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では、どうすればいいのだろう? 1

何度も書いたが、子供のとき、日本に住んだ記憶は楽しいものばかりで、わしの日本に対するhaloが射している薔薇色のイメージの根幹をなしている。 やたら親切な店員さんたちがいるデパ地下や伊東屋やキデイランド、天賞堂のような店が大好きだったせいもあるが、なにしろ、もともと甘やかされて育って、ちやほやされるのが大好きな性分で、いちど女の高校生のひとびとに取り囲まれて、「わあああー、かわいいいいー」という嬌声とともに、おれはチワワか、それともチャウチャウ犬か、というあつかいで、なでられたり、さわられたり、怖かったことがあったが、それは例外ちゅうの例外で、おおむね適切な手段によって甘やかされていて、ニシムラも千疋屋も、おごってもらうには、ごく早くから、どのパフェが最もおいしいかメニューなどなくても注文できて、メニューを見て考えるふりをするのがたいへんだった。 書いていて、ぜんぜん関係ないことをおもいだしたが、日本のメニューは写真がついているところが秀逸であるとおもう。 のみならず、入り口のショーケースに、むかしはワックスで、いまはなにが材料だったか、忘れてしまったが、ほんものにそっくりのサンプルがずらっと並んでいたりする。 いつか高坂のサービスエリアのレストランだったか、おっちゃんが、憤懣やるかたない表情で、いかにも、こんな不正が許されてはいかんのだ、という瞋恚のほむろがみなぎった目で、表のサンプルよりもとんかつがちいさい、と怒鳴りまくっていて、店員さんが、軽蔑を必死に押し隠した顔で、 表のものはサンプルで御座いまして、と陳弁している。 それからしばらくして、おなじ食堂に寄ったら、「サンプルは実際の商品と異なる場合があります」と書いてあったから、きっと、ああいうおっちゃんはひきもきらず、自分が人生で認めてもらえなかった鬱憤や理不尽な上司にいびられる日常の憤懣をとんかつのおおきさや、御飯の盛を材料にレストランの修正主義を非難しにくるのだとおもうが、どうも、最近は、日本のことをおもいだすと、「おっちゃんたちが、ろくでもないのだな、あの国は」と考えることが多くなったので、薔薇の話を書いていても、おっちゃんのすだれはげとものほしげな目が浮かんでしまう。 すまんx2 なんの話だっけ? おお、そうだ。 子供のころは、そうやって、薔薇色の、これは「しょうび」と読むのであってバラとは読みませんと日本語の先生が述べていたが、そういうことはどうでもいい、毎日が楽しくて、失神してしまいそうな、もうひとつだけ全然関係のないことを唐突に書くとマグマ大使の妻役のひとは、應蘭芳というもともとはイギリス人として生まれた人で、満州国籍に変わって、最後は日本国籍になった人だが、蒐集した古雑誌を読んで調べて見ると、当時はエッチをするたびに失神に至る「失神女優」というのが売り文句の人で、黄金でできた巨大なロケット人間とエッチして失神して暮らすなんて、SFポルノファンの夢の生活を実地に生きていた人であるようにおもわれるが、ともかく子供のころは楽しくて楽しくて、毎日浮き浮きして暮らしていたが、それでも子供心にも、「この国は、最後には亡びるのではないか」と考えていた。 おとなたちが日本の実業家のおっちゃんを家に連れてきたときに、一緒に、なにを見ていたのだったか、プロジェクターで映像を観ていて、みなが大笑いするところで実業おっちゃんも笑っているのだが、日本のひとには判りにくいはずのところで、さも楽しそうに笑うので、おとなたちのひとりが、不思議におもって、好奇心に駆られて、「いまの、どこが可笑しいかわかったのですか?」と訊ねたのに対して、困惑したように「いいえ」と答えている。 一事が万事で、日本のひとは、付和雷同で、仲間第一で、自分の判断などは、せいぜい食べ物の好みくらいでしかしないように観察されたからでした。 どうも、ヘンな国だな、と考えた。 当然のことながら議論などは、まったく存在しない国で、後年、もういちど確認にもどるつもりもあって日本に「5年間11回の十全外人日本遠征」と称する滞在を繰り返すころになると、どうやら日本という国は、アメリカに押しつけられた民社社会がまったく身の丈にあわなくて、表面は民主制で運営しているように見せかけているが、その実は国民ひとりひとりが個人の自由さえ望んでいない、まるで天然に生成されたような全体主義社会であることが判っていった。 だから他人事だとおもって聴いていると、聴きすごしてしまいそうな、猛烈に奇妙なことがたくさんあって、たとえば「民主的な社会では、参加者のひとりひとりが十分に納得するまで徹底的に話しあうことが重要です」と、いいとしこいたおとながマジメな顔で述べている。 なんだか、こうやって書いていても、えっ?それが民主主義じゃないんですか?」と言う人がいそうで、怖い気がする。 全員が納得することを前提にするのは、過半数が決めたことを真理とみなすのと同質の誤りなのは言うまでもない。 いずれも「絶対」が欠落していることに原因するが、それは次の回の話題にします。 全員が納得するまで話しあう、というアイデアのいかがわしさは、「そんなことは現実には起きないから」で、少なくとも民主制の前提になっている社会の成員が個々にまったく異なる個性や人格をもった「個人」である社会では、全員が納得してしまうのは、全員が狂気にとらわれたときであるのは論理的に当然だとおもわれる。 では、狂気をめざして夜を徹して「議論」するのが民主制の基礎になりうるだろうか? それは、どちらかといえば全体主義社会をめざしているのに過ぎないのではないか? 