Category Archives: 日本と日本人

沃野としての世界_1

1 10年前、妙に縦にながくて、コロンバスサークルの、いまはAOLビルが立っている側に立って、のおんびり道行く人を眺めている、深い緑色のポークパイハットをかぶった、顎髭のある、縦縞のシャツを着た、足が細くて二の腕が奇妙なつりあいで太い、肩がおおきな、胸が厚い、全体にバランスが悪いような、昼間からアルコール入りの、従ってときどき左右に揺れている、酔っ払っているときには普段かくしている強いイギリス式アクセントまるだしの英語を話す、見るからに世界の役に立たなさそうな青年をきみが見たとしたら、それはぼくである。 いままでは、いろいろにごまかしてきたが、あんまり長い間日本語ブログを書いているので、ときどきぺろっと話してしまったりして、もう隠しても仕方がないのでばらしてしまうと、ぼくは富裕な家に生まれた。 のみならず、ぼくが生まれた社会はヘンな社会で、人間をムーディーズみたいに格付けするが、生まれによって決まる、そのベラボーな格付けも、いっちゃん上のほうだった。 日本のひとは不思議な種族で、こういうと必ず、「脳内お花畑」とか「設定ではセレブ」と言って、現実は逆だろう、と想像する習慣をもつが、それはそれで、アメリカ人たちのようにフェースブックの世界ではみんなが幸福で充足した笑みを浮かべている文字通りのお花畑もあれば、日本のインターネット世界のように「他人が幸福で恵まれているわけはない」という必勝の信念に燃えている人で充満している世界もあるわけで、あまり関係もない社会の知らない人がどう思おうが、ぼくは一向に構わない。 めんどくさいので怒ったふりをすることはあっても、実際のところ、へえ、と思って、変わってんだな、と考えるだけだしね。 気持ちが、うまく言えないけど。 人間の一生が競争であるという意見には賛成しないが、競走みたいな面もなくはないとすると、みなが100メートルの競走に臨もうとするのに、ぼくはゴールのわずか5メートル手前から走り出したようなもので、その点では運が良かったと思っている。 ラスベガスで一文無しになって、赤い砂漠の岩の上に寝転がって、明日からどうするんだ、と焦慮したり、メキシコでカネを使い果たして、海辺の国道で行き倒れになって、しまいには妹が欧州から病院に駆けつけなければならなくなったりして、なんだかいつもどーしよーもないバカモノであったが、ちょービンボなときも、それが(ほんとうは真剣に困窮すれば両親や祖父母たちが放っておかない、というような意味において)真のビンボでないのはわかっていたし、かーちゃんととーちゃんはと言えば、むかしから周りの人が呆れかえるような溺愛ぶりだったので、そもそも子供のときから「将来を心配する」という感覚に欠けていたのではないかと思う。 イギリスという国は、ある条件下では教育制度がええ加減を極めている、というか、ほんとうに近代国家なのか、というようなところがある国で、それをいいことに、ぼくは子供時代の自由を楽しんだ。 いつも時間が豊富にあって、ありとあらゆることをやって遊んだ。妹をぐるにして遊びたかったが、小市民的というか、妹はマジメで、学校ばかり行くので、良い友達にはなれなかった。 わからないことはHALのようになんでも理解している家庭教師のおっちゃんに聞けば、たいてい用が足りた。 2 世界と和解しようと決心した人間がいるとして、和解の手がかりはなんだろうか、とよく考える。 むかしなら「神」というものがあった。 神は定義上言語の外にあるので、こういうときには便利だと思う。 神について考えているあいだだけは論理に縛られなくてもよい。 情緒に溺れるなり、論理の呪いを逃れて徹底的に放縦なふるまいを許された直感の快楽に身をまかせるなり、なにをやっても「自分の内なる言葉」に咎められることはない。 ところが21世紀になってから科学の訓練を受けた人間にとっては、率直に言って「神」を仮定としてうけいれるのはたいへんな困難が伴う。 科学に対しても神に対しても浅い知識しかもたない(それでいいわけだが)人は「科学的事実は神の手のひらの上にある真理にしかすぎない」というが、それはどちらかというと数学をさして「電卓のほうが便利だ」と述べているのと同じで、どう答えればいいか、返答につまる体(てい)の考えであると思う。 たとえば「宇宙の起源」にしても、宇宙の始まりを説明するのに若干の細部に神を仮定しなければならなかった時代を通り越して、神を仮定すると説明が返って複雑になるところまで来てしまった。 言語が触れることができない「絶対」としての神ですら「困難な仮定」になっているので、伝統的なイメージの意匠をまとった神は、というのはたとえばキリスト教の神は、噴飯物、と言っては酷すぎるが、人間とあの程度しか知能に差がない知性が宇宙をつかさどっているのでは、明日の宇宙の存続が危ぶまれる、というようないけないことを考えてしまう。 ムスリムは盛期を迎えているし、仏教はルネッサンス期が近いようにみえるが、それはまた別の記事にゆずるとして、神様自体はいろいろな点で魅力のない仮説になってしまっているようにみえる。 3 長いあいだ英語人をやっていると「英語世界」の軽薄さにうんざりしてしまうことがある。なんというか、底が浅いというか、聖書と不動産契約書の区別がつかないような文明全体のタッキー(tacky)さに嫌気がさしてくる。 昨日、一緒にツイッタの井戸端で遊んでいたひとたちは一緒に観ていたことになるが、アメリカやイギリスのポップスを聴いたあとで、スペインのポップスを聴くと茫然としてしまう。 スペイン語人たちが見ている世界の「深み」に嫉妬の気持ちが起こって、コンピュータをぶん投げたくなるが、ここでぶん投げると、またマーケティング上手の「ぼく環境問題に関心があるんですよねー」なケーハクセールスマンのようなAppleを不必要に儲けさせることになるので、ぐっと思いとどまって、気を落ち着けてビデオを見直すと、声の出し方といい、身体の動かしかたといい、「細部への情熱」が桁違いなのが見てとれる。 「パッと見」はどうでもいいと思っているのが手にとるように判る。 「あっ、かっこいい」と思っているときに見ている視線の先にあるものが英語人とはまるで異なるところにある。 もうなにしろ30歳のジイジイになってしまったので、年をとっただけなのかも知れないが、結局、文明なんちゅうものはイタリアとスペインと、あとはせいぜいフランスとトルコと、そのくらいにしか存在しないのではないかと思ってタメイキをつくことが多くなった。 レオン http://ja.wikipedia.org/wiki/カスティーリャ・イ・レオン州 の田舎の砂漠のまんなかの食堂で、この世のものとはおもえないくらいおいしいタコのカルパッチョが出てきたのは前にも何度か書いたことがある。 そのときに、なんか食後酒でおいしいものはないかなあーと考えて聞いてみたら、 「これ、この辺でつくるリキュールなんだけど、飲んでみない? おごるよ」 ともってきた黄色のリキュールを飲んだら死ぬほどうまかった。 海から遠く離れた赤い砂が延々と続く砂漠のまんなかでおいしいタコのカルパッチョが出てくるのもヘンだが、都会の喧噪から軽く800キロは離れた町のなかにすらない(何度も繰り返して悪いが)ド砂漠のまんなかで、どうして、こんな洗練された味のリキュールが出てくるのだろう、と考えて頭が混乱した。 大陸南部の欧州の人間にとって、世界と和解するのは簡単なことなのであると思う。 自分が20歳でも60歳でも、事情はあまり変わらない。 どんな場合でも、たとえ自分が80歳でも40歳以下であろうとするアメリカ人とは、そもそも「人間」というものについてもっている思想が異なっている。 … Continue reading

