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日本のこと_1

なぜ、あなたがそこに立っているのだろう、とおもうことがある。 人間が出会うことほど不思議なことはなくて、あなたと会って、結婚という社会制度に名を借りて、ふたりだけで暮らそうと決めたことの不思議をどんなふうに説明すればいいのか判らない。 いい考えだとおもう、という、あなたの答えを信じたふりをしたが、ほんとうはあなたが別段日本に限らず、アジア全体に(偏見というのではなくて)まったく興味を持っていないのを知っていた。 わがままなぼくは、信じたふりをして、まだもうちょっと付き合ってみたいと思っていた日本語が成り立たせる社会を、あなたと一緒に訪問したのでした。 東京も鎌倉も気に入らなかったけれど、あなたは軽井沢は気に入ったようだった。 「長野県の人は冗談が判らなくて、真に受けて、ニュージーランドの人たちみたいだ」と述べたら、あなたは、なんだかムキになって、軽井沢の人は善い人ばかりではないか、と怒っていたが、ほんとうは、それを聞いて、とても安堵していた。 自分の都合で、あなたの一生のうちの何分の一かを浪費したくはなかったから。 1回目の滞在の終わりだったか、あのミキモト真珠店の、白髪の老店員が、あなたが身に付けていたネックレスを指して「お嬢さんのような立派な家のかたにお売りできるような真珠を、お恥ずかしいことですが、もう私どもは持っていないのです。 海水の温度があがって、いまの真珠は、あなたがたのようなひとびとが身に付ける真珠に較べれば、二流以下のものしかないのですよ。 どうか、お嬢さんがお持ちの真珠を大切になさってください」と述べて、びっくりして、あなたは日本文化を少しずつ好きになっていった。 一瞥するだけで、社会でも個人でも、すっと本質を見抜いてしまうあなたは日本の社会が天然全体主義とでも呼ぶべきもので、そのせいで個人は深く深く病んでいて、個人から全体を見ずに全体から個人を見る、奇妙な視点を持っていることに辟易して、まったく興味をもたなくて、日本の社会で暮らしているはずなのに、すべて欧州かアメリカに住んでいるかのようにふるまって、友達も皆欧州人で、もちろん日本の人と接触すれば、途方もなく親切だったけれども、社会は嫌いで、それなのに日本という不思議な(日本の人が聞けば地団駄を踏んで怒るだろうが)途方もなく遅れた社会に興味を持つようになっていった。 軽井沢の家が、森の奥にある趣であるのも良かった。 あなたは、都会っ子で、フランス系のアメリカ人として、あのマンハッタンの、なんだかバカバカしいほどおおきなアパートメントで過ごしてきて、実家は、あの通りの日本語で言えば荘園だが、田舎で過ごしたことはなくて、そのせいで、軽井沢の家がとても気に入ったようでした。 オカネをかけて念入りに舗装された県道?の脇にクルマを駐めて、ガメ、ここでピクニックにしよう、景色が素敵、と言い出したときには、ぶっくらこいてしまった。 あなたは舗装道のまんなかに敷物を敷いて、のんびり、ランチボクスを拡げて、コーヒーを飲み出して、恬淡としている。 「クルマが来たら、どうするの?」と聞くと、 ガメは、観察力がないなあ、この道路に最後にクルマが通ったのは、さあ、一年以上前だと思う、と述べて、澄ましている。 ずっと後になって、道路が続いていく先の、何のために架けたのかよくは判らない橋が閉鎖になっていて、クルマが来る心配をしなくてもいいのが納得されたけど、 そのときは、大胆さで、モニだなあ、とマヌケな感想を持っただけだった。 きみは笑うだろうけど、ぼくは、自分がきみだったらなあ、とよく思うんだよ。 こういう感情も嫉妬と呼んでもいいかも知れません。 いつか夜のミッションベイに行ったら、バーでふたりでワインを1本飲み終わったところで、ガメ、波打ち際に行こうぜ、と述べて、途中で靴を脱ぎすてて、波打ち際に素足をひたして立った。 聴こえる? といって、微笑う。 ほら、音楽みたいでしょう? ニュージーランドのハウラキガルフは、潜ってみると、70年代の日本漁船の乱獲に怒ったマオリ人たちが日本漁船に立ち入らせないようにしてから、帆立貝たちにとっては天国で、カーペットのように帆立貝が生息していて、死ぬと、 亡骸の貝殻は割れて、波に運ばれて、浜辺に運ばれてくる。 その小さな小さな帆立貝の破片が、波でお互いにぶつかりあって、 なんだか超自然的な旋律を奏でる。 