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マイナス金銭講座_初級編

カネモウケの話なんて低級なことは聞きたくない、という冷笑的なコメントや嘲りのコメントがいっぱい来て、この手の知ったかぶりで「きみの無知は笑える。きみは何にもわかってないけど、ぼくはなんでも知っている」という人たちくらい退屈なひとびとはいないのでめんどくさいのでやめてしまったが金銭講座のようなものはほんとうはたいていの人に必要なものだったと考える。 そーゆー下品なことは西洋人しか考えないのだという、いかにも「大義に生きる」日本人らしい思し召しを垂れるひともいたが、仰せの通り西洋人は下品なので、若い西洋人が一生の巻頭にあたって考える事は「どうやったらラットレースから抜け出せるか」ということである。 日本の人が志を大事にしながらみんなで一緒にラットレースの周回をくるくるまわる状態を好むのに比して、西洋人はどうやったら自分が、この稼いでも右から左に出ていく、ノーブレーキピストをこぎつづけるようなラットレース場から出られるか、ということを考える。 オークランドで言えば、一戸建てでも4%のリターンはあるので、3億円くらいの不動産を(自分の家を別にして)もってしまえば、1200万円の家賃が期待されて、税金を払ったり修繕をしたり、管理会社に払ったりしていると、800万円が懐にはいって、まあ、そのくらいあえばくえるか、というのがゴールとされている。 自分の家がだいたいリミュエラあたりなら1億円からあるとして、都合4億円の余剰のカネがいることになる。 金銭講座は高潔な日本のひとびとの道徳的な反対にあったのでやめて、ラットレースから抜け出たあとの話をすると、ウエストヘイブンのマリーナに行くと何百という世界一周が可能なヨットが並んでいて、そーゆえば、あのおっさんこの頃みないな、と思っていると、日焼けして帰ってきて、ロスアンジェルスまで行ってきたんだよ、という。 30フィート、すなわち9メートルちょっとくらいの艇長と腕前があれば片道1万キロくらいは、すいすいと行って帰ってこられるところが現代のヨットのよいところであると思われる。 現代のヨットは操船がチョー簡単で、GPSとチャートの組み合わせで帆を自動操作して勝手に進んでくれる。 300キロくらい間違えてたどりついたりすることもなくはないが、そのときはそのときで修正して行けばいいだけである。 全長が40フィートを越えるようなヨットはわしガキの頃なら夫婦ふたりで操船するのはたいへんだったが、最近は、ふたりで楽ちんで操作できるヨットがあって、ものをつくることに関してはかわいくないくらい頭がいいドイツ人たちのつくるヨットのなかには、ひとりでも操船できるものすらある。 いま売れている HANSE575 http://www.hanseyachts.com/#/gb/575/documents.html などは、その典型で、インテリアがみたとおりダサイが、すべてがややアホらしいくらい合理的に出来ていて、世界一周くらいは、問題なく夫婦ふたりでやれる。 ニュージーランドは飛行機の免許をとるのがチョー簡単な国なので、飛行機をもっている人もたくさんいて、前にも書いたことがあるよーな気がするが、「牧場」の家の近くにはパドックの柵をいちぶ取り払って、T10やなんかのクラシックプレーン飛ばしているひとがいる。 牧場を改造して自家用の飛行場をつくるのは、冬になると道路が閉ざされてしまったりする南島ではわりとふつーのことである。 モニもわしも、なにしろ生まれてからこのかたずっとヒマなひとたちなのでPPLはもっているが、飛行機はセスナだと新しいスカイキャッチャーで400キロくらいしか飛べないので、たかがオークランドからクライストチャーチに行くのでさえ何回も給油しなくてはならなくて、結局、あんまり乗らなくなってしまう。 飛行機が好きな友達が来たときに、途中でエンジンをアイドリングにして、「きゃあああ、エンジンが止まってしまった。ど、どーしよう」と述べて脅かして遊ぶくらいが、楽しみで、あんまり楽しいことはないと思う。 そのうち何かの弾みでマジメに仕事をするようになったら双発のジェット機でも買うべ、と思っていたが、わしがマジメに仕事をするようになるのはイエローストーンのスーパーボルケーノが爆発するよりも可能性が低いのが、われながら、判明してきたので、どうせそのうち一式陸攻のレプリカを秘密制作してラバウルの上空を飛んで土地の古老をびびらせる、くらいのことしかしないのではないかと思われる。 