病としての人種、という思想

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夕方、カウチに寝転んでいるうちに、いつのまにか眠ってしまったらしい。
窓をたたく激しい雨の音で目をさますと、時計の針が9時を指している。

映画 5 Flights Upはブルックリンに住む、アフリカンアメリカンの夫とコーカシアンの妻の物語で、ピザを食べながら、自堕落に、モニさんの膝に頭をのせて観ていたのだった。
コーカシアンの夫とアジア系の妻という組み合わせ以外は、まだ少なかった異人種間の結婚が少なかった70年代に、モーガンフリーマンが演じる画家の夫とダイアンキートンが演じている教師の妻は結婚する。
結婚数年で買ったブルックリンの五階にあるアパートにはリフトがなくて、歳をとって体力が落ちる老後を考えてアパートを売ってリフトがあるアパートに移ろうと考える。

物語の筋書きとしては、ただそれだけの映画だが、ドナルドトランプのせいでタイムリーというか、モニさんが見つけてきた映画を、ふたりでいろいろと考えさせられながら最後まで観ることになった。

途中、自分にも共通した英語文化を自嘲したくなる箇所がいくつもある。
妻が母親に、なぜ自分が結婚の相手を見つけたことをもっと喜んでくれないのだ、と怒ると、母親は「喜ぶように努力する」と述べる。
横から姉だか妹だかが「だって社会にはまだまだたくさん偏見が残っているのよ」という。

ニューヨークでも90年代初頭まではアフリカンアメリカンの夫とコーカシアンの妻では、街角でも、やや緊張して立っていたものなあ、70年代では映画のなかでは詳しく述べられなくてもたいへんだったろう、と考える。
考えてから、ああ、世界は、またこの頃の社会に戻ってしまうのかもしれないのだったな、と苦い気持ちで思い出す。
まるで自分が過去に向かって暮らしているような妙な気持ちと言えばいいのか。

ティーパーティ派のミナレットの上の人であるGlenn Beckが、トランプがSteve Bannonを首席補佐官に任命してしまったことは、たいへんなことだ、これではアメリカは巨大KKKになってしまう、とパニック気味に述べている。

CNNを観ていると、さすがのAnderson Cooperも、この新右翼運動の大立て者、THE BLAZEのオーナーである人物が、自分に向かって「あなたがたが私を信用しないのは判っているが、どうか判ってくれ。オルタナ右翼の道を開いた私は、Steve Bannonのような人間に道を開くことになるとは思っていなかった」とまくしたてるのに、呆れて、というよりも軽いショックを受けて、どう問いかけていけばよいか判らない体裁のインタビューだった。

「ドナルドトランプ自体はレイシストじゃないんだが、Steve Bannonを引き入れては話全体が、まったく趣を変えてしまう。これは大変に危険なことだ」と繰り返し言う。

観ていて、当たり前ではないか、おまえはいまさら何を言ってるんだ、と顔を歪めて笑いながら考えたアメリカ人も多かったのに違いないが、アメリカにはたくさんの「アメリカ」があって、言葉にすると冗談じみているが例えば人種差別にも、たくさんの種類の人種差別がある。

人種差別みたいに話題として不快なものを、いちいちタイプ別に挙げるようなことは、つまらないのでやらないが、簡単に言えば、無自覚な人種差別主義者であるGlenn Beckは、自覚的で、極めて攻撃的で、英語の正しい意味におけるリンチくらいは何ともおもわない、前回に「ミシシッピ型」と言って述べた最も暴力的な白人至上主義にトランプがたいした考えもなくドアを開けてしまったことに衝撃を受けている。

アメリカの人種差別のおおきな特徴は優生学的で「血」の問題をおおきく焦点に持つことです。
え?だって、欧州のナチもおなじじゃない、と思う人がいるだろうが、それはそうではなくて、ナチの反ユダヤ、アーリア人至上主義自体がアメリカの優性思想を拝借して出来たもので、いわばメイドインUSAなのだという歴史的な背景を持っている。

たとえば1920年代から30年代にかけて、週末の楽しみとして高校生たちは「The Black Stork」
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Black_Stork
の上映会に集団で出かける、というようなことがあった。

優生学外科医のHarry J.Haiseldenその人が自分で出演している、このベラボーに人気があった映画は、1917年に作られてから、都市部ではさすがに内容がなまなましすぎると問題になりはじめたので上映が男女別になったり、Are You Fit to Marry? と題名を変えたりしながら、サイレント映画そのものが人気を失う1942年まで、アメリカの田舎では人気を保ち続けた。
さまざまな遺伝病を持った人間は結婚を諦めなければならない、というような良く知られた内容の啓蒙映画だったが、ここで日本の人として注意して欲しいのは、このさまざまな遺伝的な病気のなかに、黒人であること、アジア人であること、も含まれていることで、人類にとって有色人の遺伝子を持っていることは世代交代の過程で排除されていくべき形質であると普通に信じられていた。

実際、この有色人であることを一種の遺伝病障害であるとみなす思想が、初めに法制化されるのは、実は日本移民に対しての法律である1924年の、Immigration Act of 1924が嚆矢で、アメリカで初めての人種隔離法の対象はアフリカンアメリカンではなくて、日本人だった。

もしかすると、これも一種の遺伝病なんじゃないの?と思う事があるが、生まれついて皮肉な考えかたが頭にこびりついている連合王国人たちは、アメリカ合衆国に堂々たる差別を復活させつつあるドナルド・トランプの妻が東欧人であるのを観て、なんとなくニヤニヤしていたりする。
トランプが初めの盟友と考えているらしいNigel FarageのUKIPは東欧人への差別愛好者の集いでもあるからで、Farage自身、オーストラリアやインドからの移民のほうが東欧移民なんかより遙かにマシであると述べていたりして、普段の言動から到底メラニア・トランプに人間的な敬意を持つタイプの人間とはおもわれなくて、イギリスでは根強いメラニアはコールガールだったという英国人らしく意地の悪い噂にひっかけて、ファラージュのやつ早速お祝いにかこつけてニューヨークに行って内緒でイッパツやりたいだけなんじゃないか、と当のUKIP党員が述べていたりして、なんというか、おぞましい。

ゼノフォビア的な要素が強い連合王国の人種差別に比して、遺伝学的な要素が強いアメリカの優生学的な「科学」によって形成された人種差別は、トランプ自身にも潜在意識形成的に影響していて、無意識のうちにこの人の頭のなかで形成された「人種差別思想」が「血」で定義されているために、かつてヒットラーを大喜びさせて「是非、その思想をドイツに輸入しよう」と叫ばせた優生学的人種差差別思想をアメリカに甦らせてしまった。
「白人同士、しっかりヨソ者に軒を貸して母屋をとられないようにやっていこうぜ」とパーティのドアを開けたら、どやどやと入ってきたのは、過去の大西洋を越えてナチのユダヤ人虐殺を生みだした亡霊どもだった。
自分自身が人種差別体質のGlenn Beckは、だからこそ、Steve Bannonたちの自分たちとの本質的な体質の差異を敏感に嗅ぎ分けていたのに違いない。

Brexitへの運動が、もともとは大陸的な官僚主義への反発と憂慮から起こったのに、途中でパーなひちびとのせいで異民族排斥運動に姿も性質も変えていったのと似ていると言えなくもない、トランプ現象も、当初言われたプアホワイトの怒りの表明というようなものではなくなって、本質は、白人至上主義運動に姿を変えている。

日本から観ていて、なにも嫌いだというだけで、暴力をふるったり、殺そうとしたり、国外に追放しなくたっていいだろうに、と考えるのは、もっともではあるが、白人至上主義者のGlenn Beckを心底から怯えさせているものを見落としている。
アメリカの、この種類の人種差別運動は歴史的にも強制収容所やリンチ、国外追放へ直結しやすい危険なものである。

5 Flights Upの老夫婦は、結局、アパートを売るのをやめてしまう。
自分達が、異人種の壁も越えて、世間の無理解との軋轢も克服して、お互いを庇い合うようにして生きてきた価値の大切さを噛みしめる。

2013年には、まだ、アメリカ人はあんなふうに考えることが出来たんだ、と思わずにはいられなくて、思いもかけず、そう考えた瞬間、なんとも言えない疲労感と寂寥、いったい自分たちは何をやっているんだ、という気持ちに囚われた。

こんな筈では、なかったのに

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ドナルド・トランプの世界

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ニューヨークに住んでいて、いかにもパチモンなマンハッタンのハイソサイエティと交流がある人ならば、ドナルド・トランプの名前を聞いて思い浮かべる断片がたくさんあるだろう。
もっとも、そういうパーティのなかでもドナルド・トランプが姿をみせるパーティは、なぜか白い人ばかりのパーティで、おおきなコミュニティのパーティ、例えばプラザホテルのロシアンコミュニティのそれですら、記憶をたどっても、ひとりのアフリカンアメリカン、アジア系人の姿も、記憶のベールの向こうにある会場に見つけることはできない。

入り口を入ると、右側に小さな小さな老女たちが立っていて、強制的に握手をすることが求められる。
このひとたちは誰であるかというとロマノフの最後の王女たちということになっていて、なっていて、と言った途端に「そんなことが現実なわけはない!」と怒り出すひとの顔が目に見えるようだが、アメリカの「ハイソサエティ」のリアリティの感覚は、そういうもので、日本で言えば万世一系皇統伝説のようなもので、皆が本当でないと知っているが真実なのではあって、人間の都合は、神様では理解できないほど複雑である、ということなのでもある。

ともあれ、ふたりの上品に見えなくもない王女たちと握手して、ひざまづいて手の甲にキスじゃなくてもいいのか、簡便であるなとおもいながらホールをちょっと進むと、悪趣味がトウモロコシの毛を頭から生やしているような趣のおっちゃんが立っていて、あれ、誰?と聞くと、ああ、あれがドナルド・トランプですよ、ほら、トランプタワーの、破産が趣味の男、とフランス人のおばちゃんが述べて、くっくっと可笑しそうに笑っている。

