Category Archives: 言語と習慣

言葉という「わたし」について_1

英語人が溺れかけているときに「Help me!」と言うが「Assist me!」とは言わない、と前に書いた。 あるいは「朝鮮人帰れ!」という文章を見て、書いた人の意図とは反対に「朝鮮」という漢字の美しさに見とれてしまうことがある。 類語辞典というものがあるが、脳髄は絶えず語彙を比較して、無意識的にも無数にある「類語」から最も適切な単語を選択している。 適切な選択? 選択している主体は、なにが選択しているのだろう? と多少でも頭がまわるひとは疑問に思うに違いない。 そうして考えをめぐらせて、その単語を選択しているのも、また語彙であることを発見してびっくりしてしまうだろう。 このブログでは何度も書いた、エズラ・パウンドの戦後の沈黙のことをよく考える。パウンドはT.S.Eliotが代表作「The Waste Land」を「 IL MIGLIOR FABBRO」という詩人にとっては最高の讃辞とともに捧げたように、きわめて言葉に巧みな詩人だった。 詩において巧みなだけではなく、話す事においても巧みで、どのような種類の会衆でも一瞬で心を奪われたし、どんな女びとでもパウンドが口説くと我を忘れたようになって気が付くとパウンドのベッドの上で裸になっていたという (^^;   ムッソリーニ政権下のイタリアで、ファシズム礼賛の連続ラジオ放送をおこなって、イタリアファシズムがいかに、それまでの退屈で醜悪で偽善に満ちた民主主義に勝るものかを説いた。 そのパウンドは戦後、「あなたはなぜ沈黙したのか?」と問われて、「言葉には伝達の能力などないからだ」と述べている。 あるいはW.H.Audenが「Love each other or perish」という人口に膾炙した表現を新しいアンソロジーから削ってしまった理由を問われて、「人間がお互いに愛し合うなどということはありえないから」と答えている https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/07/09/love-each-other-or-perish/ パウンドもオーデンも十分に巧みな詩人だったので、言葉の機能のうち「伝達」などは小さい部分にしかすぎない、ということをよく知っていた。 「あなたを愛している」と言って、その言葉だけで言語であらわそうとおもったことが相手に伝わったと思う人は余程鈍感なひとである。 あなたを世界一愛している、とやや修飾をしても、事態はまったく変わらない。 宇宙一、になると逆効果で、そんな100円ショップの棚に並んでいそうな表現をするくらいなら、腕の筋肉がつりそうなくらいおもいきりいっぱいに両腕を伸ばして「こおおおおおおのくらい、愛してる」と述べたほうが、まだ表現としてすぐれていると言うべきである。 (念のために言うと、腕をのばした際に指の先をピンとまっすぐに伸ばしておかないと「たったそれだけしかわたしを愛してないの、推定1.8mくらいの愛情じゃない」とゆわれた場合、「この左手の指の先が示している銀河から右手の指先が示している銀河まで28ギガパーセク(930億光年)あるのであって、わしが示そうと思った純愛はそれよりも大きいという表現なのね」と説明することができなくなります) ではどうすれば「あなたと会えたことが嬉しい」ということを示せばよいかというと、 たとえば岩田宏は 「おれたちは初対面だが もしあえなかったらどうしようかと そればっかり考えていたよ」 と述べているし、岡田隆彦は、 「ラブ・ソングに名をかりて」という詩で史乃さんという名前の恋人に「あんたが好きなのだ」ということをなんとか伝達したいと試みている https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/02/29/日本の古典_その3%E3%80%80岡田隆彦/ こういう表現が、(相手も言語についての修練が出来ている場合には)過不足なく、精確に自分の魂から相手の魂にとどくのは、現実には言葉には、その言葉を一個のニューロン http://en.wikipedia.org/wiki/Neuron とするいくつかの結びつきのうち、いくつかのパターンで「定型」を構成する働きがあるからで、簡単な話、 … Continue reading

