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空飛ぶ会社たち

「180度にはなりませんが178度くらいまでにはなります」というので笑ってしまった。 ニュージーランドから欧州まではどういうルートを通ってもだいたい24時間かかる。 現行の旅客機でもっとも長距離を一気に飛行するのはシンガポールからニューヨークまで20時間弱をとぶ燃料タンクを特別に増設したA380であるはずで、これから考えてわかるとおり、どうやって飛んでも1回どこかで乗り換えなければならない。 むかしはどうしていたかというと成田かシンガポールで乗り換えていた。 成田で乗り換えれば鎌倉ばーちゃんの家に寄っていく楽しみがあったし、シンガポール政府は「ストップオーバー観光事業」にむかしから熱心で、たしか11泊までだと思ったが欧州からシンガポールに寄って周辺国に乗り継いでいくひとに、街の主だったホテルと空港をむすぶただのシャトルを運行して、その上ホテルの料金を半額以下にしている。 この政府が補助金を出して行っている観光事業は大成功で、シンガポールのようにもともと日本のような国に較べれば観光資源に極端に乏しい国が観光大国になっていったのは、このシンガポール政府が推し進めた「ストップオーバー・プラン」のせいだと思う。 いつごろからやっているのか知らないが、わしが物心ついたころはもうやっていたから、90年代の初頭からは確実にやっていたことになる。 他にはエミレットでドバイ経由で往復する、というのも人気があって、エミレットはシンガポール航空と並んで飛行機が新しいので有名な上に自社のラウンジが豪華なので名前が売れている。 ビジネスクラス以上だとエミレットのクルマが家まで迎えに来てくれるので、時間を心配していらいらしながら空港タクシーを待たなくてもよい、という点でも人気がある。 欧州へは距離が遠いニュージーランドからドバイまでがビジネスクラスでドバイから欧州各国まではエコノミークラスという「混合クラス」のパッケージがあったりしてマーケティングが柔軟なのも、この会社の特徴であると思う。 他に香港経由のキャセイ航空や、台北経由の中華航空、韓国を経由する大韓航空というのもあるが、羽田から台北までの短い距離を乗った中華航空の他は自分でも乗ったことがないし友達にも乗ったことがある人がないのでわからない。 欧州系のエアバスの操縦系統が動きの軽いジョイスティックだった頃には「アジア系のパイロットは失敗したときにパニックに陥ってスティックをおおきく引いてしまうので危ない」とまことしやかに言われていた。 名古屋で着陸直前に墜落した旅客機の原因はそれだ、副操縦士がパニクってジョイスティックをおおきく引いたので失速したのだと言われていたが、失速墜落は事実でも、話の真贋は判らない。 台湾の中華航空も羽田から出て便利だと言うので子供の頃の日本滞在中に台北のコンピュータショーを観に行ったことがあったが、復路にやたらと英語が上手な日本人の商社社員のおじちゃんが隣に座っていて、「そろそろなんだよねえ」という。 「なにが『そろそろ』なんですか?」と聞くと 「この会社の飛行機は定期的に墜落するんだけど、だいたいまた落ちるころなんだよね」というので閉口したことがある。 なんだか、楽しそうな口調だったのは、いっちょう外国人のガキを脅かしてやれ、というつもりだったのだろう。 しかし、このおっちゃんは羽田でパスポートコントロールの列にならぶときに、 「おい、外国人はそっちの列じゃない」と言いながら、空港セキュリティのじいちゃんが、なにをおもったかわしの肩を突き飛ばしたのを見とがめて、子供に向かってなんてことをするんだ、おまえはそれでも人間か、第一、日本人として恥ずかしいとおもわないのか、と猛烈に抗議してくれた。 いまでも激昂して、制服の、多分元警官かなにかではなかろーか、妙に威張りくさった警備じーさんを大声で叱責していたおっちゃんのカッコイイ姿を思い出す。 航空会社はおもしろいもので、会社の性格もあるが「お国柄」というべきものがあらわれる。 わしはむかしから、どうやら欧州人や日本人に限らず当のアメリカ人自身にもたいそう評判が悪いらしいユナイテッドやデルタというようなアメリカの航空会社の、投げやりというか、「安い給料で、この仕事やってんだから、くだらないことをガタガタ言うんじゃねーよ」スタイルの、どういえばいいか、サンダル履きでやっている感じのアメリカの航空会社の乗務員が好きで、スーパーマーケットの店員というか、やってられんわこんなの、という内心の声がひしひしと聞こえる割には、親切で、海外線で酒ばかり飲んでいたらめんどくさがって、これ残ってるの全部だからみんなまとめて置いていくわ、と述べてウイスキーのミニチュアボトルを大量にくれたり、サンドイッチがファーストクラスの3分の1しかないなあー、エコノミーはわびしいのお、と思っていると、食べたあとでもお腹が空いているのが明然と顔に出ていたのか、ファーストクラスの余ったサンドイッチをもってきてくれたりして、いやしいわしとしては、主に大学生時代に集中したこの種の厚意を忘れるわけにはいかない。 ニュージーランド航空は飛行機に乗り込むといきなりそこはニュージーランドで、北島や南島の訛のニュージーランド英語が飛び交って、ニュージーランド人特有の「無茶苦茶元気」な感じが飛行機のなかに充満している。 ニュージーランド航空の座席は、フルフラットになるシートにはオットマンが付いているが、ひとりで乗っていると、忙しい仕事のあいまに、わし席にやってきてオットマンに腰掛けて、ジムはどこに行ってるんだとか、タマキドライブはジョギングするのに気持ちいいよね、とか、「友達ぽい」という表現がぴったりのリラックスしたサービスの態度で、大好きである。 