首相の産休

聞く耳をもたない、という。

耳なし芳一という甲冑武者の亡霊に耳をもぎとられてしまう、怖いお話も日本にはあるが、この場合は、ほんとうに耳がないわけではなくて、理解を拒絶する特殊な能力を有する脳髄のほうの話をしているようでした。

ジャシンダ・アーダーンは、ほんとうは首相になるはずではなかった。
選挙前は、経済政策に巧みで、いまのニュージーランドの繁栄の枠組みをつくったジョン・キーの後継者、ビル・イングリッシュが次政権でも首相を継ぐ予定で、ニュージーランド人は、当時の与党国民党支持者も、ジャシンダ・アーダーンを擁立して果敢に勝ち目がまったくない選挙(と、当時はみながおもっていた)に臨んだ労働党側も、「ま、次はビル・イングリッシュだろうな」と考えていた。

今年56歳になるジョン・キーが、成功の頂点で突然首相も政治家もやめることを宣言したのは、ニュージーランドのマスメディアにもいろいろな理由が書いてあるにはあるが、周囲の人はみな真相を知っていて、奥さんに怒られたからだった。
「いいとしこいて、首相業なんかにうつつをぬかしていていいのか。家族をもっと大事にして、家族と一緒に過ごす気がないんですか?
もうビジネスマンとしても政治家としても十分成功したのだから、いいじゃないの」と、バーンサイドという名前の、「南半球最大」という訴求力があるんだかないんだかよくわからないキャッチフレーズで有名な大規模校の高校で出会った、英語でいうhigh school sweetheartの奥さんに、「ちょっと、そこに座りなさい」をされた結果、考えて、女房のほうがただしいようだと決心した。

ビル・イングリッシュという人は、アスペルガー人で、コミュニケーションが大の苦手な人です。
アカウンティングに明るくて、そういう観点からの数字の扱いには滅法強いひとだが、なにしろ2017年の総選挙の、ただでさえ楽勝ムードが漂って、危ない選挙になっていたのに、「このままいけば、国民党の楽勝でしょう」と述べてしまうほどの政治性に欠けた人なので、わしなどは、選挙前から、「もしかしたら、これは、あかんな」と考えていた。

アーダーン首相が誕生して、おもしろかったので、もともとは日本の京都人で、いや京都の日本人か、どっちだかよくわからないが、ともかく、京都の「ええとこの嬢ちゃん」で、高校生の頃からかれこれ30年だかニュージーランドにいて、いまは日本人を廃業してニュージーランド人になっている晩秋 @debut_printemps とふたりで、ツイッタで、「ジャシンダあー、邪心だ、ひょええええー、ジャッシンダー」と言ってよろこんでいたら、ニュージーランドに住んでいるらしい、知らない日本名物おっかない人に、「一国の首相をファーストネームで呼ぶなんて、他国の首相に失礼ではないか。ちゃんとアーダーン首相と呼ばないのは女性差別であって許されないとおもう」と叱責されて、ほんとは、ビザ持ちらしい、あんさんが他国人で、晩秋とおいらはニュージーランド人でっせ、と考えたが、めんどくさいので、邪心だー、をやめて、あーだあーん、と日本語では呼ぶことになっている。

ついでにいうと、ニュージーランド人は「われらの首相」という気持があるので、ふつーにジャシンダと言います。

ちょっとだけ、なんでジャシンダ・アーダーン首相が誕生してしまったか説明すると、選挙が終わって、ビル・イングリッシュが勝利宣言をだして、組閣していた頃、ジャシンダ・アーダーンは、極右政党のニュージーランド・ファーストと手を組んで、政権をぶんどってしまう、という奇想天外な政治工作に乗り出していた。

ニュージーランド・ファーストは、「ニュージーランドがいちばん」「ニュージーランドが最優先」の、マヌケな政党名でわかるとおり、排外政党で、James F.のような嫌味な人間には「義和団か、おまえらは」とからかわれたりしている政党です。
主張だけ聞いていると神風連か義和団のようだが、現実の党員は、ヘロヘロになったじーちゃんやばーちゃんが多い政党で、もともとスカな政党だったのが、1990年代に「このままでは日本人の洪水になってしまう」という、なんだかヘンな弾劾演説で急速に党勢が伸びて、一瞬は第一党になる、という離れ業で表舞台に立った。
党首は、いまとおんなじウィンストン・ピータースで、この人は初期には自分の父親がマオリであることをうまく利用して、「トゥルーキーウィ」、純正ニュージーランド人、つまり、アジア系やポリネシア系のパチモンニュージーランド人とは違って、白人かマオリ人だけがニュージーランド人だと述べて、「それって、人種差別なんじゃないの?」と言われると、「わたしの顔を見ろ、半分は有色人ではないか。有色人の人種差別者なんて、そんなバカバカしい言いがかりをよくおもいつくな」と述べて、KKKもびっくり、な白人至上主義的言動を受け狙いで繰り返していた。

ヘレン・クラークが首相になった選挙で、当然、自党が第一党になるとおもっていたウィンストンは、「首相になったら、あーする、こーする」とマスメディア相手にはしゃいでいたが、「あのおっさんに任せると経済がやばいな」と見抜いていた国民の人間打算機的な投票行動によって、第一党どころか第二党にすらなれなかった。

ニュージーランドはドイツと並んでMMP, Mixed-member propotional representation、いま日本語を調べてみたら小選挙区比例代表併用制、漢字が11個も並んでいて、いつも「ひえええー、ガメのブログは漢字がおおすぎて国語辞書をひいてもわかりひん」と不平を述べている着物の着付けがチョー上手な舞台女優、佐野みかげ @mikagehime が読んだら失神しそうな訳語がついている選挙システムで、個々の議員と政党の両方に投票する、ややこしいシステムをとっている。

https://en.wikipedia.org/wiki/Mixed-member_proportional_representation

このややこしい、ナチ末期の決戦兵器、ハイブリッド超重戦車マウスみたいな複雑な選挙システムがどういうもので、どう機能するかは、wikipediaでも読んでもらうことにして、まんなかを端折って、結論だけを述べると、伝統的な選挙制度なら泡沫で終わる政党が議席をとってしまう。

早い話が、地元選挙区でも愛想をつかされて落選したウインストン・ピータース率いるNZ Firstは議席ゼロのはずなのが9議席獲得してしまった。

ニュージーランドの議会定数は120だが、「はっはっは、楽勝じゃん」と述べていたビル・イングリッシュ率いる国民党は、ふたをあけてみると56議席で、過半数に及ばず、前回の32議席からいくつ減らすか、もしかして20議席切っちゃったりするんじゃない?の、低迷していたはずの労働党は党首が一挙に若返ってしかも女の人になるとアフターバーナーが点火された46議席の大健闘で、ニュージーランド名物「戦略的投票」の冴えが見える選挙だった、はずだったのだが、子供のときから労働党の政治スクールで鍛えてきたジャシンダは、びっくりするように素早く動いて、暢気に勝利宣言をする国民党を横目に、あっというまに極右政党と連合を決めてしまった。
ここに至って、ジャシンダの政治工作によって46+9=55議席と、過半数61議席をとれなかったナショナルに近付いた労働党は、14議席から8議席に墜落した、凋落に歯止めをかけたいグリーンパーティから、confidence and supply agreement、一味だとおもわれるのは嫌だが、いいよ、賛成してやるよ、という約束をとりつけて、46+9+8=63>過半数を成して、世界中、ぶっくらこいてしまった政権樹立をなしとげてしまう。

意地が悪い連合王国の新聞などは「NZの民主制の死」と述べて書き立て、他国の政治を常に誤解するくせがあるアメリカの新聞のなかには、「NZ極右政権の成立」などと書いていたのもあった。

ジャシンダ・アーダーンが首相になってのおおかたの感想は、
「これで経済ブームは終わりだべ」で、前方を注意している投資家やビジネスマンは、来年初頭くらいからの不景気を見越している。
理由が理由なので、オーストラリアの今年で公式に世界最長の26年目の好景気はつづいていくはずで、ニュージーランド名物のオーストラリアへの国民の大移動がまたぞろ起きるだろうことは、相当鈍感な人間にも想像がつく。
財政や経済に明るいビル・イングリッシュと異なって、演説を聴いていても、「こら、あかんわ」な経済への観察や発想が多いジャシンダ・アーダーンは、政争に勝つ名人ではあっても経済をとりしきるのは多分無理だろうと皆が考えている。

現に、「政権発足から1年は増税も税制の変更も行わない」と、きっぱりと述べていたのに、もう今月からガソリン税を増やして1リットルあたり11¢が上乗せされている。
ただでさえ世界最高価格の部類に属するニュージーランドはレギュラーで1リットル2ドル20¢というようなオオバカタレなガソリン価格になって、さっそく経済の重荷になっている。

イギリス人やアメリカ人が心配してくれている政局の極右化のほうは、また「アジア人出て行け」が始まって、アジア系の人はたまらないだろうが、白いほうは、「ウインストンをまじめに受け取るやつなんていないさ」で、1990年代のむかしは、これはたいへん危険な態度だったが、いまやジジになって、ジャシンダが産休に入るあいだは、彼の悲願である「ニュージーランド首相」なので、舞い上がって、「閣僚諸君、おれは厳しいから覚悟しておけよ」などと述べて、閣僚たちの失笑を買っていたりするところを見ても、もうクラウン化していて、案の定、本人が首相になる前のポール(ニュージーランドでは年柄年中やっている政党・政治家支持率調査)では、次の選挙では、今度こそは掛け値なし議席ゼロで、パニクっていた。
党内では、「もうウィンストンでは無理だから追い出しちまうべ」という動きもあるようです、というよりも、追い出す動きが公然化している。

良いほうは、1980年生まれの女の人であるジャシンダ・アーダーンが首相になったことで、ニュージーランドの国としての対外イメージは、少なくとも西洋世界においては格段によくなった。
6月は今年から公式にプライドマンスで、LGBTのひとびとと一緒に行進する写真や、オバマ夫妻と意気投合して話し込む様子が、毎週のように伝えられて、世界じゅうに、ニュージーランドという物怖じしない小国の、いわば「気分」をうまく伝えている。

排外主義、超保守主義、カネモチ優先主義ほぼ一色に染まりつつあるいまの世界に真っ向から挑戦するジャシンダの多文化主義、進歩主義、ビンボ人優先主義は、力のあるひとびとには眉をひそめられているが、いまの世界で力をもたない、ビンボ人や、少数派には、力いっぱいの、と表現したいくらい熱烈な拍手で迎えられている。

