Category Archives: 日本の社会

グローバリズム(1)

1 グローバリズム、はいま世界の半分で進行していることへの下手な命名、あんまりうまく呼べていなくて、そのせいで定義も常に曖昧になってしまう不細工な命名であると思う。 多分、そのうちに違う言葉で呼ばれるようになるだろう。 いまは「ひとが『グローバリズム』という名前で呼ぼうとしている世界的な傾向」のことを、曖昧な習慣にあわせて模糊として「グローバリズム」と呼ぶことにしよう。 グローバライゼイションも慣習によって出来た区別はあまり気にしない。 日本語で「グローバリズム」と言うときにはMundializationへの指向も含むように見えることもあるが、そんなことまで言っていると何が「グローバリズム」なのかさっぱり判らなくなってしまうので、これはまた別に項を立てるべきと思う。 移民に門戸を開くまでは、イギリスなどはまだチョーチョー、チョーx5なくらい退屈な国で、歩いている人間は色が白い奴ばっかし、話す英語のアクセントも(内部バラエティはあっても)同じ、食べるものに至っては普通の収入の人間なら即死するような金額を支払わなければならないレストラン以外は、きみ、これ、水煮したままどっか遊びにいって忘れてたんでしょう?ちゅうようなぐったりして口に含むと舌の上でとろけるような温野菜とか、表層が2ミリの厚さでチャーコールになっているステーキとか、いろいろに冒険的な食べ物を食べることになっていた。 いまでもイギリスには「ステーキは表面のおこげが好きである」という40代以上のおっちゃんがたくさんいるが、それは国全体が白かったころの悲しい食生活の習慣に基づいている、とみなすことが出来る。 アメリカはアメリカで、1982年、初めのうち全然(ただなのに)読んでもらえなかった USA TODAY http://www.usatoday.com/ が発行されるまで日本の読売・朝日のような「大衆向け全国紙」というものは存在しなかった。 大多数のアメリカ人にとっては「満タンのクルマで行ける範囲」が世界であって、ときどき火星に旅行するようにしてニューヨークやサンフランシスコに出かけたりした。 「火星に旅行」がオーバーなら (オーバーだが) お伊勢参り、でもいいです。 英語人の生活は最近までものすごく狭い範囲に限られたものだった。 わしガキの頃、90年代の初めでもまだそうで、その頃の町の様子や、ペンザンスのような町のにぎわいを考えると、なんだか別の国のことを考えているような気がする。 初めてニュージーランドに行ったのは、多分6歳のときなので、1989年だと思うが、 クライストチャーチのカテドラルスクエアの真ん前にある「ミルク・バー」に連れて行ってもらったら、ミルクシェークが錫のカップに入って出てきた(^^; ばーちゃんの話で聞いたことはあっても現物をみるのは初めてなので、おお、すげえ、というか、2万キロを移動するとアインシュタイン効果かなんかでタイムスリップするのかと考えた。 その頃は開店したばかりのマクドナルドがミラベルとリッカートンにあって、兄弟みたいな国のオーストラリア資本をのぞけば、ニュージーランドの外からやってきた会社はマクドナルドくらいのものだった。 あとはせいぜいフォード、ジョンディア、というような会社の製品を製品輸入していただけだったと思います。 日本は対照的に常に世界のものを取り入れようとしてきた国で、上等舶来という言葉さえむかしはあった、西洋の文物は上等だという長い時期を脱して、ちょうど当のその西洋の国国とは逆に、「日本のもののほうがいい」「洋モノはしっくりこない」という思潮が強く出てきたのが1990年代半ばくらいで、「国の門戸を開いていかねば生きていけない」と欧州やオーストレイジアの国々が思い詰めはじめたのとちょうど逆の方向に思い詰めはじめた頃に「グローバリズム」というものが姿を見せ始めたことになる。 あの「ミルク・バー」があった場所は、いまは地震の瓦礫で、背よりも高いネットが張り巡らされて立ち入り禁止になっているが、地震があるまでは「スターバックス」があって、そこによく「グローバリズム反対」の運動家たちがなだれこんだりしていた。 ニュージーランドで、そういう反対運動が頻繁に起こるようになったのは2000年くらいからのことで、それまでは切迫した語彙ではなかった「グローバリズム」が自分の生活に密接に関係があるものとして、多くの場合否定的に語られるようになったのは、そのくらいの頃からだったと思う。 メキシコのクエルナバカという内陸の、メキシコのなかでは裕福な町に行くと、むかしメキシコから休暇に来た大金持ちたちの生活を偲ばせるカシノの跡があって、いまはコスコ(Costco)になっている。 2003年、このコスコが進出するときには、地元のメキシコ人たちは激しく反対して、そのうちの数十人は道路を封鎖するところまでいった。 コスコのすぐそばに経緯をしるした碑(?)が立っている。 http://community.seattletimes.nwsource.com/archive/?date=20030131&slug=costco31 わしはコスコが出来てしまってからのクエルナバカでぶらぶらして過ごしていたが、地元の人たちのコスコに対する反感は強くて、あんなものがやってきてしまっては、おれはどうやって生きていけばいいんだ、と叩きつけるような口調で述べる食料品店主にであったりした。 グローバリズムがソビエトロシアの崩壊とともに世界を覆い始めたのは、もちろん偶然ではない。 共産主義が強固な幻想として壁の向こう側で君臨していた頃には資本主義側には「やりすぎると必ず共産主義にその「やりすぎ」を衝かれて育てた市場をねこそぎもっていかれてしまう」という恐怖心があった。 ラッキー・ルチアーノが一生の最後の夢を見たバチスタのキューバはサトウキビ畑から姿を現したフィデルの軍隊にカシノからホテル、クラブまで綺麗にもっていかれてしまったし、メキシコも社会主義を標榜してことあるごとに「東側」寄りの発言をする。 ドイツでも日本でも共産主義は正義感の強い若い人間を惹きつけ続けて、日本では自民党政権への失望が少しでも強まると共産党が躍進した。 イタリアでもフランスでもスペインでも、「資本主義の豚」に反撥した国民が共産主義になだれをうって参加してしまう、というのは現実的な脅威だった。 「東欧の自由主義運動を弾圧するために派遣する戦車の燃料が買えない」ところまでソビエトロシア経済がおちぶれて、プラハに真実の春が訪れ、共産主義の理想が姿を変えた全体主義の幻想に他ならないことが白日にさらされると「資本主義の豚」たちのほうは歯止めがなくなってしまった。 流れている「We shall overcome」は同じだが、歌っているのは、今度は資本家たちなのである  (歌詞を考えてみればよい) 共産主義なきあと、資本家たちにとっては「国権主義国家」ほど腹が立つものはない。 資本の論理で見つめる世界は、ちょうど部族の力関係と支配領域をまったく無視してひかれたアフリカ大陸の国境と同じで、市場としてみればひとまとまりに当然なっていなければならない地域に「国境」というくだらない線が引いてあるばっかりに関税を払わねばならないし、第一、仕切りの右と左で世帯収入から何から政治という経済にとっては往々にして邪魔なだけの代物のせいで性格がまったく異なるマーケットになってしまっている。 … Continue reading