そのことを、なぜか、先験的と言いたくなるようなやりかたで知っていて、 現実にはどんなチューンなのかを知りたくてやってみたのだと、後で、きみはこともなげに言うのだけど。 その精細な目で、興味を持ち始めた日本を見て、カメラを持って、日本を撮りはじめた。 その最後の日を書いたブログを、いまでも懐かしく読む。 Hurdy Gurdy man https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/20/hurdy-gurdy-man/ きみやぼくにとって、日本て、いったい何だったんだろう。 西洋の「日本」は明らかに基礎を小泉八雲に拠っていて、人柄もよくて、親切で、日本に対して巨大な理解をもった、この弱視のアイルランド人に出会ったことは、日本の人にとっては、文字通り世界史的にラッキーなことだった。 そのことは大学で後任の夏目漱石に対しておおげさに言えば叛乱を起こした学生たちの失望の言葉を読めば判ります。 … Continue reading

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嫌い

英語を話す国に生まれて育った子供なら誰でも知っている歌がある。 Nobody likes me, everybody hates me, Guess I’ll go eat worms. Long, thin, slimy ones; Short, fat, juicy ones, Itsy, bitsy, fuzzy wuzzy worms. Down goes the first one, down goes the second one, Oh how they wiggle and … Continue reading

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サバイバル講座1

個人が世界と折り合いをつける、というのは意外と難しい作業で、それが出来てしまうと、一生の問題はあらかた片付いてしまうのだ、と言えないこともない。 漠然としすぎているかい? 例えば医学部を出たが、どうも自分は医者には向いていないのではないか。 医学部に入った初めの年に新入生のためにホスピス訪問があって、そのとき、もう死ぬのだと判っているひとたちが、みな、曇りのない笑顔で暮らしているのを見てしまったんです。 わたしには、どうしても、その笑顔の意味が判らなかった。 医学を勉強しながら、患者さんたちの笑顔をときどき思い出していたのだけど、 あるとき、糸が切れたように、ああ、自分には医者は無理だな、と考えました。 絵描きになりたいのだけど、絵で食べていく、なんていうことが可能だろうか? 「ライ麦畑でつかまえて」の主人公は、お兄さんがハリウッドの原作者として仕事をすることを裏切りだと感じて怒るでしょう? でも「バナナフィッシュに最適の日」で、そのお兄さんは銃で自殺してしまう。 商業主義、がおおげさならば、オカネを稼いでいくことと、芸術的な高みを追究していくことは両立できるんですか? ぼくは、オカネを貯めて出かけたマンハッタンのMoMAで、Damien Hirstの例のサメを見たとき、吐き気をこらえるのがたいへんだった。 でも貧乏なまま絵を描いていくことには、なんだか貧しい画家同士のコミューンの狭い部屋で生活していって摩耗していってしまうような、不思議な怖さがあると思うんです。 そういうとき、きみなら、どうするだろう? ちょっと、ここで足踏みしよう、というのは良い考えであるとおもう。 足踏みして、自分の小さな小さな部屋で、寝転がって本を読んで、どうしてもお腹がすいてきたら近所のコンビニで肉まんを買って、その同じコンビニで最低生活を支えるバイトをして、….でもいいが、足踏みをしているくらいなら、ワーキングホリデービザをとって、オーストラリアのコンビニで、あるいは日本人相手のスーパーマーケットや日本料理屋で最低生活を支えるバイトをしながら、寝転がって本を読む、というほうが気が利いているかもしれない。 むかし、いろいろなひとの貧乏生活の話を読んでいて、結果として貧乏な足踏みが自分と世界の折り合いをつけるためのドアになったひとには共通点があることに気が付いた。 奇妙な、と述べてもよい共通点で、「本を買うオカネは惜しまないことに決めていた」ということです。 食事を抜いても、読みたい本を買った。 ぼくなんかは図書館でいいんじゃないの?と思うんだけど、買わないと本を読む気にならないんです、という人の気持ちも判らなくはない。 