2025年の日本をめざして_2

歴史は繰り返す、というが、繰り返さない歴史の典型が戦争で、戦争は、ほとんど一度も過去の形態を繰り返したことがない。

むかしは死刑囚は斧でクビをちょん切られるものと定まっていて、いっぺんでクビが切断できればよいが、なかなか頚部切断の勘所に当たらないので、頭にあたったり肩にあたったりクビのまわりがギタギタになって死そのものよりも斧で痛めつけられる苦しみのほうを虜囚は恐れた。

この非人道的な死刑に野蛮を感じたのがギロチン博士で、はずれなしにスパッとクビが切断できるように工夫したのがギロチンです。

戦争における戦車の発明も同等の発想にたっていて、若いときから戦争好きの右翼おやじだったウインストンチャーチルが戦車を発想したのは膠着を常とした当時の塹壕戦を打撃力のある「フィスト」で打開するという、子供のときから人形を使った戦争ごっこばっかりやっていた戦争オタクのチャーチルらしい考えだったが、これが高級将校たちに広汎に支持されたのは、近代塹壕戦があまりに悲惨で、人間の限界を越えて、発狂する兵士は数知れず、生き残った復員兵も廃人同様が続出したので、なんとか塹壕戦をなくさないと、多少でも文明的な戦争はやれなくなってしまう、という理屈だった。

リデルハートが目を付けたのは、戦車の打撃力のある機動性で、打撃力があって機動力があるのなら、これを集団で使用して、ちょうど艦隊のように運用すればよいのではないかと考えついた。
この冗談じみて単純な考えは、思考の飛躍が苦手なイギリスにおいては採用されなかったが、リデルハートの著作を読んで感銘をうけたドイツ陸軍のハインツ・グデーリアンによって現実化されます。

戦車を集団使用して、とにかく敵の抵抗線の最弱部を突き抜けて反対側に行ってしまう。そこから後方の(軍隊にとっては神経組織にあたる)通信網をずたずたにして、各所に点として孤立した敵を、無防備な想定外の方向から攻撃して破壊する。

元祖のリデルハート、グデーリアン、フランスのドゴールのような戦術オタク以外には思いもよらなかった、あとで「Blitzkrieg」と呼ばれることになる、この戦車の集団使用によって、兵器と兵員の質・量ともに圧倒的にドイツを上廻っていた世界最強の兵力を誇っていたフランスは、あっというまに陥落してしまい、最も重要なことは、それまでは「愚かな左翼」を黙らせるために道化としてエスタブリッシュメントが操っているにすぎなかったアドルフ・ヒットラーが、三段跳びで一挙に神韻を帯びたゆいいつ絶対の独裁者「フューラー」として君臨することになってしまった。
昨日まで支配層にとっては冗談のタネだった菜食主義者で偏執的潔癖さをもった 狂人じみたおっさんが、いきなり絶対支配者になったことが、いままでの世界の歴史で最大の危機であったナチの時代を生みだしたのでした。

今度は、どうやら核ミサイルの応酬という新しい戦争を目撃することになるらしい。

前にも書いたが、子供のころ、原爆を生みだしたオッペンハイマーの有名な「I am become Death」のビデオを観て、「60年代は核の不使用どころか、全面核戦争の危険がある時代だったのだなあ。なんという恐ろしいこっちゃ」と考えたことがあったが、冷戦の終わりとロシアの国家破綻を起点にして、ついに「核使用をためらわない」と公言するトランプの登場に至った現代の世界の根底的な問題は、核という絶対暴力が自分達の文明を根こそぎに破壊するものだという認識を人類全体が再び失ってしまったことです。

キューバ危機の頃、たとえばサルトルたち、当時の哲学者は核の暴力の規模があまりに圧倒的なので人間の言語からは真理性と意味とが失われてしまっていることを認識していた。
暴力と言語に代表される認識と思惟の内面意識とは、相対立するもので、暴力が支配する世界においては言語は意味をもたない叫喚程度の意味しかもちえない。
文学などは圧倒的な暴力の下では芸術として無効なのではないか。

人間はそこに戻ってしまったわけで、北朝鮮の核開発は、実際には、その核という暴力が人間の文明の底で息を吹き返して人間の文明から意味を奪い始めたことの歴史的あらわれにしかすぎません。

歴史は、つねに一見連関のない事柄が互い協力するようにして、世界をひとつの方向にひっぱってゆくが、いま日本がメルストレエムの渦巻きに呑まれていくように、核攻撃に向かって一歩一歩あるくことになった理由の根源は、ブッシュのイラク攻撃にあります。
お坊ちゃん学校に行った人間ならおなじみのある、一種の人間味に似た、かわいげのある表情の悪魔であるブッシュは、父親をオカネの入り口にあたる顧問にして戦争で利益をうける各社につけると、アメリカの脅迫に屈して核開発をあきらめたイラクめざして雪崩をうって地上軍を突進させた。
アメリカの国益に敵対する各国の独裁者の面々は、この「惨劇」をじっと眺めていました。

父親の死後、独裁の地位をついだ金正恩が、この過去の歴史から学んだことは、「自分も核を捨てれば必ずアメリカに殺される」ということだったでしょう。

金正恩は結局、アメリカの脅迫をシカトして、核開発に国力全体を注ぎ込み、ミサイルと弾頭の開発に成功して、現状は、衆目の一致するところ、この外交的賭けに完全に勝利した。

北朝鮮が活路をみいだそうとしているのは、大雑把にいえば中国が歩いて来た道のりであることは言うまでもありません。

核とICBMの開発を強行して、とにかく持ってしまえばアメリカは手出しを出来なくなる。
その段階に至れば手近な韓国と日本への攻撃を材料に恫喝することによって外交的な戦果をあげながら、経済を発展させて、世界経済のなかに自国を組み込み、アメリカが一方的に自国を破壊するという目論見を思いとどまらせることが出来る。

世界中に北朝鮮を近い将来の投資先として考えている投資家は、たくさんいます。
勤勉で従順な国民、ほとんど資本主義を知らないウブな市場…投資家にとっては、「わたしを使って稼いでください」と言わんばかりに目の前に身体を横たえている国を前にして食指を動かさない投資家はいないでしょう。
実際、北朝鮮は、いったん国が安定すれば、ありとあらゆる投資機会にあふれていることで知られている。
しかも指導者は残酷性の強い独裁者とはいえ、経済の発展のためならどんな便宜も供与しようとすることが間違いない、しかも先が長い若い指導者であると来ている。

前回述べた絶体絶命の危機から日本が逃れ出る道もここにあって、現実の問題として、北朝鮮に核開発を黙認して、経済発展を積極的に助けるほかには、北朝鮮とアメリカ、といっても戦争になったときの実態は北朝鮮対日本・韓国の戦争を避ける方法は、多分、ほかには存在しないとおもわれる。

問題は、現実に北朝鮮の暴発防止プログラムに入る場合の北朝鮮のスタンスで、いまの状況であると、北朝鮮にとって深刻な問題がおきれば北朝鮮は日本へ小型核弾頭のミサイル攻撃をおこなって、それにアメリカが反応して自国を攻撃する姿勢をとれば、とっておきの大陸間弾道弾でグアム・ハワイ、ひいてはアメリカ本土を攻撃することをちらつかせて抑止する、というシナリオになっている。

つまりは、頭にくれば右手に握りしめた核ミサイルの剣で、おもいっきりアメリカの盾である日本をひっぱたいて、それでアメリカが激昂するようならアメリカ自体の頭上をめがけて剣をふるうと脅す、ということでしょう。
トランプが日本との軍事同盟に基づく義務を結果としてでも最後まで誠実に履行する確率は、1割、あるかないか。

このブログでは何度も出てくるように、中国の特徴は、ひとくちに「中国」といってもひとつではないことで、やや政治力が衰えてきているとはいってもいまだに独立した勢力である人民解放軍と習近平が率いる政府のふたつの勢力が中央にあって、その中央に面従腹背する存在としての地方がある。
中国という国は水滸伝を読めば得心がいきそうな国民性の反映で、世界のなかでも飛び抜けて統一を保つの難しい国で、顔を近づけて仔細に検討してみると、なんだかもう無茶苦茶といいたくなるような内情で、いまのところ統一が保たれているのは、要するに「儲かっているから」という単純な理由によっている。

儲からなくなれば、どうなるかというと、それぞれが自分の相対的な面子の上昇と利益の増大に向かって、他勢力はおかまいなしにふるまいだすわけで、日本にとって切実な問題でいうと、人民解放軍の悲願である「対日戦勝利」に向かって挑発を繰り返しだすのは、まず間違いないところだとおもいます。

そうやって考えると、トランプ大統領や安倍首相がいま向かいだした政策は、バカまるだしなことをやっていて、つまりは習近平を困らせて人民解放軍を助けようとしているようにしか見えないことになる。

習近平からみると、「なんで安倍やトランプは、そんなに戦争がやりたいんだ!」と叫びだしたくなるような事態でしょう。
人民解放軍と、それと結びついた政敵が勢いづくことは習近平が最も恐れる事態だからです。