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日本語と所作

わしガキの頃は、従兄弟(父親が日本人)と義理叔父(もろに日本人)と3人で、たとえばグラマシーの通りに出ている昼ご飯のテーブルに座っていて、外国人らしい人を見つけては、それがどこの国から来た人か当てる、という遊びをよくやった。 「よくやった」というが、実はいまでもやります。 モニとふたりでいるときもやる。 わしガキの頃は日本人は服装によって区別がつく人が大半で、NYCならば妙に欧州風な、欧州風だけど、きちっとしすぎた着方のアジア人はまず間違いなく日本人だった。 この遊びは正解がわからなくてもいい遊びなので、たいていの場合、(会話が聞こえなければ)いまのは東欧人だった、あれは、大陸欧州のイタリア人だろう、という推測が合意されたところでゲームは終わるが、テーブルの上に「ここはわたしの席だ」ということを示すために財布やハンドバッグを置いていく人を見ると、「あっ、日本人!」と言って飛び上がって喜んだ。 誤解してはいけないが、「日本人はセキュリティの感覚がない」と頭のなかで難しげな顔をして述べようとしているのではない。 単純に、日本人が貴重品を誰でもが盗んでいけるテーブルの上に置いていってしまうのが面白かったから大笑いして喜んだので、ガキだと言っても、その可笑しさのなかには、 「日本て、平和なよい国だな」という軽い羨望がこめられていたと思う。 その頃はシリコンバレーに行くと台湾の人が多かったが、なんだか暗い色の紺の、チョー安っぽい背広に黒縁の眼鏡で、全体にもさもさしていたので、簡単に区別がついた。 韓国のおばちゃんは、これはいまでもそうだが、なぜかチリチリの鳥の巣みたいな髪の毛にしている人がおおいので、髪をみればイッパツで判る。 プラヤ・デル・カルメンやコズメルのような場所には若いイタリア人やスペイン人が多いので、イギリス人の団体がやってくると、ひと目で判った。 イタリア人やスペイン人たちが、ファッションモデル組合の慰安旅行だろうか、というくらいカッコイイのに、イギリス人たちは、全体に、ボテッとして、だらしないショーツのはきかたで、似合わないアロハを着ていたりして、国是に従っているというか、いかにもダッサイ外見だからです。 ミルピタス https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/01/27/milpitas-ミルピタス)/ に行くと、ハードウエア産業が中心のコンピュータの町(サンディスクの本社はここにある)なのでインド人や中国人韓国人、そして日本人がたくさん住んでいる。 たしか「アメリカ最大」ということになっているモールに、日曜日、モニとふたりででかけてみたら、ごわあああああっとモールに溢れている人のほぼ全部がアジア人で、ところどころにぽつんぽつんと見えるコーカシアンは、よく見ると奥さんがアジアの人で、簡単にいえばアジアの人がうんとリラックスできる王国です。 日本の人はすぐに判る。 歩き方に強烈な特徴があるからで、一面東アジア人がいるところでも、日本の人が歩いていれば、そこだけスポットで浮き出しているようにわかる。 西洋人はよく日本人をさして「ロボットのようだ」という。 言われれば、あたりまえで、日本の人は嫌な気持ちがするに決まっているが、他の悪口とちがって、日本の人に面と向かっても言うことがおおい。 わしの観察によれば「ロボット」という言葉が出てくるのは、どちらかというと外見からの印象がおおきいようで、それも顔の表情に乏しい、ということはあるが、たとえばカタロニア人も街頭では表情に乏しいので、身体の動き方のぎこちなさ、というほうに強い印象がありそうだ、と思う。 日本にいたときの観察では、日本の人が自然な身体の動かし方をするのは、だいたい小学生くらいまでで、中学生くらいになると、カタカタと音がしてきそうな、ぎこちのない所作がおおくなる。 思春期をすぎると、この「不自然な感じのする動作」は死ぬまで続く。 面白いのは、自分が気安いと感じている年が下の人間といるときには所作が突然自然になって、顔の表情まで寛いで、まったく自然なものに変わっている。 同じ人が「上司」にあうと、椅子にこしかけるやりかたまで、ぎこちない、かつかつと音がしそうなものになる。 パキッ、と音がしてクビがもげてきそうだとハラハラする。 状況証拠から考えて、自意識が動作を阻害することによって、不自然な肉体の動きを招来するのだと思うが、よく考えてみると、それは結果にしかすぎなくて、日本の人の動作を日本の人の動作たらしめているのは、その自意識を沸騰させているなにものかのほうであるに違いない。 この頃よく敬語の体系は、実際に民主主義社会の成立を阻んでいるのではないか、と考えることがある。 よく知られていることだと思うが、敬語の体系は、本来は年長者や上司というような「目上の者」が「目下の者」に敬語を使うことによってしか成立しない。 話が抽象的にすぎる、と思う人は、ひどい日本語しか話せなかった父親と異なって、美しい敬語を話すいまの天皇陛下と皇后が、どんな日本語で政治的教条においてはともかく、日本語の体系のなかでは「目下の者」の集合である「国民」に話しかけているかを観察してみればよい。 現代の日本語では「目上の者」が「目下の者」に敬語をつかうことが少ないのは、日本語がいちど軍隊によって完全に破壊されてしまっているからである。 大学のなかでは学生に敬語で話しかける教授が珍しくなく存在するのは、そのことと関係がある。 軍隊の敬語は、吉原の花魁言葉と同じで、敬語がうまく使えない人間にも即製で敬語が話せるようにつくった人造語だが、上官が部下に敬語を使わない、という敬語全体にとっては致命的としか言いようがない欠点をもっていた。 戦後の企業社会は、その軍隊日本語をそっくりうけついでしまったので、それが結局は「新しい日本語」になったが、この日本語は、おいおい話そうと思うが、欠陥が極めて多い言語で、表現しえない事象がおおいのに較べて、会話が自由にやれないという言語としては信じがたい欠点まである。 人間の意識をつくっているのは言語なので、人間の意識の「リズム」も、また言語でできている。 具体的には、バールで立ち話をしているふたりのイタリア人を思い浮かべてみるのがよいかもしれない。 言葉の調子と、身振り手振りで、あいの手にはいる笑い声の「間(ま)」にまで、イタリア語のリズムがそのまま取り入れられているでしょう? スポーツ選手は筋肉がもっともリラックスして動けるように筋肉の法則に従った美しい「定型」をもっているし、格闘家も「型」をもっている。 普通の人間は言語が自然や生活から吸収したリズムを言語を通して人間に還元する役割を担っているが、現代日本語は、それ自体、言語としての「リズム」、言語としての「時間」を獲得するのに失敗しているように見えます。 多分、義理叔父の書斎でみた新聞の切り抜きかなんかだったと思うが、日本ではジャズプレーヤーの草分けであるらしい渡辺貞夫という人が、自分のジャズがリズムを完全に失ったと感じてジャズプレーヤーを廃業しようと思い詰めるにまで至った「スランプ」の時のことを書いている。 … Continue reading

