二目と見られない未来

第一報は、「荒天下での単段ロケットの発射」だったが、だんだん判ってくると、二段式ロケットの発射で、実験に影響するほどの嵐ではなかったようでした。

北朝鮮のミサイルは、もっか、ふたつの解決すべき問題を抱えていて、以前から述べているが、お温習いをすると、
ひとつは、大気圏再突入における姿勢制御、もうひとつは核弾頭の小型化と量産化です。
両方ともに専門家の意見が分かれていて、もっとも厳しい評価をくだしているロシア人たちは、北朝鮮はどちらの技術的な難関も解決に至っていない、という立場、NASA系やシンクタンク系、あるいはアメリカ軍系のアナリストたちは、実はてんでばらばらで、両方とも出来てしまっているのだと述べる人もいれば、どちらも出来ていないという人もいて、いや見ればわかるじゃないか大気圏再突入技術は確立されているのさ、というアナリストがいるかとおもうと、冗談じゃない、大気圏再突入というのは、もっとたくさんデータの積み重ねがいるということをきみは知らないのか、と憤慨している。
CIAなどは小型核弾頭の完成を祝賀した北朝鮮のパーティの写真を指して、金正恩のいうことは信ずるに足る、と述べる。
あんなの、ただのモックアップの木型なんじゃない?と反論する核専門家がいる。
「だって、小型核弾頭をすでにもっているのだとしたら、地下核実験のデータの説明がつかないじゃない」

韓国勢になると、「あの地下実験データは水爆実験を巧妙に偽装しているのだ」という人までいて、最後の水爆説をなす奇特な人を別にすれば、この侃々諤々の人々は、いずれも元NASA研究者、元国防長官、CIAの極東アナリスト、ジョージタウン大学系シンクタンク…と錚々たるメンバーで、日本でよくいる、「わたしはきみたちと違って軍事経験がある専門家だが」と述べて、とんでもないトンチンカンなことを述べ続けている、たいていは「元自衛隊員」の予想屋おじさんたちとは異なって、見識によって敬意をもたれている人々なので、つまりは、「さっぱり、わかんねえ」が正直な気持ちなのでしょう。

 

過去の戦争が国家的な野心や征服欲によって起きたのに較べて、現代の戦争は誤解と偶発によって起きる。
誤解と偶発を防ぐための情報の共有が、いまの平和とは到底いえないが世界全面戦争は70年にわたって避けられてきた最大の理由です。
キューバ危機に見られる絶体絶命の全面核戦争のピンチをすでに1962年に持ちながら、どーにかこーにか、やっとこさ核戦争を回避し続けて、ヒロシマ・ナガサキ以来、70年の長きにわたって核戦闘が起こらず、フランス人たちが述べた「核の脅威による人類全体の失語症、言語の意味の喪失」の世界から、われらの「なんにもしないおじさん」バラクオバマの演説に象徴される「核廃絶」への動きに至って、胸をなでおろしかけたところにあらわれたのが、ドナルドトランプでした。

このおっさんの最大の特徴は頭が悪くて考えが粗雑なことで、自分で堂々と認めているとおり、本を読むことと考えることが大嫌いなこの老人は、政治教養そのものが大統領に就任するまでの、インテリの極右狂人である家庭教師のスティーブバノンとの対話だけで出来ている。

イスラム教徒のアラブ人は悪いやつらだからやっつけなければいけない。
まともな人類は白色人種だけだから有色人種は区別して扱わなければ道理にかなわない。
日本人や中国人のようなマネだけが上手で、はしこくて、狡い人間たちに盗まれてきたアメリカ合衆国の冨を奪い返すのは自分たちの使命である。

以前に書いたとおりバノン自身は、さらに向こう側の黙示録的思想の持ち主で、核兵器よりも危ないおっさん

バノンという厄災
https://gamayauber1001.wordpress.com/2017/02/01/steve_bannon/

だが、トランプのリアリティショー頭で理解できたのは、だいたい、有色人種とイスラムは悪い、わしつおい、そのうえ、えらい、くらいのもので、その先にまでバノン思想の理解が到達した徴候は見られない。
可愛くてたまらなくて、ハグするのにお尻に手を回したりしているので、「ほんとは近親相姦なんじゃない?」とまで言われた娘の婿はんが、シェークスピアが悪意で絵に描いたようなユダヤ人であることの影響もあるでしょう。
トランプの人種差別は欧州人の人種差別よりもずっと単純なもので、
ユダヤ人でも東欧人でも、白ければえらい、色付きはゴミ
という歴史上初の単純を見せている。

このやたら頭が粗雑なおっさんが判っていない政治上の常識のうち、日本人にとって最も危険なのが、軍事という棍棒は相手に見えないように上衣の下にこっそり忍ばせておくからこそ有効なので、頭の上でぶんぶん振り回して威嚇すると、たいていは弾みで戦争になる、という人間が長い歴史を通じて、痛い思いどころか何千万人という死者を生みだしたあげく、やっと理解できるようになった事実で、どうやら現状は、ぶんぶん振り回してみたあげく、不思議にやあるらむ、北朝鮮は全身を緊張させて、にらみ返し、中国は「核戦争になったって、おれたちの責任じゃないよ。これは日韓米と北朝鮮のあいだだけの問題じゃん」とそっぽを向いてしまって、その結果、世界中の人間がぶっくらこいてしまっていることには、話全体が誰もひとりも望んでいない北朝鮮と日本・韓国・アメリカ連合軍との全面戦争に向かっている。

以前から散々述べてきたように、戦争経済の皮肉というべきか、北朝鮮は通常兵器による戦争を戦うにはあまりにビンボなので、最も安上がりな破壊兵器である核ミサイルをぶっ放しまくるほかには方法がない。

中距離ICBMを高々と打ち上げて近距離核ミサイルとして使われてしまえば、イージス艦による防御などは夢のまた夢で、まして、いままでの戦闘でミサイルの筐体は撃墜できても、返って、弾頭はあらぬ方向に落下して爆発するのが常で、中東では「民間人殺し」とまで言われたパトリオットなどは、低い弾道で飛来するミサイルに対してすら、いっそ撃たないほうがマシな程度の防御力しかない。

昨日、英語紙と日本語記事への翻訳を見較べていて、日本語版では綺麗さっぱり該当の箇所が削除されているので笑ってしまったが、いまの諸条件を見渡して、全員が合意して、なんでもいいから新しい突破口を探さなければ、と焦っているとおり、現況では少なくとも韓国・日本の相互の連絡が全く悪い、まるで仇同士にしか見えない「連合軍」と後ろ盾のアメリカと、アメリカが全く計算にいれていないことには、戦前の日本人の気質そのまま、撃ちてし止まんで、民族の性質として戦争になってしまえば、無我夢中で国家的にアドレナリンを全開させて、文字通り最後のひとりまで徹底抗戦して玉砕することしか考えていない北朝鮮との戦争は、避け得ないコースに入ってしまっている。

奇蹟的にブレークスルーが出来るとすれば、G20くらいが山で、予想もしなかった名案があらわれなければ、当初の予想の5年後どころか、今年にもアメリカの先制打撃によって戦争は始まってしまいそうです。

日本語社会は悪い癖で、真実を隠蔽して、英語記事まで、どういう理由によるのか改竄して、英語記事に較べると奇妙に短い記事になっていたりしているが、ふつーの日本人にとって、節目節目を見分けて緊張する方法がなくはなくて、例えば一例をあげると、「次回空母が朝鮮半島にもどってくるときは絶対に危ない」や、これは実は昨日現実になってしまったが、アメリカと韓国が実弾ミサイルを発射して北朝鮮を威嚇しはじめると危ない、というような、いくつかの目安があって、政治の話などはいくら書いていても退屈で、楽しくないので、この辺で今日はやめたいが、またそのうち元気がでたら書いてみます。