福島事故があったりして、放射能が怖いのと、乗客がどんどん少なくなるにつれてボーイング777のようなフルフラットシートがある機種は他の中国線やなんかに配置替えになって、どこで飛ばしてたんだこんなの、と言いたくなるような古い767になって、シートもビジネスクラス(ニュージーランド航空はファーストクラスはない便がほとんど)でも、フルフラットシートはおろか、半分くらいしかリクライニングしない「ただのでかいエコノミーシート」で、食事も何もすべて格下げになった上に、聞くところによると、最近では到頭名古屋線と成田線、関西線と成田線が統合されて、名古屋からニュージーランドに向かおうと思っても直行便はなくなって成田までいったんいかなければならないし、成田から乗るといちど関西空港に連れて行かれると言う人もいた。 日本とニュージーランドのあいだは廃線寸前にも思えて、残念な感じがする。 わしは身体がでかいので、というか、縦に長いので、ビンボ学生の頃からいざ飛行機に乗り込むと、エコノミーの航空券でも空いていればビジネスクラスに替わらせてもらって、「ニセビジネス客」に化けおおせることが多かった。 そうでなければ非常口の横にある席で、この席は前がどおおおーんと空いているので、楽である。 いま書いていて思いだしたが、旧型のジャンボジェットは、この席の横にキッチンがあるつくりで、ワゴンをスチュワーデスばーちゃんが押し出した途端に飛行機が300メートル落下したとかで、どおおおーんと落ちて、食べ物のはいったワゴンがジャンプしてとびかかってきたことがあった。 わしは身体がでかい割にリスのように敏捷であるから両足をあげてワゴンを空中で撃退してことなきをえたが、ばーちゃんは、何を思っていたのかいまでも不明で、なんとなく不服そうな顔だった。 あるいはワカモノが自分の生命を犠牲にして食べ物のはいったワゴンを守るどころか、あろうことか、自分が怪我をしないために食べ物を足蹴にしたのが不満だったのかもしれません(^^; 冒頭の「180度にはなりませんが178度くらいまでにはなります」は、タイ航空のひとの自社のシートに対する説明で、欧州にもどるついでにバンコクに用事があるので、寄っていきたいが、そういう要件があるときにたいてい使うシンガポール航空の適当な便がシドニー経由しかなくて、すると、オークランド→シドニー→シンガポール→バンコク→シンガポール→ローマというチョーややこしい乗り換えになる上に、航空料金が高くてケチをもって南海になりひびくわしの神経に障る、シンガポール航空はファーストクラスとビジネスクラスを厳重に区別する航空会社のひとつで、いつも黙ってにこにこしてビジネスクラスに文句をいわずに乗ってくれているとは言っても、子供の時からチャーターで借り上げたジェット機かファーストクラスしか乗ったことがないモニさんに気の毒な感じがする上に、このあいだあったときのようにモニかーちゃんに「モニもあなたと結婚してからは世間のことに詳しくなったようだ」とこわいことを言われた直後でもあって、そうするとファーストクラスが存在しないオークランド・シドニー間以外はファーストクラスになるが、今回の旅行ではコモ湖で他のひとびとと合流するまでモニとわしと小さい人と小さい人の面倒を見てくれる人の最小編成の旅行だとは言っても、ぐわあああああああな出費で、調べてみるとタイ航空ならローマに着いてミラノから帰ってこられるうえにシンガポール航空に較べて全然安いので、タイ航空でくることにした。 タイ航空は前に2回乗ったことがあって、一度はたしか東京遠征中に成田からチェンマイに行き、もう一度はたしかシンガポールからのサイドトリップでプーケに行ったのだと思う。 予約するときにカレーが選べるのでマサマンカレーにしたら美味かった、というのがいつもいやしいわしの第一印象で、あと、タイの人の国民性で、「ものが頼みやすい」というか、こっちで「頼みたいなあ」と思った瞬間にはもう気配を察して横に立っているというお庭番のごとき鋭い察知能力で、こんなに女のひとびとが他人の気配を察するのに長けているとタイ人の男はみな、すべからくダメダメダメなのではあるまいか、そうゆえば年長の友人である古茶(@kochasaeng)の奥さんはタイの上流社会出身だったなああ、そーか、ふふふ、と余計なことを考えてしまう。 欠点は出発が遅れることだが、わしはなにしろおぼえているだけで4回飛行機がわしを置いていってしまうという航空会社の暴戻に遭遇しているので、30分や40分の遅れなどかえって好都合である。 第一、パキスタン人のHの帰省の話を聴いていたら、パキスタン航空などは「四日遅れる」と言って、たいした遅れじゃないけど、ちょっと遅れすぎるよなあ、と嘆いていたが30分程度遅れるくらいは誤差の範囲というべきか、どうでもいいことである。 他に欠点と言えばラウンジがボロイ(タイ航空の人ごめんなさい)ことと機内のワインの種類がとっても少ない、備え付けのヘッドフォンがノイズキャンセリングでない、というようなマイナーなことばかりで、再び言うとタイの人の国民性で、快適だったのを思い出してタイ航空でくることにした。 航空会社は競争が厳しいのでさまざまな工夫を凝らして、わしガキの頃に較べると飛躍的にサービスが向上した業界と思う。 ヴァージンなどは航空業界に、おおげさに言えば革命をもたらしたので、本人がブリストル405を好んで運転するブランソンのセンスを発揮して、というのは冗談だが、機体などは思い切り古い中古機体にして、その代わり、食事やサービスにたくさんカネをかけることにした。 わしが大好きな、LEDリーディングライトがあり座席がフルフラットになって眠るときには半個室のようになるチョー賢いデザインのニュージーランド航空のシートは、もともとはヴァージンがデザインしたものである。 … Continue reading

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でかけるまえに