一式陸攻は、飛ばすには余程いい飛行機らしくて、機銃弾があたると簡単に火だるまになって7人の乗員があっさり死んでしまうので戦争には向かなかったが「戦争にさえ使わなければ、あんなに良い飛行機はなかった」という証言がいくつも残っている。 あの飛行機はたしか6000キロ飛べるので、タンクを増設すればオークランドからホノルル(7000キロ)くらいはいけるはずである。 ヨットよりも楽ちんなのは、ツイッタでも述べたがパワーボートで、アメリカ人はモーターヨットとかいう訳のわかんない言葉で呼ぶが、要はディーゼルか300hpx2でまかなえる程度の大きさ(艇長12メートルくらいまで)ならガソリンのエンジンで自走するボートのことで、スティーブジョブズが企画して自分のためにつくった巨大な船でなくても、40トン程度のボート http://www.tradeaboat.com.au/news-and-reviews/article/articleid/80626.aspx があれば、最近は気象レーダーが発達しているので、かなりとおくまで安全に行ける。 さっきのヨットもそうだが、いまのボートは、7メートル程度のニュージーランドのふつーの会社員が買う程度のボート http://www.smuggler.co.nz/this_smuggler720spt.php でも、ステレオにシャワーやトイレ、ダブルベッドくらいはついている。 夫婦で、週末に出航して、どこかの半島か島の入り江で酒を飲んで釣りをしたりディンギィを下ろして、無人島に上陸してテントを張って遊んだりする。 ラットレースから抜けだして、家のホームローンも払っちゃったもんね、という30代の夫婦がもっともオカネを使うのは旅行だろう。 たしかニュージーランドの法定有給休暇は28日だったと思うが、この1ヶ月の休暇を固め打ちして、たとえば欧州に行く。 たいていその国にいる友達の家に泊めてもらうが、もうちょっとオカネを使う気があれば短期貸しのアパートに泊まって1ヶ月を過ごす。 ホテルはどんな場合でも最後の手段だと思います。 どーしてもホテルしかなくて、万事休すやむをえない場合というのはあって、そういうときはなるべく小さいホテルで過ごすほうがよい。 ヒルトンのような世界チェーンに泊まるのが最低で、普通はそういうところには泊まらないと思う。 ブログ記事に書いちったホテルでゆえば、ラチャマンカ http://www.rachamankha.com/ や、El Far http://www.greatsmallhotels.com/costa-brava-boutique-hotels/hotel-el-far#description のようなタイプのホテルが最もよい。 … Continue reading

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Lasciate ogne speranza, voi ch’intrate’ その4

午前10時。眠いよお、と思いながら車庫のリモコンを押してがああああぐわあああとシャッターを開けるとクルマに乗り込むわし。 スーパーマーケットに行って、かぼちゃや牛フィレ肉やチーズやパンやビスケットやチョコレートを買い込んで帰ってくる。 ニュージーランドに冬に帰ってくるのはひさしぶりなので、モニさんにかぼちゃのスープを食べさせてあげるべ、という夫心です。 使いなれたる我が家のチュボー(厨房)、なんちて。 「幸福な生活」の重要な要素は「快適な生活」だが、「快適な生活」を送るには「快適な細部」が必要です。 日本の「山の家」の代わりに購入した北イタリアの「山の家」は外はボロイが中は現代的に改変されている。 わしのようなコンジョナシが中世の村で暮らせるように、見た目は築1000年でもなかみはモダン錦なのである。 でも皿洗い機が安物で皿の汚れがちゃんととれねーんだよ、とか、Wifi (突然ですが、スペイン人は、これをウィーフィーと呼ぶ。かわゆいので、わしも英語においてもウィーフィーを採用しておる。WifiのMifiは、ウィーフィーのミーフィーだからな。だからスペイン語はやめられないのだとゆわれている)がちゃんと家をカバーしてなくて階段に座ってでないとインターネットがちゃんと接続できないとか、アホなことがいっぱいあります。 その上にクルマの駐車スペースが狭くて、駐めるのが重労働なクソ・カーパークである。 ニュージーランドの生活からは、そういうものが排除されておるのでたいへんよろしい、と戻ってきて改めて考えました。 