるのを自分に禁じた、のではありません。「生理的」に食べられなくなった。 こういう文脈に照らして捕鯨の問題を考えると、実はそれとはまったく違う方角からやってきた単なる文化的差異への嫌悪(しかも、ちゃんと調べてみればわかりますがたかだか1960年代に出来た嫌悪である)にしか過ぎないアホタレグループの世にもケーハクで下品な主張が結果としては、誰の意見よりも正しかったことになりそうです。 もっとも、それをもって「ほーれ見ろ、正しかったのはわしらじゃ」と彼らがただでさえ気色の悪い正義漢面をますます醜く歪めて勝ち誇るには、少なくとも豚肉やベーコンやハムを食べるのをやめてもらわねば困りますが。 こっちの方面をベンキョーしていて、もっとも困るのは、ベンキョーが進むにつれて、どうやら、たとえばオランウータンと人間のあいだには本質的な差異が何もない、もっというと猫あたりでも人間とのあいだの差異は「本質的」ではない、程度の問題にしか過ぎない、ということがわかってきてしまうことで、そうやって湧いてきた確信がほんとうにほんとうであるとすると、わっしの手持ちの哲学はすべて書き直さなければならないことになります。有名なベンジャミン・リベットの実験が行われたとき哲学者たちがほぼ瞬間的に「絶対にその実験結果は間違っておる」といっせいに叫んだのは、それは、ここまでの人間の哲学を根本から否定するものであるからに他なりません。 わっしの他の方面のオベンキョーである「言葉」というものについての知見ともはなはだしく矛盾してしまう。 困ったなあ、と考えるのであります。

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Wailing about whaling

In the not too distant future, people around the world WILL be eating whale meat. When you check the total volume of water required to maintain farming globally there is no possible way to produce enough animal protein. Vegetarianism, organic, … Continue reading

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木曜日の鯨肉ステーキ定食

以前わっしのアホなお友達のデブPが日本で鯨肉を食べたいと考えていることを書いた http://d.hatena.ne.jp/gamayauber/20080314/p1 とき、これをフィクションもしくは冗談だと思ったひとがおった。 「西洋人が鯨肉を食べるわけねーじゃん」と言う。 「白い人たちにとっては人肉を食べるようなもんでしょう。ただしノルウェーのひとは除く」 そーゆー意見です。 お互い様ではあるが日本のひとはイギリス人を全然わかっておらない。 「紳士の国」なんていう。ユーモアがあって、上品である。 なはは。きみ、イギリスに住んだことないでしょ。 西洋人一般のイギリス人に対するイメージは皮肉屋で意地が悪いトゲトゲしいものいいが多い。こすからい。自分だけが偉いと思っておる。人種差別の総本家である。 ま、実際のイギリス人はそこまでひどくはねーけどな。 あんまり外国のひとが付き合って愉快な人間の集まりであるとは、わっしもおもわん。 日本にはむかしからなぜかおとぎ話のようなイギリス人像が蔓延しているだけです。 イギリス人の良いところは、あーゆーおとぎ話とは別のところにある。と、自分で言っていれば世話はないが。 閑話休題。 捕鯨の話をちょっとしただけで「ガイジンは黙れ」と怒鳴りまくられたので、そーですか、と思って、黙って見物していたが、眺めていて、へ、へんなの、と思うことがたくさんあった。 たとえば「ぼくがヒーローなんだもん病マヌケ豪州人」「チベットは国内問題だガイジンは黙れ中国人風日本人」ともに「アングロサクソンは鯨なんか死んでもくわない」という。これだけは意見の一致をみています。 不思議に合意して、そこを出発点にケンカしています。 ところが、だね。もう、そこが誤っておる。たとえば英国人はむかしから食べ物が少なくなると鯨を食べるのを知らんのか。 日本人が鯨を食べる民族だというならイギリス人も立派に鯨肉を食べる民族です。 そんなことはたとえばイギリスの一部大学に行ったことのあるひとならたいてい知っとる。だって学寮のメニューに少なくとも60年代までは「鯨肉のステーキ」というのがあったからな。 そのこの世のものとは思えぬ不味さはいまでも語りぐさになっておる。 丁度日本のひとが鯨を食べまくっている頃、イギリス人もしょぼしょぼと鯨を食べておった。 その当時の研究者の本を読んでいると、廊下を食堂のほうに向かって歩いていって鯨の匂いがしてくると(このひとは鯨肉が嫌いだったので)走って逃げた、と書いてある。 そんでもって、自分の部屋で泣きながらパンをかじったそうです。 もともとイギリスには縁がない日本のひとはともかくとしてオーストラリア人のにーちゃんねーちゃんまで、その程度のことを知らぬとは何事であるか。 もっとも、これは日本語で書いてもしようがないわけだが。 わっしは鯨肉を食べようとはおもわんが、別に西洋の人間が本気で鯨は神の使いだ、と思っているわけではないのす。他に理由がつかないから、そう言ってるだけです。 本気で思ってたらカルト集団どすな。 いかにものを考えないのが民族的プライドであるアングロサクソンでも、そこまでパーではない。 逆に日本人がほとんど鯨の肉を食べない、と知るとイギリス人は腹を抱えて笑います。 戦後アメリカ人の(実質的には)命令で鯨食が復活するまで、鯨肉は市場にほとんどなかった。昭和初期で鯨食文化はほとんど消滅しつつあった。いまはいまで、鯨の肉を食べる人なんて、わっしは見たことがない。 そーゆーことを知ると、多少とも日本に興味があるひとは、日本人らしい、と思う。 悪い意味ではありません。相変わらず変わったひとたちやね。 さすがはむかし頭の上で足をふりまわしながら歩いていただけのことはある。 われわれも「変な歩き方省」をつくって対抗したが、あのときも日本人にしてやられたものな。 わっしは、とってもえーかげんなひとなので、いまはニュージーランド人であると言っているが、前はイギリス人であった。パスポートはどうなっているかというと両方もってる。 日本は変な国なので日本のパスポートしか持てないが、そーゆー国は、あんまりない。 不便じゃん、だって。ただ役人衆がめんどくさいと思ってるだけです。 で、ただで行けるっちゅうんでイギリス人として日本にやってきたことがあります。 … Continue reading