実際、今年に入ってから3人、首相になったジャシンダの行動と発言を見て、ニュージーランドにやってきたという若い移民に会った。
オーストラリアと連合王国とアメリカ、それぞれ、自分たちが初めに移住した国に失望して、少しは希望が残っていそうなニュージーランドにやってきた人達でした。

今週から、首相は出産準備に入る。
自宅から指示を出すと述べている。
出産後は6週間の完全産休を予定している。

https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_0604.html?utm_int=news_contents_tokushu_004

もちろん、どこの国にも、うっせえおっちゃんはいるもので、ジャシンダが妊娠を公表したとき、ひとり、「これは国民の信託への裏切りである」という論説を書いたおっちゃんがいたが、わし自身も、わし友も、アホらしいと思って笑い話で終わってしまった。

ジョン・キーの国民党政権は成功裡にニュージーランドを運営してきたが、なにしろ9年も続いて、次の4年も国民党政権だとすると13年の長期にわたって国民党の政権が続くことになったわけで、そうすると、どうなるか、国民は長い国民党政権への反動で、「カネモチの味方」ナショナル(国民党)への過剰な反発が起きれば、トランプ政権のような破壊を目的とした極右政権が出来上がりかねない。
あるいは、ジェレミー・コービンのような、ポピュリズムの手法を取り入れた組合社会主義者が選出されて、stagnantな政治・経済の状況が再び生まれてしまえば、そこで選挙政治で出来ることは袋小路に入ってしまう。

オーストラリアとニュージーランドは、両国とも、国民が政治が苦手なので有名な国で、わし連合王国友でも「あんな国でMMPなんかやるから、ああなる」と述べる人はたくさんいるが、ここのところオークランドとメルボルンに本拠を移転して、近所のパブで、地元の友達や顔なじみと黒ビールをちびちびやりながら話したりする習慣をもつわしとしては、やや違う感想がある。

ニュージーランド人は、不思議な国民で、頭の半分では、いつもビンボに郷愁を感じているような、ビンボがいいな、とおもっているところがある。
微かでも、そうおもっていない人は、とっくの昔にオーストラリアやアメリカに移住してしまっている、ということもあります。

ニュージーランドのスタイルは、オカネモチになることじゃないんだ、という、こちらは口にも出される強い気持ちもある。
自然があって、食べ物があって、たくさん時間があれば、もうそれでなにもいらないじゃないか、というキーウィに共通した心情は、何世代も通じて「あの国に行くと楽しいが収入は5分の1になる」と言われながら、実入りの激減を覚悟して、家族とともに楽しく暮らすことをめざして連合王国から遙々やってきた、たくさんの人によってつくられてきた。

政治みたいな正体のないことにうつつをぬかしていないで、もっと家族と一緒に時間をすごすべきだ、と奥さんに説教されて首相をやめたジョン・キーや、首相一年目でいきなり産休に入って、無責任だと非難したイギリスの女の評論家に「あんたの知ったこっちゃない。あなたがたの国イギリスとわたしたちの国では、価値観がまるで異なるし、第一、妊娠しているのはわたしで、あなたが妊娠しているわけではない、ほっとけ」と真っ向から反論して国民に拍手喝采されたジャシンダは、ニュージーランド人にとっては、とてもニュージーランド的な首相で、国の価値観をうまく体現していると受け止められている。

とりわけて、今回の「首相の産休」は、世界で最も早く婦人参政権を実現したことをおおきな誇りにしているニュージーランドの女の人たちにとっては、もうひとつのエポックメイキングな出来事と受け止められている。

聞く耳をもたない、という。

日本にいたとき、曾野綾子さんの、おっかない発言があったりして、

女だてらに
https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/12/24/genderequal/
くらいを皮切りに、

BK
https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/12/02/bk/

A Girl Can Do Anything
https://gamayauber1001.wordpress.com/2015/12/20/a-girl-can-do-anything/
と、ほんの少しでも日本の女のひとたちの側に立てればとおもって、いくつか記事を書いたが、反応は、ぶっくらこいちまっただよ、と言われるべきもので、
ニューヨークで通訳会社を経営しているという人の「男に性差別の問題について言われたくない」に始まって、キン〇マ蹴りとかなんとか、おもしろそうな運動をしている女の人には、「男で性差別に反対て言われても」「この人が人種差別主義者なのは当然だとおもっている」と陰口を利かれて、とどめには、なんだかよく判らない「フェミニスト集団」には、畸形性という単語だけに反応したのでしょう、まるで反対の意味の文の単語だけを取り上げて「女に対して畸形なんて差別語を使うとは、なんということか」というので、ツイッタに集団で駈け込まれて、ツイッタ社の日本支社は、最近は「文脈をみている」と言い訳しているが、当時は、まったく単語しか見ていないオバカ検閲で、朝、起きてみたら
「該当ツイートを削除しないとアカウントを凍結します」
というemailが来ていて、問い合わせたら、件の「フェミニスト団体」が集団で申し入れていたのだった。

それやこれやで、日本のフェミニスト運動は、毛沢東並の自力更生主義で、理屈が難しいので、話をはじめていた英語人との連携のお話も含めて関わり合いになるのはいっさいやめてしまったが、正直にいうと、
わしにとっては性差別は、ちょうど人種差別が有色人側の問題ではまったくなくて、100%オバカ白人側の問題であるのとおなじことで、全面的に男の側の問題で、この日本人の女の人たちの揶揄や非難攻撃の趣旨とは丁度反対で、ほんとうは、女の側で出来ることなんて、なにもないのではなかろうか?といまでも考えている。
わしは、かーちゃんの教育と、ばっりばりのフェミニストである妹の影響なのか、それとももともとは、本当は女に生まれついているのか、フェミニスト原理主義者と呼ばれて、おめーは喧嘩売ってんのかと相手の男たちと大喧嘩したりする女の友達が多くて、年柄年中、ラウンジで「ガメは、足のあいだにへんなものがついてさえいなければ、ほんとにいいやつなんだけど。
ねえ、ガメ、そんなの取っちゃえば?」と言われて、ガハハハハと笑う笑い声に囲まれて憮然としていたりするが、まあ、そういう付き合いも、英語圏というか西洋圏にだけ限定して、わからないことには触らないことにしていまに至っている。

当然、そのなかにはジャシンダ・アーダーンの個人的な友人である人達も何人かいて、話を聴いていても、やっぱり経済への考えはダメだが、政治的な敏捷さは天性であるらしくて、多分、在任中にニュージーランドは男女同権の上でも、おおきく飛躍しそうだと感じます。

ま、しばらくビンボだろうけど、この世界のなかに一国くらい、容赦のない繁栄よりも人間でいられるビンボを目指す国があっても良いのではなかろーか。
赤ちゃん、健康に生まれてくればいいな。

いまから、そのときに備えて、極上のシャンパンをセラーから出して冷蔵庫にいれておかなければ。

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デーセテーシタレトルオメン

若かった義理叔父とかーちゃんシスターが、紆余曲折の、さんざんすったもんだ、曲がりくねった迷路のような道を歩いて、ついにエッチをするのだと一大決心をして、ふたりで半分ずつだしあって、いまはもうなくなった赤坂プリンスホテルの部屋について、窓の外をみると、素晴らしい東京の夜景がひろがっていて、義理叔父は、

Situated on a hill, this room commands a fine view!

と述べた。
次の瞬間おきたことは、義理叔父にとっては一生わすれられないことで、普段は、荒っぽいようなふりをして、とても礼儀正しいかーちゃんシスターは、大笑いして、息をするのも苦しそうなほど笑い転げた。

「なんで、そんなこと言ったの?」と、わし。
「ギャグですか?」と従兄弟、すなわち義理叔父の息子。

憮然とした顔で、切り出した義理叔父によると、義理叔父の時代には、駿台予備校という主に受験に失敗した高校生の敗者復活戦を支援することを目的とした学校があって、その学校の出版部が「基本英文700選」という丸暗記用のフレーズブックをだしていた。

その257番に、

Situated on a hill, his house commands a fine view.

という例文があって、バカバカしいことに、この700の古代英語文を律儀に全部おぼえていた義理叔父は、「英借文」をして、his houseのところだけをthis roomに替えて、ロマンチックな夜を盛り上げようとしてカッコヨク述べたつもりだったのでした。

次の朝、かーちゃんシスターは、いまではもう滅多に見なくなった人間の背丈ほどもあるバックパックを背負って、成田空港へのシャトルバスに乗り込んでいく。
まだこの時点では、義理叔父は、かーちゃんシスターが実は、イギリスでも有名な上流家庭に生まれて育った人で、家系には綺羅星のように高名な軍人や学者や文人が並んでいることを知らないし、かーちゃんシスターが、このヘンテコリンな日本人をどれほど愛していて、当時のひとが聞いたらびっくりしてしまうような決意を心のうちに秘めてヒースローへ飛ぶ飛行機に乗り込んで行ったことも知りません。

いつかオーストラリアのアデレードに住む帽子デザイナーのミナが、ずいぶん気に入ってくれた小泉八雲と奥さんのセツさんの話を書いたことがある。
長いけど、引用する。

『きみは、いま松江にいるそうで、正直に「うらやましいなあ」と思う。
ぼくは京都の日本海側から松江あたりまでの日本海側にあこがれがあって、柳田国男が生まれた町や、志賀直哉の短編で描かれた町、浜坂という小さな美しい浜辺のある村や、そういう場所をうろうろしてみたことがある。
松江にも行きたかったが、そのときは神戸でひとと待ち合わせをしていたので行けなかった。

ラフカディオ・ハーンという、変わり者で片眼、小男のギリシャ系イギリス人は、たいそうラッキーな奴で、その人生の後半に小泉セツという素晴らしい女びととめぐりあう。
小泉セツが英語をおぼえようとして使った手書きの英単語帳がいまでも残っているが、「アエアンナタハングレ」(I am not hungry)というような言葉を見ると、そのまま、画像を見つめて、その場を動きたくなくなるような気持ちになってしまう。
英語を話さない小泉セツと自分で発明したような風変わりな日本語しか話さなかったラフカディオ・ハーンは、しかし、「ヘルンさん言葉」とふたりで呼んで笑ったという、ふたりのあいだだけの日本語で会話を重ねながら、幸福な結婚生活を送る。

「破られた約束」のようなラフカディオ・ハーンの傑作は、今昔物語や雨月物語からの再話ではなくて、どれも小泉セツが「ヘルンさん語」でラフカディオ・ハーンに語ってきかせた松江の物語だった。
西洋人がいまでも持っている「美しい、神秘の日本」というイメージはハーンがこしらえたもので、そのもとは松江の風景のなかで生きて死んだひとびとの物語だった。