アメリカが「中国から北朝鮮への強い圧力」と呼んでいるのは表面には出ないが実際には人民解放軍が国境を越えて北朝鮮に地上侵攻する姿勢をみせろ、という要求を含むものであるようで、中国が頭から強く否定しているのは、だから、つまり、「バカも休み休み言え」というアメリカの常識のなさへの怒りであるに過ぎない。
ありきたりの外交知識に拠る人は「そんな中国にもアメリカにも利益にならないことをトランプ政権がいうわけはない」と言うだろうが、トランプには、中国にゴリ押しの圧力をかけて人民解放軍の国境への集結を強要する理由があるようです。

最も現実性が高い筋書きは、アメリカの「ピンポイント攻撃」による先制攻撃が起きる → 報復としてソウルへの重砲・ロケット砲群による一斉砲撃と東京・在日米軍基地に対するミサイル攻撃が即座に起きる、と全員がほぼ一致しているが、戦争は「専門家」の予想を常に越えて、あるいは言い換えると、日本の人は自分たちが1941年の12月にやったことを思い出せばわかる、専門家の常識を越えた着想をえたときに、それによる一種の興奮が支配層を衝き動かして起きる事が多いので、例えばアラスカまでの飛翔距離を延伸すればミサイルが到達できる、アメリカ太平洋艦隊の根拠地、真珠湾へのミサイル攻撃を北朝鮮が企図するというような奇想天外があるのかもしれません。

だから、どうなるのかは、作戦起案者以外の誰にも判らないが、ひとつだけ現状で確からしいことは、書いていても信じられないし現実感が湧かないが、戦争が避けられなくなったらしいことで、溜息どころではなくて、どうするんだ、おい、と言いたい気持ちが起きてきます。

神様も、異常気象で頭がおかしくなったのかもしれません。

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メルボルン

メルボルンは南半球では、もしかしたらゆいいつの、ふらふら歩いていて楽しい町です。
ニューヨーク、東京、バルセロナ、メルボルン、歩いて移動する人間向きに出来ている町は、どことなく「居心地の良さ」の種類が共通している。

オーストラリア人には、多分、偏見なのだろうが、がさつで考えが浅いところがあって、いまもむかしもあんまり好きになれないが、資源と運に恵まれた国で、むかしから豊かな国だった。
そこにもってきて、例えば過去20年間のGDPの伸びをみると65%という恐ろしいような成長で冨を貯えて、ますます豊かになって、知っている人も多いと思うが、この20年間の長期経済成長は世界1位です。
余計なことをいうと、先進国中ただ一国、この20年間に二桁のマイナス成長を記録した日本と、わしガキの頃から、南北のふたつの国の盛衰を較べて見てきたことになる。
20年前は、いまだにオーストラリア人おっちゃんおばちゃんたちが根にもっているように、まだ日本人がたくさんいて、ずいぶんオーストラリア人を見下したようなことを言っていたが、あんまり愉快なことではないので、どんなことを言っていたのかは省略する。
おなじ20年間に、書いていてもなんだかちょっとびっくりだが、世界第2位の成長を達成したニュージーランドとともに、この20年間で日本とちょうど立場が逆になったことをしるせばよいだけに思います。

気に入った町には家を一軒は必ず買う、子供じみた癖があるわしは、当然、子供のときから馴染みがあるメルボルンにもToorakというところに自分のための家を一軒買ってもっている。
かーちゃんととーちゃんが持っている家の、ごく近くです。
ヤラ川の南で、むかしは日本人のオカネモチがたくさんいたところだが、最近は日本人の姿をあまり見かけなくなった。
CBDの最もおおきい駅であるフリンダースから小田急線そっくりの雰囲気の電車に乗って四つめの駅なので昔は下北沢と読んでふざけたりしていた。

Toorakがバブルライフスタイルの中心のようになって嫌いなムードになってきたので、この家はひとに貸すことにしたままいまに至っているが、入ってくる家賃をいまひさしぶりに見てみると、
すんごい金額で、もらうほうながら、こんなに家賃が高くてはやっていかれないのではないだろうか、と考える。
まさかいくらとは書かないが、一週間で10万円を遙かに越える金額です。

このToorakがあるサウスバンクとヤラ川の反対のノースバンクとで地域文化がかなりはっきり変わってきているが、近年は、どーだろーか、ノースバンクのほうが多分オフィス街があるせいで、地に足がついていて、文房具店ひとつとっても、ずっと店員が落ち着いている気がする。
小さな小さな伊東屋のような店で、当の、銀座の伊東屋の話をすると、案の定店員のほうでも数回でかけていて、あんな地上の楽園のような店はない、と、ふたりのいいとしこいた男で、うっとりと中空に視線を漂わせて話し込むことになる。
メルボルンやシドニーのようなオーストラリアの都会のひとつの特徴は、日本の黄金時代を知っているおっちゃんやおばちゃんが数多く住んでいることでもある。

伊東屋と書いて気が付いたが、メルボルンはどことなく東京に似た所がある町でもあります。
町全体が、ほのかにタタミゼしているというか、英語風ならばタタミナイズされているというか、店の品物の配置や、佇まいに、ときどき、びっくりするように東京風なセンスが感じられて、アジア的な町ということなら、シドニーのほうが全体にアジア的だが、日本の人にとってはメルボルンのほうが落ち着ける町であるような気がする。

「クビを傾げている長方形」のようなCBDを最近無料になったトラムで、まず北にのぼって、精確に言えば北北西にのぼって、Spring Stくらいを振り出しに、まずプロセコを一杯飲んで、モニさんとデレデレして、へらへらした顔になったら冬の冷たい空気を頬に感じながら、ゆるい下り坂を下りて、Little BourkeやLittle Collimsをぶらぶら歩く。
むかしからメルボルンには酔っ払いに来ているようなものなので、馴染みというか、勝手しったる店が数多(あまた)あって、午餐前からシャンパンを1本開けた朦朧とした頭でも、油断して閉まったままのガラスドアを堂々と粉々に割って入店するようなヘマはやらなくてすむ。

ときどき、ほんとうは前後不覚になっていても、ニソッと笑うと目のヘロさでばれてしまうが、見た目がまったく素面であるのと、モニさんというアルコールが入ってないときでも、ふたりでいるときには自動的にわし理性の役割を代行ではたしてくれる聡明な妻が傍らにいて奇妙なふるまいに及ぶとお尻をつねったりしてくれるので、規制が利いて、なんだかやや過剰にニコヤカなだけで、よく見るとニコヤカすぎてやっぱりヘンだが、ちょっと見にはただの機嫌がいい大男にしか見えません。

メルボルンはもともと戦後に、なにしろ金輪際食べられなかった鶏卵がアメリカ軍の放出で食べられるようになった喜びのあまり「スパゲティカルボナーラ」を発明してしまうほどのビンボで、本国では食える見込みがなかったイタリアから集団で大量の移民がやってきて住み着いた町で、そのくらいを皮切りに、欧州人のおおきなコミュニティが次々と出来て成り立っている町です。
あんまりよく事情を知らない人でも割と簡単に判るというか、例えばメルボルンという町では、バルサミコビネガーやオリーブオイルの大半が、ひどい場合はカノーラと混ぜてあったりするニセモノで、デパ地下のようなところでも、堂々とニセモノだけが並んでいる。
欧州デリでもおなじで、なぜそうなるかというと、オリーブオイルやバルサミコの輸入事業を地元に根をおろしたマフィアが牛耳っているからでしょう。
イタリア人が浸透して定着している町の常で、ちゃんとマフィアのファミリーが存在する。
マフィアの家業のひとつはオリーブオイルとバルサミコで、
そういうところは、やや、ニューヨークと似ていなくもない。

マフィアがいる町の通例で、観光客や暢気なオーストラリア人からは酷い味の料理を出してぼりまくるが、おいしい店もあって、Hardware Laneのような観光客でごったがえすレストラン街でも、む、むにゃあああ、とおもうくらい美味しい料理を出すイタリア料理店が存在する。

こーゆー感じ。

もっともモニさんとわしは、食べ物は、もっぱらフランス料理で、たまには実名で書くと、Bistro Vueなどはご贔屓の店と言うも可なり。
ツイッタでお友達を羨ましがらせて悶絶させるために載せたのは、ここの料理だった。