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逮捕する

2011年の春に出版されたルーシー・ブラックマン事件についてのすぐれたノンフィクション、「People Who Eat Darkness: The Fate of Lucie Blackman」(Richard Lloyde Parry) http://www.guardian.co.uk/books/2011/feb/27/people-who-eat-darkness-lucie-blackman-review には、ルーシー・ブラックマンの父親が日本の警察を訪れて、警察官たちが働く部屋のなかにコンピュータスクリーンが見あたらないのを見て、「こんな原始的な警察に捜査ができるだろうか?」と不安に陥るところがでてくる。 結局、言を左右にして捜査をさぼり続ける日本の警察に失望した父親は、たまたま日本に来日した、当時の連合王国の首相トニー・ブレアに直接面会して日本の警察に捜査を始めるように圧力をかけてもらうように懇願し、話の内容に呆れかえったブレア首相は、異例どころの話ではないが、日本の森首相に要望を申し入れ、森首相は警察トップを呼んで厳重に捜査を申し渡したもののよーである。 時代劇ならば、ここで警察官僚は恐れ入って大布陣を張って捜査を開始するところだが、現実の日本警察はシブイ役所なので、それでもああだこうだと言ってマジメに仕事をしない。 「お偉いさんには現場はわからん」という反抗心があるのでしょう。 トニー・ブレアは、イギリス本国でも事件がおおきなニュースになってきたのを見て、日本の警察に仕事をしてくれるように懇願するために高官を派遣する。 しまいには顔を真っ赤にして怒る高官を前にしても、シブイというか、プロいというか、日本の警察幹部は、まあ、がんばりますから、という調子で全然仕事をしようとしない。 日本にいたときに最も驚かされたのは警察のありかたで、中国の警察どころかミャンマーの警察よりも、もっと酷いのではないか、と考えることがおおかった。 わかりにくいこともたくさんあった。 「職務質問」というものがあったが、なぜこれで犯罪を防げるのか理解するのが難しかった。 誤解されると困るので慌てて説明する。 街頭で道行く人を見ていて、「長年の経験」から「挙動不審者」を発見して尋問する、というのは群衆にまぎれている犯罪者を発見するには良い方法なのである。 警察官の側に立って想像してみれば、それはほとんど「当たり前」のことに属するだろうと思われる。 あるいは顔をおぼえてさえいる「地元のごろつき」を職務質問して軽く恫喝をくわえるというのは、犯罪で「食っている」箸にも棒にもかからないおっちゃんたちを抑止するには極めて有効であるだろう。 だが職務質問を端緒にして犯罪者を逮捕できるというのは、法治社会ではありえないことである。 なぜ?って、だって職務質問は違法でんねん。 (こう書くと日本のひとは必ず「これこれこういう場合は違法ではないから一概に言い切ることは出来ない」と憤慨の面持ちで言ってくるが、悪い事はいわぬ、そんな「正しさ」は自分の虫かごにでもいれて、帰って寝なさい。おかーさんに添い寝してもらえば、蒸し暑い夜でもよく眠れるであろう) 捜査のどの過程でも違法な手続きがあれば容疑者が無罪になるのは法治社会の常識で、のっけから「あんた悪いことやってんじゃないの?」から始まって、たまたま見つけた犯罪など裁判で有罪になりようがない。 ところが日本では有罪になるものであるらしい。 恫喝も、相手が「悪い人」なら全然OKです。 いや、それはですね、大陸法が法治主義で英米法は法支配で、とかゆわないよーに。 わしは、そういう話をしているのではない。 職務質問で、「ちょっと来い、おまえ」をされた元国家公安委員長のブログ記事 http://www.liberal-shirakawa.net/dissertation/policestate.html を読むと、日本の警察では遵法精神が退廃して「法律なんかどうでもいい」という気分が充満しているのが看てとれる。 警察が法律を守らないのでは悪い皮肉で書かれたSFの社会のようだが、日本ではそれが現実であるらしい。 もう何度も書いたが日本語ではまったく報道されないが日本にいる外国人のあいだではあまねく知れ渡っていた事件に、新宿で、「紀伊國屋書店はどこにあるか?」と道を訊きに交番へはいってきた74歳のアメリカ人観光客に唐突に「ナイフをもっているか?」と尋ねて、アメリカ人じーちゃんが小さなポケットナイフをみせたら、いきなり留置所にぶちこまれた、という(日本にいる外国人のあいだでは)有名な事件があった。 http://www.japantimes.co.jp/community/2009/07/28/voices/pocket-knife-lands-tourist-74-in-lockup-2/#.UYrVM-AoP8s あるいは、こっちは日本社会からは見えないようにするために閉じたコミュニティの内部のフォーラムなので具体的な内容を明かすわけにはいかないが、まだなれない日本で夫が十日間も行方不明になってパニックに陥ったアメリカ人の妻が、大使館に通報し、アメリカ大使館が手をつくして調べたら、夫は日本の警察に拘束されていて、家族との連絡を禁じられている状態であることがわかった、という出来事があった。 … Continue reading