ある日、「自分にもっと学があれば、あなたの書き物の助けになったのに」とセツが述べると、ハーンはセツの手をとって自分の著作が並ぶ本棚の前に行き、
「だれのおかげで生まれましたの本ですか?」と「ヘルンさん語」で語りかけた。
一緒についてきたふたりの息子一雄に向かって、「この本、皆あなたの良きママさんのおかげで生まれましたの本です。なんぼう良きママさん。世界でいちばん良きママさんです」と言った。

ハーンが好きなものは、「西、夕焼、夏、海、遊泳、芭蕉、杉、淋しい墓地、虫、怪談、浦島、蓬莱」であったという。

「(明治)三十七年九月十九日の午後三時頃」、セツに「あなたお悪いのですか」と尋ねられたハーンは「私、新しい病気を得ました」と答える。
「新しい病、どんなですか」
「心の病です」
心の病、とは心臓病という意味です。

死の数日前、ハーンはセツに
「昨夜大層珍しい夢を見ました」
「大層遠い、遠い旅をしました。今ここにこうして煙草をふかしています。旅をしたのが本当ですか、夢の世の中」
「西洋でもない、日本でもない、珍しい所でした」という。

ハーンはそうして、五十四歳で死んでしまうが、きっと死の時にも松江の美しい風景を思い浮かべていたに違いない。

ぼくは松江の小さな家で、セツと肩を並べて、セツが「ヘルンさん語」で語りかける「破られた約束」の物語を、「ママさんの話は、とてもこわい」と述べながら、悪い視力のせいで丈の高い机に顔をくっつけるようにして原稿を書いていったハーンを思い浮かべる。
セツとハーンのまわりを出雲に集まった帰り途の八百万の神さまたちがぐるりと囲んで、小さな外国人と、ぴんと背筋をのばして座る武家の娘が、ふたりで紡ぎ出してゆく美しい物語を、人間には聞こえない声で称賛の嘆息をもらしながら、どきどきしながら聞き入っていただろう。』

断片的に残っているセツさんの発言を拾っていくと、アイルランド人であるハーンは気が付かなかったようだが、セツさんは、自分がどれほど幸福な結婚をしたか、知っていたような気配がある。
セツさんという、このすぐれた知性を持った、士族の娘は、求められるままに極端に目が悪い小男のアイルランド人に松江の、まるで土地に根付いた樹木でできた森林であるかのような数々の物語を話してきかせたが、ハーンという夫が、
「手をとって自分の著作が並ぶ本棚の前に行き、
「だれのおかげで生まれましたの本ですか?」と「ヘルンさん語」で語りかけた。
一緒についてきたふたりの息子一雄に向かって、「この本、皆あなたの良きママさんのおかげで生まれましたの本です。なんぼう良きママさん。世界でいちばん良きママさんです」と述べられる男であることを目を瞠るような気持で、幸福のなかで、眺めていたもののようです』

例えばカリフォルニアに行けばたくさんいる、
母語が異なっていて、お互いにほとんど意思の疎通ができないカップルが昔は嫌だった。

意思の疎通も覚束ないのに結婚して、一緒に住んでいるのが不潔な感じがして、嫌悪感を隠すのに苦労した。

その考えが変わったのは、ラフカディオ・ハーンと、取り分けセツさんのおかげであるとおもう。

松江の小泉八雲記念館には、セツさんがつくったノートが残っている。

カタカナで、

シレーペー と書いて、ひらがなで「ねむたい」と書いてある。
sleepyのことで、耳に聞こえたとおりの発音で、セツが一生懸命書き綴った単語帳は、ぼくに、自分の理解がいかにケーハクだったか教えてくれるのに十分だった。

いまならば言語に熟達するのは、相互理解の半分でしかないと、簡単にわかっている。
わかっている、というよりも「あたりまえではないか」と思う。

逆にある種の「英語が達者な」外国人、例えば日本人への自分の違和感が、うまく説明できるようになった。
きびしい言い方をすると、ある種類の英語が上手な日本人は、英語人を演じているだけで、ひとの英語を聞いているにも、自分がどこかで出会ってカッコイイとおもった英語人であり、話す話し方も内容ですら、その「憧れの英語人」のコピーにしかすぎない。

セツさんは違った。

セツさんは英語人になりたかったわけではなくて、ただ夫のハーンが言うことを理解したかった。
理解して、できれば、自分の意思も伝えて、自分がどれほどハーンを愛しているか、伝えたかっただけに見えます。

人間の言語は、自分が生活する空間にある事物を認識するためにはよく出来ているが、お互い同士の意思を通じあうには、まったく向いていない。
ある人に向かって発した言葉が、ダイレクトに受け止められて、理解される、ということは、観察していればわかるが、起きていない。

なにかを言われると、自分の頭のなかのセツノートのようなフレーズブックを参照して、「ああ、これだ。この人が言っているのはこういうことだ」と同じ意味のことを発見して、聴き取っているだけです。

人間がお互いに深く理解しあえるのは、多分、何年もおなじベッドで眠り、お互いを受け入れあって、他人であるパートナーを理解するという大事業に乗り出すことを固く決意した女や男だけであるとおもう。

言語というオンボロな道具を使って、なんとか判りあおうとする。
いま「道具」と書いたが、前々からなんども述べているように、言語は道具化すれば死んでしまうことになっていて、ところが伝達に用いる言語は、紛うかたなく「道具」で、自分の意識の構築という人間が人間である所以であるものをつくるときに言語が果たす役割とは根底から違ってしまっていて、多分、それが人間は言語による伝達が苦手な理由なのかもしれません。

上の引用で、現実にセツさんが述べたのは「自分がせめて女学校をでていれば、あなたの助けになったのに」ということだった。
ハーンはもともと上流社会の蛮性を知っているひとだったので、なんとも思っていないどころか、くだらない付き合いがなくなっていいと思っていたようだが、セツさんのほうは、有色人と結婚したハーンを敬遠して、日本の外国人上流社会がRSVPと記された招待状をハーンには寄越さなかったことを、自分のせいと気に病んでいたようでした。

いつも自分のせいでハーンが辛い思いをしているのではないかというのがセツさんの気持で、セツさんの書いたものには、端々に、ハーンは自分と結婚したことによって、普通の人生が送れなかったのではないかという気持が滲んでいる。

「わたしにもう少し学があれば」と述べたセツさんにハーンが述べた言葉は、「ヘルンさん語」のカタカナになって残っています。

ユオ、アーラ、デー、セテーシタ、レトル、オメン、エン、デー、ホーラ、ワラーダ。

普通の英語に書き写せば、
You are the sweetest little woman in the whole world.
なんだけど、

ユオ、アーラ、デー、セテーシタ、レトル、オメン、エン、デー、ホーラ、ワラーダ。

なんという美しい英語だろう。

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日本語人への手紙

小説が登場すると魔女狩りが消滅する。
あるいは現代社会では、ほぼ完全に消滅した、魔女狩りを支えていた隣人への疑心暗鬼のある種の「空気」がなくなって、石に近所人のおかみさんをくくりつけて、
「浮いてくれば魔女」「沈んでしまえば非魔女」というようなことをやらなくなった。

訪問したことのない他人の生活の様子がわかったからです。
なるほど、他人というのは、こんなふうに暮らしているのか。
こういうところは、自分とおなじではないか。
ああ、こういうときに、こういう人は、こんなことを考えるのだな。

登場以来、人間が数百年にわたって熱狂する「小説」という形式は、もともと仮想的な情報の共有への情熱のせいで売れ続けた。

小説が明瞭に虚構だと納得されるようになったのは、比較的には最近のことです。
エドガー・アラン・ポーのいくつかの小説は、実体験として新聞に書かれたもので、読者はみなノンフィクションとして読んだ。
気球に乗って月へでかけたり、オランウータンが起こした殺人も、現実の出来事の報告として読んだ人が多かったでしょう。

面白いのは、それ以前から現実の報告はなされていても、ひとびとがより強く「現実である」と実感したのは、作り話である小説のほうで、この記事では詳しくは述べないが、やがて小説という虚構は逆に現実を生みだしてゆくようになります。

ここまで書くと、気が付く人が当然いるとおもうが、この小説と現実の関係は、いまの時代(←これを書いているのは21世紀が2割近く進んだところです)のインターネットと現実社会の関係と相似で、情報の共有がおおきく現実社会の様相を変えるネットと現実の関係の雛形は、小説と社会の関係に見ることができそうです。

情報が同時的に共有されることによって、世界はおおきく変化した。
少し、バカバカしい例を持ち出すと、インターネット以前には、ニュージーランド人は2年前のコンピュータを最新型と信じて、しかも他の国民の倍近い価格を支払って購入していた。
ビジネス側の仕掛けは、例えば、ハービーノーマンというシンガポール、オーストラリア、ニュージーランドに支店網を持つ家電&PC店であると、まずHPの最新モデルをシンガポールで売りにだす。
この在庫が、その年に捌けないと、オーストラリアに移動させて一年遅れで新モデルとして売る。
そこでも売れないとニュージーランドに持ってくる。
値段も酷いもので、いつか、クライストチャーチにいたときにPCが壊れて、シンガポールに行くヒマがなかったので、やむをえずにブリスベンのゲートウエイショップに行くことにした。

ごく標準的なスペックのノートブックコンピュータが6000ドル(50万円)で、カリフォルニアのFry’sで同スペックのコンピュータを買う2倍近かったのをおぼえている。

インターネットが生活のなかに入ってきたのは、ニュージーランドでは1997年頃で、まだ、ピイイイーガアアアアーだったが、ナイーブなニュージーランド人たちも、やっこらせどっこいしょな感じで表示されるアメリカのPC店の価格をみて、自分達が長いあいだ騙されていた、というか、ぜんぜん判っていなかったことを悟った。
こういうことは、おもしろいもので、例えばぼくが、「コンピュータ、カリフォルニアに行くと、ずっと安いんだよ。往復の航空機券代をだしてもパロアルトに行って買ったほうが安いよ」と述べても、へええええー、そうなのかああーという反応が返ってくるだけで、実感というイグニションがかからないので、ただ知識として頭にとどまるだけであったのが、自分がネットスケープの画面でデルの価格一覧をみると、俄然、不愉快になって、「二度とニュージーランドのPC店でコンピュータを買うものか」とおもうもののようでした。