テーブルにつくと、身なりのいいフランス人のカップルとロシア人のカップルと、若い、聡明な瞳をしたロシア人の若い女の人が同席で、なかなか楽しいテーブルだった。
「あなたはニューヨークに住んでいるの?」と聞くので、いや、ぼくはまだ大学生で、大西洋を越えてやってきたんです。
両親の名代というか、偵察隊というか、と述べると、若いわしよりも遙かに賢そうな女の人は、目を輝かせて、
「わたしと同じだわ!」という。
聞いてみると、毎週木曜日にニューヨークを経ってモスクワに帰って、日曜日の夜に戻ってくるスケジュールが続いているのだという。
十年以上前の話なので、わしがいくらのんびりでも、この人がロシアマフィアボスの娘であることは想像がついて、まあ、ゴッドファーザーみたいだわ、となんとなく浮き浮きしてしまう。
一瞬、どうしてマフィアボスの娘というのは美しい人が多いのだろう、と考える。

ダンスフロアに誘うと、思いの外、緊張していて、「わたし、あんまりダンスパーティに誘ってもらえないのと」と寂しそうに述べていた。
あまつさえ、ぶっくらこいたことには、心がこもった調子で「ほんとうに、ありがとう」と言う。
ダンスに手をとって誘って、相手の女の人に「お礼」を述べられたのは、前世のハプスブルク朝のワルツ夜会が最後ではなかろーか。

こちらも、たいそう美しい人である50代くらいの女の人は、やはり話が面白い愉快な人で、旅行の話をしていたら、わたしは若いときにはベトナムにいたことがあるの、という。
それは良いが、中東にいたことがあって、アフガニスタンにいたこともあるので、だんだん聞いていて、いつもの悪い癖が出て、ふざけて、「まるでKGBのスパイみたいですね」と茶化すと、
隣に座っていたロシア版杉良太郎みたいなおっちゃんが「ああ、この人はKGBの幹部だったんですよ」というので、椅子からずるこけそうになってしまった。

それがいまはしがない国連職員なのだから、嫌になる、と呟いているおばちゃんに聞いてみると、ソ連崩壊のあと、アメリカにやってきたそうで、モスクワ大学を首席で卒業したというので、あんまりオベンキョーの話はしないほうが身のためである、とふだんはのんびりの頭で素早く計算したりしていた。

演壇にはいつのまにか、ドナルド・トランプが立っていて、大統領みたいというか、ハリウッドの大根役者が演じそうなチャラい大統領みたいなことを述べている。
あとで、おやじパリス・ヒルトンと命名することにしたが、パリス・ヒルトンとそっくりな性格で、自分のことしか興味がなくて、
パリス・ヒルトンが、あるときストレッチリムジンを降りて、途端に
「あら、あたしの3万ドルの指輪が、いま側溝に落ちてしまった!!」と叫んで、大騒ぎになって、みなで慰めて、たいへんなパーティの始まりになってしまったのは有名だが、そのときの指輪が実は40ドルのものだったことが使用人の証言でばれて、トランプという人も似たようなことをする人だった。
注目を集めるためなら、なんでもする種族は、おなじ種類のパーティに集まってくるが、このふたりが姿をあらわすパーティは重なりはしないが、おなじ匂いがある。

多文化社会の興味から言えば、トランプという人をひと言でいえば
「黒人テナントを拒否してthe Justice Departmentから訴追された不動産会社の持ち主」で、実際、この人の人種観は奇妙なくらい北欧系ロシア人たちに似ていて、自明であると言いたげな白人優越主義で、アジア系人やアフリカ系人は、差別しているというよりも人間として眼中になくて、まったく興味をもっていない。
ジョージ・W・ブッシュの母親であるバーバラ・ブッシュに代表される南部エスタブリッシュメントとも、異なって、decencyになどはかけらも興味をもっておらず、まっしろな花嫁をもらって、幸福に新婚時代を過ごして、ある日、子供が出来てみたら、アフリカ系人の特徴をもっていたということを最大の悪夢と考えるような人たちで、日本語人が、日本語の世界とは感性的に最も遠い、彼らがどういう世界に住んでいるかを理解するためには、ウイリアム・フォークナーの物語群、取り分け「アブサロム、アブサロム!」を読むのがいちばん良いような気がする。

ヘンリー・サトペンにとっては近親相姦よりも、遠い祖先に一滴でもアフリカ系人の血が混ざっていることのほうが遙かに罪深いことであって、サトペン家の最期の生き残りは重度知的障害者の「黒人の血で濁った」ジムだけになる宿命にある。

トランプがバラク・オバマの出生証明がニセモノであると決めつけたことは、だから、発想そのものが自分達を「正統なアメリカ人」と考える支持者たちの好尚に訴えていた。

気休めにもならないというか、ドナルド・トランプが選挙戦術として、数々の呆気にとられるような、他人種への侮辱的な発言を繰り返したのだと主張する人々がたくさん現れているが、本人と話したことがあったり、日頃の言動を知っている人にとっては、一連の発言こそがトランプの本質で、ミシシッピあたりの田舎に行けば、たっぷり堪能できる、その背景になっている白人至上主義文化を日本語で日本にいて理解したければ、繰り返すと、ひと夏フォークナーを読み耽るのがよいと思われる。

共和党では、すでに内部対立が深刻になりはじめて、もとから顕在化している伝統的な共和党勢力と新興のティーパーティ由来の共和党勢力との対立に加えて、ティーパーティ派内部での対立が外部に漏れ聞こえてくるようになってきた。
面白いのは、マイク・ペンスが、大統領になる野望を持ち始めたらしいことで、
ニューヨークのロシア・フランス系コミュニティと極めて近いドナルド・トランプと異なって、ペンスは有名なロシア人嫌いで、トランプとは、そういうことを軸に感情的対立が始まっているようでもある。

マケインとペンスも意外や情緒的に比較的に近くて、トランプは取りあえずは共和党保守派の顔色をうかがって温和しくせざるをえないだろうが、なにしろ飽きっぽい人で、大統領の椅子を獲るまでは夢中になって暮らせても、いざ椅子に座ってしまうと、めんどくさくなるのではなかろーか。

なににしろ、アフリカ系中東系、アジア系で言えば、なぜかそれほど嫌でないらしいインド系をやや別にすれば、中国系韓国系日系のアメリカ人にとっては、地獄の門が開いたに等しくて、ツイッタやなんかで何度か述べた、フレンズあたりから始まって、Pan Amが企画され、Mad Menがバカ受けして、Downton Abbeyまでがアメリカで人気出るに及んで、世の中の「空気の変化」を察知した英国俳優組合やアメリカのアフリカ系俳優たち、プロデューサーたちまでが「ドラマ・映画のホワイト化」に対して強い警告を述べたのが、ついにフォークナー的なアメリカ社会の呪いを呼びさましてしまった。

4年間は最低でも続くことが保証された悪夢が、まだ正式には始まってもいないことを考えると、なんだか気が遠くなるような気がしてきます。

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日本語の娯しみ2

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あまり訊かれもしないので、訊かれなければ当たり前だが、答えもしなくて、わしが日本にいたことがあるのを知っている人は、ごく少ない。
まして日本語が理解できることを知っている人は少ないというよりも、驚きであるらしくて、かかりつけの医者である女医さんなどは眼をまるくして日本語と本人のイメージがあわないという。
おおきなお世話だが、ふだん日本語では触れないことにしている、もうひとつ別に準母語と自慢してみたくなくもない言語があって、その言語との印象もあわないのだという。

なんで?
と言われるが、なんでと言われても困るので、理由などはなくて、理由がないので、日本語が理解できるのが露見して、釈明を迫られるたびに、子供のときに住んでいたことがあるから、とか、バスク語よりも難しいから、とか、甚だしきにいたっては世の中にあれほど学んで良いことが何もない言語はないから、とか、その都度、テキトーに答えている。
わしがやることにいちいち理由があると考えるような人に、ちゃんと考えて答えても仕方がない、という気分にもよっている。

言語がある程度できるようになると、母語で見知ったのとは別の人格が生じる。
誰でもすぐに気が付くように大庭亀夫という名前は、オオバカめな夫という意味に加えて、game overを和名化しただけの名前だが、この日本語人には独立した人格があって、「こんな下手な小説もどきのものを書きやがって」とコメントがいくつか来たので、やめてしまったが、自分が好きな日本語の時代である1910年代から1960年代頃の語彙を使ってつくった大庭亀夫という別人格は、英語人である自分とは、だいぶん違うように思われたので、日本語が出来上がり始めた頃、この人に勝手にしゃべらせてみたこともある。

勇者大庭亀夫はかく語りき
https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/03/29/cameo/

日本語が判るようになって、いちばん嫌だったことは、日本の人の心性の卑しさ、他人を攻撃することが大好きで、根も葉もないウソを捏造までして他人を貶めて、勝ち鬨をあげたがるバカみたいな国民性で、たとえばわしブログを読んで来た人や日本語ツイッタに付き合って来た人ならば誰でも知っている、この6年間変名アカウントをつくってまで絶え間なくしつこく誹謗中傷を続ける能川元一という人や、そのお友達の、はてなというチョー日本的な世界に群がる自称リベラルのごろつきおじさんたちがこれにあたる。

良い方は、歴然としていて、ここに名前をぞろぞろと全部挙げるとスピーチが下手なオスカー受賞者の挨拶みたいなことになってしまうので、挙げないが、たくさん日本語の友達が出来て、日本語自体が何ヶ月かでも日本の社会に住むことに興味がなくなってしまったせいで、インターネットでだけ使う風変わりな言語になっている。

正直に気持ちを述べてしまえば、ごく早い段階から日本の社会は、まるごと軍隊のようで、社会としての最低の機能もはたしていないのが見てとれたので、あんまり興味を持っていなかった。
日本の人はよく混同してしまうが、別に社会が好きでなくても、ひとつの言語族を好きになることは、よくあることで、国なんてないほうが誰にとってもずっと幸福なほどひどい社会だったソビエトロシアの時代でも、ロシア語とロシア文化が好きな人は、たくさんいた。

日本語には良いところがたくさんあって、いますぐに世界からなくなっても誰も少しも困らないマイナー言語であるのに、これほど豊穣な文学をもつ言語は他にありはしない。
谷崎潤一郎、北村透谷くらいから始まって、夏目漱石、内田百閒、岡本綺堂、無限に近いほど優れた表現がつまった日本語の本が存在して、日本語は読む本に困るということがない点で奇跡に近い。

もともとは英語で記述されたラフカディオ・ハーンの「怪談」と「奇談」は、極めて高い知性と志操の持ち主であったらしい奥さんのセツさんの日本語を反映して、英語だけの独力では難しい「静かな言語」としての英語を、強い日本語の影響力の下で構築している。

オダキンという「二次元趣味」のせいで、英語国ならとっくの昔に失職していそうな、仲のよい年長の友達に書いた自分の文章があるので、そのまま引用する。

……..