どの戦争の前にも判で捺したようにシアワセな論者がいて「経済的にみあわない戦争などおきるわけがない」という。
近くも、1938年のイギリス人は、おおまぬけもいいところで、同じ理屈に立って「ついに世界に恒久平和が訪れた」と、いまふりかえってみると、愚かとしかいいようがない平和達成感に酔ったりしていた。
チェンバレンの政治ロジックを嘲笑うかのようにドイツがポーランドに侵攻するのは翌年の1939年のことです。

「利にあわない戦争は起こらない」理論がいかに間違っているかは経済の理屈と国権の理屈は異なるのだということに気が付くだけでも十分でもあるけれども、もうひとつ、いまの日本が直面している世界に添わせて述べると、前回述べたように「軍人は戦争を避けようとする」が、いっぽうで軍人は必要だとみなせば戦争をためらわない存在であることも付け加えておいたほうがいいかもしれません。
トランプ一家と取り巻きがあまりにひどいので日本ではマティスやケリーに期待するという、おっそろしい理屈をなす人がいるけれども、軍人は軍人なので、軍人に政治を期待して破滅的な結果にならないことは珍しい。
「良識のある軍人」ほど破滅を招きやすい恐ろしい存在はないのは、たまたま在任中には決定的な破綻が露見しなかったアイゼンハワー大統領が在任中に行っていた倫理のかけらもない、無惨なほど人間の低いところを見つめた打算だけで出来た行動を見れば十分であるような気がする。
それを冷徹な現実主義と呼ぶ人は、ついに政治にも倫理にもまったく鈍感で縁がないひとです。

軍人が戦争を避けようとする傾向があるのは戦争が現実になにをもたらすかを普通人よりも想像力をもって考えられるからだが、一方で軍人は、その悲惨をもたらす戦争行為をためらわらないように徹底的に自己を教育した存在でもある。

簡単にいえば戦争行為に関して限定してのべれば、軍人は通常の社会の基準からいえば異常者なので、また通常社会の物差しで定義する異常者でなければ戦争を職業とすることはできはしない。

いまのアメリカのホワイトハウスは、どこからどうみても実質は軍人内閣で、戦争に向かう確率は通常の国よりも遙かに高い。
ところが、その遙かに高い確率で起きそうな戦争の、ちょうど戦域に位置することがいまの日本の地政学的な不幸で、あらためて地図を観るといいが、日本は、いま戦争にむかって焦点をつくりつつある、北朝鮮、中国、ロシアのすべてに隣り合っている。
しかも軍事テクノロジーの進歩と核兵器以外有効兵器をもたないビンボ国北朝鮮の存在によって、戦場は東に拡大して、海を隔てた日本こそのが戦場になる形勢です。

アメリカが、外交的敗北を認めて北朝鮮に対して大幅に譲歩して経済を助けることになれば何とかなる可能性もであるが、失敗すれば、今度は中国がアメリカと可視的に対立しだすことは、ほぼ明らかでしょう。
そうなった場合、チョシンの地獄が、数十倍数百倍の規模になって、日本の国土で展開されることになる可能性まである。

仮に北朝鮮の金正恩政権が瓦解した場合でも、アメリカ勢力圏と国境を直截接するわけにはいかない中国は、逆に韓国を支配下におくという離れ業をみせるかも知れません。

日本の安全保障にとって深い関係があるイランについても書いておこうとおもったが、昨日おそくまで遊んでいたので眠くなってしまった。

戦争の危機の話は、もうこのくらいにして、次からは経済の話にしたいとおもっています。

では

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2025年の日本めざして

宇宙好きの子供の悪夢のひとつに、ふらふらと群を離れたおおきめな小惑星が地球に向かい始めて、ある日、科学者が軌道を計算してみると、正真正銘、地球と真っ向から衝突する、というのがある。

北朝鮮と日本の対立は、これと似ている。
政治的諸条件を計算してみると、いまのところ、北朝鮮とアメリカの衝突は不可避で、アメリカと北朝鮮が衝突すれば、最大の標的は、表面は日本が最も好戦的な言辞を述べていたことによって、本音は、いまの北朝鮮の核ミサイル技術の水準で現実に軍事兵器として信頼しうる破壊が行えるのは日本までで、グアムになればもう大気圏への再突入の問題や、GPS誘導を欠いた精度が低い飛翔を余儀なくされることによって、戦争にならないので、日本に核ミサイル攻撃を集中することによって外交的な勝利の端緒をみいだすしかないという理由によって核攻撃は日本を標的にしたものになるだろう。

もっかの状態は、核弾頭とミサイル筐体の量産体制を築きながら、トランプと安倍の愚かさによって手に入れた初期外交勝利を保持して、アメリカ国民に「おまえたちの頭のうえに核を落とせるのだぞ」と恐怖心を植え付けることで、ちょうど60年代の中国とおなじように核の力に守られた独裁社会のなかで、これも中国的な経済発展を目指している。

金正恩は、アメリカとの戦争が、そのまま北朝鮮の破滅であることをよく知っている。
そのうえ、曲芸師的なオポチュニストで、オモチャじみた核・ミサイル技術をちらつかせては外交的妥協を引きだして、長期ビジョンのある経済政策はまったく行わなかった、簡単に言えば遊び人の父親金正日とは異なって、北朝鮮の自己の政権が生き延びる道は躍進的な経済の発展にしかないこともよく判っている。

では、戦争の危険などないではないか、という人がいそうだが、なぜそれでも戦争が不可避なチキンレースの一本道を日本と北朝鮮が段々と距離を詰め合いながら向かい合いに歩いているのかは、日本の人にはアメリカ人にはまったく理解不可能な「圧迫されたもののメンタリティ」が、戦前の行動を思い起こせば、簡単に得心がいくはずで、いったん民族的な怒りに火がついてしまえば、日本人と心性が似て、日本人以上に徹底的な半島人の血がたぎって、誇張ではなく最後の一兵まで戦うだろう。

日本は本土にアメリカ軍が上陸するオリンピック作戦に怖じけづいて、呆気にとられるほど淡泊に手をあげてしまったが、なにしろ、北朝鮮は朝鮮戦争をみれば、国土が完全に蹂躙されて、寸土も余さないほどアメリカ軍に徹底的な敗北を喫しても、まだ戦う意志を捨てなかった国で、ヒットラーのドイツみたいというか、民族として辱められるくらいなら滅亡したほうがマシという国です。

しかもアメリカの大統領はトランプで、この頭が悪い、他者や他文化への想像力をまったく欠いたおっさんは、ディメンシャなのではないかと医学者たちが目下真剣に疑って危惧するほど、おもいつきで破滅的なことを始める癖があって、いよいよ国民の人気取りのために始めたアフガニスタンでの戦争がにっちもさっちもいかなくなれば、「じゃ、北朝鮮」というくらいの気安さで、戦争を始めかねない。

しかも前に何度か書いたように、アフガニスタンは「紙の上では楽に勝てそうにみえるのに、いざやってみると必ず泥沼化する土地柄」の典型で、ソ連の退役将校たちが「アフガニスタンは、やめたほうがいい。あそこは地図上の作戦と戦争の現実が異なる土地の典型だ」と述べているのに、アメリカの将軍たちは「われわれとあなたがたの軍隊とではテクノロジーの次元が違う」と鼻で嗤って、ものの見事にアフガニスタンという巨大な罠にはまってしまった。

しかもアフガニスタンと関わりを持つことは常に、歴史を通して、ロシアとの火種を抱え込むことで、オバマの政権が迂闊に戦争規模を拡大できなかったのもそのせいだが、まわりの軍事専門家がいくら説明しても、トランプの頭には入っていかないらしいが、トランプほどの粗忽さならば、ロシアとの全面対立に発展する可能性もおおきく存在する。

北朝鮮が盛んに中国を非難したりしているのも、中国と事を構えたいのではなくて、中国を可視的に巻き込んで、自分の国とアメリカの対立を中国とアメリカの対立にすりかえようという目論見だが、トランプはこちらも理解していないのは明らかで、この単純で知的能力に劣る老人の目には、中国がいよいよ北朝鮮と対立しはじめたと、なんだかその辺にころがっている政治好きのおっちゃんみたいな理解でいるらしい。

いまのホワイトハウスのボスたちの顔ぶれを見ると、自己クーデター政権というか、求心力の中心は軍人、つまりは軍人内閣で、どこにも自由主義国家らしい片鱗はなくて欧州人たちの失笑を買っているが、いうまでもなく軍人は戦争を嫌う。

あれほど好戦的だった参謀本部が呑んで戦争の拡大を収拾しようとしたトラウトマン工作を蹴ったのは近衛内閣のほうで、軍人は常に戦争についての具体的想像力を持っているので、戦争を簡単に始めたがらない。
ところが総司令官であるドナルド・トランプは戦争への想像力はゼロでしかないのが言動から判っていて、自分の都合が悪くなれば、北朝鮮への先制攻撃に走って、安倍政権もおおよろこびで参戦するのは確実なので、切羽詰まった文大統領は「朝鮮半島を戦場にされるのは、お断りします。やるなら日本との同盟を頼ってやれ」という破天荒な演説をおこなった。