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言葉の死について

インターネットのあちこちで、共有できる言語を伝って、世界中のいろいろな人たちが話を交わして、びっくりしたり、笑いあったり、喧嘩になったりしているのは、20年前ならSFだが、いまではありふれた光景になった。 ぼくはニセガイジンという有り難い称号をうける程度には日本語で考えることが出来るので、こうやって目の前にあるコンピュータのスクリーンのなかに開いているウインドウのひとつは必ず日本語になっている。 スクリーンのそちらがわからこちらがわは見えなくて判りにくいのは当たり前だが、だいたいぼくの部屋では大音量で音楽がいつも鳴っていて、こう言うとまた「そんな人間がいるわけがない」と言ってくる人がいるに決まっているが、めんどくさいので構わずに話をすすめると、3つか4つくらいの言語にまたがったSNSとフォーラムのウインドウが開いている。 その他にスカイプを含むVoIPも使うが、こちらは日常生活でよく知っているひとだけです。 日本語で日本の人とSNSやなんかで話しているときに、人柄のよさそうなひとに多いが、「いまのは大事な意見だ。日本人に適切な忠告をしてくれてありがとう」と言われたりすることがよくあるが、少なくとも自分が知っている範囲では、そういうお礼を述べる「国民」は日本人だけなので、びっくりしてしまう。 日本の人が日本語を使ってものごとを考えているときに、いかに孤独か、ということを考えることが多くなった。 日本語で不足なくものごとを考えられる人間が側に立って、えっ?これはダメっぽいんじゃない? こっちはカッコイイな、と言って話しているときに突然「日本人への忠告ありがとう」と言われるのは、人によっては「ガイジン」というすごい差別語をもつ日本人の閉鎖主義の表れだと怒る人がいると思われるが、ぼくは、その徹底的に孤独な心性に驚いてしまう。 ついさっきまで同じ言語で、というのは取りも直さず同じ情緒と癖がある思考の幹に属して、肩と肩を並べて話していたのに、「日本のこと」になると日本人以外は遠くから見下ろして考えているとほぼ自動的に考えるのは日本のひとの強い性癖で、他の国民にも見られることだとは到底いいがたい。 イギリス人とニュージーランド人が話していて、ニュージーランドは簡単に大聖堂ぶっ壊しちゃったりして、ああいうのは拙いんでないの?とイギリス人が言い出して、ニュージーランド人が貴重な忠告ありがとう、と述べるとは考えられない。 あれはボブ・パーカーよりも政府がもっとバカで、あいつらは出費の削減しか考えない途方もない白痴である。 このあいだは、クライストチャーチでは人口に偏りができたから、生徒数の少なくなった学校がでてきたので就いては他の学校に統合すると言いやがった。 白痴である上に血も涙もない奴らである、というふうに会話は続いていくものであると思われる。 日本語で日本のひとが欧州のことについて述べたものは間違いがおおいようだ、と書いたら、では欧州人のお前が日本語で日本について述べることにも意味がないではないか、とえらい剣幕で述べに来た人がいて、(そのひとにとっては失礼にも)大笑いしてしまったことがあったが、そのひとは言語の機能と外国人・自国人ということについて頭が混乱してしまっている。 「日本語で日本人が欧州について述べる」ことに照応するのは「欧州人が欧州語で日本について述べる」でなければならないのだが、カッとしやすい、おっちょこちょいな人だったので血が頭にのぼって譫妄したのだと思われる(^^) 日本人の孤独な姿は福島第一原子力発電所事故を契機にして、異様な影を世界中のメディアに浮かびあがらせてきた。 なにしろ考えの前提も常識もなにもかもが唖然とするくらい違うので、経緯をちゃんと把握していないと、「言っていることがぜんぜん判らない」くらい日本のひとの「常識」はいまでは他の世界のそれと隔絶してしまっている。 もう事故から2年も経っているので、英語でも日本のひとが「なぜ放射能が安全だと考える」のが説明されている文章があちこちにあって、拾い集めてくれば、辻褄だけはあっている巧妙な説明を見通すことは出来るようになっている。 このブログでは何度も書いたので具体的な疑問は繰り返さないが、これこれこうだから日本の事故はたいしたことはなくて安全基準もつくってあるから日本人は安全です。 心配してもらわなくていい。 事故は収束しました。なんなら終熄と呼んでも大丈夫。 