人間の一生などは運であると思う。 そう言うと年長の友人たちは「ガメはヘンな奴だ。人間には2種類しかいない。 愚か者と賢明な人間だ。人間の一生には『運』などというものはない。他人よりも優れた人間が勝ち残るというだけのことではないか」という。 こういうおっちゃんたちには、実際、「おれは知恵で勝ったのだ」というだけの実績があって、投資先で予測できなかった戦争が起ころうが、地震があろうが、投資上の巨人たちが動き出して市場が滅茶苦茶になろうが、大混乱のなかから姿を現したときにはちゃんと成果を手にしている。 自分はどうかというと、なんだかいつもテキトーで、大本教の出口なおみたいなことばかり言っていて、自分のために仕事をしてくれるひとたちを戸惑わせたり、混乱させたりする。 自慢すると、わしの仕事上の「武器」は想像力である。 自分には「相手の考えていることが手にとるように判る」という特殊な才能があるようだ、と考えるようになったのは、ある香港人のおっちゃんを相手に仕事上の争闘をしたときだった。 詳しいことは下品だから書かないが、このおっちゃんはたちの悪いひとに首根っこを掴まれていた。 ビジネスや投資の世界ではよくあることで、ビジネスなどはどうしても人間と人間ががやることなので相手の人格が大事になる。 だからチョーひきこもりのガメ・オベールといえど、えっこらせ、と出かけていって相手を観察する。 「多少、人間に問題があっても優秀なんだからいいや」というのは墓穴を掘る早道であって、たいてい思わぬ齟齬が出袋して事業ごと、たか転びに転ぶ。 途中になって「自分の取り分が少ない」とか奇妙なことを言い出したり、利益がおおきいので自分だけで独占したい、と考え出す。 だから人間に問題がありそうな相手とは初めから何もしないのがいちばんいい。 こんなのとやってもしょうがないな、と考えた相手は、そのときは羽振りが良くても、3年くらい経って、「あのひとはどうしてるかなあー」と思って調べると、たいてい、ヘンな人と付き合っている。 ビジネスや投資は面白いもので、時間が経ってゆくと、似たもの同士、というか、狡い人は狡い人同士、人格が低劣な人は低劣な人同士、悪党は悪党同士で、肩を寄せ合うように、ならばいいが、お互いに牙をむきあって、しかし、それでも同じ共同体のなかでキャリアを全うするもののよーである(^^ ところが悪党というものは悪いことをすることにかけては、どこまでも頭がよく回るもので、判りやすい例に翻訳すれば、人柄がよく、仕事が出来て、実際ある程度まではうまくいって「業界」での信用を獲得した社長たちを借金でくびがまわらないようにさせて、このひとたちを使う。 なんだか演歌みたい、というか、こういう人格にすぐれた社長たちは「心の中で詫びながら」騙しにかかる人間たちの「看板」になるので、人間の良し悪しの観察などはいくらやっても、なにしろ後ろに立ってるのが悪魔そのもののような人間なので、ムダなのです。 シアワセなひと、というのはどこにでもいて、「それは零細なビジネスの世界をいっているので、一流企業というのはそんなことはありませんよ」などと言ってすましているが、それは、平たく言ってしまえば会社の経営に預からない「あんまし偉くないひと」だから、そういう平和な考えで生活していけるので、世の中の表面に出てきたものを、いま咄嗟に思い浮かべて述べれば、たとえばフォルクスワーゲンがロールスロイスを買収したときには、クルマ業界人は、その隠密裡に交渉をすすめてまとめあげた鮮やかな手並みに喝采をしたものだった。 ところが世の中には不思議なことがあるもので、そのしばらく後に、今度はフォルクスワーゲンと買収競争をして負けたはずのBMWがロールスロイスの買収を発表した。 タネを明かせば、フォルクスワーゲンはロールスロイスの、長い間投資されておらず、古色蒼然、いまでは使い途がなくなっていたロールスロイス社の自動車部門の「実質」を買わされていたので、なんとロールスロイス社は自動車部門の「実質」と名前を分離する、という手品のような契約書をつくって、実質よりは遙かに価値があるロールスロイスのエンブレムや名前はBMWに売っていたのだった。 その後表面を糊塗するために両者は話しあって表面上はなんとなくまともな取引にみえるように事実を改竄することになったが、 言うまでもなくフォルクスワーゲン社は大損害で、体面もなにもない大恥だった。 そのくらいのことはビジネスの世界ではいくらでもある。 投資の世界になると、当然というか、お話はもっとすごくなって、30階建てのビルの売買契約書をよく読むとリフト(エレベータ)の使用権が別売りになっている(^^; ビルを取り巻いているプロムナードの使用権が他の投資会社に売られている。 終いにはビルの高さが実測値と異なったりする。 なんだか子供のだましあいのようだが、子供のだましあいはチョコレートがかかっているのに過ぎないが、いいとしこいた子供のだましあいのほうは、数十億円、数百億円がかかっているので、滑稽は滑稽でも、だまされて笑ってすます、というわけにはいかない点が異なる。 相手になりきって「こういうときに、あの手の悪党のおっちゃんなら何を考えて、どういう手を打ってくるだろうか」と考えてみれば、しかし、そこが悪党というもののマヌケなところで、欲に駆られているぶんだけやることが見え透いているので、次にやってくると判っている路地に立って、「そんなことを考えてもムダだよ」と伝えてやることが出来る。 どんなに相手が知恵をしぼっても、先回りして相手がやってくるところに立っていられるのは当たり前で、冷菜凍死家の才能とはそういうものである。 せめて、そのくらい才能がないと、やっていても面白くないし、第一オカネがなくなって破滅してしまうが、しかし、そんなことも些事にすぎないには違いなくて、人間の一生を全体として眺めれば、やはり運なのではないかと思う。 自分が結婚した相手で、いつも側にいるのに、こういうことを言うのはヘンな人だが、モニさんはこれを書いている言語をまったく読めないので、なんとなく言ってしまっても良いことにすると、モニのようにものすごい美人に生まれてしまうと、それだけで普通の一生とはだいぶん異なってしまうのではなかろうか。 モニと結婚して面白かったのは、みなが見ていないふりをしながらちらちらこちらを見ていることが多かったことで、なんだか無暗にでかくて、ぬぼおー、として間の抜けたにーちゃんを見ても面白いわけはないから、やはり皆がモニを盗みみているのである。 はなはだしきに至っては、キッチンのできあがった料理をならべるカウンタから、こっそりレストランのシェフがカメラでモニの写真を撮っている。 