Category Archives: 科学とテクノロジー

GRAS

メキシコ滞在の楽しみのひとつは「おいしいトウモロコシ」であると思われる。 紫色のは特にうまい。黒いのもうまいと思う。 食糧危機はこない、という議論は日本語世界でよくみかける。 英語人でも同じことを言うひとがいるのかも知れないが、ぼくは見たことはない。 放射性物質の害などたいしたことはない、程度の問題だ、という議論も日本語では声がおおきいが、英語では「札付き」のひとが述べるのを目にすることがある程度なので、 自分が住んでいる世界には悪いことは決して起こらない、起こったという人は頭が悪い怖がりか悪意のひとである、というのは日本語を使って考える人たちの言語族的な強い傾向なのかもしれません。 食糧危機がなぜ起こらないかというと、食料が限定要因になって人口が抑制されるからで、従っていつも食料は足りているはずである、という。 なんとなくもっともらしいところが、放射能議論でもそうだったが、こういう説を成すひとの可笑しいところで、「なぜ人間は絶対に死んだりはしないか」について滔滔と説明する5歳児を思わせるが、この手のひとはこういうと色を成して怒るに決まっていても、相手の肩書きが物理学者であろうが医学者であろうが、「話すだけムダ」と感じる。 「なぜムダなのか」をこのブログの記事で書くのでもなんでもいいから、書いたものを通じて話すほうが理性的でもあれば生産的でもあるようです。 現実にはいまの世界は食糧危機の時代にもうはいっている。 「Food is Ammunition- Don’t waste it.」 http://www.ww1propaganda.com/ww1-poster/food-ammunition-dont-waste-it は、日本で言えば「欲しがりません勝つまでは」だろうか、第一次世界大戦の有名なプロパガンダだが、事情をよく知っていればもういちどこの標語を復活させたいほど、 食料は乏しくなってしまっている。 えええー? どこの国の話だよ。うちの近くのスーパーマーケットに行くと、食べ物は山のように積んであるぜ、オーバーなこと言うなよ、と口を尖らせてきみは言うであろう。 でも、食べ物はないのよ。 これから説明できるところまで説明してみようと思う。 GMO (Genetically modified oraganism)は、だいたい1990年代から商品化されてきた。 遺伝子組み替え工学が、安い賃金での長時間労働を厭わない労働文化と高い品質に支えられた日本の自動車・家電の大攻勢を受け止めきれなくなったアメリカ産業界の次期のエースとして、CPUなどの高集積チップと並んでテレビ番組でもてはやされだしたのは、フィルムを観ているとブッシュシニアが大統領として仰々しくモンサント工場を見学していたりするので、1980年代半ばだと思われる。 モンサント社がPosilacという商品名で、rBGH、(乳牛から大量のミルクを搾り出すための)ボーバインホルモン http://en.wikipedia.org/wiki/Bovine_somatotropin を商品化したのが1994年。カナダで有名な、Margaret Haydonたち3人の科学者の公聴会が行われたのが1998年で、このあたりから「食品の工業製品化」が進み出したのが観てとれる。 突然変異体を生産効率をあげるために食品に応用する科学の歴史は古くて、1920年代に遡る。 米のCalrose76はガンマ線の照射で作られたし、小麦の品種AboveやLewisはそれぞれアジ化ナトリウムと熱中性子で生成された。 熱中性子(thermal neutrons)と言えば、グレープフルーツのRio RedやStar Rubyもそうである。 容易に想像がつくことだが1953年にJames WatsonとFrancis CrickがDNAの二重螺旋構造を明らかにしたときから科学者たちの食品への応用の長い熱狂的な旅が始まる。 … Continue reading

