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新時代に入った日本2

なんの気なしに、ふとThe Huffington Postをみると、ナノテクのLouis A.Del Monteが、ペンスの環太平洋歴訪はアメリカの先制攻撃を周知するためのもので、ペンスがアメリカに戻る26日から数日で北朝鮮への先制攻撃をするのではないかという趣旨の記事を書いている。 B-2のMOPによる空爆を取り上げてあって、この人がよく理解している技術のひとつがナノテクによって破壊力を増した、例のアフガニスタンに落とした人員殺傷用の巨大爆弾MOAB、GBU-45/Bと、こちらは徹甲弾であるコンクリート貫通爆破用15トン爆弾MOPだからでしょう。 ここのところ、このブログ記事も殺伐とした話が続いていて嫌だが、どうやら世界のなかでただ一国情報から遮断されているらしい日本国内では話題になっていなくても、世界中が注視しているニュースのなかで日本と日本人の運命が最もかかっているのは、緊迫どころではなくなってきた北朝鮮とアメリカ間の緊張で、いくら政治の話が嫌いだと言っていても、来週核ミサイルが東京に落ちるかもしれないと英語記事が出回ったりしているのに、近所に先週開店した欧州式のケーキ屋さんの話を書いていたのでは、いくらなんでも間が抜けている。 ロケットには単体の筐体に弾頭が付いている一段式のロケットと、二段三段に分かれて、空中で切り離して、二段目、三段目に着火する多段式ロケットがあるのは知っていると思います。 簡単にいうと、北朝鮮が持っているミサイルのうち日本が射程に入っているものは一段式で、アメリカ本土に到達しうるものは多段式になっている。 アメリカが暢気に構えていたのは、簡単に言えば北朝鮮の軍事技術力をバカにしていたからで、具体的には 1 核はつくっていても一段式のロケットの弾頭に出来るほど小さく出来ているわけはない 2 多段式のICBMは、弾頭は大型なので核を搭載しうるがロケットの切り離し時の制御が難しいが北朝鮮に、その技術があるわけはない。 の主にふたつの理由によって、北朝鮮が年がら年中すごんでみせる「核による報復」は口だけの駄法螺とみなすことができた。 アメリカという国は、例えば日本がアメリカに対して開戦したときには世界で17位というポルトガル軍よりも小さな軍隊(軍隊、と述べるときは通常、地上軍のことを指します。もちろんアメリカは当時でも世界1,2を誇る海軍を持っていた)ですませていたくらいで、もともと「本土さえ攻撃されなければ、攻撃をうけてから考える」防衛戦略でやってきた国で、広義には、いまでも同じなのだとみなすことが出来る。 まだイラクで激しい戦闘が続いているさなかにやってきて、立ち並ぶ海兵隊員たちを前に、「やあ、諸君のおかげでイラクの紛争は終わった。よかったよかった。 きみたちを誇りにおもう」と聞いていた海兵隊員たちが腰を抜かすような演説をバラク・オバマがぶてたのも、悪くいえば、「イラクなんて政治上のバランスさえ保たれていればアメリカ国民の知ったことか」というアメリカの伝統的な外交感覚に根ざしている。 あれ? おかしいじゃないか、と言い出したのは北朝鮮の軍事パレードを分析していた軍事専門家で、詳しいことは省くが、彼らの観察では、いつのまにか北朝鮮は多段式ロケットを正しく飛ばせるようになっている。 ぼくの眼には、そこでアメリカの態度が豹変したように見えました。 北朝鮮の金正恩を単なるホラ吹き独裁者とみなしていたのが、そのときから現実の脅威に変わった。 もともと、いまは人類にとってはめでたくもホワイトハウス内の権力闘争に負けて失脚したバノンが描いたデザインで軍事外交を描いていたトランプ政権は、共和党の伝統外交政策におおきく舵をきって、アメリカが戦争からやや興味を失っていたように見えたのに、今度はまた遮二無二北朝鮮との開戦にひた押しし始めたのは、やはり、自分の領土が現実の危険にさらされたことへの、トランプ政権ではなく、アメリカ国民一般の意志の反映であるとみなすことが出来ると思います。 意見がわかれていたシリアへのトマホークによる巡航ミサイル攻撃は「トランプが下した初めてのまともな判断」ということになり、北朝鮮への攻撃も「仕方がないのではないか」という色が滲んでいる。 前に書いたように、英語社会というのは、以心伝心というか、空気を読む能力が極めて高い社会で、「空気を読め」と強調するわりには、びっくりするほど周囲が考えていることに鈍感なところがある日本語人に較べると、いつのまにか、問わず語らずのうちに、砂が風のなかを流れるように、音もなく変化する。 イギリス人に較べれば、遙かにはっきりと述べる傾向があるアメリカ人といえども英語人は英語人で、おなじで、表面は反対が内心では仕方がないと考えて、周囲に判るように暗黙のサインを送っているひとも含めて、北朝鮮との戦争にGOサインを社会全体が示している。 英語を読める日本の人が一様にとまどっているように見える、突然の戦争機運は、だから、自分達に被害がでる可能性がでてきたアメリカ人たちの、防衛本能だと言う言い方でも良いと思います。 Louis A.Del MonteはB-2搭載のMOPによる核ミサイルシェルター攻撃を示唆しているが、このMOPは、RAFのアブロランカスター爆撃機に搭載されてUボートの分厚いコンクリートシェルター破壊に使われて成功した11トン爆弾「グランドスラム」のいわばアメリカ軍の手による後継爆弾で、 15トンのナノテクノロジーによって爆発力を増大させた通常爆弾です。 効果はグランドスラムのUボート基地爆撃の戦訓によって折り紙付きで、まず成功することでしょう。 だが、ここで破壊されるものは何か? ということを考えると、第一優先目標が、ここに掲げた北朝鮮のミサイルラインアップのうちのTEPODONG-2とKN-08/14の発射装置の破壊で、これはほぼ確実に破壊に成功するだろうと考えられています。 ところが、日本の人にとっては最も心配なはずの北朝鮮の在日米軍に対する報復攻撃に使われる予定のNO-DONGやKN-11,MUSDAN BM-25は巧妙に隠蔽された移動発射台から発射されるわけで、ベトナムやイラクの戦訓を考えても、空爆でこの近中距離戦力を破壊することは不可能に近い。 地上軍を派遣することは考えられないので、特殊部隊による金正恩と側近の暗殺や、ちょうどいまアフガニスタンでオスプレイと海兵隊の小部隊を使って行われている麻薬拠点やタリバン司令部の破壊作戦とおなじ長駆侵入・拠点急襲型の作戦を考えているのでしょうが、ウサマビンラディンを殺害するのに何年かかったかを考えれば、数年という期間を考えるのが最も適当でしょう。 仮に北朝鮮が「広島級」という嫌な言葉で呼ばれる10キロトン以下の、例えばNO-DONGに搭載できる核弾頭を持っているとすると、個人の心理に照らして最悪なことには、「ときどき核ミサイルが飛んでくる日常」という以前に書いた ありふれた光景 https://gamayauber1001.wordpress.com/2017/03/09/ordinary-life/ の核弾頭バージョンという最悪な日常になるわけで、アメリカ人たちは長距離ミサイルを破壊して安心できても、日本人にとってはアメリカとの同盟を呪う毎日になってしまう。 では、そうしないための対策は、とおもって見渡しても、たとえばLouis … Continue reading

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新時代に入った日本