このタタールステーキも

そうして、ウッシッシ、天国のチョコスフレも

名物の行列がなければ、通りかかって、The Hardware Societeのようなフランス朝食を出す店で、むやみにちっこい椅子に腰掛けて、やはり小さくて低いテーブルにマウンテンゴリラのようにおおいかぶさって、ウッホウッホウホッホ、と舌鼓を打ちながら幸福になることもある。

(もっとも。このポークベリーとコロッケは、家の料理の人やモニさんが作るもののほうがおいしかったんだけど)

アンチョビやコロッケの南欧料理がおいしいのもメルボルンという町のいいところで、小皿の料理を頼んで、あっちでプロセコ、こっちでカバ、数ブロック先でシャンパンと、バークロールをして、二万歩も歩くと、今日はなんという健康的な一日だったろうと感動する。

表面には、というか、当の中国の人達にはまったく不可視だが、反アジア人感情は、残念ながら圧力釜のなかのようで、多文化主義の建前が抑えつけてはいるが、
メルボルンの友達と会うと、東アジア人、特に中国系人に対する反感はたいへんなもので、これがあのオーストラリアでいちばんマルチカルチュラルであると謳われたメルボルンかあ、とがっかりすることが多くなった。
むかしから、わしが出かける先は、なぜか白い人ばかりで、シンガポールにいてさえブルースコンサートで、「シンガポールて、こんなにたくさん白い人がいたのね」と思うくらい欧州系人で充満していて、メルボルンでも、オペラ調に翻訳した「マイフェアレディ」や、なんだかテレビの刑事ドラマじみたて格調もなにもありゃしない、ひどく出来が悪い「マクベス」や、行くところ行くところ白い顔ばかりが並んでいて、アジア人のひと、ほとんどいないじゃん、どこへ行っちゃったんだろうね、とモニと話していたりしていたが、Bourke Streetに行ってみろというので、日本なら新宿か、店が並ぶBourke Streetに出かけてみたら、なるほどアジアの人がどっちゃりいて、ああ、なるほど、これのことを指してアジア人の洪水とかゆうてはんねんな、と納得したりした。

納得しはしたが、だからなんやねん、というのがわしの感想ではあって、オーストラリアもニュージーランドも、より一層アジア系移民を減らすために新しい移民政策をまたぞろ作成しているが、地図を広げて見たらんかい、というか、
自分の国の地理的位置をまったく失念しているらしいところは、やる気になれば泳いで渡れる狭い海峡を隔てたEUからの離脱を決めて、「きみたちは、ひょっこりひょうたん島という日本の話を知っておるかね。島ごと大西洋を西に移動できるとでも思っているの?」と大庭亀夫先生に皮肉を言われた連合王国人と瓜二つなのだと言われている。

地図みてみいよ。
きみらが「ほんとうのオーストラリア人」とか「ほんとうのニュージーランド人」と、たいして考えもせずに述べて、ここはわしらの国だと息巻いているが、その故郷なる土地は地球の反対側にあって、地図を見ればオーストラリアもニュージーランドも、アジアの国だとしか言いようがない。
だいいち話してみればすぐに判るが、アジア移民も三代目、早ければ二代目でも、すでに英語人で、オーストラリア人で、単に皮膚の色と体格体型が異なるだけで、欧州系人となにも変わらない。

オペラやシェークスピアにうつつを抜かして、酔っ払って、小皿叩いて、ちゃんちきアリアを歌ったりする(←判らない人は三波春夫を学習するよーに)のは楽しいが、それが「ほんとうのメルボルン文化」であるわけではない。
イタリア文化やフランス文化、イギリス文化や、レバノン文化が流れ込んで、ぐるぐるとCBDで渦をなして、酔っ払いでろくでなしの欧州系人や、朝少しだけ早起きして他人より稼ぐ中国人や、鼻っ柱がやたら強くて意地でも自分の間違いを認めない中東人や、いろいろな人が、いろいろなものを持ち込んで新しい文化を産みだしかけている。

メルボルンは、ロンドン、トロント、ニューヨーク、ロサンジェルス、…世界にいくつか存在する多文化センターのひとつで、どの都市もそれぞれ異なるありかたで、まったく文化が異なる者同士のあいだに起きる相互作用が、どうすればポジティブにクリエイティブに働いて、どうすればお互いの嫌悪や否定につながらないように出来るか試行錯誤している。

いま世界の自由社会は敗退に敗退を重ねていて、地図を見ても、個人主義や自由主義が生き延びているのは、ごく僅かな地域でしかない。

わし友は、「なんだか古代ギリシャにもどったみたいだ」と皮肉を述べていたが、そのとおりで、息も絶え絶えというか、後退戦の繰り返しで、わし友でも中国の若い優秀なひとびとは、「民主主義などは、結局、人口が少なかったかつての欧州で生まれた幻影にしかすぎないのではないか?
西洋的な価値に、未来において人類を生き延びさせる現実性はあるのか?」と議論をふきかけてくる。

メルボルンのHardware LaneのCampari Houseの屋上には青空の下でワインが飲めるバーがあるが、そこでテーブルを囲んで、巨大な人口を抱えた地球のうえで民主主義が現実に有効であるかどうか、たたみかけるような議論を挑む、でも真剣このうえない若い中国人たちのことを思い出す。

ガメ、きみは間違っている。
これからの世界では自由主義はただの贅沢にしかすぎない。
誰かが死ななければならない世界で、死ぬのは中国人であってはならないんだ。
人間の平等というが、どちらかが死ななければならないのなら、それは他民族でなければならない。
そのためには、中国に自由主義が蔓延るなんて、とんでもないことなんだよ。
西洋人にとっては都合がいいだろうけどね。

そーゆーものなのかも知れないが、いまは興味がない。
まあ、ワインでも飲みなよ。
マオタイもいいが、オーストラリアのシラズはうまいのね。
こういうことはさ、きみみたいにただでさえスピードのある知性を全開にして考えちゃダメなんだよ、きっと。

ゆっくり、思案する。
Little Bourkeでハシゴして、酔っ払って、中国もイギリスもアメリカも、なあーんにも区別がつかなくなったら、ふたりでラリーしているんだかラリッているんだかの言葉の往復運動のなかから、意外な名案が顕れないとも限らない。

なんとかなるさ。
ミサイルが飛び交いだす前に。
根拠なんて、なんにもないんだけどね

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変わりゆく英語世界

時がたつにつれて、トランプ大統領の誕生は、少なくとも英語人にとっては「アメリカン・ドリームの死」と受け取られているのが明白になってきた。
ウォール街のゲートキーパー、ヒラリー・クリントンを嫌ってドナルド・トランプに投票した結果がトランプ大統領の誕生なので皮肉だが、政治では、憎悪のあまり反対の主張をもつ候補に投票した結果が、正気を欠いたドアホな選択になるのはよくあることなので、ものごとが生起する仕組みとして、判らなくはない。

連合王国のファラージュなどは、オチョーシモノらしく、やったあ、これで英語圏は続々と白人至上主義になって、もっともらしく経済やインフラストラクチャへの負荷を理由に、他文化圏からの移民しめだしに動くぞと算段して、毎日、あの下卑た大口を開けて笑いころげていたが、あにはからんや、カナダの可愛げのない御曹司トリュドーは軽蔑の色を隠さず、トランプたちが期待した、期待される資質十分のオーストラリアのターンブルも、まったく同調してくれなかった。

個人的にバラク・オバマの友人であって、選挙中から公式の席でもトランプは嫌いだと述べていたニュージーランドのジョン・キーは、もちろんで、ジョン・キーの盟友で、首相をついだビル・イングリッシュも、トランプへの敬意はまったくもっていないのが、歴然としていた。

多分、本人にとっては予想外の孤立のなかで出発したドナルド・トランプの思想的影響力にとどめをさしたのは、意外なことにフランス人たちで、マリールペンをゴミ箱に捨てて、本質的に極めてフランス的なエリートであるエマニュエル・マクロンを選ぶことによって、フランスの誇りを取り戻してみせた。