「いじめ」は、どんな社会にも存在するが、日本の場合は、おとなが徒党を組んでいじめを楽しむ点で、特殊であるとおもう。 おとな同士のいじめは、英語社会ならば、無視か、男性から女性に対する性差別か、たとえば白い人からアジア人への人種差別と決まっている。 日本の場合は、異常なくらい強い加虐性が社会に充満していて、ほとんど、やむにやまれないような趣で、生意気であるとか、ひとりだけ幸福そうにしやがって、とか、外国人のくせに、とか、なにごとか自分達と異なる「個人」を発見すると、わっと群がるように加虐性を発揮して、しかも、なにしろ子供のときからスキルを磨いているので、ほとんど芸術的なでっちあげや嘘中傷の腕の冴えをみせる。 他人の例を出すと気の毒なので自分の例をだすと、たとえばこのブログのごく初期に捕鯨がいかに、当のクジラのみならず日本人全体の将来にとって有害であるかシリーズで記事を書いたら、はてなと2chの、と言ってもいま考えてみると、おなじひとたちなのかもしれないが、ひとびとがわっと寄ってきて、この記事を英訳してみせろ、という。 バルセロナのアパートに滞在していた頃の話だから、2008年かな? カバやハモンの楽しみを中断して英語に訳してやったら、おそるべし、いつのまにか「こんな英語は、日本人が和文を英訳しただけの下手な英作文だ」と「はてな」というコミュニティの内部で喧伝して、魚拓という、議論よりも釣果をめざす、いかにもな薄気味の悪い名前をつけたハードコピーにとって、それだけが英語記事であるようないいふらしかたをする。 はっきり述べて、この「おまえは英語ができない」トロルおじさんたちは、いままでも散々わし友のうち英語を母語とするひとたちが述べてきたとおり、「英語が母語かどうか」という考えへの執着自体が英語人が持たない発想で、多分密接に人種差別意識と結びついた日本人に独特のものだが、しかも自分達のほうこそ、まったく英語が判らないひとたちで、英語の記事なんて見せるだけ受験英語というのか、極めて特殊な英語を題材としてパズルの定石を縦横に駆使してみせる技術を大学受験のときに身に付けたらしくて、トンチンカンで噴飯ものの「構文解析」をやってみせて、もっともらしく母語人の英語をくさす材料にされるだけなので、まあ、「魚拓」もあまさずとってあることだろうし、うんざりなので全部削除したが、もともとのトロルたちの集団攻撃で嫌気がさしたせいで(トロルたちが現実には英語がまったく読めないのが判っているいっぽうで、当時の日本語友だちの大半は職業柄、英語が理解できる人がおおかったので)訳すというのではなくて、英語で書き直した捕鯨記事だけは、ひとつだけ残してあるのは、10年経っても、まだしつこく英語がただの英作文にすぎないと中傷を続けてあるからで、匿名のままつきあっていきたい英語日本語のバイリンガル友に、 当時の英語記事を読んで判断してね、という気持も、まるでないとはいえない。 Wailing about whaling https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/06/05/wailing-about-whaling/ 2chから「はてな」はてなからtwitterと移動してきた、このトロルたちは、どうやら、はてなidをもつおなじひとたちで、twitterではひとりでいくつものアカウントを使い分けて、彼らの言葉をそのままつかうと社会における「勢力」をつくろうとしているもののようでした。 安倍政権は、外国人投資家にとってはオカネをばらまいてくれるのはいいが、ちょっと外国人たちが日本に関心を抱いて瞥見するだけで、一目瞭然、ぶっくらこいてしまうほど無能な政権で、それどころか、日本の基礎である、例えば個人の預金であるとか年金、向こう50年は特に「役に立つ」心配が皆無の学問(例:カミオカンデ)、自衛のための軍備の整合性、あらゆる日本を日本たらしめていた体系、社会の建築基礎を破壊して、それはそれは箸にも棒にもかからない政権ではあるが、 ではそれが日本の本質的な問題かというと、そんなことはなくて、「結局は安倍政権を長期化させた国民の体質」のほうに問題があるのは、誰にでもわかる。 都合がわるいことはいっさい存在しないことにして目に入れないのが日本の伝統でもあって、それが社会全体の習い上であるのは、たとえば政治の右も左も関係がなくて、一緒にみてきたとおり、「慰安婦」問題の糾弾者たちは、現実には匿名アカウントで在日コリアンを嘲り、徹底的にバカにして、 被害をうけたほうは、剥き出しのモラルの欠如と、さらに悪いことには、自分達在日コリアンを最も低劣で卑怯なやりかたで苦しめて、実際に体調を壊して仕事をやめざるをえなくなったり、起きてから寝るまで、一日中自殺を考えている、とわしなどに書き送ってきたりするところまで追いつめた本人たちが、いっぽうでは、「慰安婦」問題でコガネ稼ぎをして、品の悪いいいかたをすれば飯の種にも足蹴にする石ころにも在日コリアンは使えて二度おいしい、と言わんばかりにせせら笑っているのをtwitterなどで眼前に見ているのに、平然とそういう人間たちを支持している日本人全体に対する怒りで、声が震えているのがわかるようなツイートを繰り返している。 前にも在特会デモのことで書いたが、差別が始まった当初の年は、「あれは一部の日本人で、わたしは彼らとは異なるので文句を言われても困ります」で澄ましていられても、それが年を経ても変わらないのは、日本人全体の責任であるとおもう。 こういう社会の素顔にあたる部分は、露見しても、世界の人間に伝播するのは十年以上はかかって、タイムラグがあるのが普通だが、いまではもう日本の人といえば、ああいう人間達の集まりだから、と内心でみんなが考えるようになったのは、不正を見過ごすことが不正者に加担することであるという、誰にでも明瞭な事実を知らないふりをしてきたことのconsequenceで、 … Continue reading