きみは、いま松江にいるそうで、正直に「うらやましいなあ」と思う。
ぼくは京都の日本海側から松江あたりまでの日本海側にあこがれがあって、柳田国男が生まれた町や、志賀直哉の短編で描かれた町、浜坂という小さな美しい浜辺のある村や、そういう場所をうろうろしてみたことがある。
松江にも行きたかったが、そのときは神戸でひとと待ち合わせをしていたので行けなかった。

ラフカディオ・ハーンという、変わり者で片眼、小男のギリシャ系イギリス人は、たいそうラッキーな奴で、その人生の後半に小泉セツという素晴らしい女びととめぐりあう。
小泉セツが英語をおぼえようとして使った手書きの英単語帳がいまでも残っているが、「アエアンナタハングレ」(I am not hungry)というような言葉を見ると、そのまま、その場を動きたくなくなるような気持ちになってしまう。
英語を話さない小泉セツと自分で発明したような風変わりな日本語しか話さなかったラフカディオ・ハーンは、しかし、「ヘルンさん言葉」とふたりで呼んで笑ったという、ふたりのあいだだけの日本語で会話を重ねながら、幸福な結婚生活を送る。

「破られた約束」のようなラフカディオ・ハーンの傑作は、今昔物語や雨月物語からの再話ではなくて、どれも小泉セツが「ヘルンさん語」でラフカディオ・ハーンに語ってきかせた松江の物語だった。
西洋人がいまでも持っている「美しい、神秘の日本」というイメージはハーンがこしらえたもので、そのもとは松江の風景のなかで生きて死んだひとびとの物語だった。

ある日、「自分にもっと学があれば、あなたの書き物の助けになったのに」とセツが述べると、ハーンはセツの手をとって自分の著作が並ぶ本棚の前に行き、
「だれのおかげで生まれましたの本ですか?」と「ヘルンさん語」で語りかけた。
一緒についてきたふたりの息子一雄に向かって、「この本、皆あなたの良きママさんのおかげで生まれましたの本です。なんぼう良きママさん。世界でいちばん良きママさんです」と言った。

ハーンが好きなものは、「西、夕焼、夏、海、遊泳、芭蕉、杉、淋しい墓地、虫、怪談、浦島、蓬莱」であったという。

「(明治)三十七年九月十九日の午後三時頃」、セツに「あなたお悪いのですか」と尋ねられたハーンは「私、新しい病気を得ました」と答える。
「新しい病、どんなですか」
「心の病です」
心の病、とは心臓病という意味です。

死の数日前、ハーンはセツに
「昨夜大層珍しい夢を見ました」
「大層遠い、遠い旅をしました。今ここにこうして煙草をふかしています。旅をしたのが本当ですか、夢の世の中」
「西洋でもない、日本でもない、珍しい所でした」という。

ハーンはそうして、五十四歳で死んでしまうが、きっと死の時にも松江の美しい風景を思い浮かべていたに違いない。

ぼくは松江の小さな家で、セツと肩を並べて、セツが「ヘルンさん語」で語りかける「破られた約束」の物語を、「ママさんの話は、とてもこわい」と述べながら、悪い視力のせいで丈の高い机に顔をくっつけるようにして原稿を書いていったハーンを思い浮かべる。
セツとハーンのまわりを出雲に集まった帰り途の八百万の神さまたちがぐるりと囲んで、小さな外国人と、ぴんと背筋をのばして座る武家の娘が、ふたりで紡ぎ出してゆく美しい物語を、人間には聞こえない声で称賛の嘆息をもらしながら、どきどきしながら聞き入っていただろう。

松江。
うらやましいなあ。
放射脳のぼくは、もう行けなくなっちゃったよ。
あれよりうまそうな出雲蕎麦の写真を送りつけた場合は、夜中の寝床で我が式神の祟りをうけるものと知るべし。

では、また

…..

松江という町は、いちど行ってみたかったのに、行かないで終わってしまった日本の町のひとつで、東京に偏った日本滞在のせいで行かなかった、内田百閒の生まれ故郷の岡山や、四国まるごととあわせて、2005年から2010年の5年間に11回も日本に出かけて、長いときは1年の半分以上も滞在したのに、出かけなくて、とても残念な気がする。
自分にはどうやら、バルセロナ、東京、ニューヨーク、シンガポールと、同じところに何回も出かけて、数ヶ月滞在するというような癖があって、それと引き換えに、いかないで終わらせてしまった町も多くて、韓国のソウルなどは、あとで、うへえ、と考えた代表ではないだろうか。

おおげさにいうと、自分の日本語の芯が、もともとは、英語の姿を借りて、松江からやってきたのを知っているからで、神様がいなくて、複雑な内容を表現できる言語ならばたいていは持っている絶対性を欠いていて、その代わりに、山川草木、1本の木や、はては竈にいたるまで精霊が宿っていることを認めて、宇宙への畏怖のなかで呼吸してきた言語の故郷が、自分にとっては松江で、行かないで終わってしまったのは、返す返すも残念な気がする。

多分、生活との接点をまったく持っていない言語であるせいで、日本語は自分にとっては、英語とは異なる情緒と感情とに入浴して変わった体験をするような、VR的な経験の時間をもたらす言語になっている。
日本語のスイッチがうまく入って、日本語というヘッドセットのなかに仮想的な現実世界が広がりはじめると、しめたもので、一度しかない一生を二度生きているような、不思議な時間にひたりはじめる。

日本語の世界には、自他の境界が明瞭でなくて、ぼんやりして、物事の基準すらゆらめいていて、意識が明瞭であるのに容易に混濁するような、不思議な特性がある。
ぼく、おれ、わし、私、余、と一人称がたくさん存在して、それによって文章で言いあらわしうる事柄の範囲と視点が限定されるという言語としては決定的に重大な特質も、そこから来ている。
言語であるのに現実だけをありのままに述べる、ということが出来なくて、社会のなかでの、その現実や、その現実に対する自分の感情的な反応が自動的に入り込んでしまう。

現代日本語の語彙の寿命の短さを手がかりに考えてみればすぐに判る理由で、20世紀までの静的な世界の処理には向いているところがあっても、現代の動的な世界にはまったく適応できない言語で、日本の社会の現在のスランプも多くはそこから来ているが、いわば趣味で身につける人間にとっては、言語全体が動的な時代に適応できなくなった死語の体系であることが返って魅力になっている。

日本語を身につけて、日本語で考えることが出来ることによって、ブログやSNSを道具につかって、タイムマシンみたいというか、どこでもドアなんじゃない?と述べるべきか、現実ではない世界に数時間という長さに至るまで、しかも、なじみはあるが自分とは異なる人格として滞在できるわけで、日本語は役にたたない、
と職業や金銭得失の面から述べたが、そういう人間の一生のアホな面をのぞけば、
西洋語の体系とはまったく異なる日本語くらい自分の一生を助けているものはないと感じる。

四時ゼロゼロ分きっかり。4秒前、3秒前、
ち、ち、ぶ、と開く秩父宮ラグビー場の門
というような、英語では表現できるわけがない日本語が点滅する日本頭に灯をともして、回文やダジャレで遊んで、日本語に分け入ると、あっというまに淫して、何時間も過ごしてしまう。

日本語は、なんだか魔法のようで、召喚された魔神のような生き物を、見上げるような気持ちになることがあるのです。

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シン・ゴジラ

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映画「硫黄島からの手紙」はメルボルンで観た。
ちょうど封切りの時期にメルボルンにいたからで、たしかサウスランドのWestfieldのなかのシネマで観たのだったと思う。
いくつかの映画館の集まりでもいちばん小さなシアターが割り当てられていて、
80席くらいの館内に、30人程度の観客で、あとでアカデミー賞を取ったとおりで、試写の段階から評判が高い映画の封切り日なのに、たったこれだけしか観客がいないのか、と驚いた。

映画が始まって、暫くすると、30分も経たないうちに若いカップルが席を立って帰ってしまった。
しばらく時間が経つと、またカップルが席を立っていって、映画はどうみても良い出来なのに、なぜなのか理由が判らなくてこまった。

シン・ゴジラは英語圏のシネマで日本語映画を観る二回目で、初め大々的に打ち上げてロードショーをするという触れ込みだったのが、試写の反応とレビューが予想外に悪かったので公開中止で、観たい人はDVD買ってみてね、ということになって、それが三日間だけ公開に二転して、小さな特別映写場で何日か公開することに三転した。
外国映画、特にアジア系の映画ではよくあることで、「風立ちぬ」は、宣伝は大々的だったのが、「訳のわからない失敗作」というレビューが立て続けに出たあと、
ニュージーランドでは公開中止になって終わった。
オーストラリアでは、やったのかどうか、訊いてみないので知らない。