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トウモロコシの葉の下で

1 ジャンクフードが食べたくてたまらなくなることがある。 誰にでもあるふつーの衝動だと思います。 わしが家の食卓にはふだんは、農場から直截買ってきた野菜や一頭で買って解体した牛さんやラムさん。やはり農家のおばちゃんと約束して作ってもらっているベーコン、そーゆーものが並んでいる。 ぜーたくな、と思う人がいるだろーが、ニュージーランドはなんとゆっても他には取り柄がない農業国なので、食卓をほんとうの定義でオーガニックなマジ有機食べ物で埋める、というようなことは日本の百倍くらい簡単にできる。 フリーレンジと言っても、小田急線の最終電車よりも混雑した養鶏場で鶏の海の上に鶏が乗ってくらしている気の毒な鶏フリーレンジではなくて、広い地面を堂々と闊歩していたのを絞め殺したトリさんがふつーに食べられます。 農家に直截話して用意してもらうことにしているが、そーゆー農家はわし家の場合はほとんどランドスケーピング(庭をどうデザインしゅかっちゅうコンサルタントのことでがす)のKの紹介に拠っている。ところどころ、モニとわしが日曜日や土曜日にあちこちのファーマーズ・マーケットにでかけていって仲良くなった農家の産物もはいっている。 そうやってなんでもかんでもオーガニックだが、わしは味覚まで文明度が低い(妹・談)ので、せっかく厨房のおばちゃんがつくってくれたクレマカタランがあるのに、そのへんのドクサレ・スーパーマーケットで買ってきた「m&mピーナッツ」やリコリシュを食べてへらへらしているので、ときどき次のクレマカタランには針がはいっているのではないかと思う事がある。 もっと症状がひどくなると、夜中に、パメラ・アンダーソンが正当な死闘を繰り広げているKFC http://www.youtube.com/watch?v=PVxv7PPGZqg のドライブスルーに行って、フライドチキン5ピース+フライドポテト(わしはいつもマッシュドポテトに変えてもらうが)で600円の「Gimme Five!」を買ってきて、モニに呆れられながら、ひとりでむさぼり食うこともある。 ドミノピザとピザハットにジョージ・ブッシュに赤い角を生やして悪魔に見立てた広告で社会問題にまでなって卦けたHell Pizzaもくわわって競争が激化しているピザ業界は、むかしは、「木曜日だけ」とか「火曜日だけ」であったラージピザ4.99ドル(300円)セールが定着して、いっつも300円なので、これもよく買いに行きます。 ドミノピザのハワイアン(パイナップルとハム)にタバスコをどっちゃりかけて食べるのは、本人には絶対秘密だと念を押されているが不実な夫の本領を発揮してばらしてしまうとモニも大好きである。 トウモロコシ革命、といって、遺伝子組み換えのトウモロコシが、たった1エーカーの土地から200ブッシェル、すなわち5トンもとれるようになってから、 https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/11/07/あすこそ仏滅/ 食品の値段は急激に下がった。 この産業革命よりも影響が大きいかもしれない「食料革命」の良い面は、なんとゆっても飢え死にするはずだった人間が食べ物にありつける確率が飛躍的に向上したことで、ビンボな国のどこかには「モンサント神社」があるやもしれぬ。 悪い方は、この「革命」によって出来た「食品」が一応形が食品なだけで、ほんとうは(伝統的な意味の)食品ではないことで、日本の福島第一事故で日本中にぶちまかれた放射性物質の問題と性質が似ているといえば似ている、目の前に見えているものは従前と変わらない現実なので、なあああーんにも考えないで暮らしていれば、あるいは「なあーにダイジョブだんび」とタカをくくっていれば、痛痒を感じないが、調べれば調べるほど、「どーして、わたしはこれで死なないですんでいるのでしょー」と訝る気持ちになる。 