その演説に対する日本社会/マスメディアの反応は「怖じ気づいた韓国の醜態」「敵前逃亡」「卑怯者」というようなものだったので、遅かれ早かれ、やはりミサイルは飛んで来て、当たるも八卦当たらぬも八卦、PAC3では、どんなタイプの核ミサイルも防ぐのは無理だが、せめてTHAADとイージス艦の防空能力に期待して、開戦があとになればなるほど増えてゆく核弾頭の、例えば百発という数のミサイルいっせい射撃のうち、何発落とせるか、星に願うくらいしかやることは残されていないのかもしれません。

最終的に戦争が起こらない僥倖があるとすれば、金正恩政権が倒れるかトランプ政権が倒れるか、あるいは北朝鮮に核開発計画の進行を認めて、おおきく妥協するか、その三つがいちばん可能性があるが、三つとも直ぐに起きる可能性は低い上に、仮に金正恩政権が倒れると、中国が一種の非武装地帯を鴨緑江沿いにつくることになって、アメリカとの対立が飛躍的に高まることになる。
北朝鮮におおきく譲歩すると、核戦争の危機が一気に遠のくが、遠のくといっても、どっかに行ってしまうのではなくて、やはりチキンレースの一本道を、十数年という向うがわに遠のくだけで、すぐに戦争になる可能性がないかわりに、より破滅的な戦争の危機が内包されて、しかも、この路線の最大の障害は、実際には「日本の核武装が確実」になることです。

アメリカの極東政策の基本は、このブログには何度か登場した、いまでは公開されている周恩来・キッシンジャー会談のときから、変わっていない。
「空前の好戦民族である日本を封じ込める」ことで、「日本を守る」という口実で居座っているアメリカ駐留軍の第一の目的は「巨大な軍事力を日本そのものに置くことで日本の軍事化を防止する」ことであるのは、アメリカ軍将校にとっては常識で、キッシンジャー自身が、言葉にして述べている。
中国との軍事的な黙契の大底をなしているのが、この「日本はアメリカが責任をもって封じ込める」という約束で、最近、人民解放軍が、政府の意向にさからって「跳ね返り行動」を取り続けているのは、人民解放軍がアメリカの約束の真実性を疑いだしているからにほかならない。

アメリカ軍が日本を守ってくれる、などという幼児の願望に等しい日本の人の願いとは別の次元で、戦争における自分の足場、いわば極東における真珠湾/グアムとしての日本という名前がついた列島を、敵が仮に上陸してくれば防御線と規定している現在のアメリカの太平洋戦略は改訂されつつあって、日本の重要性は薄れているが、ここに政府としておかれている日本政府が核武装をするとなると、中国にとってだけではなくて、ロシアやアメリカにとってもたいへんなことで、周・ニクソン以来の東アジア和平の枠組みが根底から壊れてしまうので、誰にとっても、そんなことを許すわけにはいかない。

一方で、北朝鮮がどんどん核武装の量と質を拡大していって、いまですら歴史的な好戦性を剥き出しにしつつある日本人が、黙っているわけはない。

紆余曲折を経ながら、どこかで、まったく異なるパースペクティブが得られない限り、極東の核戦争危機は煮詰まっていって、日本が列島ごと廃墟になる可能性は、残念ながら、かなり高いだろうとおもわれる。

どこで、この不可逆的にさえおもえる政治状況ができてしまったのだろう?と考えて振り返ると、日本の人が民主党政権の極端な無能さに苛立って安倍政権を選んだ時点で事態は固定されてしまった。

政治では、ダメなものとよりダメなものがふたつ列んでいるときに、比較的にマシだからという理由でダメなものを選択してしまうのは、よくあることではあっても禁忌で、そこが選挙を媒介にした民主制が生き延びていけるかどうかの要というか、ダメと、よりダメを比較している自分の視座のほうを動かすしか方法がない。
選挙の前に、仮に自分が投票しなかったとして選挙後の政治地図がどうなるかを予測して、それが少しでも自分が「こうなって欲しい」と願う政治地図になるために投票行動をとることを「戦略的投票」と呼んだりするが、到底そんなことで追いつかなければ、急激な俯瞰の転換を求めて、通りにでて叫び、事態が絶望的な場合は暴力革命を志すことすらある。
もっとも自由主義革命の母であるフランス革命が無惨な失敗に終わったことでも判るように、革命がうまくいく可能性はひどく小さくて、歴史上ゆいいつ上手くいった革命はアメリカの独立革命で、これは圧政者がイギリスという外国だったからうまくいったのだが、図式をあてはめると、日本が中国に支配される事態が起きれば、そこには革命がうまく成し遂げられる可能性もあるのかも知れません。

日本の場合は、歴史的にも、文化の本質においても、世界に例をみない、「骨の髄まで」と言いたくなるほどの天然全体主義社会で、民主的に日本を運営していくチャンスがあったのは実像とは似ても似つかない「頭がおかしい宰相」にされてしまったせいもあったが、やや理想主義的に官僚の利権と正面から衝突して、たちまち弾き出されてしまった鳩山首相くらいで、頑張って踏み止まって、政権を支持しつづけるくらいのところに日本に民主社会が実現される可能性があったのだろうが、ちょうどその頃日本にいた自分の経験からいうと、現実には到底起こりえなかったことで、やはり民主制みたいなものを軍人が他国の社会に鋳型として押しつけても、肝腎なところでうまく機能しない。
表面の型をなぞって、その根底にある精神に至るのは、難しいというか、つまりは不可能なのかも知れない。

そうやって考えると、いまの日本が迎えている危機は、要するに寸法の直し方すら教えてもらえなかったお仕着せの服が、身体にあわなくなって、社会ごともともとの全体主義的文明に回帰する過程で生まれた必然なので、考えてみれば当たり前だが、日本人が自分の頭で考え直した自分たちの社会へ作り直していく以外には、戦争の危機回避も含めて方法はないのかもしれません。

中国の若い人などは言葉にしてはっきり「西洋のモノマネしか出来なかった国の悲劇」だと日本のいまの状態を論評していたが、おかしなことをいうと、この人は天才的な頭脳の持ち主だが文学も美術も興味がないひとで、日本の文学と美術とから日本に近付いていったこちらとしては、全面的には肯定できないところがあるとおもう。
そのときは、相手が美術と文学にはまるで関心がないのを考慮して、日本の数学者たちの仕事を例に日本文明の独立性について説明したが、納得したような、しかねるような、曖昧な顔をされて終わってしまった。

やっと日本語で意味が通じることが書けそうな程度に日本語学力?が回復してきたので、ここから、だいたい2025年くらいまでの日本をめざして、日本がダメになった理由、日本がどうすればまた独立性をもった文明として繁栄していけるか、日本語学習者として考えた事をここに書いていこうとおもっています。

うければ、どんどん書くし、うけてないなとおもうと中断して、お話しがどっかへ行ってしまって、本人は遊びにいってしまうのは、いつものことなのだけど

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クアラルンプールで

英語ニュースがトランプだらけなので、うんざりして、日本語ニュースをぼんやり眺めていたら、スピナーが日本でも流行りだしたという記事があって、人気の理由のひとつは自分でも組み立てられることだ、と述べている。

記者も組み立てに挑戦してみました。

そこで目が止まる。
組み立てに「挑戦」する。
日本語がうまく話して書けるようになって「日本人なみですね。いや、もしかしたら日本人よりもうまいかもしれない」と言われるようになった頃は、でへへへと喜んでいるばかりで、なんとも思っていなかったが、だんだん日本語の深みにはまってくると…あ、いや、理解が深まってくると、この「挑戦」が、読んでいてひっかかるようになってしまっている。

むかし東京の目黒で、コンビニの若いバイトがやめてしまったかなにか、なんらかの事情で、70代くらいのじーちゃんたちが3人で、いかにも覚束ないやりかたで店員をやっているのに出くわしたことがある。
肉まん評論家なので、東京にいるときにはよく肉まんを食べて、維新號や神楽坂五十番が好きだったが、別段コンビニの井村屋でも嫌ではなくて、そのときも肉まんを買おうとしていたのだったとおもいます。

ところが、支払いの列でひとり前の大学生の弁当で、「あたためてください」と言われたので、じーちゃんたちはパニックに陥っていたのだった。
驚くべきことに、このじーちゃんたちは、店の電子レンジの使い方が判らないらしくて、客の大学生が、こーするんです、あーするんです、と説明するのを懸命に聴いて、やっと弁当を暖めることに成功する。

「挑戦」という言葉を観ると、そのときのじーちゃんたちのねじり鉢巻きをしてフンドシを締め直しそうな勢いが思い出される。

この生硬な、日本人が意味不明なchallengeの使い方をする原因にもなっている古色蒼然とした表現が、いまだに多用されることの背景には、日本の文化のどこか奥深いところにある、ものに臨むときの生硬さ、気負いがあるのでしょう。

映画を「鑑賞する」という。テキトー日本語学習者の目からみると、これも「ど、どーしたんだ」と、ちょっと上半身を引く体勢になりそうな言葉で、映画を「鑑賞」という感覚は、日本語が判れば判るようになるほど、違和のある、判らない感覚と感じる。