言葉をちゃんとつくるのがめんどくさいので「戦域」という造語にしてしまったが、判りにくかったかもしれない。 つまりは「戦争状態に入った地域」で、それなら「戦場」といえばいいんじゃないの?と言われそうだが、戦場というとベトナム戦争くらいまでの、ひっきりなしに弾が飛び交う地域が思い浮かばれて、こちらが言いたいと思っていることは、「常に戦争の危険にさらされている地域」という意味で、日本から最も近い場所でいうと1960年くらいまでの朝鮮半島は、これに当たる。 あとで考えてみると「紛争地域」という日本語があって、それでよかったような気がするが、日本は、ガキわしの頃に住んでいた時期を別にしても、言語と文化が好きで11回も訪問した国で、しかもそのうちの数回は数ヶ月に及ぶ長期の滞在で、 ニュージーランドを第二の故郷だとすれば、もしかしたら第三くらいに思っているかも知れない国なので、「紛争地域」というボスニア・ヘルツェゴビナのような凄惨で激しい戦闘が頻発した地域に使われた言葉は、禍々しくて、使いたくなかったのかもしれません。 安倍政権を批判されたと感じると過敏に反応して悪罵を投げつけてくる人が桁違いに増えるので、そっちはどうでもいいや、お任せしますということにしたいが、現今の、北朝鮮を巡る緊張は、世界中が認めているように、もともと「力の外交」をやりたかった安倍政権の大願の成就なので、常時、戦時の緊張を社会に与えることによって、だらしがない若い世代の背筋を伸ばす、という安倍政権の政治テーマの一環でもあるので、たまたまということではなくて、論理的な帰結で、ふにゃふにゃで、一向に他の国に感謝もされない平和憲法下の「かっこわるい」日本から脱したいと願った、国民と政権が望んだ外交局面になった、というだけのことにしかすぎない。 いわば日本が求めた外交状況を、なにによらず、考えるという習慣をもたない軽はずみなトランプが、あっというまに現実化してしまったわけで、いざほんとうに現実になってみると、核ミサイルが飛んで来そうであったり、あちこちに出兵を迫られそうであったりして、これはこれで大変だとおもうが、考えてみれば、例えばオーストラリアもずっとそうやって出兵したりして国を運営してきたわけで、日本人が望んだとおりの「普通の国」になったというだけのことでしょう。 いまは明日にでもミサイルが飛んで来そうなことを恐れているが、歴史を振り返ると、人間は案外「戦争が始まりそうで始まらないストレス」のほうを強く感じるもので、日本の近しい歴史でいえば、屑鉄を売ってもらえなくなり、戦争になんかなるわけねーや、とタカをくくって、ヒットラーの戦果のおこぼれに預からないのはマヌケであるとばかり、インドシナをフランスから盗んでみれば、「そんなことやるわけない」と「ダイジョブか?」危惧するひとびとを鼻で嗤っていたのに、あっというまに石油の輸出が禁止されて、資産凍結までされて、いらいらがつのっていた日本人は、真珠湾奇襲の一報を聞いて、文字通り躍り上がって喜んだ。 日本の歴史を通じて欣喜雀躍という言葉が最もぴったりくるのは、日露戦争に勝ったときよりも、このときでした。 右翼だけが喜んだわけではなくて、左翼も、リベラルも、軍人も民間人も、ありとあらゆる政治傾向の、ありとあらゆる階層の人が均しく歓喜して、ただひとり政治人では昭和天皇が憮然とした顔で、皇居の椅子に座っていて、ほかは、ひねくれ者文学人の、永井荷風や金子光晴が、前者はニューヨークとパリ、後者はフランスを漂白した経験から、こんな戦争に勝てるものかと考えて「日本人って、やっぱりアホだな」と低く内心につぶやいただけだった。 もっとも、公正を期していうと、「戦争状態に入っているのに戦争が始まらない」ストレスのおおきさは、欧州のPhony Warの歴史を眺めればすぐに判ることで、人間性の、どういう機微によるのか、どんな文明のどんな民族も「こんなにどっちつかずのイライラを募らせるくらいなら、いっそパアーと砲火をひらいてくれ」と願うもののようで、いくつかの戦争は現実に、人間の、この不思議な精神的傾向によって激しい戦火で国土を焼き尽くすことになった。 いまは相変わらず情報を遮断されてスケート選手の引退や、大手企業の決算を最重要事と考えることを強いられているひとびとを除いては、日本語で伝えられる政府の様子からすら明瞭にわかるようになった北朝鮮との緊張に、毎日、例えば北朝鮮の行事を数えて、15日の金日成誕生日か、いまかいまかと手に汗を握っているが、くたびれて、そのうちには考えるのをやめることになるに決まっている。 ひどいことをいうと、関心はあっても、要するに遠く離れた国のことなので、ちゃんと調べてはなくて、ほっぽらかしにしてあったが、調べてみると、「小型核弾頭」という、その核爆弾は、対日本攻撃用に開発中のものは、スカッドの改良型(長距離型)に搭載するためのもので、そうであれば、たかだか10キロトンで、被害は広島よりも小さく、もっと言えば長崎よりも小さいはずで、普通に生活を送れば「対処すればなんとかなる」範囲のものであるようです。 あんまり核爆弾の知識がない人のために述べると、といって、そんなヘンなものに知識があるほうが怪しい人であるような気がしなくもないが、広島の原爆はたしか15キロトンで、長崎はもうちょっとおおきいだかなんだか、そんなものであったはずで、長崎に落ちたプルトニウム239型の原爆のほうが破壊力が大きいのに被害が少なかったのは、平坦な地形と丘が入り組んだ地形では極端に効果が異なるair burst (中空爆発)型の爆弾/弾頭の特徴で、核爆弾が落っこちてくる個人の側にたっていえば「爆弾と自分のあいだに、でっかい遮蔽物があるかどうか」に自分の運命はかかっている。 広島の爆心地に近いところにいた人でも、ほとんど無傷で生き延びた例がたくさんあるのは、このためで、ビルの地下にいた人、たまたま自分が立っていた所と爆心のあいだに分厚い石の壁があったひと、つまりは丈夫で、でかくて重いものが自分と爆発のあいだにあった人で、逆に、肥田舜太郞医師は、6キロ以上離れた、しかも低い丘のつらなりの向こう側にある村の屋内にいてさえ、爆風で、家の屋外にまで吹き飛ばされている。 イラン・イラク戦争はミサイル戦という点では興味深い戦争で、イラクが500発、イランが177発、八年間にわたって双方が自力で改造したスカッドミサイルを撃ち合った。 北朝鮮はこの戦争に興味をもって膨大な戦訓を集めていますが、例えば、例をあげると、飛翔距離を伸ばすために弾頭の爆弾を小さくしてミサイルを発射すると、スカッド系のミサイルは、進行方向を軸に円を描きながら、しかし正確に目標に向かって飛んでいくことが判っている。 ここで面白いのは、といって、あんまり面白がってはいけないが、この軽い弾頭の小円を描きながら飛んでくるスカッドは、改良型のパトリオットでも全く撃ち落とすことができなかった。 ニュースで市ヶ谷におかれている発射装置の画像が流れているらしいパトリオットは、もともと高速で侵入してくる敵機を撃墜するためのミサイルシステムを改良して対ミサイル防衛に使われるようになった地対空ミサイルで、ミサイルの筐体だけを破壊して弾頭は目標物の近傍に落ちて爆発してしまう例が多い点で、実は、東京の市民にとっては傍迷惑なだけで、たいした効果が見込めないのは前にも書いたが、この「頭が軽い」改良スカッドに至っては、まったく命中させられなかった。 北朝鮮と日本のあいだには、日本の人にとっては、ありがたいことに日本海が広がっていて、ここに遊弋するイージス艦の対ミサイル迎撃システムは優秀なので、日本にまで到達するのは難しいが、成層圏から落とす中距離ミサイルに較べて圧倒的に安価なので、案外と低弾道のくるくるミサイルも、ミサイル戦が長引けば試してみる可能性があるのかも知れません。 その場合は、多分、10キロトンにも満たない核弾頭であるはずで、しかもground burst(地表に激突して爆発)である可能性が高いので、なんというか、だらだらと続くミサイル戦の「日常の風景の一部」のようになるのかも知れません。 考えてみると、イラン・イラク戦争は通常弾頭による、この手のダラダラ戦争で、なぜそうなったかというと双方オカネがない国だったからで、北朝鮮がアメリカによる空爆を避けてゲリラ的にミサイルを発射できる移動式ミサイル発射台を多数抱えていることも考えると、案外と現実性のある未来なのかも知れない。 このチョー弱小なブログも含めて、日本に関心を持つ世界じゅうのひとたちが、「なぜ日本人は、せっかく平和を享受して、この先の未来も戦争を避けうる幸運なポジションを占めているのに、わざわざ戦争に巻き込まれる国にしたいのか?」と疑問を述べるようになってから、もう何年も経っている。 怪訝な顔の世界の国ぐにを精力的に安倍首相が駆けずり回って、オカネをばらまきまでして説得して、憲法がすでに国民の合意によって改憲されたという真実とは異なる虚像をつくりだしてまで、全力でめざしたゴールに、やっとたどりついた。 同じロイター社のニュース記事を並べると、日本語版は http://jp.reuters.com/article/sdf-korea-us-air-career-idJPKBN17D1VX 英語では、 http://www.reuters.com/article/us-northkorea-nuclear-japan-idUSKBN17E05Z で、常にほんのちょっとしたニュアンスの置き換えでいわば「編集・検閲」作業ができてしまう日本語の本質的な特徴が、日本人の鈍感と呼んで笑うにはあまりに深刻な危機音痴の原因のひとつであることがよく判る。 ウソでも誤訳でもないのに、まるで、まったく違う様相がふたつの記事では語られている。 実態は、勇ましいことが好きな稲田防衛大臣の防衛省が、トランプの「力の外交」に日本も是非参加させてくれと要望しているらしくて、返ってアメリカのほうが、「いくらなんでも、それでは北朝鮮を刺激しすぎだろう」と困惑しているのだそうだが、海軍による示威・恫喝外交は戦前の日本の外交の伝統でも、傍からは、もう少し自国の国民の安全に気をつかったほうがいいんじゃないかなあー、と思わなくもない。 ナチのV2時代の、ひとびとの生活を見ても、ミサイル戦は生活の一部になりうることがよく判ります。 