食べ物に関しては先進国のなかでも最もナイーブとおもわれる日本では、あんまり知られていないよーだが、たとえばスターチの形であらゆる食品(ケチャップ、甘いお菓子、シロップ、「GDL」入りのハムやソーセージ、ウインナー、ベーコン、….スーパーマーケットなどは見渡す限りコーンスターチ族の集落であるともいえる)に忍び込んでいるトウモロコシは、収量の高い「革命後モデル」は、トウモロコシ自体としては食べられない。 食べてみればわかる、というか、味が自然の農産物の味ではないので人間の身体がうけつけない。 自然の力を人間の悪知恵で生産性(収量)が高くなる方向に極端に特化した遺伝子特性をもつ農産物は、伝統的な定義や感覚から言えばどちらかというと「工業製品」で、実態をしっていて、あれを「食品」だと思うひとはいないだろう。 「CSI:Crime Scene Investigation」「CSI:Miami」を熱狂的に観すぎた結果、わしの家にはわしのオモチャがいっぱいある小さな物質解析ラボがあるが、そうしてそこでモニとわしのバカップルはCSIごっこをしてよく遊んでいるが、ギルモアズで40入り箱とかで買ってきてもらうせいで、食べ過ぎてうんざりしたお菓子を分析してみると、このブログ記事にやってくるひとのなかには昔から、「警察にいいつけてやる」とか「営業妨害の恐れがあると通報してやる」とか、「虎さんにいいつけてやる」というイヲカルなひとびとがしつこく存在するので、具体的にはなにも書かないが、はっはっは、と思うものがいっぱいはいっておる。 どうも政府やなんかの「有害添加物DB」というのは古くらから知られている物質しか入力されていないのではなかろーか。 人間は、見えないもの、感覚器の刺激受容範囲から外れたものには脅威を感じないように出来ている、ということは日本の福島第一事故を観察していると遠くからでもよくわかるが、食べ物には「味覚」というものがある。 いくら食べ物らしくみせかけを整えても、味や匂い、舌触りがいかにもタッキーであったり薬品風であったりすると、バレバレバレで、スペイン人がOKと連呼しているような状態になってしまうので、「自然」な味やにおい、舌触りをつくるために、何ダースもの添加物をまぜあわせて工夫する。 添加物業界にも流行があって、最近は、安い「天然加工物」、すなわちコガネムシのなかまの昆虫を乾燥させて轢いたりするのが簡便で「そのまんま天然」なので流行りであるよーだ。 まともな食べ物だけを食べてくらすのだ、というひともいるが、自分の農場でものを作ってみたわしには判る(<−自慢)、まともにつくった食べ物などは、原価が滅茶苦茶高くて、ふつーの人間がそんなものを毎日食べていたら、それだけでオトーサンになってしまうであろう。 いまの世界では、その社会の「平均収入家庭」では、まともな食べ物を食べてくらしていくのに十分な収入はないのだ、といいなおせばよいだろーか。 「食糧が不足しても、食料が不足すれば人口が増えなくなるから、食糧危機などは起こるわけがない」とうチョー幸せの説をなすひとがいて、賢いアホのぬかるみは深い、と思った事があったが、現実というものは常に「ぼくカシコイんだもん」のひとが頭のなかで描いた餅などは歯牙にもかけないくらい深いのである。 現実は複雑巧妙な技をたくさんもっていて、気が付くと癌病棟や地面の6フィート下に寝ていることになる。 すでに「ビンボニンは食べ物でないものを食べて暮らしてね」という時代にはいってしまっているのだという自覚がなくては、どうにもならない時代になってしまっているのです。 2 このあいだ、ふと考えていて、むかし日記 https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/06/05/ に書いた、あのベンチに腰掛けて 「この世界がもうすぐ滅びるということを、ですよ」 … Continue reading