あるいは世界は一冊の本である、と述べたひとがいて、そういうことを言いそうな、もう死んだ面々の顔を思い浮かべてみると、多分、ルネ・デカルトではないかと思うが、そうだとすると、困ったことにこれから言おうとしている意味と異なった意味で言ったことになってしまうが、都合がいい解釈で強引に使ってしまうと、自分の知らない世界…この場合は外国…を一冊の本とみなして、ざっとでもいいから、読んでみる、という考えもある。 この頃は日本の人でも、なぜかだいたい20代の女の人が多いように見えるが、一年間有効の世界一周チケットを買って、成田からシドニー、シドニーからオークランド、オークランドからサンフランシスコ、ニューヨーク、ロンドン、というように一年まるまるかけて世界を読んでいく人がいる。 東京で広告代理店に勤めていたわけですけど、と、なんだかサバサバした、というような表情で話している。 日本では、ああいう世界って意外と軍隊ぽいんですよね。 英語国でも、割とマッチョな業界だけど。 ああ、そうなんですか? 要領だけのビジネスでは男の人のほうがケーハクだから、うまく行きやすいんですかね? と述べて、舌をだして笑っている。 わたしは日本人なので、やっぱり英語がいちばん大変でした。 日本人にとっては英語はたいへんなんですよー。 受験英語って、一生懸命にやると、どんどん英語が出来なくなっていくんです。 おおげさな言葉でいうと分析って、言語の習得にいちばん向いてない態度だと思いませんか? 日本ではね、構文解析なんて本を高校生が勉強してしまうんです。 文節と文節のかかりかたを図にしたりして、そりゃ、やってるほうだって古文書の解読かよ!と思いますが、みんながそうやって勉強してしまうので、逃れられない。 わたしなんか、それで、英文学ですから! もう最悪で。 ほら、ガメさん、N大の英文科の先生を一週間にいっかい教えてらしたことがあるでしょう? 教えていたのでなはなくて、質問に答えに行っていただけね。 旦那さんが生物学の先生で、義理叔父の大学の同級生なのね。 … Continue reading

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ミナへの手紙

祖父の代の小学校の教科書には「世界のひとびと」という章があって、世界にはいろいろな人々が住んでいます、アフリカ人は乱暴でなまけもの、中東人は攻撃的で喧嘩ばかりしている、と続いたあとで日本・中国・韓国のところになると 「マネは器用にやってみせるが、良いことをする意志がなくて、ずるくて、ウソばかりつくので気をつけなければいけません」と書いてある。 だいたい、いまの世界を覆いつつある白人優越主義のおおもとが、どんなところにあるのか、読んでいると判るような気がします。 ミナがやってきたメルボルンは、オーストラリアで最も早くから多文化社会をめざした町で、戦争直後、大集団で移住してきたイタリアやギリシャからの移民が、そのもとをなしている。 ミナのことだから、何度か店をやってみて自信がついたら、まずメルボルンに越そうと思っているのかもしれないが、もしそうなったら、クルマを運転して、メルボルンから北西へ100kmと少しくらい行ったとこにある、デールズフット(Daylesford )という町にでかけてみるといい。 湖がある、週末をのんびり過ごすのに良い町です。 そのまた十数キロ北に、Hepburn Springsという町があって、ここにはイタリア村の跡があります。 イタリア語圏スイスと北イタリアの人たちが、むかし、大量に移住してきたからで、硬水で、発泡性のミネラルウォーターまであるこの町が、あの人達はたいへん気に入ったようでした。 タウンシップを歩いていると、イタリア語が並んでいて、 Savoia HotelやカフェのLucini’sの看板を眺めて、なんとなく楽しくなってしまう。マカロニ工場だった建物(たしか、いまはレストラン)もあって、どこからどう見てもイタリアの建築だし、町から少し離れた公園には、壁いっぱいにイタリア式の彫刻があるパスタ工場がある。 そして、もちろん、ミナがメルボルンに住むことになったら、絶対に訪問するに決まっている町バララットは、Daylesfordから南西へ40分ほどクルマを運転していくところにある。 バララットはオーストラリア人の自由主義と勇気の象徴で、ミナがよく知っているとおり、1854年の自由主義者と政府軍の戦い Battle of the Eureka Stockadeによってオーストラリア人の自由主義の気風は確立されたのだと言って良いと思う。 