気が付いて、「ぶ」という顔をして睨むマネをすると、バツが悪そうににっこり笑って手をふっている。 パーティで不用意にモニにあったひとは、いいとしこいて、声が上ずってしまって、大慌てで自分が有名な大学の教授であることを述べて、奥さんを紹介するのもすっかりぶち忘れて、紹介すらされないまま横に立っている奥さんに、すごい顔でにらまれているのに、まったく気がつきもしないで、自分の知性と社会的地位の宣伝を「それとなく」していたりする。 横で見ていて美人に生まれるというのは、なんというくたびれることだろう、と考えるが、本人はなれたもので、ふつうにしている。 美人ばかりがちやほやされて不公平といえば不公平だが、しかし、世の中というものは不公平なものなのである。 木に触りながら言うと、わしは生まれてからずっと運がよかった。 それを認めなければ神様とゆえどぶちむくれて、「きみはヨブの話を聞いたことがある?」とか怖いことを言い出しそうなので、慌てて神様にお礼を述べておく。 難病や大病を患ったひとは、一般に「自分にどこか悪いところがあったから病気になったのだ」と考える。 … Continue reading

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返信3号

この数日、海は大時化で荒れてばかりだし、大雨は降るしで外に遊びに行かれなくてつまらない。 おまけに家のなかのひとはモニさんも小さい人も家を手伝ってくれるひとびとまで、みな風邪で、具合がわるいようだ。 元気なのは、わしひとりで「賢人は風邪をひかない」という諺は、ほんとうなのであると思われる。 ちょっとさぼっていたら、いきなり瓦解して、全然なにも読めひんやんというところまで落ちぶれていた日本語能力は復活して、本をちゃんと読めるところまではいかないが、短い文はちゃんととばさないで読めるようになったし、書く方は読むよりも常に楽なので、このくらい恢復すれば、日本戦後史くらいはでっちあげられそうな気がする。 書かないけど。 もう十全事業の日本文化征服計画に乗り出してから長いので、このもともとはゲームブログの初めからの読者のひとをふくめて、ガメ・オベールなるヘンタイな人と付き合うには、通常の10倍は忍耐心がないと付き合えないのを古いお友達はみな知っている。 自分で考えても、ツイッタで返事するのがめんどくさいとブロックしてしまうとか、コメントは、元記事よりも遙かにすぐれたものが多いのに、返信も書かないでほうっぽらかしであるとか、とんでもないというか、相変わらず無茶苦茶で、普通はこういう場合は「忙しかったので、すみません」と言い訳することになっているが、自他ともに認めるプーなので、忙しかったわけではありません。 コメントの返信をこれから書こうと思うが、新しいほうから書いていって、くたびれたら、そこでやめると思う。 この記事は返信だけなので、ふつーの人は読んでもおもろくないと思う。 *Rayどん、(黄土の影をめざして) https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/04/22/黄土の影めざして/ >ガメが禅のことをケーハクと言うのは、このことと関係してるのかな。 いや、あんまり関係がない。 禅については、そのうち記事にして書くと思いまする *megさん (明日のための移民講座その3) https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/04/20/明日のための移民講座(その3)/ >自分は今年の7月の参議院選挙が終わったら、もう海外移住は難しいんじゃないかと悲観しています。 もうすでに、今月から送金は厳しい状況ですが、海外への資金移動も渡航も、7月からは大幅な制限が加わって、若い人達は逃げられなくなるんじゃないかと予想しています。 日本は文明国であるはずなので、露骨な資金移動制限はできないはずだが、心配は理解できる。日本のひとの頭にはなかなか浮かばないようだが、それとは別に、留学にしても移住にしても、たとえばアメリカでいうと我が友josicoはん(@josico)がH1-Bビザが、5日で埋まってしまったと述べている。3年前は9月でも空いていたそうなので、移住熱、というか、ごく少数の国に人が集住する傾向は激化しているよーである。 ほんとはばらしちゃいけないのかも知れないが、留学にしても地域やグループ別にゲタや逆ゲタがあるのは常識で、中国の人や韓国の人がどんどん入ってくるので「東アジア人枠」は相当難しくなっているはずと思う。 オーストラリアやニュージーランドに至っては、もともと人口が少ないので、移民が一定数を超えると社会の側からの「いいかげんにするべ」圧力が強くなる。 特に異なる文化圏の移民は目立つので、「移民反対」を謳うバカ政党が突如支持率1位になったりする過去の苦い経験に鑑みて、移民コントロールが重大な政府の役割であるのは暗黙の了解になっている。 ニュージーランドで言えば、特にマオリ人が、自分達よりも東アジア人のほうが増えることを警戒して、内々の場では「もうアジア人はいらん」と声を強めていうようになってきた。 そういう「受けいれ側からの抵抗」の値もだんだん高くなってくるように見えます。 *tetsujinさま、(黄土の影をめざして) https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/04/22/黄土の影めざして/ このあいだから紀伊國屋書店の電子書籍店「Kinoppy」(なんという剽軽な名前だろう)で鉄人28号の販売が始まって、日本陸軍の最終兵器を研究中のわしは、全巻購入してしまった。お名前を見て、一瞬、鉄人がお礼を述べにきたのかと思いました。 >たくさんの記事を読みました。2008年や2009年のものも、もっと前の1970の表示があるものも、手当たり次第に開いては読んで、止まらなくなってしまった。 このブログ記事は、たいした理由もなく、めんどくさくなると削除していなくなるというとんでもないブログなので、「1970」とタイムスタンプがあるのは、多分はてなに載っけていた分で、バグで、1970年になっている。