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優雅と手続き

アメリカ合衆国の刑事裁判においては、訴訟・公判維持手続きが完全であることが求められる。 容疑者を逮捕するときの権利の告知から始まって、一連の訴追の手続きは厳格に決まっていて、少しの疎漏も許されないことになっている。 その手続きに照らして、その一段階でも定められた通りのやりかたで行われていない場合には、ミストライアル、裁判そのものが無効になって容疑者は「自由な人」として歩き去っていくことができる。 よくある例だと、検察側が被告側に提示すべき証拠を検証に十分な時間を与えて提示していなかった場合などは、すべて訴訟無効で、ただちに検察は敗北する。 「十分な時間」があっても、そもそも弁護側の「弁護プラン」におおきな変更を強いられる場合には、ただそれだけで公判そのものが棄却されることもある。 アメリカ合衆国という国のおおきな特徴は「手続き」の国であることで、社会生活上重要なことにはすべて厳密に定められた「手続き」があって、わかりきったステップであっても省略するということを許さない。 社会的にはもともとが考え方も「常識」も異なる移民が集合して出来た国だからでしょう。 ある人にとっては「わかりきったこと」でも他のエスニックグループにとってはわかりきったことではないので、そうやって万人が英語で検証できる「ステップ群」をつくってきたのだと思われる。 大学で生活したことがあるひとは知っているのではないかと考えるが、アメリカ人の教師(あるいは研究者でも)には明然とした傾向があって、初めは、「なんで、あんなド簡単なこと言ってんだ?」というような説明から始める。 そんなもん、小学生でも知ってるんちゃうか、なんちゅうアホなおっさんや、と思って油断していると、龍が天に昇る勢いで一気呵成に斬新なアイデアのところまで駆け上ってしまう。 ありっ?ありっ?と思っている間に、あっというまに置いていかれます。 これも(頭が悪くなければ)すべてゼロから手順を解説して過程を明るみに出しておくことによって「思考の形」を示そうというアメリカ手続き人風の親切心で、他人の親切で我が身の愚かさを知る、というが、そのとおりのことが学問の世界でまで起きるのは、やはり背景にはアメリカ人の「手続き主義」があるからだと思われる。 現代の世界で手続き主義が最も発達して社会のアイデンティティにまでなっているのは、そーゆーわけでアメリカ合衆国だが、この考えがもともとどこから来たかというとフランスです。 来歴は、多分、政治思想と法思想を伝わってアメリカ大陸の渡来したのだと思料される。 なんだかもともとはダサイ技術と考えて遠ざけてきた原子力の話も疲れてきたので、途中を大幅に端折ると、原子力発電所の安全を支えるおおきな思想が厳格な「手続き主義」であるのは、「点火は出来るが消火の方法はまだおもいついてない」という、考えてみるとなんとなくバカバカしい技術であるという本質にも拠っているが、この技術が発生して成熟したのがアメリカ合衆国とフランスという「ふたつの手続き主義の国」であるという文化的背景もあると思う。 誰でも知っているとおり、技術というものは科学よりも更におおきく文化に影響・制約されるもので、ある社会から生まれる技術は社会を移す鏡とゆってもよいくらい、その社会の文化の影響を受けている。 おもいついた例をそのまま挙げると、日本が初めに世界に名前を知られた「技術」は兵器で、「零式戦闘機」という軽戦闘機だったが、煩雑なのでひとつひとつの技法の説明は避けたいが、工作にチョー手間のかかる沈頭鋲、骨格の弱さ、攻撃力本位、防護装甲板の欠落、なによりも(そこまでに完成された技術であった)1000馬力級エンジンの洗練させかたの芸の細かさに較べた大出力エンジンを作るさいの手際の悪さ、というふうに並べてゆくと、まるで「日本」という文明そのものの性格を列挙しているよーである。 一方で、この戦闘機の特徴は「名人芸的な端折り」に特徴がある技術でもあって、翼のしなりへの考え方や、全体の剛性、あるいは増槽タンクの繋ぎ目などに、そーゆーことが現れている。あるいは本来は殆ど禁忌に近い「桁への穴開け」というような軽量化への詰め方も含めてもいいかもしれません。 日本の技術を眺めていて思うのは「勘」や「経験」の民族集団的な鋭さに依存した技術に特徴があることで、おおきく個人の技倆と能力に依存している。 日本の工業製品が工業製品というよりは工芸に近い精緻を感じさせる所以であると思います。 1999年9月30日に起きた東海村JCO臨界事故について日本語wikiは、こんなふうに説明している。 「JCOは燃料加工の工程において、国の管理規定に沿った正規マニュアルではなく「裏マニュアル」を運用していた。一例をあげると、原料であるウラン化合物の粉末を溶解する工程では正規マニュアルでは「溶解塔」という装置を使用するという手順だったが、裏マニュアルではステンレス製バケツを用いた手順に改変されていた。事故当日はこの裏マニュアルをも改悪した手順で作業がなされていた。具体的には、最終工程である製品の均質化作業で、臨界状態に至らないよう形状制限がなされた容器(貯塔)を使用するところを、作業の効率化を図るため、別の、背丈が低く内径の広い、冷却水のジャケットに包まれた容器(沈殿槽)に変更していた。 その結果、濃縮度18.8%の硝酸ウラニル水溶液を不当に大量に貯蔵した容器の周りにある冷却水が中性子の反射材となって溶液が臨界状態となり、中性子線等の放射線が大量に放射された。」 わしはときどき、日本という文明を維持している社会が、この事故を防ぐことは不可能だったのではないか、という奇妙な思いにとらわれることがあります。 この事件について書かれたもののなかで、いま簡単に発見できるものを見てみると、 「杜撰なのであきれた」「こんないいかげんなことがあっていいものだろうか」というような意見が多いが、わしは日本遠征中のことを思い出すと、日本の人はこういう手順をとばしたり、うまく違う手順にすり替えて作業を効率化するということに才能があった。 まっすぐ行って右に行くところを、さっ、と斜め右に行って他人よりも効率的に目的を達成する、というようなことに特技があったと思う。 うまく言えないが、そういう文化的な能力のありかたと、JOC臨界事故のように一見杜撰を極める事故とのあいだには強い関連があるのではなかろうか。 それが単なる無知を極めた杜撰にみえるのは事実を伝える角度にもともと偏向が加わっているのかもしれない。 すっとむかし日本人の友達に「最も非日本的な知性は誰だと思うか?」と訊かれて、あんまり考えもなしに「フォン・ノイマン」と答えたことがあったが、いま考えてみると、要するに漠然とそういうことを考えていたのかもしれません。 日本のひとは洋服も似合うと思うが、着物を着ているときには、自然な輝き、というか、もうこっちのほうはまったくうまく書けないが、着ているものと体や挙措とのあいだに何の疎隔もない感じがする。それは日本の外であってすらそうで、わしは秋のサンフランシスコで、いかにも古い西海岸風の広い通りの、アメリカ人たちが行き交う舗道を、なんだかこの世のものでない「気高い」という言葉を使いたくなる様子で、すっすっと歩いてゆく着物の女のひとに見とれてしまったことがある。 技術などというものは、服装どころではなく社会の文化に密着したものなので、原子力発電のような、力で自分にはわからないものをねじ伏せる武骨無理矢理で洗練とはほど遠いダッサイ技術は、日本人の典雅で軽やかな「かるみ」を旨とする技術文化と、まったく相容れないのではないか、と思う事があるのです。