このあと、急速に英語世界という巨大コミュニティが出来上がって、ニュージーランドも、そのコミュニティのメンバーになって、情報と知識が共有され、スコットランドの知恵や、イングランドの知恵、アメリカの知恵やカナダの知恵….と、どんどん共有されていって、新しい常識の分厚い層が生まれて、その「常識」の土壌のうえに、男女性差別の解消や、セミコロン、鬱病との戦いや、主にムスリム人が対象の宗教差別との戦い、同性愛への偏見との戦い、さまざまな矛盾が可視化されて、共有され、少なくとも英語世界では、オーストラリア人であってもアメリカ人であっても、アイデンティティは、英語人であることのほうがおおきくなって今に至っている。

物理的距離をインターネットが埋めて、どういうことになっているかというと、いまの世界では、公平に見て、英語圏諸国とインド、シンガポール、ドイツ、オランダ、北欧諸国がひとつの巨大な「常識」を形成しつつあって、その価値観と真っ向から対立する形で中国語圏がある。
その周辺にフランス、ロシア、アジア諸国、この文章は日本語で書いているので、切り放してかけば日本、という国が存在している。

インドはもともと英語国とは言えないが、どんどん英語化して、かつての上流家庭に限らず、中流家庭に至るまで、家庭内の会話ですら英語で行われる例が増えて、逆に、インド人の「間違った英語」が英語全体に影響を与えるほど、おおきな影響力を持つようになって、これはこれで、別稿をたてたい、おもしろい勢力をなしている。
よく引き合いにだすpreponeくらいから始まって、インド英語は、例えばイギリス人の英語のなかにも入ってきている。

英語の標準化も顕著で、たとえばニュージーランドの歌手Lordeとカナダの詩人の対談を見ていると、若いふたりとも盛んに「tortally」を連発しているが、もともとのイギリス人の耳には、これはアメリカ英語で、ところが、いつか奇特にも日本に日本語を勉強しに来ている若いケンブリッジ卒の女の人が友人らしい人にツイートしているのを見ていたら、やはり「tortally」で、なんとなく、微笑ましい感じがした。

思考が平準化されるのは、もちろん良いことではない。
オーストラリアやニュージーランドには「Westfield」という巨大ショッピングモール運営会社があって、最近は、マンハッタンにモールを出したり、ロンドンでは、やや高級風な変わり種ショッピングセンターを出したりしている。
こういう大資本には、怪物的な、世界を退屈な場所に変えるパワーがあって、ほら、日本でもイオンがあって、ワタミがあって、という風景があるでしょう?
あれとおなじことで、英語圏の国に行くと、どこにでもThe Body ShopがあってNikeがあるというバカバカしいことになっている。

それと似ていて、アメリカ人の思考があり、イギリス人の思考があったものが、急速に「英語人の思考」に統一されつつある。

一方では、日本社会は、一種の狂気におちいりつつある。
テレビもなく、ラジオもなく、インターネットもない部屋に365日暮らす人を想像してみれば、最も近いが、奇妙なことを信じはじめて、どこにもまったく存在しない世界を現実の世界として妄想しはじめている。

その世界では、アジアのなかではただ一国、日本が舞台のうえでスポットライトを浴びていて、世界じゅうが一挙手一投足に注目して、拍手喝采し、あるいはブーイングを浴びせている。

https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/12/18/mirrorx2/

東京の書店の店先に「世界が憧れる日本」というような本が平積みされているのを見ると傷ましいが、信じがたいことに、それがフォトショップされた画像でもなんでもなくて、現実の光景なんです。

世界に参加できなくなった日本には、なぜそうなったかについて、たくさんの理由がある。
桁ちがいに増えた情報量をこなせなくなった翻訳文化、英語世界と、どんどんどんどん常識が異なってきてしまったことによる、いわば「常識の陳腐化」とでもいうべき現象、そこに「見たくない現実は見ない」日本文明の伝統的な欠陥が加わって、いまの生態隔離に似た日本社会をつくっている。

でもね。
世界の側から勝手なことを述べると、日本のように「英語圏の常識から遠くはずれた国」がないと、いずれ世界自身がたいへん困ることになる。
ちょっと考えてみればわかる。
ビートルートが挟まったハンバーガー(←ニュージーランドの伝統的なハンバーガーです)が食べたいのに、マクドナルドとバーガーキングしかない町では、たいへん困ってしまう。

日本の役割は、英語圏が主導する世界に、異なる思考の角度や、観点、まるで懸け離れた美意識を提供することであるとおもう。
しかし、それが、いまのように素っ頓狂な絵空事では困るので、例えば、フランス語圏くらいの英語圏との交渉、考え方のバランスが持てるといいのではないかとおもいます。

まるで座敷牢のなかで、髪の毛をかきむしって、ぶつぶつ言っているような、いまの日本社会をみると、傷ましい、という言葉のほかに声がでない。

ここに来て、一緒に世界を訪問して、一緒に世界のことを考えませんか?
日本は明らかに他言語人の助けを必要としているが、少しタイムスパンを広げると、世界のほうもまた、日本語人の助けを必要としているのだとおもっています。

きみは檻のなかで、苦しんでいるのだけど、その檻の鍵は、実はあいている。
そこから出て、ここに、みなが立っているところにくればいいのに。

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税としての時間

シリコンバレーは過労死が多い地域で有名で、ノンフィクションの本や、ドキュメンタリもいくつかある。
相も変わらず、ふらふらしていて、なんか面白いことがあるかなあーと考えて、ロスガトスという小さな町にアパートと事務所をつくってみたことがあったが、マジメで精力的な土地柄があわないというか、いかにも起業ばりばりのお友達が増えてしまって、こんなに忙しい空気はかなわんというので、行かなくなってしまった。

過労死って、英語でなんていうんですか?
と日本にいたとき聞かれたことがあるが過労死が英語でもkaroshiで、この日本語の単語があわらしている概念が、最もうまく悲惨な死の内容をあらわしているので、そのまま使うことになっている。
同じ英語になった日本語でもhoncho(班長)とは単語の成立の事情が異なっていて、おおげさにいえば、戦後の60年代くらいから急速にすすんだ日本文化への理解が反映されている。

過労死自体は、シリコンバレーのほうが、ひた隠しに隠してはいても公然の秘密といってよい日本の名うての過労死地帯、霞ヶ関官庁街よりも数が多いとおもうが、死に至る病のできかたは、おおきく異なっていて、シリコンバレーで過労死するのは、たいてい社長、それも起業家と分類されるのが適切な若い社長で、だいたいあと少しでIPOにこぎつける、というような時期に、幼い子供と奥さんを残して疲労の極で自殺する。

このこと自体、ここ数年では日本でもよく知られるようになってきているはずで、
相変わらず、「過労死はたしかに悲惨だが日本だけにある問題じゃない!」と述べる、「日本だけじゃないおじさん」たちに事実として愛用されているように見えるけれども、おおきな違いの、過労死はアメリカでは経営者が死ぬもので、日本では被雇用者が死ぬという違いから、うまく考えていけば突き当たりそうなアメリカと日本の社会文化の違いという、もうちょっと面白そうな方角へは、あんまり論をすすめる人がいないように見えなくもない。

自殺するくらいなら仕事をやめればよかったではないか、とマヌケな感想を洩らす人がいるが、過労死は仕事に生活を乗っ取られた人間が陥る一個の心理的セットで、仔細にみていけば直ぐに判るが、途中下車をする選択がない心理セットで、しかもこのセットは、個人を成功に導くセットと極めて近しい相貌をもっているところが問題なのです。

2011年頃の自分のブログを読むと、まだ日本で見聞きしたことをふり返ることが多かったのでしょう、日本社会における「時間」の扱われ方が強い印象に残っていたようで、10をくだらない数の日本社会における時間についての記事がある。

時間を取り戻す_経済篇
https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/01/03/time/

日本の社会の最大の特徴は、個人から時間を搾取する仕組みが極度に発達しているところで、小学生のときから、中学入試への準備という形で、それはもう始まっている。
いま62歳になるHさんたちに話を聴いていて、週4回の近所への塾通いの上に、週末も日進や四谷大塚という大手塾に通っていたという。
自由自在や応用自在という面白い名前の分厚い参考書があって、それを教材の中心に、塾に通った。
当時は教育大学付属駒塲中学と呼んでいた筑波大学付属駒場中学に合格して、やっと息がつけるようになった。

そのあとは、案外のんびり勉強していても東京大学のどこかには、というのは理科3類、文科3類あるうちの、相当にバカでも文科三類には入学できた、といいます。
相当にバカ、は失礼きわまるが、この場合は本人が文科三類に入学した人で、このひとの他の友達に訊くと、「ああ、あの人は、どの類でも合格できたでしょうけど、変わり者で、文学がやりたいといって初めから三類を選んで進んだのですよ」ということだったので、許してあげなければいけないようでした。

余計なことをいうと、おっちゃんたちは酔っ払って、軽井沢の森のなかで怪気炎をあげることがあって、ぼくが一緒にいたBBQでは、「ガメちゃんね、トーダイトーダイって、堀江なんちゃらさんが得意がっているけど、理2文三はトーダイでなし、っていうのよ、などとチョーお下品なことを述べて、けけけけ、と笑いあっていたりしたので、トーダイのなかではトーダイ内部で、いろいろと差別があるもののようで、なんだか面白い気持になったりした。

閑話休題

義理叔父の、とーちゃんのとーちゃんの時代は、日本の社会はずいぶん違った様相だったようで、海軍将校だった母親側の祖父の忙しい暮らしに較べて、霞ヶ関の若い課長さんだった父親側などは、午後4時にはもう仕事をたたんでいたらしい。
それが不文律になっていて、20代で課長になって、俄然やる気がでて、どおりゃひとつ、今夜は未決箱を空にしてやるか、と腕まくりをする気持になっていたら、
だんだん課内がそわそわした空気になってきて、5時ちょっと過ぎた頃になると、
古手の課員が、申し訳なさそうに、あの、すみませんが、課長さんが定時前に帰らないと、わたしら課員が「あいつらが仕事をしないから、あの課は課長が頑張らないとならない」と陰口を利かれますんで、と言われて、ああそうか、そういうことがあるのか、と学習して、それからはどうしても「やっつけたい」仕事があっても、袱紗に包んで、家に持って帰るようにしていた。

この人の弟は、民間で、三菱の丸ノ内村に勤めていたが、やはり4時過ぎには終わりで、丸ビルでうなぎの蒲焼きとビールで、友達と他愛のない雑談をしてから、当時は地上から出ていた9番線の横須賀線で、鎌倉駅に着くまで、ビールの小瓶をちびちびやりながら帰るのが楽しみだった。