われわれは、みなフランス人たちに対して自由社会の産みの親としての強い敬意をもっている。
難産で、自由を産み落とした母親自身は生き延びられなかったが、フランスこそが現代の自由主義社会を産みだした国であることは、誰でも知っている。

マクロンの勝利が決まった夜、「よく頑張りましたね」という調子のイギリス人のインタビュアーに「あなたたちに自由主義を教えたのを誰だとおもっているの?
わたしたちフランス人ですよ!」と誇りをこめて、愉快そうに、高らかに述べているおばちゃんのことを、わしは一生忘れないだろう。

ドイツのチャンセラー・メルケルが臆せず堂々と述べてみせたように、ヨーロッパはトランプの頭の悪さと無責任な人格のせいで、安全保障上の危機に瀕している。
ヘビよりも残忍さと狡猾さの点でたちが悪いプーチンの腕を縛り上げていた縄をトランプが、ほいほいと、と形容したくなるような軽薄さで緩めてしまったからで、
トランプにとってはニューヨークのパーティ会場で出来たお友達たちが出身してきた遠い北の寒い国にすぎなくても、欧州にとっては現実の脅威であるロシアに対して、自分たちだけで対峙して身構えなくてはならなくなったが、引き替えに、欧州は再び自由の灯火として世界の人間が仰ぎ見る位置に登ろうとしている。

欧州の文明が、さまざまな文明史家、哲学者、歴史学者、文学者、詩人たちによって死を宣告されたのは1919年のことだった。
グレートウォーを通じて、欧州がそこに至るまで営々と築いてきた文明は、物質的にも精神的にも隅々まで完全に破壊されてしまった。

奇妙だが判りやすい例をとると、戦争の始まり、ピストルの撃ち合いに始まって、すぐにライフル、機関銃とエスカレートしていった空中戦の終わりには、イギリス・フランス兵とドイツ兵は、ほとんど必ず相手の顔を見にもどって、手振りで挨拶して、お互いへの敬意を表してから銘々の基地に帰るのを習慣とした。

1917年になっても、まだ、リヒトホーヘンの第1戦闘航空団は、リヒトホーヘンとフライングサーカスと呼ばれた、わざと目立つように赤や黄、原色の色とりどりの塗装をほどこした戦闘機に乗って、ほとんど「空の騎士団」の趣を呈していた。

しかし、もうこの頃には、地上では、後の第二次世界大戦と較べても、遙かに悲惨な、人間を殺傷するものなら何でもありの、人間の精神の限界を試すような戦闘が繰り広げられていた。

個々の人間の思惟や嗜好、志操の高さなど問題にしない文明という鋼鉄の爪が、人間性そのものを引き裂いて、戦場をのし歩くようになっていた。

やがて空でも、儀礼もなにもわきまえない「勝てばいいじゃん」「空の騎士なんて気取るのはくだらない」のカナダ人たちがやってくると、空中戦も文明から文明への変化に呼応して、無慈悲なものになってゆく。
リヒトホーヘンがカナダ人やオーストラリア人たちが見守るなかで戦死するのは1918年4月21日のことです。

欧州文明が、普遍性を失って、さすらい始めるのは、だいたいこの頃のことで、代わってアメリカが自由社会のチャンピオンの階段を駆け上がってゆく。

アメリカが産みだした文明の特徴は、まず第一に圧倒的な物質的な冨で、日本の人でいえば、山本五十六という、あとでアメリカを相手に真珠湾襲撃という、相手をあっといわせてひと泡ふかせるだけで、戦略的には殆ど無意味な作戦を指揮したひとは、ニューヨークの下町で、ビールを一杯頼めば、見渡すかぎりの食べ物が無料であるのを発見して、「こんな国と戦争をするのは絶対にダメだ」と肝に銘じたという。

このあとも、ほとんどまるまる一世紀のあいだ物質的繁栄を継続することによって、アメリカ人の「豊かさ」によって形成された精神は、国民性になって、それはどういう感じのものであったかというと、まだわしガキの頃は、田舎に行くと残映が残っていて、例えばシャンパンというイリノイの田舎町に行くと、歓迎の宴がひらかれたレストランで、1kgのステーキの固まりがテーブルに並んだめいめいの前に置かれる。もっと異様な感じがしたのは、イギリスならば一枚か二枚、そっと手にするソビエを、女のひとや子供たちも含めて十数枚わしづかみにして、使うことで、おまけに、なにしろオントレーもなにも巨大な量なので、レストラン中の人間が半分も食べられなくて、どうするのかとおもって見ていると、ドギーバッグもなにも頼まずに、ばんばん捨ててしまう。

いまは、もちろん、環境保護運動や、食べ物を大切にしましょう運動で、まったく異なるが、1990年というようなその頃はまだ、田舎にいけば、「アメリカ的気分」というのは、自分が必要とする量の二倍も三倍もモノを獲得して、過剰な物質にひたりきって、しかも価格など考えないで、どんどん手に入れる、というようなのが「アメリカ文明」の気分だったと思います。

一方では、それとまったく対照的な清教徒的な質素さは、カンザスやなんかに集住していた北欧系移民たちが強く保持していたが、アメリカの、はっきり言ってしまえば「醜い冨」は、もともとアメリカ文明の基盤をなすものだった。

そのなんともいえない卑しさに満ちた物質的繁栄の沼地からドナルド・トランプは現れて大統領になった。

よかったのは、トランプの「白い人がいちばん」の、幼稚で、しかし危険な気分がアメリカの外へ広がっていかなかったことで、連合王国は、多分、左側のポピュリストであって、わし友にいみじくも「結婚詐欺師みたいなやつ」と評されて、わしを大笑いさせたコービンに引き摺られる政治的な痴愚化が起きていることをみても、どうやら経済的な繁栄の終わりの始まりに立っていて、これからまた長い国有化とストによって停止する生活活動と、移民に対する敵意を隠匿した居心地がわるくなってゆくコミュニティの坂道を、ゆっくりとおりてゆくに違いない。
もともと人種差別的な傾向が強い社会なので心配されたオーストラリアとニュージーランドは、トランプが、両国の国民が抱いている「醜いアメリカ人」そのままの人格であることが幸いして、返って、反面教師になって、ほんとうは移民をしめだす機運だったのが、「ああなってしまっては、どもならん」で、冷静さを取り戻している。

もっとも、もともとのお国柄がお国柄なので、口にしないだけで「アジア人は死ぬほど嫌い、無条件に嫌い」な人は相変わらず多いのは判り切っているので、これが反移民運動になって爆発すると厄介なので、もっかは、数年というつもりで、主にアジア人の移民を制限することを目的とした厳しい移民資格制限を設けている。

英語圏はどこに行こうとしているのかというと、国家としてのアメリカは暫くどんどんダメになってゆくかもしれないが、多分、90年代の「ブロークンイングリッシュ文化」に始まったマルチカルチュラル社会が飽和に達して、それに対する悲鳴とでもいうような白人至上主義と国境主義の巻き返しが起きて、これから十年二十年という時間をかけて、いまの、まだこなれない多文化社会を定着させて、なんとか消化して、この平衡を保とうとしていくに違いない。

だいたい、普段の会話では、欧州、豪州を問わず、いまくらいの多文化配合でちょうどいい、というひとから、ちょっとアジア移民やアフリカ移民が多いかなあ、でも自分の生活の範囲では気にはならんね、このくらいは多文化社会をめざせばやむをえないだろう、くらいの広がりで、以前に較べると、「もっとどんどん移民をうけいれるべ」という人はいなくなった。
一方では「移民を追い出すちまうべ」というほうは、極右の怒号としては聞こえてくるが、こちらも普段の生活では耳にしません。

クルマの世話をよくお願いする腕のいい整備工のおっちゃんが、「自分のことしか考えないアジア人たちには我慢ならないねえ。あいつら永住ビザがあったってなんだって、犯罪を起こしたりすれば、どんどん追放して国に送り返せるようになってくれないと、不公平だとおもう。そう、おもわんかね、ガメ?」というので、
「2007年から法律が変わって、もうそうなってるみたいよ」と述べると、あらま、っと云うような顔をしていたくらいがゆいいつで、案外と淡々と暮らしています。
肌の色を問題にしていない、というよりも、気にしてない、いないことになっている、という人も少なくはない。