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言葉という「わたし」について_1

英語人が溺れかけているときに「Help me!」と言うが「Assist me!」とは言わない、と前に書いた。 あるいは「朝鮮人帰れ!」という文章を見て、書いた人の意図とは反対に「朝鮮」という漢字の美しさに見とれてしまうことがある。 類語辞典というものがあるが、脳髄は絶えず語彙を比較して、無意識的にも無数にある「類語」から最も適切な単語を選択している。 適切な選択? 選択している主体は、なにが選択しているのだろう? と多少でも頭がまわるひとは疑問に思うに違いない。 そうして考えをめぐらせて、その単語を選択しているのも、また語彙であることを発見してびっくりしてしまうだろう。 このブログでは何度も書いた、エズラ・パウンドの戦後の沈黙のことをよく考える。パウンドはT.S.Eliotが代表作「The Waste Land」を「 IL MIGLIOR FABBRO」という詩人にとっては最高の讃辞とともに捧げたように、きわめて言葉に巧みな詩人だった。 詩において巧みなだけではなく、話す事においても巧みで、どのような種類の会衆でも一瞬で心を奪われたし、どんな女びとでもパウンドが口説くと我を忘れたようになって気が付くとパウンドのベッドの上で裸になっていたという (^^;   ムッソリーニ政権下のイタリアで、ファシズム礼賛の連続ラジオ放送をおこなって、イタリアファシズムがいかに、それまでの退屈で醜悪で偽善に満ちた民主主義に勝るものかを説いた。 そのパウンドは戦後、「あなたはなぜ沈黙したのか?」と問われて、「言葉には伝達の能力などないからだ」と述べている。 あるいはW.H.Audenが「Love each other or perish」という人口に膾炙した表現を新しいアンソロジーから削ってしまった理由を問われて、「人間がお互いに愛し合うなどということはありえないから」と答えている https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/07/09/love-each-other-or-perish/ パウンドもオーデンも十分に巧みな詩人だったので、言葉の機能のうち「伝達」などは小さい部分にしかすぎない、ということをよく知っていた。 「あなたを愛している」と言って、その言葉だけで言語であらわそうとおもったことが相手に伝わったと思う人は余程鈍感なひとである。 あなたを世界一愛している、とやや修飾をしても、事態はまったく変わらない。 宇宙一、になると逆効果で、そんな100円ショップの棚に並んでいそうな表現をするくらいなら、腕の筋肉がつりそうなくらいおもいきりいっぱいに両腕を伸ばして「こおおおおおおのくらい、愛してる」と述べたほうが、まだ表現としてすぐれていると言うべきである。 (念のために言うと、腕をのばした際に指の先をピンとまっすぐに伸ばしておかないと「たったそれだけしかわたしを愛してないの、推定1.8mくらいの愛情じゃない」とゆわれた場合、「この左手の指の先が示している銀河から右手の指先が示している銀河まで28ギガパーセク(930億光年)あるのであって、わしが示そうと思った純愛はそれよりも大きいという表現なのね」と説明することができなくなります) ではどうすれば「あなたと会えたことが嬉しい」ということを示せばよいかというと、 たとえば岩田宏は 「おれたちは初対面だが もしあえなかったらどうしようかと そればっかり考えていたよ」 と述べているし、岡田隆彦は、 「ラブ・ソングに名をかりて」という詩で史乃さんという名前の恋人に「あんたが好きなのだ」ということをなんとか伝達したいと試みている https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/02/29/日本の古典_その3%E3%80%80岡田隆彦/ こういう表現が、(相手も言語についての修練が出来ている場合には)過不足なく、精確に自分の魂から相手の魂にとどくのは、現実には言葉には、その言葉を一個のニューロン http://en.wikipedia.org/wiki/Neuron とするいくつかの結びつきのうち、いくつかのパターンで「定型」を構成する働きがあるからで、簡単な話、 … Continue reading