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捕鯨

日本のマスメディアが世界で起きていることを日本のひとに伝えようともせず、またその能力も元々ないということは(特に若い)日本人のひとと話していると意外とフツーの知識としてもっているらしくて話しているこちらがヒョーシ抜けしてしまうくらいですが、それがどのくらいひどいか、というのは日本にいると(あたりまえだけど)判りにくい。 わっしは最近特に「捕鯨」について、見ていてハラハラします。 簡単に言うと日本は「国運を賭して」捕鯨をしようとしているのであって、この先の延長線にはジョーダンでなくてかつての満州国問題を発端とした国連脱退みたいな孤立が待ってるいるだけなのではないかと思う。 日本のひとは捕鯨問題について誤解している、とわっしは考えます。 どこから話せばよいかわっしの杜撰な頭では途方に暮れてしまいますが、たとえばニュージーランドで捕鯨反対の先頭に立っているひとは反日家どころかたいへんな親日家で、たしか三井ニュージーランド事務所の設立とかにも尽力したひとです。 日本で鯨がかつて「勇魚(いさな)」と呼ばれて捕鯨漁にたずさわるひとたちは漁をほとんど聖なる仕事と考えていたこと(ウエールズ人のCWニコルが有名な小説を書いてますね)や、グリーンピースの腐敗ぶりなんかもよく知っている。 しかし、日本の捕鯨には反対なのです。 ところで、純然たる日本人であるわっしの叔父は鯨肉を食べたことがないそうです。 わっしは、むかし、それを聞いてびっくらこいてしまいました。 「なんで?」と思わず訊いてしまった。 だって、わっしは日本のヒトはイメージとして少なくとも一週間に二回くらいは鯨をくっているのだと思っておった。正直言って「きーもちわりぃー」と思ってました(わっしは犬をたべるのより鯨のほうがきもちわりい、と思います…..ごめん)が、ゆってはわるいから言わなかった。失礼だと思うから言わないだけで、ときどき綺麗なおねーさんとかを地下鉄で見かけても、「わー、美人。でも、あんな綺麗な顔ででも鯨の肉たべちゃうんだよなぁ、どひゃあー」とか、ときどき思っておった。 シャチョーは静岡にいたときイルカをよく食べていたそうで、「スーパーで切り身で売ってるもん、うまいんだぜ、あれ」 とかヘーゼンと言い放つので、わっしの頭の中ではいまだに「シャチョー=食人鬼 」のイメージがある。 なんか人間のふりをしているけど、ほんとうは夜中になると皮膚をへろへろっと脱ぎ捨てて仲間と車座になって人間の大腿骨のローストを肴に酒盛り、っちゅう感じと言えばよいでしょうか。 ま、そういう展開だったのでわっしは長い間日本のひとはたとえばわっしがビフテキを食べるのと同じくらいの頻度で鯨肉を食べるのだと思ってました。 そしたら現実はちゃうねん。 叔父の一言に端を発していろいろに訊いてみたら、なんと、なあーんと、わっしの知っているひとたちで鯨を二回以上口にしたことがある人はふたりしかおらんかった。イルカ肉愛好家のシャチョーを含めて3人。 海外の国々が捕鯨をする日本人に対していかに嫌悪と敵愾心を燃やしているかよく知っているはずの叔父に「なんで日本のひとは食べもしない鯨の漁を国の運命を賭けてやろうとしてんの?」と訊くと、叔父は「あっ、あれって水産庁の鯨類研究所あたりの予算確保問題が大元でしょ」と、おそろしいことをあっさりいう。 でもさー、若い人とかって、結構あつくなって捕鯨を弁護すんじゃん、と訊くと、「役人が予算確保のために世論操作してんじゃねーの」と平然と言い放つ。 それからニヤと笑って「どっかの反日勢力が金を出して捕鯨正当化を煽ってるんだったりして」と怖いことを言います。 