自分自身についていえば、新しい世代の移民が増えて、食べ物がチョーおいしくなって(←こればっかり)、経済は活性化されて、いままで、のおんびりだった欧州系人もシャカシャカと働くようになって、もっと移民にどんどん来てもらえばいいんじゃない?とおもうが、ま、正直に述べて、わしはチョー少数派で、意見を述べるたびに、「また、ガメはあんな無茶苦茶をいう」という反応でしかない。
そーゆー因循旧弊なことでどーする、とおもうが、人間には肌でなじんだ社会というものがあるので、やむをえないといえばやむをえない。

よく、「ガメ、そんなことばかりいうが、きみは90年以前の、あの、人間のぬくもりがあって、やさしい感じのするロンドンがなつかしくはないのか」と言われるが、幸福な子供時代を与えてくれた、みなが気心がしれていて、おとなたちの笑顔にあふれた昔ロンドンはたしかになつかしいが、そんなもん、いまさらグダグダ言ってても、お亡くなりになってしまった社会なんだからしょーがないじゃん、と考える。

日本語なので、こっそり言うと、オークランドやメルボルンでなくて、クライストチャーチを溺愛していたのは、あの街は実に20世紀の終わりまで昔のイギリスのあたたかみを残していたからだけど、英語では、たとえ口が裂けて、「わたし、綺麗?」のおばちゃんになっても、そんなことは言いません。
このあいだ、あのでかいマスクをした女の人は、貞子ちゃんとおなじ映画のキャラクタだとおもっていたら、ツイッタで相手と話がぜんぜんあわなくて、調べてみたら実在の人で、むかし話題になったようだが、それは閑話休題ネタであるとして、
わしは、こっそりクライストチャーチでイギリスのぬくもりを、ずっと後まで堪能したので、もういいのです。

じっと見ていると、ごく自然に吐き気がこみあげてくる、トランプの、これ以上ないほどの醜い顔と表情をみながら、このくらいなら、英語世界も、まだもう4.50年は保つかもな、とひとりごちてみる。

この次にくるのは、多分、「外国語としての英語で築かれた世界」で、その頃にはナイジェリアをはじめとして、世界に広がりはじめたアフリカ文明人が、バントゥに引き継がれて、「アフリカの世紀」がやってきていることだろう。
そうして、その揺籃は欧州であるはずです。

その理由や歴史的な必然性については、また、今度。

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ガメ・オベール人格

くだらないことをおぼえているのねー、と感心することがある。
くだらないこと、と言っては悪いに決まっているが、わしが書くブログは、現実については、ほとんど脚色なしで自分の身に起きたことを書く(そうでなくて、あれだけの量のお話がつくれたら正真正銘の天才である)ので、当然、細部は変えてある。

最近の数年は、ほとんどモニさんと一緒に時間を過ごすので、ときどき、この挿話は、こっちの記事ではモニさんの身に起きたことになっているが、こっちはガメさんの身に起きたことになっていますね、となかよしのお友達が言ってくることがある。
効果覿面、というか、そういう重複記事を書くと、一回に5,6人は来ます。

ふっふっふ、見たな、と考える。

昨日の「死語」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2017/06/17/leukemia/

の場合だと、こーゆー、3年前の記事「阿Q外伝」(←「阿Q正伝」のダジャレ)
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/11/05/q/
があって、「こっちだと、モニさんになってますね」と、むかしからのお友達が書いてきた。

長いあいだブログを読んでいる人は、当然、こういう例が無数にあることに気付くが、前から何度も説明してあるように「これは特定を避けるための約束ごとだったな」と判っているので、笑っているだけです。

 

ときどき頭が悪いトロルおっさんたちが鬼の首でも取ったように吹聴して歩くらしいが、バカな人はバカなので、もう相手をしてあげるのも業腹であるし、またあらためて説明するのもめんどくさいというか、第一、むかしは「おまえの家を探し出して門の前に隠しカメラを設置してやる」とか年中いってきていたトロル対策として気を付けるために始めたのに、トロルにトロル対策なんです、と述べてもおとなしく聴いてくれるわけがない。

細部を変える方法がない、例えば自分が出た大学のことなどは、だから初めからいっさい書かないことにしているが、蛇の道は蛇、おそろしいもので、むかしアカデミアの人に図星を言われて、ぶっくらこいてしまったことがある。
このときは、どうも、酔っ払って自分の大学を「コメディアン養成所」と書いたのがまずくて、イッパツでピンと来たものであるらしい。
出身大学に関係があるわけでもない日本の人なので、たいそうぶっくらこいてしまったが、念のためにいっておくと、マジな俳優も輩出してます。
ま。全体の傾向からいうと歴史的には無職者大量養成所ですけど。

いまでは筆名化しているが匿名にしたり、ビミョーにディテールを変えて誤魔化したりしているのは、単にゲームブログの昔から、そうしていて、いまさら違うスタイルにするのがめんどくさいということもあるが、なんだかそうしているうちに日本語のなかに「大庭亀夫またはガメ・オベール」という別人格が出来上がってしまったので、それでいいや、というか、日本語が実人生に干渉しないためには、そっちのほうが都合がよい、という発見をしたせいもあります。
書き出した頃は意識しなかったが、何年も経って、実人生とブログに記録される日本語版自我である大庭亀夫とのあいだに、かなり乖離が生じていなくもないいまになると、なんとなく、現実の可愛げがなくえばっている自分よりも、日本語のブログに記録される、ほんとうの姿であるが、描線が、ややマヌケな自分のほうが自分として好きなのでなくもない。

羞じらいもなくいうと、自分の一生は、物質的にも精神的にもうまくいきすぎていて、五分に一度は木に触ればならないほどで、労働は自分がどうしてもやりたいときにやればよくて、投資の方針が図にあたって、財産は増加する一方になり、リスクの係数がゼロに近付いているのに、勢いというものは怖いもので、ニュージーランドだけで税金を払うのは名前が広く知られてしまうという点で都合がわるくなった。
母親に似て、なんだか妙に生真面目な、この世の生き物だとはおもわれないほど美しい子供がふたりいて、天人にも五衰があるはずなのに、容貌と容姿とが一向に歳をとっていかない不思議な伴侶がいる。

おとなになるというのは、こういうことか、というか、昔すべりひゆたち古い友人に対してよく冗談で述べていた「温厚で成熟したおとな」になって、若い時にはおとなになると退屈なのではないかと思っていたが、まったくそんなことはなくて、朝起きてから、よし今日はこれとこれとこれをやって遊ぶぞと決めて、あるいは、なああああんにもしないぞ、と決めて、夜まで、あっというまに時間が経ってしまう。

日本語で考えたり、書いてみたりすることも遊びの一部に定位置を占めていて、他のことをやりながら、ときどき日本語世界をのぞいて、書き込んでみたり、他人がやっていることを眺めてぼんやりしていたりする。

最近は日本の人への親切心がゼロに近くなって、またしても羞じらいもなく述べると、ここまで来てしまったのは自業自得やん、さんざん人が心配して述べたことを嘲笑しておいて、いまさらなにゆーてんねん、どうでもいいや、とおもう気持ちが抑えられなくなって、おもしろげでなさそうなこと(例:共謀罪)は興味もなくて読みもしなくなったが、文化上のことや、食べ物や、日本語世界独特の、ちょっと壊れたような情緒が視界にはいると、ゆっくり相手をして遊ぶ。
そういうことになると、日本はまだまだ面白い文化をもった国で、へえええー、と思ったり、おおおおーと思ったりで、奇抜で、見ていてなんとなく嬉しくなってしまうようなことがいまでもたくさんあります。

英語のほうの人格はというと、もうほぼ固まりかけて来ていて、育ちがよくて裕福なおっちゃん(←自分で言っている)というか、家事は他人まかせ、仕事はどんどん有能な他人に割り振ってスカイプであれこれ話をしているだけで、ときどき、あちゃあ、なことが起きるが、なにしろ仕事の仲間のひとびとは、極端に頭がきれるひとびとばかりなので、あっというまに解決されて、どうしてこの状態で自分がボスなのか、まあ、帽子みたいなもんかと思ったりして、仕事は仕事で、どんどん成長していく。