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淡い翳のなかの日本

ときどき日本にいたときのことを思い出す。 子供の時に住んでいた日本、連合王国からニュージーランドへ移動する途中のストップオーバーで旅行者として眺めた日本、「十全外人」 http://ja.wikipedia.org/wiki/乾隆帝 遠征計画と(ふざけて)称して5年11回にわたって1回最長数ヶ月滞在した日本。 あたりまえのことなのかも知れないが、どれも、違う国のような気がすることがある。 放射脳なので戻る気が起きないのだから、このブログによく出てきた「定食屋のおばちゃん」の「定食屋」とかを実名で書いたほうがすっきりしそうなものだと思うが、相変わらずぼんやりした表現にしてしまうのは、やはり心のどこかでは、「いつか戻れるようにならないか」と思っているからだろう。 ツイッタでも「あんまり日本が好きではなかった」と、うっかり言って、突然悪態をつかれたり、悲しまれたりしたが、日本の社会は好きとは言えなかった。 外国人の友達でも(フランス人に多かったようにおもうが)日本が大好きで、日本のものならなんでも好意をもって、まるで日本人になりきるつもりでいるかのような人もたくさんいたが、ぼくは、社会全体が軍隊のように感じられて、息苦しいし、退屈だと思う事がおおかった。 個々の日本人は当然別で、こっちでは、むしろ「日本だいすき」なひとびとよりも恵まれて、ずいぶん羨ましがられたりもしたが、考えてみると義理叔父が見えない所で暗躍していたというべきか、かなり気を使ってくれていたのだと思う。 礼儀をわきまえたひとばかりだったし、第一、面白い人がたくさんいた。 もっと若い世代はもちろん50代の人でも愉快な人がたくさんいて、たまたま義理叔父と同じ大学を出た人がおおかったので「トーダイおじさん」という呼称でブログ記事のなかに十把一絡げにされている気の毒なおじさんたちは、特にひとりで遠征計画実行中の頃は、ガメ、ガメ、と言って、ひとをペット並に愛玩して、今日はうなぎ屋、明日は居酒屋、と連れて行ってくれたが、それもいまおもえば、おじさんたちはおじさんたちなりに、「自分が信じる日本の最も良いところ」を見せようと一生懸命に考えてくれていたのだと思う。 なくなった店で言えば「山形屋」という居酒屋につれていってくれて、マグロぬたはうまいぞ、とこぶしもうまい、あれもこれも、と頼んで、いいとしこいて食べきれないほど頼む奴はやっぱりバカだ、と自嘲したりしていたが、小鉢のなかで手をつけられないまま居座っている食べ物が、そのままおじさんたちの過剰な親切心であったことを気が付かないほど頭の悪いガイジンといえどもバカではない。 「山形屋」でいえば、知らない人と肩を寄せ合うようにして座らなければならなかったが、不思議なくらいきちんとした、自分のふるまいを他人の目で観察できる客ばかりで、見ていると、お銚子の酒を飲むペースまで、高級料理店で、来るひとを選ぶような店と同じ、ゆっくりとして、急にもならず、間もあかない、日本の伝統にしたがったペースで盃を傾けている。 銀座松屋デパートの裏の「はちまき岡田」という店も同じで、駘蕩として、白い暖簾をくぐると、まるで戦前の世界でもあるような時間の流れかたで、実際にもやってきた客が「インバネス」を着ていたりして、びっくりしたりしたものだった。 白髪ネギが浮いた鶏のスープや、ますの照り焼き、八勺徳利で出てくる樽菊正宗がうまくて、おおむかしの日本でジジイでいるのは、結構たのしかったのではないか、と考えたりもした。 意外に思うかもしれないが東京という町はバルセロナにちょっと似ている。 町自体は綺麗とは言えないし、道行くひとも無愛想を極めるが、ほんの一歩生活のなかに踏み込むと、楽しいことがたくさんある。 往来では仏頂面で目があっても決して微笑したりしないひとたちが、あの日本の人特有の、つぼみの花が開くのを高速度撮影で撮ったような、明るい、質量のない、透明な笑い顔をみせる。 ほんの少ししかいなかったのに、モニとぼくに天ぷらをつくってくれながら、涙をぬぐいはじめて、「ガメちゃん、もういっかい日本に来てくれな。行っちゃうなんて、つらいなあ。ちくしょう」と言って、しまいには大泣きしはじめてしまったKさんや、いまでもときどき葉書を送ってくれるホテルの総支配人のSさん、日本のひとは外観からは決して想像がつかないほどの激情に近いあたたかい気持ちをもっていて、それが東京という町の最大の魅力をなしていたと思う。 ぼくが日本にもっていたものをすべて処分して、もうこの国には来ないだろう、と考えたのは2010年の秋だった。 