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ブルースを聴いてみるかい? 断章篇 (小田朋美さんに)

1 ピアノという器械は「神に近い器械でも複雑でありうる」ことを示した点で歴史的であるとおもう。 神に近付きうるものは、単純な勁い線で描かれている、という、それまでの世界の公理に反していた。 あれだけの複雑な機構をもった楽器はクラブサンのような通俗な音をだすのに相応しいが、鍵盤をたたいてみればわかる、あのダサいほど複雑で無理矢理な器械からは天国の音楽を奏でるのに相応しい音が出る。 ジャン・クリストフでなくたって、音というものへの感覚があれば弾いたりせずに、ひとつひとつ鍵盤をたたいていて、一日があっというまに経ってしまう。 2 現代詩の過半が「歌詞のある音楽」に移行して随分たつ。 シェークスピアやT. S. Eliotを読めば簡単に判る、不動産契約言語とフランス人たちが可笑しがる英語ですら、言語自体としてチューンやリズムを持っていて、言語の旋律に音楽の旋律を重ねることには定型に定型を鋳型する、途方もない無理がある。 だから、歌詞は普通、それだけでは詩をなしえない言語で書かれている。 もっともフランス語は例外で、どういう理由によるのか、あれだけカッチンカッチンの音の定型を持つ言語でありながら、旋律をつけると、ちゃんと音楽になってしまう。 Mon amour qui plonge dans ton regard bleu あなたの青い瞳に飛び込むと、ぼくの唇も青くなってしまうのだ、なんて岡田隆彦みたい、は冗談だが。 3 Lana Del Reyは歌手であるよりも詩人であるとおもう。 冷笑しようとおもえば、こんなに簡単に冷笑しうる人もめずらしいのは、ラナさんが友達たちと書いた曲の音譜を見ただけでわかる。 ほんとに、これをライブコンサートの舞台でやるんですか?という類の曲です。 スペイン人たちのフラメンコみたいというか、Lana Del Reyは世間の冷笑的な知性に挑戦している。 そして、わしは、あのひとは、いつも成功していると考えています。 Fine Chinaは、けっきょくリリースされない曲でした。 “Fine China” I wore diamonds for the … Continue reading

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友達たちへの手紙 2

ハサミを持って、玄関脇のローズマリーから枝を5,6本切り取ってきてくれとモニさんに頼まれる。 ようやっと骨折がなおったのが嬉しくてたまらないのでしょう、なんだか一日キッチンに立って、お菓子をつくったり、小さなひとたちと一緒に裏庭でレーシング用のマルチコプター・ドローンを競走させて飛ばしたりして遊んでいる。 午後になってお腹がすいたと述べると、おやつにパタタスブラバスをつくってあげよう、と言ってエプロンをつけている。 パタタスブラバス、知っていますか? カタルーニャのどこにでもある料理で、小さめに切って、ローズマリーを散らしてオリリブオイルをかけてローストしたジャガイモにピリッと辛いブラバスソースをかけて食べる。 あ。あれっ?ローズマリーを一緒に焼くのは、わし家方式かな? いま気が付いたが、バルセロナのタパスバーで出てくるパタタスブラバスにはローズマリーないね。 ローズマリーが大好きな自分の好みに合わせて勝手にレシピを改変したのを、モニさんも踏襲しているのかも知れません。 たしかもともとはマドリードの料理だが、タパスバーで人気があるせいで、記憶の中ではバルセロナの町と結びついている。 卵を優遇して上席をあたえるスペイン料理の常で、たいてい、なんだか恭しい感じで、目玉焼きが上にのっかっている。 半熟のそのまた手前の黄身をぶちゅっとつぶして食べるおいしさときたら! パタタスブラバスをグリル料理と書いてある本を日本で見かけたことがあるが、パタタスブラバスは分類したければロースト料理です。 グリルとローストは、どう違うのかって? オブンにいれて、上から焼くのがグリルで、下から焼くのがローストですねん。 定義はほんとは、いろいろあるのだが、西洋の人間は子供のときに簡単に、オブンの熱源の上下でおぼえて、頭のなかで定義になっている。 でも、グリルのイタリア語にあたるalla grigliaは網焼きで、下から火をいれますよね、とか難しいことを言わないよーに。 そういう頭の働きをするから漢唐訓詁の清は細かな字義に凝って、日本は撥ねがちがう、足し算の順番が文意と異なると述べて社会が堂々めぐりに衰退していった。 人間、テキトーが肝腎なのだとゆわれている。 枚挙に耐える厳格を求められるのは科学研究者だけですよ。 ひどいことをいうと、PhDすら持たない人間が、疑似科学だのエセ史観だのとエラソーを述べても、所詮は素人のへのこじまんで、なにしろ本来の思考手順が頭に入っていないので、ピントがずれたところで、重箱の隅をつつきすぎて穴を開けるだけであるとおもわれる。 ほんとは研究者でもなんでもないのに、大学でバイト教師をしているのをいいことに、笠に着て、学者っぽい肩書きをでっちあげて、おまえは歴史修正主義者だ、先週まではまんなかで分けていた髪を、横分けにして、顔を誤魔化そうとして居るではないか、真の学問的方法は、教科書に書いてあるとおりだ、正しい放射能のこわがりかたを知らないんですか、素人であることに甘えていないで、被曝だって自己責任でしょう、…って、自分の頭の中に拵えた説教壇で背伸びするのは、かっこわるいとおもうよ。 