Posted in 日本と日本人 | 3 Comments

淡い翳のなかの日本

ときどき日本にいたときのことを思い出す。 子供の時に住んでいた日本、連合王国からニュージーランドへ移動する途中のストップオーバーで旅行者として眺めた日本、「十全外人」 http://ja.wikipedia.org/wiki/乾隆帝 遠征計画と(ふざけて)称して5年11回にわたって1回最長数ヶ月滞在した日本。 あたりまえのことなのかも知れないが、どれも、違う国のような気がすることがある。 放射脳なので戻る気が起きないのだから、このブログによく出てきた「定食屋のおばちゃん」の「定食屋」とかを実名で書いたほうがすっきりしそうなものだと思うが、相変わらずぼんやりした表現にしてしまうのは、やはり心のどこかでは、「いつか戻れるようにならないか」と思っているからだろう。 ツイッタでも「あんまり日本が好きではなかった」と、うっかり言って、突然悪態をつかれたり、悲しまれたりしたが、日本の社会は好きとは言えなかった。 外国人の友達でも(フランス人に多かったようにおもうが)日本が大好きで、日本のものならなんでも好意をもって、まるで日本人になりきるつもりでいるかのような人もたくさんいたが、ぼくは、社会全体が軍隊のように感じられて、息苦しいし、退屈だと思う事がおおかった。 個々の日本人は当然別で、こっちでは、むしろ「日本だいすき」なひとびとよりも恵まれて、ずいぶん羨ましがられたりもしたが、考えてみると義理叔父が見えない所で暗躍していたというべきか、かなり気を使ってくれていたのだと思う。 礼儀をわきまえたひとばかりだったし、第一、面白い人がたくさんいた。 もっと若い世代はもちろん50代の人でも愉快な人がたくさんいて、たまたま義理叔父と同じ大学を出た人がおおかったので「トーダイおじさん」という呼称でブログ記事のなかに十把一絡げにされている気の毒なおじさんたちは、特にひとりで遠征計画実行中の頃は、ガメ、ガメ、と言って、ひとをペット並に愛玩して、今日はうなぎ屋、明日は居酒屋、と連れて行ってくれたが、それもいまおもえば、おじさんたちはおじさんたちなりに、「自分が信じる日本の最も良いところ」を見せようと一生懸命に考えてくれていたのだと思う。 なくなった店で言えば「山形屋」という居酒屋につれていってくれて、マグロぬたはうまいぞ、とこぶしもうまい、あれもこれも、と頼んで、いいとしこいて食べきれないほど頼む奴はやっぱりバカだ、と自嘲したりしていたが、小鉢のなかで手をつけられないまま居座っている食べ物が、そのままおじさんたちの過剰な親切心であったことを気が付かないほど頭の悪いガイジンといえどもバカではない。 「山形屋」でいえば、知らない人と肩を寄せ合うようにして座らなければならなかったが、不思議なくらいきちんとした、自分のふるまいを他人の目で観察できる客ばかりで、見ていると、お銚子の酒を飲むペースまで、高級料理店で、来るひとを選ぶような店と同じ、ゆっくりとして、急にもならず、間もあかない、日本の伝統にしたがったペースで盃を傾けている。 銀座松屋デパートの裏の「はちまき岡田」という店も同じで、駘蕩として、白い暖簾をくぐると、まるで戦前の世界でもあるような時間の流れかたで、実際にもやってきた客が「インバネス」を着ていたりして、びっくりしたりしたものだった。 白髪ネギが浮いた鶏のスープや、ますの照り焼き、八勺徳利で出てくる樽菊正宗がうまくて、おおむかしの日本でジジイでいるのは、結構たのしかったのではないか、と考えたりもした。 意外に思うかもしれないが東京という町はバルセロナにちょっと似ている。 町自体は綺麗とは言えないし、道行くひとも無愛想を極めるが、ほんの一歩生活のなかに踏み込むと、楽しいことがたくさんある。 往来では仏頂面で目があっても決して微笑したりしないひとたちが、あの日本の人特有の、つぼみの花が開くのを高速度撮影で撮ったような、明るい、質量のない、透明な笑い顔をみせる。 ほんの少ししかいなかったのに、モニとぼくに天ぷらをつくってくれながら、涙をぬぐいはじめて、「ガメちゃん、もういっかい日本に来てくれな。行っちゃうなんて、つらいなあ。ちくしょう」と言って、しまいには大泣きしはじめてしまったKさんや、いまでもときどき葉書を送ってくれるホテルの総支配人のSさん、日本のひとは外観からは決して想像がつかないほどの激情に近いあたたかい気持ちをもっていて、それが東京という町の最大の魅力をなしていたと思う。 ぼくが日本にもっていたものをすべて処分して、もうこの国には来ないだろう、と考えたのは2010年の秋だった。 東北大震災よりも前のことで、あの福島県の浜通りを非現実的な津波が襲ってきたときにはぼくはもうオークランドの家にいた。 