東北大震災よりも前のことで、あの福島県の浜通りを非現実的な津波が襲ってきたときにはぼくはもうオークランドの家にいた。 https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/03/13/1885/ あるいはホームシックだったのかも知れないが、たくさんの良い友人がいたにも関わらず、ぼくはもう日本の社会が嫌でたまらなくなっていたし、気温が上がりすぎて、もともとは寒い土地に向いているらしい体質のモニとぼくには、夜中であっても出かけて歩ける日にちが、ごく僅かしかない、という現実的な理由にもよっていた。 もうひとつ、以前のブログアカウントの終わり頃に何度も書いて「お前は予言者のつもりか、ばかばかしい」といろいろな人に悪態をつかれたように、東海村JOCの事故後に誰も責任を取らないで「無知な現場」のせいにしたり、ことあるごとに「権威ある出典」ばかり発言者に要求して、わかりきった、あるいは、みながうなずけることしか受け付けなくなった日本の社会の体質を見て、(具体的には「もんじゅ」だと思い込んでいたが)原子力発電所の事故のような致命的な事故が起きてモニと自分の生命が危険にさらされるようなことが起きそうだ、という気持ちがあった。 もうひとつは、モニが地震がこわい、と言い始めたこともあった。 (しかし、ふたりとも、愚かにも、ふたつを組み合わせて考えてみる、ということはしなかったが) おとなになってから住んでみると、子供のときのただひたすら面白くて興奮の連続だった日本での生活と異なって、社会の「あら」が目立ったので、日本の社会はどうでもよかったが、日本語のほうは、どうでもよくはなかった。 日本人で英語や欧州語でものを考えられる人は逆のほうから同じことを感じているのを、あとで、勲さんというツイッタ上の友達を始め、いろいろな人と話して学習したが、英語と日本語では言語として根本的に異なる。 ぼくが勲さんと英語で話す時には、ぼくと勲さんは実は神のほうを向いて話している。 言語の構造上自動的にそうなるので、いわば一対一で話しているのに会話自体は三角形を形づくっている。お互いが神に向かって話しかけるのを聞いて、その返答をまた神に向かって話す。 ところが日本語にはこの構造がなくて、日本語で会話するときには、ぼくは勲さんに直接話しかけて勲さんもぼくに直接話かけることになる。 頭の良いひとはここで直ぐに気が付くと思うが、2人の人間が話すときに絶対者を交えた三角形が構成されない会話においては人間はウソツキになるかびっくりするほど失礼なやつになるか、みな同じ考えになるか、どれかしか選択肢がない。 自分の意見を率直正直に述べる方法など、ありはしない。 言語の構造が人間を不正直にするというのはSF物語のようだが、日本語社会では現実なのである。 一方では神を前提にしない言語であるメリットというものもたくさんある。 それは空を仰ぎ見るようにではなく深い井戸を垂直にのぞきこむようにものを見つめて考えられるからで、「人間とは何か」というようなことを考えるには日本語は極めてすぐれた言語であると思う。 虫がよすぎるかもしれないが、だから、日本の社会との関わりは言語上必要な程度にして、というのは気の合う友達と話すだけにとどめて、日本語は自分が「本質」について考える欲求をもっているあいだは失わないで保持していたい。 日本の細部がなつかしい。 軽井沢の発地の闇のなかを明滅しながら飛ぶホタルや、狸坂の急勾配、蕎麦屋のおばちゃんがそっと出してくれる茶碗のおきかたや、カウンタ越しに「ちょっとこれ食べてみなよ」と大将がだすニンジンの漬け物(ぼくが漬け物が嫌いなのはみなよく知っていた)が、おもいのほか、というよりもぶっくらこくほどおいしかったので、「うまい!」とおもわず口にだしたときの、大将おっちゃんの「快心の笑み」というそのままの職業的な誇りに満ちた笑いかた、このブログ記事によくでてくる定食屋のおばちゃんがカウンタの跳ね板をあげてとびだしてきて、ちいちゃなちいちゃな身体で、おもいきりわしに抱きついて、「あああガメちゃんだ。おおきくなっちゃったけど、あんた全然変わらないねえ。ああ、いいなあ、ガメだ。ガメだ!おばちゃん、ずっと会いたかったよ」と、まっすぐに述べてくれるひとのわしの腰にまきついた腕の弱いような、それでいて勁いような、不思議な感覚。 嵐の夜、台所にいて、紅茶を飲んでいると、世界のどこにもない、日本にだけある燦めくような細部がおもいだされて、息がつまるような、胸が苦しくなってくるような、焦燥では言葉としておかしいが、焦燥としか呼びようのない感情に襲われて、自分にとってはただの「外国」にすぎない国のことを思うのに、これはいったいどうしたことだろう、と不思議に思うことがあるのです。