かっこわるいだけでなくて、関東大震災で在日朝鮮人のひとびとを辻つじで尋問して、虐殺したニセガイジン審問官たちをおもわせる。 本質的におなじことだから似てしまうのはあたりまえなんだけどね。 ただの差別中毒症者なのではないか。 日本語でCMSのコミュニティをつくってみようと考えていたが、サイトトップをつくってみると、CMSと日本語はどうもデザイン意匠的な相性がわるいようです。 結局、某欧州語でやってみることにして、遊んでいたら、いろいろな人達がつくったものを持ち寄って参加できて、描いた絵や、ビデオ、つくった曲を載せたりして楽しそうなので、なるほどこっちのほうがいいんだな、と納得しました。 一生のあいだに起きるすべてのこととおなじように正しい方向にすすむときには、びっくりするほど抵抗なくスムースにものごとがすすむ。 ちからをいれてガジガジすすまねばならないときは、やっていることと始めた角度がまちがっているので、ガッコの先生が述べていたように、なにごとによらず「女神が手引きしてくれているように」すらすらとすすむのでなければ、初めの考えが誤っている。 普段はアジア全般のことに(言いはしないが)興味をもてないらしいモニさんと珍しく日本の話をする。 いや、ブログは、書く気がするあいだは書きます。 日本語、身の回りの人間は誰も読んでないから、いよいよ他人の目の影響がまったくなしに自分が考えているらしいことを文字に出来るしね。 日本語で書くときには日本語で考えているらしい人格ができていて、そのひととぼくとは、だいぶん異なる人格でもあって、ちょっとジキル博士とハイド氏みたいな楽しみもあるんです。 日本のひとは、多分、よっぽど外国語を習得しようとおもうことがないらしくて、「嫌ならやめたほうがいいとおもいます」と、おっそっろしいことを、あっさり言いにくるけどね、あたりまえだが、ひとつの言語を身に付けるには、一日にちょっとずつだと言っても、トータルでは膨大な労力がいるわけで、努力に関しては取り分けて吝嗇なぼくとしては、やや日本語ごとゴミ箱に捨ててしまうのは、もったいない。 え? 記事の人気ですか? 人気はないですよ。 前半は、まばらで、ときどきのオンアンドオフだといっても、かれこれ12年くらいやっていて、9年前にはてなトロルたちの嫌がらせで、いったん削除したあとに再開したいまのブログで475万PVだかなんだかだもん、中小ブログどころか、いまにも消えそうなロウソクみたいなブログなんです。 日本語は嫌なことばかり多い言語だったけど、友達もできたし、まあ、こんなものではなかろうか。 珍しく日本の話をして、日本のひとが聞きたくなさそうな近い将来に起きることの予測をのべて、モニさんと二時間くらいも話をしていたら、突然、まあ、こんなものだろう、という気がしてきて、句点ができてしまった。 … Continue reading

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友達たちへの手紙

英語ではwalk in wardrobeという。 ドアを開けて、なかに歩いて入っていける、服や靴、装飾品が置いてある小部屋のことで、日本ではどうなのか、英語圏の国では別に贅沢というわけではなくて、普通に家にあるものです。 むかし軽い気持ちで付き合いはじめたばかりの女の人で「walk in wardrobeがある家に住むのが夢だ」と述べた人がいて、気持が昂ぶっていたのか、それともほんとうは、そのひとに恋をしていたのか、おもわずに涙ぐんでしまったのを隠すのがたいへんだったことがあった。 そのひととは、だいたいにおいて素性を隠して付き合っていた頃のことで、言いはしないまでも、なあんとなくビンボ人のせがれのような顔をして会っていたが、「それじゃ、頑張って働かなくてわ!」と危険な隠顕を帯びた冗談を口にするところまでも付き合ってはいけなかった。 ただ「walk in wardrobeがある家に住むのが夢だ」と聞いた瞬間の、おもいがけない、切ない気持だけをおぼえている。 胸を衝かれる、という言葉が日本語にはあるけれども、きっと、ああいう気持のことを言うのだろう。 少し豊かな家になるとwalk in wardrobeとman caveは対で、後者は言うまでもない、その家の夫であったり父親であったり、両方であったり、両方ともに失格であったりするひとが、中世のものだと言われて騙されて買ったスペインの甲冑や、江戸時代の名匠のものだと信じて大枚をはたいた、太平洋戦争中に軍刀として粗製濫造された日本刀、タミヤのラジコン・キングタイガー、壁一面の根付けに、秘密めかしたキャビネットに大量に隠匿された浮世絵の春画、 はては実銃の鍵がかかったキャビネットまで、「男」という社会文化上の病にかかった結果の、ガラクタが文字通りの洞窟部屋に所狭しと並んでいる。 自分の部屋のwalk in wardrobeを片付けていたら、緑色の、なつかしいステットスンの帽子が出てきた。 結婚する前にモニが「ガメみたいに帽子が似合う人間は珍しいな」と述べたので、すっかり有頂天になって、なかでもモニのお気に入りの、ツバが昔ふうに広い、骨董帽子店で買ったステットスンの帽子をよくかぶっていたので、自然、そのころのこのブログの記事にもよく出てきます。 https://gamayauber1001.wordpress.com/1970/01/01/haruno/ この帽子をかぶって、モニとふたりで、バルセロナの買ったばかりの、だだっぴろいテラスがある、遠くにサグラダ・ファミリアが見える安アパートを出発して、Gironaやフィゲレスに寄って、Avignon、ニースを通って、フィレンツェに出かけた旅行をおぼえている。 