https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/03/13/1885/ あるいはホームシックだったのかも知れないが、たくさんの良い友人がいたにも関わらず、ぼくはもう日本の社会が嫌でたまらなくなっていたし、気温が上がりすぎて、もともとは寒い土地に向いているらしい体質のモニとぼくには、夜中であっても出かけて歩ける日にちが、ごく僅かしかない、という現実的な理由にもよっていた。 もうひとつ、以前のブログアカウントの終わり頃に何度も書いて「お前は予言者のつもりか、ばかばかしい」といろいろな人に悪態をつかれたように、東海村JOCの事故後に誰も責任を取らないで「無知な現場」のせいにしたり、ことあるごとに「権威ある出典」ばかり発言者に要求して、わかりきった、あるいは、みながうなずけることしか受け付けなくなった日本の社会の体質を見て、(具体的には「もんじゅ」だと思い込んでいたが)原子力発電所の事故のような致命的な事故が起きてモニと自分の生命が危険にさらされるようなことが起きそうだ、という気持ちがあった。 もうひとつは、モニが地震がこわい、と言い始めたこともあった。 (しかし、ふたりとも、愚かにも、ふたつを組み合わせて考えてみる、ということはしなかったが) おとなになってから住んでみると、子供のときのただひたすら面白くて興奮の連続だった日本での生活と異なって、社会の「あら」が目立ったので、日本の社会はどうでもよかったが、日本語のほうは、どうでもよくはなかった。 日本人で英語や欧州語でものを考えられる人は逆のほうから同じことを感じているのを、あとで、勲さんというツイッタ上の友達を始め、いろいろな人と話して学習したが、英語と日本語では言語として根本的に異なる。 ぼくが勲さんと英語で話す時には、ぼくと勲さんは実は神のほうを向いて話している。 言語の構造上自動的にそうなるので、いわば一対一で話しているのに会話自体は三角形を形づくっている。お互いが神に向かって話しかけるのを聞いて、その返答をまた神に向かって話す。 ところが日本語にはこの構造がなくて、日本語で会話するときには、ぼくは勲さんに直接話しかけて勲さんもぼくに直接話かけることになる。 頭の良いひとはここで直ぐに気が付くと思うが、2人の人間が話すときに絶対者を交えた三角形が構成されない会話においては人間はウソツキになるかびっくりするほど失礼なやつになるか、みな同じ考えになるか、どれかしか選択肢がない。 自分の意見を率直正直に述べる方法など、ありはしない。 言語の構造が人間を不正直にするというのはSF物語のようだが、日本語社会では現実なのである。 一方では神を前提にしない言語であるメリットというものもたくさんある。 それは空を仰ぎ見るようにではなく深い井戸を垂直にのぞきこむようにものを見つめて考えられるからで、「人間とは何か」というようなことを考えるには日本語は極めてすぐれた言語であると思う。 虫がよすぎるかもしれないが、だから、日本の社会との関わりは言語上必要な程度にして、というのは気の合う友達と話すだけにとどめて、日本語は自分が「本質」について考える欲求をもっているあいだは失わないで保持していたい。 日本の細部がなつかしい。 軽井沢の発地の闇のなかを明滅しながら飛ぶホタルや、狸坂の急勾配、蕎麦屋のおばちゃんがそっと出してくれる茶碗のおきかたや、カウンタ越しに「ちょっとこれ食べてみなよ」と大将がだすニンジンの漬け物(ぼくが漬け物が嫌いなのはみなよく知っていた)が、おもいのほか、というよりもぶっくらこくほどおいしかったので、「うまい!」とおもわず口にだしたときの、大将おっちゃんの「快心の笑み」というそのままの職業的な誇りに満ちた笑いかた、このブログ記事によくでてくる定食屋のおばちゃんがカウンタの跳ね板をあげてとびだしてきて、ちいちゃなちいちゃな身体で、おもいきりわしに抱きついて、「あああガメちゃんだ。おおきくなっちゃったけど、あんた全然変わらないねえ。ああ、いいなあ、ガメだ。ガメだ!おばちゃん、ずっと会いたかったよ」と、まっすぐに述べてくれるひとのわしの腰にまきついた腕の弱いような、それでいて勁いような、不思議な感覚。 嵐の夜、台所にいて、紅茶を飲んでいると、世界のどこにもない、日本にだけある燦めくような細部がおもいだされて、息がつまるような、胸が苦しくなってくるような、焦燥では言葉としておかしいが、焦燥としか呼びようのない感情に襲われて、自分にとってはただの「外国」にすぎない国のことを思うのに、これはいったいどうしたことだろう、と不思議に思うことがあるのです。