ご趣味は?
AV映画の鑑賞ですけど、というような会話を思い浮かべてしまう。
まあ、ワイルドなご趣味でけっこうですわね。
それで流派は、どちらの?
日本ですか?
それともアメリカ?
最近はpornhubのようなお下品なものが出来て、まったく嫌ですねえ。
外国人は、つくづく、陰翳のある、もののあはれがわからない。

「鑑賞」されては、くすぐったい映画はたくさんあるとおもうが、それでも映画は「鑑賞する」ものだと日本語教科書が教えているのは、実際に頻用されるからで、
この表現が陳腐化をまぬがれて生命を保っているのも、やはり、その背景には日本人の気持ちのどこかに映画を観てなにごとかを学ぼうという制服を着て畏まった気持ちがあるからなのに違いない。

別に悪くはないし、第一、たとえヘンテコだと感じても外国語にめくじらを立てるつもりもなくて、そんなヒマがあれば「めくじら」は目のどの部分にあたるのかを辞書で調べたほうが教養の増進に役立つと思われて、目のヘンなところがおったってしまうと剣呑なことになるのではないかと考えたりもして、思考材料としても有益だが、その生硬さが、日本文明のなにかの部分の本質につながっているような気が、いつもしている。

答えはないのか、って?
答えはないんです。

ずっと読んでくれている人はみんな知っているが、このブログは疑問が出てから、波頭のあいだに「?」が沈んで、数ヶ月を経て、海面に浮上して、また潜航して、
あーでもない、こーでもない、何年もたって、やっと暫定的な解答らしきものがあらわれる息の長さで、なにしろ「ビンボ生活サバイバルその1」が出て、おお、常には非ず面白いのでは、とおもって待っていると、その2は四年後だったりする。

名曲「やぎさん郵便」よりも、ひねもすのたりのたりのたりなブログなので、聴けばガチャポンにご託宣がおりるオラクルのようなわけにはいかないのです。
第一、 アポロンの神殿の祭壇の石の体積を2倍にするのは無理だったではないか。

Batu Ferringhiという浜辺のリゾート地で、ホテルのてっぺんのテラスから、夕陽を背景にパラグライディングするニカブ姿の女のひとたちを眺めて数日を過ごしていたらスティーブ・バノンがホワイトハウスをおんだされたというニュースが流れてきた。

近来にない良いニュースで、これでやっと人間に、というよりももっと特定して述べると白いひとびとに、自分たちの思想と哲学を再検討して、マニンゲンになる時間の余裕が出来た。
前に書いたがバノンなる人は、報道されているよりも実像はもっと怖い人で、述べ続けてきたことを追ってきたほうからいうと、簡単にいえば思想家です。
ビンボな家で、暴力おやじにぶちのめされながら育ったバノンは、やがて憎悪をエネルギーに変える、というお決まりと言えばお決まりのパターンで自分を鍛えてゆく。憎悪を核エネルギーのごとく反応させると巨大な力がわくが、一方では、憎悪の言葉が自分の脳髄を不可避的に支配することのほうは、この手のひとたちのご多分にもれず気が付かなかったようで、誰がみても、ホワイトハウスのなかに入り込めば実現可能なプランであるところが怖かった。

もう何度も書いたので、ここでは繰り返さないが、ひとことでいえば世界の最終破滅戦争を起こして、その核の巨大な破壊の炎のなかから「覚醒した白人種」が立ち上がって再び世界を支配する、という戸塚ヨッットスクール思想で、なんてふざけてはいけないが、コンジョナシが主な欠点な白人文化に喝をいれちゃろうという怖い思想で、トランプなどはどうでもよいくらい怖いおっちゃんだった。

そのバノンがホワイトハウスを出たので、手に入るいちばん良いシャンパンを持ってきてもらって、モニとふたりでお祝いしました。

まるでヴィイに出てくる地の霊のようになんでもよく見える哲人どんが述べていたように、日本に北朝鮮の核ミサイルが飛んでくる可能性は変わらないが、というよりも、北朝鮮が核のナイフを日本の喉首に突きつけたかっこうなのを是認してアメリカが自分の外交的全面敗北を認めて譲歩するか、金正恩が大好きな日本料理を食べ過ぎて頓死するかしなければ、いまのままいけば外交論理的にのべて遅かれ早かれ飛んでくるに決まっているが、世界規模にならない以上、日本の人にしても逃げるところもあれば、第一、北朝鮮の核は向こう20年がとこはキロトン級なので国土が廃墟になり、汚染されても、ま、福島第一事故みたいなもんだからということにして、なんとか被害をまぬがれた地方に住み続けることも出来るかもしれない。

バノンの構想とは次元が異なる話で、ホワイトハウスから破滅思想というおっかないものが退場して、強欲と痴愚だけが留まったので、トランプという厄介な問題は、あちこちで戦乱を起こしはするだろうが、本質的にはアメリカ国内の問題で、アメリカ人たちの問題とみなしてもよいことになった。

テラスのコーナーにあって、電動式ブラインドで人目を遮断して、楽しい裸ではいれるようになっている畳で言えば三畳くらい?のバスタブに浸かって、モニさんとふたりで祝杯をあげるだけの理由はあって、酔っ払って、ほんとうによかった、
これで人間はまた人間の言語の有効性を取り戻す時間がもてる、と考えました。

暑いところが苦手なのは判明したが、いまいるところは一泊が1500USドルだかなんだかのアパートで、根がケチンボのわしとしては、キャンセルしてもオカネは戻ってこないので、計画を切り上げて例えばいったんニュージーランドに戻ろうという気にはならない。

なああんとなく、ずるずるといて、やたら天井が高い部屋の、ガラス壁の向こうに広がるクアラルンプールの町を見渡しながら、陽光に輝く高層ビルの群を観て、「暑そう」とうんざりしている。

クアラルンプールやペナンに責任があるわけではなくて、自分達が暑熱に極端に弱いことを忘れていたこちらがマヌケなだけだが、それにしても、対地角度がちょっと異なるだけで、こんなに暑いなんて、理科でちゃんと教えてくれればよかったのに、と考えた。
教えたのかも知れないが、多分、子供絵本の魔方陣で悪魔を呼ぶことに熱中していたかなにかで、少なくともわしは聴いていない。

十全外人なので熱帯にも征服の手をのばさないわけにはいかなかったが、藤甲軍に手を焼いた諸葛孔明みたいというか、気候が異なるところでは、おもわぬことが起きる。

やむをえないので、冷房をつけて、ゲームをやって遊んだり、本を読んだりしています。
いつ見ても誰もいない、でっかいプールがあるので泳ごうとおもうが、暑いと涼しいことをするのまでめんどくさくなるもので、まだやってみていない。

水泳に挑戦したりモニさんを鑑賞したりして、もう少し、この町にいようと考えています。

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マレーシア

マレーシアは中東のイスラム・ペルシャ世界とアジアの文明が浸潤しあっている、おもしろい国だとおもう。
ニカブ姿(頭から黒い布で踝まですっぽり覆って、でもよく見るとおなじ黒の色で一面に美しい刺繍が施されている!)の女の人達が、たくさん歩いていて、めいめい、グッチやシャネルの紙袋をさげて、楽しそうに笑い合いながら午後を楽しんでいる。

くだらないことで喜ぶ、と言われそうだけど、昨日はニカブの女の人に道を訊かれたんだよ!
残念なことに、知らないビルだったけど、知っていたら、ニカブのひとの手をひいいて一緒に歩いて案内していたのではなかろーか。

知ってるかい?
ニカブの女のひとたち、食事のときは顔の布を外して食べるの。
あのyoutubeでバイラルになった、ローマの広場のベンチで手づかみのスパゲッティを高くもちあげて顔の布の隙間から食べている、優雅とはいいかねる動画の印象とはまるで異なって、ナイフもフォークも使い方が堂にいって、とても上品なんだよ。

もちろんニュージーランドにもニカブ姿の女の人は、たくさんいるけど、なんだか緊張して、交差点に立っている姿が暗然としていて、アラブの女の人は抑圧されているからだろーか、と思っていたが、こっちがバカタレなだけで、リラックスしたニカブ人たちは、快活で、品がよくて、あたりまえだと言われてしまうだろうけど、きみやぼくと変わりがない、普通の人達だった。

あのニカブ姿のままでパラグライダーをやるんだよ!
それもひとりやふたりでなくて、人気があるらしくて、何人も行列しているの。
黒い裾をひるがえして、沈みかけた太陽にさしかかる姿が映画のETみたいで、無知なわしとしては、超現実的な、幻想的な光景に見えました。

ジョージタウンは、おいしい店は全部屋台で、冷房も何もない露天にあるという意地悪な町で、すっかり夏バテになったモニとぼくは、バトゥ・フェリンギの、着いてみるとなんだか途方もない数の日本人がいるホテルに行った。
テラスにいると海風が気持ちがいいホテルで、ルームサービスで三食を摂って、あんなひとにいえないことや、こんないけないことばかりしていました。