そうやって、インタビューを重ねてゆくと、どうやら、考えてみると当たり前である気がしなくもないが、ソニーやトヨタが急成長を始めた60年代くらいから長時間労働が当たり前になっていったようで、決定的に世の中がお下品になっていくのは、いろいろに符節があった時期で、東京都の教育委員会がとちくるって(としか読んでいておもえなかった)学区群制度を導入して、それまでは高校文化とでもいうべきものを繁栄させていた日比谷高校が実質的に解体されて、高校の評価が東大への入学者数で決まるようになって、高校の、例えば数学や英語の教育が定石教育とでもいうべきものに姿を変えていって、例えば英語教育においては、当時の「TIME」マガジンレベルの文章を読解することに焦点をしぼった語彙を集中的に暗記する、という、なんだか要領だけの、げんなりするような方法が全国を席捲するかとおもうと、数学は数学で、詰め将棋の学習にそっくりな、「この局面では、こうするのが最も有効」というような解法パターンに集中した教育になってゆく。

前に自分で東京大学の入試問題を解答してみたことがあった

https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/03/09/todai/

が、バルセロナの、大聖堂が遠くに見える丘の上のアパートで、早朝、大好きな炭酸水ヴィッチイカタランを飲みながら数学と英語の問題を解いて考えたことは、
記事には露骨には書かなかったが、「東大入試は暗記ではない。思考力を見るのだ」というが、こんな定石思考を徹底するような知的訓練は人間の脳をダメにするんちゃうかしら、と疑問におもった。
英語のほうは英語のほうで、長文読解と予備校が注釈をつけたやけに短い文章と、日本語試験のような英文和訳の問題で、ゲームが大好きなぼくとしては面白かったが、知的能力をたったあれだけで見られるのか、と考えることになった。
あるいは、ペーパー試験で、その場限りの時間内で大学レベルの思考力があるかどうか見る、という思想は、あのくらいが限界なのかもしれない、と考えたりした。
SATは日本と対照的な考えで、簡単な問題で、バカでないかどうかを検討して、大学に入ってからだんだん思考するということを教える仕掛けになっているようにみえるが、人間の発育過程に照らしても、現代では一見アホらしいアメリカ式の選別方法のほうが合理的なのかも知れません。

入試について長々と述べたのは、18歳以前の人間にとって、個人の時間を奪われる最大の元凶が学歴社会であるようにおもわれたからで、頂点ともくされるいくつかの大学に入れなかった大量の「敗者」を生みだしてしまうという問題とは別に、勉強という言葉で呼ばれている入試準備の技量を身に付けることが良いとされていることが、陰に陽に子供から時間を奪っていく。
ここで起きるのは日本という軍隊に限りなく似た社会での将校と兵卒の選別で、ここから先、将校に選ばれればまずまず時間も与えられて、やりたいようにやっていけるが、99%の兵卒組は、男女に関わらず、まるで地獄の泥沼を這い回るような低賃金と長時間労働の無間の闇を死ぬまで彷徨することになる。

日本人は生産性が低い、という。
もともとは日系企業に勤めたことがある人が、言い出したことであるとおもえて、ぼく自身がはじめて聞いたのは、連動王国から日本の財閥企業に就職した女の人からだった。
まず余計な仕事が多い。
自分の専門分野に集中させてもらえない。
少し深刻な話が続いたあとで、
「それに日本人て、仕事をするふりがとても上手なのよ。上司の目がないところでは、お茶を飲んで、こっそり自分の楽しみに耽っていたりするの、
懸命に仕事をして忙しいふりをする技術に関しては、日本人は芸術的な腕前をもっているとおもう」と朗らかに笑ったりしていた。

数字でみると、どんな感じだろう、と考えて眺めてみると、ニュージーランドと並んで先進国ちゅう最下位ということになっている日本の「生産性の低さ」は、しかし、性質がずいぶん違います。
ニュージーランド人の生産性の低さは、見れば一目瞭然というか、だって仕事しないもん、な生産性の低さで、年柄年中仕事をすっぽかして遊ぶに行ってしまうし、社長からして会議ちゅうにすっくと立ち上がって
「では諸君、ぼくは息子を学校に迎えにいかなければならないので、ここで失礼する」と述べて、二度目の結婚で生まれた小学生の息子を拾いに小学校へと去ってしまう。
つまり、考えてみると、この人は午後3時までしか仕事をしないわけで、社会全体が「オカネモウケしたいんならオーストラリアに行きな」のお国柄なので、万事ちょおのんびりで、英語世界ではナマケモノとして名前を轟かすオーストラリア人が衝撃をうけるほど仕事をしない。

日本人のほうは、労働人口ひとりひとりをみると、意外と、と述べては失礼だが、生産性が高くて、アメリカの平均くらいはあります。
ただその生産性のあげかたが、ちょっと息をのむような方法で、どんどんどんどん労働時間を延ばしていく。
印象でいうと1ヶ月の残業100時間なんてのはザラであるように見えます。
とても低い生産性の数字は、どうやら就業していない老齢人口が極端におおきいからで、ニュージーランド人に較べて「生産性」が1.8倍でも、隣の年金でラジコン機をとばしたり、いいとしこいて風俗でAIDSに罹っている(←日本は農村地区において特に老人の性病罹患率が高い)生産性ゼロのじーちゃんと足して2で割ると生産性0.9倍という理屈であるらしい。

前から何度も書いているので、もうここではあまり書かないが、日本人が個人の生活を楽しむ時間なしで、夜遅くに帰宅してテレビを観ながら夕食を食べるくらいの「個人生活」で満足して暮らしていけるのは、子供のときから、もともと自分の時間など与えられないことに慣れているからで、例えばニュージーランド人なら、ビンボな家に育っても、クリケットかラグビー、あるいはその両方に熱中して、テニスに興じて、天気がいよいよよくなるとヨットで海にでて、近所のクラブで乗馬して遊ぶ、夏休みに家族で稜線をたどってトランピングという子供時代をすごすのがあたりまえだが、日本にいて驚いたのは、スポーツも、テニスならテニスというひとつしかやらないことで、一方で本を読むというナマケモノの楽しみが「勉強」だということになっていたり、だんだん慣れて考えてみると、要するに社会の側が個人の時間をコントロールしてもいいことになっている社会なのだと判るようになっていった。

朝7時半の電車に乗った瞬間から、夜8時半の電車で自宅近くの駅に帰ってきて、歩いて家に戻る、13時間という時間は社会のために供出することになっているのが日本人と日本社会のあいだに交わされる契約で、個人の時間を取り上げられるということは、つまり生きさせてもらえないということだが、日本では、それが当たり前の慣習になっている。

その結果が、現在の社会の停滞であり、人間として生きられなかったことによって当然の帰結として非人間的なバケモノと化した年長世代がつくった非人間的な文化で、女とみれば性的対象として扱い、性犯罪は犯罪と意識すらされずに満員電車のなかで、あるいは女の人たちのアパートのなかで蔓延して、誰それを「いじる」という人間を非人間化する言語表現まで存在する社会になっている。

その原因となっているシステム的な時間の収奪について、この次に、もうちょっと考えてみたいとおもいます。

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陽だまりに休む権利

冬の寒い朝に、小さな陽だまりをみつけて、そこで暫くじっとしている権利は誰にでもある。
生まれてから、ここまで、自分では懸命に考えて、努力して、精一杯やってきたのに、やり方が下手で、あるいは時宜をえないで、うまくいかずに、疲労困憊してたどりついた場所で、その場所が成功の高みにある場所でも、低迷の窪でも、人間は疲れてしまうときには、疲れてしまうので、やっとの思いで、ベンチに腰掛けて、ああ、ここは暖かいなあ。
ここに、ずっといられたら、どんなにいいだろう、とおもう。

そのベンチに腰掛けることが、そのひとにとって、恥ずかしい事で、不名誉におもえるときも、文明が存在する社会では、道行く人の誰もが、そっと、見て見ぬふりをして通り過ぎていく。
その人が孤独に苦しんで、疲れて、その陽だまりでやっと息をついていることを看てとるからで、その人に「そこは、あなたがいつまでもいていいところではありませんよ」「いまはいてもいいが、すぐ立ち去らなければだめですよ」と述べるのは、人間がやることではなくて、いわくいいがたい、正しさの化け物と呼べばいいか、そういう気味の悪い生き物だけが口にすることだろう。

日本にいたときに、さまざまなニュースを観ていて、最もがっかりしたのは、生活保護を受けているひとたちに対する、ほとんど社会を挙げての、というと「ぼくもぼくの周りの人も攻撃したりはしなかった!」と述べる、日本特有の厚顔ないいわけをしにくるひとがいそうだが、ことの性質を考えれば、怒りを露わにして、通りに出ていかなければ、明日の生活にも困窮する人がいたのだから、ありとあらゆる機会をつかんで、「生活保護受給を自分のオカネを盗むような嘘をつくな」というべきで、いわなければ、この場合は、あの人間としての恥というものを知らない、心をもたない人間たちとおなじ生き物だと言うしかない、攻撃で、
あれほど、日本社会と無関係な人間が見ていてさえ、自分のことのように恥ずかしい気持になることはなかった。

お温習いをすると、生活保護は、もともと、そこまでの一生の試みに失敗した個人に対する慈悲の気持を社会がもって、つくりだした制度ですらない。
理屈は簡単で、たとえていえば、インフルエンザの予防注射とおなじことです。

医学を学ぶ人は、多分、公衆衛生学で、ごく初歩的な考えかたとして学ぶが、予防注射は、個々の人間を救うために実施するわけではない。
いま、平面に、疎に密に、広がっている点を考えて、この点から点にインフルエンザが感染していくことを考えると、感染しない点を増やしていけば、点から点にインフルエンザが伝播する機会が減って、確率的に、感染は減少していく。
点をどんどん増やせば、インフルエンザ自体が、スペイン風邪のような、えらいことになるまえに、終熄するはずで、予防注射というのは、つまり、もともと社会を防衛するための衛生思想に基づいている。

生活保護もおなじで、まるで流砂に足を踏み入れてしまった人のように、もがいても、もがいても、貧困と過剰労働の負のスパイラルから出られなくなった人に、休息と、いくばくかの金銭を与えて、社会の成員として復帰することによって、社会自体を繁栄させようとする制度として機能する。

生活保護を自分のふところに行政が手を突っ込んでオカネをもっていくように感覚する人が、例外なく愚かな人間なのは、つまり、観点を変えて、ものを見るときの足場を変える能力すらもたないからで、頭が悪いということ自体は悪いことではなくて、特に幸福になるためには必要な能力だが、それを悪用して、いまの瞬間に苦難に陥っている人間に向けるのは、愚かというよりも野蛮で、そもそも文明になどは縁がない人であるというほかはない。