Posted in 日本と日本人, 日本の社会 | 6 Comments

日本語と所作

わしガキの頃は、従兄弟(父親が日本人)と義理叔父(もろに日本人)と3人で、たとえばグラマシーの通りに出ている昼ご飯のテーブルに座っていて、外国人らしい人を見つけては、それがどこの国から来た人か当てる、という遊びをよくやった。 「よくやった」というが、実はいまでもやります。 モニとふたりでいるときもやる。 わしガキの頃は日本人は服装によって区別がつく人が大半で、NYCならば妙に欧州風な、欧州風だけど、きちっとしすぎた着方のアジア人はまず間違いなく日本人だった。 この遊びは正解がわからなくてもいい遊びなので、たいていの場合、(会話が聞こえなければ)いまのは東欧人だった、あれは、大陸欧州のイタリア人だろう、という推測が合意されたところでゲームは終わるが、テーブルの上に「ここはわたしの席だ」ということを示すために財布やハンドバッグを置いていく人を見ると、「あっ、日本人!」と言って飛び上がって喜んだ。 誤解してはいけないが、「日本人はセキュリティの感覚がない」と頭のなかで難しげな顔をして述べようとしているのではない。 単純に、日本人が貴重品を誰でもが盗んでいけるテーブルの上に置いていってしまうのが面白かったから大笑いして喜んだので、ガキだと言っても、その可笑しさのなかには、 「日本て、平和なよい国だな」という軽い羨望がこめられていたと思う。 その頃はシリコンバレーに行くと台湾の人が多かったが、なんだか暗い色の紺の、チョー安っぽい背広に黒縁の眼鏡で、全体にもさもさしていたので、簡単に区別がついた。 韓国のおばちゃんは、これはいまでもそうだが、なぜかチリチリの鳥の巣みたいな髪の毛にしている人がおおいので、髪をみればイッパツで判る。 プラヤ・デル・カルメンやコズメルのような場所には若いイタリア人やスペイン人が多いので、イギリス人の団体がやってくると、ひと目で判った。 イタリア人やスペイン人たちが、ファッションモデル組合の慰安旅行だろうか、というくらいカッコイイのに、イギリス人たちは、全体に、ボテッとして、だらしないショーツのはきかたで、似合わないアロハを着ていたりして、国是に従っているというか、いかにもダッサイ外見だからです。 ミルピタス https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/01/27/milpitas-ミルピタス)/ に行くと、ハードウエア産業が中心のコンピュータの町(サンディスクの本社はここにある)なのでインド人や中国人韓国人、そして日本人がたくさん住んでいる。 たしか「アメリカ最大」ということになっているモールに、日曜日、モニとふたりででかけてみたら、ごわあああああっとモールに溢れている人のほぼ全部がアジア人で、ところどころにぽつんぽつんと見えるコーカシアンは、よく見ると奥さんがアジアの人で、簡単にいえばアジアの人がうんとリラックスできる王国です。 日本の人はすぐに判る。 歩き方に強烈な特徴があるからで、一面東アジア人がいるところでも、日本の人が歩いていれば、そこだけスポットで浮き出しているようにわかる。 西洋人はよく日本人をさして「ロボットのようだ」という。 言われれば、あたりまえで、日本の人は嫌な気持ちがするに決まっているが、他の悪口とちがって、日本の人に面と向かっても言うことがおおい。 わしの観察によれば「ロボット」という言葉が出てくるのは、どちらかというと外見からの印象がおおきいようで、それも顔の表情に乏しい、ということはあるが、たとえばカタロニア人も街頭では表情に乏しいので、身体の動き方のぎこちなさ、というほうに強い印象がありそうだ、と思う。 日本にいたときの観察では、日本の人が自然な身体の動かし方をするのは、だいたい小学生くらいまでで、中学生くらいになると、カタカタと音がしてきそうな、ぎこちのない所作がおおくなる。 思春期をすぎると、この「不自然な感じのする動作」は死ぬまで続く。 面白いのは、自分が気安いと感じている年が下の人間といるときには所作が突然自然になって、顔の表情まで寛いで、まったく自然なものに変わっている。 同じ人が「上司」にあうと、椅子にこしかけるやりかたまで、ぎこちない、かつかつと音がしそうなものになる。 パキッ、と音がしてクビがもげてきそうだとハラハラする。 状況証拠から考えて、自意識が動作を阻害することによって、不自然な肉体の動きを招来するのだと思うが、よく考えてみると、それは結果にしかすぎなくて、日本の人の動作を日本の人の動作たらしめているのは、その自意識を沸騰させているなにものかのほうであるに違いない。 この頃よく敬語の体系は、実際に民主主義社会の成立を阻んでいるのではないか、と考えることがある。 よく知られていることだと思うが、敬語の体系は、本来は年長者や上司というような「目上の者」が「目下の者」に敬語を使うことによってしか成立しない。 話が抽象的にすぎる、と思う人は、ひどい日本語しか話せなかった父親と異なって、美しい敬語を話すいまの天皇陛下と皇后が、どんな日本語で政治的教条においてはともかく、日本語の体系のなかでは「目下の者」の集合である「国民」に話しかけているかを観察してみればよい。 現代の日本語では「目上の者」が「目下の者」に敬語をつかうことが少ないのは、日本語がいちど軍隊によって完全に破壊されてしまっているからである。 大学のなかでは学生に敬語で話しかける教授が珍しくなく存在するのは、そのことと関係がある。 軍隊の敬語は、吉原の花魁言葉と同じで、敬語がうまく使えない人間にも即製で敬語が話せるようにつくった人造語だが、上官が部下に敬語を使わない、という敬語全体にとっては致命的としか言いようがない欠点をもっていた。 戦後の企業社会は、その軍隊日本語をそっくりうけついでしまったので、それが結局は「新しい日本語」になったが、この日本語は、おいおい話そうと思うが、欠陥が極めて多い言語で、表現しえない事象がおおいのに較べて、会話が自由にやれないという言語としては信じがたい欠点まである。 人間の意識をつくっているのは言語なので、人間の意識の「リズム」も、また言語でできている。 具体的には、バールで立ち話をしているふたりのイタリア人を思い浮かべてみるのがよいかもしれない。 言葉の調子と、身振り手振りで、あいの手にはいる笑い声の「間(ま)」にまで、イタリア語のリズムがそのまま取り入れられているでしょう? スポーツ選手は筋肉がもっともリラックスして動けるように筋肉の法則に従った美しい「定型」をもっているし、格闘家も「型」をもっている。 普通の人間は言語が自然や生活から吸収したリズムを言語を通して人間に還元する役割を担っているが、現代日本語は、それ自体、言語としての「リズム」、言語としての「時間」を獲得するのに失敗しているように見えます。 多分、義理叔父の書斎でみた新聞の切り抜きかなんかだったと思うが、日本ではジャズプレーヤーの草分けであるらしい渡辺貞夫という人が、自分のジャズがリズムを完全に失ったと感じてジャズプレーヤーを廃業しようと思い詰めるにまで至った「スランプ」の時のことを書いている。 … Continue reading

Posted in 言語と習慣, 日本と日本人, 日本の社会 | Leave a comment

明日のための移民講座(その3)