はっきり言ってしまうと、日本人の言い分だけを聞いていると、まったく尤もらしいが、我に返って、自分の頭の中の世界と照応させて、言わば「日本人の常識」と「普通の常識」を較べてみると、「日本の常識」は辻褄があっているだけでいかにもチャチで、もっともっとはっきり強い言葉をつかって言えば軽薄を極めていて、かつては科学の分野でもおおきな声望をもっていた日本人の科学性とは、たったこれだけのものだったのか、と思う。 ここまで読めば気が付くと思うが、ここで初めて日本人でない人間ははっきりと「日本人」の異様さについて眼を瞠っているので、ここに至って、普段は意識しない「日本」という仕切りが意識の上で越えがたい理解不能な壁となって眼のまえに登場してしまっている。 いわば「忠告ありがとう」と突然述べて外国人を訝らせる、不思議な日本の人の心性と同じ場所に外国人たちを押しやってしまっている。 ここから先は書いても日本語である以上わかってもらえなさそうで、書いてもしようがないような気がするが、そういう投げやりなことではいけないだろうから、数が少ない何人かの人に向かってでもいいから書くと、ここで起こっていることは何かというと実は日本語の「地方語化」が過去に予想されたよりも遙かに速やかに起こってしまっているのだと考える。 日本社会のなかで高名な科学者たちや知識人たちが「放射能の無害性」について力説するときに、どの程度自分の議論の普遍性を意識しているのかわからないが、結果からみると、地方ルール、日本社会のなかで説得力があればそれでいいや、な投げやりな感じがして、変な言い方だが、これまで放射能の害について世界中の人間が蓄積してきた「常識」へ真っ向から挑戦する緊張感などまるでみられない。 まるで「日本人はバカだから、こんなものでいいだろう」とでも言うような、真理を自作して適当に犬たちに投げ与えるいんちきな学問の神様のような好い加減さにみえる。 普遍語が支える世界に背を向けて「日本人向けの真理」を何の躊躇もなくつくってしまった結果、言語というものは自分をぞんざいに扱ったものたちに対して常にそういう巧妙で本質的な復讐をするが、日本語全体が地方語化して、日本語で語られるものは、日本語人のあいだでだけ通用する「真理」になってしまった。 半島人はむかしから半島でだけ通用する「真理」のタッキーさに苦しんで、おかげで朝鮮語はどんどん真理性を失ってしまい、英語でものを考える以外に方法がなさそうなところまで自分達を追い詰めていった。 インド人たちも同じで、というよりは、もう一段積極的にインド諸語を地方語として自ら定義して娯楽映画や歌謡にかぎってしまい、思考は英語で行う、と決めてしまった。 インド人たちはお互いの母語が通じないので英語を共通語として採用したのだ、と思ってしまいがちだが、当のインド人たちと話してみると、ぜんぜんそういう理由ではなくて、どちらかといえば英語の普遍性をインド文明で乗っ取ってしまってインド英語をつくったほうが文明の建設がやりやすい、という積極的な戦略であるらしい。 いまの日本で起きていることは、10の選択がある事象に6つの選択しか可視的に与えられず、残り4つの選択は伏せられていて、どのひとつも正しくはない6つの選択肢から正解を探すという徒労の連続である。 あるいは日本人は選択肢そのものが捏造されていて日本のなかだけで「完璧に証明された」、外側の人間からみるとクビをひねるしかないような定理を組み合わせて、更に突飛な空想的な「事実」を証明しにかかっているヘレニズム時代の歴史の闇の向こうに消えていった数学者の姿に似ている。 このブログを始めたときには、まさか日本語が言語としての意味を失ってゆくところに立ち会うとは思っていなかった。 そういう可能性すら考えられなかった。 日本語はいまの段階では架空な現実に架空な現実を架して、巧妙だが薄っぺらな、自分達で容易に信じられることだけ、あるいは信じたいことだけを材料に、それ以外のことはすべて虚構だと退け、現実であるはずがないと小心な心に言い聞かせるためだけに存在する「道具」になりさがっている。 言語は本来「道具」にはなりえない。 「日本語を使う」というが、本来は言語は人間の脳髄が「使える」ような代物ではなくて、言語自体が思考している。脳髄にできることはわずかに言語が内蔵している論理ベクトルを差配して方向を決定したり、言語が歴史を通じて貯えた情緒のなかから適宜選択してより明然と情緒を表現できるように選択することだけである。 ところが言語の真実性が失われるにしたがって、日本語は急速に論理のつじつまあわせの「道具」に変わってきた。 強い言葉を使えば劣化して腐敗してきたのだと言い直してもよいと思う。 この段階になると放射性物質についての、議論とは到底よびえない言い合いが良い例だが、同じ材料をつかってAがBであるという「完全な証明」とAは(Bと相反する)Cであるという結論を、どちらも「完璧に」証明できるようになる。 … Continue reading