直そうとおもえば直せるが、なんとなくカッコイイので、そのままにしてありますw >やらなければいけない仕事があるのに。毎日、あっちこっち開いては読みふけっています。ガメ殿と関心が重なっているようだ。異論はほとんどない。 それは気の毒、というか、「tetsujin」さんは、危ない人なのではなかろーか(^^; わしはチョー危険思想の持ち主なので、そのうち神様が軍団を率いて攻めてくるのではないかと思っている。 あのひとの軍団はローテクなので、わしのハイテク装備に勝てるわけはないが、備えあれば憂いなし、銃のキャビネットのなかのライフルをときどき磨いておりまする。 あと、スリングショットも。 >「「インチキだけど信じている」日本のひとの不思議な信念の合唱が聞こえてくる。(November 20, 2009)」 これを、一般的に、というか日本人の特殊性としてではなく、人間の認知と行動の一つのありようとして、説明する、ということは私の関心でもあります。 日本語で書いているので、なんでもかんでも日本のことにしてありますが、仰る通りで、これも日本人に特殊な心性ではない。 人間の価値のなかには、人間がほんとうは信じていないものがたくさんある。 このことについては、まだたくさん考えることがあるので、これからも繰り返し記事に出てくると思います。 … Continue reading

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黄土の影めざして

中国で「何か」が起きているのはニュージーランドやオーストラリアに住んでいると普通にわかる。 ものすごい勢いで中国のオカネが流入してくるからで、この2年ほどずっと続いている。 わしが住んでいる家のまわりでも5ミリオン(4億2千万円)というような家が売りに出されて3日で売れてしまう。 5ミリオンでも8ミリオンでも家なのだから普通でも売れるには売れるが、3日で売れるのは普通とは言えない。 知り合いの不動産会社のおっちゃんに聞いてみるとチューゴクの人、ということだった。 最近はやや下火になってきたと思うがイギリス圏には「ビジネスブローカー」という商売がある。 あるひとが身ひとつで「逸風堂」なるラーメン屋を始めて、だんだん名前が知れ渡ってくる。 売れるようになって支店をつくり、支店をつくるという、どんなレストランにとっても経営上の最も難しい試練のひとつもうまくこなして押しもおされもせぬ名前の「銘店」となりマンハッタンのユニオンスクエアの近くにまで店を出して、ここでも流行する。 するとたとえばニュージーランド人が店を始めたのだとすると、往々にして、この「逸風堂」そのものを名前から取引先とのつながりからいっさいがっさいひっくるめて第三者に売ってしまう。 本人はたいてい地中海やなんかに別荘を買って遊びほうけて暮らします。 日本でも1993年だかに営業権の売買が認められたはずで、うろおぼえだが信用組合系のベンチャーキャピタルだかなんだかビジネスブローカーをしているはずだが、なぜかうまくいっていない。 歴史がないからかもしれないし、「名前を買う」のがピンとこないのかもしれない。 あちこちの国の、このビジネスブローカーのおっちゃんたちと話をしていると、この分野でも中国人の買い手が圧倒的だそうです。 オークランドのCBD(Central Business District)に「That’s Amore」 (それが愛なのよ)という有名なピザ屋があるが、このあいだ出かけてみると、店内が妙にこざっぱりして東銀座の裏通りのピザ屋っぽくなっている。 ウエイトレスや厨房もアジアの人である。 味はまあまあ変わっていないが、やや突出した「えぐい」感じが減少して公約数ぽくなっている。 イタリア人の友達と会ったときに、「That’s Amore」の話をしたら、「ああ、あのXXはオーストラリアに行ったのよ」と、さすがはコミュニティサイズの小さなイタリア人たちで、なにがどうなったか詳細に知っていた。 ピザ作りが上手な陽気なイタリア人おっちゃんXXは、やはり中国の人たちにビジネス全体を売ったのだという。 あるいはシンガポール人たちがやってきて、「中国からやってきた大旦那」たちがいかに景気がいいか話をしている。 経営投資の話をしているのに、不動産をみせろとあまりにうるさいのでセントーサの新しい豪華マンションをみせた。 いくらだ?と聞くので、「40ミル」(320億円)というと、目をまるくしている。 いくら中国が儲かっていると言っても、さすがにびっくりしちゃったでしょ、ふっふっふ、と思っていたら、「安い! そんなに安いんだったら、娘のぶんとふたつ買いたいから世話してくれ」と言われたそーである。 しかし、この話をしたシンガポール人のAも、「あれは、儲かっているというより脱出準備、とかそういう感じだよね」と述べていた。 なんだか、とにかく、なんでもいいから国の外にカネを逃がしたいという感じだった。 飽きもせずにもうひとつ例を挙げると、ラスベガスとフェニックスは不動産市場がいったん瓦解したので世界中から「住居用不動産投資」のひとびとが群がっている。 全体に価格が3/10くらいになって、一億円の家は3000万円、もともとが3000万円の家は、どうかすると600万円とかで売りに出されるので、「お買い得」なのね。 わしもモニとおもしろがって出かけたのはこのブログ記事にも書いた https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/08/03/up-2-u/ ラスベガスは、狭義の都市人口だけをみていると気が付かないが、ラスベガス郊外を含めると、なにしろ1980年代には30万人しかなかった人口がいまは250万人あるという人口爆発が起きた都市圏なので、ほんの少しの人口変動が巨大な市場変化を生み出してしまう。 ところがこのタイプの変化では家賃は不動産価格ほど変動しないのが常なので、こういう場所には必ずオカネもちが「わっ」と群がる。 モニとわしは、いたあいだがたまたま無茶苦茶暑かった(摂氏46度)ので、ちょっとくらい見て歩こうかなあー、と思っていた気持ちもどっかへ行ってしまって、あまりのコンジョのなさに呼んであったアメリカ人不動産会社シャチョーの友達も笑っていたが、この夫婦によると、やはり中国のひとびとが、どわあああああ、と高級住宅を買い占めていったそうでした。 中国では何が起きているのだろう? と考える。 レポートを読んで推測がつくことはあるが、ここに書くことではないし、 なんだかレポートからわかること以上のことが潜在しているような気がする。 こういうことは日本語でしか書けないが、繁栄への反応として何かがひどく「不自然」であるようにみえる。 … Continue reading