そもそも就職したことがないのでCVは書いたことがないが、神様に「自分が得意なことを書きなさい」と言われたら、「うまくいっていることに倦まないこと」と書くのがよいのではないだろうか。

膨大な、と言ってもよいエネルギーと時間とオカネとが、主にモニさんの管理によって、貧しいひとびとや、人生ののっけから運が悪かった子供、クソッタレな人間に飼われてぶち捨てられた犬や猫、というようなものに注ぎ込まれているが、不遜なことをいうと、ときどき、人間の一生って、このていどのものなのか、とおもうことがある。

人間の一生なんてたいしたものではない、たいていの人間にとっては片手間で一生の成功などは達成できる、そんなものに夢中になるのはくだらない人間のやることだというのは家訓のようなものだが、ではどうすればいいか、という苛立ちは、イタリアまで娼婦のあとを遙々追いかけていった先祖のおっちゃんでなくても、わしでも持っている。

ダメな人間に、なぜ彼がダメであるか言って聞かせるのは、無駄というものだが、ダメな世界に、なぜ世界がダメなのか解き明かしてみせるのも、結局はムダな努力なのではないか。

子供の時にはモンテーニュの一生は、なかなか魅力があると考えたが、あるいは気まぐれを起こしてハーレーに見せないままで引き出しにプリンキピアをしまったままのニュートンの一生は良いかもしれない、と考えたが、人間の一生は有限であることによって永遠を憧れすぎるという欠陥を持っている。

永遠をみないことだ、と詩人は述べたが、あれは永遠が眩しいからではなくて、永遠がもつ価値は有限がみせている幻想にしかすぎない、と述べたのだといまさらになって気が付きます。

夢のなかで、霧のなかから忽然と現れた自分自身に「きみはいったいどこへ行くのかね?」と問うと、なぜ判らないのか、という顔で、「過去へ」と言う。
それ以上は問わなかったが、もし問うていれば、夢の中の自分は、未来というものへの深い軽蔑を語って聞かせてくれたのかもしれません。

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死語

自分を説明する、というようなことはしたことがない。
特にまわりが自分のやることを誤解したり理解できなかったりして、大騒ぎして責め立てるようなときがそうで、日本のひとなどは、そういうとき、謝れ、謝れの大合唱になるが、謝る理由がないのに、謝る必要は感じない。
それは何が起きているかが理解できないきみらの問題で、ぼくの問題じゃないよ、もっとしっかり考えてみればどうか、とおもうが、
そんなことを言うとますますたいへんで、日本語世界では、こちらから見ていると「ネットを挙げて」という勢いで非難の大合唱になるのがわかっているので、ほっぽらかしにする。

投げやりにみえるかもしれないが、この方法は案外よくて、説明も弁解もしないので、自分の頭で考えてわかる人しか残らないので、英語でも日本語でも、真の友達だけが残ってゆくという利点があります。

日本語の場合は特徴があって、藤沢のスーパーマーケットでチーズを物色していたら、わしの手をおしのけて自分の手にとってみるおばちゃんがいる。
いちどならず二度三度と押しのけるので、失礼に耐えかねて手を払いのけると、
「ガイジンさんて、こわいわねえ、わたし、手をたたかれたわよ!」と友達に述べている。

雛形というか、こういうことが原型で、再三再四、集団でニセガイジン呼ばわりして、マンガ的なことに、自分ではどうやら「本格的な英語読解法」とでも思い込んでいるらしい、日本の大学受験の便宜につくられた「構文解析」を駆使して、わし英語がインチキであると証明したと触れ回っている人がいる。
このひとなどは、では、対象の現代英語用法を持ち出しては、露骨に受験でこときれてしまった人生の、この人の馬鹿っぷりがわかって気の毒なので言わなかったが、例えば短い表現でもロバート・オッペンハイマーが引用したことで有名になった
“Now I am become Death, the destroyer of worlds” みたいな英語表現は、どう「構文解析」するつもりなのだろうと可笑しかったが、このひとのこそこそとした陰口で、ああ、日本人だなあ、とおもったのは、どうやら敵わないと観念したらしいところで、
「しかし、英語人が相手の英語をくさすようなことを言うことはありえません」と講釈をたれはじめたことで、自分で失礼なことを述べておいて、なんとも言い返せなくなると、相手が失礼なことを述べかけたようなことを言い出すのは日本人の特徴である気がする。

残念なことに、日本の人は、くやしさのあまりだかなんだか、名状しがたいほど卑しい態度を示すことが多くあって、おなじように議論してみる相手の中国人やインド人と較べると、そういう表現をするとまた逆上するのが判っていても、明らかに劣っている。

日本語という言語全体の地盤沈下は、目を覆いたくなるほど、といいたくなることがある。
わしが日本語に興味をもったのは、まず第一には、子供のときの、親切で豁達な日本のおとなたちに囲まれて暮らしたパラダイス体験が理由だが、もし「細雪」や「俊頼髄脳」、芭蕉や北村透谷がなければ、日本語に「子供のときに楽しい思い出をもった国の言葉」以上の興味をもつことはなかっただろう。

過去に偉大な文学をもった言語はいくつもある。
ところどころ偉大な作家を輩出した言語もいくつかある。
でも11世紀初頭というような時代に、長大で、複雑で、入り組んだ、人間の手に負えない人間の心理を表現した小説を生んで、そこからほとんど絶え間なく、現代のいまの瞬間まで普遍性を感じられる文学を生み続けた言語は、数えるほどしか存在しない。

日本語に興味をもった最大の理由はそれで、すぐれた文学を生み出しうる言語は、必ず、その民族の血のなかに分け入っていくだけの価値がある言語だからです。

いっぽうで、ときどき、主にインターネットや新聞メディアのようなものを眺めていて、日本語という言語は寿命がつきたのではないかと思う事がある。
日本語との付き合いは10年になるとおもうが、この10年、日本語世界で語られてきたことは堂々巡りとしか呼びようがない議論で、北に十歩行けば、南に十歩行き、東に八歩行けば、西に八歩もどる。
言い方を変えれば右往左往で、その右往左往を支えているのは、日本語に瘴気としてたちこめる独特の語法で、ただ「日本人は、ゼノフォビックなのではないか」と言えばいいものを、「もちろん、そうでない日本人もいるし、一概に言ってはいけないのは承知しているが、日本人のなかには外国嫌いが、少しいきすぎる人もいるのではないか」としか言えなくなってしまっている。

そういうバカみたいな言い方をしないと「日本人として一緒くたにするのは乱暴すぎる」「ぼくは違う」「暴論であるとおもう」といっせいに不快の表明がロジックの不備追究の形で始まるからで、見ていると、議論全体が、なぜ日本人だというだけで、そんな言い方をされないといけないのか、とか、私は日本人だが韓国人の友達も中国人の友達もいる、そんな言い方は酷いとおもう、というほうに、どんどん流されてゆく。

ほんとうは、「日本人は、ゼノフォビックなのではないか」と問いかける発言者と、その発言を聞く人間の集合全体にとって「もちろん、そうでない日本人もいるし、一概に言ってはいけないのは承知しているが、日本人のなかには外国嫌いが、少しいきすぎる人もいるのではないか」というようなレベルのことは当然のこととして常識として了解されいなければいけないのに、社会としてその常識を欠いているか、あるいは何らかの理由で常識を欠いている「ふり」をするせいで、議論がどんどん低劣なものになってゆく。

めんどくさくなってきたので、自分を例にして結論を急ぐと、なんだか英語が判るふりをして、ニセガイジンと囃し立てつづけてきたはてな人たちが、ニセガイジンと信じたとすれば、ほんとうの理由は、自分でいうのはさすがに、ははは、な感じはなくはないが、もしかすると、こちらが習得した日本語が彼らの目からみて「上手に過ぎる」からではなかろーか。
いっぽうで、実は英語が理解できないので、わし英語の評価ができなくて、英語を母語としない人間が書けるわけがない英語なのは、理解できないのであるとおもわれる。