3回目は日本から他の国への移民について書くつもりだったが、考えてみるとわしには必要な知識がない(^^;) この頃は移民するにもTOEFLやIELTSで一定の得点をあげることが必須も必須、ヒッスッスだが、わしはそういう「英語試験」も受けたことがない。 受けると300点とかで、国語がんばろーになるのかも知れないが、ああいうものは国の知的水準が外にばれると困るのでアメリカもイギリスも国内の人間には受けさせないことになっている。 それが証拠にオーストラリアは「オーストラリアについて移民が最低限知っているべきことについてのテスト」というチョーばかなテストを移民希望者に課していたが、試しにオーストラリア人に解かせてみたら半分くらいは不合格だった。 行ったり来たりしていてももともと生まれたのは北のはての国なので移民に必要な知識がありそうなもので、自分でもそう思い込んでいたが、どうもそういうものでもないらしい。 まず子供の頃から毎年ニュージーランドの夏に来ていたが、そもそも言語が同じで、「ニュージーランドの人って、なんでばーちゃんの世代の英語で話してるんだ?」という程度の違いしかなくて、Rの音がぐわあらんぐわあらんと響くアメリカ合衆国にいるときの半分も英語の差異を意識しなかった。 習俗も同じで、なによりニュージーランド人の側にわしを同族であるとみなす傾向が強かったせいであると思う。 とーちゃんとかーちゃんが(南島に較べればいろいろな文化圏の人が当時からいた)オークランドに家を買えば、別であったかもしれないが、わしガキの頃はもともとマオリ人が極端に少ないクライストチャーチである上に、東アジアの人も会う機会はなく、インドの人に至っては町なかでみかけるということすらなかった。 イギリスでも当時はヨークの町ですら「まっしろ」で、異文化のかけらもなくて、連合王国も、どれもこれも似たようなアングロサクソン人だらけの退屈な国だったが、ニュージーランドも同じで、いま振り返ると世界中の国が争って少しでも優秀な技量をもつ移民を大量に受けいれようと競争を始める直前の時期だったのだと思います。 だからどちらかというと2万キロを旅して国内旅行をしているような、なんだかヘンな感じだった。 そのうちにわしガキはガキであるのにニュージーランドのさびれかたが気に入って、見渡す限り人工物のない荒れ地をひとりで徒歩であるいは馬に乗ってずんずん歩いていたりするのが好きになっていった。 そこで目下アメリカのマンハッタンに住んでいる義理叔父やトーダイおじさんたちの一部係累など、知っているひとびとに折りにふれて聞いておいたことや、あるいはニュージーランドの土着民の視点から見た「移民してきた日本のひとの姿」などをくわえて、マニュアルに近いものが出来ればいいかなあー、と思いまする。 前にも書いたが、「うーむ、これはもうあかんな。あのおやじの汚れた耳タボを見よ、あのおばちゃんの意地悪げな一瞥をみよ、日本はやばいかしれん。年金とかも払うだけでもどってこないんちゃうか。なんでわしが見知らぬじーちゃんやばーちゃんを養わねばならんねん。第一、そういうじじばばって、おいらがコンビニでバイトしてたときに釣り銭まちがえただけでキレやがって怒鳴りちらしてたのと同じやつだろ?」ときみが考えて、ここに至りては是非もなし、日本からとんずらこいちまうべ、と考えた場合には、ワーキングホリデービザを頼るのが最もよい。 http://www.jawhm.or.jp/ 一応、このフロントページの右側に国旗が並んでいる国々に対する英語人の一般的なチョー無責任な評を書いておくと、 1 オーストラリア 人間が荒っぽくてアグレッシブである。 喧嘩っ早いというか、モニとわしがボンダイビーチ(海辺の原宿っちゅう感じのチャライ町です。ファッションモデル・女優・俳優及びそれになりたい人が夏にはいっぱい集まる)のカフェの通りに出たテーブルで昼食を摂っていると、おばちゃんがふたりで大声で怒鳴り合って喧嘩を始める。 「今度、わたしの家に一歩でも踏み込んだら、ナイフで切り刻んでミンチにしてやるからそう思え」 「あんたこそ、今度わたしに町で会ったら、そのときが人生の最後のときになるのをおぼえておけ」 というような、凄まじい応酬で、しまいには胸ぐらをとりあいだしたので、わしが「ごはんがまずくなるからね、ね」とゆって、ふたりにお願いして、通りの向こうにひきずってゆかねばならなかった。 あるいはモニとふたりで最後にシドニーに滞在したときには、日曜日の原っぱで遊んでいたら息子の後頭部にサッカーボールがあたった父親が激昂してサッカーのボールを蹴ったおっさんにボールを乱暴に蹴り返す。それをきっかけに周りのおとなを巻き込んで40人の乱闘になって、ひとりが死亡して数人が重傷を負う惨事になった。 もうひとつネガティブなことを書くと、店員その他のサービスの質が極端に悪い。 わしなどは、オーストラリアのビザカードから5年前の請求が来たことがある。 もっとヘンなのは、ロンドンの家にオーストラリアのアメックスから「あなたはオカネを使いすぎです。ついては、もっと節制するように」という全然わけがわからない手紙が届いたこともある。 両方とも電話をして、アホか、と述べて、ゼネラルマネージャーとかなんとか言う人から正式の謝罪のお手紙をもらったが、サービスの質の圧倒的な低さを世界に誇るロンドンでも、こんなことは滅多に起こらないので、オーストラリアは先進的だのお、と感心してしまった。 良い方は、オーストラリア人は見栄っ張りが少ない。 話もまっすぐで、のんびりしている。 知らない人と仲良くなるのが簡単で、国全体が豊かである。 ごく自然に親切で、評判どおりのおおらかさである。 競争がゆるいので、あんまりがんばらなくても食べていけます。 自然が美しい国で、特に砂漠が素晴らしい。 わしの知り合いの連合王国のおばちゃんは、この砂漠のまんなかにでかけて数週間を過ごすのが好きなばっかりにオーストラリアにいついてしまった。 わしも、あの赤い砂漠に匹敵する自然の美しさは、この世界にはないのではなかろーか、と思うことがある。 「雄大な景色」が好きなひとは、よくグランドキャニオンに行って人生が変わった、というが、グランドキャニオンくらいで人生が変わるのならオーストラリアの青山、ブルーマウンテン に行くと、人生が爆発して、一生など、どーでもよくなるのだと思われる。 …と書いていこうと思ったが、この調子で書いていくと記事がそのまま本の長さになりそうなので、やめる。 そんなええかげんな、と思うかもしれないが、ええかげんなのはこのブログ記事のテーマのごときものであるから、我慢してもらわねば困ります。 ビンボくさい言い方を思い切って採用するとワーキングホリデービザは日本のパスポートを持てる人の一種の特権のようなものなので、(どうもこういう言い方はかっこわるいが)手にした特権を使うにしくはない。 自分が日本人で21歳とかだったら、ここに並んでいる国のうちのどれにするかなあー、と思って眺めて考えると、台湾にするのではないかと思われるが、 … Continue reading