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あんはっぴー

日本ならば「私小説」というものがある。 構想もなにもなくてただ自分の生活と内心を書き綴ったような本が好きで、日本にいたときは、田舎の町の小さな古本屋で自費出版の「自分史」の本をワゴンのなかに漁ったりしたものだった。 重層性や「企みに満ちた」物語という娯楽は欧州では20世紀文学の特徴でやや古い。 読めば物語らしく知的神経が刺激されてコーフンするように出来ていて、物語が氾濫している、「物語中毒社会」と言えそうな、いまの西欧語世界でも面白いが、なぜそれを苦労して(外国語である)日本語で読まなければならないかわからない。 日本のひとは城郭の縄張りをするように言語を張り巡らせて物語を設計するのが苦手なようでもある。 自分の心を井戸の暗闇を見下ろすようにして、じっと見つめることのほうに、ずっと才能があるように見えます。 たいていは自分にとってだけ特別な自分の一生をただだらだらと書いてあるにすぎない「自分史」を読んでいると、しかし、人間の一生はそのひとひとりにとってはかけがえがないものなのがわかって素晴らしい。 皮肉ではない。 戦争がおわったあと国民党軍に投降して、そのあとの4年間を国民党の通信兵として戦った、などというひとは日本にはごろごろいる。 一生の最も活動的な時期といってもよい18歳からの10年間を破壊と死、同胞たちの集団強姦、容赦のない暴力をともなった悪意というもののなかで過ごして、ほとんど人間の道徳の彼岸に到達して菩薩に似た境地に達してしまっているひとが書いた「自分史」を読んでいると、人間の神などは人間の魂にもともと内蔵されている言語の機能にしかすぎないのではないかと思ったりする。 カウチに寝転がって、他人の人生の記録を読んでいると、人間が希望に燃えて生活したり、絶望にとらわれたりするのは50歳くらいまでであるようにみえる。 だいたい50歳をすぎると、(観念の)鏡に映った自分ではなく、手をのばした先にみえる自分の手のひらを見るような、ありのままの自分がみえてきて、その「自分」と一緒に過ごすしかないのだ、ということが悟達されるもののよーである。 このブログ記事で何度かふれたRay Kroc http://en.wikipedia.org/wiki/Ray_Kroc のように(マクドナルドの成功という意味だけではなく)実質的に52歳から一生を始めたようなひともいるが、数は少なくて、50歳をすぎると、いわば「自分に馴染んでゆく」というタイプの人が多い。 絶望や希望という概念が機能しなくなって、ただ起きてから寝るまでの一日を見つめる生活になってゆくもののようで、健全というか、余計なものがとれてしまうようだ。 このブログには老いたひとびとについての記事が多い https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/01/11/夕暮れの交差点で/ ので、それに気づいた人が「お年寄りが好きなんですね」といって寄越すことがある。はなはだしきに至っては精いっぱいの、だが稚拙な悪意をこめて「ガメ・オベールは老人であるに違いない」とあちこちに書き込む人もいる(^^) 事実は逆で、わしは人間が老いるということが子供のときから怖くて仕方がなかった。 自分が、ではない。若い人間の頭の悪さで、「自分が老いる」ということはなんとなく起こらないような気がしていて、実を言うと頭でぼんやり理解しているだけで、いまのこの瞬間でも自分が老いるのだということはわかっていないようにみえる。 もっと小さい子供のときは、怖い、というよりも老いた肉体や相貌というものにかなり明瞭な嫌悪をもっていた。 もちろん礼儀正しくはしていたが、曾祖母などは、いちど春の芝生の上で開かれたパーティで、5歳のわしに向かって「ガメは年寄りが嫌なのね。なんて正直な子供でしょう。よいことを教えてあげるわ。わたしも、若いときは、自分のまわりの年寄りが薄気味悪くて大嫌いだった」と述べて、曾祖母の特徴であった闊達な感じのするやさしい声で笑った。 いくら隠そうとしても傍目には明かだったもののようである。 昨日、「もう死んでしまったものたちのやさしさ」と記事に書いたら「意味がわからなくて困った」というメールがきた。 理解しようと思って理屈を使って考えるから判るのが難しいと思うので、簡単に言って解剖台に横たわっている死体をみて、同じことを感じない人、というものを想像するのは難しい。 棺のなかでもよい。 死んでしまった人間の肉体というものは、多分、人間が一生のなかで目にするもののうちで、最も安らぎを感じさせる自然であると思う。 50歳をすぎた人間は理想的なスタート地点にいる。 人間の肉体はだいたい50年もつように設計されているので、設計上の耐用年数は実はもう過ぎている。 このあとはmRNAやtRNAがへまをこいたりコドンを写し間違えたりして、肉体の維持体制がだんだんデタラメになってくる。 いわば50歳くらいから人間は少しずつ確実に死んでゆく。 だから50歳で「希望をもつ」というのは実はほとんど論理的な矛盾である。 途中で必ず墜落するとわかっている飛行機に乗り込んで行く先のカリブ海に面したホリデースポットでの午後を夢見る人はいない。 よく目を開けて落ち着いて考えてみれば一生はとっくに過去のものになって肉体が残映のなかで生きているにすぎない。 だが絶望もない。 老いた人間が「絶望」する場合には単に精神的なディプレッションであることのほうが多いだろう。 希望が存在しないのに絶望だけが存在することはできない。 「死」に向かう人間は自己の消滅という究極の破滅に顔を向けているので絶望も希望も、もうそんなところにとどまっていては、人間として自己を維持するのが難しいものになってゆく。 … Continue reading