(はっはっは、言ってしまった)

些末な例をだして話をしてしまったが、日本語全体が世界の現実から切り離されて、どこか、まったく架空な世界へ飛んでいってしまったような実感がある。
言語として、全体が無効であると感じます。

そのことには、自分に引き寄せていうと、どういう理由によって悟ったのか、この頃はトロルおじさんたちは都合が悪くなったらしく「おまえの英語はニセガイジン英語」は慌てて削除して、作戦を変更して、旧来の「反日ガイジン」に戻ったらしいが、日本をちゃんと見つめることなしに、まともな日本語を書けるようになるわけがない「質量のある現実」のほうは、どうでもいいらしい。
「自分は英語が英語人よりも出来る」という宣言だけで、英語が出来ることになって、わし友英語人たちの英語を「たいしたことない」「自分のほうがうまい」と述べるのに日本語でしか言えないことの不思議さを自分で意識すらしないところが、「宣言してしまえば、それが真理」の、いまの日本人の杜撰をあますところなく示していて、そうおもって安倍政権をみれば、なるほど、その手の国民が信任した政権だと、簡単に納得できてしまう。

日本語は現実の重みをまったく欠いた言語になって、放射能が安全だと屁理屈をこねれば、おどろくべし、俄に放射能は安全なものになって、中央銀行が市場にオカネを投下しまくるという「机上の繁栄」が、現実に日本の繁栄だということになってしまう、なんだか文字通りの子供だましの経済繁栄が出現して、いっぽうで、日に日に貧しくなる実際の生活は気のせいだということになってゆく。

ここでは詳述しないが、日本の社会の五衰の根源にあるのは日本語そのものの老衰であるとおもう。
言語が現実から剥離して、言語だけで自己完結する詭弁の世界に陥るという事態は西洋世界では古代ギリシャの末期が知られていて、その結果、古代ギリシャ諸都市はすべて滅びてしまった。
ローマ人たちが子弟にギリシャ語を必須として課しながらギリシャ人の考え方をまねることを厳禁したのは、そのせいでした。

近くは訓詁に凝った清代の中国や韓国がそうで、この二国は結局、当時は現実に密着した言語をもっていた欧州と日本に蚕食されていくことになった。

われわれが日本という社会に見ているのは、実は、「言語が死に瀕した世界」で、そのことは判り切っているが、それをどう当の死語の体系のなかで暮らしているひとびとに伝えればいいかというと、マヌケなことに「途方にくれます」としか言い様がなくて、なんだか曖昧な、ぼんやりした気分になってしまいます。

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ミナの誕生日に

もののけがいる
もののけが いて
よく見ると5センチくらい地面から浮き上がったまま 左足の拇指を、右足の拇指でかきながら
照れくさそうに Grosgrainの店先にたっている

おもいきっておおきな黒いリボンがついた黒い麦わら帽子をふわっとかぶってみる
違うひとになったみたい
と うっとりしている

Grosgrainの店先には
いろんなひとが来るんだよ
ネットの上にある店だから やましい心のひとには みえないんだけど

ひとだけでなく 精霊や動物たちもやってくる
ハイランドキャトルとエミューが 肩を寄せ合って店先を覗き込んでいる

この帽子は素敵だけど
ダメだな
ぼくの頭はちいさすぎる

わたしの頭はおおきすぎるし
角が邪魔でかぶれない

魂と魂がふたつの滝のように流れ込んで
ぶつかりあって きらきらと反射する
水のしずくが
ミナの
途方もなく透明な
不正をにくむ心の陽光のなかでおどっている
どんな画家にも描けない七色に彩られた
虹をつくっている

帽子屋さんなのに
政治に抗議して 駅のまえにひとりで立っているんだって
と 貘がいいにきたのは
もう3年前ではないかしら

貘とぼくは
人間には姿がみえないのをいいことに
ミナの横に立って
シロツメクサの花を編んで たすきにして
一緒に おおごえをはりあげたものだった

よろしく おねがいしまああああーす
この世界を助けてください
この世界は もうすぐ死んでしまいそうなんです
おねがいです
助けて

さて これから貘とふたりで
地獄の閻魔どんの家まで出かけて
6月16日生まれの前田ミナがやってきたら
ここはあなたの来るところではなくて
この炎の道をずっといった
突き当たりにあるエレベーターで
あがっていくと層雲があって 積雲があって
鰯雲をぬけたくらいのところの最上階に
神様達が宴会をしているペントハウスがありますから
まっすぐにそこへおでかけください
と言わせるように念をおさなければ

ミナがこの世に生まれてきたことは
なんていいことだろう

6月16日になると
神様も酔っ払って
ミナの頑固を祝福する

何年も枯れない花を愛でるひとのように

ミナ、@MinaMaeda、 誕生日おめでとう!
いえーい!

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ふたりの車夫

Tank Manという。
天安門事件のときに素手で学生達の虐殺と鎮圧に狩り出された戦車の車列の前に立って、戦車が回避しようと右に操舵すれば右側に動いて立ちはだかり、左に回頭すれば左に歩いてまた立ちはだかる。
戦車が茫然とした様子で停止すると、今度は戦車に飛び乗って、中の戦車兵たちと口論する。飛び降りてきて、また戦車の前にたちはだかる。

この間、終始、ひとりで、手にはなんの武器ももっていずに、武器をもっていないどころか、なんだかぶらりとやってきて、自分の生命など何ともおもわない態度で戦車を止めてしまったような印象の人で、いまだにどこの誰であったかわからず、その後どうなったのか、行方も知れない人です。

一部始終が動画に撮られて、日本のマスメディアだけは、「戦車が広場を離れるときに起きた事で、阻止の意味はなく、あんまり意味がない行動だった」、たいしたことではない、とくさして、いま見たら日本語wikipediaにもそう書いてあって、さすがは日本人と感心してしまったが、英語国民などは単純なので、その「さりげない」と言いたくなるほどの、静かな、でも圧倒的勇気、ケーハクに述べて、桁違いの人間としてのカッコヨサに痺れて、中国人なるひとびとは自分たちが内心バカにしていた自由の価値が判らない野蛮で礼儀知らずな人間の集まりなのではなくて、自由を求め、自由のためなら生命を捨てることも厭わない文明人の集団なのだということを悟ったのでした。
圧政政府と戦う自由主義者としての個々の中国人という、いま西洋人に広く行われているイメージは、この若者の孤立無援の勇気が嚆矢だったのではなかろーか。

後年、いまに至るまでビデオを観ながら「自由が奪われそうになったとき自分にはこれが出来るだろうか」と自問した若い人間は世界中にたくさんいたはずで、ぼくももちろん、緊張した面持ちで、自分の勇気を自分に尋ねて試す息苦しい作業を何度か繰り返すことになった。
人間の勇気って、すごいものだな、と少し突き放して考えたりした。

あるいは、Tears of a Rickshaw Driver というNicholas Kristofが書いたチョー有名な天安門事件レポートがある。

「1989年6月3日、わたしは北京のthe Avenue of Eternal Peaceに立っていた」とクリストフは書きはじめる。
天安門広場のすぐ脇です。

学生達は、もちろん、まだまだ先行きは長いものの、大幅に軟化した政府の態度の変化に喜びを隠せず、警察に感謝の言葉を述べたりして、一緒にいた市民たちとも、やがてくるとおもわれた自由社会の跫音に一緒になって耳を傾けていた。

そこに人民解放軍が突撃してきて、まず一団の学生たちを撃ち殺す。
銃撃されて血まみれになった同級生を救うために、多くの学生が駆け寄ると、また一斉射撃で叫び声をあげながら瀕死の学友の救援に駆け寄る学生たちを容赦なく銃撃する。

呼ばれて駆け付けた救急車にも銃撃を浴びせて救急隊員が負傷する。

一瞬で、文字通り血の海と化した通りに茫然とたちつくすこの特派員は、そのとき、ひとりの、汚いTシャツを着た、がさつな「高校も出ていなさそうな風貌の」人力車夫に気が付きます。