生活を送るのに家事においても遊びにでかけることにおいても、たとえば大陸欧州のごとくこの世の終わりのように窮屈な駐車場に何回も切り返しをして駐車しなければならなかったり、不合理故に吾信ず、な運転習慣がない。 楽なもんです。 アホでも何も考えずに暮らせる。 まして賢い亀夫においておや。 オークランドにもどってきてみると、そこは真冬であって、空港にはでっかいオーバーにくるまったトンガやサモアのおっちゃんが吐く息を白くしながらたたずんでおる。 でもさ。 でもね。 真冬とゆっても下が5度、とかなので、わしは全然寒くありません。 同じニュージーランドでも凶悪なクライストチャーチの冬に較べればちょっとボロクなった春のようなもんである。 クライストチャーチの冬は、ぶおおおおお、と南風(というと北半球諸君は暖かいのか?と思うだろうが、サザリーちゆえばニュージーランドではちべたい風のことです)が吹いて、その台風なみの突風に巻き上げられた地面の水が顔にぶっしゃあああーと当たる。 すげっす。 したがって、かーちゃんも妹も常にはニュージーランドの冬には必ず欧州にいたものであった。 わしはクライストチャーチのクソ冬が好きなので、長じては、ひとりで、途中の成田で買い込んだPCパーツや電子部品をたずさえてニュージーランドにやってきたものだった。 全部の暖炉に薪を放り込んで、パネルヒーターやフロアヒーティングにスイッチをいれて、ひとりでちびちびと酒を飲みながらパンフライやフライにしたブラフオイスターを食べる愉しみ。 第一、おっかない家族は誰もいないので、ひとりで悪い事やりほうだい…あっ、いや、ベンキョーしほうだいで、なかなか楽しいものであったのをおぼえています。 わしはしばらく南半球暮らしをしようと考えている。 オーストラリア、ニュージーランド、ずううううっととんでシンガポールというホームグラウンドに赤道の向こうのマレーシアやインドネシアくらいを加えてもよい。 ダッサイ連合王国パスポートを金庫にしまって、シルバーファーンが表紙についた、カッチョイイ、ニュージーランドパスポートで暮らそうと思ってます。 ずっとブログを読んでくれているひとは知っているが、わしが備えてきた「最悪の事態」、それが予想されるから、いまここにある地獄の魔王が地上に現れるような経済事態はどうやら起こってしまいそうである。 まだ起こらないですむ可能性はかすかに残っているが、中国以外は経済音痴の首脳が轡をならべるいまの各国政府の顔ぶれでは、難しいように思える。 中央銀行のテクノクラートたちも考えられる方策はすべて試みたように見えます。 しかしながら、高度に情報化され、かなり細部にいたるまで確率論化された現代経済市場においても、ときどきぶっとばないと経済に飛躍がもたらされないので、地獄の釜 https://gamayauber1001.wordpress.com/1970/01/01/lasciate-ogne-speranza-voi-ch’intrate’%E3%80%80その3%E3%80%80%E3%80%80フッチーを待ちながら/ がまた開いてしまうくらいで驚いていては冷菜凍死家はやれん。 今回は、膿まみれになってどろどろのゾンビ化しているのは欧州であって、健全なIT産業その他の新世代産業(グーグルやアップルはいうまでもなくアメリカ企業です)をもつ合衆国は、実はそれほどひどくない。 そのうち日本語で書いてみんべ、と思うが、オバマ大統領の、緊急であった経済政策よりも先に保険制度に手をつけてしまう、という大失策から来た経済対策の遅れが取り戻せないで苦しんでいるうちに欧州から北斗の拳がとんできてしまっただけである。 だけである、とゆっても史上最強のパンチをもっていたタイソンのフックのように強烈なパンチなのでダウンしないとは限らない。 焦眉の急の大陸欧州は、大陸でおっちゃんやおばちゃんたちにインタビューしてまわった限りでは、もう全然ダメ、だったので、もてばラッキー、ふつうにいけば例年通り「9月プレッシャー」がかかったところでオトーサンになりそーである。 欧州がオトーサンになってしまうと、わしも冷菜の幾分かは生ゴミになってしまうので、起こらないことを祈っているが、今回は、どうもそうそううまくいかないよーです。 … Continue reading

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フクシマ経済