ぼくは、この町に50歳年長という、とんでもなく歳が上の友達がいて、バララットの大学で教員を長くやって、そのまま町に定住していたので、よく遊びに出かけたの。 Ballaratの面白いところは、町全体が豊かな金鉱の上に建っているところで、博物館にいくと犬をつれて散歩していた子供が見つけた、でっかい金塊(nugget)があったりして、いまでも地表に露出した金塊を求めて、うろうろ森のなかを歩いているおっちゃんがいる。 ミナが滞在しているPrahranは、むかし(80年代)は日本の人がたくさんいた町です。 ブログ記事によく出てくるとおり、北へ向かって歩いていくと、ぼくの大好きなヤラ川が流れていて、夏の夕暮れ、ちょうどいまくらいになると、川岸に並んでいる艇庫から学生たちが艇をだして、オレンジ色の長い陽のなかを、川上に川下に、滑るようにボートが流れてゆく。 川の南側にカフェが並んでいるでしょう? あんまり、おいしそうに見えないが、案外「いける」店が多くて、グレコという、ぼくが子供のときからご贔屓のカフェ、なにしろニュージーランドにいるときには、信じがたいことに、ちゃんとしたカラマリフライが食べたくなると、家からいちばん近い店が2500km離れたこの店だったので、よくつれてきてもらった店が、VIPクラブにいろいろ怨みがあるCrownカジノの入っているビルの一階に、いまでもあるはずです。 セントキルダ通りのRegent Theatreのほうへ歩いていったほうにある二階のイタリアレストランも、これもまた全然おいしいものを出すように見えないが、リゾットがちゃんとアルデンテで、お米が噛みしめたくなるようにおいしくて、Regent Theatreで面白そうなオペラがあるときには、よく行きます。 Prahranのよいところのひとつは、多分、それで昔日本の人に人気があったのではないかと思うが、日本の総武線にそっくりな雰囲気の電車で都心に出られるところで、夜ふけ、駅のホームに立っていると、飲み過ぎてげーげー吐いている酔っ払いにいたるまで、なんだか新宿にそっくりで、モニとふたりで顔を見合わせて笑ってしまうことがよくある。 夜になると、お巡りさんたちが立っていて、当たりを睥睨しているところが日本の駅とはちょっと異なるけど、平和なもので、安全で、いままで危なそうな光景をいちども見たことがなくて、例えばサンフランシスコの、やはり安全だということになっているBARTの、十倍くらい安全に見えます。 南隣りのセントキルダも、こじんまりして、ミナは好きなのではないかしら。 もしかしたら、もう行ったかも知れないが、ここにはLuna Parkという、メルボルンに住んでいる子供なら誰でも行ったことがある遊園地があって、あるいは娘さんが喜ぶかもしれない。 セントキルダは、地元に長く住んでいる人でも知らない(知らないふりをしている)人がいるが、実は、もともとは有名な売春街で、あの古い商店街の店舗がどこも二階建てなのは、あの二階が全部、売春宿だった。 イギリス式に看板を出さないbrothelがたくさんあった。 いまでは、そういう後ろ暗い過去は隅々まで雑巾掛けしたように拭き取られて、まるでなかったことのようになっているが、ぼくなどはひとが悪いので、道の反対側から商店街を眺めて、往時を想像して、オーストラリアらしい、とにんまりしてしまう。 ほんとうはレンタカーでも借りて、M11をSorrentoくらいまで行ってみるといいんだけど、今度は、そんなヒマはなさそうね。 Sorrentoには、イルカドライブだったかなんだったか、日本語みたいなヘンテコリンな名前の通りに、カッコイイ家があって、悪いくせで、おお、買っちゃおうと思ったことがあったが、不動産屋を呼んで話を訊いてみると、2億円だとかで、このくらいなら1億円以下だろうとあたりをつけていたぼくは、たちまち興味をなくしてしまった。 不動産屋のおばちゃんも、買う気が失せたぼくの様子を見てとって、世間話モードに会話を転換して、メルボルンの駅のすぐ近くにアパートを持っていて、ときどき遊びに行くのよ、というおばちゃんと、メルボルン生活の話をした。 おばちゃんが推奨するライフスタイルは、ソレントあたりに家をもってメルボルンに遊びに行くライフスタイルで、なんのことはないロンドンあたりの人間とおなじ考えです。 … Continue reading

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冬のカリフォルニア