やむをえないので日本からブルーレイを取り寄せて観たが、とても面白くて、結論は映画批評家たちには1945年に終わった日本との戦争に知識がなくて、零戦といっても名前を聞いたことがあって、ニュージーランド人ならば、ああ、博物館に実機がおいてあったな、と考えるくらいのことで、背景知識がゼロなので、「訳がわからない」というレビューになったのだろうと想像しました。

日本の人がシン・ゴジラを観に行った感想を観ていると、皆が皆「名作だ!」と感動していて、期待ができそうにおもえた。

シネマに着けばやることはいつも同じで、席を指定して、券を買うと、シネマのなかのバーに行ってワインとチーズを注文する。
お腹が空いていればピザを食べたりもするが、たいていは、ワイン、たいていはピノノアールを選んで、バーのカウチにモニとふたりで肩を並べて座って、ワインを飲んでミニ・おデートをする。

だいたいいつも15分プロモーションがあるのは判っているので、15分経ってから館内に入ればよさそうなものだが、案外と新作のトレーラーは観ていて面白いので、モニとわしはたいてい定刻に席につきます。
テーブルがあってウエイトレスが指定した時間に食べ物や飲み物のお代わりを持ってきてくれるプレミアムシートのときもあるが、仰々しいので、ふつうのシートに座ることもある。
シン・ゴジラは、シネマコンプレックスのなかでも、「こんなに小さなシアターもあったのか」と、ぶっくらこくような小さな部屋で、50席程度で、いちばん後ろの席でもスクリーンが近すぎてくたびれる。

半分くらい埋まった席に座っているのは、あきらかなゴジラファンで、日本人らしい人はいなかった。
ひとりだけ欧州系の男の人と一緒に来ているアジア系の女の人がいたが、中国の人であるようでした。

映画は、ゴジラ映画ではなかったのが、最もがっかりした点でした。
ちょうど、1998年版のハリウッドゴジラとおなじで、わしのような筋金入りのゴジラファンがなじんだフランチャイズムービーとしての「ゴジラ」の文脈はいっさい無視されていて、画面にゴジラが出てくるだけのことで、庵野監督という人が日本に向かって言いたいことが詰め込まれた映画に見えました。
早口でまくし立てられる、なんだか高校生がつくった映画みたいな科白まわしは、英語の字幕では大幅に内容が削られていて、日本語が理解できなければ、ふつうに感じられるが、なまじ日本語が判る人にとっては、それだけで興ざめになる体のものだった。

ゴジラファンは、よく「ゴジラに対する敬意を欠いたゴジラ映画」という言葉を使う。
北村龍平のゴジラFINAL WARSがその典型で、ゴジラはいかにも自分が撮りたい映画を撮るためのダシで、撮っている人がゴジラという存在にたいした興味をもっていないのが手に取るようにわかってしまう。

そこまで酷くはないが庵野秀明という人は、自己主張が強い人なのでしょう、ゴジラは別にゴジラと呼ばれなくてもよい、この人が独自に創造した存在で、1954年以来、延々と9割の駄作とひとにぎりの傑作で、ファンを楽しませてきたゴジラは何の関係もないキャラクタにしか見えなかった。

観ていて、かなり初めのうちから感じられたのは、そもそも庵野監督が日本国内だけを対象に映画をつくったらしいことで、日本の人にしか理解できないリアリティの表現や再現、長谷の鎌倉近代美術館の交差点から、斜向かいのいわし割烹店を見上げたアングルの楽しさまで、いかにも日本人限定で、英語人が観る前提に立っていないのがあきらかだった。

それが決定的に表明されるのが三世代目の日系アメリカ人ということになっている石原さとみが登場する場面で、口を開いて英語を発音し始めた途端、場内には(悪意ではない)笑い声が起きていた。
もんのすごい日本語訛り英語だったからで、これは庵野監督の「英語人たちよ、いいかね、これは日本人がつくった日本人向けの、日本人以外には判らない映画なのだからね」というメッセージだったのではなかろーか。

いくつかの英語の映画評論家による映画評は、この映画をゴジラをネタにしたジョーク映画だとして扱っていて、日本の人の至極真剣な「名画だ」という受け止め方と平仄があわないので、???と思っていたが、その謎は、石原さとみの登場によって解けてしまった。
わし自身も、あえて石原さとみに配役したことには庵野監督の「日本人以外には判らなくてもいい」という決心があったのだと思っています。

最後まで観ないで、席を立つ人が何人かいて、斜め前のおっちゃんは、途中から鼾をかいて眠って奥さんらしい人にどつかれていた。
退屈な映画が上映されているときの、いつもの光景で、モニとふたりでクスクス笑いながら、おっちゃんの寝顔を観たりして、それでも後半には見所がいくつかあった。

ごくわずかしかないゴジラの破壊シーンの美しさは、シリーズでも一二を争う出来で、特に赤坂見附に立って銀座の服部時計店を薙ぎ倒す前後の破壊のすさまじさと美は、庵野秀明の底の深い才能を感じさせた。

印象に残った、もうひとつのシーンは、無能だと自他共に認めているらしいピンチヒッターの韜晦首相が、ひとしきり報告を聞いて、ことなかれ主義的な指図を出したあとに、ラーメンを見つめて、「あーあ、のびちゃったよ。首相って、たいへんな仕事なんだなあー」と自分自身に対しておとぼけをかませるシーンで、このシーンの可笑しさと文化表現の深さは、英語人観客にも、とても、うけていた。
映画らしいシーンで、とても好感がもてました。
それから、もちろん伊福部昭!

日本語友人達が絶賛する庵野監督の「日本的問題解決能力」描写は小松左京から由来しているもののように見えた。
無能なリーダーを戴く、名前や人物が置き換わっても気が付かないような個性に依存しない日本的組織の効能を小松左京という人は、死ぬまで、とても信頼していた。
実際、いま調べてみると松尾諭という人なのではないかと思うが、政調副会長の口から述べられる政府の思惑やなんかは、小松左京直系の口吻で、少なくとも庵野秀明が信じている「日本の力」が小松左京的なものであることが見てとれる。

総じていって、印象は「巧みだが何かが欠けている」映画で、おもしろいことに、この感じは英語人一般が、自分ではまだ観ていないエヴァンゲリオンやアニメ全体に言う事とおなじで、もしかすると、良い悪いということではなくて、日本語世界と他の言語世界では、現実や真実に対する感じ方自体が、分水嶺からわかれて、おおきく異なってきてしまっているのかもしれない。
いまこうやって考えていても、うまく言えなくてもどかしいが、どういえばいいか、人間の魂の深いところに届かない頭のなかの観念操作だけで出来た世界というものが成立しうるのかもしれないと思わせる。

モニはシネマを出るなり、いっそサバサバした表情で「退屈な映画だったな、ガメ」と述べていた。
頷く、わし。
だけど、嫌な気持ちがしているわけではなくて、なんとなくニコニコしながら、あんまり面白くなかったね、と述べあいながら駐車場を横切ってクルマのドアを開けます。

考えてみると面白いことで荒唐無稽だと多くの人に笑われながら、どこかしら、魂の奥底に訴えかけるところがある、世にも稀な、着ぐるみ人形のシリアス映画破壊王ゴジラの伝統は、日本のゴジラではなくハリウッドに受け継がれて、日本の大部分の人に「こんなにひどいゴジラ映画は観たことがない」と言われた2014年版は「帰ってきたゴジラ」として英語人ゴジラファンを熱狂させた。
あっというまに第三作目まで出資者が決まってしまった。
あの「虫」はなんだ、と、なんだか愛情が隠せない様子で大笑いするゴジラファンたちの姿は、きっとかつて東宝が延々と駄作ゴジラ映画を作り続けていた頃のおとなのゴジラファンたちと瓜二つでしょう。

ひとつだけ心配なのは、庵野ゴジラが日本国内で成功したことによって、伝統のゴジラ世界の系譜が断たれて存在しなくなることだが、こちらも英語ゴジラでは2020年の公開がすでに発表されている三作目が「ゴジラ対キングコング」であることを考えれば、案外、生き延びてゆくのではないだろうか。

あの夜空を炎で焦がして、暗闇に向かって咆哮する、もともと核の暗喩である破壊の王は、どうしても核実験反対の映画の企画を通してもらえなかった日本の映画人たちの苦肉の策だったというが、まったく辻褄の合わない、合理性を欠いた怪獣王が、いまでも英語人たちの心に奇妙に深刻なトーンを伴って訴え続けているのは、ゴジラという生き物が、ほんとうは現実に存在してしかるべきなのに現実には存在しないという現実よりも真実性に満ちた宇宙への架け橋の役割をはたしているからに違いない。
不破大輔が述べたように映画のなかではゴジラだけが現実で、細部まで忠実に再現された現実の日本が虚構にしか見えないのは、日本文明の現実そのものが少しづつ、着実に虚構化してきているからなのかもしれません。
現実を失ってゆく日本。影が失ったピーターパンのような文明

ギャオオオオーーン!