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我思う我

日本の原発事故あるいは原発議論を眺めていて不思議に思ったことのひとつは、自分が正しいと感じていることが「絶対に正しい」と思えるひとというのが、こんなにたくさんいるのか、ということだった。 自分では「放射性物質なんてあぶねーに決まってんじゃん」と思って、それ以上考える必要を認めない、というか、もしかすると事故が起きている福島から1万キロ離れたところで考えているので、もともと切迫感に欠けているからかもしれないが、低被曝量ならずっと放射能を浴びててもダイジョーブだ、と考えるひとがいるのか、へえええー、えっ、このひと科学者なのか、どひゃあー、という程度のことでそれ以上は興味がなかった。 だから確実とは到底言いかねるのに「いまくらいの放射能ならダイジョビだ」と言い切るひとびとをあげつらおうと言うのではない。 ちょっと異なることを言おうとしている。 「目の前に見えているものがほんとうに存在するか」というのは、人間にとってはずっと大きな問題だった。 また、ヘンなことを言う、という声が聞こえてくる。 眼前に見えているのだったら、あるに決まっているではないか。 ガメと話していると、マジで頭がおかしくなってくる。 風紀紊乱という言葉があるが、きみの場合は知性紊乱の罪、というものがあるのではなかろうか。 前にも述べたがコンスタンティヌス帝はMaxentiusとの戦いの前夜に空に燃える十字架を見たという。 Lactantiusは夢であったとゆって、 Constantine was directed in a dream to cause the heavenly sign to be delineated on the shields of his soldiers, and so to proceed to battle. He did as … Continue reading

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本のゆくえ

かっこわるい部屋が嫌いなので、むかしから本はわしの生活の大敵だった。 数学の本ならば、(良い本であれば)それでひと夏らくにつぶれるくらい効率的だが、困ったことにわしは推理小説や怪奇小説も好きなのである。 翻訳なんて読んじゃダメよ、とあんだけブログ記事やツイッタで言ってるのだから翻訳は読まないが、と続くとわが友ナスどんなどは信じていたよーだが、それはわしのチョーえーかげんな性格のほうを忘れているからで、めんどくさいとヘーゼンと翻訳を読む。 ドイツ語のものを英語で読むくらいは自分でも許せる感じがしなくもないが、中国語を英語で読んだりする。 いけないのではないかと思うが、いけなくてもいいや、ということになっておる。 日本にいったときにはメンドクサイのでロシアの怪奇小説アンソロジーを日本語で買って読んだりしたこともある。 なんだかすごくヘンだったが、奇妙でねじけた面白さがあって病みつきになってもいいな、と思ったりした。 そーゆー極端ないいかげんさが災いして、どこにいってもおよそ「わしの家」と名がつくところには「洪水」と呼びたくなるほどの数の本が並んでいる。 わしの住んでいる家にはライブリがふたつあるが、一個はわしが寝室を改造してつくったもので本棚を自分で作って壁につくりつけた。 それ以上長いと板がクルマにはいらないという、わしっぽい理由で2.6mの高さでつくってある。板の幅は本が3列でラクショーで並べられるくらいにとってある。 棚上棚を架す、というべきか、上に本棚を継ぎ足すための木材も買ってあるが、まだ作ってはない。 いかにもライブリぽい感じの本棚ではつまらんと思って白色で塗ったら、遊びにきた妹にものすごくバカにされた。 救いを求めて日本語ツイッタで書いたら、今度はすべりひゆというむかしからのお友達に バカにされた。 近所のおっちゃんに散歩の途中で出会ったので、本棚を白で塗ったら、バカにされた、女びとはものをはっきり言うからかなわぬ、と述べたら、頷いて聞いていたおっちゃんが「しかしライブリの本棚が白はひどいね」と、今度はしみじみとバカにされました。 