上に引いた「春の雪」という記事は、たしか階下にイギリス人と日本人のカップルがいたフィレンツェのアパートで書いたものでした。 若い、ということは、どんな人間にとっても表現するのが難しい時期で、薔薇色であったような気もすれば、深い霧に包まれて、疑心暗鬼、不安に苛まされていたようでもあって、人間の一生のなかでも最も正体不明の時期であるとおもう。 自分で言うと、なんだかヘンな人だが、連合王国という全く反省のない階級社会の、途方もなく恵まれた家に生まれついて、知能は大学でギニアピッグやサルの代わりに観察対象にされるくらい高く、容姿にも恵まれて、というのは、いいですか、心して聞くように、ハンサムで、他人の嫉妬に悩まされるくらいが嫌なことのすべてで、何不自由なく、したがって騙されやすく、やや下卑た日本語におちるが、脇が大甘で、見るに見かねるのか、いつもこれ以上は望めないほど善人ですぐれた才能をもつ友人達に囲まれて、ひょっとするとガメは世界で最もラッキーな人間なのではないか、と言われながら、本人は、得体のしれない、姿がみえない不安で、夜明けまで眠れずに、まんじりともしないでサンルームの窓際に腰掛けていることがあった。 社会と軋轢を起こさずに、社会に辟易せず、他人に嫌われずに、他人を嫌いにもならずに生きていくコツは、「距離をおくことだ」とアリストテレスの昔からたくさんの社会と個人の関係についての省察が好きな人間が述べている。 地上におりて、道路に出て、手が届きそうな距離で、他人に話しかけてはいけない。 3階の窓から通りを行き交う人々を眺め渡すように人間の社会を見ることこそ望ましけれ。 愚かな人間と関わって、自分まで愚かなことを述べるようになるのは、なんと愚劣であることか。 賢人というものは厄介なもので、いちいち言うことに頷かせられるので、なんとなく、どこかがヘンだと感じながら、頷いてしまう。 距離をおく。 なるほど。 距離をおいて他人を見るひとは、言われてみれば地面の6フィート下で眠るようになっても、なお、他の人の評判がいい。 あのひとは穏やかな、良い人だった。 ものがわかって、世界をいつもやさしい視線で眺めていた。 社会と距離をおいて付き合う方法を身に付けたひとびとは、死後に至っても、なお評判がよいのが普通です。 しかし、それが詐術であることを理解することでしかリアルな人間の一生は始まらない。 「だまし」なんだよ、あれ。 人間にとって、最も大事なことを欠いている。 … Continue reading

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マクラーレン

家から散歩で歩いていける範囲、リミュエラの東側に、イギリスやニュージーランド、もっと広くいえばオーストラリアやアメリカの田舎にもよくあるタイプの小さな白塗りのガソリン・スタンドがある。 普段、自分たちが話す英語をカタカナにすれば「ペトロル・ステーション」だが、日本語では見かけたことがないことを考えると、petrol stationは英語だけの言葉で、日本では使わないのかも知れません。 むかし、(ニューヨーク州の)アップステートに住む友達を訪ねていって、その町が、クルマが左側でなくて右側を走っているだけのことで、あとはイギリスやニュージーランドの田舎の町とまったく変わらないので可笑しかったことがあったが、そういう、人口が、千人か二千人くらいの町によくあるガソリンスタンドと自動車修理ガレージが機能の建物が、そのままアップランドビレッジという、リミュエラにふたつある商店街の小さなほうの、そのまた隅っこに残って居る。 いまは空き店になっていて、そのうちには取り壊される運命だろうことが見てとれます。 リミュエラに住むブルース・マクラーレン一家の父親が経営していたガソリン・スタンドのあとで、マクラーレンが初めてクルマの下に潜り込んで顔をオイルで真っ黒にしたガレージ(らしきもの)も、ここにあった。 スポーツくらいしかやることがないニュージーランドに生まれて育ったマクラーレンは、生涯、右足よりも1インチ半ほど短かった左足に悩まされて、ほかのニュージーランド人の子供のように、ラグビーやクリケットに興じる、というわけにはいかなかった。 リミュエラは海に近くて、実際、マクラーレンの伝記フィルムをみると、里帰りするたびに、ミッションベイやオラケイの海で遊ぶ、この天才レーサーが写っているが、ヨットやボート、当時は大流行で、いまでもリミュエラの鹹水湖にはジャンプ台やピアがあってリミュエラの「ご当地スポーツ」の趣がある水上スキーは生涯苦手で、「水は危ない」と笑って述べている。 結局、この小柄な、障害に悩まされていた少年が選んだスポーツはカースポーツで、15歳のときには、ニュージーランドではいまでも盛んな草レースに出場して、いきなり優勝する。 このころ、1950年代初頭のニュージーランドのカーレースは、砂浜を直線コースに見立てて速度を競う、ちょっと呆気にとられるようなもので、それでも、娯楽の少ない国のことで、毎週日曜日には、おおぜいの人がつめかけていた。 ぼくがいま住んでいる家のすぐ近くに住んでいた、エベレストに初登頂したエドモンド・ヒラリーや、世界で初めての婦人参政権を長い激しい戦いのあとに勝ち取ったケイト・シェパード、ラザフォードのようなノーベル賞を受賞した物理学者もいるが、ニュージーランドを代表する名前といえば、ブルース・マクラーレンであり、John Brittenであり、「世界最速のインディアン」、いいとしこいて、オートバイの世界記録樹立に自分の手で改造した旧式な「インディアン」社のオートバイで挑んで183.58マイル/時(295.4km/h)の世界記録を樹立したBurt Munroであると感じる。 