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十年

1 その頃のぼくの財布にはしわくちゃの紙幣が二枚とギターピックと、なんだかくしゃくしゃになったままいつも取り出すのを忘れてそこにある、中国人夫婦がやっているベーカリーのステーキパイのレシートがはいっていて、Salif KeitaやCesaria Evora、そうかと思うとAudioslaveが入っていたりするキチガイみたいなiPodが反対側のジーンズのポケットに入っていた。 世界のことなど、どうでもよかった。 ぼくはぼくの一生だけで手いっぱいで、太陽がのぼればベッドをぬけだしてでかけ、人にあって質問を投げかけられれば機知に満ちたとまではいかなくても、せめて誠実で正しい言葉で答えようとする自分に嫌気がさしていた。 週末になれば頭がつかえそうな地下のワインセラーを改造したクラブにでかけて、豊胸手術でリズムだけを肥大させた(性的に誇張された花嫁のような)音楽で踊り狂った。 たいていは名前もよくおぼえていない女の子たちと土曜日のベッドのなかで眼をさました。 ぼくは20歳だった。 無軌道で滅茶苦茶で世界が大嫌いなのにいつも上機嫌な完璧な暴力のかたまりで、議論で言い負かすよりも相手の入れ墨だらけの皮膚の下で骨格が耐えきれずに折れる鈍い音を聴くほうがずっと好きだった。 2 若いということはなんという怖ろしいことだろう。 きみの行く手にはどんなふうにでもきみを呑み込んでゆける無限に似た「未来の時間」があって、太陽は南中の位置にあるのに、空は暗くて遠くはいつでもかすんでいて良く見えはしない。 瞋恚の炎が胸に燃えさかっているのに、きみにはどうしても自分がほんとうは何に怒っているのか理解できはしない。 きのうまでまるで聖母を慕う気持ちで愛していた女のひとが声を枯らして呻きをあげ汗にまみれてただ形が美しいだけの惨めな肉体に変わり果てたのをみて神を呪っている。 20歳という年齢は「薄汚い子供」である年齢でもある。 毎日はてしもなく増殖する物語には始まりがあるだけで終わりがなく、きみをいっそう苛立たせる。 人間が積み重ねた叡知を足で蹴って壊してしまいたくなる。 両手で耳をおおい叫び声をあげてみればどうか。 あるいは裸でベッドの脇に立って怒りと嫉妬に狂気した女びとに拳銃をわたして、ぼくを撃ってくれ、と哀願してみればどうか。 いっそ敬虔な祈りを捧げてみてはどうか、いちども信じたことのない神のために 3 地獄であるのと同時に天国だった、あの焼きごてで眼を鋳つぶされたような毎日から、どうやって抜け出たか、不思議なことにもうおぼえていない。 この手のひらの染みが消えたのは手を洗ったからか、それとも染みが全体に広がってわからなくなってしまったのか。 それは「激しい日々」ですらなくて、若くて統合がうまくとれていない神経系とホルモンとですべての説明がついてしまうのではないか。 きみはなんだか精霊にずっと欺かれていたひとでもあるように、いつのまにか激情に取り残された自分の姿を見て茫然とする。 影がもう二度と自分の姿を映さないことを発見して途方にくれるピーター・パンのように 満ち足りた午後が終わって、太陽の輝かしい光に包まれていた芝生が夜露に濡れる頃になると、きみの魂は、あの圧倒的な「愚かさ」のなかへ帰ってくる。 人間の悟性には「なにもわかっていないのにすべてが説明されてしまっている」状態があって、20歳のときには、きみの愚かさはきみの理性には囁きすら聞こえないところで、すべての宇宙の秘密を語り尽くしていた。 あの沈黙へ帰りつかねばならない。

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「とても単純だが言葉によっては説明できない理由」について

伝説的ヨット乗り、フランス人のBernard Moitessierは世界で初めての単独無寄港世界一周ヨットレースであったSunday Times Golden Globe Raceに参加する。 なにしろGPSどころか近代的なバタンすらない頃で、ヨットで無寄港で世界一周をするなどは無謀な冒険とみなされた時代である1968年のこのレースで、他の参加者がすべて脱落したあとRobin Knox-JohnstonとBernard Moitessierの二艇のketchだけは終盤まで生き残って、すべての難所を乗り越えて、いまや目前の最終目的地の連合王国を目指す。 Bernard Moitessierのヨット「Joshua」が喜望峰をまわって大西洋に姿をあらわしたときのフランス人たちの熱狂はすさまじいもので、イギリス艇とデッドヒートを繰り広げながら大西洋を北上して、もうじき欧州の海にあらわれる「フランスの英雄」のために、フランス海軍は歓迎と伴走のための大艦隊を組織して出航する準備にかかり、政府はレジオンドヌール勲章を約束する大騒ぎになった。 少なくとも10万人の大観衆が到着港には見込まれていた。 妻のフランソワーズはずっとあとになって「でもわたしには何かが起きるとわかっていました。わたしはBernardというひとを誰よりもよく知っていましたから」と述べている。 この、自分の妻によって「詩人、哲学者」と描写された偉大な航海者のBernard Moitessierは、ゴールを目前にして突然ヨットを反転させる。 