悪趣味で退屈で誰にも愛されない巨大な白い本棚があるライブリは、わし専用なので、ライブリなのにベッドがおいてある。 ヘンなの、ときみは思うだろうが、どうせ白い本棚が壁一面を占めているヘンなライブリだから、ヘンでいいのです。 リムのベッドに寝転がって枕を高くして、というと日本語では違う意味になってしまうが、枕をふたつ重ねて肩を首のうしろにおいて、ずらっと並んだ本の背表紙を観ていると、なーんとなく崩れてきた石版で学者が死んだりしていたらしいくさび形文字時代の図書館のことを思い出す。 本を紙でつくる世の中になってからも落ちてきた本の角に頭をぶつけて死んだ歴史家くらいは、いそうである。 紙の本は、市場での位置、というのは、取りも直さず人間の生活のなかでの位置を変えつつある。 読書人口が減ったというが英語世界で眺めている限りでは本を買う人が減っただけで読書人口が減った、というわけでもなさそうに見えます。 日本では「大学生なら読んでおくべき本」や「ビジネスマンなら読まねばならない本」というようなベキ・ネバ本があったというが、そんな戦陣訓みたいな読み方をされる本のほうは気の毒なことであった、と思う。 本が売れなくなった理由のひとつは、「読んでおくべき本」よりも、やりたい遊び、のほうが大事であると目が覚めたせいもあるだろう。 ツイッタで、このひとはいいなあ、面白いなあ、とか、尊敬しちゃうなあ、と思う人の「フォロワー数」をみると、だいたい200くらいです。 1000くらいになると言葉使いが観客用になってきて、怪しくなる。 わしが見た範囲で言うとgameover1001などという人は、フォロワー数が1000人を越える頃から、ときどき演説をするようになって、見ていてアホみてー、と思うことがある。 一般に日本語ツイッタではフォロワーが1000を越えると言う事が「公論」になってしまって、くだらねーという感じがすることが少なくないよーだ。 世間を流通してまわって消費されているわけではない、自分の頭で丁寧につくった他人の考えを理解できるためには、その考えを以前に自前でもったことがある(考えたことがある)ひとだけであるという。 まったく自分にとっては新奇な、思いもよらなかった考え方に遭遇した場合は通常自分にとって既知のもっとも近そうな考えによって代替的に「理解」されるが、ほんとうはちっとも判ってない、というのがふつーであるよーだ。 多分すぐれた日本語の作家が書いたものを考えや情緒の原型のまま理解できているのも、そのくらいの数の読者だろう、と想像はつく。 1000、に届くのは難しいよーな気がする。 20000、というようなフォロワー数があるのは、無償でエンターテイメントを提供しているよーな人のアカウントで、たくさんのひとの公約数をめざしている点で、あるいは期せずして公約数に位置してしまっている点で、テレビのようなものであるよーにみえる。 これが英語世界になると、10万以上のフォロワー数のひとは(フォロワー数がおおきくなりやすい)実名に限らず仮名でもごろごろいるが、ツイッタの140文字制限がもたらす英語ツイッタと日本語ツイッタの性格の差のせいであろうと思われる。 本で言えばジョーク集、みたいな人が多いのね。 いまみると472万人のフォロワーがいるデミ・ムーア( https://twitter.com/#!/mrskutcher )のように、殆ど自分ひとりでE!チャンネル http://au.eonline.com/ をやっているよーな人もいます。 考えてみると本もツイッタも情報量や情報を切り取るやりかたが違うだけで、本質において同じようなものだ、とみることも出来るだろーか。 iBooksのようなソフトウエアが出て、仮想的に、むかしの言い方で言うデスクトップパブリッシングが誰にでも簡単にやれるようになったので、発行部数300くらいを目指すような不思議な出版世界があらわれてくるかもしれません。 実際ツイッタで知り合ったビオトープガーデンの泉さんは、iBooksを見てすぐ考えたことは「テキストブックをどんどん作ろうということだった」とゆっておった。 … Continue reading