この20年で合衆国と連合王国に住む人間の富はおおざっぱにゆって3倍になった。 20年前に30歳で1億円もっていた年収1000万円の人は3億円もっていて年収3000万円になっている、っちゅうような意味です。資産・収入・可処分所得ちゅうようなものがだいたい3倍になった、と思えばよいと思います。 念のためにゆっておくと統計的数字に縋って議論を進めるのは、やむをえないときにするのであって、統計上3倍になっているからとゆって、そのひとが当然3倍豊かになっているわけではない。 所有している自宅の価値が3倍になっていても、自分が住んでいる家を(その人間が「金持ち」かどうか判断するときに)普通には資産には数えないので判るとおり、住んでいる人間にとっては良い事はなにもない。カウンシルの評価額があがればタリフが3000ドルから9000ドルにあがって支出があがるだけであって、景気の良い社会の最大のビョーキであるインフレがたとえば(通常先進国が上限目標にする)3%であれば、10 の昼食は18ドルになっているわけで、その社会のちょうどまんなかくらいの収入の人間は「生活が苦しくなった」という感想をもつのが通常だからです。 しかし、たとえば連合王国でサラリーマンがこの20年間のことを家計的にふりかえって、しみじみと損ぶっこいちまったなあー、と思い出話にふけるときには「なんでも3倍」を前提にして話しをする、ということです。 カナダや豪州やニュージーランドも、ほぼ同じ。 いまのいま、という時点でカナダと豪州は3倍より少し多いか、というくらいの感じと思えばよいのではないか。 一方、この20年で日本のひとの懐は20年前に社会の中軸であった40代のまんなかで大企業に勤めていて自宅をローンで買って子供がふたりいる、という家庭を例にとると年収は900万円から650万円に、自宅の資産価値は6500万円から4600万円に下がってしまっている。 20年前にふたりで400万円の年収をつくっていた共稼ぎ夫婦は、20年後のいまの日本では収入が300万円である。 だいたいすべての「富」が20%から30%減少している。 20年間、この状態から抜け出せなかったのは先進国のなかでは日本だけであって、いまでも、その理由は謎ということになっている。 アホの巣窟なので有名なブリテン島ですら、屁理屈をねつ造して破滅に破滅の上塗りをする時代は15年しか続かなかった。 日本の場合、どうしてこうなったかというと、日本のひとの「おかみ」を信ずる不可思議な心根のせいである。 5年間11回の日本遠征での最大の不可思議は、日本では殆どの人が(わしからみると)まるで自分が政府の一員であるような口を利くことで、言うことだけを聞いていると国民全員が政府のどこかの部署で働いているかのようであった。 連合王国やニュージーランドにおける大庭亀夫のごとく畏れおおくも政府のえらい人に向かって「おまえらのクソ立場なんか、わしの知ったこっちゃねーよ」というような不敬罪な暴言を口走ったりはしないのです。 わしが日本型中央計画経済のばかばかしさを言うと、「でもガメちゃん、日本は大国だから、そうそう簡単にいままでのやり方をあらためるというわけにはいかないんだよ」という。「貧乏なひとの面倒もみなければならないし、地方のうまくいっていない政体の面倒もみなけりゃならない。それを、突き放して、きみたちの問題というわけにはいかないのさ」 ボルジャー首相という、みるからにいいかげんな顔をしたおっさんが突然声明を発表して、「カネがないから、もう郵政、国でやるのやめたし。あとは諸君で勝手にやってね」とゆって一夜で民営化したニュージーランドみたいな無茶苦茶な国とは偉い違いの懇切丁寧な20代の国民のおむつまでかえてあげそうな面倒見の良さである。 フクシマの原子炉がおだやかで対処しやすいやり方でとはいえ、ぶっとんだとき、明らかにコントロールを失っているのに「安全に推移している」と言い募る日本政府と、そのエダノというオオウソツキに拍手喝采する日本人たちの姿を見て世界中のひとが息をのんだ。 あの光景を見て、ようやく日本経済の現在の不振の理由を理解した経済人も世界にはたくさんいた。 英語ではwe-know-bestのひとびととゆったりする。 わしらがいちばんわかっとるんじゃけん、しろーとのあんたさんらは、余計なことをゆわないで黙ってついてきなさい。 日本では津波が起きた途端に事故が起きるのではないかと心配したひとたちに向かって「日本の原子力技術力をなめんな」という合唱が起こって、一瞬で「無知蒙昧な人間たちの心配する声」がかき消されるのを、わしはリアルタイムで観察して記録していた。 