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日本語と所作

わしガキの頃は、従兄弟(父親が日本人)と義理叔父(もろに日本人)と3人で、たとえばグラマシーの通りに出ている昼ご飯のテーブルに座っていて、外国人らしい人を見つけては、それがどこの国から来た人か当てる、という遊びをよくやった。 「よくやった」というが、実はいまでもやります。 モニとふたりでいるときもやる。 わしガキの頃は日本人は服装によって区別がつく人が大半で、NYCならば妙に欧州風な、欧州風だけど、きちっとしすぎた着方のアジア人はまず間違いなく日本人だった。 この遊びは正解がわからなくてもいい遊びなので、たいていの場合、(会話が聞こえなければ)いまのは東欧人だった、あれは、大陸欧州のイタリア人だろう、という推測が合意されたところでゲームは終わるが、テーブルの上に「ここはわたしの席だ」ということを示すために財布やハンドバッグを置いていく人を見ると、「あっ、日本人!」と言って飛び上がって喜んだ。 誤解してはいけないが、「日本人はセキュリティの感覚がない」と頭のなかで難しげな顔をして述べようとしているのではない。 単純に、日本人が貴重品を誰でもが盗んでいけるテーブルの上に置いていってしまうのが面白かったから大笑いして喜んだので、ガキだと言っても、その可笑しさのなかには、 「日本て、平和なよい国だな」という軽い羨望がこめられていたと思う。 その頃はシリコンバレーに行くと台湾の人が多かったが、なんだか暗い色の紺の、チョー安っぽい背広に黒縁の眼鏡で、全体にもさもさしていたので、簡単に区別がついた。 韓国のおばちゃんは、これはいまでもそうだが、なぜかチリチリの鳥の巣みたいな髪の毛にしている人がおおいので、髪をみればイッパツで判る。 プラヤ・デル・カルメンやコズメルのような場所には若いイタリア人やスペイン人が多いので、イギリス人の団体がやってくると、ひと目で判った。 イタリア人やスペイン人たちが、ファッションモデル組合の慰安旅行だろうか、というくらいカッコイイのに、イギリス人たちは、全体に、ボテッとして、だらしないショーツのはきかたで、似合わないアロハを着ていたりして、国是に従っているというか、いかにもダッサイ外見だからです。 ミルピタス https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/01/27/milpitas-ミルピタス)/ に行くと、ハードウエア産業が中心のコンピュータの町(サンディスクの本社はここにある)なのでインド人や中国人韓国人、そして日本人がたくさん住んでいる。 たしか「アメリカ最大」ということになっているモールに、日曜日、モニとふたりででかけてみたら、ごわあああああっとモールに溢れている人のほぼ全部がアジア人で、ところどころにぽつんぽつんと見えるコーカシアンは、よく見ると奥さんがアジアの人で、簡単にいえばアジアの人がうんとリラックスできる王国です。 日本の人はすぐに判る。 歩き方に強烈な特徴があるからで、一面東アジア人がいるところでも、日本の人が歩いていれば、そこだけスポットで浮き出しているようにわかる。 西洋人はよく日本人をさして「ロボットのようだ」という。 言われれば、あたりまえで、日本の人は嫌な気持ちがするに決まっているが、他の悪口とちがって、日本の人に面と向かっても言うことがおおい。 わしの観察によれば「ロボット」という言葉が出てくるのは、どちらかというと外見からの印象がおおきいようで、それも顔の表情に乏しい、ということはあるが、たとえばカタロニア人も街頭では表情に乏しいので、身体の動き方のぎこちなさ、というほうに強い印象がありそうだ、と思う。 日本にいたときの観察では、日本の人が自然な身体の動かし方をするのは、だいたい小学生くらいまでで、中学生くらいになると、カタカタと音がしてきそうな、ぎこちのない所作がおおくなる。 思春期をすぎると、この「不自然な感じのする動作」は死ぬまで続く。 面白いのは、自分が気安いと感じている年が下の人間といるときには所作が突然自然になって、顔の表情まで寛いで、まったく自然なものに変わっている。 同じ人が「上司」にあうと、椅子にこしかけるやりかたまで、ぎこちない、かつかつと音がしそうなものになる。 パキッ、と音がしてクビがもげてきそうだとハラハラする。 状況証拠から考えて、自意識が動作を阻害することによって、不自然な肉体の動きを招来するのだと思うが、よく考えてみると、それは結果にしかすぎなくて、日本の人の動作を日本の人の動作たらしめているのは、その自意識を沸騰させているなにものかのほうであるに違いない。 この頃よく敬語の体系は、実際に民主主義社会の成立を阻んでいるのではないか、と考えることがある。 よく知られていることだと思うが、敬語の体系は、本来は年長者や上司というような「目上の者」が「目下の者」に敬語を使うことによってしか成立しない。 話が抽象的にすぎる、と思う人は、ひどい日本語しか話せなかった父親と異なって、美しい敬語を話すいまの天皇陛下と皇后が、どんな日本語で政治的教条においてはともかく、日本語の体系のなかでは「目下の者」の集合である「国民」に話しかけているかを観察してみればよい。 現代の日本語では「目上の者」が「目下の者」に敬語をつかうことが少ないのは、日本語がいちど軍隊によって完全に破壊されてしまっているからである。 大学のなかでは学生に敬語で話しかける教授が珍しくなく存在するのは、そのことと関係がある。 軍隊の敬語は、吉原の花魁言葉と同じで、敬語がうまく使えない人間にも即製で敬語が話せるようにつくった人造語だが、上官が部下に敬語を使わない、という敬語全体にとっては致命的としか言いようがない欠点をもっていた。 戦後の企業社会は、その軍隊日本語をそっくりうけついでしまったので、それが結局は「新しい日本語」になったが、この日本語は、おいおい話そうと思うが、欠陥が極めて多い言語で、表現しえない事象がおおいのに較べて、会話が自由にやれないという言語としては信じがたい欠点まである。 人間の意識をつくっているのは言語なので、人間の意識の「リズム」も、また言語でできている。 具体的には、バールで立ち話をしているふたりのイタリア人を思い浮かべてみるのがよいかもしれない。 言葉の調子と、身振り手振りで、あいの手にはいる笑い声の「間(ま)」にまで、イタリア語のリズムがそのまま取り入れられているでしょう? スポーツ選手は筋肉がもっともリラックスして動けるように筋肉の法則に従った美しい「定型」をもっているし、格闘家も「型」をもっている。 普通の人間は言語が自然や生活から吸収したリズムを言語を通して人間に還元する役割を担っているが、現代日本語は、それ自体、言語としての「リズム」、言語としての「時間」を獲得するのに失敗しているように見えます。 多分、義理叔父の書斎でみた新聞の切り抜きかなんかだったと思うが、日本ではジャズプレーヤーの草分けであるらしい渡辺貞夫という人が、自分のジャズがリズムを完全に失ったと感じてジャズプレーヤーを廃業しようと思い詰めるにまで至った「スランプ」の時のことを書いている。 … Continue reading