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はっぴー

日本語になおすと「幸福の科学」で四谷大塚進学教室のシステムをコピペしてつくった新興宗教みたいだが「Happiness Reseach」は人気のある分野で、ハーバード大学の講座のなかで最も人気があるのも、この「幸福の科学」である。 アメリカで最も人気があるのは件のドーパミン理論で、最もドーパミンが放出されやすい状況を最も幸福になりやすい状況と定義してさまざまなリサーチを行う。 遺伝的因子が5割、オカネモチであったり社会的地位が高かったりの社会的成功の要因が1割で、残りの4割の要素である友人関係や家族、過ごす時間の質、というようなことを考え直してディプレッションを回避したり、幸福感を増大させようという思想に立った科学である。 英語世界では「世界で最も個人が不幸な国」と言えば、ほぼ自動的に日本をさす。 そんなバカな! いいかげんなことを言うと承知しないぞ! という声が聞こえてきそうだが、ほんとうなものは仕方がない。 日本が世界で最も不幸な国であるというのはただの常識であると思う。 日本の人の面前でそんなことを言うひとはいるわけがないので、こういう話は日本のひとの耳が届かないところで英語人同士でしかなされないことを考えると、アメリカに20年住んでいるという日本の人でも、日本語のメディアばかり見ていれば、周囲のアメリカ人が「日本ほど個人を不幸にする社会はない」と思っていることにまったく気が付かずに、アニメを通して憧れの国だと思われていると錯覚して、毎日とくとくとしてアニメや日本料理の話をして、周囲に気の毒がられている、という状況も夢ではない。 高名な心理学者Ed Dienerが登場するRoco Belicのドキュメンタリ映画 「Happy」 http://www.imdb.com/title/tt1613092/ もまた英語世界の「常識」を踏襲して日本を「最も個人が不幸な国」として取材している。 誕生日に「大事な仕事の話があるから」というので会社の同僚と「飲み」につきあわされる39歳の会社員は、家族よりも仕事が優先される日本の日常を、屈託のない笑顔で向けられたマイクとカメラに向かって話す。 「明日は妻と会うからダイジョーブですよ」と明るく笑う。 トヨタ自動車の品質管理部門に勤めていた夫を過労死で失った妻は、玄関にあらわれた男性が一緒に過ごした時間が少ないせいで父親だとわからない娘のビデオや、死ぬ直前に上司に助けてほしい、と述べながら書いた申し送り状をインタビュアーに見せる。 観ていて最も悲惨な感じがするのは、あるいは日本の人には感覚的に判りにくいかも知れないが過労死で夫を失った妻達だけでつくった、お互いを励ましあうためのコーラスグループで、「良い夢を見てね ママはパパの笑顔を胸に抱いて生きる ママは負けないよ」という合唱曲を声をあわせて歌う姿は、西洋人にはここに至ってまで発揮される集団主義を思わせて、二重の意味でやりきれない気持ちにさせられる。 日本とは全く相反する価値観をもった社会として、ブータンが挙がっている。 ブータンの情報省大臣であるDasho Kinley Dorjiが画面に登場して、最近ブータンが世界に向かってヴォーカルに主張しているGNH (Gross National Happiness)というブータンの国家的思想について雄弁に力説する。 GNHは、見たとおり、GDPと対立的な、国民がどれだけ幸福であるかが国家の実力だと述べる国家指標のことです。 なんとなく自社の製品の優秀さを力説するトヨタのセールストップを思わせる口調でにやにやさせられてしまう。 あるいはデンマークのCo-Housing Community http://en.wikipedia.org/wiki/Cohousing がもたらす大家族的幸福について述べる。 Co-Housingというのは、ひとつのセクション、あるいはひとつの建物に数世帯が住んでお互いに助け合って暮らすという人間を北欧的な孤独から救済するためのシステムで、デンマークではかなり受けいれられている。 学校のイジメ撲滅の伝道師、学校におけるイジメ廃絶への独特な取り組みで有名な Michael Pritchard http://www.michaelpritchard.com/ が紹介され、日本社会内部からの日本社会への異議としての沖縄社会、ルイジアナのコミュニティ、compassionに満ちていたはずの原初の人間社会への暗示としてナンビアのブッシュマンたちの生活が語られる。 映画には神経科学者のRead Montagueも登場して、人間が幸福感をうるためにお互いを助け合い協力しあうことがいかに大切か、協同的行為がいかに脳髄にとってコカインを注ぎ込むような幸福感を生み出すものであるかを力説する。 映画が映し出していくものはことごとくいまの世界で「幸福」あるいは「幸福感」というものを考えるときのスタンダードともいうべき事象や知識であると思う。 (ところが) 困ったことに、こうした「幸福」への思想に同意できない。 映画のなかで、他の事例と同列のものとして扱われているが、よく考えてみると明らかに異質な例がひとつだけでてくる。 … Continue reading