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日本の凋落_1_貧しい繁栄

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日本人から見て、20世紀の世界と21世紀の最もおおきな本質的な違いは、21世紀が「日本が要らない世界」になったことではないだろうか。
国際共産主義とドミノ理論にパラノイアを起こしたアメリカ合衆国が戦後、防壁たる日本に過剰投資を行ったことと、その過剰投資を、アメリカの意向どおりにばらまかずに、重点をおく業界に傾斜させたネオ国家社会主義経済政策で、造船、炭鉱、から自動車・VTRへと資本を集中させたMITIの政策があたって、日本は短期間に巨大な経済を築いた。
いまでいえばシンガポールが大国規模で出現したようなもので、日本のような自由主義の看板を掲げた全体主義社会におおきな顔をされては困ると思ったものの、これに衰退されると世界中大混乱に陥るので、オカネの環の一角には加わっておいてもらうが、国際社会には存在していないことにする、という曲芸のようなことをやって自由世界は日本の存在に適応してきた。

その、「どうしようもなく強い日本」がコケ始めたのが1990年代で、それから4分の1世紀のあいだ単調に衰退して、いまでは、まだ中国の3分の1超のGDPはあるものの、ゆっくりとなら経済的に破綻しても、なんとか世界として日本の破綻を消化できるところまで来た。
経済指導者たちからすると、ひと安心、なのであると思います。

日本が衰退しはじめた根本の原因は、繁栄しても少しも個々の人間の生活がよくならなかったからで、異様な物語である「三丁目の夕日」を観て判るのは、日本人がなつかしんでいるのは日々成長するビンボ時代であった50年代から70年代で、そのあとに現実に達成された経済的な繁栄は索漠としたものと感じられている。

80年代後半の日本を眺めると、一般の、たとえば東京に住む日本人にとっては、家と呼ぶのがためらわれるような一戸建ての家を買うのに30年というローンを組まねばならず、家賃は上昇し、労働時間は長くなっていった。
地上げを拒んでいることで噂になっていた近所の長屋には、やくざがクレーン車でつっこんで物理的に破壊したという記事が朝刊に載っている。
大企業に勤めている人間には、マスメディアには載らない情報として、何千億円というオカネが簿外で銀行から暴力団に無担保融資されていることを同僚から耳打ちされる。

それまでは暴力団のほうから人目を避けて首相に会いに行っていたのが、立場が逆転して首相のほうから腰を低くして暴力団の組長のほうに会いに行くようになったと初めに証言された中曽根首相の在職は1982年から1987年です。
この頃から政府の行政指導は滅茶苦茶になっていって、使い途がない通信施設を強制的に公社に納入を迫ったり、当時公務員だったひとびとの話を聞くと、リクルート事件などは小さく見えてしまうような腐敗ぶりで、つまりは、チャンスさえあれば利権を手に入れて札束を自分のポケットにねじこむ人々が雲霞のようにあらわれて、それぞれに表沙汰には出来ない財産を築いていった。

飼い慣らされて忠実な犬然としたマスメディアの蓋で、うまく覆い隠されていた日本国内と異なって、海外からは、かえって、こういう日本の事情はよく見えていたので、例えばオーストラリアのゴールドコーストには日本においておくと持ち主の手首に手錠がかかるか税務署によって莫大な追徴金が掛けられる運命のオカネが大量に流入して、日本の後ろ暗いオカネがどんどんリゾートマンションを一棟買いしていったことが、いまだに話のタネになっている。
オーストラリアの隣の小国ニュージーランドでも、いまだによく話題になって、当時は租税条約が結ばれていなかった日本から、明らかに賄賂や脱税と判る巨額の資金が流入しつづけていた。
クライストチャーチにはフェンダルトンという高級住宅地があるが、当時の日本人の豪邸を買い漁るーーいまの日本で流行している言い方をまねればーー「爆買い」ぶりは、ただでもひがみやすい地元人の神経をさかなでして、特に日本人が集中して住んでいたエーボンヘッドを、おとなたちがジャポンヘッドというカタカナでは伝わりにくい憎悪と軽蔑がこもった言葉で呼んでいたのを、いまだにおぼえている。
通常は日本に住んでいる買い主が、息子や娘を留学させて、好奇心に駆られたひとびとが「おとうさんやおかあさんは、どんな職業の人なの?」と聞いてみると「公務員」と答えられたりして、フェンダルトン人は日本では公務員は医師を遙かに上廻る高給なのだと長い間誤解していたという笑い話まである。

そうやって、全体主義的な傾斜投資によって生まれた巨大な冨は、本来は賃金の上昇という形で分配されなければならなかったが、日本の経営者は、会社の社員のモラルや忠誠心の問題と上手にすりかえていって、文化の強制力で労働賃金を安く抑えることに成功してゆく。
当時の雑誌や新聞を読むと面白いのは、そのやりかたの「絶妙」と呼びたくなる巧妙さで、たとえば、その頃はいまと異なって圧倒的な人気があったらしい野球に絡めて、優勝チーム監督の選手管理の巧さを、なぜかビジネス誌が取り上げている。
広岡達郎というような名前があがって、個性的な田淵のような選手はダメだ、江夏は個人主義的にふるまいすぎた阪神ではダメな投手だったが、西武に入って全体に貢献するということを理解してから本物の野球選手になった、と言わせたりして、社会全体が全体主義を維持するためのメタファーのなかに、どっぷり漬け込まれてゆく。

あるいは渡辺美智雄の、伝え聞いたアフリカンアメリカンを激怒させた
「日本人は破産というと夜逃げとか一家心中とか、重大と考えるがクレジットカードが盛んなむこうの連中は黒人だとかいっぱいいて、『うちはもう破産だ。明日から何も払わなくていい』それだけなんだ。ケロケロケロ、アッケラカーのカーだよ」
発言が典型だが、人種的優越意識をからめて、日本の全体主義的な社会維持こそが正しいのだ、と強調することをおこたらなかった。

日本指導層の冨を賃金労働者にまわさず、その結果、労働コストを低く抑えて、しかも会社への帰属心をテコに労働時間を際限なく延長させていって、競争力を増大させるという方針は巧くいった。
なにしろ「自分の個人としての人生はなくてもいい」と決心しているかのように、長大な時間を労働して有給休暇すら取らない、祖国愛に燃えた忠実な兵士のような労働力を大量にもっていたので、日本経済は恐れるものをなにももたなかった。
フランス首相のÉdith Cressonなどは、労働者も自分の幸福を夢見る一個の人間であるという当然の認識をもたない日本社会にいらだって
「日本人は兎小屋のようなアパートに住み、2時間もかけて通勤し高い物価に耐える蟻のような生活をしている」「日本人はfourmis jaunesだ」
と公式の場(!)で散々発言して、日本語マスメディアで伝え聞いた日本人たちが憤激して東京のフランス大使館に押し寄せたりしたが、フランス人らしく口汚く罵る性癖のあるÉdith Cressonが目立っただけのことで、アメリカ人も、イギリス人も、オーストラリア人も、ニュージーランド人も、口にしないだけで、内心では日本人支配層の不公正さを呪い、日本人企業戦士たちのナイーブな愚かさを呪詛していたのは想像しなくてもすぐに判る。

目先数年、という範囲では小気味良いほど巧くいくが、数十年というスパンで見直して考えてみると本質的なダメージを社会に与える方策をおもいつくことに長けているのは、もしかすると日本文明の本質なのかもしれない。

一見、うまくいった支配層の方針は、個々の国民が子供をつくりたがらなくなる、という予想外の結果を社会にもたらした。
税金の徴収についても国民をうまく騙して、日本に住む外国人たちが「ステルス税」と呼んで笑っていた、税金と名前のつかない税金たち、年金の積立金、高速料金、…しかも、手をかけてわざわざ複雑な体系にして、目を凝らすと、税理士を雇う支配層ならば、たくさんの租税回避の抜け穴のある膨大な金額の(広義の)税金を納めて、可処分所得が途方もなく小さい上に、GDPの成長にまったく見合わない低賃金で、生活の質そのものは中進国のレベルにピンで貼り付けられていた賃金労働者たちは、子供をつくることを拒否しはじめただけでなく、やる気そのものを失っていった。

さらにおおきな問題は、やはり企業にとって労働コストを低く抑えるために、社会全体として無賃金残業を際限なく増やしていったが、それを支えるためには専業主婦の奴隷に似た、というよりも愛情という糖衣を省いてしまえば奴隷そのものの家庭内での献身に全面的に依存して、男の配偶者が家事を何もしない文化を社会を挙げて育てていたので、女の日本人たちが社会そのものに対して不信を起こすという異様な事態にまで発展していった。

ニュージーランドは、ながいあいだビンボな国で、自他ともに認める「世界いちビンボな英語国」で、そのことに倒錯した誇りをもってさえいた。
どのくらいビンボだったかというと、オタゴあたりに行くと、特に貧困家庭出身ではないのに、「子供のときは家にオカネがなかったので、段ボールで靴をつくって学校へ通っていた」と屈託なく笑う70代の人がいくらでもいる。
ちょっとビンボなほうになると、英語では食事をteaとも呼ぶことを前にも書いたおぼえがあるが、文字通りで、一杯の紅茶とビスケットだけの食事も普通だった。

ところが、21世紀になる頃から風向きが変わって、社会にオカネが流入してくる。
繁栄に向かう社会の一例としてあげようとしているわけだが、そうすると、どんなことが起きるかというと、「目に見えて社会がどんどんよくなる」のが普通の国で起こることで、ニュージーランドも例外でなくて、図書館の本棚には目立って新しい本が増え、1日$1で借りられるDVDには最新作が並ぶようになり、コンサートホールが建設されると、欧州やアメリカ、インド、オーストラリアからモダンダンスカンパニーやオペラ、シェークスピアのカンパニーが呼ばれて、町が綺麗になりはじめ、通りを歩くひとびとの身なりがあっというまに良くなっていく。
食材に広がりが出来て、外食する食べ物すらどんどんおいしくなってゆく。
特にニュージーランドに限らず、本来は、賃金の上昇を柱に、税率がさがり、個々人の生活が豊かなものになってゆくはずで、日本の衰退の最大の原因は、それがなぜか起こらずに、「社会は繁栄しているのに個々の人間の生活は良くなるどころか相対的に貧しい労働時間の長い生活になっていった」ことにあるように見えます。
日本文化からムダは多かったが闊達なところがあった「無責任男」に象徴されるような文化が失われ、初めは「常勝監督川上哲治の巨人軍流管理術」のようなものから始まったようにみえる「管理」をキーワードにした支配層の締め付けで、それがやがて極端化して社会全体の軍隊化を引き起こして、組織が軍隊化すれば必ず症状として表れる組織の硬直化、いじめ、頑として新しいものを拒む社会が現出する。
その結果は、やはり社会全体が完全に軍隊化していた1930年代から1945年に至る日本社会とおなじことで、世にも無能な純粋培養秀才の将校=幹部が、自分では優秀だと思い込んでいる愚かな教科書訓詁的な頭脳から現実と事情があわない観念的な施策を垂れ続けて、それを、さらにもう一段愚かなイアーゴーたちが岡っ引きよろしく虎威を借りてしらみつぶしに個人のプライドを奪って社会を解体に導いてゆく。