多分、核弾頭の小型化を完成していない北朝鮮は、なんとかして小型核弾頭の量産を終えるまで、あの手この手で実際の戦闘を先延ばししようとするに違いない。 一方のトランプ政権は、いまでは北朝鮮へのメッセージであると判っているシリアミサイル攻撃が国際社会に思ったよりも遙かに歓迎されて、先制攻撃をしたいのはやまやまでも、英語マスメディアにすでに「トランプの先制攻撃は同盟国である日韓の国民生命の犠牲によって行われることになる」と、さんざん書かれてしまっているので、なかなか思い切りがつかないよーです。 どちらにしろ、日本が戦域に入ってしまったことは、変更の可能性もない現実で、遠くからみていた英語人がうけとった教訓は、戦争は全力で避ける努力をしないでいれば簡単に生活に入り込んできてしまうのだということで、昨日もこのあいだまで威勢がよかった中国嫌いのメルボルンの友達が、妙に理性的になって、「やっぱりオーストラリアとニュージーランドは、地の利を活かして平和国家でいかないとダメだな」とスカイプで述べるので笑ってしまった。 この人はこの人なりに、安倍政権の行き方をみて、考えることがあったもののようでした。 マンハッタンの通りを歩いていると、下の画像のようなサインが町の至る所にある。 … Continue reading

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戦争と貧困

トランプ政権のシリア空軍基地ミサイル攻撃への国際社会の評価は、おおむね好評で、英語世界での論評を見ると「トランプが大統領就任以来くだした唯一の正しい決断だ」というようなのが多くあります。 すさまじい怒りで近寄れないほどだと伝えられるプーチンと、「よく見ておけよ」と言わんばかりに目の前で示威行動を見せ付けられて、「いったい、なんなんだ、このおっさんは」と思って呆れたに違いない習近平を除いては、「このあとの戦略はどうするか、頭をはっきりさせるべきだ」という条件は付いていても、 「アメリカは、ずっと前からやらなければならなかったことを、ようやく実行に移した」が一般的な反応だった。 東アジアには微妙な気持ちにならざるをえない国がふたつあった。 韓国と日本で、案の定というか、シリアへのミサイル攻撃が、出来うるならば自分のほうから宣戦布告したくないトランプ政権の北朝鮮を開戦に追い込むための布石だったことが明らかになってくると、この二国が「国際正義」のために戦火に巻き込まれるのは、ほぼ確実になってしまった。 問題は「戦争になるか、ならないか」から「いつ、どんな形で戦争になるか」に、あれよあれよというまに移行してしまって、いつもは、「なあに、なんにも起きませんよ」で、原発が爆発しても「ダイジョブ、ダイジョブ」で涼しい顔をしている日本の人達も、今度ばかりは「圧迫」とすべきところを「牽制」と言い換えたりして、なんとか事態の深刻さを伝えまいと頑張っている日本のマスメディアの行間を読み取って「ひょっとして、ものすごく拙いことになってるんじゃない?」と悟っているように見えました。 西側諸国の勝手な都合で自国が地上戦の戦場になって、辛酸をなめつくして、戦後も、なにしろ米軍が将校たちに妻帯赴任を許さないほどの危険な最前線扱いで、民主制度を育てる余裕すらない貧乏くじで、ベトナム戦争でアメリカに押しつけられた平和憲法を、まさに、その「あんたが押しつけたんじゃないか」を盾に出兵をつっぱねるナマイキでずるっこい政府をもっていた日本人の代わりにベトナムに出兵して、以前に書いたような、この世の地獄をなめつくすことになった韓国は、またしても国際政治の巻き添えという気の毒な面があるとしても、日本のほうは国民が圧倒的に支持する首相が手をあげて「戦争やらせてください」と世界中を説得して歩いたのだから、どこの国も、それを前提に国際政治の構図を考え直すのはあたりまえで、みずから望んだ状況が現実になっているにすぎない。 憲法九条の終わりに https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/04/14/wherepeaceends/ アメリカはアサシン計画で、金正恩と取り巻きを個別に殺す計画を周囲に、わざと洩らしていて、現在十数カ所の動的に動く標的を同時に襲撃して殺害する能力を持つと言われる暗殺空軍力を動員して金正恩を殺すかもしれないと述べているが、これはどちらかといえば、心理戦の一環で、金正恩を暴発させるための心理的圧迫である可能性のほうが高いと考えられています。 金正恩と取り巻きをいっせいに殺害してしまうと北朝鮮政府そのものがregimeとしてつぶれてしまうからで、そうなると北朝鮮からの大量の難民流入と統一朝鮮が形成されてアメリカ圏と直截国境を接する事態を最も恐れている中国が黙っているわけはないので、今度は、それからこれへとおもいがけず展開して、米中全面戦争になる危険がでてきてしまう。 日本では「軍事通」の人達が、よく鼻で嗤う人民解放軍の実力は、アメリカ軍はよく知っていて、通常兵器と戦術核くらいの戦争に持ち込めても初めの2年で中国政府が手をあげてくれればよし、それを過ぎると、アメリカ軍の全面敗北はほぼ自明なので、「世界最強のアメリカ軍事力」の看板をおろさなければならなくなって、これまでアメリカ支配の原動力になっていた最強国幻想の元手を失ってしまう。 だから、ゆいいつ考えられる作戦は、機動艦隊の一部を割いて、空母を基幹とする攻撃部隊をつくって、巡航ミサイルと空爆で拠点を破壊するという伝統的なもので、北朝鮮も無論、戦略こそが教養とみなされる国柄なので、そのくらいは十分理解していて、今回、オーストラリアに向かっていたカール・ビンソンがシンガポールで踵(きびす)を返して朝鮮半島へ向かったことの意味は新聞記者たちの十倍くらいも承知している。 北朝鮮は、パトリオットで撃墜できない中距離ミサイルを射出できる移動発射台をすでに大量に持っていて、アメリカ軍がこれをすべて破壊するのは無理なので、アメリカに直截反撃したくても出来ない北朝鮮が狙うのは日本で、北朝鮮軍の三本柱、 核ミサイル、特殊工作部隊、サイバーテロ部隊の総力を挙げて在日米軍の拠点を狙うと考えられている。 年長友の賢者哲人どんが、軍事のようなやくざなものに興味をもたないで育った学者らしく、「核弾頭の小型化に成功していなければ飛行機に搭載してやってくるのではないか」と述べていたが、その心配はなくて、簡単にいえば水平もしくは放物線を描いて日本に向かう飛行体は、命中率が3割そこそこだとはいっても、途中のイージス艦と、そこで打ち洩らしたぶんはPAC3で撃墜される可能性が高いので、二の手を繰り出すオカネがない北朝鮮としては、リスクが高すぎて手がだせない。 ナチのV2を思い出せばイメージとして判りやすいが、いったん成層圏に出て、目標の直上から超音速で落下してくるミサイルだけが問題で、当然、最もおおきな関心は、このミサイルに核弾頭がつまれているかどうかにしぼられています。 「もう出来ているようだ」という情報機関側の情報と「出来ていたら、いつものように見せびらかすはずなので、まだ出来ていないのではないか」という専門家たちとに主に意見が分かれていて、どうやら、小型核弾頭の完成まで、あと一歩というところにあるらしい、というのが、実態にいちばん近いものであるらしい。 オンラインでも例のジョージタウン大学系のシンクタンクCSISを初め、膨大な、と呼びたくなるほどの論考が公開されているので、みんなもヒマがあるときに読んで推理にふけるのも切迫した東アジア危機の現状への理解を深めるのに良いのではないかと考えます。 ダイジョブ、戦争が起きるかも知れないなんて、頭おかしいんじゃないの?、何も起きるわけがない、というのは、実は一国が滅亡するときには必ず社会が陥る病気の症状のようなもので、もっと適切な例があるでしょうが、ぼくが少しはマジメに読んだことがある歴史の範囲ではかつての貿易帝国カルタゴの末路に、社会の考え方、経緯ともに、いまの日本は似ている。 気持ちは判らなくはないが、いまごろになって「安倍のやろー、ゆるさねー」をしている人がたくさん出て来たが、感心はできなくて、他人事のように「日本は滅びるしかない」と述べて仏頂面をしていられる時期は過ぎてしまった。 日本の戦後史を読んでいて、最も印象的なのは民族を挙げて戦争と貧困だけは二重にも三重にも排除しようという国家的と呼びたくなるほどの集中力で、他のことはどうでもいい、他国に嘲られても構わないから、戦争とビンボだけは日本から遠ざけなければならないという国民的な意志は日本の戦後を貫く特徴でした。 