gravel road という単語はイギリス人やアメリカ人自身であっても、なかなか気が付かないがイギリス英語とアメリカ英語では意味がまったく異なるので、アメリカ人の伝記作者は読み過ごしてしまっているが、イギリス英語の国であるニュージーランドでは、砂利をいちめんに敷きつめた道路のことで、田舎道をクルマで旅行した人は判るとおもうが、60km/hを越えると、クルマがコントロールを失って、宙に浮いたようになって、飛んで行ってしまう。 オープンロードで、よくクルマが上下逆さま、デングリ返しになって、中国や日本からやってきた観光客の人がよく死ぬが、たいていは、このgravel roadについての知識を欠いているからです。 ニュージーランドでは、それなのに、砂浜レースのあとにつくられたレースコースがgravel roadでマクラーレン少年が勝ちまくっていったのは、この砂利道のコーナーを100km/h以上で駆け抜ける、なんだか尋常でないドライビング能力を発揮しなければならない難しいレースコースでのことだった。 マクラーレンの生涯の最もおおきな特徴は、よい友達や仲間に恵まれたことで、アルゼンチン、カナダ、アメリカ、イギリス、そして有名なル・マンがあるモナコと旅行するマクラーレン一座は、めんどくさがって月並みな表現をするなら家族のよう、もっと現実味のある表現ならば日本語の兄弟ではなく 英語でいうbrothersで、それもイデアのbrothersというか、人間が夢にみる最高の関係としてのbrothersに近いものだった。 レーシングカーの空力が勝敗のおおきな要素だった「ハイ・ウイング」の時代に超音速旅客機コンコルド設計チームにいたRobin Herdがチームに加わったこともあって、連戦連勝のプライベートチームという、カーレースの世界ではほとんど有り得ない事実をマクラーレンたちは積み上げてゆく。 いつか「日本の人は集団作業が下手だ」と書いたら「日本人は集団作業が得意なので知られる国民です。なにも知らないのですね」という人がいっぱい来てびっくりしたが、どう世界に知られていても、残念ながら下手は下手で、おなじことをみんなでやることが「集団作業」であるならともかく、ひとりひとり個性や得意なことが際立っているお互いにおおきく異なる個人がいないことが原因だとおもうが、日本の人が考える「集団」は集団作業の主体になりうる集団とは、少し意味が異なるようです。 日本の人は居職の職人さんが下を向いて丁寧な仕事をするような個人作業に向いているほうで、集団作業は苦手であると、いまでも考える。 カーレーシングのロックバンド一座のようなマクラーレンたちの若さと、どう言えばいいのだろう、源俊頼が定義する物狂いに取り憑かれたハッピーな面々は、ブルース・マクラーレンが32歳でグッドウッドサーキットでクルマのテスト中に事故死するまで、まるで、アップテンポなロックミュージックのように続いていく。 チーム自体は、ブルースの事故死の直後にやはり事故で焼けただれた両手をハンドルに「くくりつけて」レースを続けたテディ・メイヤーを中心にその後も勝ち続けて「マクラーレン」の伝説的な名前をいまに引き継いでいる。 マクラーレン、ブリッテン、ムンローと3人のニュージーランド人を並べて、誰でも気が付くことは、イギリス人がいう「長いワイヤーをニュージーランド人に与えてご覧よ、やつらは、それでなんでもつくっちまう。天地創造まで、やっちまうんだぜ」という言葉どおり、なんでもかんでも手作りで、ガレージにこもって、ビンボな人間たちが手製のマシンで世界の大企業マシンに挑戦して勝ったという事実で、それはそのままニュージーランド人の「なければつくればいい」という国民的な伝統を体現している。 ニュージーランド人は「ないものはつくればいいさ」のこの若い国の伝統に従って「世界最速のインディアン」を生みだし、伝説的なブリッテンV1000を世に送り出し、フェラーリを尻目に走り抜けるキィウィバッジのレースカーを出現させ、誰もが世界への反逆で邪悪なアイデアであると考えたサフラゲット、婦人参政権をこの世界に創造した。 ニュージーランドに住んでいると、この国が「新らしい国」であることを実感します。 歴史が浅い、ということよりも、例えばイギリスのような国とは「国」というものへの考えが異なる。 GDPが少なくても、便利がわるくても、人間の幸福ってのは、ほかのところにあるんでさ、という建国当初に、人間扱いされない故国を捨てて遙々荒れるので有名な大洋を越えてロンドンからやってきたワーキングクラスの若者の顔が見えるような社会です。 イギリスでは金融やITの企業で働いている人間のあいだでは「子供が出来たらニュージーランドへ行こう」と言う。 あの国は、子供を育てるには最高だぜ、収入は5分の1になるけどね、という。 ラザフォードは、どこの国でも育つが、マクラーレンはニュージーランドでしか生まれなかったような気がする。 アメリカと核を巡って対立して国ごと「干された」時代や、フランスと核実験をめぐって険悪な関係になって、ついにはオークランドで反核運動の船レインボーウォーリア号がフランスのスパイ達によって爆破されて沈没、死者が出たときでも、ホームローンの利子が24%を越えて、失業者の若者の「輸出」を奨励したらどうだと政治家達がヤケクソの冗談を述べた、どん底までいって国がなくなるのではないかとささやかれた不況のときでも、ニュージランド人たちは冗談を述べて笑って、もう少しで落っこってしまいそうになりながら世界の端っこで、縁に指先だけでぶらさがって必死に生き延びてきた。 口癖だったという「なんとかなるさ、メイト」というマクラーレンのニュージーランドアクセントの英語が聞こえてくるようです。 ニュージーランドは国であるのに、いつでも素手でこの世界に立っている。 ビンボな小国だが、どうやらこの頃は不思議な人気があるらしくて、このあいだインドコミュニティのFM局を聴いていたら、インドではニュージーランドが移民希望先国の1位だと述べていた。 … Continue reading