予定を変更して慌てて帰ってきたので、風邪をひいてしまった。 もう慌てて帰ってきた用事は終わったので寝ていればいいわけだが、カリフォルニアで買ったおもちゃがいろいろありすぎて、ごそごそとベッドから出ては遊んでいてモニさんに怒られている。 むかしはニューヨークやロサンジェルスに行くことには、もっと楽しみがおおきかった。 マンハッタンに着くと、まっすぐに、たしか46th Street and Fifth Avenue にあったHMVに出かけた。 このHMVの地下にスペイン語音楽のおおきなコーナーがあって、ミゲル・ボセやバチャータの初めてのCDは、たしか、ここで買ったのだった。 新しいもの、見たことのないものの宝庫で、1990年代までは、アメリカに行かなければ異文化のものはなかなか手に入らなかったし、連合王国やニュージーランドの生活は、真っ白で、英語のアクセントひとつとってもお決まりのアクセントで、ずいぶん退屈な生活だった。 あるいはオレンジカウンティに着くと、まっすぐにFry’sへ行く。 秋葉原にもないような、面白いマザーボードや、ヘンテコな外付け周辺機器(例:100連装CDチェンジャー)があったからで、むかしからPCオタクのわしにとってはパラダイスな店だった。 いまは例えばSpotifyがある。Spotifyがあって、例えばスペイン語人の友達に頼めば、自分の店で使っている音楽のプレイリストを、そのままごそっと送ってくれます。 あるいはフォローしている友達が毎日作り変えているプレイリストをなぞって聴いていゆくことも出来る。 ゲームならばsteamがある。 本はkindleがあって、テレビさえhuluやなんかがあって、アメリカの銀行が発行したクレジットカードがあれば、アメリカの「地上波」ネットワークがそのまま観られる。 Huluで言えば、わざとTVコマーシャル付きの格安プランにしておけば、アメリカの企業のTVコマーシャルも付いてきて「おお。シチズンのiOS対応腕時計がMacy’sで30%引きではないか。ずええったいにシドニーとかで買ってやんない」とつぶやく。 Bed Bath & Beyondのような店もニュージーランドにもシドニーにもあって、佐久平の駅前と那覇の新開地の駅前と照応しているというか、英語町は、どこに行っても似通ってきて、だんだんマンハッタンのような町の魅力が薄まってゆくようでもある。 それでも価格の面ではおおきな差があって、なにしろアメリカという国は、なんでもかんでも安い国なので、Thanksgivingに出かけて毎日買い物をしくるって「いえーい」をするが、有名ブランド安物が大好きなわしとは異なって、モニさんなどは、ほんとうは既製服などはあんまり好きでないので、一緒に買い物を楽しんではくれるが、特にコーフンしているわけではないのは、夫をやっていればすぐに判る。 でも、旅行って楽しいんだよね、と、やはり思う。 理由は、「いつもと違う毎日」だからでしょう。 今回はInfiniti QX80 http://www.infinitiusa.com/suv/qx80 というクルマが面白かった。 アメリカ市場向けっぽい、ぶっかぶかなクルマで、5.6リッターの400馬力V8エンジンで、のおんびり走る。 日産の例の技術で、駐車するときは直上から見下ろしたビデオを観ながら駐車できるのでチョー便利。 ドアは自動で、ういーんういーんと開きます。 モニさんとふたりでシドニーのほうで、このクルマを買って、まんなかのシートボックスに冷蔵庫つけちゃうといいな、と話した。 いま見るとカタログには出ていないが、ランドクルーザーにもオプションであったので、やっぱり、あるのではないかしら。 部屋も、どの部屋の電気スタンドにも2000mAのUSBx2と充電アダプタがつけられるパワーポイントがついていて、なんちゅう良い考え、と感心する。 こっちは家でも工事して壁の高い所につけてあるが、パワーポイントが床の近くから高さ1mくらいの所に引っ越しているのも合理的であると思われる。 そして、ひと! 銀行でも、レストランでも、モールの店でも、マンハッタン人やダラス人も相当にひとなつこいが、南カリフォルニア人は桁外れで、ウエルスファーゴのような銀行で、テラーの人々が集まってきてニュージーランドのことを聞き始めたのには笑ってしまった。 良い国の人はどこでもそうだが、都会でも、善意がむきだしで、まるで田舎のおっちゃんやおばちゃんたちのようです。 どうだろう。 … Continue reading