腫れ物に触るように憲法の話が半ばタブーであったり、もうとっくの昔にオカネモチになっているのに、社会ごと狂ったように働き続けていたのは、それが要するに戦争でボロ負けに負けて、例えば麹町に住んでいた内田百閒の「灰燼記」に細大が記録されている石器時代の生活に戻って、愛する人たちを失い、飢えて、昨日までの貞淑な妻たちが勝者相手に春を鬻いで、ようやっと生き延びた記憶に基づいているのは、たいした想像力なしでも気が付くことであると思います。 それが、他国の経済社会実験で、なんだか浮かれた頭で、とっくの昔にうまくいかないことが証明されていた 「トリクル・ダウン」というようなことを述べだした頃からおかしくなって、新産業を育てて、人口をゆるやかでも増加させるという地味な経済成長/維持の基底条件をつくる努力は、めんどくさかったのでしょう、見向きもしないで、机上の通貨政策と市場操作で経済を浮揚させようという、いまから振り返るとアホみたいなケーハクを極めた政策にはしって、景気がよくなるどころか、戦後つみあげた冨そのものを失ってしまった。 神のいない経済社会_ゾンビ経済篇 https://gamayauber1001.wordpress.com/2016/01/07/isgoddead/ 11回の日本訪問のうち、日本にいる最後の年になった2010年にはすでに、BBCのドキュメンタリで称賛されたほどだった「貧富の差が少ない日本社会」は死にかけていて、そこここに徴候が出始めていたのをおぼえています。 貧しさの跫音 https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/08/22/takasaka/ 日本の息の根をとめる役回りに巡り合わせたのは安倍晋三政権で、この戦時中の東条内閣の商務大臣で日本でいまもつづく国家社会主義経済の骨組みをデザインして、戦後はCIAのスパイと首相を兼業していた祖父を生涯の偉人として尊敬していると述べる、なんだか「そんなこと口走っても首相になれる国なのかあー」と驚かされてしまうひとは、実態(新しい産業)のない経済を蘇らせようと焦って、日本がもうひとつ宝物のように大事にしていた平和を売りにだすことにした。 もっとも、あんまりうまくいっているとは言えなくて、例えば潜水艦を買ってもらいたい一心で、日本の国民の個人資産へのアクセス権を投資会社に与えるという驚天動地の待遇をオーストラリアに与えたのに、ただどりされてしまったというか、 オーストラリア側は、その後、潜水艦を買う約束は「サインしてないじゃん」の一点張りで反古にして、なんのことはない、一方的に、オーストラリアの投資会社を入り口にして、我も我もと乗り込んできた英語圏の投資世界の無慈悲な投資会社に国民の虎の子を進上するだけで終わってしまったりしている。 あちこちで、こっちに30兆円、あんたには40兆円と、一方で借金をしまくってこさえたオカネをばらまいて、もらった外国政府がキョトンとしてしまうほど、もらえるものはもらっておくが、でもなんで?と言わないばかりの反応なのにも構わず、いまでもオカネを盛大にばらまき続けている。 裏では、ウラジミール・プーチンに「安倍は30兆円寄越すといったくせに、まだ払ってないじゃないか」と凄まれるというような、あんまり笑えない喜劇も起こっているようでした。 Phony Warを思い出せば判るように、戦争は方向が決まったからといって、すぐに起きるというものではなくて、「いつ」は、戦争が終わってからでないと判らない理由で決定される。 北朝鮮は実はもうあと少しで小型核弾頭を量産するところにいて、それが量産されるまで、と念じているかもしれないし、多分、金正恩が開戦後の止め男として期待しているはずの中国になにを言っても梨の礫で当惑しているのかもしれない。 いまの状況では、今夜かもしれなければ、4年後かもしれなくて、はっきり判っているのは、朝鮮半島をめぐる戦争が(トランプあるいは金正恩が突然失脚もしくは死亡するのでもなければ)避けられなくなって、 日本が、このあいだも述べた「戦域」に入ってしまったことで、70年間の長いあいだ日本人が影すらみることがなかった、戦争と貧困が日本の生活に戻ってきたという事実だけです。 … Continue reading

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柴戸を閉じて家に帰る

ふつうに考えればトランプのシリアのアサドに対する変心は、Kushnerに対して行われているロシアとトランプサーカスとの繋がりへの審問との関連だろう。 ロシアの顔に泥を塗ってみせたのはトランプなりの「おれはロシアの操り人形ではない」のジェスチャーで、こういう安っぽい言い逃れは、この人のこれまでの行動パターンに合っている。 どんな国でもそうだが、外交上、え?と思うような奇妙なふるまいを見せるときは、だいたい内政上の理由によって外交をすすめるからで、外交であるとおもって観察すると判りにくいが、内政だとおもって疑ってみると、簡単に動機が判明することが多い、という政治の文法にも、トランプの180度の変心は符丁があっている。 トランプが人道にめざめる、などというお伽噺を信じるのはめでたすぎるが、さすがにアメリカ人であって、そんなことを考える人は、広大なネット世界でもひとりも見あたらない。 第一次世界大戦は、当時の外交政治常識からは、ほぼ冗談のような理由で始まった。 オーストリー=ハンガリー帝国の皇位継承第一位だったフランツ・フェルディナント大公がひとりの男に射殺されたという、通常ならば戦争の契機にはなりえないことが、ちょうどいまの安倍政権に似て、戦争をやりたくてたまらなかったドイツに煽られて小国セルビアに対してオーストリー政府がハンガリーの反対を押し切って懲罰のための限定戦争を始めたのが、すべての始まりになった。 いまでは第一次世界大戦は、戦争というものが、大戦争であってすら、理由にもならない理由で始まるという教訓として知られている。 「戦争をやってもいい」という為政者の意志あるいは気分は、地面にしみ込んだガソリンのようなもので、愚にもつかない理由の、マッチの燃えさし1本が落ちただけで、爆発的で巨大な戦火が起きてしまう。 ケネディとフルシチョフの時代に米ソ間にホットラインをひくことが合意される時代に至るまで「諸国間の意志の疎通」が現代の安全保障の基本になっているのは、そのせいです。 背景には第一次世界大戦も市場で起きた大恐慌も「情報が共有されない」ことによって起きたという認識があった。 昨日(2017年4月7日)、英語世界で述べられていることを眺めていて思ったのは、普段は「大丈夫ですよ」をしている専門家たちが怯えたように戦争の影を考えていて、普段「警鐘を鳴らす」ことが好きな素人や批評家のほうが、暢気にかまえている。 通常とは逆の反応になっていて、素人以前というか、ただぼんやり眺めているこちらは、面白いなあ、という間の抜けた感想を持ちました。 バノンがNSCの常任の席から弾きだされるという、なんとも言えないほど安堵させられる朗報があった。 バノンという人は、ヒットラー型というか、世界を地獄の業火に叩き込んで、その業火のなかの破局から再生することによってのみ強大な白人支配が完成するという思想をもっていて、隠しもしていない、その思想の現実化を自らの政治目標にしている人で、つまり大戦争をいかにして起こすかが政治的テーマで、この人がNSCという「どこでいつ戦争をするか?」を企画検討しうる機関の中心に座ったのだから、それはそれは大変なことで、見ていて可笑しかったのは、普段は威勢が良い右翼人たちですら、「それでは世界の終わりになってしまう」と慌てていた。 ところがバノンと、バノンが打ち出す途方もない政策に怒ったアメリカ人たちが、連日街頭にでて拳をふりあげ、ジャーナリストたちがホワイトハウスから閉め出されてまで、トランプ政権がいかにデタラメで危険な政権であるかキーボードを叩きつづけて、早々と政権がレームダック化して、ほとんど大統領府としての機能が停止してしまう事態になって、初めは狡猾に、自分達には指弾が及ばないようにトランプを支持していた共和党員たちの離反も始まって、どうにもならなくなったトランプは 娘のIvankaと、その夫のKushnerと謀って、元職業軍人のテクノクラートグループを代表するマクマスターを実行勢力にしてバノンを追い出すことにした。 トランプという人は日本の人が理解したいとおもえば、要するに「中小企業のおやじ」をイメージすれば判りやすい人で、バノンの肩を抱いて、「ここは、ひとつ我慢してくれ」と囁いたのは、まるで目に見えるように判りやすい。 そんなのがアメリカ大統領なのか、と思って信じられない人もいると思うが、トランプというのは昔からそういう安っぽい人です。 