やっと機嫌がよくなって、落ち着いて町を眺められるようになると、供給過剰なコンドミニアムや点が面に拡大していけない都市化経済が目に付いて、どうやら、たくさん解決が難しい問題があるようでした。

日本人であるきみには、よいニュースもある。
マレーシアは日本のプレゼンスが、ぶっくらこくくらいおおきいんだよ。
クアラルンプールには、例の超高層なツインタワー(といっても本当は3つのビルで出来ているそうだけど)の足下のモールからパビリオンという新しいモールまで歩いて行ける冷房がある遊歩道があって、暑さにコンジョナシのぼくは、夜になるとこの遊歩道を行ったり来たりして過ごしていたんだけど、一風堂があって、バリウマがあって山頭火があるラーメン屋をはじめとして、CoCo壱番屋があって、北海道なんちゃらチーズケーキがあって、コールドストアレジという普通なスーパーの棚から油断して商品を買うと、説明もなにも日本語の商品をそのまま買うことになったりする。

シンガポールみたいに伊勢丹デパートメントストアがあって、伊勢丹の制服を着た書き割りの女の人がエスカレーターの脇でお辞儀して立っていて、モニが「なつかしいね」と笑っていました。

おおきなスーパーマーケットには、どこも日本コーナーがあって、アメリカでいえばミツワみたいというか、イオンみたい、おお、そういえばペナンのクイーンズベイという新興住宅地にはイオンそのものがあって、軽井沢から佐久や上田のイオンによく出かけていたモニとぼくは、顔を見合わせて「日本にいるみたいだね」とにっこりしてしまった。

マレーシアに来てから、もう5週間か6週間になるのではないかとおもうけど、なにしろモニとぼくには気候が暑すぎるので、毎年、ニュージーランドの冬に来て遊ぶのは無理じゃないかなあーと、昨日もモニとふたりでカクテルを飲みながら話していたところ。
アメリカが、あんなふうになってしまって、このあいだトランプが選ばれた直後にカリフォルニアに行ったときに、やっぱりそれはそうだろうな、とおもったとおり、普段の生活には影がさしていなくて、誰が大統領でも変わりゃしないんだけど、ひとつだけ面白かったのは、いつもなら当然政治の話を口にするべきひとたちまで、まるでトランプという名の大統領などいないかのような素振りで、誰も話をしたがらなくて、無視する形で、影がさしているのだといえなくもない。
それでも遠くのオーストラレイジアから見ていると、到底正気の国には見えなくて、アメリカ人のオカネモチ友達からは年中家を買うための問い合わせが来ていたりして、どうにもアメリカまで遙々、寝心地の悪い飛行機のベッドに揺られてまで行く気が起こらない。

欧州も、なにごとによらず終始楽観的なかーちゃんやとーちゃんと話しても、あんまり芳しい話はなくて、あれほどもういいかげんに帰ってこいと言っていたのに、この頃は、ニュージーランドに根拠をおいたまま長旅を我慢してあちこち行くのもいいかもしれない、なんて言うんだよ。

マレーシアには地震がない。
地面が揺れない社会らしくて、ひとびとは落ち着いて、のんびりしていて、「まじめなのにのんびりしているって、いいなあ」と思ったりしています。
これは面白いなと考えたことのひとつに、スーパーマーケットの店員が、自分の裁量で、お釣りをおまけしてくれたりするということがある。
些細なことだけど、よく考えると、おそるべきことで、文化の違いが、こんなに強烈にビジネスにあらわれている例は珍しいと思いました。

テキサスでは$5ランチの店のChili’sが、ここではやや高級なレストランで、普通のマレーシア人にとってはフトコロが痛いけど、窓外に公園の噴水を見ながらデートするためには出費もやむをえないとまなじりを決したおにーさんがチャドルの女の子を誘ってやってきたりするのだけど、ファヒータを頼んだら、ここでも店員の裁量で色々なものをタダで持ってきてくれる。
日本だって、そういうのあるよ、というだろうけど、上手く言えないけど、ちょっと違っていて、ここでも「店員の裁量がおおきい感じ」がはっきりしている。

残念なことに、ぼくの観察では、よほどの市場のタイミングと運に恵まれないと、マレーシアが目論見どおりシンガポールに取って代わるのは難しいだろう。
アジアのイスラム金融の拠点になるかどうかが鍵だが、いまのところは、ちょっと難しいんじゃないかなあーという冴えない感想でした。

きみらしく、マレーシアに住むと、日本軍の残虐行為のせいで嫌なおもいをするのではないかと心配していたけど、多分、安倍政権がみせた居直りのせいで、残虐行為を歴史の靄のなかから顕在化させて、はっきり可視化させようという動きは、特に若い世代にあって、日本軍の苛酷というのも愚かしいくらいの、どう考えても不必要にすら思われる残虐な行為の数々を生き延びた老人たちにインタビューして、動画に残したりしているけど、アジアの人の生来の善良さなのか、日本人だから憎む、というようなことがあるとは思えません。
普通に応対していれば普通に応対が返ってきて、モニとぼくは、「テリマカシー!」だけは、絶対に気を逃さず、隙があれば言うんだけど、マレーシアの人の反応は、なぜか、まず吹きだして、大笑い(←外国人に言われるとなんとなく照れくさいらしい。日本の人の「笑い」に似ている)してから「サマサマ−」という。
そういう調子で、日本の人に対してもおなじじゃないかなあ、と想像します。

さっきアメリカ人ともだちに「おい、ここは一風堂のラーメンが世界一安いんだぞ」と書いて、くやしがらせようと画策していたんだけど、円に価格を翻訳しようとすると一杯が27リンギで、ということは9NZDで、ということは700円くらいのはずで、2500円だかで、その上に2割のチップを払うマンハッタンの一風堂に較べると、四分の一以下の値段だということになる。

だいたいなんでもかんでも日本やニュージーランドの四分の一から五分の一で、マレーシアのひとは安い安いと言われるとふて腐れてしまうだろうけど、でも日本人にとっては、物価の面でも暮らしやすいのは事実ではなかろうか。

MM2Hビザも取りやすいそうだし、年金制度が盛大に轟沈することが予想されて、こちらは比較的には健全だったのに、無理矢理連結しているせいで、一緒に心中でご臨終になりそうな保険制度を抱える日本で、あんまりオカネもないんだけど、ということでも、なんとかなりそうな老後は、案外、この国にあるのかもしれません。

ほら、マレーシア政府からAOLのおっちゃんが買い取ったエアアジアもあるでしょう?
ツイッタで誰かに聞かれたので見たら、羽田⇆クアラルンプールの安い航空券は往復369リンギ、日本円で1万円だった。

アコモデーションは世界一チェーンのホテルが世界一安いのだというから、偵察に来てみるのにいいかもよ。

きみのお母様は、「口ばっかりで、政府は自分達国民の面倒を見る気はないのが判ったんだから、自分で自分の面倒をみるしかない」と述べていたそうだけど、その息子・娘世代のきみにとってはなおさら準備をしていかないと仕方がないのではないだろーか。
まだ保っているけど、自分の仕事を通じてみていると、日本がこのまま無事ですむとは到底おもえません。
自分の将来を探しに遠くへ出かけなければならないときに日本人はさしかかっているのだとおもいます。
英語世界への移住は、正直に述べて、ハードルがものすごく高くなって、このあいだ帽子デザイナーの友達は、旦那さんが、あろうことかIELTSで9.0を超える得点をとったとかで、サウスオーストラリア州から招請状が来たと言っていたけど、オーストラリア人の友人でも、「テストされたら、おれ、オーストラリアから国外追放なんちゃうか」というくらい資格要件が厳しいので、選択肢としては日本の人にとっては良いような気がします。

なんだか、だらだらと書いてしまったのは、外の暑さのせいということにしてしまおう。
これからモニとふたりで気に入ったバーに行くんだけど、バーまでの2ブロックが難関で、昨日も夕方でかけたら行き倒れになりそうだった。

恥ずかしいことに、と言うべきだろうけど、ドレスコードがある、そのバーは、白い人しかいなくて、まるで大陸欧州のどこかの町にいるような顔で、価格をみるとケチンボなぼくなどは黙ってたって帰りたくなるようなコクテルを飲んでいる。

唐突に「どうも自分はアジアとは本当には縁がないんだな」と考えて、ちょっと寂しい気持ちになったことを報告しておきます。

では

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初心者のペナン_2

ジャラン・シントラの豆腐屋さんの店内を眺めながら、ふと、この光景はどこかで観たことがある、とおもう。
思いだしてみると、それは数限りなく持っている幕末以来の日本の写真集のひとつで、昭和30年代の豆腐屋さんを撮ったものであることに気が付きます。

シンガポール人のおっちゃんたちは「自分が子供の頃のシンガポール」を懐かしんでペナンの町に来るという。
日本のおっちゃんたちが、「タイに行くとね、おれが子供のときの貧しかった東京がそのままあるんだよ〜」と嬉々としているのとおなじでしょう。

「貧しかった頃の日本とおなじ」と言われてタイ人が嬉しいわけはないが、そういうことまでは気が付かないのが、まさに「貧しかった社会」で育った世代の人々だということなのかも知れません。