人間は、さまざまな理由で、ごく簡単に苦境に陥る。

いつか、英語の世界ではチョー有名な例として、女優のシャーリーズ・セロンの場合について記事を書いたことがある

https://gamayauber1001.wordpress.com/2015/01/20/survival-kit-e/

エンターテイメントの世界には、実際、自分で「堕ちるところまで堕ちた」と自嘲するひともたくさんいて、表だって語られない、たくさんの、麻薬の売人、売春、
食べるカネに困っての盗みの逸話に満ちているが、人間として堕ちることを拒否して、いっそうの経済上の困難に陥っていった、上のシャーリーズ・セロンや、十代で何年もクルマのなかで寝起きしなければならなかった歌手のJewel、浮浪者用のシェルターで暮らせねばならなかったHelle Berry、過去を悪びれずに話している現在の当人からは想像もつかないような「どん底」を経験している人は、いくらもいる。

なんだ芸能人ばかりじゃないか、というひとのためにいえば、日本人がめざすべき成功物語の典型のように語られるSteve Jobsにしたところで、Reed Collegeをドロップアウトして新しい生活を始めた当初は、公園をめぐって、ゴミ箱を漁って、コーラのボトルを集めては売って、かろうじて、その日の食事にありついて暮らしていかねばならなかった。
帰る部屋など持たないホームレスだったことは言うまでもありません。

貧困には、ちょっと死に似たところがある。
たいていの人間は、自分には起こりえないか、あるいは、起きたとしても長いプロセスを経て、何年ものあとに起きるものだと妄信している。

死ぬときは癌で死にたい、という人は、医学が発達した現代ではたくさんいるが、彼らに理由を尋ねてみると、癌は急死せずに、余命が12カ月なら12カ月で、猶予が与えられて、いわば、ゆっくりと死んでいけるからで、身辺を整理して、英語ではbucket listと言う、生きているあいだにどうしてもやりたかったことのなかから、やれることをやって、愛するひとびとに別れを告げて、死んでゆけるからで、違ういいかたをすれば、「丘のむこうにある死」を人間にもたらしてくれるのは癌くらいのものだとも言えるという、現実が背景にはある。

アパートの、ヨーロッパ式にいきなり通りに踏み出すように出来ている玄関を出た途端にクルマに跳ねられるひと、いつものようにlaunchに乗って釣りにでて帰らなかった人、工事現場で手際の悪い縛り方をされていた鉄材がクレーンから崩れておちて、下を歩いていて死んだ人、人間はさまざまな理由で、あっけなく、あっというまに死んでしまう。

貧困も、現実を観察すれば、意外なくらいに、たいていの場合唐突に訪れる死とおなじで、似ていて、例えば、オバマケアがまた廃止に向かいそうで、国民保険制度がどうしてもうまくつくれないでいるアメリカならば、重病に陥った瞬間に死よりも先に貧困が待っている。
実際、アメリカ合衆国では、自己破産の原因の一位が医療費であるのは、なんども報道されるので、知っている人も多いとおもいます。

日本は言うまでもない。
女の人にとっては最も離婚がしにくい社会で、世界的に有名で、いわば「離婚の自由」がひどく制限された日本社会でも、それでも人間なので、我慢には限界があって、まるで追いつめられて高い断崖から自分の跳躍を吸収してくれる深度があるかないかも判らない海に飛び込む人のようにして、離婚すると、今度は圧倒的に女の人に不利な職業社会が待っていて、子供がいれば、どうかすると月20万円にもみたない収入で、新生活を始めなければならなくなる。
その結果は、統計が存在する国のなかでは最高の貧困率で、数字を見ていると、いったいこんな収入で、どうやって暮らしていけるというのだろう、と、一応の生活についての知識をふりしぼって考えてみても、まったく見当がつかない。

子供のときから、日本の町のなかでは鎌倉に縁があったので、鎌倉に、60年代に出来た和風洋式建築としか呼びようのない面白い家を買ってもっていたが、あの町の市役所は、生活保護の申請窓口を、故意に掲示板で隠して塞いでいた。
生活に困って市役所を訪れたシングルマザーの女の人は、途方にくれたはずで、なんども、近所の人間が混じっていそうな市民が屯するロビーをうろうろしたあとに、最も人目が立つところにある、件の、案内カウンターで、顔を真っ赤にして、目の前が暗くなるような思いをしながら生活保護の申請にはどこに行けばいいのか、声にだして訊ねなければならなかったはずです。

週末に鎌倉にいくたびに、居酒屋で顔をあわせて、そのうちには仲がよくなった市役所の人がいて、その人の「唐竹を割ったような」人柄のよさと、野蛮で陰湿な残虐さをもった市役所の生活保護受給者への仕打ちと較べて、日欧混血の子供への差別や、貧困、在日コリアンへの差別、どの話題でも、ごく普通の日本の人が、
「え?ガメさん、考えすぎですよおー。わたしのまわりに、そんな人、ひっとりもいませんよ。なあんかインターネットとかで、おかしなことを吹き込まれて日本に偏見があるんじゃないですかあ?」と明るく述べる日本社会のからくりが判るような気がした。

生活保護の受給者は「弱い者」なのではない、社会制度や、運や、病気や障害によって、いまたまたま負けが込んで、というと言い方として下品だが、ほかに表現がおもいつかないので、知らぬ顔でつかうと、負けが込んで、ここでどうしてもひと息つかなければならなくなったひとたちの「陽だまり」で、そんなものひとつ用意できなかったり、吝嗇と残忍な本性を発揮して、意地悪い言葉を投げつけるようなものを「社会」とは到底呼べないだろうとおもう。
そういう人間は「社会はなんのためにあるのか?」という最も根本的な問いをわすれている。

社会は、もちろん、個々の個人のためにある。

陽だまりには、また、生活保護ではなくて、魂を保護するためのものもある。
性的被害のトラウマや、ディプレッションとの戦いで、旗色が悪くて、負けかけている人がいる。

なにもする気が起きない、どこへも出かけたくない、という若い人と話してみると、本人が気が付いていないだけで、鬱病であることが、びっくりするほど多いのは、別に、よく話題になるポーランドや韓国や日本に限らず、世界中の国に蔓延する病で、ひとびとは必死に戦っていて、ニュージーランドならば、パブやレストランで給仕してくれるウエイトレスの女の人の手首の内側に小さいセミコロンの刺青が見えることも、珍しくない。

https://gamayauber1001.wordpress.com/2015/07/23/project-semicolon/

「それは大変だね。でも、若いんだから、もっとがんばらないと」というような、おっそろしいことを言わないですむために、鬱病についてのひととおりの知識を身に付けておくことは、いまの世界では、もちろん、愚にもつかないテーブルマナーなどよりは、遙かに大事な身に付けるべき常識になっている。

ぼくのところにも、よくツイッタのタイムラインやなんかで話題になる「はてなから来ました」の、やたらと他人をくさして攻撃するのが大好きなおっちゃんたちが来るが、あそこまで病的な人びとは別にしても、日本語社会は、もともと攻撃性が強い社会で、しかも、攻撃している本人は、見ていると、自分が他人にとってannoyanceになっているということすら自覚していなくて、いわば会話の習慣のようにして、たとえば「子供はつくらないの?」という。

「早く結婚しなくて、だいじょぶなの?」と、おでん屋のカウンターで中年のやたらと身なりに気を使った上司らしい男の人が若い女の人に述べていたりするのを聴かされると、まるで無関係な外国人にすぎないこちらが、「おまえこそ、頭、だいじょうぶか?」と聞いてみたくなる。
日本の人には、言われて不愉快なおもいをする当人以外は実感がまるでないらしいが、なんだか社会ごと失礼であるような、奇妙な社会で、なにしろ文化の比較が趣味のようになっていて、しかも最近は病膏肓に入っているのではないかと自分でも疑いだしている人間としては、こんな社会、ほかにあったかなあー、と、マイクロネシアの島社会のあれこれを思い浮かべてみたりするが、いわば、通りで知り合いに出会うと、おもいきり相手の頬をひっぱたくのが挨拶の習慣になっているようなもので、見ていて、茫然とする。

日本は訪問するには最高に楽しい国だが、住むのは、やっぱりちょっと無理だよね、と納得する契機に、よく、なっていた。

冬の寒さがゆるんで、あたたかくなってくると、社会全体が陽だまりのようになってゆく。
自分の一生のなかでは、立ち直りかけてはいたが、まだまだやることなすことヘマばかりだった、90年代のニュージーランドがそうだった。

小さなことです。
本屋のドアを開けて入ろうとする。
向こうから、女の人がやってくる。
横にどいて、ドアを開けて待っていると、女の人が、世にも陽気な声で、
「まあ、なんて素敵な紳士なんでしょう!」と明るい笑顔で、述べてゆく。
紳士だと呼ばれた10歳の子供(←わしのことね)のほうは、なんだかおとなになったような気がして、すっかり浮き浮きしてしまう。

あるいは、世紀の変わり目に近い頃になっても、横断歩道で、えんじ色の制服の小学生たちのグループのためにクルマを止めると、もちろん止まるのはクルマのほうが、あたりまえのことであるのに、みなが手をおおきくふりながら「ありがとう!」と口々に叫びながら渡ってゆく。

そのころは、なんども書いていて、ニュージーランドに気の毒だが、ものすごく貧乏な国で、まるで国がまるごと失業しているようなていたらくで、PhDを持っていてリンゴ拾いのアルバイトをしたり、大繁栄をしている日本に行ってなんとか稼ごうと考えて、時給350円のアイスクリーム工場で働いたりする女の学生がたくさんいたりして、遊びにきたアメリカ人の友達たちが、失礼にも、あまりの惨状に大笑いするくらい貧しい国だった。

ニュージーランドは、むかしから貧乏とは縁がある国で、なにしろスタートレックテレビシリーズには世界から遙かに離れて罪人を島流しにして隔離する世界連邦の国まるごとの刑務所として登場するくらいで、他の文明世界から遠く離れているのが禍して、若い人間のキャリア上の希望は、なんとか渡航費をやりくりして、稼いで、オーストラリアか他の英語国に行ってカネを稼げるようになることしかなかった。

いっぽうの連合王国の人間として、ニュージーランド人をうけいれる側からみると、ニュージーランドのイメージは、失礼なので、まさか口にだして言ったことはないが、ウエイター/ウエイトレスで、20000キロ離れたところから見ていても、ニュージーランドという国が、食うや食わずのドビンボ国なのは、よく判った。