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日本語ノート1

日本語で何かを書くということに意味があると思ったことはない。 ひどいことを言うなあー、と思う人がいると思うが、ありのままの気持ちとして日本語を勉強をするということはアルメニア語を勉強するのと本質的に変わらない、とベンキョーの初めから思っていた。 わしはムダなことをするのがひたすら好きなので、役に立つことをするのは、なんとなくつまらん、という気がする。 シーシェパードという世にも下品な集団は、鯨類研究所というもっと下品な集団と抗争しているという事実のみにすがって生き延びているが「日本人のやることに文句たれるんじゃねーよ」というのは日本の人の紛いようのない国民性なので、日本の社会に大憤慨を引き起こしている。 ちょうど、夏になるとほとんど毎日捕鯨のニュースが流れて「日本人はひどい」と言ってニュージーランドやオーストラリアの頑是無いガキどものあいだにふつふつとたぎる「日本人なんか大嫌い」感情が醸成されるのと対をなしている。 ダグラス・マッカーサーも失職した海軍軍人を起用して戦後日本の飢餓を救うという一石二鳥の「名案」が、よもや日本の「伝統文化」に化けて、ニュージーランドやオーストラリアの気持ちのやさしいガキどもに日本人への憎悪と軽蔑を植え付けることになるとは思わなかったに違いない。 「反捕鯨がいかに白人の偽善か」というのはネット上でみるかぎりは日本人にとっては福島第一事故の結果全国に撒き散らされた放射性物質などを遙かに上回る切実な関心の対象であるように見えるが、見ていて不思議な気がするのは、「これを日本語で述べあうことにどんな意味があると思っているのだろうか?」ということである。 自称右翼の在特会とかなんとかいうひとたちのほうが遙かに賢くて、韓国の人や中国の人がメールに添付して送ってくる動画に出てくるプラカードには「韓国人たちを皆殺しにせよ!」というようなことが英語でちゃんと書かれてあって、(彼等が主張するところの)「日本人の共通な感情」がどんなものであるか英語人にもストレートに判りやすいように工夫がされている。 しかも、日本語世界の内側にいて日本語でオーストコリアなどというおもろすぎるチョー下品語を発明しているひとびととは異なって、ちゃんと半島人が多く住む新大久保まで行く、というやむにやまれぬ半島人虐殺への現実的情熱もみせている。 観ていて、捕鯨推進のひとびともシドニーの例えばピットストリートにでかけて「韓国人と一緒に、鯨も虐殺せよ!」と叫んで歩くべきであると考える。 日本人になにか言いたいことがあれば日本語を身につけるのが最も簡単な方法で、イタリア人に、イタリア版横山ノックみたいなやつを首相にしてはいかんではないか、と言いたければイタリア語で述べるのが礼儀というものである。 しかし、わしは別に日本の人に意見がいいたくて日本語を身につけたわけではなかった。 通常は日本語を外国語として勉強する人の第一の理由である就職のためでもない。 日本のひとは怒るかもしれないが、理由を聞かれれば「ムダだから」としか答えようがない。 数学をベンキョーしたのも医学を途中でやめたのも同じ理由によっている。 「ムダなことしか性にあわない」からだと思う。 役にたたないことでないとコーフンしない性格なんです。 もの好きにしか見えないこと、というものがこの世界にはある。 明治時代に日本語が文語から口語への跳躍に失敗して、空中ブランコに手をかけそこなって、言語として墜落していったのを目撃したのは良い例である。 日本語で書かれた物語で英語で読んでもオモロイ物語の筆頭は「The Makioka Sisters」(「細雪」)であると思うが、谷崎潤一郎という人は物語の構築だけではなくて日本語の感覚にもすぐれていた。 ジャン・ギャバンというフランスではチョー有名な俳優の名前を思い出そうとして、 「ほら、きみ、あのジャガイモみたいな顔の男だよ、なんて言ったっけ、あの、ハサミを落としたみたいな名前の俳優」と言ったそうで、 ジャン・ギャバンを「ハサミを落とした音」と感覚しているところだけで、もう、谷崎潤一郎にとって言語というものがどういうものであったかわかる(^^) 谷崎潤一郎は、ニセ関西人を志した。 ニセガイジンを志した大庭亀夫みたいだが、ニセガイジンと言われるやニセガイジンらしくふるまって、日本の人が国民的な持病である集団サディズムの姿を顕したのをみて、けけけけ、と笑って喜ぶという、底意地の悪い、徹頭徹尾アホなひとびとをおちょくることしか考えていない悪人大庭亀夫に較べて、谷崎には「言語の真実性」という深刻な問題があったのだと思われる。 谷崎潤一郎は、本人があからさまに述べたことはないと思うが、関西語にしか言語としての真実性、というのが曖昧でわかりにくければ日本の現実の事象をあますことなく表現できるだけの言語としての性能を認められなかったのではないか、と思う。 標準語が欠陥言語であることを谷崎はよく知っていた。 標準語散文の名手と言われた志賀直哉の小説をいくつか読んで思うのは、「このひとはひょっとすると標準語で表現できることしか題材に選ばなかったのではないか」という重要な疑問である。 書かれたものがばりばりの私小説で、そこから一歩も出ようとしなかったことのほんとうの理由も、そういうことなのではないか、と疑える。 私小説にしておけば標準日本語では説明しにくいことは説明しないですませてしまえばいいからです。 志賀直哉はあとで「日本語なんかやめてフランス語にしちまえば」と述べて日本語世界を驚倒させた。 根っからの愛国者が多い日本では、誰もが、反駁したケーハク評論家丸谷才一や三島由紀夫の意見にいちもにもなく頷いたが、志賀直哉のほうが丸谷才一や三島由紀夫よりも遙かに日本語が上手だった、という事実について、もう少し日本の人は思いをいたしたほうがよかったような気がする。 志賀直哉は「日本の標準語では表現できないこと」の広汎さを熟知していたと推測するほうが普通である。 日本語世界で丸谷才一が評価される理由というものが判らないのでここでは何も述べない。 三島由紀夫は志賀直哉が表現を避け、夏目漱石がばんばん新語を量産する方法で対処した問題に「死語」「硬直化して使われなくなった表現」を大量に採用することで乗り切ろうとした。 もともとドナルド・キーン先生によれば、ソメイヨシノを知らずにキーン先生に訊いて、「ああ、これがソメイヨシノか」と言ったというひとである。 三島由紀夫の生涯で語られる逸話は、どれも、三島由紀夫が現実からまったく乖離した「観念の人」であった、現実の認識が極端に苦手なタイプであったことを教えてくれる。 軽く自然にふるまう、ということが最低の条件であるアメリカのカクテルパーティで、三島由紀夫がいかに孤独な来客であったかは、いくつかの証言がある。 … Continue reading