ペナンは見ようによっては町全体がデパ地下のような町で、シンガポールのものよりも遙かに面白いリトルインディアがあって、すぐそばには中華中華中華な通りと路地の一画がある。
イギリス統治時代のコロニアルなジョージタウンが縮退して痕跡器官化したような建築がならぶ一角があるとおもうと、イスラムの屋台が軒を連ねていたりする。

オークランドのように若い多文化社会は、「さあ、これからは多文化でいくぜい!」という意気込みがあって肩に力が入っているが、ペナンの多文化社会は、古びて、落ち着いて、自分から見て異文化であるものが、そこここにあることに慣れていて、見ていて安心できるところがある。
最後にムスリムと中華人たちの激しい衝突があったのは、たしか1960年代の終わりであったはずで、それ以来、お互いの違いを認めて、落ち着いて相手を眺めてみれば、なあんだおなじ人間なんだね、きみがスカーフをかぶっているのが嫌だったんだけど、こうして話してみると、きみとぼくの違いは、ぼくと同族のいけすかないXXとの違いよりずっと少ないみたい、と気が付いて、仲良くするということはお互いの違いを理解することなのだ、同化しようとしたり同化さようとしたりするのは仲良くすることの反対なんだという単純な真理に目覚めてから50年が経つ先輩多文化社会の貫禄のようなものがある。

英語人客用にデザインされたごく一部のアジア料理屋を除いて、オークランドではアジア料理屋で、わしとおなじ白い人を見かけることは少ない。
英語も通じない、そーゆー料理屋は、なんだか3,4軒しか店がない、さびれた町の一角にあって 3割がたも安い値段で、何倍もおいしい中華料理やベトナム料理が出てくるが、そういう店に、いつもとおなじヘラヘラした顔で入ってゆくと、たいてい初めは店の人がぎょっとしたような顔で、「なにか御用ですか?」というような表情をする。
これも毎度おなじみなチョーでったらめな中国語で、テーブル、ひとりなんだけど、と述べると、おお、客なのか、物好きなという顔で案内してくれます。

そういう店は二度目三度目になると、逆に「おおっ、来たね!この頃見なかったじゃないか」という顔になって、いそいそとテーブルを仕度して、心持ち多めの量が載った皿が出てきて、頼んでもいない付け合わせが出て、キョトンとしていると、「食べてみろ。うまいぞ。おごりだ」と威張っている。

あるいは「こんにちは」のつもりで、長い間、ずっと「さよなら」と述べていたシアワセな韓国語で、挨拶してテーブルにつくと、初めはなよなよとした葉っぱだけのキムチだったのが、あんまりいつもしつこくお代わりをするものだから、のっけから「どさっ」と音がしそうなくらいキムチを大量に盛った皿を置いていく。

ペナンではタミル人が中華料理屋にあらわれたり、中国系人がパンジャビ料理屋に現れたりするのは普通のことなので、そういう異文化交流の出来事すらなくて、異なる文化が共存していることが通常の、ふつーの状態で、スカーフをした女の人達が、白い人や、中国系人やマレー人たちに混じって、Koay Teow Th’ng 、豆腐や揚げ豆腐、カマボコや魚丸の具を一個ずつ選んで、最後に麺の種類を選んで食べるスープを、スマホの画面に見入りながら食べているだけです。
時々、お互いのスカーフにくるまった顔を見合わせて、「うん。ここのはなかなかおいしいね」というように頷きあっている。
ロンドンやメルボルンやオークランドで、文字通り、社会を挙げて大騒ぎして、何年も議論に明け暮れて、やっと決まったことが、ここでは、そのずっと以前から当然のこととして行われている。

最後にシンガポールに行ったとき、招いてくれたシンガポールの友人たちが「シンガポールは、いま中国人たちや中国化の波と戦っているところなんです」と述べて、述べている二人自身が李さんや劉さんで、ファーストネームは英語名だが、白い人の杜撰な目には中国人としか見えないので、しばらく何を言っているのか判らなくて、シンガポール人のアイデンティティはとっくのむかしにシンガポール人であることに変わっているのだということに気付くまで数秒を要して、内心、恥ずかしかったが、中国化が激しく進んだシンガポールと較べて、マレーシアは、遙かに文化的多様性に富んでいて、その豊穣な事実が、経済の成長にプラスになるか、もともとマレーシア人が不得手な政治のボロさに足を引っ張られて、四分五裂の要因となるか、まだ予断を許さないところがあるように見えます。

文化の違いは、だいたいどの社会でも、思いもかけないところにくっきりと現れて、まだ滞在の初期にしか過ぎないが、すでに、おお、これはすごい、とおもうのはマレーシア人の「音」の感覚で、こんな音の感覚は観たことも聴いたこともない。

クルマ好きの人はマレーシアの自動車会社「プロトン」の名前を、例えば長い間ロータスの親会社をしていて新世代のエランを作った会社として知っているとおもうが、このプロトンの警告音は、とってもヘンで、いまどきのクルマなのでバックするときに障碍物があるとセンサーが察知して警告音をだすが、その音が「キピピピピッー!」というような、なんというか、金属ねじが断ち切られて絶命する寸前に、断末魔の絶叫をしているような音です。
町中の諸音も、うまく言えないが、音の選択や音程があきらかにヘンで、町全体が突拍子もない音で溢れている。

いっちゃんぶっくらこいたのは、Dunkirkを観に行った映画館で、まず時間5分前に劇場内へ入ると、誰もいなくて、しいいいーんとしている。
広告や予告編はおろか、BGMもなにもなくて、まるで夢のなかの映画館の椅子に腰掛けているようです。

白いおっちゃんと、若いアジア人の男の人のゲイカップルが入ってきて、定刻になったとおもうと、どっかああああーん、とすごい音がして、気の毒にアジア人の若い男の人は文字通り飛び上がっていたが、大音響どころではなくて、マジメに鼓膜が破れるのではないかと心配しなければならないすさまじい音量で映画が始まってしまった。
ついでなので述べると、しかも、映画が始まっても、なぜか館内の照明はついたままで、こちらは「あり?マレーシアの人は照明をつけたまま映画観るのかな?」と思ったが、こちらは、単なるミスで、すぐに消えてもらえた。

大音量のほうはそのままで、モニさんとわしはたまたまイアプラグとコンパクトなノイズキャンセリングフォンを持っていたので、イアマフ代わりにノイズキャンセリングをオンにしたヘッドフォンを付けて映画を観て、事なきを得たが、後にも先にも、といって「後」のほうは二度目は勘弁してほしいという願望にすぎないが、耳栓とノイズキャンセリングフォンをして映画を観るのは初めてのことでした。
結局、20人くらいは観客が入って来て、大音響のなかで容赦なく急降下爆撃で殺されるイギリス兵や、燃料が切れて、浜辺の低空を優雅といいたくなる静かさで滑空してゆくスピットファイアを観ていたが、マレーシアの人達は、殺人的大音響で映画を観るのに慣れているもののよーで、なんだか不思議の観念に打たれてしまった。

ペナンにいる、といっても、たいしたことをやっているわけではなくて、というよりも、なんにもしない毎日を過ごしにやってきたようなものなので、プールサイドで寝転がって、本を読んだり、午寝をしたりで、もう少しマジメに観光をしなければとおもうが、相変わらずのめんどくさがりで、仕事の人の招待でカッチョイイレストランに出向くと、いい町ですねえ、などと述べているが、ほんとは、内実はナシレマクがすげーうまかったんですよ、と思っているにすぎない。
ダメな観光客の典型で、なにしろリトルインディアがあるのを知らないままやってきたくらいダメな観光客なので、ほんとうはこーゆー人がペナンについて書いても仕方がないのかも知れません。

朝の7時半、夜が明けたばかりの通りを散歩していると、小学校の、学期の初日でもあるのか、それともただの毎朝の光景なのか、子供達を学校に送り届けた母親たちが、三々五々、あちこちに小グループをつくって立ち話をしている。
スカーフをかぶったおかあさんと、褐色の肌の背が高いおかあさんと一緒に中国系のおかあさんが、何事か楽しそうに話して笑っています。
2002年だかに「インターネットの時代は終わった!」というベストセラーが出た日本の人らしく、Brexitとトランプの大統領当選で、「これからは移民なしで、一国一民族の時代に戻るのだ」とトーダイなんちゃら研究所だかの「研究者」が述べていて、いつものケーハクとはいえ、ふきだしてしまったが、なんちゃら研究所の部屋で、一生懸命空想力を働かせて賢い結論にたどりついたつもりのおっちゃんの頭のなかにはどんな世界があるのか不分明でも、ペナンの町の朝の光景ひとつを観ても、世界は異なったものが手をつないで歩いてゆくほうに変化して、しかもその変化は、国際結婚や、異文化の親友が出来て行くことによって十分に不可逆化していて、いまはおおきな流れに錯覚されても、トランプやファラージュなどは、人間の文明の進化についていけない愚か者が、一時の反動にのって得意になっているにすぎない。
賭けてもよい。
トランプ政権やBrexitは彼らが言挙げする問題をなにも解決できないまま、返って悪化させて終わるでしょう。
現実をみない思い込みの政策など、どんな時代でも、うまくいった試しはない。