まわりの見るからに教育程度が高く身なりもいい若者達とは対照的な外見のこの車夫は、ところが、人力車の方向をくるりと変えて、兵士たちが擬している銃口の列のすぐ前に出て、傷付いた学生達を自分の人力車に乗せ始めた。
おれを撃てるものなら撃ってみろ、といわんばかりの行動。
誰もが車夫が撃たれて死ぬ姿を思い描いて、目をつぶりかけたとき、
他の車夫たちが、いまだに銃口を向けている殺気だった兵士の群を遠巻きに後退して眺めていた学生たちをかきわけて、傷付き、あるいはすでに生命を失った学生たちの身体を、自転車で引く三輪の台車に次々に並べていった。
引き金を引けずに震えている兵士達の目の前で踵を返して次々に負傷した若者達を車夫たちは運び去っていった。

Nicholas Kristofたち外国人特派員たちは、この彼らが「無教育まるだしで、粗野な」と文中で表現した車夫たちの、桁外れの勇気とヒューマニティにぶったまげてしまう。
そうして、それが「善を信じる魂」だけが演じられる勇気であることに気が付く。

あとで聞くと、居合わせた特派員のおっちゃんのなかには、あまりのことに、いいとしこいて泣き出してしまった記者たちもいたそうで、人間の善意がこれほど強烈なものだと、それまで考えたことはなかった、という。

最近、日本は善意志の存在しない社会だ、とぼくは何度も書くことになった。
慰安婦をめぐる強い悪意に社会全体が支配されているのでなければ起こりえない議論ともいえなさそうな議論や、お家芸というか、強姦を握りつぶす警察に業をにやして、意を決して自分の実名と顔を公開する形で強姦被害者が会見を開いてみると、「けっこう美人じゃん」「どうせ売名でしょう」という声が当たり前のように返ってくる。

「で、それをやるとおれはいくら儲かるの?」というだけが行動原理の基礎をなしているのだとすると、社会のたいていのことに説明がついてしまいそうな日本の社会を眺めていて気が付いたのは、日本の社会には善なる意志が存在しないことで、
妊娠後期に新宿の駅で倒れて失神したまま、30分を放置されていたアメリカ人や、事故で、舗道に倒れていて意識はあるが身体は動かせない状態で「頼むから、誰か手を貸して、わたしを 助けて」と祈っていたら、何十人もの人が知らぬ顔で通り過ぎたあと、やっとひとりの若者が自分のほうに向かって歩いて来て、ああ、ありがたい、これでやっと助かる、と思った瞬間、自分の身体をまたいで歩いてしまった、と後で、この人が日本人の感想を聞かれるたびにひとつ話に話して大笑いしていたようなことは、考えてみて、どうも日本の社会には「善」自体が存在しないからではないかとおもうようになった。
善なる意志が存在すれば起こるはずがない人間性の卑しさを手のひらに載せて相手につきつけて嗤ってみせるようなことが、日本語世界では、毎日のように起きていることに気が付いた。

そのことを日本語で述べてみると、「西洋社会とは異なって日本人は宗教をもたないから、あたりまえなんですよ」という声が最も多くて、あたりまえだから仕方がないんじゃないの?がいかにも日本で困るが、それとは別に、「絶対神の欠落=善の不在」と自分でもむかしは考えた意見をきくたびに、考えたのが、この事件の車夫たちのことでした。

説明がつかないのではないか。
中国にはキリストもマホメットもおらんのやで。

車夫、で思い出した人もいるのではないだろうか。

「一件小事」という有名な魯迅の文章がある。
小説とは到底呼び得ないような短い文章です。
初めて「A Little Incident」という、この文章を英語で読んだときには、名前のさりげなさのせいもあって、意表を衝かれて、おおげさにいえば、なんだか心理的な恐慌状態に陥ってしまった。

短いせいで、視界の端でよく理解できないものを見たような感じで、えっ、いまのはなんだったんだろう、と思って、もう一回読む。
二回、三回と読んで、息が出来ないような気持ちになっていった。

日本語では竹内好の訳で「小さな出来事」として、至る所にテキストがあります。

小さな出来事
http://www.ribenyu.cn/space-68561-do-blog-id-12415.html

魯迅が乗っていた人力車の梶棒に衣服をひっかけて、ゆっくりと老婆が往来に倒れる。
足を止めた車夫を見て魯迅は

「私は、その老婆がけがをしたとは思えなかった。それに、他に見ている者は誰もいない。だから車夫のことを、よけいなことをする奴だと思った。わざわざ自分の方から事件をこしらえ、おまけに私の予定を狂わせてしまうとは。」

と舌打ちをするような気持ちで考える。
気遣う車夫に対して「ころんでけがをした」と述べる老婆に対しては
「私は心に思った。お前さんがゆっくり倒れるところを、この目で見たんだぞ。けがなんかするはずがあるものか。狂言に決まっている。実に憎むべき奴だ。車夫はまた車夫で、よけいなお節介ばかり焼きたがる。好き好んで苦しい目をみたいというなら、よし、どうとも勝手にするがいい」

と苦虫を噛みつぶす。
まるで日本の人を彷彿とさせる正義漢ぶりです。

そのあとに続く文章は有名なものなので、少し長いが纏めて引用します。

「 車夫は、老婆の言うのを聞くと、少しもためらわずに、その腕を支えたままで、一足一足、向こうへ歩き出した。私が怪訝に思って、向こうを見ると、そこには巡査派出所があった。大風の後で、表には誰も立っていない。車夫は老婆を助けながら、その派出所の正面へ向かって歩いていくのであった。 私はこの時突然、一種異様な感じに襲われた。ほこりにまみれた彼の後ろ姿が、急に大きくなった。しかも去るにしたがってますます大きくなり、仰がなければ見えないくらいになった。しかも彼は私にとって、次第に一種の威圧めいたものに変わっていった。そしてついに、毛皮裏の私の上衣の下に隠されている「卑小」を搾り出さんばかりになった。 」

ここで魯迅が見たものは、誰もみていなくて黙っていればわからず、老婆のいうことが客観的には信用できるともいいかねる状況のなかで、「内なる善」と自分の行動を照らし合わせて、魯迅を恐懼させたことには、老婆とともに警察に自首するという破天荒な行動に出た「善なる魂」で、よく知られているとおり、この車夫が行ったことは、この後長く魯迅の心の支えになり、ひいては日本との苦しい壮絶な戦いを経て、自分たちの社会をつくっていった中国人たちの心の支えになってゆく。

そんなマヌケな、と呆れてしまう人も多いとおもうが、神が存在しなければ善も存在しえないという若い大庭亀夫先生の仮説には、真っ向から反証するふたつの人力車夫の例があったわけで、大庭先生は、ときどきワインで酔っ払うと、じゃあ、これ、どうするんだよ、どう考えれば説明がつくとあんたは思っているのかね、と自分に向かって悪態をついている。

取調室の机を調書の束でバンっと叩いて、「証拠はあがってんだよ!」と叫びたくなる。

考えるヒントはあって、神をもたない中国人は、しかし、間柄によって何が真実かが決まるような相対価値で出来た社会を持っていない。
そこには、彼らの先祖が言語を形成するにあたって仮構した「天」があって、「理」が存在する。
西洋社会に較べれば遙かに小さく狭小な「公」を利して、自分と自分の家族の幸福を願う
、自分を幸せにしようとする強烈な欲望がある。
世界は演繹的に説明されうるものだという硬い信念をもっていて、とにかく他人の頭を借りずに自分の頭で考えて観るので無ければダメだ、という中国人は、びっくりするような数で存在する。

いちどは日本語世界に求めた「神が不要な文明」は、実は求め先が間違っていて、中国語世界に求めなければならないものなのかも知れません。

もちっとマジメに中国語をベンキョーしなければ。

日本の社会に悪意ばかりが猖獗して善意が極端に少ないのは、なにかほかのことに理由を求めたほうが思考の筋道がいいのだろう、と考え始めています。

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