Posted in 日本と日本人 | 6 Comments

言葉の死について

インターネットのあちこちで、共有できる言語を伝って、世界中のいろいろな人たちが話を交わして、びっくりしたり、笑いあったり、喧嘩になったりしているのは、20年前ならSFだが、いまではありふれた光景になった。 ぼくはニセガイジンという有り難い称号をうける程度には日本語で考えることが出来るので、こうやって目の前にあるコンピュータのスクリーンのなかに開いているウインドウのひとつは必ず日本語になっている。 スクリーンのそちらがわからこちらがわは見えなくて判りにくいのは当たり前だが、だいたいぼくの部屋では大音量で音楽がいつも鳴っていて、こう言うとまた「そんな人間がいるわけがない」と言ってくる人がいるに決まっているが、めんどくさいので構わずに話をすすめると、3つか4つくらいの言語にまたがったSNSとフォーラムのウインドウが開いている。 その他にスカイプを含むVoIPも使うが、こちらは日常生活でよく知っているひとだけです。 日本語で日本の人とSNSやなんかで話しているときに、人柄のよさそうなひとに多いが、「いまのは大事な意見だ。日本人に適切な忠告をしてくれてありがとう」と言われたりすることがよくあるが、少なくとも自分が知っている範囲では、そういうお礼を述べる「国民」は日本人だけなので、びっくりしてしまう。 日本の人が日本語を使ってものごとを考えているときに、いかに孤独か、ということを考えることが多くなった。 日本語で不足なくものごとを考えられる人間が側に立って、えっ?これはダメっぽいんじゃない? こっちはカッコイイな、と言って話しているときに突然「日本人への忠告ありがとう」と言われるのは、人によっては「ガイジン」というすごい差別語をもつ日本人の閉鎖主義の表れだと怒る人がいると思われるが、ぼくは、その徹底的に孤独な心性に驚いてしまう。 ついさっきまで同じ言語で、というのは取りも直さず同じ情緒と癖がある思考の幹に属して、肩と肩を並べて話していたのに、「日本のこと」になると日本人以外は遠くから見下ろして考えているとほぼ自動的に考えるのは日本のひとの強い性癖で、他の国民にも見られることだとは到底いいがたい。 イギリス人とニュージーランド人が話していて、ニュージーランドは簡単に大聖堂ぶっ壊しちゃったりして、ああいうのは拙いんでないの?とイギリス人が言い出して、ニュージーランド人が貴重な忠告ありがとう、と述べるとは考えられない。 あれはボブ・パーカーよりも政府がもっとバカで、あいつらは出費の削減しか考えない途方もない白痴である。 このあいだは、クライストチャーチでは人口に偏りができたから、生徒数の少なくなった学校がでてきたので就いては他の学校に統合すると言いやがった。 白痴である上に血も涙もない奴らである、というふうに会話は続いていくものであると思われる。 日本語で日本のひとが欧州のことについて述べたものは間違いがおおいようだ、と書いたら、では欧州人のお前が日本語で日本について述べることにも意味がないではないか、とえらい剣幕で述べに来た人がいて、(そのひとにとっては失礼にも)大笑いしてしまったことがあったが、そのひとは言語の機能と外国人・自国人ということについて頭が混乱してしまっている。 「日本語で日本人が欧州について述べる」ことに照応するのは「欧州人が欧州語で日本について述べる」でなければならないのだが、カッとしやすい、おっちょこちょいな人だったので血が頭にのぼって譫妄したのだと思われる(^^) 日本人の孤独な姿は福島第一原子力発電所事故を契機にして、異様な影を世界中のメディアに浮かびあがらせてきた。 なにしろ考えの前提も常識もなにもかもが唖然とするくらい違うので、経緯をちゃんと把握していないと、「言っていることがぜんぜん判らない」くらい日本のひとの「常識」はいまでは他の世界のそれと隔絶してしまっている。 もう事故から2年も経っているので、英語でも日本のひとが「なぜ放射能が安全だと考える」のが説明されている文章があちこちにあって、拾い集めてくれば、辻褄だけはあっている巧妙な説明を見通すことは出来るようになっている。 このブログでは何度も書いたので具体的な疑問は繰り返さないが、これこれこうだから日本の事故はたいしたことはなくて安全基準もつくってあるから日本人は安全です。 心配してもらわなくていい。 事故は収束しました。なんなら終熄と呼んでも大丈夫。 はっきり言ってしまうと、日本人の言い分だけを聞いていると、まったく尤もらしいが、我に返って、自分の頭の中の世界と照応させて、言わば「日本人の常識」と「普通の常識」を較べてみると、「日本の常識」は辻褄があっているだけでいかにもチャチで、もっともっとはっきり強い言葉をつかって言えば軽薄を極めていて、かつては科学の分野でもおおきな声望をもっていた日本人の科学性とは、たったこれだけのものだったのか、と思う。 ここまで読めば気が付くと思うが、ここで初めて日本人でない人間ははっきりと「日本人」の異様さについて眼を瞠っているので、ここに至って、普段は意識しない「日本」という仕切りが意識の上で越えがたい理解不能な壁となって眼のまえに登場してしまっている。 いわば「忠告ありがとう」と突然述べて外国人を訝らせる、不思議な日本の人の心性と同じ場所に外国人たちを押しやってしまっている。 ここから先は書いても日本語である以上わかってもらえなさそうで、書いてもしようがないような気がするが、そういう投げやりなことではいけないだろうから、数が少ない何人かの人に向かってでもいいから書くと、ここで起こっていることは何かというと実は日本語の「地方語化」が過去に予想されたよりも遙かに速やかに起こってしまっているのだと考える。 日本社会のなかで高名な科学者たちや知識人たちが「放射能の無害性」について力説するときに、どの程度自分の議論の普遍性を意識しているのかわからないが、結果からみると、地方ルール、日本社会のなかで説得力があればそれでいいや、な投げやりな感じがして、変な言い方だが、これまで放射能の害について世界中の人間が蓄積してきた「常識」へ真っ向から挑戦する緊張感などまるでみられない。 まるで「日本人はバカだから、こんなものでいいだろう」とでも言うような、真理を自作して適当に犬たちに投げ与えるいんちきな学問の神様のような好い加減さにみえる。 普遍語が支える世界に背を向けて「日本人向けの真理」を何の躊躇もなくつくってしまった結果、言語というものは自分をぞんざいに扱ったものたちに対して常にそういう巧妙で本質的な復讐をするが、日本語全体が地方語化して、日本語で語られるものは、日本語人のあいだでだけ通用する「真理」になってしまった。 半島人はむかしから半島でだけ通用する「真理」のタッキーさに苦しんで、おかげで朝鮮語はどんどん真理性を失ってしまい、英語でものを考える以外に方法がなさそうなところまで自分達を追い詰めていった。 インド人たちも同じで、というよりは、もう一段積極的にインド諸語を地方語として自ら定義して娯楽映画や歌謡にかぎってしまい、思考は英語で行う、と決めてしまった。 インド人たちはお互いの母語が通じないので英語を共通語として採用したのだ、と思ってしまいがちだが、当のインド人たちと話してみると、ぜんぜんそういう理由ではなくて、どちらかといえば英語の普遍性をインド文明で乗っ取ってしまってインド英語をつくったほうが文明の建設がやりやすい、という積極的な戦略であるらしい。 いまの日本で起きていることは、10の選択がある事象に6つの選択しか可視的に与えられず、残り4つの選択は伏せられていて、どのひとつも正しくはない6つの選択肢から正解を探すという徒労の連続である。 あるいは日本人は選択肢そのものが捏造されていて日本のなかだけで「完璧に証明された」、外側の人間からみるとクビをひねるしかないような定理を組み合わせて、更に突飛な空想的な「事実」を証明しにかかっているヘレニズム時代の歴史の闇の向こうに消えていった数学者の姿に似ている。 このブログを始めたときには、まさか日本語が言語としての意味を失ってゆくところに立ち会うとは思っていなかった。 そういう可能性すら考えられなかった。 日本語はいまの段階では架空な現実に架空な現実を架して、巧妙だが薄っぺらな、自分達で容易に信じられることだけ、あるいは信じたいことだけを材料に、それ以外のことはすべて虚構だと退け、現実であるはずがないと小心な心に言い聞かせるためだけに存在する「道具」になりさがっている。 言語は本来「道具」にはなりえない。 「日本語を使う」というが、本来は言語は人間の脳髄が「使える」ような代物ではなくて、言語自体が思考している。脳髄にできることはわずかに言語が内蔵している論理ベクトルを差配して方向を決定したり、言語が歴史を通じて貯えた情緒のなかから適宜選択してより明然と情緒を表現できるように選択することだけである。 ところが言語の真実性が失われるにしたがって、日本語は急速に論理のつじつまあわせの「道具」に変わってきた。 強い言葉を使えば劣化して腐敗してきたのだと言い直してもよいと思う。 この段階になると放射性物質についての、議論とは到底よびえない言い合いが良い例だが、同じ材料をつかってAがBであるという「完全な証明」とAは(Bと相反する)Cであるという結論を、どちらも「完璧に」証明できるようになる。 … Continue reading