叔父はときどきおっそろしい突飛なことを言う人でわっしはこのひとが10年くらい前に日本の中教審という組織はチューゴクから金をもらっているに違いない、と言っていたのを憶えています。 オークランドのえらいひとがいっぱいいるパーティでそう言っておった。 「ゆとり教育」なんて、それ以外の理由は考えられん、って、そんなこと断言していいんか?っちゅうようなことを平気で言っておった。 「捕鯨推進反日陰謀説」は叔父一流の悪趣味な冗談でしょうが、わっしはマジで反捕鯨運動をたかだか「くじらちゃんが死んじゃかわいそう」程度の市民運動くらいにしか思っていない日本のひとたちが心配です。 日本の人にとってもっとも判りにくいのは「なぜ絶滅に瀕しているはずもないタンパク源をとってはいけないのか」ということですが、捕鯨に反対する世界中の人々の本音は理屈なんか正しくても正しくなくてもどうでもいいからとにかくやめれ、ということだとわっしはフツーに思ってる。 ふんな、むちゃくちゃな、と思うでしょうが、でも感情は理屈で制御できませんよ。 たとえばニュージーランドではマオリもパケハ(白人)も捕鯨に反対です。 もし、これが国際慣習上許されるなら、捕鯨反対を理由に日本と断交したい、というのが残念ですがニュージーランドのひとの本音ではないでしょうか。 アングロサクソンは儲かる方に転ぶ、というのはアングロサクソン自身がよく冗談の種にするくらいでほぼ常識ですが、わっしがふだん友人と話している感じでは、今度の捕鯨船団の出航については、もうその拝金的理性の限界を越えて感情的になってしまっておる。 でも、どうでしょうか、日本の人って目下世界中で燃えさかりつつある反捕鯨の端緒になった調査捕鯨船団の出航すらしらないひとがいるんではなかろうか。 わっしはどーせガイジンなので、単なる好奇心で言っているのだととられれても仕方ありませんが、しかし、国運を賭してまで鯨をとりたい、という国というのは、よーわからん。 この点はたとえば妹も同じで、反対や賛成よりも、この世界中の人間の激しい憎悪を知っておってしかも鯨をとることに国全体の運命を投企するというところの理屈が、わかんねー、と思うのです。もとから日本が嫌いな人たちがここを先途とばかりに日本人の傲慢不遜、不気味さ、残忍さを喧伝してるのはほんとうです。それによって日本が被っている不利益は南京大虐殺の比ではない。 とそのわっしですら思います。ショーシャのひとはこういうと「きみは日本とオーストラリアのぶっとい結びつきをしらんからそんなバカを言うのよ」と笑うでしょうが、わっしはそれはショーシャのひとのほうがトンチンカン、っちゅうか、変化についていけなくなりつつあるのだと思います。 むかし学歴エリートだった世間知らずのあんたより、楽をするための悪知恵なら無限に湧いてくるオージーのほうが遙かに狡猾だと、なぜ思わない。 日本の人の捕鯨についての主張は多分科学的な面でも歴史文化論的にも正しいのではないかとわっしは推測していますが、英語国民は「正しさ」をふりかざして理にかなった非道を行っている人を見ると「ヴェニスの商人」のシャイロックを自動的に思い出します。 正しさをふりかざして嫌悪すべきことを行うひとを見たとき、西洋人はもっとも団結します。共通の的があらわれると、そのぶん残りの世界は仲良くなりますしね。 その標的に日本がなりつつあることは、わっしにとっては大変かなしいことですが、しかし、これも止めようのないことなのかもしれません。「運命」というものかもしれない。 日本は結局、鯨肉が食べたい一心で滅びた国として歴史に名を残すのでしょうか? 他の国では考えられないことですが、ハラキリ文化の本家、日本ならばあり得なくもない、と考えてフクザツな気持ちになるわっしであります。 … Continue reading