もちろん、日本語世界の習慣にたまには従って余計な言わずもがなをつけ加えておくと、ロナルド・レーガンを思い出せば判る通り、まともにものが考えられない程度の知性で、ケーハクで安っぽい人間性だからといって結果として良い大統領にならないとは限らなくて、アメリカのように手続きで公正が保障されている国では、All Correctの綴りを知らなくて、ACであるべきところをOKと署名して語源をつくったという伝説をもつジャクソンの昔から、アホなおっさんが意外や大統領としては実効性をもって、根っからバカなドナルド・トランプといえど、大統領としては、振り返ってみればオバマよりもよかった、という可能性がなくはない。 いまはどうなっているかというと、共和党の資金面での大立て者であるRebekah Mercerに説得されてホワイトハウスを去る決心をひっこめたバノンは、捲土重来の努力ちゅうで、暫くはダイジョブ、という状態で、トランプのほうはといえば、プーチンはKGB出身らしく、実際にエージェントを動かして、自分がデザインした欧州やアメリカを現実のものにする努力をしているようで、どうやら、いろいろと明るみにでると拙いことがあって、対処に追われて理性的な判断をもって外交決断をくだすどころではないようです。 成金おやじの保身のために戦争が激化して、虐殺の渦巻きの中心に呑まれてゆくシリア人のほうはたまったものではないが、歴史ではときどきあることで、ときどきあるから仕方がないとは言えなくても、起きる事は起きてしまう。 ツイッタで付き合ってくれている人たちは知っているとおり、バノンが直接の影響力を行使できなくなったところで、ぼく自身の興味は途切れていて、Mercer一家の野望が現実化されだせばともかく、いまの状態では興味がないといえば興味がない。 最近はむかしの趣味にもどって、日本語の興味は続いているものの、北海文明や地中海文明の古典に頭がもどって、古典古典のコテンパンで、なんだか現代の世界は全面核戦争にでもならないかぎり、どうでもいいといえばどうでもいいと思う事がある。 日本でいえば、ほんとうは、北朝鮮をめぐる危機は去ったとは到底いえなくて、事態を救っているのは実はトランプたちがもともとアジアとアジア人の運命にはたいした興味をもっていないという事実のほうにありそうです。 先週は絶体絶命で、やけのやんぱちで核弾頭なのか通常弾頭なのか、ミサイルをぶっ放しまくることくらいにしか活路が見いだせそうもなかった金正恩は、バノンの失脚とトランプのシリア攻撃を見て、「これなら、おれにも生存の余地がある」と考えているでしょう。 習近平が石炭禁輸を解いて制裁を緩めるとか、逆に、アメリカ勢力圏と直接国境を接する事態さえ避けられれば、おまえらが飢えようとどうしようとわしらの知ったこっちゃないで、冷淡の度合いを強めるというようなことよりも、書いていてもバカバカしい気持ちになるが、トランプがシリアに続いて、国民の目をそらして自分への支持率をあげるために北朝鮮との戦争をおっぱじめるかどうかのほうに、日本の運命はかかっている。 なぜアメリカの北朝鮮攻撃に日本の運命がかかってしまうかというと、技術的な制約から、北朝鮮はまだアメリカ領土を攻撃するだけの能力を持っていないと信ぜられるからで、アメリカが北朝鮮をぶん殴ると、北朝鮮が韓国と日本を相手に殴り返すという図式になっているからなのは、英語メディアで読んだ人も多いと思います。 アベノミクスはうまくいくわけがないと4年前だかに述べたり、憲法を無視するのはダメなんじゃないの?と述べたら色んな日本の人に「アンチ安倍」「アベdisり」だと言われたので笑ってしまったが、安倍晋三さん自身がどうこうという気持ちは固よりなくて、ただの写実主義で、目の前で起きていることを自分の見たままに述べているにしかすぎない。 それでも安倍首相について「これはカッコイイのでわ」ということが書けないのは、度外れてダメというか、そもそも首相という職能に人間的に能力が及ばないのではないかというか、やることなすことヘマばかりで、いまでは他国から全くのもの笑いになってしまった「安倍外交」や、財政をどこまで悪化させれば国が破綻するか日本という特殊財政国家の強度試験をおもしろがってやっているような、(本来は独立した機能であるべき)日銀とグルの、これも外国資本家むけのエンターテイメントじみたアベノミクスというように、やってはならないことばかりに手を染めて、国民のおおきな支持を得ている不思議な政権で、今度は、まるで戦争に巻き込まれることを心待ちにしているような、当のトランプたちが呆気にとられて苦笑していると伝えられている「戦争大好き」ぶりで、いくらトランプたちがアジア人の運命に無関心だといっても、ここまで「戦争やってください」と言われれば、ほんならこっちでもイッパツとおもいかねない。 だからトランプの短慮の結果として、数十発程度のミサイル(多分、経費節約のために核弾頭だと予測されている)が基地のある町と東京を中心に降ってくるかも知れないが、いまの状況からみると、それ以上の継戦能力が北朝鮮にあるとはおもえません。 それ以前に、いまの時点で統一朝鮮が出来てしまうと最も困るのは中国で、多分、習近平は、おだやかな調子で、しかし、いまはもう本気で大規模戦争をやれば、2年という期間をしのげばアメリカ軍を圧倒するだろうと言われている人民解放軍を背景にトランプを恫喝して、中国の政府が伝統的に愛好している「棚上げ」に東アジアの状況をもっていくのだろうと楽観しています。 そうやって考えていると日本の人にとっても、核を伴ったミサイル禍くらいはあるかもしれないが、そこで終わりで、そのくらいは安倍政権の挑発の代価で国際政治の常識上は仕方がないとも言えて、バノン時代に心配された、全面戦争に東アジアが巻き込まれることはないのではないかと思っています。 ツイッタでいろいろなことを述べてしまったので、一応、ブログ記事の形にまとめておくことにしたが、そういうわけで、いったん本格的な危機は去っている、という判断です。 これで、きみもぼくも、普段の生活に戻れる。 ほっとしています。 では

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ラットレースから抜け出す

株式というのは投資のなかでも、あんまり興味がない分野で、ただ世の中や特定の企業に対して関心の糸をつなげる目的だけのために続けていると言ってよい。 小さな規模で、あんまり小さすぎると、そもそも株を持っていることを忘れてしまうので、どのくらいの規模かというと、いま自分のポートフォリオを広げてみて、 例を挙げると、最近2ヶ月で60%くらい株価が上昇したテスラでいうと、上昇分で名前のよい通りの家が一軒買える、という程度です。 赤いのもちゃんとあって、fitbitとtwitterはそれぞれ買ったときの株価から67%と14%さがっていて、こっちは蒐集箱と称する観察用の株なので、いよいよたいした金額ではないが、前者は酔っ払って企業業績もなにも調べないで買ったら、「役員がデタラメ」という最悪のパターンで、なにしろ株価急降下ちゅうの最中に役員が自分の持ち株を売りに出してしまうくらいひどいので、モニさんのブラのストラップに留まっている赤くて小さな、テントウムシのようなfitbitを酔っ払って眺めて、うふふ、かわゆいなどと考えて、ベッドのなかでラップトップを広げて何の理由もなく株を買ったりすると、天罰覿面、こうなる。 twitterという会社は、設立当初からまったく収益モデルがつくれない会社だった。 そういう点からは株式を買うのは愚の骨頂で、案の定、ちょっと市場が不安感を持つと、すごい勢いでぐんぐん下がる。 目下はポートフォリオに並ぶなかでもツイッタ株価は真っ赤で、相変わらず無策を絵に描いたようなボードだが、こっちは多分グーグルかどこか、この手の事業に関心があって過去に失敗した会社が買うだろうと考えて、お気楽にほったらかしになっている。 持っている株式の中心はケチャップやスーパーマーケット、老人ホームのデベロッパー、養殖業、電力、空港…というような地味な企業が多くて、自分で建てた理屈と自分でつくったソフトウエアが示すガイドラインに従って、買ってゆく。 売る方は、めんどくさいというか、まだどういう状況で売るのがよいのか学習していないというかなので、買った株はいつまでもそのままで、銀行や保険の「危ない商売」の株式は業種のやくざっぷりを反映して上下が激しいので、あんまり上がると売り払ってしまうとか、通貨変動上の理由から売るとか、どっちにしろ、調整的に売るだけで、いちど買った株式は、ずっと持っているほうです。 性格を反映して株式投資においても、ちょーのんびりなので、秒単位のオンライントレーディングのメリットというものがよく理解できない。 ああいうものは忙しすぎて、あんまり夢中になると生活自体の時間を大幅にとられて、なんだかワンマンバンドの株屋になってしまいそうなので、普段は銀行が開設しているのんびりトレーディングにインターネットで注文を出したり、はなはだしきは電話を取り上げて、これとこれを買ってけろ、といったい何時代から来た注文なのかと相手が訝しがりそうな注文の仕方をする。 