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日本の古典_その5鮎川信夫

見知らぬ美しい少年が わたしの母の手をひいて 明るい海岸のボートへ連れ去っていった というのは鮎川信夫が1948年に書いた「秋のオード」の初めの三行である。 堀田善衛の「若き日の詩人たちの肖像」に出てくる「良き調和の翳」とは鮎川信夫のことだが、当時、早稲田大学の学生だった鮎川への友人達の表現は定まっていて「初めからおとな」「出だしから完成されている」というようなものだった。 書くものの情緒が時代に寄り添いすぎていたために言葉を微調整しながら読むのが難しいが天才詩人であった牧野虚太郎ややはり突出してすぐれた詩を書いた森川義信が安心して詩を書けたのは(牧野と森川は戦死してしまうが)この戦後に「荒地」という重要な現代詩の同人に育ってゆくグループの中心に鮎川信夫という批評精神が立っていたからだと思われる。 初期の鮎川信夫の詩を読むと鮎川信夫自身、田村隆一ほど巧みではないかもしれないが(詩の世界では「巧妙である」ということは重要なことである)すぐれた詩人であって、しかも後年の印象とは異なって、もともとは抒情詩人としての資質にすぐれた人だった。 17、8歳の頃の詩だと思うが、「寒帯」という詩には 「あおく、つめたく…. 青い魚が跳ねると 沼の静けさが、かへってきた」 という詩句がある。 沈黙のひろがりのなかで一瞬するどく輝きながら跳躍して反転するものを見る、というのは鮎川信夫の基本的な感覚のひとつで、鮎川の目のなかでは世界に生起する事象というものが、すべからくそのようなものとして見えていたに違いない。 田村隆一は詩で重要なこととして「patheticであること」を挙げているが、文章のなかにおいてみると、実はこれは英語の用法としてヘンで、田村隆一が意図したことを意味しないが、(多分、田村隆一が生きている間は、この巨大な詩才をもった詩人に遠慮してまわりの英語人たちは田村の数多い英語の謬りを指摘しなかったのではないだろうか)しかし意味をくみとれば、やや高みに浮いた観念の息苦しい悲壮さ、というようなつもりだったのだろうと思われる。 田村隆一は、その感情をあらわすために高い、よく出来た金管楽器のような透き通る音をもったが、鮎川信夫は、もっと低い、しかし稠密な音色をもっていた。 抒情詩人の抒情を破壊して、鮎川信夫が一種の「破壊された情緒」を身につけて詩の中へ帰ってきたのは鮎川が徴兵されて、スマトラ島の戦線に送られ、傷病兵として帰還したあとのことだった。 詩人とは不思議な種族である。 詩人は、どんなに良い詩を書いても詩を書くことによっては暮らせないことを知っている。 戦後の日本では「プロフェッショナルの詩人」ということになれば、谷川俊太郎と吉増剛造と田村隆一の3人のみが挙げられるが、谷川俊太郎はコピーライターと作詞家、詩人、という遠目には似てみえなくもない三つの職業をうまくひとつの職業のようにみせることによって自分が生活するに足るだけの収入をつくっていった。 田村隆一は「詩人」として雑誌グラビアに自分のヌード写真を売った初めてのひとである(^^) このひとは「詩人」という職業名の光輝を、どのように世間に売っていけば収入に変わるかよく知っていた。 一種、古代ギリシャの哲学者のような渡世ができたひとだった。 吉増剛造のみが真に、直截に「詩人」として生きようとしたが、そのことにどういう意味があったのか、ここでは述べない。 いずれ吉増剛造の詩について述べるときに、書いてゆくことができると思います。 詩人にとっては詩に没頭すればするだけ、生活はできなくなってゆくわけで、それでも、良い詩を書くために午後の約束も放擲して詩人が机に向かうのは、うまく言葉が言葉をつれてきて、自律的に運動をはじめ、自分の思考というようなものは停止して、魂が中空に浮かんで危ういバランスを保ちながら浮いているような、あの感覚がなくなれば退屈で死んでしまうしかない、と感じるからである。 鮎川信夫は後世の評価である「鋭利な文明批評家」であるよりも、遙かに、本質的に詩人だった。 しかも、日本の近代史のなかでは稀な、絶望しきった魂をもつ詩人だった。 晩年、鮎川信夫のファンたちを悲嘆の底に蹴り落とした「戸塚ヨットスクール称賛事件」は、要するに、鮎川がついぞ人間の世界に希望をみいだしたことがなかった、ということの当然の帰結にしかすぎない。 鮎川信夫の魂のなかにあっては暴力と非暴力どころか、死と生すら境界をはぎとられて、ひとつの結界に同居するふたつの相似のものにしかすぎなかった。 口にはだせなかったものの、当時のひとのなかでは、鮎川の長屋の家へたびたびやってきては何時間も陰気な顔をして黙って正座して座っていて、じっと鮎川が原稿を書くのを眺めていては、また黙って帰っていったという、「遅れてきた兵士」であった、吉本隆明だけがその機微をしっていたでしょう。 「この病院船の磁針がきみらを導いてくれる」と船長は言う、 だが何処へ? ヨオロッパでもアジアでもない 幻影のなかの島嶼…….. という「病院船」の一節は文明批評というより鮎川信夫というデッドパン(deadpan)ジョークの一片だが、この詩が書かれた戦後直ぐの日本人よりも、いまの日本人のほうが広汎に詩句の意味を理解できるはずである。 あるいは、 姉さん! 餓え渇き卑しい顔をして 生きねばならぬこの賭はわたしの負けだ 死にそこないのわたしは 明日の夕陽を背にしてどうしたらよいのだろう … Continue reading

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