彼自身の言葉によれば「とても単純だが言葉によっては説明できない理由」によって、彼は、なんと二周目の世界周航に向かってしまう。 破天荒どころではなくて、いまでいえば火星から帰還して地球軌道にもどってきた単独宇宙旅行の飛行士が勝手にもういちど火星をめざして飛び去ってしまうようなもので、自殺的とも狂気の行動ともみえる行動だった。 Bernard Moitessierの「狂気の反転」のニュースが伝えられるとフランス国民は怒り、悲しみ、失望に沈んで、途方もなく混乱した気持ちにおちいっていった。 Moitessierの娘は三日間泣き続けて、「おかあさん、わたしたちはこれからどうやって生きていけばいいの?」と訊いたが、母親は「あれがお父さんなんだから、このまま生きていくしかないじゃないの」と答えたそうである(^^) Bernard Moitessierは再び難所だらけの「Roaring Forties」 http://en.wikipedia.org/wiki/Roaring_forties を通過し、まるで選んだように帆船にとって困難な海ばかりを通ってタヒチに着く。 ようやく、そこで航海を終える。 10ヶ月、70000キロメートルに及ぶ単独航海は、もちろん、新記録と呼ぶのもばかばかしいほどの大記録だったが、Bernard Moitessierは自分が夢中になって読んでいた本を読み終わってしまいたくなかった一心で、自分がいったいどれほど遠くまで来たかを、知らなかったのではないかと思われる。 Bernard Moitessierはレース前のインタビューで「このレースにカネや名声めあてに参加する人間はひどく後悔することになるだろう」と述べた。 ひとびとは、なるほど、と彼の簡明すぎる言葉を理解したつもりで頷いたが、ほんとうは何もわかっていなかった。 Bernard Moitessierは島影もなにもない「圧倒的な莫大の感覚」に満ちた大洋を愛していた。 そこで自分を発見し、自分自身への信頼を見いだし、鏡に映る自分の姿ではない自分というものの素の現実の姿を自分の目でみつめる方法を手に入れたひとだった。 長い航海の最後の一瞬で、彼は「ゴールに着いてしまえば、すべてが消えてただゴールへ到着したという達成だけが自分を説明することになる」ことに気が付いて、それに耐えられなくなっていったのだろう。 彼が、反転する、という破天荒な行動に出たのは、どうやっても「航海している自分」よりも「ゴールを目指して航海し勝利のなかでうすぺらな勝利者になってゆく自分」を下位におくことができなかったからであると思う。 言葉にならないものが、言葉によってかきけされることに耐えられなかった、と言い直してもよい。 子供の頃、Bernard Moitessierの物語を読んで、どれほど興奮したか、うまく説明できない。 世界周航レースの勝利者であるKnox-Johnston卿の物語を読んだときには明るい気持ちの単純な愉快さが感じられただけだったが、Bernard … Continue reading

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ガメ・オベールからの手紙_3

「教室では、わしはわれわれの無知を学んだが、通りでは、人間が神にすぐれた価値を学んだ。
人間の神に勝れた価値?
そんなもん、あるわけねーじゃん、ときみは言うかもしれん。
でも、あるのよ。
人間の愚かさ、人間が一刻一刻に全霊をそれに投企する、
人間の愚かしさのことをわしはゆっているのです。
愚かであることは神を驚かす。 今度は、それを話しにもどってくると思う (つづく)」 と書いた、前回の「ガメ・オベールからの手紙」からちょうど1年半経ってしまった(^^;) これだから時間という、誰の、あるいは何の意識であるのかすらはっきりしないものとの付き合いは油断ができない。 二十代前半においては、わしは北欧人の友達が多かった。 偶然であると言ってよいが、北欧人は気持ちのよい礼儀正しい人間が多い、という理由にもよる。 わしは礼儀正しい人間が好きであって、どちらかというと儀礼的な自己抑制がちゃんと出来るならば、内心が多少ぼろかったり、邪であっても構わずに付き合うほうである。 北欧人は合理的であって、あるとき一緒に昼食を食べていたら「ガメ、アフリカ人の友達を知らないかな?」という。 知ってますよ。なんだったら今度の週末のアフリカ人たちの集まりに連れていってもいいよ、というと薄い灰色の目を輝かせて、行きたい、という。 あとで別の北欧人の友達に訊いてみると、この大秀才でスーパー美人でもある男大学人の憧れの的であった北欧人は、全人種の男とイッパツやってみて、人種によってセックスが異なるかどうか探求しようとしていたものだそーである。 各人種につき1サンプルではいくらなんでもサンプル数が少なすぎるのではないか、と冗談を述べたら、ちゃんと3サンプルづつやってみたのだそーで、お話の合理性に感心してしまった。 こーゆーとき、北欧人に対するわしのヘンケン式メカニズムは発動して、北欧人だなあー、と思う。 スウェーデン人の友達が戦争前にいかに多くのスウェーデン人がヒトラーとナチの支持者だったかを述べるので、わしが、ふと、考えもなしに、「それなのになぜ、国王がナチにかぶれたくらいで国としてはナチに鞍替えしなくてすんだのだろう」というと、友達は「アドルフ・ヒトラーの髪が黒かったのと瞳が暗褐色だったのが気にいらなかったのだろう」という怖ろしい冗談を述べた。 そのときも83式ヘンケン・メカニズムがウィイイイーンと動いて、「北欧人だなああああー」と考えた。 それやこれやで北欧の人、というと「狂気の人」という印象があるが、もちろんベーオウルフを読み過ぎた結果の思い込みが招いた偏見にしかすぎない。 日本語のおおきな魅力のひとつは言語の内部に神が存在しないことだった。 西欧語は言語の「中心にある空白」あるいは「外側にある無言語地帯」のような言語が存在せず、届きもせず、指向することも出来ない場所に「神」という絶対があって、それが実は言語自体の定義にもなっている。 