長い間理由がわからなかった日本人たちの現在の自国の経済・財務上の絶体絶命への非現実的なほど極端で漫画的な危機感のなさが、それを観察することによって判るような気がしたからです。 わしは、とうの昔に機能しなくなった岸信介以来の国家社会主義経済的な日本のやり方が、ここまで無残な敗北を繰り返しながら、(たとえばPCはオモチャにすぎない、大型電算機以外に「電算機の未来」があるのなら、おれは役人をやめるよ、と嗤った当時の官僚達の発言をあげつらうまでもなく)いまでも国民に支持されているのは、それが日本の文化の深いところに根ざしているからだと思っています。 真に壊滅に向かう経済は、いつも文化そのものに理由があるのだ、と歴史は教えているが、フクシマを観察したあとでは日本もまた同じなのではないか、と疑ってしまうのです。 画像はセントラルパークでチェスに興じるおっちゃんたち。ダブルクリックすると大きくなりもす

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零細投資家の午後

もう何年も前から住んでいる気がするほど新しい家になじんだ。モニも「新しいベッドがやっと好きになった」という。 ふたりで庭に出て、テーブルにチーズや鴨のパテやワインやパンを並べて昼食を摂る。 Tui(ニュージーランドのネイティブバード)がやってきて不思議そうな顔をして見ている。芝の上においた素足が気持ちがいい。 クライストチャーチとメルボルンから必要な機能を移し終えたので仕事も円滑になった。 夕方になると正面ゲートのリモートコントロールキーを持っているPがやってくる。 セキュリティカメラの画面でそれを眺めながら、モニとわしは、「おーかっこええー」という。こういうものもこの5年で随分進歩したのだ。 かーちゃんの家のコントロールは煙草の箱の大きさくらいもある。 いまは2ドル硬貨の大きさくらいしかない。 それに4つのボタンが付いていて、たとえばわしのこの家でゆえば、1番はセキュリティの「アーム/ディスアーム」で2番はハーフゾーン、3番が正面のゲートで4番がガレージの自動シャッターです。 1番と2番を同時に押すとパニックボタンで警備会社と警察がすっとんできます。 セキュリティカメラの分割画面もtubeから液晶のSVGA画面になった。 白黒だったのが、いまはカラー。 侵入者の靴下の色が判るようになったとゆわれている。 Pは資料の分厚い紙の束と共にあらわれるが、これはわしの趣味である。 コンピュータのファイルとお行儀が悪くてカウチに寝転がってしか仕事ができないわしにははなはだしく都合が悪いので紙に印刷してきてもらう。 どんな書類かって? すごおおおく面白い書類ですがな。 たとえばそれがプロパティなら、建物のゾーニングとCVから始まってビルのタイトルや収益表や通りの建物の過去の売買価格、地域と通りの歴史、通りと地域の昼間と夜のひとびとの年齢層や推定平均年収まで書いてあります。 もちろんディプリーシエーションとかも書いてある。 そういう電力消費量にまで及ぶ細かい数字を眺めていると、いろいろな事がわかって面白い。カウチでごろごろしながら、「あー、このひとは見栄っ張りだったんだな」とか「こんな甘い考えの人間もなかにはいるわけだ」と考えながら、どんなひとびとだったのか想像します。 資料を読んで遊ぶのに飽きると、モニとふたりで庭を散歩する。 近所のコーヒー屋まで遠征することもあります。 ページを交換しながら新聞を読む。 ふたりでペンキ塗りをする。 芝を刈る。 カウチに膝をついてアッパーラウンジの出窓にふたりで並んで肘をついて外を眺める。 今年買ったばかりのでっかいカウチでふたりで猫と変わらんじゃれかたをする。 モニのいい匂いがする。 パーネルの家では部屋の使い途がないので撞球台やピンボールをおいて遊んだりしたがこのラミュエラの家は使いやすい。 27年も生きてしまうと人間の時間は途方もなく静かになる。 決して良いことではないだろうが他人の生活や世界のことに興味がなくなる。 どーでもいいや、と思うようになってしまうのね。 わしが組んできた投資はそういうのもばかばかしいほど「コンサーバティブ」なので、なおさらそうです。 「アグレッシブ」な投資をいまの一割くらいからせめて3割に増やせば人生そのものも変わるのは判っているが、わしは巨大なデプリシエーションがある世界が好きなんです。 (別に居直ってるわけではないが) いまさら、お金の神様とのつきあい方を変えようとは思わん。 それとも地球が買えるほどのお金が欲しいと思うときがわしにも来るだろうか?