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チップっぷ

ニュージーランドではタブレットの画面にサインする機会は殆どない。 振り返って考えてみると、ここ1年で、画面にタッチペンでサインをしたのは家のセキュリティシステムをチェックしに来たおっちゃんが「はい、終わりました」と述べて「内容を確認して、よかったらサインしてください」というのがあっただけだった。 カリフォルニアにやってくると、買い物の支払いから何から、なんでんかんでんタブレットへのサインなので、アメリカに戻ってきたなあーと思う。 もともとヘロヘロなサインがツルツルする画面のせいでますますヘロヘロになって、なんだかミミズが手術台の上で悶死しているような惨状を呈するが、観ているとどのひとも同じようなもので、いっそ将来アメリカに越してきた場合はヘノヘノモヘジのような特徴が明瞭なサインのほうが良いのではなかろーか。 アメリカが昔から、サイン方式を採用していて、UKやNZのピン方式と対照をなしているのは、つまりはチップ社会だからです。 ピン方式でも、チップを入力するようになっていて、観光客などはうっかり騙されてチップを払ってしまうらしいが、わしなどは筋金入りのドケチUK/NZ人なので 「なあーにを夢みておる。ぶわっかたれめが」と呟きながらゼロと入力するが、日頃チップを払わないと食事が永遠に喉につかえる気持ちになるらしいアメリカ人友達たちなどは、理性の判断に反してチップを払ってしまう。 で、やってみれば簡単に判って、やってみなければいくら説明しても判りにくいが、チップが習慣の国では、手でサラサラと書いて、はい、と渡すほうがリズムとしても合っている。 自分では、特に決めているわけではないが、だいたい2割を目安にチップを渡しているもののようである。 支払いが$32.6であるとすると、$39.12なので合計$40.00手渡す。 まるめれば、支払いが坊主になって解脱に近付く、というような宗教的信念があるからではなくて、ただの習慣です。 1980年代にガキンチョとして大西洋を越えてから、アメリカに行くたびに、おもうのは、アメリカ人たちが段々チップを払うことをめんどくさがるようになっているはっきりした傾向で、例えばEmbassy Suitesの勃興は窓外の風景がデッタラメ(←わしがいちばん初めに泊まったEmbassy Suitesは、カーテンを開けると外は油田だった)な代わりに、広々として、安くて、あんたは象ですかと訝られるほど大量の朝食を摂るわしとしてはキャキャキャなことに朝食は食べ放題で無料であって、アメリカ人がつくるパンケーキは美味いので、いっぺんに10枚食べて、妹に「観てて恥ずかしいから同じテーブルに座るな」と言われたりしていた、「おおらかな感じ」に理由が求められるだろうが、しかし、もうひとつ要因が考えられて、到着してから出立するまで、チップを払う機会が殆ど存在しない。 クルマで玄関につくとドアマンが出て来て「手伝いますか?」と聞くが、「自分でやるからいいです−」と応えると、全部自分でやらせてくれます。 荷物運搬のワゴンを自分で持ってきて、クルマのテールドアを開けて、えっこらせとスーツケースを移して、チェックインして、それがこのホテルチェーンの特徴の、でっかくてジャングルぽくしてあるコートヤードを望観しながら、チョー遅いガラス張りエスカレータで、ゆるゆるゆる、ゆるゆるゆる、と自分の部屋にのぼってゆく。 朝ご飯のときにオムレツや目玉焼きをつくってくれるシェフの人に、当時は1ドル、いまは2ドル渡す。 夕方のカクテルが無料の時間に下におりていってポップコーンを食べながらMLBの試合を観て、グリーンモンスターをひさしぶりに眺めながら、また一杯あたり2ドル渡す。 あとは部屋の清掃の人に毎朝ピローマネーを置いておくだけのことで、楽ちんなので、流行っているのではないだろーかと睨んでいる、睨んでいるが、わしが睨むとたいてい外れなので、やぶにらみで、安心して信じていいのか、どうなのか。 マンハッタンのカナルストリートを、どんどん南下というかいま地図を見ると南東向きだが相変わらず地理音痴のわしの頭のなかではどう思い出してみても南下で、南下すると、中華街にたどりつく。 中華街なので中華料理屋がいっぱいあります。 座って、ひとりさびしくワンタンスープを食べている。 やることがないので他人を観察する。 少し離れた席に、こちらに背中を向けて座っている観光客らしいおっちゃんのはげ頭をみながら、はげの形が南極大陸みたい、とぼんやり考える。 