ところが、この貧乏な国は、一方では、世界のなかで、そこにだけ、ただ一箇所太陽の光が射しているような陽だまりだったのですよ。
みんなが貧乏で、助けあって、食べ物が買えない人には、必ず誰かが食べ物をもってきて、一緒に食べていたし、少しでもオカネがあるような様子をみせるのは、考えてみれば良いことか悪いことかわからないが、最も恥ずべきことだと考えられていて、あの貧しさのなかで、やってきはじめたアジア系の移民が収入を偽って生活保護を不正に受給しているというニュースに怒ったりしながら、それでも生活保護を正当に受給する人間を蔑ろに見るようなメンタリティは想像の外だった。

ニュージーランドは連合王国の労働者階級が文明的な生活をすることを夢見て、遙々危険な航海をしてやってきて作った国で、「これは自分たちがつくった社会なのだ」という強い誇りがあったからだと思います。
いまは失敗している仲間も、たまたまうまくいっている仲間も、みな同じ仲間ではないか、という強い意識は、失敗した者をみくだすような態度を軽蔑させる。
連合王国には、うようよいる、強者の驕りをみせて振る舞う人間にうんざりしてやってきたのに、自分達の国でまで、そんなものを観たいとおもわない。

かつては訪問する外国人たちに「まるで天性の人民戦線主義者のようだ」と言わせた日本は、繁栄と、強者と弱者を生みだす社会に変容することによって、どうなったか。

いまの日本社会をつくったひとたちは、なんだか、みなが天を向いて掌をさしだしているというか、オカネもなにも、自分が言われたように暮らしていることの代償として、空から降ってくるのだと信じているような所があって、案外と、自分は社会の外側にいて、自分と社会とは交渉的な関わりしかないのだと考えているように見えることがある。
そのなかで高いところからオカネを撒く人の気持ちを最も汲んで、「模範的な支配のされかた」を演じてみせたものが社会の強者として振る舞うという不思議な習慣をもっている。

「え?暮らせない?あなた、社会に言われたように暮らさなかったんじゃないの?」と役所の福祉課の窓口で言われそうな、怖いところがある。

いつのまにか陽だまりを失って、凍えるひとびとを、突き刺すような視線でにらみつけるようなところがある。

その睨みつける視線が、いったい、どこから来たのか、なにに由来するのか、これから、考えてみようとしているところです。

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友達がいる夜

だだっ広い部屋に何千というフライパンが並んでいて、それぞれ二十個くらいの餃子が載っている。
中国の人であるらしい係のひとが、つきっきりで説明してくれていて、
「これらのフライパンは日本製で、日本人の悪意が超伝導で伝わることによって加熱されています」と言う。

加熱されるフライパンには順番があって、見ていて法則性が把握できないが、しばらくすると、一箇所に悪意が集まるらしくて、そこだけ集中的に加熱されはじめる。

煙があがっている。
傍らの中国の人が「あっ、あそこで目玉焼きが出来ましたね。
ガメさん、われわれの技術は、どうですか?
もう欧米に負けていないとはおもいませんか?」

目玉焼きが焼けましたって、あんた、あれは餃子ではないか、とやや憤然とした気持になったところで、目が覚めた。

ベッドサイドテーブルのiPhoneを手にとってみると、午前1時半で、ヘンテコな時間に目が覚めてしまっている。
目玉焼きが餃子である悪意の超伝導から現実にかえってみると、友達夫婦が来ていて、客用の寝室のひとつで泊まっていて、そういえば、早寝早起きの習慣の友達夫婦は午後10時には、もう眠くなったといいだして、それまでカネモチたちはいったいどういう理由で餃子なんて、あんなヘンテコな食べ物を好むのだという堂々たる論陣を張っていたのが、さっさと寝室に入って眠ってしまった。

それで、モニとぼくもつられて眠ってしまったのだった。

カネモチたちは、を連発して、おれはカネモチと秀才は嫌いなのだと威張っているが、このひとは現金だけで100億円だかなんだかが余って銀行に眠っていて、
頭がわるいくせに勉強したがる秀才くらい手に負えないものはない、ああいう人間たちは大学に入れないようにすべきなのではないか、と、大庭亀夫のようなことを述べるが、少なくともイギリスでは超一流ということになっている大学を卒業している。

おれは頭を使う職業は嫌いなんだ、と述べて、同級生たちをぶっくらこかせたことには、鉱山で働いたりしていたが、どこでどうオカネを工面したのか400ヘクタールの農場を買って、最近まで農業をやっていた。
その頃は、顔をあわせると、英語国の土地の値段をつり上げているのは、どこのバカだ、と怒ってばかりいたが、当人は「農業はもう飽きた」といって、農場を売り飛ばしてみたら、おおきな町に近いところにある農場だったので、折りからの不動産バブルで、なんだか口にするのも憚られるほどの大金が転がり込んできて、しばらく奥さんとふたりでウィスコンシンのマディソンだかどこだかに住んでいた。

なんでウィスコンシンなの?
と聞くと、ハンバーガーがうまいんだよ、という返事でした。

朝の9時半という、とんでもない早い時間にあらわれて、酒を飲むのはやめたんだと述べて、炭酸水を次から次に飲みながら、夜の10時まで、ノンストップで話をして、ほとんど森羅万象について述べて、楽しかったが、英語人にはあきあきしてきているようで、どうも英語で話す国の国民は、どいつもこいつもくだらない、と三度ほども繰り返していた。

どこの国のひとならいいの?と聞くと、なに言ってんだ、ガメ、おれは英語しか話さないから、他の国のことなんて知るもんか、と言う。

それから、やや居住まいを正す感じになって、
ところで、ガメ、ニュージーランド人は、なんだってこんなポリネシアの、そのまた向こうにある国で、英語を話してるんだ?
と質問する。
もとはイギリスから来たって、せっかく新天地に来たんだから、当時だと、エスペラント語かな、アボリジニ語でもマオリ語でもいいから、英語みたいなバカまるだしの不動産屋みたいな言語でなくて、もうちょっと気が利いた言語をつかわなかったのはなぜだ?

めんどくさかったんじゃない?
というと、
「態度がわるいやつらだな」と、また怒っている。

友達夫婦が寝静まって、自分は悪意超伝導で目がさめてしまったので、こうして日本語を書いている。

眠っている、きみの夢に向かって、話しかけている。

きみやぼくは、いったいなんだろうか?と考えている。

恐竜みたいなものか?
もし恐竜ならば、化石になって、冷たい海の底で、静かに眠っているべきなのではないか。

いつかきみは、自分は世界を愛しているが、その事実をどんなふうに表現すればいいのか判らないのだ、と述べていた。
人間は表現者と受け取り手の両方が観念の高みにのぼらなけば、なにごとか伝達することはできないが、自分には、どの観念の塔にのぼればもっとも自分に適合しているかがわからないまま、到頭30歳になってしまった。

「ガメのように、人生からなにかを受け取ることを望まないという態度はどうしても理解できない。
きみは頭がいかれているとおもう。

きみは自分の中心的な知的活動を世間に向かって発表したことはないでしょう?
そうして、きみは、わざと、世界とオカネだけで関わろうとしている。
そこまでは判る。

でも、なぜ、きみはその一方で、世界を故意に誤解して、しかもその上に、周到に準備して、世界の側からもきみを誤解させようとするのか?

きみは、なんだかモニさんとふたりの、孤島の城塞のような場所にいて、欧州に近寄ろうともしない。

狷介で、複雑で、誰が足を踏み入れても、二度と出られない迷宮のような自己をつくるのに、どんな意味があるのか」

恐竜みたいなものだろうか。
同国人でも、もう、きみやぼくを理解できる人間は、そんなにたくさんはいないだろう。
よくて、せいぜい昔は愛でる人がいた骨董品、悪ければ、ただの古びた、すりきれた家具。

きみやぼくは、もののけで、中空に腰掛けて、頬杖をついて、ぼんやりと世界を眺めている。
自分が知っていた世界は、とうの昔になくなって、見知らぬ世界が目の前に広がっている。

丁寧で、やさしい心遣いに満ちた言葉で話す、きみの世界の住人は、まだ、例えばロンドンの、そこここに点在するが、それも日の名残のようなもので、いまは、身も蓋もない、「英語カルチャー」が、通り一遍のチェーン店がならぶモールかなにかのように、退屈で凡庸な顔を並べている。

ホームシックの感情に負けて、遙かに遠い故郷に帰ってみたら、故郷はすでになくなっていた人のように、なんだか茫然として、新しくて、活気がある、多様性にみちた、かつては故郷であった町を眺めている。

ぼくは多分、人間の世界が好きだったことは、いちどもないんだよ。
考えてみると、ほかに、友達をつくった理由なんてないものね。

ほら、いつか日本語の詩を引用したでしょう?

おれたちは 初対面だが
もし会えなかったら、どうしようかと
そればかり考えていたよ

会いたかった友達に会って、初めて、われわれはこの世界が荒野にすぎなかったことを理解する。

地平線まで歩いていけるか、歩いていけば、地平線はただもっと遠くに移動してしまうのか、そんなことは判らないけど、
収穫が終わって、荒れ果てた世界を、どこまでも遠くまで歩いていくしかない。

自分の家が見える、あの丘にたどりつくまで

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子供たち

反アジア移民の大立て者で、煽動政治家のウインストン・ピータースの娘、というと、なんだか凄そうだが、本人は、涙もろくて、友達の猫が死んだ話をするのにも声を詰まらせて、涙がにじんでくるような人です。
子供のときは、ウエリントンのインターナショナルスクールに通ったのだという。
第一日目に、あっというまにたくさんの友達が出来て、楽しくて、天に昇るこころもちだった。
学校みたいに楽しいところがあったとは知らなかった、と考えた。

ところが二日目に、昨日、親友だね、と誓い合った友達のところに息せき切って駈けていったら、「おまえのおやじはクソ顔じゃないか。おまえもクソ顔だ、ぼくの側に寄るな」と言われた。
ショックで、ボーゼンとして、それ以来、学校も世界も大嫌いになった。

インターナショナルスクールに、なんとか通えたのは、イラン大使の息子がかばってくれて、大の仲良しになって、意気投合して、いつも一緒に行動してくれた。
昼休みには、イラクに侵攻して、サダム・フセインを殺すための戦略案づくりにふたりで夢中になっていた。