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空洞経済

4月からのわっしの悩みの種は市場の振る舞いがまったく予測できなくなったことでした。世の中には、こーゆーときには、こーゆーモデルで動いてるんだから、ここからここまでの範囲で推移するだんべ、という理屈がある。 ところが、4月の終わりからいままでの動きは「予測範囲よりも良い」のであって、こんなことは初めてです。 こういうことが続くとわっしは世の中の繁栄に取り残されて終いにはモニの旦那から作男に降格されてしまうのではないか。 たとえば合衆国経済の凋落を底のところで支えているのは「バラク・オバマ」という一人格であって、他には何もない。本来地獄へ真っ逆さまになるべき諸指標でありながら、まだ「巨人」をやっておる。 あんたは衣川の弁慶か、と呟きながら、カウチに寝転がって、「わからんのう。わからんのう」をしているのです。 そうやって輾転反側お午寝バージョンをしているとモニがやってきて「チュ」をしてくれるので、それを期待しているだけじゃん、と言えなくもないが。 しかし調べてみると矢張り経済は断末魔であって、いままで機能していることになっていた諸ビジネスモデルは全部破綻しておる。一方で新しいビジネスモデルは出て来ておらない。インデクスというインデクスは、なはは、の域に達してます。 これは結局フォニーなのであって、実際には楽観する材料はないようだ。 現代の経済の様相は不思議なほど中国の国内経済市場に似ている、と思う。 中国の経済というのははなはだしく心理的、というよりも、いっそ「情緒的」とでも呼びたいような経済であって、なんだか全部つくりものの「フォニー経済」である。 みんなでバンザーイバンザーイと叫んでいるが、いざ経済の根幹をなすべき「ビジネスモデル」に眼を向けてみると、驚くべきことに何もない、のです。 要するに市場というよりも、そこにあるのは賭場であって、彼らが株式を売買するときにはバカラのテーブルにチップを積み上げるのと同じことをやっているに過ぎないように見える。 いまの経済人の常識として、ここからは中国が一段力が衰えた合衆国と並んで世界を牽引する、ということになっていますが、わっしは、要するに変わり者なのでしょう、それが信じられないただひとりの(零細)投資家なのです。 数字がごひゃごひゃと並んでいる紙の束をコーヒーテーブルに置いて、「こーゆー為体では十年後は作男だべ」と考えていると、モニが午後のおやつをもってきてくれる。 ポテトフライの上に目玉焼きをつぶして載せてその上から夏トリュフを散らした食べ物で、わっしの好きなおやつです。 わっしが紙の束を眺めながら「これ、おいしいのう、メルシ」というと、モニがにっこり笑って「うちの作男におちぶれても、ときどきつくってあげよう」という。 そーゆーリアリティのある冗談は、やめてほしいんだけど。

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半信半疑

経済でもっとも難しいのは心理的な要因が大きく働くところであると思う。 人間の集団心理はそれが向く方向も行き先に向かって動いてゆくスピードも、動き出すタイミングも予想外であることが多い。 それが経済の問題について考えることを難しくしている。 振り返ってみると2008年の北京オリンピック前後に屋上屋を重ねた金融世界のビジネスモデルが崩壊するのは、別にわっしに限らず、およそ2005年くらいからみなにわかってました。だからいけいけおっちゃんたち以外は早々と撤退し後退して景気が悪くなったときのために自分のポートフォリオを作り直した。 マーケットのなかの立ち位置を変えたり、出資先を変更したり、瓦解に近い変化に備えて零細投資家は零細投資家なりにアホな頭を使って考えたのでした。 個人のわっしとしての観点からいうと港を出たらいきなり嵐の警報に出会ったサンパンのようなもので、てーへんであった。 こうやって日本語をおぼえて遊んだり、自分の家をいくつか買ったり、そーゆーヒマなことをやって喜んでいたのも、とーぶん景気なんかよくならねーべ、と考えたからでした。 やることがねーもんな。 モニと遊んでるのがいちばんいいべ、というのがわっしの判断であった。 5年くらい遊んでないといかんのとちがうか、へたすると10年だのい、と考えた。 しかし、どーもこの頃は、またみな強気がもどってきたようだ。 天気の悪い午後、事務弁護士のおっちゃんとカボチャスープを食べながら、しょぼしょぼと景気の話をします。