そういえば、このあいだはアイルランドみたいな形に禿げているアイルランド人を観ておかしかった。 満月のようなハゲ、という表現が日本語にはあったかしら。 チェック、プリーズの声がするほうを観ると、支払ってテーブルを立つ客がいるが、なあんとなく、そそくさしている。 中華街ではチップをはずまないのは言外の常識と化している、というべきで、サービスが悪いから、ということになっているが、カテゴリー化していて、アジア料理店ではチップが少なくてもよいことになっているもののよーである。 いまはもう無くなってしまったが、中華街から離れたBoweryに昔はよく出かけた中華料理店があって、余計なことを書くと、近くに音楽スタジオがあるせいで、店内をふと見渡すとデイビッド・ボウイがなんだかニコニコして座っていたり、まだデビューしたてだったアデルがウエイトレスに冗談をぶっこいて大声で笑っていたりする店だった。 おなじ中華料理店でも、この店では観ていて判るくらいみなが盛大にチップを払っていたので、店の雰囲気が、満月が地球の潮の干満に影響を及ぼすがごとくチップの多寡に影響するものであることが観てとれる。 カリフォルニアに至っては、チップを渡す機会が大幅に省略されている、というか、ファーストフードでなくてもマクドナルド式のカウンタで注文して呼ばれるとトレイをもって自分でテーブルに向かう式の店が多い、というか、そういうスタイルの店の食べ物の質が高いので、考えてみると普通に暮らしていればチップを渡す機会は殆どなさそうです。 マンハッタンなどに較べてチップレス社会になっていきつつあるらしい。 わしは酔っ払いなので、よいことがあると$50くらいの食事に$100ドルのチップを渡して、アメリカ人友達の顰蹙を買うことがある。 ガメ、そんなにチップ渡したらダメじゃないか、とよく言われる。 ウエイターでなくても、バーで、中年のピアノ弾きのおっちゃんが、さんざんビートルズやバリー・マニローやフランク・シナトラのナンバーをリクエストされたあとに、途切れて、突然ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲を弾き出したことがあって、それがとんでもなく上手で、おもわず歩いていって$100札を渡したこともあった。 イギリス人には、上流人でもなければチップを払う習慣はない。 日本語なので、いや、そんなことはない、ロンドンではチップを払う!と怒る人がいそうだが、あれはどちらかというと「心付け」で、連合王国がチップ社会ならば、日本も立派にそうだということになる。 わし義理叔父はわしと同じでケチンボだが、料亭やなんかで、「いや、どうも今日はおかげで楽しかった」と述べながら1万円札を渡しているのを観たことがある。 タクシーに一緒に乗ると、「お釣りはいりません」の人で、けっけっけっ見栄っ張りめ、と思っていたが、雑誌や新聞もキオスクよりも、少し歩いて舗道に布を拡げて、多分拾ってきたものなのでしょう、丁寧にしわをのばした新聞をおっちゃんたちから買っているのを観て、そーゆー思想なのね、と納得した。 ニュージーランド人は、チップがいらない社会であることを誇りにしているので、最近はやりのチップの入力をうながすEFTPOS端末を観て、店の持ち主に、こういう下らない機械を採用してはダメではないかと怒っている人がいる。 … Continue reading

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明日

ロサンジェルスに行くしたくをしなければならないが、なんとなく面倒くさい。 ずっとブログやツイッタで付き合ってくれたひとびとは知っているが、わしとわし友達が、なあんとなくトランプが勝つだろうと思っていたのは、やはりBrexit投票のせいである。 途中、どの発言だったか忘れたが終盤でいちどだけ、「あっ、これならヒラリー・クリントンが勝てる」とおもう一瞬があったが、JFKの昔から民主党大統領にとっては鬼門のFBI長官のせいで、ほぼ投票の前に惨敗が決まってしまった。 文句おやじのマイケル・ムーアが、主に出身地のフリント(←GMのお膝元の企業城下町)での観察に基づいて「信じたくないだろうがドナルド・トランプが勝つ」と述べていたが、結局は、その通りになってしまった。 http://michaelmoore.com/trumpwillwin/ やはり、このブログ記事にも書いたが、2年前、中西部の町であるラスベガスで、いわゆる「とてもいい人」のタクシーの運転手さんと話した。 