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トランジット、あるいは冴えない破滅について

飛行機が飛ばなくなる日は必ず来る。 石油がなくなるから飛ばなくなるのだが、その日でも燃料は空港のタンクにちゃんとあるだろう。 …なぞなぞみたいですのい。 管制官の給料がでなくなれば、飛行機は飛ばない。 パスポートコントロールの係官がいなくなれば国際線は飛ばしても意味がなくなってしまう。 あるいは航空会社が離着陸料を払えなくなる。 燃料に使う石油が枯渇するまえに飛行機は飛ばなくなるが、理由はだいたい、そんなことだろう。 福島第一原子力発電所事故のあとの議論を眺めながら考えたのは、人間は未来のことを考えるのが途方もなく下手である、ということだった。 80年前に農場主が「土壌」というのと2012年の農場主が「土壌」というのでは、同じ言葉を使っているが違うものをさしている。 たとえて言えば「スポンジ」かなあ、と言う。 滋養もなにもない土、使いつくして大地の滋味を搾り取りつくした以前には土壌だったなにか。 窒素・リン酸・カリウム、と言う。 カルシウムもマグネシウムも必要だろう。 問題は、というか、ここで考えようとしているのは有機無機を問わずこの肥料が野菜なり穀物なりの食料になるためには、大量の石油を消費していることで、そのうちには石油のお題にしたチョー退屈な記事を書くだろうが、印象として現代の農業は石油化学工業である。 石油はエネルギーとしてよりも、人間の現代文明の支配的な要素として重大な意味をもっている。 ちょっと調べてみれば判るが、石油が(枯渇ではなく)足りなくなると、人間の生活などあっというまに停止してしまう。 産地でつくられた野菜は畑につみあげられてただ腐ってゆき、70年代にそれで日本社会がパニックに陥ったようにトイレットペーパーはスーパーマーケットの棚から消えてしまう。 石油の価格が倍になるくらいでも、生活は不安定になるのだから、これから予想される5倍、10倍、というようなフェーズでは、どういうことになるか、わしみたいにチョー暢気な人間にも予想がつく。 原子力が石油の代替として求められる頃には、石油の原価が高くなりすぎていて、いまの現代社会はそもそも成り立たなくなっているのでエネルギーだけが代替されても無意味なのである。 トーダイおじさんのひとりはむかしむかし20代の係長として鉱業課という部署にいた。 経産省。 若かりし頃のおっちゃんがいた頃は通産省とゆった。 石油の備蓄をやれと言われて石油のベンキョーをしたら、どう考えても備蓄タンクなんかでどうにかなる不足量ではないので、「将来世界的に原油が不足する」というレポートを出したら上司に怒られた。 石油なんてものはな、探せばあるんだ、バカ、そんなことは堯舜の世から定まっておる、とゆわれたそーです。 ふりかえってみると、その頃はほんとうだったんだよねえー、とトーダイおっちゃんはいまは薄くなった髪の毛をいとおしそうに掌でなでつけながら言う。 でも、いまは、ほらこれだから、と鉛筆で描いてみせたのは、わしら全員が頭を悩ませている、件の曲線です。 http://coachingtohappiness.com/wp-content/uploads/2010/09/world-population-graph.jpg 去年、日本語ツイッタを見ていたら、「人口は食料が減れば減少に向かうんだから、食糧危機なんか起こるわけがない。食糧危機なんか考えるバカの気が知れない」と書いている「日本的秀才」のパチモンのようなひとがいてRTつきまくりでうけていたが、ちょうどその頃日本でも何度も繰り返し報道されているソマリアという一国だけで一日2500人が餓死している現実 http://www.asahi.com/international/update/0729/TKY201107290690.html を、こうもあっさりと無視できる鈍感さというものはたいしたものである、と思う。 実際、人口増加曲線も2050年くらいを境にS字曲線に形を変えてゆくのでなければならないが、グラフがようやく単調な増加からフラットなplateauになる頃にはだいたい90億人から95億人くらいのところにある計算で、毎日大量の餓死者を出しているアフリカ諸国からお腹が空いてもいないのにホールチキンをレストランで頼んで、ほぼまるごとゴミにしてしまうティーンエージャーがおおぜいいるアメリカまで、いまの世界の貧富のバラエティの、そのままの構成で2050年も暮らしていると仮定すると、実は地球がまるまるもう一個あっても資源が足りない。 plateauという言葉を使ったので思い出したが、いま(2012年)のような世界の状態を英語ではbumpy plateauちゅうような呼び方をするひともいる。 どういう表現かというと、原油が1バレル200ドルになると買い手が減るので100ドルに下がる。 あるいは相場によっては100ドルをさえ下回る。 原油の価格が上がれば製品の価格があがり、それでは商売にならないので、製造が中止されて、市場が冷たくなり、需要が減って原油が売れなくなる。 そうすると原油価格がさがる。 しかし、いまの石油依存症とでもいうべき世界の骨格が形成された、というのは個人の側から言い直すと、平均よりもやや高いくらいの年収があれば人間らしい生活が出来る世界が形成された頃のWTI価格は、そもそも1バレル3ドル近辺だった。 それが1973年に1バレル5ドル超に引き上げられて世界は大パニックに陥り、1974年に11.65ドルに上がることによって産業と社会の構造そのものが変化を強いられることになった。 日本が、この時期の「新しい、石油が高い社会」に適応できたゆいいつの国だったために空前の繁栄を遂げたのは(当の国の国民なのだから、あたりまえだが)日本でもよく知られていると思います。 … Continue reading