証拠は、どこにあるのかって?
きみはニッポンジンだのい。

証拠は、ほら、あそこで、学校の鉄柵の塀ごしに、身じろぎもしないで、新入生の教室に消えていった息子を見つめている母親がいるでしょう。スカーフでメガネをかけて、ローブを着たその母親は、さっきからもう5分は経っているのに、あそこで、じっと遠くから息子を見守っている。

息子を見守る母親の気持ちは、そのまま社会の未来の平和と繁栄を願う気持ちでしょう。
母親たちが未来へ向かって祈る気持ちは、強くて、研究者の思いつきなど、つけいるすきはないとおもう。

あの母親が息子の将来を祈る気持ちは、そのまま社会の善が実現される人間の強い意志に通じている。

そうして現代社会が急増する人口に耐えながら共に繁栄していくためには、多様性を許容して、お互いに相違を、議論の力で細部まで突き詰めて理解して、自分の正しさを相手に押しつけない態度にしか可能性はない。

あの母親の祈りが神に通じるまで

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初心者のペナン_1

黒いSUVを4,5台連ねた一団が正面玄関に到着すると、なかから、ニカブをかぶった黒装束の女の人の一団が子供達と一緒に降りてくる。
とても礼儀正しい一団で、リフトのドアを開けて待っていると、「わたしたちは、まだ時間がかかりますから、どうか先にいらしてください」と述べる英語が、心地よい発音の見事な英語で、どうやらアラブ世界の上流階級の人々のようでした。
ニカブでバシッと決めた女の人たちと、無茶苦茶行儀がいい子供たちの後から、銀髪のおっさんがおりてきて、オットーさんであるようだったが、ポロシャツにショーツで、まるでわしであるかのようなノーテンキないでたちで、ひとりでマヌケな感じを漂わせているので、我が身を省みて、おもわぬ親近感を抱いてしまった。
天女が舞い降りて人間のふりをして歩いているようなモニに並んで、見るからにデヘヘへな姿のわしは、だいたい、他人の目には、このおっちゃんのように見えているのではあるまいか。

マレーシアは中近東のイスラム人たちから観ると、イスラム世界の最東端のひとつであることに加えて、文化や生活の面での非イスラム世界との緩衝地帯という側面を持っている。
ペナン観光の中心地のひとつにあって観光客でごったがえすGurney Plazaの地下の、東京でいえば紀伊國屋スーパーかナショナルスーパーに当たりそうなスーパーマーケットに行ったら「NON HALAL」というでっかい看板を出したサラミ屋があってモニさんとふたりで大笑いしてしまったが、この頃は世界のどんな町に住んでいても「Halal」という看板は見慣れたものになっていても「NON HALAL」という看板は初めてで、マレーシアだのお、と感心します。
ジョージタウンという町は、一面、シンガポールを中心とした客家移民文化圏とインドネシアやマレーシアを中心とするイスラム文化圏の、摩擦の多い、表面は宥和的でも深層では鋭く対立しつづけるふたつの強力な文化圏が、ブルが頭をぶつけあって、角を交叉させてゴリゴリゆわせている東南アジアの最前線でもあって、シンガポールが独立せざるを得なかったのも、そのためだったことは誰でも知っていることであると思います。

スラマッパギ〜(おはよっす〜)、と脳天気に述べながら朝七時半のディムサム(点心)屋へ入っていくと、もう客は二巡目か三巡目で、なにしろ朝6時から開いている店もたくさんあるくらいで、エネルギー最充塡で、働き者のマレーシア人たちは、どんどんオートバイにまたがってでかけてゆく。

衛生的でなさそうなものは、いっさい口にしないモニさんは、ジャスミンティとセサミボールだが、およそゴジラが食べられそうなものなら、なんでも食べて、いつかはイギリス人とオランダ人の八人のグループでバンコクで食事に出かけて他の7人とも重篤な食中毒で病院に搬送されたのに、ただひとりなんともなくて、「不死身」「生きた解毒剤」と謳われたわしのほうは、なあんとなくたまり水で食器を洗う店の人の手先に視線を送っているモニさんの正面に腰掛けて、ガツガツと、焼売やチャーシュー饅頭、豆腐の魚肉詰め、揚げ豆腐と貪り食べている。

ペナンは地元の人が喜んで認めるとおり、町全体が食道楽のヘンな町で、しかも英語でいうcheap eats、日本語でいうB級グルメに特化していて、考えてみると、記憶のなかの日本の人の生活の好尚にぴったりあいそうな町でもある。

実際、空港でも町中でも、たくさん日本の人が右往したり左往したりしていて、見た目ではもちろん、数字の上でも人口の40%を占めると地元人が述べていた中国系マレー人や、中国人、韓国人と区別がつかないが、例えばすれちがいざまに、あっ、いまの人、日本語で話してたな、と思う事が何度もある。

海辺のGurney Plazaからは離れたところにある島の東北端の旧市街にはGAMAという恐ろしげな名前のスーパーマーケットがあって、ペナン人が、あの日系スーパーは50年以上前からあるのさ、と、うそおおおんなことを述べていたが、そのスーパーに限らず、あっちにもこっちにも日本の食品や製品が並んでいて、Prangin Mallにはベスト電器まであるので笑ってしまった。

笑ってはいけないが、日本のプレゼンスが世界中で後退・縮小しているいまの世界では、数少ない「ニッポン」が目立つ町で、なるほど、だから日本の人がたくさん年金生活をしにやってくるのね、と、正しいか正しくないか、えーかげんで判然としない納得をする。

シドニーやメルボルンで、おおきな企業でマジメに勤め上げれば月に30万円〜40万円だという年金をあてにして退職生活をするべく計画して移住してきた日本の人達は、オーストラリア経済の大繁栄とともに生活費高についていけなくなって、あらかた日本に帰らざるをえなくなった、とニュースになっていた。
ニュージーランドでも事情はおなじで、まだいまのところは生活費が落ち着いたレベルのクライストチャーチには残っているが、オークランドにはとてもではないが住めなくなって、日本に帰らざるをえなくなったひとが多いようでした。

ペナンは、例えば一杯のチャーシュー麺が7リンギ(180円)くらいで食べられるところが、通りの、あそこにも、ここにも転がっていて、しかも味の水準がびっくりするくらい高いので、おなじチャーシュー麺が14NZD(1200円)はして、このチャーシュー、なんだかヘンな臭いがするんじゃない?の、オークランドとは較べるべくもない、自分が月30万円の年金を頼りに暮らす日本人年金生活者であるとすれば、やはり、一も二もなくペナンを選んで住むだろうと思います。
ペナンは、日本の人にとってはパラダイスなのではなかろーか。

英語人にとっても、楽ちんなところがあって、地元の人は英語は覚束なくても、なんというか、マレー語を話せないアンポンタンな英語人に馴れている。
ひとの国にやってきて、あろうことか英語でまくしたてる横柄な態度に対して歴史が培った寛容で接する術を知っているので、タイランドのような国に較べると、英語人にとっては格段に楽です。
アジアだとはいってもコモンウエルスなので、例えばスポーツの趣味は共通していて、普段の生活にバドミントンやスクォッシュ、テニスが溶け込んでいるのはニュージーランドとまったく変わらない。

マレーシアは歴史的にコモンウエルスのなかでもニュージーランドと結び付きが強い国で、例えばColombo Planによって、富裕なマレーシア人の子弟は大量にニュージーランドに留学してきていた。
中国人や日本人が土地開発に大金を投入しだすまでは、ニュージーランドでアジア系の投資家といえば、だいたいにおいてマレーシア人だったのでもあります。

珍しくも用事があってペナンに来ているが、なにしろ大庭亀夫さんの「用事」などは、遊んでいるのと区別が判然としない「用事」なので、大半の時間は好物のNasi KandarやNasi Lemakの探索に費やされている。
あるいは子供のときからTe Tarik評論家なので、広々とした店内の天井で、ゆっくりとシーリングファンがまわっているカフェに座って、一杯1.5リンギ(40円)のテタリックを飲んでいる。

ペナンはマレーシアのなかでも客家的な町だが、人気(ひとけ)のないカフェで、そうやってのんびりテタリックを飲んでいると、中国圏であるよりもマレーで、マレーシアはいいなあ、と思う。

ありがとうは、テリマカシ、で、どういたしましてはサマサマだけど、甘くないアイスコーヒーは、コピ オー コソン アイス、かな?

コソンと言えば、0,1,2,3,…は、コソン、サトゥ、ドゥア、ティガッだよね。
ティガッまでは簡単におぼえたが、4のアンパッをすぐに忘れてしまう。

頭の中で、ぶつくさとつぶやきながら、クソ暑いカフェのテーブルに座って、なんだか幸せである、と考えました。

(画像はte tarik 英語人はテタリックと言うが、ほんとの発音は、カタカナでは「テタレ」に近い音だとおもいまする)

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Do you speak Japanese?