ニューヨークにいた人で、手堅かった職も捨てて、中西部のある町に越したが、仕事がみつからなくてラスベガスに出て来た。 ラスベガスの南に新しく出来たショッピングセンターから、ラスベガスの北まで乗る短いあいだに話をしたが、 いつもの軽口で「ニューヨークは楽しい町ではないですか」と述べると、意外や深刻な調子で、「異なる人たち」と一緒に暮らすのに疲れたんです、という多分生まれたのはジョージアどこかだろうと思わせる口調で答えてくれた。 異なる人たちって?と聞き返すと、うーん、you know、と述べて言葉を濁している。 きみも、きみの隣に座っている奥さんも、白人なのだから判るだろう、という口調です。 でも、言葉にして言うのは、嫌なのであるらしい。 わしはモニがちょっとびっくりした顔をするくらいチップを渡してタクシーを降りたが、それはもちろん、その運転手のおっちゃんの意見に賛同したからではなかった。 ヒラリー・クリントンはプア・ホワイトに負けたのだ、と言うが、数字はどうあれ、実感としては、そう思うのは難しい。 このブログに何度も出てくるように、テキサスにはたくさんの友達がいるが、話してみると、トランプに投票した友達が多いようでした。 「めちゃくちゃじゃん」と、言うと、トランプは良い人間ではないし、4年間、アメリカ人は苦労するだろう、という。 じゃあ、なんでトランプなんかに投票したんだい?とひとりを除いては年長者である友達たちに聴くと、「ヒラリー・クリントンのアメリカで暮らしたいとおもうアメリカ人はいない」という。 ウォール街の連中を見ろ。 彼らが例えばCDOを使ってやったことを見ろ。 毎日、夫婦共働きで、精一杯働いて、幸福を夢見て働いたアメリカ人たちに対して、あの銀行の豚共がやったことを、見ろ! という。 汗水たらして働いて、ローンを組んで、必死の思いで暮らしていた人間たちから、あいつらはカネを吸い上げて、その上、そのカネを必ず最後にはすると判っている賭博に投入して、トランプのカードの上にカードを乗せて組み上げたタワーが崩れると、なにくわぬ顔で、税金でベイルアウトして、失敗したのに市場から退場すらしない。 負けたものが破滅するのは資本主義の最低限のルールじゃないのか? 投機的どころではない、ほとんど架空な、無責任な博奕を打って、勝てば自分たちのもの、負ければアメリカ人全部に自分の負けを払わせるのか? それがアメリカか? ガメ、きみは欧州人だから判らないかもしれないが、アメリカは、アメリカという理念で出来ている国なんだよ。 高く掲げられた公正と自由の松明に惹きつけられて世界じゅうからやってきた人間がつくった国なのさ。 それを、あのウォール街の豚どもは、なにもかもぶち壊しにしてしまった。 ガメ、きみのことだから、どうせ、ヒラリー・クリントンが女だから、きみたちは色々な理屈をつけて指がかかった大統領の椅子からヒラリーをひきずり落とそうとしているだけだろう、と皮肉に述べるに違いないが、 断じて違う! おれたちはアメリカを取り戻そうとしているだけなんだ。 公正を期すために述べると、なんだか電話の向こうでちからが入りすぎて、怒鳴りまくるような調子になって「ウォール街が資本主義を殺したのだ」と叫んでいる人は、テキサス大学を出て、たしかウォートンかどこかのビジネススクールに行った人です。 アホな人ではなくて、ロッキードの顧問みたいなことをしていたはずである。 銀髪のアイルランド系4代目の移民で鷹のような目をしている。 たいへんな善人で、わしは、この人が人に知られず、自分がたたきあげからつくった財産の半分以上をアフリカ人の貧しい子供たちが教育を受けられるように寄附をしているのを、まったくの不思議な偶然から知っている。 「アメリカ的価値」に敏感な人で、前にブログに書いた、パブで、わしがウエイターにいつものつもりで何の考えもなしに多めのチップを渡したら、わし手を引いてウエイターのところまでわざわざ歩いていって 「ガメ、この男が、あんなチップに値するほどちゃんと仕事をしていると思うか。 こんなナマケモノの男に、こんなにたくさんチップを渡しては、アメリカ社会にとって迷惑だ。甘やかしてはダメだ」 と言うなり、チップの大半を気の毒なウエイターの手からもぎとって返させたのは、この人です。 … Continue reading

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