日本の経済的な失敗と暗い未来への予測は、具体的には、例の傾斜投資方式がコンピュータ時代への転換期にあたってはミニコンすら許容しない大型電算機1本にしぼって、パーソナルコンピュータを役にも立たないオモチャと冷笑した当時の研究者と政府の役人に原因が帰せられるが、考えてみるとそれは表層の契機にしかすぎなくて、やはり全体主義社会の発展は構成員個人の幸福を達成できないというその一点において、最期には崩壊の運命にあるという物語の、もうひとつの例証であるだけのことかもしれません。
理屈のうえでは、そうやって、歴史のなかで何度も繰り返されてきた全体主義の宿命的な帰結であっても、いま現にこの世界を生きている日本人ひとりひとりにとっては、なんとしてでも、おおいそぎで全体の側から個人の側へ視点をとりもどして、「自分を幸福にしないことはやらないほうがいいのではないか」という所から考え直していかないと、25年続いた衰退が、もう25年続き、50年続いて、結局は逃げ遅れた乗客をのせた老朽船のように歴史の海底へ藻屑となる運命にあるのかもしれません。

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日本語の愉しみ

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5年間の「小さい人々休暇」が終わって、来月が終わる頃になると、足下にいつも猫と小さいひとびとがじゃれていた生活が終わりになる。
新しいデザインの生活のための準備もだいたい終わって、もうすぐやってくる34歳の誕生日には、ぼくはオレンジカウンティにいるだろう。
引っ越すわけではなくて、買い物に行くだけだけどね。

大統領選挙の結果が直後なので、そのときにアナハイムのオフィスを拡張するかどうかも決まっているはずです。
オークランドベースからシドニー/オークランドベースに移行するための準備は終わって、たくさんのひとにはあったが、まだシドニーの人々がどんなふうな考えをもっているのかの感覚はちゃんと理解できていない。
同じ英語人だと云っても、アメリカ人、連合王国人、ニュージーランド人、オーストラリア人とおおきく気風が異なっていて、ふだんの生活ならともかく、仕事でのことになると注意深くならないわけにはいかない。

英語世界では経済小国であるカナダ、オーストラリア、ニュージーランドは、経済大国のアメリカや連合王国のドナルドトランプやBrexitに象徴される高い理念の放棄という歴史的な社会の転換によって、おおきなプラスのインパクトを受けることになったが、首の赤い英語人の気持もよく判っていて、三国とも、唇を閉じたままで、ゆっくりと、そっと、移民の門を狭めている。
90年代の反アジア人運動の嵐の経験から、賢くなって、ポイント制度を導入して制度にフレキシビリティをもたせておいたことが思わぬ所で役に立ち始めた。

連合王国の政府役人や法廷弁護士(←チョー仲が良い友達)たちとスカイプで話していると、いろいろな人の消息が聞こえて、ええええー、あの人がそんなこと言うのか、で、永住ビザの強制返上まで考えていて、母国のアホっぷりに感心する。
アメリカ合衆国のほうは、深層はよく判らないが、テキサス人やジョージア人と話していると、疑えば「また、白い世界にもどりつつあって嬉しい」というトーンで、Mad MenやDownton Abbeyが流行る、最近の英語世界の「白化」の底深さを窺わせる。
むかしのように公然たる差別は、割にあわないのでやらないが、「ガメ、白いおれたちだけでやろうぜ」が、ますます露骨になってきているように感じるのは、先入観のせいだろうか。

正直に言うと、このブログを始めたときには、いま考えるとお笑い草で、ナイーブさを笑われてしまうが、日本の人がアジアの一中心として役割を果たすのではないかと期待していた。
紫式部、源俊頼、芭蕉、谷崎潤一郎や小津安二郎を通して、日本語文明への深い敬意を持っていたので、高度な文明を生む言語を話す民族には高い魂が宿っているだろうと期待したからでした。

もう6年前になるが、だから日本のひとびとに話しかけてみようと思ったが、ブログへのゴボウがなんちゃらといかいうコメントを没にして、おっさんのプライドを傷つけたのがきっかけで、この、自分で「はてなのオピニオンリーダーだ」と称して自己紹介してやってきたおっさんが、仲間と徒党を組んで、様々な手を使って「ニセガイジン」の大合唱を起こしたところで、
日本人に、深刻な話題については、いくら話しかけてもムダだと判って、アジア人の話し相手はインドの人と中国の人になった。
この二国の人たちは、普通に話が出来るので、チョー安心しました。
その話し合いのなかから、いまでは色々な現実世界への働きかけが生まれて、仮想から出たマコトというか、オモロイことがたくさん始まっている。
小さい人たちとべったり一緒にいるための「世界でいちばん長い育児休暇」が、もうすぐ終わるので、自分でも参加しようと思っている活動がたくさんあります。

相変わらず日本語は大好きなので、足にまとわりついて、膝にあがって、肩に昇って、最後には頭のてっぺんまで這い上がって父親山の登頂をきわめようとする小さい人びとに、足場がくずれて、おもいっきり背中をどつかれたりしながら、josicoはん( @josico)のような古くからの友達や、哲人どん @chikurin_8th、たち、新しく出来た友達とツイッタで遊んで、日本語自体はやっていてよかったと思っている。
社会のほうは、多分、あれだけ意地が悪いだけの、頭がからっぽで、自分の狭い視界に映るだけの「世間」の意見が空虚な伽藍に反響しているだけの国になってしまっては、向こう一世代くらいは、どうにも恢復のしようはないとおもうが、それはそれで、仕方がないことなのではないかと考えています。
もしかすると日本語にとっては由々しき事態なのかも知れないが、そこまでは付き合うわけにはいかない。

最近は、日本語でぼくの英語を貶して「おれの英語のほうが遙かにうまい」と述べるのはなんらかの理由で都合が悪いと考えるようになったのかニセガイジン合唱団は、全員が一生懸命に削除しているとかで
なかったことにしたいらしいが、この自称「はてなリベラル」のおっさんたちの大群は
「原発が爆発するかもよ」 答:「ニセガイジン」
「社会が右傾化するとおもうぞ」 答:「ニセガイジンw」
「アベノミクスなんて、失敗することが初めから判っているではないか。
国富が外国資本に吸い取られて枯渇するだけとおもう」答:「ニセガイジンwww」
で、
日本語世界では議論など成り立つ余地もなかったが、自分では、日本語との関わりから生まれた、自分の良心が納得するだけの責任ははたしたつもりで、議論に応じてもらえなかったのは、こちらの都合ではないわけで、なされるべき有効な議論は全くなされないで罵りと中傷を浴びただけだったが、自分にできそうなことは、やれるだけはやったので、あんまり気にしていない。

この、おさぼりな6年間にはいろいろなことがあって、いちばん衝撃的なことは連合王国の下院に立候補するはずだった友達が病死したことだった。
この若い政治的天才が連合王国から永遠に失われてしまったことは、事情が判らない人には、おおげさに聞こえるかもしれないが、連合王国にとっての大きな損失で、Brexitというオオマヌケな、国のアイデンティティを根幹から破壊したばかりか、死にかけていた中東人アフリカ人アジア人への差別を、残らず甦らせてしまった事件が起きたイギリス社会に、あいつが生きていればなあ、とおもう。
労働党のようなところでは発言権を持つのに年季がいるが、保守政治の世界では、地位はともかく、発言権をもつには、意外と若くて構わないからです。

良い方のことも、もちろんたくさんあって、まず何よりも世界は15年前に較べれば、びっくりするほど良い場所になった。
前にも書いたことがあるが、サンフランシスコのような、大都市で開明的であることになっている町でも、ぼくが子供の頃、1991年というような頃はまだ、夕暮れ、マーケットストリートに佇んでいるやさしい顔をした白人の女の人と知的な風貌のアフリカ系の男のカップルが、しかし、周りの人間と比較してはっきりと緊張した風情で立っていたのを記憶している。
知的に早熟な子供だったのはたしかだったが、それにしても、その緊張が鮮烈なイメージを作っていて、いまでも人種差別のことを考えると、その、ふたりが肩を寄せ合って社会の冷酷な気候に耐えているとでもいうような姿に頭がもどってゆく。

言うまでもなく、異人種間の結婚には、かつては、おおきな偏見が絡みついていて、夫が白い人で、妻が有色の人である場合には、おもいきり下品な言葉でごめんなさいだが、場末の夜更けのパブで言うところの「やられるほうがアジア人なら許せる」で、女が有色ならよいが、男が有色人で白い妻を持つなんてとんでもない、と問わず語らず、おとなたちが感じているのは、別に言葉で聴かなくても判っていた。
人種差別は、性差別とも密接につながっていて、本質的に同じものであることは、
そういうことからも明かであると思います。

いま過去のブログ記事を検索して探すと、
ポンソンビーのカフェで、ふと、辺りを見回すとテーブルが異人種間のカップルであふれていて、
「やっと、ここまで来た。
はっはっは、勝った、と思います。」
と書いたのは、2012年の3月のことのよーです。

多文化社会
https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/03/15/multicultural-2/