神を前提としなければ思考そのものが成り立たないので、人間として活動するということは、ほぼそのまま言語によって思考して活動することだが、したがって、神を信じなければ人間でいられない。 違う言い方をすれば人間である限り神がいることにせざるをえないので、仮に神なんていないと気楽に否定すると、たちまち現実に存在するはずの自分がかき消えてしまうことになる。 ところが日本語という意識の体系では、そんなことはないのであって、別に神がいなくても困らない言語で、言語による思考の対象になりえず表現もしえない「絶対」の神を言語のなかに持つかわりにお互いの人間が立っているだけである。 外国人は日本にいて日本のことがわかってくると日本人があまりにウソツキなのでうんざりする。 考えてもいないことを相手が喜びさえすれば平気で口にするし、相手がいうことをわかっていなくても、深く頷いて同意してみせたりする。 日本滞在中、わしには虫の居所が悪いことが多い東部アメリカ人の友達がいて、このひとにはよく日本のひとに「いま笑ったけど、なにが可笑しいか言ってみろよ」と突然尋ねるという、粗暴で残酷なくせがあったが、相手の日本人にとってはいくらなんでも気の毒でも、苛立ちは理解できなくもない、と考えたりした。 神がいない結果、どういう社会が現出したかというと、「真実」というようなものはどうでもいい社会になった。 みなが「これが真実だ」とはやしはじめると、驚くべし、それが真実でないとほぼ歴然と了解されていても日本語のなかでだけは「なんとなく真実」「多分真実」「真実」と真実性が支持する人間の数によって補強されてゆくことで、ウソだと信じていた当人たちも真実だと信じるようになって、しまいには「放射能は安全である」と決まって、崩壊した原子力発電所からたった30キロしかないところで子供たちが学校へ通うことになる。 ここでも当初は個人の理性にかけて「安全でない」とおもっていても、集団に説得される形で心から「放射能は安全である」と信じてしまうようなので、他には、こんな文明が目撃されたことはないと思う。日本というマイクロ文明の重要な特徴ではないだろうか。 なぜそうなるのかというと日本語にはもともと「絶対」が存在しないからで、真理さえも言語の構造が原因して相対的だからである。 日本人の生活においてはお互いの表情や目つきというような反応が手がかりで真理はそれによって決定される。 真理がもたれあって生活している。 一方で日本では「妊娠中絶は胚が若いときでも殺人だ」「強姦された結果であっても神の意志なのだから中絶という名の殺人は許されない」という、特に北アメリカ大陸に多い狂信者のたわごとが勢力をもつ、というようなことは考えにくい。 ついでなので述べると胚の中絶は観念と思想の立場からはどうあれ、医者からみると、4ヶ月をすぎてしまうと殺そうと思ってもなかなか母胎にしがみついて死んでくれないので実感として殺人で、別に宗教キチガイに言われなくても自動的に罪悪感が生じる。 だが胚が「おかーさん」の体にしがみつきはじめる前の段階では、考えている言語に神がいなければ、罪障の感覚は起こらないのではなかろーか。 日本語で出来た日本社会の、いまは、当然、前からあったもんね、とされているモラルには、明治時代以降に「神を前提とした言語体系」をもった国からはいってきて、むかしから日本語の家に住んでいるような顔をして座っているだけのものが多い。 日本語における日本社会についての議論が多くの場合混乱して不毛なままの罵りあいで終わることが多いのは、チョー下品としか言いようがない人がおおい議論している人間の品性や適性ということを別にしても、錯綜した複数の系からなる文化がよじれあっていて、どれがどこに由来するのか、もう判らなくなっているからであるように思われる。 このブログがゲームブログだった頃に、アニメに関連して近代以前の日本ではビンボな家では近親相姦は(それが妊娠という結果を招かない限り)特に驚くほどのことではなかったようにみえる、と書いたら、えらいことになったことがあった。ゲームブログにそういう記事を書くやつが間違っておる、とも言えるが、前近代的なことを人目にさらさないことが「洋化」をめざす明治政府の大事な役割であったのをすっかり忘れて、どこに活字のものがある、証拠をみせろ、これこれこういうわけでおまえが言う事は現実ではありえない、馬脚をあらわしたな、と日本語インターネットを徘徊するアホな人たちの集団が飽きずに常用する退屈な語彙を丁寧に踏襲して息巻く大集団があらわれておもろかった。 メンドクサイのでほっといておいたら、これもアホのひとつおぼえというか「逃げた」の大合唱がはじまったが、江戸時代の近親相姦やほとんど罪悪感を伴わない強姦は草書に細々と残された以外は活字にはされず(明治という暗い時代は、そんなことを活字に出来る時代ではなかった)抹消されてしまったが、ではなぜたとえば外国人たちは、それを知っていて言及しているかというと、近親相姦の事実そのものが近代になっても生き残っていたからである。そうして近代になっても続いていた「身寄りのない女が縁側に寝ていると一日に数回強姦されることがあった」というような話は、明治以降に西洋から伝わった「反政府思想」人たちが活写した下層社会の実態を描いた記事のようなものに残っていった。 もっとも、このブログがはてなにおかれていたころといまでは読んでいる人の質が全然ちがうようでもあって、ツイッタで(よせばいいのに)同じ(絶対倫理の欠落と関連して)近親相姦の伝統について述べたらツイッタでもf_theoria(@f_theoria)さんが紀田順一郎の本をすぐ教えてくれたし、他の閲覧可能な本についてメールで教えてくれる人が何人かあった。 ものすごいことをいうと、近親相姦が絶対タブーである社会と、酔っ払った父親が娘を相手に性交してしまう社会とどっちが「進んでいるか」というような議論には意味がない。 よくニューズでも伝えられるように西洋でも娘を性的奴隷として虐待する親はいる。 … Continue reading

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