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天使ではいられない午後

ドゥアラの街を歩いていると、人のよさげなおっちゃんが寄ってきて「仕事ないの?若いのに仕事しないのはよくないよ。いい仕事があるんだけど、やってみない」と言う。 これがキンシャサなら「サラマサラ!」なんちって話の終わりに親しげに肩をポンと叩くところだと思われるが、バントゥー語では「仕事しようぜ!」というのをなんというか知らない。 他のおおぜいの若い男たちとトラックに乗り込むと、なぜか工場は町から遙か離れたところにあって、なかなか着かないのだそーである。 何時間もバスに揺られて夜中に工場に着くと、その日から、一日十数時間という労働がはじまる。 監督の殴る蹴るは当たり前だと言うから、当たり前じゃないほうはどんな仕打ちなのか、あんまり考えたくないが、想像がつくような気がします。 日当は一日1ドルで、食べ物は動物の餌なみ。工場の経営者の中国人たちは武器をもって見張りに立っていて、トラックに乗って自発的に「ひとさらい」されてきたアフリカにーちゃんにも、ここに至って初めて、なぜ工場が「middle of nowhere」にあるか理由がのみこめた。 帰ろうにも街に帰れないから、です。 歩いて逃げようと思っても町まで数百キロの荒野には途中で飲める水すら手に入らないのだった。 アフリカ人と中国人の険悪な対立はアフリカ大陸中いたるところでみられる。 奴隷労働のいきつくところがアフリカ大陸だからで、アフリカの奴隷労働工場群から生み出される製品は当然日本を含めた先進国の国民の日用品として使われる。 たいていの場合は実際に製品がつくられた国の国名は伏せてあるよーだ。 最終組み立てを中国なら中国で行えば、なんの問題もなく「メイド・イン・チャイナ」でとおる。 なじみのイタリア料理店で、ふと思いついて、テーブルの傍らに立ってワインを注いでくれながら、モニとわしに向かって無茶苦茶おかしい冗談をぶっこきつづけていた店主に、「イタリアのトマト缶て、なんであんなに安いんだろう?」と聞いてみたことがある。 ほとんどなんの理由もなく、唐突な質問をするのは、自分では判らないが、わしの癖であるそーで、そのときも「イタリア料理を食べている→おいしいけどふたりで6万円は高いんじゃね?→そーゆえばイタリアの缶トマトって、安いよなあー」という、しょもない連想に拠ったものであるらしい。 店主の言葉は驚くべきものだった。 「あれはイタリアにいる中国人がイタリアの町で中国からイタリアに連れてきた中国人を低賃金で使ってつくってるんです。だからメイドインイタリイでひとつの缶60円で日本で売れる。中国製イタリアトマト。ははは。中国人て頭いいよね」 イタリア人の旦那さんパウ朗とイタリア息子と、ずうううっっとイタリアに住んでいて頭のなかがほぼ完全にイタリア化している我が友「すべりひゆ」(@portulaca01)に聞いてみると、話がやや異なる。 タンカーみたいな船に皮がひんむかれて缶の中身化した「イタリアトマト」が中国からイタリアに送られてくる。 それをイタリアで缶に詰めて、はい、いっちょあがり、堂々たる「FATTO IN ITALIA」の出来上がりなのだそーである。 テレビのドキュメンタリで何度も取り上げられて問題になっているそうだ。 SLAPP https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/07/16/slapps/ と言う。 そういう攻撃部隊を前衛にもって、ばしばし反対派の農家や団体、有名人たちを撃墜した「遺伝子工学食品ジャイアント」たちは、むかしむかし「あすこそ仏滅」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/11/07/あすこそ仏滅/ というブログ記事で書いたとおり、たった1エーカーの土地から5トンのとうもろこしを収穫する。 それを記事にも書いたとおり本来はとうもろこしは食べないはずの牛さんたちに無理矢理食べさせる。 シロップにして混ぜる。 「健康に最適」な全粒粉パンに混ぜる。 その結果、食品の価格は劇的に安くなって、外食にしても、ファミリーレストランのチェーンに行けば、物価の高いマンハッタンのどまんなかで、日本人ならふたりで食べてもまだ余りそうなランチコンボが$6で食べられる。 今日、おおくのビンボニンが食べていかれるのは、この「遺伝子工学食品」のおかげで、もし遺伝子工学がうみだした安価な食品がなければ、世界人口そのものが養えるわけはない。 われわれの生活の実態はアフリカや中国や東南アジア南アメリカの奴隷労働によってつくられた衣類や工業製品(100円ショップでどれほどのものが買えるか実見して、ぶっくらこいちまわないひとはいないだろう!)によって賄われている。 農耕馬よりも遙かにひどい条件でこきつかわれる奴隷工員がつくったものを罪悪感をもたないで身につけ、使うことができるのは、奴隷労働が見えない所で行われ、「存在しない」ことになっているからである。 日本でのTPPについての議論は的外れになってゆく一方であるように見えるが、それはどうでもよい。 面白いと思うのは「TPP後の日本」として論じられている社会が「日本人が考える西洋諸国」とぴったり重なっていることで、「日本人が考える」と頭につけざるをえないのは、スケアモンガリングというか、アメリカ人、ニュージーランド人やオーストラリア人がみたら、「ほたら、あんたらはわしらの国は地獄やと思うてまんのか」と言いたくなるていのものだからです。 へえええー、なるほどなああー、そういうふうに思うんだあ、と思いながら読んでいた「TPPに加盟したら、こんなに大変になる」という代表的な理由に … Continue reading