Posted in 言語と習慣, 日本と日本人, 日本の社会 | 2 Comments

BENTO

マンハッタンのチョーボロー・アパートメントにいるときにはチェルシーの南の端っこにあるアパートを出て、ユニオンスクエアのぐじゃぐじゃな雑踏を抜けてイーストビレッジに向かう、という散歩コースが好きだった。 途中に「一風堂」というラーメン屋があっていつもながああああーい行列がある。 「今日はあんまり長い行列ないね」という日でも、よく見ると入り口のバーのところで無数の人間がとぐろを巻いている。 アメリカでは、ふとりまくって階段を上がるのにもぜーぜーゆって、心臓がぐわあああな状態になって足がへろへろ、というような状態になると、「死にたくなければ日本人が食べるものを食え」と医者に言われる。 だから寿司の流行は予見できるものだった。 わしガキの頃は、「どのくらいレンジにかければいいのか書いてないのは不親切だ」と文句をゆいながら電子レンジににぎり鮨をいれて、なんだかよくわけのわからないものになった鮨を食べて、「あんまりおいしい食べ物ではないようだ」と感想を述べる人や、怪力がすごいと思うが、ジャスミンライス(タイ料理屋さんとかで出てくるパラパラの奴)を超パワーで無理矢理固めて握ってある鮨とか、いろいろな初期プロトタイプの「西洋型鮨」があったが、最近は、日本の鮨から派生した、でも、わしなどはおいしいと思う「西洋鮨」として定着した。 ラーメンの流行は予想外だった。 義理叔父は酔っ払うとラーメンが食べたくなるヘンなやつなので、たとえば一緒に日比谷でどばどばと酒を飲んで酔っ払うと「ラーメンが食べたい」と言い始める。 わしは「ガリガリくん」のほうがいいので、アイスブロックにしようと主張するが、人間の世の中では人生の先が短いやつに親切にしてやるのがルールになっているので、タクシーに乗って「香妃園のとりそば」とかを食べにいったものだった。 噂によると本来はおっちゃんはもっと下品なラーメンが好きで、うんと酔っ払うと神保町の「揚子江」などにいそいそとでかけるもののようだったが、そこまではつきあえん。 わしはデリカシーに対するデリカシー(<−ダジャレの定義からはみだした天才的なダジャレ)を欠いた人間なので「日本料理について140文字以内で述べよ」とゆわれると、「全部、同じショーユ味じゃんね」と、ひどいことを言う。いつも日本の人に悲しそうな乃至は嫌な顔をされます。 正直な意見を聞くのが嫌なら質問すんなよ、と思うが、日本の社会ではこういうときはウソをつきまくるのが社会の礼儀だということになっている。 日本の人にあったときに、「外国の方は放射能が心配だと思われるでしょうね」と言われても、油断して、「死んじゃいますから」とか答えると、ニンピニンの人種差別主義者の反日ガイジンだということになってしまうので、「いやああー、ダイジョブなんじゃないですか? 第一、ほら、ホーシャノーたって、見た限りではどこにもないし、誰も死んでないんだから、大騒ぎしちゃダメですよねー」と答えるのが社会の礼儀にかなっている。 日本語というのはウソをつくという非人間的な行為によらなければ社会性と人間性が保てない不思議な言語なのです。 ラーメンも醤油っぽい味で、おまけにバラバラに轢断されて骨の随までぐつぐつ煮られた豚の臭いだと思うが鼻がくさって落ちそうな嫌な臭いがする。 典雅な食べ物がたくさんある国なのに、なんでこんなもんが「国民食」やねん、と思う。 もっと細かいところまでイチャモンをつけると、中国やベトナム、カンボジアというような中華圏(というとベトナム人やカンボジア人はすごく怒るが)では、ビンボ食は全部丼のなかにぶちこんで焼き豚も野菜も麺もいっしょくたに出すが、もっと気合いをいれておいしい麺を食べるときは、「具」にあたる部分と透明なスープに浸かった麺を別々にだす。 安いラーメンなら特に文句はないが、白胡椒をかけると風味がわるくなるからかけるな、レンゲで飲むとスープの旨さが判らないから丼から直截のめ、果てはおそれおおくも金華ハムでとったダシだから残すような客は死ね、みたいな感じのもったいがいっぱいもったいもったいしている店で「一緒くた丼」を出されると、げんなりする。 店のいうとおり「味わって」食べていれば、麺とスープにのっかって危うい均衡にある具は、どんどん味を失っていくに決まっているからです。 鶏の竜田揚げみたいな揚げ物が別皿に切り分けて並んでいて、その上にレモングラスのソースがかけてあるベトナム料理のほうが、ゆっくり、落ち着いて食べられる心地がする。 そーゆーわけで、どーしてマンハッタンのまんなかで、赤毛のにーちゃんが、あごひごの先をラーメンスープで濡らして光らせ、前歯に鮮やかな緑色のほうれん草のかけらをくっつけて、大声で、「ここのスープの味噌はゼンコージ味噌だな。マルコメとは風格が違う」とゆーよーな蘊蓄を傾けることになったのか、いまの英語圏におけるラーメンブームは、わしの理解の能力を遙かに越えておる。 しかしラーメンと時を同じくして流行している「弁当」は別です。 かーちゃんとかーちゃんシスターは歌舞伎が好きでわしもときどきとばっちりで歌舞伎座に連行されることがあった。 「そんなことはありえない」という日本の人に会ったことがあるが、ガキわしは不明な理由で能楽は大好きで、観世も喜多も大喜びででかけたが、歌舞伎は退屈で嫌だった。 Kissのおっちゃんたちが縮小サイズになったみたいな俳優たちがドタバタ走り回って、なんだかよくわからねー上に、劇そのものがチョー長いので閉口した(歌舞伎ファンのひと、ごみん) ただゆいいつの救いは幕間の「幕の内弁当」であって、時間がなくて忙しい上に食べられないものもたいてい混ざっていたが、いま思い返してみると、あの年季と気合いがはいったプレゼンテーションが好きだったのだと思われる。 「いろいろなものをちょっとずつたくさん出す」というのは東アジア文化で、日本の焼き肉屋ではなぜかそういうことをやっていないが、普通は、コリアンBBQの店にいくと、小鉢にはいった食べ物がキムチ、カクテキ、切ったチジミ、山菜のおひたし、蒟蒻の切ったの、トリッパを醤油で煮たようなもの、ぞろぞろぞろといっぱい出てくる。 お代わりは無論タダです。 小鉢の数は通常少ないが、台湾料理屋でも、注文した「排骨飯」の脇に炒り卵や青梗菜の炒め、麻婆豆腐というような小鉢がくっついてくる。 子供のときにかーちゃんやとーちゃんと一緒に何度か出かけた台北のたとえば「青葉」では、そういう小鉢などなかったような気がするのでツイッタで知り合った(台北のマルタ人)勲さんにでも訊いてみないと判らないが、少なくとも英語国のエスニック料理街では、小鉢文化が息づいている。 (閑話休題) 食べ物が世界でいちばんおいしいのはサンチャゴ・デ・コンポステラがあるガリシアかコスタブラバに無茶苦茶うまいレストランが点在するカタロニアであると思うが、日本の料理はプレゼンテーションが圧倒的にすぐれている。 目の前のカウンターやテーブルに、ふわり、と置かれただけで目が輝いてしまうほど「見た目」にぱっとした冴えがあって、日本人のこういう美的センスはどこから来たのだろう?と真剣に考える。 記事の冒頭にあげた「ちらし寿司」もそうだが、飛竜頭(ひろうす)のような、おいしくはあってもプレゼンテーションのつくりようがないものでも、日本の人の手にかかると、「見た目のよい」食べ物になってしまう。 プレゼンテーションの伝統に支えられて、日本の人は「弁当」という見ただけで楽しくなるような食べ物をうみだした。 上の写真のは多分「吉兆」という料亭がつくってくれた弁当だと思うが、ミーティングの席に出てきた二段のこの弁当を開けて、なんだか食べるのがもったいないような、せっかくつくったものを壊すのが悪いことのような不思議な気がした。 ブログに書いたことはないが、わしは日本人の「永遠を求めない心」が好きである。 一時間も経たないうちに客の箸によって破壊されるに決まっている食べ物に趣向を凝らして美しい形を与えようと気持ちを集中させて箸を握る職人さんたちの背後にある須臾のなかに永遠を見ようとする偉大な美意識というものを感じないでいるのは難しいことであると思う。 ツイッタもみている人は気が付いているかもしれないが、この記事は「バジル」(@basilsauce)さんというひとがツイッターの上にあげた娘さんと息子さんのためにつくった下の「おべんとう」の写真 (©basilsauce) … Continue reading