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ヒロシマ

2005 年に製作されたBBCの「ヒロシマ」 http://en.wikipedia.org/wiki/Hiroshima:_BBC_History_of_World_War_II は、恐ろしい番組だった。 描写がリアルすぎて、夢に出てきそうです。 なかでも、一家がそろって朝食を食べているときに原爆が爆発して家が瓦礫と化してしまう家族の話は、爆風で両親が家屋の外に吹き飛ばされ、子供だけが崩壊した家の下敷きに なってしまう。 意識をとりもどして家屋のほうへ這い戻った母親に瓦礫の下の子供が「おかあさん、助けて、はやく助けて」と叫ぶ。 母親は瓦礫をどけようと必死になるが炎があたり一面から襲ってくる。 「息が出来ない。おかあさん、熱い。はやく出して。おかあさん 足が痛い」 「おかあさん、足が燃えてる 足が燃えてる。熱い。助けて、行かないで、おかあさん、行かないで。足が痛い」 結局、母親は、あきらめて、炎のなかを、昏倒した夫をひきずって川へ逃げてゆく。 どうして一緒に焼け死んであげられなかったのだろうという悔恨のなかで戦後の長い時間を生きてゆきます。 書いてしまうと、怖さがぬけおちてしまうが、わしはこんなに恐ろしいドキュメンタリを初めてみました。 戦後カナダ人の配偶者をもったせいでカナダに移住し、被爆者健康手帳をもらうために訪問した日本で海外に在住するヒロシマ被爆者にはがんとして手当を払おうとしない日本政府の冷淡な態度に衝撃を受けて、人前で話をすることに最後まで抵抗を感じながらそれでも「ヒロシマ」を講演しつづけた絹子ラスキーや、急病の子供の往診で夜中に揺り起こされて爆心地から6キロ離れた村まででかけていたせいで助かった、福島第一事故後ヒロシマを経験した医師として発言している肥田舜太郞も証言者として出てきます。 この番組のなかで最も恐ろしいシーンは、多分、海軍の艦船でおおぜいの若い士官たちと談笑しながら食事を摂っていた合衆国大統領ハリー・トルーマンが「ヒロシマ原爆投下成功」の電報をうけとって、「諸君、広島は一瞬で破壊された」と立ち上がって読み上げると、部屋いっぱいの若い士官たちが歓声を挙げ、抱き合って喜びあうところで、36万人の広島市人口のうち14万人を殺したウラニウム235の爆発とそれが引き起こした殺戮の報告を聞いて、みなが底抜けの歓喜に包まれてしまう。 集団的サディズムはそれによって引き起こされたより大きな集団的サディズムによって復讐される、というのは、歴史の常識であって、それをよく知っていたから、ローマ人たちは、完膚無きまでに破壊したカルタゴの瓦礫をどけて更地にして、その上に耕作ができないように大量の塩をまいて、カルタゴ人がどんなにあがいても復讐できないようにした。 トルーマンと若い海軍士官たちが「サディスト集団」日本人の大殺戮の成功を祝っているころ、16歳の志願看護婦絹子ラスキーは、動かなくなった下半身をひきずって、匍匐して病院の階段にたどりつく、そこで幸運にも知り合いの医師の手術で体中に埋め込まれてしまった大小のガラスの破片を取り除いてもらうと、立ち上がれない身体のまま這って(とすら言えない腕でにじりすすむやりかたで)駅へ行く。 そこで「隣の駅からでなければ電車は出ない」と聞かされると、この驚くべきひとは、数キロ離れた次の駅まで線路上を腕だけで匍匐していきます。 「ときどき気絶してしまうんです」と絹子ラスキーは言っている。 意識が戻って空をみると、青い明るい空が見えたり、真っ暗な空が見えたり、そのときどきで違う空が見えた。 何度も気絶しながら、線路のあいだをはって、隣の駅まで行きました。 そうやって這いながら、絹子ラスキーは親の家にたどりつく。 6ヶ月、病床につくが、両親の必死の看病で、恢復していきます。 原爆を投下したエノラ・ゲイの機長Paul Tibbets http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Tibbets は、大佐でありながらこの重大なミッションを自分の手で行うべく機長として飛ぶことを志願した。 死ぬまで自分が命令を遂行したことによって、たくさんの日本人とアメリカ人の生命を救ったことに誇りをもっていました。 原爆投下の決定をくだしたスタッフルームの最後の生き残りだった中尉も、「ヒロシマの責任は最終通告をうけいれなかった日本人にある」と明快に述べている。 日本では違うニュアンスになっているのにわしは気が付いたが、アメリカ側では、アメリカの最後通告が日本軍の解体を条件にして日本全体の解体を述べていなかったことをもって、「アメリカが日本側の勇戦で瓦解寸前になり弱気になっている」と誤解した傲慢に原爆投下の直接の責任を求めるのが普通の解釈になっている。 だから、やむをえず、原爆を投下した。 このBBCの番組のなかで、この見解に異議を唱えるのは肥田舜太郞医師ただひとりで、柔和な眼で微笑しながら、「アメリカは人体実験のために原爆を落としたんです。われわれには戦闘能力などもうないのは明らかだったことをアメリカは知っていたはずです。アメリカは原爆が人体に対して放射性物質がどういう影響をもつか、どうしても知りたかった。だから、広島に爆弾を落としたんですよ」と臆することなく述べている。 いま日本語wikiを見ると、 「広島に検査だけして治療はしない病院(原爆傷害調査委員会:ABCC)がつくられるとの噂から、依頼を受けて、治療もするようにと厚生大臣や連合国軍総司令部と交渉。結局断られ、理不尽な占領軍の傲慢さに憤って、アメリカの無法と闘うため占領権力に真正面から立ち向っていた日本共産党に入ろう、と決心し入党した」 と書いてあります。 若い医師だった肥田舜太郞は、村からキノコ雲を見て広島市内に自転車で急ぐ途中、 「真っ黒焦げに炭化した人間の形をしたもの」が自分に向かって歩いてくるのを目撃した瞬間から、66年という長い時間を放射線被害と格闘する人生を生きてきたことになる。 記録フィルムのなかで、もうひとつ示唆的なのは、関係する人間がみな緊張に包まれて、しかも離陸滑走中の爆発をおそれて飛行中の空中で最終組み立てを行うという慎重さで行われた緊迫した広島への原爆投下に較べて長崎への投下は緊張感がなくなっていたことが判ることで、プルトニウム239爆弾である「ファットマン」に、みなが笑いながら日本人に対する落書をするところがフィルムに残っている。 京都や東京に原爆を落としていって、日本全体を更地にするのだろう、と憶測していた爆撃隊員たちの、原爆投下が早くもルーティン化した、やや気楽な気持ちが見てとれる。 … Continue reading

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