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自分の家に帰る

子供のときに受けた印象が良すぎたので、その後、日本語を通して日本の社会を見るようになって、「あれ?これは変だな、初め考えていたのと違うな」と気付き始めてから、かれこれ十数年経つのだから、ほんとうは気長というか、ずいぶんのんびりな疑惑の定着でもあるのだけど、いったん、どうもあんまり好きなタイプの国ではないようだ、と考えるようになると、今度はそうとしか考えられなくなって閉口する。 言語の習得は趣味のひとつだが、むかし心理学だかなんだかで習ったとおり、例えば物理学のようなものと違って、ちょことちょこと細切れの時間を積み上げて習得するのが最もよいので、これを書いている人間のように集中力の持続時間が40分以上続かないタイプの人間には向いている。 たとえば語彙を増やしてゆくのに、1秒しか見なくても、2分みつめても、記憶に根ざす度合いはおなじで、そんなヒマがあれば旁や偏の意味をおぼえたほうがいい。 したがって、ひとが考えるほど言語の習得に時間がかかっているわけではなくて、むしろ、習得した言語を自然なものに変えていくほうが労力はおおきい。 このブログでよく例に挙げる、過去の、ジョゼフ・コンラッドを初めとする20歳を過ぎてから外国語としての英語の習得を始めて英語作家や脚本家に育っていったひとたちの例を見ても、骨格をつくるよりも、表面を滑らかにして、なめしていくほうに遙かに時間がかかっている。 英語作家の世界では、2017年から2018年にかけてベストセラーになって、バラク・オバマを始め、各界の有名人に「読まれるべき本」に挙げられたミン・ジン・リーの「パチンコ」は、極東アジアに射した、日本という巨大な邪悪な国家の影の下で、必死に生きていった朝鮮のひとびとの3世代に渉るクロニクルだが、その英語の読みやすさは、地方語としての部分を持たない英語に対する姿勢から来ている。 あるいはKamila ShamisieやArundhati Royの小説の英語もそうで、 どちらかといえば、伝統的な英語とは異なるリズムや調子のものが主流になりつつある、といっていいとおもう。 日本の人に固有の発想として、「これはほんものの英語ではない。ほんものの英語国民ではないのではないか」 「それは正しい英語ではない。英語の構文に照らして、間違っている」というのがあるが、むかし、このブログでカルボナーラの話をしたときに述べたのとおなじことで、英語がもし「正しい英語」に固執する偏屈な言語であったら、いまのように、ほとんど誰でも母語のように話し、ヒンズー語のように、逆に英語側に言語的特徴が流入するような事態は生まれなかっただろ 英語人が「英語ではそういう言い方をしない」と考えることはある。 しかし、それは、「ああ、このひとは家庭内で英語を話して育ったわけはないんだな」というような軽い印象のことを述べているので、英語を母語とする人間のほうが正統であるかのようなことを言うのは、途轍もない時代遅れな偏見というか、つまりは差別が大好きな体質のおっちゃんやおばちゃんたちが、言語に舞台を移して、大好きな人種偏見を披露しているのに過ぎない。 ちょっと前に、アメリカ人で、英語を母語とする女の人の研究者について、何に腹を立てたのか、いつものグループ、と呼びたくなるひとびとが「こいつは英語人のふりをしているだけで、日本人だ。 その証拠に英語が母語の人間のものではなくて英作文にしかすぎない」と述べて、しかも珍しくもネット上で英語で当人に述べた人もいて、激怒させている光景があったが、それが実は関東大震災のあとに、街角の、辻つじに立って、「はひふへほ、と言ってみろ」と尋問して、うまく発音できないと、日本の本によれば袋だたき、日本の外で出た本には「在日朝鮮人たちは市井の日本人たちに虐殺されていった」と書いてある事件を引き起こした心性と、まったく同じものであることは、別に深く考えなくても、まともな知性があれば、すぐに了解できることだろう。 いちど、日本にいたときに、あるアフリカ系の作家を指して、「子供のときから英語で育ったといっても、やっぱりロアルド・ダールのようなもともと英語で生まれて育った作家とは英語の自然さが違うのですよね」と述べた女子大学の英文学研究者に会ったことがあって、 いつものことで、なるほどそうですね、と述べてやりすごしてしまったが、イギリス人ならば誰でも知っている、というようなよく知られた話ではないが、日本人的に厳密な意味ではロアルド・ダールは実は、英語母語人ではない。 ダールの両親は英語を話さないノルウェー人で、この英語表現の名手は、家庭内ではノルウェー語だけを話して育ったからで、文体にはノルウェー語の、ややつんのめるような文章の調子が、うまく使われている。 英語人にはダールの文体について「浅薄で、エキセントリックで嫌な心地がする」と感想を言う人も多いが、よくお話を聴いてみると、そのノルウェー語独特のカンタタンというリズムが嫌なものであるらしい。 ダールは、秘かに、英語とノルウェー語を頭のなかで調合して魔術師のように自分の表現を生み出していったのが目に浮かぶようです。 