世界は20世紀から21世紀に変わったあたりから、どんどんどんどん良くなって、この15年間での変化と前進は、殆ど人間が国権の拡張と戦争にばかり気をとられていた20世紀全体の百年間よりも遙かにおおきな幸福と希望を達成した。

自分自身を振り返っても、いま考えてみると、インドの人やアフリカの人達に較べて中国の人達に偏見を持っていたが、この数年で目立って増えた中国系人の友達たちのお陰で、ロンドン、ニューヨーク、東京、クライストチャーチで形成された「中国の人は行儀が悪い」
「狡い」
「決まりを守らない」
という先入観が、綺麗さっぱりなくなってしまった。
中国の人達への偏見がゼロになってみると、それによって最も解放されたぼくの気持のほうで、むかしはロンドンの高級レストランにいて、中国の人達や日本の人達が集団で入ってくると、おとなたちが隣のテーブルの人たちと目配せをして、「またか。うるさいひとびとは困るね」と声にしない言葉で述べあっていて、レストラン側も心えていて、気が付かれないようにカーテンで仕切った向こう側の別室に案内したりしていたのが、ぼくの世代ではレストランの中国語の喧噪がないと供されるディムサム が、おいしくないような気がする、というところへ変わってきた。

もっと身近で些末な例で世界の進歩を述べると、この頃は空港のコカコーラ自動販売機に硬貨を投入すると、ほんとうにコーラが出てくる!
20世紀では、そんなことはよっぽど僥倖に恵まれなければ起こらないことで、自動販売機などは、つっかえ棒を手動で外すと一箱が落ちてくる仕組みのパブの煙草販売機を除いては、宝クジみたいなものというか、硬貨をいれてコーラが出てくると、居合わせた人間がどよめきかねない体のものだった。
あるいは、しつこく述べると、病院の待合室で、お腹がすいて、ビスケットを自動販売機で買うと、硬貨をいれて、ガラスの向こうに並んでいる袋に向かってマジックハンドもどきが、ぶおおおーんと動いていって、袋を持ち上げて、手前に移動させると、袋がガラスに倒れこんで、そこでひっかかって動かなくなっている。
「きみ、マジメに働きなさい」と機械に言い聞かせて、どんっと叩くと、ふて腐れて、袋が向こう側に倒れたまま、テコでも取り出し口には出てこない反抗的な姿勢をみせる。

それが、あっというまに改善されて、自動販売機にオカネをいれるとモノが出てくるようになってしまった。

パーキングメーターにしても、これは、こっちのほうがよかったと言えなくもないが、高校生の頃までは通りには機械式のパーキングメーターがたくさんあって、壊れていれば払わなくてもいいことになっていたので、クライストチャーチなどは、通りで、じっくり探せば無料カーパークが必ず見つかった。
もっと内緒でいうと、チケットを切られても、警察にお手紙を書いて、
「ぼくはマジメな高校生です。オカネを投入しようと試みたが、そのまま吐き出されて、どうしても、ぼくのマジメな財布からでたマジメオカネを受けいれてもらえなかったのです。ほんとよ」
と述べれば、必ず罰金を免れて、赦してもらえることになっていた。

それが世紀が変わる頃には携帯のテキストメッセージで払うようになって、いまでは、いかなる技術革新にやありけむ、クレジットカードで払えるようになってしまった。

前にも書いたが、
祖父や祖母のころは、上流階級の一部をのぞけば、そんなことはとんでもないことだったというが、

「いまのは、もうちょっと、いまいちだったなあー。
ガメ、コーヒー淹れてあげるから、もういっかいやらない?
ね?ね? いいでしょう?
疲れないようにしてあげるから。
そこじゃない。

へっただなあー。ちがうちがう! そんなに荒っぽくしたら痛いでしょう!」

と普通に女の人々が言ってもいいことになった。


https://gamayauber1001.wordpress.com/2016/08/29/sei/

もちろん、まだまだヘンな人もいるが、社会の常識は性行動においても男と女とおなじで当たり前でしょう?ということになった。

子供の頃の、白くて退屈で暗黙の約束に満ちた連合王国に較べると、いまはなんて良い時代になったものだろう、と過去を振り返ると、つくづく感心する。

人間の成熟の第一の条件は、希望をもって未来を切り開く力を持つことだろう。
自己を客観しできたり、感情をコントロールして、人間という存在と人間が持つ感情や思考の複雑さを理解するのは、どちらかといえば世界に希望を持ちうるようになることから派生する副次的な問題にすぎない。

日本語は独白や主観の物語を組み立てるには情緒を精妙に表現できる点ですぐれているが、社会を建設して、議論を積み重ねて、必要な速度で社会を改革していくには全く不向きなことで、例えばインターネットで言っても、日本語ネットは、堂々巡りと嫌がらせと冷笑が虚しく渦巻いていて、何を変える力ももたず、言語全体が詭弁化していて、現実に対して徹底的に無力であるという特徴を持っている。
日本語が論理的でないということはまったくなくて、曖昧さを排除することも比較的に簡単だが、問題は、その論理を殆ど真実性に依拠しないで否定することも簡単に出来て、真実も嘘を相対的で、絶対を持ちえなかったことによって言語全体として死語化している。
少し仔細に見てゆくと、たとえば日本語は日常レベルで2万語の語彙が必要だ、とよく述べている人がいるが、それは単語の寿命が短いからであることも大きな理由になっていて、日本語くらい、ちょっと油断していると「じーちゃん言葉」になる言語は、多分、他にないが、それは日本語が常に情緒や感情でびっしょり濡れているからであるように観察される。

日本語を大量に読んで書いたこの数年間の感想は、残念ながら、日本語は古くなって、社会的な機能を失って、しかも明治口語のようなおおきな革新のチャンスを逸した言葉で、テレビバラエティ語というか、表層のみを述べうる言葉に加速的に変質して、社会の質も、それによって、年々劣悪になっていくだろうと予測される。

悪いことだけではなくて、自分の感情や情緒を表現するのに、これほど最適な言語はない。
あと30年くらいしたら、こっそりと草書で短冊に俳句や短歌を書いて、誰にもみえない、ぼくだけが眺めて楽しめる自分を楽しみたい。

30年後も、日本語、やってえがったなあーと考えたいと思っています

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二重国籍と日本の未来

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蓮舫議員に続いて小野田紀美議員が「二重国籍じゃないか!」で話題になっている。
もっとも日本のニュースは、最近は、インターネットで、しかも、ちらっと観るくらいしか観なくなってしまったので、ほんとうは話題になっていないのかも知れないが、ニュースサイトとツイッタで話題になっているのを目撃した。
日本にいたとき、両親のどちらかが日本人の友達たちがよく話題にしていたのを思い出して、このブログでも日本の単国籍主義は何年も前から書いている。
日本の社会という観点に立つと最大の問題は例えば日本語と英語を母語にしている、日本にとっては最も必要とされている人間が22歳になると日本国籍を捨てなければならなくなることで、日本語ツイッタを眺めていると、「言わなければバレないからいいのでは」という在外日本人がたくさんいて、その、不正でも見咎められなければ良いじゃんがいかにも日本人らしくて笑ってしまったが、日本に生まれて二重国籍になった若い人は、遙かにマジメで、というのはつまり西洋的な考えかたで、ダメなものはダメと考えて、父親の国籍を採るか母親の国籍を採るかで懸命に考えて、ぼくのまわりの例では全員が日本国籍を捨てることになった。

観ていて、なにも社会の立場に立って考える事はないが、日本社会の立場に立てば、なんというもったいないことをするのだろう、と思う。
個人の視点からは、日本国籍はあってもなくても同じか、いまの戦争好きな社会の形勢を考えれば返って日本国籍をrenounceしたほうが良いくらいだと思われるが、日本にとっては致命的といいたいくらいの損失であるとおもう。

言うと失礼だから言わないできたが、日本の人の英語能力は飛び抜けて低い。
例えば配偶者が英語人で、20年以上アメリカで暮らしているというような人でも、話してみると、単語を拾ってつなぎ合わせているだけで、意味と感情の背骨が通った文章として話したり聞いたりしているわけではない。
「意味が判っている」だけであるらしい。
内輪では「日本人は、他人の話を聞かない」とよく言うが、あれは英語人が信じているように傲慢と自我肥大で他人の話に耳を傾けないのではなくて、言語的に話がちゃんと頭に入っていっていないのではないかと、最近はおもっている。

まして、日本の学校でいくら英語教育が改革されて「国民の英語力の平均が12ポイント向上しました」ということになっても、個々の日本人はそれでハッピーだが、日本社会にとっては「平均より上の英語力」などは何の役にも立たない。
日本社会の国際社会での孤立ぶりは年々ひどくなっているが、それも英語のエキスパートが育たないからで、外交官ですら「なんじゃ、こりゃ」な英語で、しかも、その英語スキルの乏しさを隠すためだと推測するが、態度が傲岸で、観ていて、こちらがそわそわした気持になる人が多い。

日本の社会に最も必要な存在のひとつが、この母語並に英語が出来る人で、通常の言語世界には、少数の言語的天才と国際結婚の両親から生まれた二重母語人と子供のときに他国で育って両親から日本語を受け継いだ日系イギリス人というような組み合わせが、他言語へのインターフェースとして存在するが、日本社会は、この部分が完全に欠落している。

二重国籍を許可しないことは、他所の国の人間から観れば、バカバカしいだけのことで、やっぱり日本はヘンな国だね、という冗談のタネにしかならないが、当の日本の立場に立つと、ぞっとするような損失であるとおもう。