UK友には数学上の知識を駆使して自動売買をして大金を稼いだりしている人もいるが、それはそれで、そこまでやる気がなくて、株式に較べれば遙かにもうからない不動産投資のほうが本業で、やっぱりこの建物は面白いなあ、とか、そういう職業上の楽しみもあって、アメリカや日本の市場は知らないが、かつての連合王国系の国ならば、いまではもうさすがに鑑もあって、テキトーに暮らしている。 これはこれで、仕事をする楽しみもちゃんとあって、離婚して、落魄したおばちゃんが面接で断られて、しょんぼり帰るのを目にして、あれはなんでダメなことになったの?と聞いてみると、いくら管理要員でも落魄の様子がひどすぎるというので、ちょっと再面接があるからというデタラメな理由を拵えて、何食わぬ顔で面接担当のような顔をして会って、話してみると、案外と面白い人なので、雇ってみると、この人はたいへん有能で、ところが面白いのは、自分に合った仕事につくと人間はみるみる変わるもので、すっかりワーキングウーマンふうに颯爽として、ときどき一ヶ月くらいの休暇をとってバカンスに出かけたりしている。 どうも二度目に面接したのがぼくであることのほうは、多分、身なりが異なっているからでしょう、判っていないようで、自分が勤めている会社の持ち主くらい判別つかなきゃダメじゃん、とおもうが、なにしろ怪しまれて自分の会社のビルに入れなかったこともあるくらいなので、馴れていて、まあ、そんなものだろうと考える。 仕事というものには、そこここに人間の姿が見え隠れしていて、面白いが、株式には大脳のなかのスクリーンに映るさまざまな数字やニュースから、会社の姿を割り出していかなければいけないことが多いので、ちょっと放っておくと、すぐに興味がなくなって何か月もほったらかしにすることになります。 わしには自分についての悪口を探してきて眺めて楽しむという悪趣味があるが、日本語でも実行していて、いつか「こいつはオカネモチのふりをしているが投資家の日常というものがまるで判っていない。投資家というものは、眠るヒマもないほどの忙しさで、自分の人生をすべて事業活動に傾けつくしているものだ」という解説をなしている人がいて、大笑いしてしまったが、なるほど世の中の人のイメージというのはそういうものなのだな、と思って、ミーティングに珍しくえっこらせと出ると、「え?これが…?」で、なんだか呆気にとられたような顔が並ぶことの理由がしみじみと理解される。 ひーばーちゃんは、長い一生の終わりには、少しだがボケて、チビわしによく「ガメや、労働をする人間になってはいけませんよ。一生懸命に働くのは、頭が悪い人間だけが懲罰として働くのですからね。仕事をするなどは無能の証明です」と恐ろしいテツガクを述べて幼児教育を実践していたが、曾孫は見事にナマケモノに成長すると、これはやはり幼児教育の成果だろうか、と考えてみたりする。 投資家は鉄道模型やプラレールを組む子供に似ている。 アイデアを持って、だんだん現実の形にしたくてたまらなくなって、さんざん工夫を凝らして敷設して、いざスイッチをいれると、ちゃんと電気が流通して、列車が動き出し、遮断機が下りて、ジオラマがいっせいに活気を帯びる。 いまのアメリカ大統領トランプという人は、これも不動産成金だった父親からすると、頭も品行も悪い、ダメな息子でしかなかった。 期待もされていなくて、オカネを融通してもらえないドラ息子トランプが考えたのは、自分の不品行な頭のなかから出た名案で、グランドセントラルターミナルの近くに売りに出たボロビルを二束三文で買って、普通ならビルの修復から始めるところが、このひとらしく、外壁を金ピカで覆うことに有り金を使った。 このダメ息子が狙ったマーケットはグランドセントラルターミナルで乗降して通勤するマンハッタンのマネージャーと若い秘書で、仕事を終えて、家路に着く前にイッパツやって帰る不倫カップルや、昼休みにイッパツやらないと頭がすっきりしない役員おっさんたちが、常に適切な場所に困っている事情に、このドラ息子は通暁していた。 この中身のない金ピカ商売は大当たりで、要するにファッショナブルなラブホテルが当たったということだが、これで父親に認められた二代目成金不動産屋は潤沢になった資金を手に、ほぼ同様なお下品マーケティングで、どんどん蓄財していきます。 この人は、このアイデアひとつと脱税と借金を踏み倒すのが上手なのとで父親を上廻るオオガネモチになっていった。 下品な例に及んでしまったが、ことほどさように、投資はアイデアで、こういう回路は出来ないものだろうか、と考えて、ペンをとって紙に描いて、数日間、ときどき取りだして眺めて、件の、頭のなかで考えた事を現実に変えたくてウズウズする感覚が起きてくると、ガバッと起き上がって、あちこちに電話をかけ始める。 道路もない場所の油田であったり、よく見ると、これほど世界に普及している製品なのに不思議な事に不可欠な部品がチョー安い価格で、たいした金額でないのに独占できたり、街角の交差点に立って、ふと前を見ると、見上げるようなビルの幻が立っていて、そういえば、どうしてここにあって当然な○○な種類の商業ビルがないのだろう、と考えて調べ始めたり、細かいほうでいえばマリーナや駐車場も、あるはずのものがないということは、特に人口が増えて成長している国ではいくらでもある。 そうして、それは金鉱がそこに露出しているのと同じことなのでもあります。 わし実家はいわゆるオールドマネーの家で、ひらたくいえば大家さんなので、結局家業に近いものを選んで、なあんとなく親の世話になるのは嫌なので、自力でやってみました、というだけのことなのかも知れません。 これから世の中へ出かけていく若い友人たちのために述べると、「オカネを稼ぐ」ということは人間の行うことのなかでは最も易しいことに分類されて、まったく苦労なく達成できることなので、なるべく早く一生暮らせるくらいのオカネをつくってしまってから一生をスタートするのがよいと思う。 えー、まあーたそんなこと言っちゃって、みんなオカネつくるのに苦労しているんだよおー、と呆れるきみの顔が見えそうだが、そこにはカラクリが存在して、英語ではラットレースと言ってみたりする、現在の世界のデザインに秘密がある。 いまの世界は、(なんとなく、くだらない感じがする言葉だが)先進国では、と限定したほうがいいかもしれないが、大学を出た若いカップルがホームローンを組んで、あるいは家賃を払って、クルマを一台は持って、子供をひとりかふたりつくって育てながら共働きでやっと食べられるようにデザインされている。 社会自身にとって最も都合がいいデザインだからで、個々の人間の希望によってそうなっているわけではないのね。 それが標準デザインで、例えば日本で「クルマを持っている人間に対する敵意」が突然新しい流行のように湧き起こったのは、日本の自動車会社にはおおきな打撃だったが、標準デザインのうち「ホームローン」や「クルマ」「子育て」の部分に手が届かなくなった若い人口が増えて、そのことの、いわば「社会的な悔しさ」が敵意になって吹きだしてきたように見えました。 いわば社会の身勝手さに対する個人の側からの怒りの表明だった。 先に借金をさせて、それを返済させるのに見合う賃金を与えて、猛烈に働くエネルギーを吸い上げて社会を成長させるというのが基本デザインで、日本でいうと、やや変形で、日本では長らく金融機能が停止といいたいほど旧弊に留まっているので、借金すら出来なくて、ただ家賃を払い、食べるだけで暮らさなければいけない若い人が増えているが、どちらにしろ、そのサイクルにはまってしまうと、下手をすると一生抜け出せなくなってしまう。 では、どうすればいいか? まず自分が社会によってデザインされたラットレースのなかで、ぐるぐる経済的な周回を強制されている存在だということがはっきりと判らなければいけない。 その周回レースから抜け出すには、他のネズミよりも速く走ることだと社会の側は述べるが、それは明瞭に嘘で、速く走ってトップにでても、やがて息が切れて他のもっと若いネズミに追いつかれて追い抜かれるだけです。 むかしの日本の大企業の会社員で財をなす方法で最も多かったのはインサイダー取引で、1970年代までは、例えば総合商社の人間が自分の職業を通じて得た知識を使って株取引で稼ぐのは当然の副収入だと考えられていた。 あるいは家電大手に勤めている人が長期大型発注先に決まった企業の株をあらかじめ買っておくというようなことは普通のことだったようで、そういうことはごく普通な立場の人にも及んで、東京で会った、ホテルのウエイター時代に仲良くなった大手家電会社の役員から、こっそりインサイダー情報を教えてもらって、そのオカネで自分の家とレストランを買う資金が出来てしまったと愉快げに教えてくれたレストラン経営者のことをいまでもよく思い出す。 … Continue reading

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空を見上げる若い人への手紙2