わっしはよく仕事のひとと昼飯を食べるが、合衆国人の好きな「パワーランチ」とは違う。無理に名を付ければ「脱力ランチ」であって、へろへろしながら仕事の話をしているだけである。 「後退局面において強気」という連合王国人の頭のいかれた伝統に基づいて、おっちゃんによると 「金融危機なあんてのは新聞のでっちあげだんべ」という。 でも誰それも破産したし、あの会社とこの会社は液体になってしもうたではないか、というと、「まっ、そーゆーこともある」なんてゆーとる。 今回の金融恐慌の特徴はみなやたらと強気であることで、そこにわっしのズツーの種がある。 わっしには借金はありません。 正確に言うと妹から借りた金はあるが、あんなものはいざとなれば踏み倒せばいいだけなので、借金のうちにはいらん。 こーゆーと、「借金をしない投資家なんて投資家とはいえん。だからきみはダメなのだ」というひとがあるに決まってますが、うるせーな、わっしはきみよっか儲かってるんだからこれでいーの。 わっしが零細投資のプラットホームにしているわしの零細会社も借金はない。 しかし、投資というものが広い意味でゲームである以上負けるのはくだらん。 零細投資家は零細なりに常に勝利しないと一年の終わりに六甲おろしを歌う楽しみがなくなってしまう。 会社間契約やプロパティ売買の事務弁護士は強気ですが、一方会計会社のねーちゃんは、自分の仕事を通じて見聞したマーケットは相変わらずこの世の終わりのような様相である、という。 みんな意見が違う。 シドニーのタクシーのおっちゃんは、「クレジットクランチ、クレジットクランチって、騒いでるけどさ、あれは合衆国のものなんだから、こっちにもって来られちゃ困るんだよね。みんなで蹴返してアメリカからオーストラリアに来る途中で太平洋のどっかに沈んでもらうしかないよねー」なんていう。 まだ不景気にはなっていない、という認識なのです。 手元にあるインデックスは、どれもこれもボロボロで、しかも数理的な整合性がないところを見ると、このひどい数字でもまだインチキがあるようです。 統計がもっとも信用できるといわれているドイツの統計でも、ちょっとみるとわかるようなヘンなところがある。 官民ともに経済に携わっているひとたちの最近のモラルの低さが判ります。 モニとふたりでプールの球を突きながら、わっしは悩んでおる。 理屈の上では絶対に経済が来年回復する、というようなことはあり得ないが、 みんなで「だいじょぶだあー、だいじょぶだあー」と合唱しているうちに経済が回復する、というようなことが実際にありうるのだろうか。 そこのところで「経験」というものに欠けるわっしには読めなくなってしまう。 4月は、会社のひとの取り越し苦労に終わったが、情けないことにいつでも歯切れの良い自分の金がかかっていない経済評論家のみなさんと違って、自分の金がかかっているわしは、ぐずぐずしょぼしょぼと考えてばかりいます。 まるで頭の中が梅雨になっているようです。 脳下垂体あたりにはもうカビが生えているのではなかろうか。

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ひび割れた青空

子供のとき、かーちゃんに買ってもらった中国の話を集めた本が好きであった。 「邯鄲の夢」や「鯤(こん)と鳳凰」の話、枕水漱石もそのとき初めて英語で読んだ。 そのなかにひとつ中国のひとの不思議な想像力に打たれてしまう話があって、それが 「杞憂」 http://www2.odn.ne.jp/kotowaza/sub20-1-2-1-koji.htm なのでした。 説明しなくても普段の会話に使っているくらいだから日本のひとは話をよく知っているわけである。 この話を読んでから草原に寝転がって草の匂いをかぎながらニュージーランドの大空を眺めていると、実際に空が大伽藍であって崩れてきそうな気がして困った。 ニュージーランドの空は、他のたいていの国と違って地平線に近いところまで深い色の青です。白くぼやけていたりしない。 だからものすごく大きな空であって、わっしはニュージーランドよりも空が大きい国を他には知りません。 わっしは、あの気が遠くなるように大きな青空の下で牧場を駆け回ったり滝壺で泳いだりして育ったのをとても幸せなことだと思っています。 しかし、いまはそのニュージーランドの大空が崩れてきそうである。 そればかりか足下の地面も割れかけている。 ニュージーランドは小さな国です。 人口は出生率が高くアジアからの移民が増えて最近ものすごく増えた、といっても340万人かそのくらいにしか過ぎない。 