Posted in 食べ物, 日本と日本人 | Leave a comment

あんはっぴー

日本ならば「私小説」というものがある。 構想もなにもなくてただ自分の生活と内心を書き綴ったような本が好きで、日本にいたときは、田舎の町の小さな古本屋で自費出版の「自分史」の本をワゴンのなかに漁ったりしたものだった。 重層性や「企みに満ちた」物語という娯楽は欧州では20世紀文学の特徴でやや古い。 読めば物語らしく知的神経が刺激されてコーフンするように出来ていて、物語が氾濫している、「物語中毒社会」と言えそうな、いまの西欧語世界でも面白いが、なぜそれを苦労して(外国語である)日本語で読まなければならないかわからない。 日本のひとは城郭の縄張りをするように言語を張り巡らせて物語を設計するのが苦手なようでもある。 自分の心を井戸の暗闇を見下ろすようにして、じっと見つめることのほうに、ずっと才能があるように見えます。 たいていは自分にとってだけ特別な自分の一生をただだらだらと書いてあるにすぎない「自分史」を読んでいると、しかし、人間の一生はそのひとひとりにとってはかけがえがないものなのがわかって素晴らしい。 皮肉ではない。 戦争がおわったあと国民党軍に投降して、そのあとの4年間を国民党の通信兵として戦った、などというひとは日本にはごろごろいる。 一生の最も活動的な時期といってもよい18歳からの10年間を破壊と死、同胞たちの集団強姦、容赦のない暴力をともなった悪意というもののなかで過ごして、ほとんど人間の道徳の彼岸に到達して菩薩に似た境地に達してしまっているひとが書いた「自分史」を読んでいると、人間の神などは人間の魂にもともと内蔵されている言語の機能にしかすぎないのではないかと思ったりする。 カウチに寝転がって、他人の人生の記録を読んでいると、人間が希望に燃えて生活したり、絶望にとらわれたりするのは50歳くらいまでであるようにみえる。 だいたい50歳をすぎると、(観念の)鏡に映った自分ではなく、手をのばした先にみえる自分の手のひらを見るような、ありのままの自分がみえてきて、その「自分」と一緒に過ごすしかないのだ、ということが悟達されるもののよーである。 このブログ記事で何度かふれたRay Kroc http://en.wikipedia.org/wiki/Ray_Kroc のように(マクドナルドの成功という意味だけではなく)実質的に52歳から一生を始めたようなひともいるが、数は少なくて、50歳をすぎると、いわば「自分に馴染んでゆく」というタイプの人が多い。 絶望や希望という概念が機能しなくなって、ただ起きてから寝るまでの一日を見つめる生活になってゆくもののようで、健全というか、余計なものがとれてしまうようだ。 このブログには老いたひとびとについての記事が多い https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/01/11/夕暮れの交差点で/ ので、それに気づいた人が「お年寄りが好きなんですね」といって寄越すことがある。はなはだしきに至っては精いっぱいの、だが稚拙な悪意をこめて「ガメ・オベールは老人であるに違いない」とあちこちに書き込む人もいる(^^) 事実は逆で、わしは人間が老いるということが子供のときから怖くて仕方がなかった。 自分が、ではない。若い人間の頭の悪さで、「自分が老いる」ということはなんとなく起こらないような気がしていて、実を言うと頭でぼんやり理解しているだけで、いまのこの瞬間でも自分が老いるのだということはわかっていないようにみえる。 もっと小さい子供のときは、怖い、というよりも老いた肉体や相貌というものにかなり明瞭な嫌悪をもっていた。 もちろん礼儀正しくはしていたが、曾祖母などは、いちど春の芝生の上で開かれたパーティで、5歳のわしに向かって「ガメは年寄りが嫌なのね。なんて正直な子供でしょう。よいことを教えてあげるわ。わたしも、若いときは、自分のまわりの年寄りが薄気味悪くて大嫌いだった」と述べて、曾祖母の特徴であった闊達な感じのするやさしい声で笑った。 いくら隠そうとしても傍目には明かだったもののようである。 昨日、「もう死んでしまったものたちのやさしさ」と記事に書いたら「意味がわからなくて困った」というメールがきた。 理解しようと思って理屈を使って考えるから判るのが難しいと思うので、簡単に言って解剖台に横たわっている死体をみて、同じことを感じない人、というものを想像するのは難しい。 棺のなかでもよい。 死んでしまった人間の肉体というものは、多分、人間が一生のなかで目にするもののうちで、最も安らぎを感じさせる自然であると思う。 50歳をすぎた人間は理想的なスタート地点にいる。 人間の肉体はだいたい50年もつように設計されているので、設計上の耐用年数は実はもう過ぎている。 このあとはmRNAやtRNAがへまをこいたりコドンを写し間違えたりして、肉体の維持体制がだんだんデタラメになってくる。 いわば50歳くらいから人間は少しずつ確実に死んでゆく。 だから50歳で「希望をもつ」というのは実はほとんど論理的な矛盾である。 途中で必ず墜落するとわかっている飛行機に乗り込んで行く先のカリブ海に面したホリデースポットでの午後を夢見る人はいない。 よく目を開けて落ち着いて考えてみれば一生はとっくに過去のものになって肉体が残映のなかで生きているにすぎない。 だが絶望もない。 老いた人間が「絶望」する場合には単に精神的なディプレッションであることのほうが多いだろう。 希望が存在しないのに絶望だけが存在することはできない。 「死」に向かう人間は自己の消滅という究極の破滅に顔を向けているので絶望も希望も、もうそんなところにとどまっていては、人間として自己を維持するのが難しいものになってゆく。 … Continue reading

Posted in 言語と習慣, Uncategorized, 日本と日本人, 死と死後 | 2 Comments