毎日の生活で日本語をまったく使わなくなって7年経つ。
それまでも日本に住んでいても日本人の友達は少なかったせいで、生活自体は英語と少しのフランス語で、日本語を使う機会はとても少なかったが、日本にいるのといないのとでは、やはり何かが根っこから異なるようです。

まず初めの症状は日本語の本を読めなくなってしまった。
最盛時は、おおげさにいうと、英語で本を読むのとたいして変わらない労力で日本語を読めたが、英語圏にもどると、瞬く間に日本語が読めなくなった。
長い文章がぜんぜんダメで、読みだしてしまえば、それでもなんとかなるが、読みだしてエンジンがかかるまでがたいへんで、もっかの感覚では、日本語よりも能力が低いはずのイタリア語のほうが読みやすいくらいまで落ちぶれている。

比較的簡単に読めるのは自分が書いたブログとツイートで、なんだか自分の足を食べる鬱病の蛸みたいで良い気持ちがしないが、事実なのだから仕方がない。

いちばん、ぶっくらこいたのはマストドンで、日本語のひとびとが、楽々と500文字を使い切って、ツイッタとは打って変わった、自分の思考の深い場所からくる考えを述べきるのに、こっちは青息吐息で、書くのはもちろん、読むのも大変で、予想を遙かに越えてダメだった。

説明するのもめんどくさい、インスタンスのなかで日本人独特と言いたくなる村感情がいっぺんに出来て辟易したせいもあるが、這々の体で日本語マストドンをやめにして、もっかは大陸欧州語アカウントに切り替えてしまったのは、どちらかといえば500文字が言語体力的に厳しかったせいであるようです。

理由もわからず不思議なのは古典日本語のほうが現代日本語よりも読むのに楽なことで、現代日本語よりも、例えば俊頼髄脳に親しみを感じる。
その感覚は、70年代以降の日本の映画の大半は殆ど嫌悪感をもってしか観られないものが多いのに、50年代と60年代の日本映画は、バカみたいに繰り返し観ていて、小津安二郎や黒澤明はもとより、液体人間でもマタンゴでも、何度観てもあきなくて、ほとんどBGMのように流していても、いっこうに苦にならない感覚と似ている。

有名な

いづれの御時(おほんとき)にか。女御(にようご)、更衣(かうい)あまたさぶらひ給ひけるなかに、いとやんごとなき際(きは)にはあらぬがすぐれて時めき給ふありけり。

に、すでに象徴されている、独特の、おだやかな海がたゆたうような日本語の思考のリズムが好きなので、日本語をやめてしまう、ということは考えられないが、ますます「自分語」と化して、誰にも読めない言語で、こっそりと自分が考えていることを書き留める、という用途に特化されてゆくのではなかろーか。

正直に述べて、日本の社会は、誰にも救えないところまで堕ちてきている。
いくつかの節目があったが、まず福島の大震災のあとに福島第一発電所の事故について社会の基幹の側が嘘をついて事件を収めようとしたことは、日本語と日本社会におおきなボディブローだった。
権威でくるんだ恣意を、どうやれば真実と置き換えられるかという悪魔の知恵を日本人は学んでしまった。

日本語の優美をつくっている、言語として、あらゆるものを相対化しうる能力が、悪い方に利用されて、真実そのものが相対的なものになって、恣意が真理よりも優位に立つことになってしまった。

考えるまでもなく、言語にとっては、真理性や現実と自分を切り離してしまうことは自殺行為で、当然の帰結として日本語はかつての普遍語からどんどん転落して、外国語として日本語を眺めている人間の目には、傷ましいことに、いまの日本語は言語としての体をなしていない。
意味があることを述べようとしても、周囲の顔色をうかがって、肯定してもらえるかどうかをまず考えてから何事かを述べるしかない言語に落ちぶれてしまっているし、社会に目を転じても、糾弾と罵りあいの技法が巧妙になってゆくだけのことで、言語として自我や自己の信念を構築して、その自分が信じていることどもと相手の信念との違いを検証するという議論の基礎中の基礎まで破壊されてしまって、日本語での議論という言葉は、阿鼻叫喚の同義語であるところまで落ちぶれてしまっている。

現代英語を救ったのは、移民たちの「ブロークンイングリッシュ」だった、という話を前に書いたことがある。
自分達が幸福に暮らせる生活を求めて英語社会に大量に流入した移民たちは、激しい勢いで英語自体を変えていったが、ここで長々しく説明する気はしないが、異文化が英語を使って自分たちを表現しようとする強い衝動は、英語自体を変えてゆくのに十分なエネルギーを持っていた。

語彙においてもpostponeから派生語としてインド人たちが発明したproponeのような単語にはインド文明の時間に対する思想が色濃く反映しているし、My daughter is convent-educated のような表現は、そもそも英語が多文化社会化しなければありえない表現なのは言うまでもない。

無理矢理他言語を呑み込んで「星の王子様」の象さんを呑み込んだヘビの帽子みたいになった英語は、しかし、なんとか消化して、いったん消化してみると、英語自体が伝統英語に較べてより多くのことを言いうる言語になっていった。

日本語は、ちょうど反対の方角へ歩いていってしまった。
日本社会は、ほとんど自覚症状もないうちに、社会がまるごと、ひどいゼノフォビアに陥ってしまったが、それに伴って世界を表現する力そのものが弱まって、いまこの瞬間にパッと思いつかないが、例えば「映画を鑑賞する」という。
いつかツイッタで「映画メッセージを鑑賞しました。素晴らしい映画でした」というツイートを見て、なるほどこれは困ったことになっているのだ、と考えたのを思い出す。
「メッセージ」がArrivalのことであるのは、前後のやりとりを読んでいるうちに判ったが、あの映画を「鑑賞」されてしまった制作者のほうは、どんな顔をするだろう、と想像すると可笑しかった。

日本語は日本語のなかで堂々巡りを始めていて、外との接点を失ってしまっている。新聞のニュースの見出しが社会の関心を反映しているものだと仮定すると、日本語ニュースの、「ほんとうに同じ世界に住んでいるのだろうか?」とおもう見出しの排列は、びっくりするようなもので、日本語人全員が外からはそこに何が立っているのか見えにくい内側の中心を向いて立って目を凝らしていて、外の世界への関心は、内側にある水晶球に映って始めて関心を呼び起こされる体のものであるようです。

そういう社会の性向は、常に細部に端的にあらわれるもので、例えばオリンピックで日本選手がブロンズメダルを手にした、というニュースをみると、ぶっくらこいてしまうことには、1位と2位が誰であったか書いてない。
「日本人が世界の場で3位になった」ということだけが重要で、他の他国人のことなんてどーでもいい、という社会的な常識が背景にあるわけで、ちょっとついていけない気がする。

そのくらいのことでおおげさな、という人がいそうだが、英語世界では、「いったいどうしてこの人は見返りさえ期待できないことに自国民が犠牲になるようなことばかり他国に申し出るのだろう?」と訝られている外交音痴を絵に描いたような安倍晋三首相が、「外交が得意」ということになっているのだとしって、椅子からずりこけるくらい驚かされたりするのは、結局、おなじ文脈にあって、みなが世界に対して背中を向けて立っているからだとしか思われない。

言語は美を失うことによって死ぬ。
日本語の美は、映画でみると60年代に、文学でみると現代詩が死んだ70年代に死んでしまったように見えて、80年代になると、卑しい言語がちょうど外来のウイードが猖獗するように在来の日本語を制圧して、普遍語どころか地方語としても機能しなくなっていった。
そのことには、本質的に日本語の側からの批評・編集作業でしかない翻訳を中心とした日本語の外来文化の取り入れかたが、世界と足並みを揃えて議論しながら自分達を変革してゆくために必要な情報の十分の一も供給できなくなったことや、多分、大学受験をめざす教育に由来している言語の機能そのものへの誤解がおおきく働いている。

言語を喪失することは、そのまま社会の喪失であって、日本の現在の混乱と低迷と、それを解決しようとして身動きするたびに悪い方へ社会が動いて行くという特徴は、区区とした政治的社会的な誤判断よりも、より本質的で文明の深いところに理由が根ざしているように見えます。

ちょうど新しく競争力のある産業を育成する地道な努力を重ねるという最も根本的な努力を放棄して、秀才たちが机の上で描きあげた「株価をあげればすべては解決」とでも言わんばかりの、世にもケーハクな経済政策だったアベノミクスが、国富を喪失して、国民は貧困化するという世にも惨めな失敗に終わったのとおなじで、崩壊した言語を再生させる努力もなく、例えば英語教育に力をいれても、そもそも言語というもの自体への考察を欠いた「国際人として活躍するための道具としての英語」など、いくら上手になったところで、突然人間の言葉を話しだした犬さん以上の喝采が得られるとはおもえない。
まして、文明としてなにかをうみだす社会になるはずはなくて、文明として本質的な新しい価値を世界に付け加えることが出来なかった言語社会が一過性でない繁栄を獲得した例は歴史には存在しない。

いままで20年間を費やしてきた小手先の工夫では日本には破滅しか待っていないのだという現実を、日本語人全体が見つめるべきときに来ているのだとおもいます。

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