小さな国の政府をマルドゥーンの「Think Big」が生み出した危機以来、小さい政府を指向するように変わってボルジャーに至って政府を更に小さくして、議員の数まで減らして減量に減量させて、そこへ新しい金融技術を導入して好景気を作り出した。 観光業も最近では羊をどんどん減らして作り出したワイン業も好調でしたが、国の繁栄そのものはわっしの職業上の観点からいうと、より多く高金利の設定が可能な社会の性質を利用したいわば「金持ち用の賭場の開設」という市場が人気を博したことによっています。たとえば、この賭場を利用したマハティールとジョージ・ソロスの一騎打ちは有名であって、ソロスは大勝して負けたマハティールは、「今日のアジアの経済危機は実直なアジア人の汗のたまものを博奕の対象にした西洋人の投機の結果である」という、これも有名になった過激な内容の演説をぶった。 字面だけ見ていると立派な言辞なのに玄人衆が冷ややかな笑いをもって迎えたのは、 みな裏側を知っていたからです。 「汗の賜物」を一気にさらっていきたかったのは、当の本人だった。 ニュージーランドのような国の経済というのは、ヨットで遊ぶ習慣があるひとがいちばんよくわかるでしょう。それも400フィート、というようなヨットではなくて、ほんの短艇に帆が生えたようなのを思い浮かべるとわかりやすい。 向かい風でも追い風でも操船しだいではぐいぐい前に出て行けます。 しかしガスト一発であっというまに沈没してしまう。リカバリが利かないのと、操船そのものが大きな船に較べると極端に難しいのが欠点である。 わっしが初めに「こりゃ、やばいだろう」と思ったのは、2002年のことでした。 わっしは夏休みにちょっとした悪戯で考えたことで思わぬ金額を抱えてしまったので、 どうするべ、と思って銀行へ行った。 エラソーで、あんたはシベリア収容所の女看守か、それともナチの女看守の生まれ変わりか、といいたくなるような威張り狂ったねーちゃんがやってきて、わっしに「投資のプロ」としての観点から縷々と最近の金融工学の最先端を駆使した金融商品の数々お説明します。 ところが、その説明が全部間違っておるのだ。 ありー、と思って伝手をたどって「金融専門家」のみなさんとニューヨークやロンドンで話してみて判ったのは彼らが「屋上屋」を架してビジネスモデルをつくっているのであって、多分、誰にも損をしているか儲かっているのかわからなくなるであろう、ということだった。日本の場合は金融家のモラルが問題の実体だったのですが、えーかげんなことをやっていれば必ずボロボロになってくる大金が動く世界の人間のモラルの低下(それも、ちょっとでそういう世界を知っていればわかりますが、普通の世界のひとが想像しうるような程度のモラルの低下ではない)に加えて、この場合は、「なんとなくもっともらしいだけで、実は誰にも見通すことが出来ないビジネスモデル」というほとんど原理的に大爆発を起こすしかない爆弾を抱えてしまった。 世の中を動かしている人たちの基本的な理屈というのは「いままでも大丈夫だから、これからも大丈夫に決まっておる」です。 うっそお、と思うかも知れないが、つまるところこの世界を動かしているのはその理屈ひとつしかない。石油のような資源の問題も、温暖化も、すべてその理屈で処理される。 しかし、わっしは世の中の忙しいひとびとと違って暇人なので、ひとつひとつ場合分けをしてビジネスモデルを分類していった。その結果、健全なのは1割くらいであって、あとはペケも良いところであった。 それで「北京五輪の年が地獄の年になる」と言い続けてきた。 このアホブログにさえ何回かその話が出て来たのは、みなさんが知っているとおりであって、シャチョーがそれまでのものすごく利益率が高かった商売を捨ててゲーム業に鞍替えしたりしたのも、そのせいでもある。 っちゅうか、義理叔父の「ガメの言うことを聞くべ」という説にうなづくときには、もう人生の終わりを覚悟した、のだそうです。 でも野茂になれるのなら、それでもいいと思った、のだそうである。 その頃のシャチョーのことは、ずっとむかしのブログに出て来ます。 義理叔父などは、ほとんど中国共産党の長征のような大撤退を行った。 わしの近しいひとたちは、みな「ガメはアホである」というのを知っていますが、一方では「あれは座敷童子とか仙台四郎みたいなもんである」と思っているので、そーゆーときになると意外とゆうことに耳を傾けるのです。 … Continue reading

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