少なくとも英語の世界では、いまでは忘れられてしまった小説、トーマス・マンの「魔の山」の出だしは、たしか、 「ひとりの青年が旅にでかけるところだった」というような文だった。 こんなに上手な物語の書き出しがあるのか、と考えて感心したのと、物語を読むにつれて青年の「旅」が重層的な意味を重ねていくのに感嘆したのとで、その物語の出だしをおぼえている。 T.S.エリオットの「四月は残酷な月だ」という有名な「荒地」冒頭の句も、ほんとうは、この小説からの引用なのだよね。 好きな詩人の名前に、Paul MuldoonやDylan Thomasやなんかと一緒にT.S.エリオットをあげたら、オーストラリアで文学の講師をしている人に「中学の教科書を思い出しますね」と言われたことがあって、その人はなにげなく言ったに決まっているが、そのひとことを憎んで、もちろんなにも言いはしなかったが、絶交してしまったことがある。 Emailをもらっても、テキストが来ても、いっさい返事をしないでいたら、あたりまえだけど、何も言ってこなくなって、それきりになってしまった。 ぼくは友達がいらないんだよ。 傲然とした気持ちや冷たい気持ちで述べているのではなくて、この世界に何も怖いものがないのとおなじように、友達と長く付き合っていたいと考えたこともない。 勇気をふるいおこして、「友達でいたいのなら、これまでのひどい仕打ちは忘れてもいい」ときみは話しかけてくれたけれども、ぼくは返事をしなかった。 シカトしたというつもりはなくて、ただ、なんとなく返事をしないほうがいいような気がしたからしなかっただけで、多分、きみとはもういちど会うような気がします。 きみがいたSEALDsは再結成だとかでニュースになっていて、ひとの悪いぼくは、なんとなく笑ってしまった。 時は満ちるもので、時が満ちてしまえば、人間は実質的な能力すら増大する。 だが同時に時は曳汐にように退いて、潮が退くときには、寄せ返しさえしなくなる。 ぼくはきみに「政治的な人間になるな」と述べたことがある。 きみには、やや信じがたいほどの善良な魂と同時に、頭の表層でいじくって知恵の輪を解いてみせるというような、頭の働きのよい人間が陥りやすい浅薄なもの思いにひたる癖があるからです。 きみは持ち前の善良な、善の存在を信じる魂ゆえに、不正で卑劣な社会に憤りをおぼえて、しかも狡い人間は他の何にも能力はないのに他人を陥れることだけは常に常人にすぐれて、きみを失望から怒りへ、怒りから憎悪へ、引きずり込んでいった。 目が眩むような怒りで世界の薄汚い姿を目の当たりにさせられた人間の反応は、政治的な思考に向かうことで、政治的な思考とは、実は言語の、暴力への憧憬にしか過ぎない。 むかし、岩田宏という言語運用能力に恵まれた人がいて、 「おれはこの街をこわしたいと思い こわれたのはあのひとの心だった」と書いたけど、 南米をオートバイに乗って旅行して、見て回って、貧困と政治の暴力をつぶさに実見して、冷厳な革命家に変貌して、後年、「あの人は尊敬すべき革命家だったが他人に厳しすぎた」と言われることになる、気持ちのやさしい医学生だったゲバラや、1968年に、通りに立って叫び、次々に人生を諦めねばならなくなっていった欧州の学生たちは、みな、国家という力の壁に、政治性という暴力を模した言葉で立ち向かって、こぶしで戦車を打撃する人のように、ガラスのように心を砕け散らせて、恋人を、友を、あらゆる善意のひとびとの心を破壊していった。 日本語で、そういう経緯をつぶさに知りたければ、古本屋に足を向けて、戦後の、火炎瓶闘争時代の日本共産党員で、地下の工作員として革命活動に明け暮れて、革命の大義のために、友を公安警察に売り、恋人を政治活動の成就のために利用して、自分もまた平和政党に衣替えするために、暴力革命をめざした党の歴史に口をぬぐって、冷然と活動家たちを見捨てる方針に鞍替えした日本共産党によって存在しない党員だったことにされて弊履のように捨て去られた、天才詩人堀川正美の経歴を書いた文章を探しに行けばいいと思う。 世界をうまく考え抜くコツは、ネクトン、プランクトン、ニューストン、ペントスというように、遊泳能力とは別に表層や深層にあるかどうかの勘を持つことで、この勘を持たない人間は、どんなに本を読んで、どんなに思索しても、ただケーハクな、つじつまあわせのような考えに至ることしかできない。 その能力を身に付ける方法は、どんな言語でもいいから、言語の感覚を身に付けることで、言語感覚を身に付けるというのは、要するに、死者のもの思いが堆積した結果である言語のひとつひとつの語彙に、耳をすまして、その語彙の奥から、どんな叫び声や囁き声が聞こえてくるか、聴き取りにくい声を、どうにかして聴き取ることだと思います。 そうして語彙がひそやかに隠しもつ人間の声を聞き分けるためには、シェークスピアやT.S.エリオットに典型的であるように、言語の音楽性とリズムを理解するか、さもなければ、言語が必ずもっている、文字や音韻に依存しない、「これはこうとしか言われない」という定型を目に見えるようになるまで観念の高みをのぼっていくほかには方法がない。 そうでなければラテン語をひとことも分からないのに、難しい顔でガリア戦記のページをめくって、ゆっくりと考えながら読んでいる人とおなじことで、言葉は辞書の定義による単語が並んで、文法によって接続されているが、つまりは死語としてしか読まれてはいなくて、大量に読書をしているのにまるで箸にも棒にもかからないような頓珍漢な世界への認識を持っている人は、たいてい、お粗末な言語感覚のまま、本を読む行為に淫してしまった結果であるように見える。 ぼくは、この手紙を、いつか書いた「空をみあげる若い人への手紙」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2015/07/15/letter5/ の単純な続きとして書いている。 友達を必要としないのと全くおなじ理屈によって、いちど友達と考えた人間を、友達でないとおもうことがないからです。 ぼくはきみの軽薄さと浅さが嫌いだし、きみの底なしの善良さとクリスタルが陽光に輝いているような純粋さが好きである。 きみは、たしかぼくより10歳年下なので、もうすぐ23歳になるのかな? ぼくよりずっと若くて、きみから見ればぼくはおっちゃんだけど、 この手紙は年下の人間への忠告として書いているわけではありません。 英語の世界の習慣に従って、年齢が異なるだけの、友人への手紙として書いている。 「政治的人間になるな」という言葉には、異なる側面もあって、若いときには「致命傷を避けよ」という意味もあります。 ぼくには、過去にはガラスが粉々になるように、一瞬で人生を粉砕してしまった友達がたくさんいる。 親とのケミストリが悪くて、この世で最も相性が悪い人間が親である事実に耐え切れなくて、自暴自棄になって、酒に酔って、ぼくが通りで出会った仲間に聞いて大急ぎで駆け付けてみると、すでに集団強姦に遭って、ぼろきれのようになっていて、いまでもその体験から抜け出せない女ともだちがいる。 … Continue reading

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Brexit

夜の山道に、乳白色の霧がたちこめていて、遠くにぼんやりと明かりが灯っている。ときどき、奇妙に切れ込むように鋭く曲がっている、霧で見通しが悪いカーブにひやひやしながら灯りに近付いてゆくと、レストランの看板が照明に照らされていて、予約もなにもないけれど、おいしそうな佇まいだから、今夜はここで食べて行くかなあ−、と考えている。 山道を来たのに、魚の絵の看板が不安でなくもないが、ドライブウエイの向こうに見えている建物の姿が、いかにもおいしい店であるように見えます。 ローマがあるラチオ州は、ローマからちょっとクルマで北上すると、意外なくらい貧しい州で、イタリアのイメージと異なって、日本でもよくある、日本ならばパチンコ店にあたる、スロットマシンを並べた店の看板が、せっかくの美しい風景を台無しにして、道の両側に並んでいたりする。 わずかに州の規制で、ちょうど道路標識を少し大きくしたような看板の大きさが同じになっていて、それが異なるだけのことで、あとは、軽井沢を東西に通り抜ける国道18号線に似て、ただ醜悪なだけの店舗やホテル、金の買い取りの看板が続いている。 その日本的な光景を抜けて、県境に近い山道に入ると、ところどころレストランがあって、そういう料理店はおいしいものだと決まっていて、例えばラチオでは、値段は忘れてしまったが、まるでカップラーメンのような、プラスチックの容器に入った、fedelini(細いスパゲッティ)が、うわっとびっくりするほどおいしかったりする。 