小野田紀美議員のケースは、記事をためつすがめつ読んでみると、現実にはアメリカ政府の側からしか問題が感じられなくて、アメリカ合衆国にはアメリカの国籍を持っている人間に対しては世界のどこに住んでいても課税する権利を留保するという、世界に稀な、ほとんどデッタラメな法律があって、小野田紀美議員は議員である以上収入があるはずで、その収入にみあった所得税を払ってきたのだろうか、という問題があるが、それをわざわざ日本の側で暴いてみせるところが日本という国のナイーブさでなくもない。
アメリカ側から見れば、一国の立法者が堂々とアメリカの法律を踏み倒して税金の支払いを無視していることは、たいへんな問題であるはずで、このひとは自民党の議員なので、見て見ぬふりをしてすませてしまうだろうが、本来ならば見せしめに追徴金も含めて課税したいところだろう。

蓮舫議員に続いて、小野田議員、どこからどう観ても日系アメリカ人にしかすぎないアメリカのノーベル賞受賞者を日本人の受賞だと言い張るいかにも日本らしい騒ぎを通じて、しかし、二重国籍が話題になることはよいことであると思う。
いままで、たとえばAFWJというような組織は、署名を集めて、何度も陳情を繰り返してきたが、そのたびににべもない返事で、社会の側も冷淡だった。
日本の社会特有の、おかしいことでも自分の利害に直截関係しないかぎり「おかしいのではないか」と抗議の声をあげない通癖のあらわれで、日本の社会について知識があれば特に驚くほどのことではないが、現実には日本社会の孤立化という形で、外国人の両親たちの涙に冷淡で来たことが個々の日本人の利益を失わせる結果にもなっている。

いつか、「鏡よ、鏡」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/12/18/mirrorx2/
というブログ記事を書いたときに挙げた日本のベストセラーの題名を肴に、連合王国から遙々訪ねてきた友達と冗談をのべあって大笑いしたことがあったが、日本は、自惚れ鏡に見入ることによって、現実の国際社会からは退場してしまっている。
残っているのは企業だけで、よく観ると、日本から企業を差し引くと何も残らない。
トヨタのやりかたは感心しないが、会社としては国際水準の強さで、目を凝らして見ると、ハイブリッドという過渡的な技術に力を割きすぎて、やや小手先の技術の洗練に注力しすぎるのが不満だが、タカタエアバッグへの対応をみても、ケイレツ主義の不健全な経営に反して見事なくらいの健全さも残している。
自動車会社という業界は、どこの国でも汚いことばかりの感心できない業界なので、比較のうえでは、十分、日本が潰れてもやっていけそうに見える。
ニュージーランドやオーストラリアでいえば、日本のビール会社がオーストラリアやニュージーランドのビール会社の系列化を進めていて、そのせいでスーパーマーケットの棚に、日本にいたときに好きだったヱビスビールやサッポロが並ぶようになって、しめしめと思っている。
経営がぐらぐらしていたビンヤードは中国の会社がほぼ買い占めて、ビールは日本で、他人のカネで飲むワインやビールほどおいしいものはない。

むかしの日本企業は、本社からやってきた駐在社員が威張っていて、閉じた日本社会を形成して、マンハッタン、ミッドタウンの日本風に「うまみ」がある麻婆豆腐のレストランに行くと、駐在妻集団とおぼしき人々がたくさんいて、ボス妻らしい人が笑うと、一瞬、一秒の半分くらい「これは冷笑か単純な笑いか」と顔色をうかがう「間(ま)」があって、それからいっせいに取り巻き妻たちが笑い出すという光景が毎日のように繰り広げられていて、たいして食べたくもない麻婆豆腐を、その光景が見たさに何度か通ったことがあった。

いまは、伝え聞くところでは、かなり現地主義になって、トヨタのAurionはオーストラリアトヨタのデザインで生産もオーストラリアから始まった。
あるいはコンピュータ店でクルマの話をしていたら、タイ系のニュージーランド人の店員が「Camryって、あるでしょう?あれは、ぼくの父親の命名で、My carのアナグラムなんです」と言うので、みなで、おおおおー、と盛り上がったことがある。

だが日本の社会のなかに日本語を伝って入っていくと、びっくりするような閉鎖性で、まるで鎧戸を閉じきったイタリアの田舎の農家のなかのように、薄暗いのを通り越して、真っ暗です。

風通しが悪い、空気が淀んだ部屋には、暗がりのなかでひょろひょろと丈だけが伸びたモヤシのような屁理屈が立ち並んでいて、およそ現実に対して実効性のない議論が声高に語られている。
憲法なんて、あったってインチキなんだから無視すればいいじゃん、と首相が述べれば、放射能は安全だ、危険かもしれないなんていうやつは素人だと傲岸に述べている「玄人」の学者がいて、専門をみると、ぜんぜん放射線まわりとはおかど違いの領域の研究者であったりする。

自分がいかに英語が達者であるか日本語で誇り続けるマンガ的なひとびともたくさんいて、ああいうことは、たいしたことでなくて本人のバカッぷりを余す所なく見せ付けているだけだとも言えるが、いまの日本社会の閉鎖性、その閉鎖された社会で起きていることのくだらなさを象徴しているようで、観ているほうが恥ずかしいような気持になってくる。

そうこうしているうちに、日本で起きていることがだんだん他国にも知れ渡って、こういう「他国で起きていること」が世界の人間の常識に組み込まれていくのには、だいたい20年くらいかかるというが、それよりも少し早く伝播して、観ているとここ2,3年で急速に日本社会が平和主義から好戦的な伝統に帰ったこと、ハイテク社会が終わりを告げて完全にITから取り残されたこと、豊かだった社会が貧困の奈落に堕ちていきつつあること、国全体がまるごと人種差別的な国と化して韓国人と中国人が特に標的とされていること、が「常識」として共有されだしている。
特にアジアの若い人のなかには、日本全体を憎悪と軽蔑の気持で観るひとが増えてきているように感じられる。

こういう言わば文化のインフラとでも呼びたくなるようなことは、ゆっくりだが確実に一国の足下を掘り崩して、それが表面化する頃になると、その国にとって取り返しがつかないダメージになることには、たいした想像力はいらない。
戦前の日本が良い例で、日露戦争後、おかしなことをやり続けて、30年代になると日本語人が述べることを信用する人間は世界に誰もいなかった。
そのころも、いまとおなじで、第一、外交官が英語もフランス語もろくに話せないので、日米交渉にあたった人のメモワールやインタビューには「日本人の英語の不快さ」について触れたものが多くあって、アメリカ上流階級のアクセントで話した蒋介石夫人の宋美齢の、アメリカ人をほとんどうっとりさせた日本弾劾の演説の見事さと並べてみると、なんだか戦争を始める前に日本の破滅が予定されていた事情が納得される。

日本語インターネット友達のオダキンに呆れられてしまったが、例のニセガイジン騒動の頃、日本のおっちゃんたちの集団を組んでの個人攻撃と中傷の規模の大きさと執拗さを目撃した頃から、とっくの昔に日本の将来はダメだな、こりゃ、と思っていて、その頃から日本社会を批判するようなことは、めんどくさいからやめてしまった。
それでも、うっかりほんとうのことを述べて、いっぱいヘンな人が来ることはいまでもあるが、日本語に興味はあっても日本の社会には興味がないので、
また来たのか、よく飽きないね、くらいにしか感じられない。
そんな冷たい、というかもしれないが、あの後、危惧されたとおり(と言っても、ぼくはもんじゅのほうが爆発すると思っていたが)福島事故が起きて、放射能が俄に安全なことになり、アベノミクスなんてダメに決まってる、新しい産業を興さないで金融政策だけで経済がよくなるなんてタワゴトにしか過ぎないと述べて、また「経済の専門家」と言うひとびとに冷笑され、と延々と続いたので、日本社会で付和雷同以外の意見を述べることの不毛を学習しただけだと思われる。
オダキンたちが希望を持つのはあきらかに良い事だが、問題が山積されているのに、まず問題が存在することを認めるところで社会の全力を使い果たしてしまうような、いまの日本社会では、奈落へのヘルタースケルターを滑り落ちてゆくほかに未来があるとは思わない。
ものの考え方が軍隊なみで、途方もなく反知性的なのだから、手の施しようがない。

最近は日本の政府が発表する諸統計に疑義があがっている。
昨日も防衛大臣が「白紙領収書には何ら問題はない」と言い切っていて、最近の「権力がある人間が言ったことが事実になる」日本の腐敗を端的に表していたが、
首相が成功だと言っているのだからアベノミクスが成功であったり、日本は経済が回復して豊かになったと政府が言っているから日本の経済はすでに(十分ではないが)恢復したのだという「事実」をいくらつみかさねても、言葉だけで出来たケーキを食べるわけにはいかないだろう。

若い友達たちで、(もう数は少ないが)日本にまだ残っているひとびとに日本に生まれたことの解決策をよく訊かれて、その都度、日本に残るばあいと日本を離れるばあいに分けて考えたことを述べてきたが、日本に残る選択肢は消滅したと考えた方が良い。
国である以上、いつかは恢復する(多分)はずだが、それはどんなに早くても、いまの、国をくいつぶすためだけに存在しているような年長世代が退場してから20年はかかるはずで早くても2050年くらいまで日本の低迷は続くことになる。
以前に述べたように2050年は世界全体にとって、生き延びるか否かの、ふざけて言えば「勝負の年」で、政府が機能するのが難しいアフリカ諸国の人口爆発から弾けて世界に飛び散る巨大な流浪の人口を、養っていけるかどうか、人類の全知全能が試される年であるはずです。

タイミングが悪すぎるが、日本という国は妙に運がいいところがあるので、いまの時点では見えない核戦争なりなんなりのブラックスワンで、また意外な役を割り当てられるのかも知れない。

そうであっても、日本が恢復する頃には、とっくの昔に老人で、国と社会のせいですりつぶされるような一生を送りたくなければ、年々門戸がせばまっている移住のドアから滑り込んで、後々、自分自身といういちばんの友達に泣いてわびなくてすむように、乾坤一擲、ここで跳ばなければならないのは、ほぼ自明になっているとおもいます。

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