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アベノミクスが開いたドアの向こう側

この数年間で日本の社会に起きた変化のうち最大のものは日本の支配層に「いままでのやりかたではダメだ」という認識が生まれてきたことだろう。 「そんなのあたりまえじゃん」という声が聞こえてきそうだが、それがあたりまえでないところが日本の日本たる由縁なのであると思われる。 「日本には日本のやりかたがある」が、おっちゃんたちの口癖で、多分、占領期間中、戦争に完敗した国として口にするよりも遙かにアメリカ人の泥靴で顔をぬかるみのなかで踏みつけにされるような目にあってきたことの反動ではないかと思うが、戦後の日本支配層は「日本の特殊性」「西洋人にはマネのできない日本人のやりかた」についてことあるごとに述べてきた。 「社員というものはね、金太郞飴のように誰に聞いても同じ意見をもっていなければダメなんです」と言って、わしを驚かせた人がいた。 日本では有名な大きな企業の社長で、いまでも、そう述べる血色の良い顔の後ろに並んだ「安岡正篤著作集」の背表紙まで思い浮かべることができる。 会社の意見を社員ひとりひとりに浸透させて誰に聞いても会社として統一された意見を自分の心からの意見として答えられるのではなければダメだ、とその老人は述べたのだったが、当時、まだ20歳にすぎなかったわしですら、「この老人はひょっとしたらほんもののバカなのではないだろうか」とマジメに考えた。 ツイッタにも書いたが、金太郞飴 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/59518/m0u/picture/0/ の切り口の顔をした何万人という社員が、奴服を着て、やっとこやっとこ、その会社の近代的な社屋の通路を歩いているところを想像して、ふきだすのをこらえるのに苦労した。 ずっとあとになって、日本ではITの旗手ということになってる会社の会議を傍聴する機会をもった。 具体的なことを書きすぎると都合がわるいので、ぼんやりごまかして書くが、 みなが日本語がわからないとおもいこんでいるガイジン(わしのことね)の前で繰り広げられた局長会議は驚くべき内容で、営業のボスが新事業を提案した他局の課長を怒鳴りつけている。 「営業は新しいものを売ってもなんの業績にもならないが、それについて古い取引先からクレームがついたら、それはおれのマイナスになるのを知ってるだろうが! おまえは、何のつもりで、こんなもん営業にもってきたんだ」と言って怒っている。 その転倒した理屈に驚いて、日本の「カイシャ」に通じている義理叔父に訊いてみると、「そうよ。日本の会社、減点制だもん」とあっさり言うので驚いてしまった。 村上憲郎(@noriomurakami)は明らかにエネルギー問題で自分にやれることは全部やろうと決意して「なにもしないためならなんでもする」公務員や旧態依然の体質の電力会社と話し合いを重ねて電力の発送分離その他エネルギー業界に参入者を増やして競争原理を導入するために、めだたないところで、たいへんな忍耐がいる作業を繰り返しているが、 ときどきツイッタ上に浮上してくるやりとりを見ていると、のれんに腕を呑まれそう、というか、気の短い村上憲郎の寿命が縮みそうなやりとりが続いていて、「日本は特殊な社会だから」の泥沼がいかに深いかがうかがわれる。 日本のやりかた、日本のやりかた、やっとこやっとこ、と金太郞飴のように同じことを異口同音に合唱しているうちに、しかし、旧態依然の姿を世界の市場に見限られた日本は、そこまでは天井から降ってきていた税収はどんどん落ちて、しまいには借金もほぼ限界に達してしまった。 放漫経営の中小企業が意外に土壇場の倒産の危機に強いのは、マンガ的だが、「ムダなオカネ」があちこちの隙間で遊泳していたり眠っていたりするからである。 わしが直接しっている最も可笑しい例は、Kさんという義理叔父の会社の社員だった人の会社で、そもそもそんなことを支払い一ヶ月前に気が付いて青くなるのがKさんらしいが、支払いの直前になって、支払いにあてる現金が1億2千万円ほど足りないことに気が付いた。 銀行からの借金の枠もいっぱいなので万策つきてしまった。 義理叔父の実家にあらわれて「えー、わたしもこれでついに終わりですから、よろしくお伝え下さい」と、妙に殊勝な挨拶をしにきたそーです。 義理叔父にはおもいあたることがあったとみえる。 「おまえ、会社にいって経理とか自分で見てきたほうがいいぞ」と言われて、Kさんは本社に行って自分で調べてまわった。 出してなかった請求が1億円ちょっとあったそーでした(^^; ついでにアンテナショップのようにして出していた小売部門の統括店長だかなんだかが、8千万円くらい横領しているのもわかった。 いわば引き出しのなかに眠っていたオカネで倒産の危機を免れたわけだが、日本の政府がこの2、3年にやっていたことは、この自分でも「あんまりだらしがないので驚いた」と述べていたKさんの会社と原理的に同じことをやっていたのだと思われる。 細かいほうで言えば分け取り放題だったタクシーチケットに制限を設けるとか、8億円の予算のところを、ややぼんやりした明細にして7億4千万円が8億円にみえるようにしておくとか、そういう「余裕をもたせる」という「余裕」をしぼることによって凌いできた。 予算のだしもとはだしもとで、ほぼ同じ「濡れタオルしぼり法」でかなり凌いだ。 それじゃ汚職ではないか!役人は汚い!と怒る人がいるだろうが、しかし、正直に述べて「仕事をすすめる」ということは、なんとなくドサクサした状態をつくって、上や下の目を盗んでさっさとやってしまわなければ現実の仕事はこなせない。 社会の足下から頭のてっぺんまでデタラメな連合王国のようなところでは特に、この呼吸がのみこめなければ、成果が残りそうな仕事は何もできるわけがない。 冷菜凍死家であるわしがスプレッドシートを、カウチでごろごろしながら眺めているときに何を見ているのかというと、そういうことが、ひとつの事業体のなかで、どんなふうに、誰が行っているのかを数字から読んでいっている。 冷菜凍死という仕事のささやかな楽しみでもある。 民主党がチョーばかなことばかりやっているように見えたのは、「役人の意地悪」もおおかったのが、外国人であるわしにも、かなり簡単にみてとれた。 特に鳩山政権においてそうだったと思う。 一方では役人には役人の都合があって、なにしろ「もうカネがない」という、こればかりは古今未曾有未体験の事態になってしまったので、政権そのものは、政党として借金ダルマになって、なさけないことに銀行から婉曲に恐喝されるところまでおちぶれた自民党を、なんとかまた政権党にするとして、日本を運転するオカネがもうない。 残っている方法は、個々の日本人が貯め込んだ個人のオカネをうまく政府の側のクレジットに変換してしまうことで、「アベノミクス」とは、要するにそのための魔術であると思われる。 「魔術」というと、なんだか政府と日銀がぐるになってずるいことをやっているみたいだが、選択肢が他にあるぶんには国民が歴史を遡って駆け下って再びドビンボになる道を開いたという点で「ずる」と言えるだろうが、公平に言って、もうこの段階に至っては裏庭のヘッジホッグが経済・財政政策を決めても、銭洗い弁天の神様が談合して決めても、ほかにはもう方法がない。 個人からいうと、アベノミクスは戦争中の「供出」にたいへんよく似ている。 お国が戦争を遂行するためのカネと鉄鋼がなくなったので、鍋や釜、指輪からなにから鉄や金目のものをお国にさしだすことになった。 支配層の側の理屈は、「たしかにわれわれがあなたたちのカネをもらうことにはなるが、これによって儲かれば、それは結局あなたがた個人に還元されるのだから」ということでしょう。 … Continue reading

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