ひさしぶりに、国際面のトップが、あの見るからに卑しい顔つきの、薄気味の悪い手振りの、アメリカの大統領にまで成り上がった老人でなくなって、ほっとしたら、メイ首相がいよいよBrexitを決定する書類にサインをしている写真で、連合王国が、ついに大陸欧州と離婚する手続きに入ったことを告げる記事で、苦笑いさせられてしまった。 連合王国の側でも、大陸欧州側も、ほとんど誰にも望まれないBrexitが、引き返せないところまで来てしまったのは、無論、政治的にはキャメロンの信じがたいほどの愚かさが原因だが、自暴自棄というほかない投票を行(おこな)ったひとりひとりのイギリス人にしてみれば、イギリス人らしく、普段の生活ではおくびにも出さなくても、「もうこれ以上外国人にのさばられて、心地がよく、穏やかだった社会を破壊されるのはまっぴらだ」という、やけのやんぱちな気持ちがあったのだと思われる。 セブンオークスやトンブリッジウエルのような町に限らず、ロンドン自体が、大都市というよりもおおきな田舎町で、生来迂闊なぼくが、財布を忘れて出かけても、たいして困ることのないような町だった。 小さな声で述べると、店主に外国人嫌いの人が多いと感じられるフィッシュ&チップスの店のおばちゃんのような人でも、「移民や難民には親切にしなくては」と自分を励ますように述べていたが、そう言ったあとに、自分で自分に呟くように「あの人たちは、良い人たちが多いのだから。そんなにたくさんで来なければ」と付け加えたりしていた。 そんなにたくさんでなければ、と必ず付け加えていたのを、たいして気にも留めないで来たが、実はそこにおおきな、抜き難い、否定的な気持ちがこめられていたのだ、と気が付いたのは、ずっと後のことです。 連合王国とアメリカ合衆国は、仇敵同士で、お国柄もおおきく異なるが、共通しているのはhonest baseの社会であることで、日本の人がよく口にする「性善説」とは似ているようで異なるが、善意志にもとづいて社会を建設・運営することが前提の社会で、要するに、アジア人やアフリカ人、なかんずく英語人の目には自己主張が強く、攻撃的にみえる中東人たちが増えることによって、といっても現実の中東人は、一向に攻撃性の強いところは見あたらないが、十字軍のむかしから、ほとんど定説のように中東人の攻撃性ということは英語人の頭にこびりついていて、移民の数が増えると自分達の社会が自分達のものでなくなってしまうと怯える人が増えていった。 日本語の丘に立って観ていると、失念しやすいことだが、連合王国ではアングロサクソンは、記憶もあいまいな歴史の昔から、あの天気が悪い島に住み着いているのだという気持ちがあって、オーストラリアやニュージーランドでは、白い人ばかりで酔っ払うと、田舎町のパブでは、politically incorrectな発言の大会が始まって、 普段は親切に応対している中国の人や、日本の人、アラブの人の悪口を述べ始めると、悪酔いした頭の弱いおっちゃんが 「あいつら、みんな自分の国に送り返しちまえ!」と叫んで、 すると、誰かが「そうだそうだ! でも、じゃ、おれたちもイギリスに帰らないと!」と混ぜっ返して、ガハハと下品に笑いこけたりするが、 イギリスがイギリスでなくなってしまえば、もうあのなつかしい故郷はなくて、 どこにも行き場はなくなってしまう。 奇妙なことに、自分が話した範囲では、このことをはっきり口に出して意見を述べたのはイラン人の友人だけで、 「ガメ、考えてごらんよ。イラン人もアラブ人も、自分達が住んでいるアメリカやイギリスの悪口ばかり言っているが、おれたちイスラム人が幸福なのは、アメリカやイギリスだけだ。 どのイスラム国が住んでいる人間を幸福にしているというんだい? そんなイスラムの国なんて、この世界にはひとつもないんだぜ?」 と英語人が英語で言ったら、いっぺんに友達がいなくなるようなことを、明瞭に述べる。 なにか、文字通り、口にするのに憚られる現実がそこには隠れていて、その言葉によって検討されない暗闇から飛び出してきた魑魅や魍魎がBrexitの正体なのでしょう。 少なくとも、Brexitのもともとの論点である、金融規則や、社会運営に対するブリュッセルからの細かい規制のうるささが原因ならば、国民投票で離脱が決まるわけはない。 エラスムスが、不味い食事と、ワインすらない文明の欠如を呪詛して、愚痴をこぼしまくりながらイングランドに滞在し続けたのは、因循姑息な国民性であるのに、意外なことに社会としては自由闊達な、手品じみた知恵で運営されていたイングランドの空気のなかでしか、15世紀末から16世紀初頭の欧州人には自由な思考の可能性がなかったからであって、18世紀欧州の「常識」から疎まれたエマヌエル・スウェーデンボルグがたびたびイギリスに滞在したのも、おなじ理由によっている。 イギリスは欧州の端っこの島国であることを利用して、常に欧州全体の未来への窓として機能してきた。 日本語人には「え?イギリスと欧州は別ですよ。ぼくはイギリスに5年いたけど、イギリス人だって自分達を欧州人とは区別していますよ」という人がたくさんいるのは知っているが、現実は連合王国人は、むかしから北欧との行き来が盛んで、北欧州と北海文明を共有していて、特別に欧州人意識が強いスコットランドを別にしても、やはり骨の髄まで欧州人で、口では「イギリス人は大陸欧州人と異なる」と述べる人も、心底では自分が欧州人でしかないことを、言葉の底に堆積した真理を見つめるようにして、よく判っている。 メイ首相の書類へのサインを合図にして、世界中の新聞が「連合王国と欧州の離婚」を書き立てているが、現実は離婚であるよりもシャム双生児の片方が包丁を手にして本来ひとつでしか機能しない身体をふたつに切り裂こうとしているようなもので、ひょっこりひょうたん島という大洋を漂流する島というアイデアがおもしろい人形劇が60年代の日本では人気があったというが、なああーんとなくイメージとして、Brexitを決めてしまえば、連合王国ごと大西洋を西に移動できるような気持ちだった支持人たちも、決まってしまえば、小ブリテンと区別するために大ブリテンというエラソーな名前が付いた島が、実は移動できなくて、あいも変わらず、晴れた日にドーバーの白い岩の崖っぷちに立てば、向こうに欧州大陸が見える近さで自分の住む島が座り込んでいることにボーゼンとしている。 書いていて、悪い癖がでて、だんだんめんどくさくなってきたので、経過を端折って、結論だけ書いてしまうと、Brexitは、要するに自分のアイデンティティを自分で殺してしまった事件で、連合王国は、少なくともひとつの小文明としては、ここからゆっくりと瓦解して、退屈で凡庸な小国へ転落していくだろう。 インデックスをみると、史上に最も愚かな宰相として名を残すことになったキャメロンの時代は、戦前の英帝国時代も含めて連合王国の最盛期で、イングランドがあれほど繁栄したことは、かつてないことだった。 貧富の差の激しさを言い立てる国民性は、不平に酔っ払うのが好きな国民性の盛大な発露だが、実は、貧乏人の生活が最も質の向上が高かったのもキャメロン時代だった。 キャメロンが賢い宰相だったわけではなくて、愚かな男なりに運に恵まれて、ちょうど、荒事師サッチャーから始まった連合王国の再建の収穫期に首相になった、ということなのでしょう。 移民のひとびとのブロークンイングリッシュが、やや流暢になって、お互いに意思が通じ合えるようになった頃に、大陸欧州から自分を切り離して、血まみれになることになったのは、偶然の一致ではないが、いまここで、その機微に触れるわけにはいかない。 だいいち、日本語でそんなことを書いても、読んでなんのことかわかる人がいるはずもなければ、なんらかの意味もあるともおもえない。 いよいよ連合王国はBrexit人が、そう思いたがっていたとおり、非欧州の国となって、これからの連合王国人は、アイデンティティの上で、連合王国人であるか欧州人であるかを決断しなければいけなくなるのが、実際には、個々のイギリス人にふりかかる最もおおきな影響だろう。 ぼく自身は、是非もない、その決断をくださなければならないときに遭遇したら、躊躇せずに欧州人であるほうを選ぶだろう。 小さい人々がおとなになって、老人になる頃にはもう、なんだか冗談じみているが、大陸欧州による連合王国の併合という図式で、また連合王国は欧州の一部になってゆくだろうが、Brexitが進行してしまえば、自分が生きているあいだに、それが起きる気遣いはない。 手続きの国として政治的健全を自動的に回復する制度と、まだまだ個々のアメリカ人が強い自由社会保持への意志を持つアメリカの事情を考えると、バノンがトランプの右手をむんずとつかまえて、とらえて、核戦争のボタンを押しさえしなければ、Brexitはトランプ政権の誕生などよりも遙かにおおきな歴史上の事件で、連合王国の自殺は、人間が永遠に記憶する愚行として記憶されていくに違いない。 … Continue reading

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