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タンパク質

むかしこのブログによくコメントをつけてくだすっていたbeachmolluscsさんのブログ http://beachmollu.exblog.jp/ を訪ねてみたらうなぎの話になっておった。 おもすれえ、と思いながら読みました。 わっしは納豆はダメだが鰻は好きである。野田岩、それも横浜のほう(確か弟さん)の野田岩が好き。 なつかしい、と思ったが、考えてみると日本のひとはいろいろなタンパク源を開発したものです。西洋にも鰻を食べる習慣はあるが、あれは死ぬほど不味い、とわしは思う。 日本のひとのタンパク質摂取文化は非常に優れている。 天才的です。 日本でも捕鯨が話題になるようになってから突然キチガイのみなさんが乱入してくるようになってアホらしくなってやめてしまったが、わっしがもともと日本で全然話題として取り上げてもらえないときに捕鯨について日本のひとと話してみたい、と思った理由はこういうことです。 1 将来牧畜などに使える水の総量を考えると鯨肉なしで人類が生存に必要とするタンパク質を確保することは考えられない。 2 現在捕鯨に反対している国も、その時点では「反捕鯨」なんて言ってられるわけがない 3 そう思って調べてみると日本のマスメディアの報道と違って水産庁のやっていることはデタラメもよいところである。 4 3を放置しておくと、折角洗練された捕鯨技術をもっていながら現在とは逆に日本だけが捕鯨が出来ない立場におかれる心配が十分にある というただそれだけ。 そこにまったく日本語が読めないキチガイが乱入してきて「死ね」だの「ガイジンは日本について口出しするな」などとわめき出したので、シャチョーが切れて、「もうやめるべ」と言うことになった。わしも呆れました。「日本人と真剣なことを話してはならぬ」という周知の鉄則を学習したのでした。ハラジュクガールズくらいにしておかなくてはならぬ。 ニューヨークのスーパーでもちょっとでも気が利いたところには鉄火巻きがおいてある。 そーゆーデリの寿司はだいたい中国のひとや韓国のひとがつくっているところが多いようだが、(食べてみればイッパツで判ると思うが、まさかニューヨークで寿司や日本食を食べる気はしないので食べたことがないからわからん)たいへんな人気です。 そうすると、とわしは思う。 鮪や鮭なんかも将来は争奪戦ですね。鯨と違って向こうも食べるわけだから、もっと必死だ。 その場合、これも全然報道されてないだけで、遠洋漁業において途轍もないことをやらかしている水産庁のせいで日本だけ閉め出される可能性は十分ある、っちゅうか閉め出されなかったら不思議です。具体的なことを書くとまたキチガイのみなさんが寄ってくるだけなので、教えてあげない。 興味のあるひとは自分で調べてみればよいが、調べるとあまりのことに腰が抜ける、と思う。 シャチョーの持論「日本は役人のせいで滅びる」は、こーゆーところですら真実である。 あたりまえですが「資源の不足」というが資源が不足しているのではなくて人間が増えすぎているのです。石油なんかよりももっと遙かに重要で切迫しつつある資源がタンパク質である。 アメリカ政府や中国政府のえぐい資源の奪取は「これから人間が資源の不足のせいでばたばた死んでゆくのはわかりきっている。それが中国人であってはならないのだ」という中国の指導者の言葉に要約されています。 だって、それが政府の役割なんだもん、とオバカなブッシュですら言うと思う。 「将来」のいつ頃か、というひとがいるが、実はもう人口の過剰による人間の大量死は始まっています。わっしはエチオピアやジンバブエから来た移民の友達たちと話していて自分の目で見てみたくなった。毎日遊んでばかりおってアフリカの悲惨を見に行くのでは オバカな点ではほぼブッシュと同等なパリス・ヒルトンみたいだが。 しかし偽善に陥るのを恐れてはいかん、とかーちゃんも言っている。 行ってみたい。自分の目で見たい。 目下はエチオピアやジンバブエから来たお友達たちが反対で連れていってもらえない(観光地ならオーケーだけど危ないから田舎には絶対連れていけない、という)が。 わっしは何度もこのブログで繰り返して述べた残念な理由で日本のひとと議論するのはもう嫌ですが、日本のひと同士のあいだでは退廃的な日本のマスコミに頼らず政府の言論操作に騙されずに事実を見極めて冷静に議論を進めていかないと(あたりまえですが)これからの世界では簡単に国家間の生存競争に敗北すると思う。 いよいよ日本のひとの国民としての実力が試されるときが来たのだと思ってます。 今日はなんだか妙にマジメでわれながら不気味だが….風邪ひいたからかな? 写真はバルセロナのガウディが設計したアパート。 名前忘れた。

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