でも、そのイラン人の子供がいたから、わたしはいままで生きて来られた。

ブリー・ピータースは、そう述べて、また、涙で声をつまらせている。

言うまでもなく、子供にとっての世界は、おとなから見た世界の数層倍は苛酷な世界で、しかも、多くの場合は理不尽です。

ブリー・ピータースは、もしかすると、いまでも気が付いていないようにみえたが、もともとが連合王国の労働者階級とマオリが力をあわせてつくりあげた平等王国であるニュージーランドには存在しない、各国の外交官として滞在する上流階級の人間たちなどは、ニュージーランド人たちの想像を遙かに越えていて、そういう無思慮な生き物が多いので、子供のときには、真に天使のような姿だったブリーに会って興奮した子供が、親に学校の第一日目の報告で、そのことを述べてみたら、
その子の父親がよくない人間であること、おとうさんとおかあさんとしては、そういう人間の娘と付き合ってほしくないこと、を告げられたのに違いない。

おとなは、子供たちに対して、ごく無造作に残酷である。
小学校のときに、虚言癖のあるOという友達がいて、ぼくはこの友達の気持ちのやさしいところが好きだったが、小さな嘘を述べる癖があるこの級友Oを、K先生はすごく嫌っていた。
もちろん、言葉にして述べたり、露骨な態度で示したりはしないが、潔癖な人で、まるで全身全霊で級友の小さな嘘を憎んでいるのが、微かな態度の違いににじんでいて、クラスの人間全体が知っていたとおもう。

この級友が夏休みのあとに、おとなでも手に余るような巨大な木の帆船模型を学校にもってきた。
みんなが大歓声で集まって、すごいね。
これ、カティサークだよね、と言いあって目を輝かせた。

ひとしきりカティサークの栄光の歴史について話し終わって、興奮の余韻が残っているうところで、みなの後ろから、
「おとうさんに作ってもらった帆船を、自分がつくったもののように見せびらかしてはいけません」という冷たい声がした。

K先生だった。

先生はおとなの目でみて、級友のふだんの虚言癖も勘案して、これは自分でつくったものではないな、と判断したのでしょう。

Oは泣かなかった。
唇をひきしめて、一文字にして、帆船模型を床にたたきつけた。

ぼくは、帆船模型をOがひとりでつくって仕上げたのだと知っている。
一緒につくったのでも、つくっているのを見たのでもないが、友達なので、そのくらいことはすぐにわかった。

K先生のところにいって、先生が言ったことは、なんの根拠もないし、Oに対して失礼であるとおもう、
謝るべきなのではないか、と提案した。

先生は、きみはまだ子供だから判らないのだとかなんとか、口のなかでもごもごと述べていたが、話を切り上げようとしても、一向にあきらめて立ち去りそうもない頑固な子供の態度を見て、薄気味がわるくなったのでしょう。
ほんとうに言葉だけの、おとなの詫び然とした、心がこもらない態度で形ばかりの謝罪の言葉を述べていたのを、いまでもいまいましい気持でおもいだす。

その手の出来事が、無数にあって、自分が子供のときの記憶に陰翳をつくっている。

ツイッタに書いたが、モニさんとふたりで、コメディフェスティバルに出かけた。
このブログにときどき出てくる、例のアオテアスクエアにあるQシアターです。
どういう理由によるのか、スタンダップコメディ、コメディアンがひとりでステージに立って、バカ話を繰り広げる、日本語なら漫談というの? それとも、あれは死語なのか、いま調べても適当な言葉が見つからないが、どこの国でも、客席は白い人ばかりで、コメディアンのほうも、白い顔が並んでいるのを見てとると、ワルノリして、politically incorrectな、もっと簡単に言ってしまえば、人種差別的なジョークを連発することがある。
なんだか、聞いているのが不愉快になって、劇場を出てしまったこともあります。

白い人同士でも、いつだかは、ブロードウエイの舞台で、ユダヤ人のブロードウエイのユダヤ人支配についての冗談とあてこすりをしつこく繰り返す連合王国人のコメディアンに怒って、顔を真っ赤にして舞台をみつめていたキッパをかぶった男の人がいて、はらはらしながら見ていたことがあったが、そのときも、やはり自分も不愉快になって席を立って、帰って来てしまった。

でもその夜は安心で、ホストが有名なマオリ人のコメディアンで、登場する人たちも、半分はマオリ人のコメディアンたちで、彼らがいつかウエリントンで見た最悪なポール・ヘンリーのクソコメディのような、マオリ人やポリネシア人をさんざん笑い物にするようなパフォーマンスをするわけはなかった。

モニさんは知っていて黙っているようだったが、スタンダップコメディであるよりも、TEDに近いような演し物が多くて、殆どの人は、ふつうのスタンダップコメディだと考えて来ていたので、いったいどこで笑っていいのかとまどっている様子がありありとわかりました。

そのうちに、笑い所どころか、有名コメディアンや俳優・女優たちが、自分や伴侶の、アルコール中毒との格闘の経験、人種差別に遭った痛み、社会に適応できない心の病に罹った子供を支えるための家族の凄惨な体験の報告、鬱病に苦しめられて未だに克服できないでいる自分自身の脳髄に対するいらだち、どれひとつとっても、単独ならば芸能雑誌がおもしろがって書き立てそうな深刻な話題を、みながいっせいに赤裸々な言葉で述べる試みなのがわかって、びっくりして、でも次の瞬間には深い感動に包まれて、涙をぬぐいながら、時に混ざるジョークに笑い声をたて、また啜り泣く声が劇場のなかに満ちてゆく、という感情の起伏の忙しい夜だった。

なんでもないことのように「わたしは先週まで二週間精神病院の病棟にいたのですが」と述べる、テレビや映画でみなれた顔のアイルランド系コメディアンや、若い人にたいへんな人気がある、ちょっとジョン・ベルーシのようなところがあるイングランド人のコメディアンが、いつものような漫談のスタイルでは、とてもではないが最後まで普通に話していける勇気がない、と考えたのでしょう、書いてきた文章を下を向いたまま早口で読みあげるという、およそこの人らしくないやりかたで、自分がいかに子供のときから鬱病に苦しめられてきたか、コメディアンになったのは、ステージにいて、観客の笑い声に包まれているときにだけハイな解放された気持になるからであって、舞台が終われば、いつものように鬱病と格闘する夜がこわくて、アルコール依存症にもなってしまったこと、いまは大丈夫で、鬱病は自分の場合はなおらないが、いまは自分の大脳のいちぶに住み着いたものとして慣れてきて、飼い慣らせるようになってきたような気がする、と述べていたり、どの人も、なんだか信じられないような勇気で、率直に勇敢に自分が抱えている問題を述べて、まるで非現実であるような、不思議な一夜だった。

二時間の予定が三時間に伸びていたのに気が付かないくらい、あっというまに終わったパフォーマンスのあとで、冬にしては暖かいクイーンストリートに出て、予約してあるレストランまでの道を、モニとふたりで、すっかり昂揚した気持になりながら歩きました。

人間は、すごいな、とモニさんが述べていたが、
自分は誰にも必要とされていないと感じながら、病気のせいで、神様は自分を苦しめるためにこんな仕打ちをするのだろうかと疑いながら、
「まるで頭を毛布かなにかでぐるぐるまきにされたようだ。もうなにを考えるにもいやだ。なにもしたくない。なにもできない」という気持に一日中苦しめられながら、それでも、なんとか気を取り直して、一日一日を生きていこうとする。
行く先のあてなどないのに、一歩づつ足を踏みしめるようにして、痛みに耐えながら死に近付くことによって、ただの生命の終端にしかすぎなかった死が栄光に包まれたゴールに変わってゆく

パフォーマンスの前に、みなで話しあったらしいコメディアンたちの結論は、子供のときにおとなから受けた言葉の傷が意識の奥底に潜り込んで人間を苦しめる例が多いのではないかということだったようで、ステージでも話はだんだんそこに収斂して、せめて、みなで努力すればなくせる、言葉による、特に子供の心に対しての傷害行為だけは社会のちからでやめさせよう、と繰り返していた。
それは必ず、鬱病や依存症も減らしていくことにつながるに違いない。

ツイッタに、

と書いたが、140文字で書ききれなかったことを書くと、おとなの心ない(心ない、ではいかにも表現として投げやりだが、ほかにおもいつかないので仕方がない)ひとことで、心が壊されて、心の欠片がなくなってしまうことも問題だが、その先で糊付けして助けてくれる人に出会えても、それが糊付けされたものにしかすぎないことを、もちろん当人は知っていて、そのことはそのことで、また、心にできた毀たれて、欠けてしまった欠落とは別に、いわば糊付けの傷痕がいつまでも残って、当人を苦しめる。

おとな同士は、否定されなければならない考えが蔓延っているときに声をださなければいけないことがある。
それが激しい糾弾の言葉になることもあります。
でも、子供に対して糾弾するのは100%おとなの側が誤っている。
子供は、もともとおとなに較べれば遙かに完全な統合体で、おとなになるということは、その統合体のあちこちが欠けて、悪ければ、そこに間違った修復部品が糊付けされて歪つになってゆく過程のことにほかならない。

最近の日本の事件でいえば、48歳の中年男が17歳の(性的には、まったくの)子供を襲って、子供が機転を利かせてやっとのことで逃げのびたのに、17歳の子供のほうにも責任があるという人がたくさんいて、すっかり驚かせられたりした。

子供にとって最悪なのは、子供のほうは人間がまともなので、おとながまるで自分は完璧な人間であるかのように装って子供の欠点を叱責すると、子供は態度そのままにおとなが完璧な存在であるとうけとって、自分が取り返しがつかないくらいダメな人間だとおもいこんでしまう。
おとなのほうで、自分にも欠点があること、ダメなところを乗り越えるのに苦労していること、人間であるかぎり、人間性のダメダメなところから逃れられないことを、理由は明らかだとおもうが、できれば親から子に直截ではなく、社会という共通のいれもののなかで、どんどん公開していくのでなければ、子供のダメージはおおきくなるばかりで、社会は、悪意の巣窟になってしまうだろう。

やっと、「おとなの攻撃的抑圧的なひとこと」が子供の耳に入ってしまうことの重大さは、いままで漠然と考えられていたよりも遙かに深刻な影響を個人の一生に与えていることがわかってきて、社会として意識化して、おとなたちがお互いを再教育して、戒めあいだしたところだとおもいます。

子供をいまのまま騙しているわけにはいかないものね。
社会がやっとそのことに気が付いて動きはじめたのは、ずいぶんのんびりではあっても、やはりいいことで、よいことをするのに遅すぎるということはない。

知らんふりをしていないで、子供を救わなければ。
闇のなかで途方にくれたおとなを救い出す能力があるのは、結局は子供だけなのだから。

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