長々と、なにを述べているのかというと、習得した外国語は結局は自分の母語に良い影響を与えるのであって、日本語で書けば英語そのほかの影響があり、英語にもどれば、各国語の影響があって、言語と言語は化学反応を起こして、表現よりも考え方そのものが見たことのない燦めきを持つので、別に、日本に対してややげんなりな気持を持ったとしても、知的努力に吝嗇な自分の部分が嘆くほど、むだになっているとはおもえない、ということを言おうとしている。 知らない言語は、おもしろい。 文字種がアルファベットでなかったりすると、思わず知らず、わくわくする。 そのうえにアラビア語のように英語とは逆に右から左に書く言語に出会ったりすると、欣喜雀躍、これが判らないまま死んだら、さぞかし後悔するだろう、と考える。 習得、習得、というが、なにをもって「習得」とするかといえば、もともとは未知の言語が自分の思考に流入して母語の思惟に影響を与え始めた時点が習得なのだろう。 初めのうちは自分が母語で考えたことを他言語で表現しようとして区々とした表現に苦労するが、案外すぐに、大量の読書によって、なめし革をなめすように、自然な表現になっていくものであるとおもう。 自分では判らなくても、どうも、この日本語は古いらしいが、考えてみると「第三の新人」以降の作家は好きになれなくて読まないので、戦後現代詩人たちを別にすれば、なんだか明治時代より古い日本語ばかり読み耽っていたのだから、あたりまえといえばあたりまえなのである。 閑話休題。 数年間、ずいぶん数が増えた日本語人の友達たちに読んでもらって、みんなで議論したり、わいわいがやがやとツイッタで話すのを楽しみに書いてきて、実際にそれは自分が「よりよく世界を見る」ためにおおきく役に立ったが、日本語を通じて日本の社会に感じていたコミットメントの分は、暗部の「可視化」などと述べて、誰にでも判るように、どんなひとたちがどんなふうに日本語を蝕んで、真実性を殺して、その結果、日本語社会がいまの状態に立ち至ったか、相当に嫌な思いをしながら、なんとか視えるようにして、債務を果たした気がする。 日本語をはじめいくつかの言語を習得して最もよかったのは、長い間飽き飽きしていた英語が再び好きになったことで、母語を「好きになる」のはなんだか変だが、最も適切とおもわれる表現が「好きになる」なのだから、仕方がない。 これまでのように「他人に見せるため」でなくて、自分が自分自身の内なる日本語を保存するために文章を書くことに戻りたい。 なんだかエラソーに書いているが、英語で書く量が格段に増えて、内緒でいろいろに書いていた諸外国語にまで手がまわらなくなっている、という単純な理由もあります。 飽きっぽいので、今度は日本語にちょっと飽きてしまった、ということもあるのかもしれない。 我ながら、いつものごとくテキトーで、熱が冷め始める、数日で、日本語の世界がなんだか前世で経験したことのようにおもえてしまうのだから、呆れてしまう。 いったい、いつになったら、「自分は誰なのか?」というこの疑問に答えられる日が来るのだろう?

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ハウ・アー・ユー?

「あのとき、前の晩に、あの人はボイスメールに伝言を残して、たしかに、『忘れないで、わたしは、いつもあなたを愛している』と述べたのだ」、と何度も繰り返し、自分に話しかける男を知っている。 日本語で書くとやや目立つ言葉かもしれないが、 Remember, I’ll always love you. は、ごく普通の言葉です。 英語人には、「言われないことは存在しないのだ」という言語文明的な信念があって、考えたことは考えたつもりになっているだけで、ほんとうは自分に対して嘘をついているだけかもしれないので、ちゃんと言葉にして相手に伝えておくべきだと考えているもののようである。 だから、毎日のように、相手を美しいとおもうたびに、 「あなたは、なんて美しい人だろう」という。 あなたのように素晴らしい人間に会えて嬉しい、という。 自分はなんて幸運な人間だろう。 How are you? とは英語ではいわない。 もう、そんな英語を使う人はいないと述べる気の毒な人は論外としても、日本の人のなかには How are you? に意味などない、 さようでござりますれば→さようなら と同じで、ただの符丁だとおもっている人がいるのを知っているが、 それはほんとうではなくて、あれは、今日はどんなふうですか? つらいことはなかったか? 調子はいいですか? と実際に訊いているので、言われればこちらは、ちゃんと自分を眺めてみて、だいじょうぶ、ちゃんと生きているみたい、元気だし、悲しくもない、と点検している。 そんなこと、いちいち一日に何度も考えるなんてめんどくさい、という人もいるに違いないが、英語人とはそういう世界を生きているめんどくさい生き物なのだから仕方がない。 このごろ、強くおもうが、きみとぼくは、どうやら、例えば他人への関心の持ちようということにおいて、なんだか、ものすごく異なる世界を生きているもののようである。 日本語の思惟は、冷たい。 他人へのほんとうの関心をもたない。 多分、日本は武士の発生以来、お家大事の、全体主義で、同輩を個人とみなすと成り立ちえない文明を築き上げて、そのなかで生きてきたので、士農工商、おのおのが全体主義的な世界の見方を確立していて、それを西洋人の鏡に照らすと、 「人間性に乏しい」 「世にも弱者に冷たい」 ということになるのでしょう。 ….めんどくさいね。 どうして、そんなに他人と関わり合いにならなければならないのか。 そんなに他人によりかかられては迷惑です。 自分の問題は自分で解決しろよ。 … Continue reading

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